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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2020/04/10(金)   CATEGORY: 未分類
地球が息を吹き返す
四月六日、お昼のニュースをみていたらそろそろ非常事態宣言がでそうなので、白い目で見られずに出歩けるうちにと大学にいく。地元の駅にはホームにほとんど人がいない。電車もガラガラなので座ってケータイをチェックすると大学からメールがきている。
 何と明後日8日からキャンパスを閉鎖(ロックダウン)するという。都市封鎖はなくても、大学は封鎖かい。この時点では非常事態宣言が8日にだされることは未発表であったため、大学は事前に文科省から情報を聞いてこのお知らせを発出したものと思われる。

 大学のキャンパスは毎年入試期間の三週間封鎖されるが、そんな時でも教員や職員は出入りできるし図書館はあいている。しかし、今回の封鎖は教員も入れないし、図書館も閉まるので、研究に支障を来す。
 学園紛争以来ではないか、この異常事態は。
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 今年はオリエンテーションも入学式もなし、今の時点では5/11から授業を再開するというが、対面授業はできないのでオンラインでの授業準備が進められている。とはいってもパソコン環境は教員も学生も様々であり、実修のような完全オンラインでは実行不可能な科目もあるため、他の業種同様大学も揺れまくっている。
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 ワイファイ環境が貧困な状態にあるとくに一人暮らしの学生とかは、すべての授業が動画配信になったらギガ不足で金欠になる。そういう細かいことはぬきで、ここのところ大学からはとにかく何とか対応してくれ、と毎日のようにメールがくる。何とかしてくれと言われても、どうにも対応できない先生とか生徒が絶対でてくるよ。

 大学の最寄り駅につくと、改札にはいつものガードマンがたっているが、今日はフェースガードとマスクつけている。研究室にいって必要なものをかばんにつめこみ、事務にいってもろもろの事務処理をし、図書館に本を返し、また必要な本をかり出す。しばらくこられないから見落としがないようにしないと。

 キャンパスにはほとんど人影がなく、散り際の桜の花びらが強い風にまきあげられている。静かだ。とにかく静かだ。
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 毎年、四月初めはキャンパスがもっともうるさい活気づく季節。商店街には入学おめでとうのフラッグがかけられ、教室も人でいっぱい、学内の通路もサークル新歓のよびこみでごった返し、高田馬場の駅前はよいつぶれた学生がごーろごろして、大学には苦情電話が殺到する。
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 なのに、今、キャンパスは静まりかえっている。思えば、ウイルスの蔓延により世界の人口の半分が外出制限をうけた結果、大都市上空の大気汚染は劇的に改善し、インドのパンジャブから数十年ぶりにヒマラヤが見えるようになった。去年は一月から発生していた台風も今年はまだ発生していない。

 気温の上昇は人間の活動が作り出していたものだから、今その活動がしずまって、地球が息を吹き返している。
 人間が呼吸ができなくなると地球が呼吸できるのか。 
 ダライラマはいう。
 「人間が作り出した問題は人間が解決できる」
 「地球は一つしかない。ここがだめになったからよそに住もうとかできないだろう?」
 個人的にはウイルスによって作り出されたこの状況は人類が文明のあり方について再考するチャンスを、どこかの誰かが与えてくれているように思える。
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DATE: 2020/03/20(金)   CATEGORY: 未分類
2020年3月19日の日記
90年代から毎日日記をつけている。大半はたわいもない一日の出来事のメモであるが、今現在コロナ禍という歴史の中にいるため昨日の日記がそのまま歴史史料になるような気がしたのでちょっと手を入れてあげてみる。

明日は春分。風が強い。お鳥様たちは春なので元気に部屋中を旋回している。日課でBS1の世界のトップニュースをつける。コロナ禍は周回遅れで欧米で猖獗を極めている。

フランス国営テレビ(F2) がヨーロッパでもっとも今悲惨な状態にある北イタリアのベルガモから中継。内容的にも視覚的にもひどい。医療は崩壊しており、一日三百人以上死んでおり、地元の新聞のお悔やみ欄は何ページもつづき、教会には棺がずらっとならんでいても司祭も七人死んでいて葬式もままならない。ちなみに、イタリアがコロナの震源地になった理由としてては(1) 高齢化が進んでいる (2) 一帯一路に協力して中国人観光客を大量に受け入れていたこと (3) 身体接触の多い挨拶習慣 などがあげられている。

 続くアメリカのニュースも悲惨。連日値を下げた株は昨日もサーキットブレーカーおちまくり。国民皆保険でないから死者数はあっという間に日本をぬいた。ニューヨークも外出禁止。

 フランスも全土で外出禁止され、外出理由を説明する書類と身分証をもたない人は警察官に追い返される。

ドイツではふだんは新年にしかテレビ演説しないメルケル首相が、テレビで広く国民によびかけ、第二次世界大戦以後最大の危機と国民の協力をよびかけている。

 どこの国も国境をとざし、往来を制限したため、駆け込み帰国がおわったあとの飛行場はどこもがらんどう。

 まるで世界大戦がはじまったかのような風景であるが、唯一の救いが人間が憎み合って殺し合った挙げ句の国境封鎖でないところ。ウイルスは差別主義者でないので、富めるものも、貧しきものも、有名人も無名人も、黒人も白人にも、先進国にも途上国にも等しく禍をもたらす。その結果、国境を封鎖せざるをえないわけで、すくなくとも核ミサイルが飛び交った末の国境封鎖よりはまし。

これもそれも、中国政府が武漢の医師のうったえをもみ消したことによる初動の遅れ、中国観光客に依存している各国が春節観光客を受け入れた見通しの甘さが原因である。今後インバウンド頼みの経済からの脱却が課題である。
 聞いているかアップルのCEOよ。

 ニュースの後、朝刊をとりにいくと、となりにサガワの配送車がとまっていて、運転手さんが荷物をだすため後ろを開けたら荷物がくずれて道路に散乱した。みな家にとじこもっていて宅配業者がフル稼働しているから、荷物ミチミチなのだろう。みなが外食を避けているせいか、ウーバーイーツもやたら町中にいる。

 昼はひたすら百年前の神智学協会の文献をせっせとpdfでおとし検索かけながら必要な情報を拾う。家にいながら百年以上前の雑誌がよめる研究者にとって良い時代になった。

 夜、外務省から、全世界を対象に危険度1とするというメールがきた。全世界に注意を喚起するメールなどそうそうこないだろうから、記念アゲ。
外務省全世界向け警告

夕方のニュースで、明日からの三連休で兵庫・大阪の不要不急の行き来をやめよとのおたっしが国からでた。ベッドに入りニュースをみると専門家会議が11時から会見をやっている。
 曰く「今のところ日本は持ちこたえている、しかし、いつ感染爆発がおきるか分からない。専門家の間でも自粛をいつまでつづければいいのかは意見が割れている」とのこと。
 そりゃそうだろう。
 寝る。
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DATE: 2020/03/09(月)   CATEGORY: 未分類
『パンと牢獄』とコロナ
3月10日は、1959年に、ダライラマ14世をまもるべくチベット人が蜂起してから61年目にあたる日である。ご時世でフリー・チベット関連のイベントは中止となってしまったが、チベットを思う日としてかわりにチベット人政治犯一家の10年を記録した新刊『パンと牢獄』(小川真利枝著 集英社クリエイティブ)について紹介したい。
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2008年3月12日、かつてのチベットの都ラサ(西蔵自治区)でおきた暴動はまたたくまにチベット全土に拡がった。チベット人の怒りが爆発した原因はその年8月に開幕を控えていたオリンピックにあった。国際社会は北京でのオリンピック開催を決めるに際して、中国政府に報道・言論の自由、チベット亡命政府との対話などに取り組むことを要請したものの、何も改善がみられないままオリンピックがナショナリズムの発揚に利用されたからだ。

 この暴動をうけて、世界主要都市で行われることになっていた聖火リレーはフリー・チベット旗をもったチベット支援デモにむかえうたれ、面子をつぶされた中国政府は怒り狂った(以来、聖火リレーは開催国のみでやることに決められたw)。

この蜂起の直前、トンドゥプワンチェン(1974-) というチベット人が挙動不信を理由に公安に拘束されていた。公安はその後、この男がチベット各地においてチベット人の生の証言を録画していたこと、彼の撮影したフィルムは協力者の手でスイスに持ち出され、『恐怖を乗り越えて』(英語版Leaving Fear behindはここで、日本語字幕入りダイジェスト版はここで見られます。)という28分のドキュメンタリーへと編集されたことを知る。

この映像の中で、僧や遊牧民などのあらゆる階層のチベット人が顔をさらして、ダライラマの帰還を切望し、民族が消滅する絶望を訴えていた。一部をあげると

「中国人はチベット人に宗教の自由を与えているといいますが、自由はないです。ダライラマ法王がチベットにいないことがその証です。ダライラマ法王が帰還するどころか、地方の役人たちは中国に連れて行かれ、『ダライラマの帰還を望まない』との念書を取られ、その見返りに多額の金を与えられている。」

「私たちはただの遊牧民ですが、私たちは全ての祈りをダライラマ法王に捧げます。全ての祈りの中に法王がいらっしゃいます。」

僧侶が泣きながら「ダライラマの帰還はすべての人の夢。でも実現の望みは少なそうです。ダライラマ法王の名前を口にするだけで、強い信仰と深い悲しみを感じます。状況は絶望的です。もう疲れ果てました。一人であてもなく終わりもなくさまよい続けているようです。」

60才女性 「死ぬまでに一目でもいいからダライラマ法王を拝みたいです。100頭の馬と1000頭の牛と引き替えにしてもかまいません。」。


あの中国で命をかけてなされた告発は蜂起にまでおいつめらたれたチベット人の本音を国際社会に発信したため、撮影者であり投獄もされているトンドゥプは有名となった。世界中の人権団体がトンドゥプの釈放運動を行ったものの、中国政府はトンドゥプに6年の刑期を宣告し、2014年に刑期満了で釈放した後も、公安の監視下に置いた。


 2017年2月、トンドゥプは公安をまいて中国脱出を試み、ベトナム経由でタイのアメリカ大使館へとかけこむことに成功した。同年のクリスマスの日、サンフランシスコの空港で妻子と再会した。アメリカ入国に際してはアメリカのチベット支援者たちのネットワーク、とくに民主党の下院議長でダライラマの支援者として著名なナンシー・ペロシ氏の力添えがあったと言われている。

本書はこの2008年の蜂起の年のトンドゥプの逮捕から2017年サンフランシスコの空港で家族と再会するまでの軌跡を、トンドゥプ本人とその妻ラモツォ (1972-) の証言から再構成したものである。

トンドゥプの逮捕時、夫の活動を全く知らされていなかった(しかし、夫の指示でダライラマのお膝元のインドのダラムサラに出ていた)ラモツォは突然政治犯の妻となり、七人の家族(子供四人と義父母と姪)の生計を支えることとなった。中国統治下のチベットに育ったラモツォは読み書きができず、できる仕事は限られていた。彼女は午前一時に起床しパンを焼き、一日バスターミナルに座ってパンを売って一家の生活費を稼いだ。本書の題名『パンと牢獄』とは政治犯の夫と残された妻の生活を象徴的に示している。

チベット難民というと可哀想なイメージで括られがちであるが、本書の著者も言うように、ラモツォはたくましい。2012年、子供四人を引き連れてサンフランスシスコへの移住を決行し、チベット支援者の家で家政婦として働きながら、夫の釈放を待った。読み書きができなくとも、スマホがあれば音声通話で世界中にちりぢりになった家族と無料通話ができるし、メイドの求人を探すことができる (チベット人メイドを雇うことはアメリカ人の意識高い人達の中ではステイタスとなっている)。

アメリカに無事わたったトンドゥプは国連やアメリカの議会での証言を行ったが、本土に残してきた人達にどのような影響があるか分からないため、どこまで話していいのか苦しんだようである。本書の最期にはそのような葛藤をへた後のトンドゥプへのインタビューがのせられている。

中国の公安による逮捕状なしの拘留・暴力の詳細、個人間の通話情報をすべて積み上げての取り調べ、当局の弁護士しかつかない裁判など、中国の少数民族に対する抑圧の記録としても貴重である。

 周知のとおり中国政府はここ十年、ウイグル人・チベット人の「管理」を厳しくし、とくにウイグル人は成人男性を強制収容して、イスラム教をすてさせ、漢語を話し共産党を賞賛するようにさせる「職業訓練」を行っている。チベット人は大人しいのでそこまではされていないが、高僧や学者などは移動制限をかけられ、2008年以後、インドとの国境は厳しく監視されているため、昔のようにチベット人が子供たちをダラムサラの学校に送ることもままならなくなっている。一方、一般の中国人はご存じとおり、エルミタージュであろが、ルーブルであろうが、京都の嵐山であろうがどこにでもいける

 今現在中国共産党は国の威信をかけて私権を制限して武漢肺炎の封じ込めを行っている。賭けてもいいけど、これが成功したら、「[政府批判を抑圧する] 独裁こそが経済にとっても防疫にとってもベストな選択である」とか国内外で宣伝を始めるだろう。そして不安にさいなまれている人の中からはそれに騙される人もでてくるだろう。

しかし、今回のコロナ肺炎については現場でコロナ肺炎の発生をつげた医師を当局が拘束するなど言論統制したことが初動をおくらせる原因になっている(しかもこの医師はもうコロナに倒れて死んでいる)。また武漢を強権発動して閉鎖しても、そのまえの1月25日の春節時点で多くの中国人観光客が世界中の観光地にちったあとであった。知り合いがアメリカ西海岸のサンタモニカにつてがあるが、一月末から中国人の数が爆増えしていたといい、明らかにこれが現在カリフォルニアに蔓延しているコロナの感染元である。

大体WHOの事務局長、テドロスが中国に忖度して台湾をWHOからはずし、今回も「たいしたことない」と言い続けたことがさらに事態を悪化させている。WHOから排斥された台湾が、いち早く入国制限をして国内感染者を増やさなかったことが皮肉であった。

科学的な知見が重要となるような今回のような場合は、独裁であれ民主主義であれ、とにかく政治家は、すぐれた専門家に討議させてその結果を謙虚に聞いて仕事人に徹するべきであった。今回の件で中国共産党が手柄を誇ったらマジで国際社会は怒った方がいい。

個人的には、これを契機に中国人観光客のオーバーツーリズムがなくなることを祈りたい。

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DATE: 2020/02/29(土)   CATEGORY: 未分類
映画「巡礼の約束」
岩波ホールで上映されている『巡礼の約束』(原題: アラチャンソ)を見に行った。[大東亜]共栄堂でスマトラカレーを食べた後に、岩波ホールにいくと、入り口に「コロナの疑いのある人は入場しないで」的な張り紙があり、ご時世を感じる(その後3/13まで閉館を決めたそうです)。
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 本作品は中国国内で活躍するチベット人監督ソンタルジャによる「巡礼」をテーマにした映画である。言論の自由がない中国において、チベット人・漢人を問わず、政治に対する批判は少しでも匂わせると即逮捕・拘留となる。そのため自ずと表現やテーマは限られ、とくにチベット人監督である場合、チベットの置かれている政治的・歴史的状況について仮にいろいろな思いがあったとしても、ストレートには表出できない。つまり、我々は画面から彼等の思いをくみとらねばならない。

 本作品は、五体投地によるラサ巡礼、すなわち、かつてのチベットにおいては一般的であった習俗を通じて、家族の喪失(最愛の妻や母の死)と再生(妻の連れ子と残された夫の父子としての再生)を描いたものである。

 チベット人にとって精神世界の中心はいうまでもなくラサ(文字通りは神々の地)。かつてはダライラマの住居であったポタラ宮があり、チベット仏教の大本山がいくつもあり、全体が聖地とされるチベットの中でも文字通りの中央の聖地である。

 なので、チベット人は物質的に豊かになりたいと思えば、北京やアメリカを目指すが、病にかかって余命がないとか、親しい人がなくなって喪失感半端ないとかいう、自分の力ではどうにもならない悲劇にみまわれるとラサ巡礼にでる。もっとも熱心な巡礼は五体投地で身体・言語・心の活動を投げ出して身長の長さごとにすすむ。この場合、せいぜい一日五キロ進むのがやっとである。

 主人公の女性は死病にかかったこと、また前夫の遺言を果たすために、今の夫に真の意図を隠して、東チベットのギャロンからラサに向けて旅立つ。途中から今の夫と前夫の子供が加わった時点で、「ああ〜、この人途中でなくなって、残された二人がその遺志をついでラサに向かうんだろうな〜。そのうちに双方大人になって家族愛にめざめるんだろうな〜」と思っていたらまんまの展開だった(笑)。

 五体投地巡礼はきついので露営用の荷物をもって併走するつきそいがつく。彼女の場合も若い娘が二人つきそったが、この娘たちはナンパされたり、逃げたりして途中で消える。この二人は信仰心の薄れた若い世代のチベット人を象徴しているのだろう。一方で、たまたま道沿いで縁をむすんだ家族が、医者をつれてきたり、葬儀の手配をしたりと様々な手助けもしてくれることは、昔ながらのチベット人のメンタリティであろう。

 昔はラサをめざして多くの人が勉強や巡礼のために故郷を離れた。彼等はほとんど旅の路銀をもっておらず、道すがら人々から食をえながら前に進んだ。巡礼は善行であり、その善行を手助けすることも善行であるためウィンウィンの関係である。つまり、この映画が巡礼を通して家族の再生やチベット人同士の横の連帯を確認していることは、チベット人がチベット人らしさを保持することによって心の平安を得ていること、二人のつきそい娘たちの脱走事件は伝統を忘れていく若い世代を表現している。
 
 かつての日本においても、死期を悟った人や、身内を失った人は、四国遍路に旅立ち、遍路道のまわりにいる人々から食をえて、お風呂を借りたりしながら、最後は倒れることも本望と考えていた(遍路道は円環なのでいずれにしても道半ばで死ぬ)。今や死病におかされた人は病院で管につながれて死に、遍路はバスツアーの観光旅行となってしまった。チベット人がもし日本のように巡礼をやめ仏教徒であることを忘れてしまったら、それは、チベット人が漢人と区別がつかなくなる日であろう。この監督はもちろんそのような日のくることを望んではいないだろう。

以下、本作が日本で上映されるまでの経緯についてのエビ(毎日新聞の記事)をはっておきます。3月10日のチベット蜂起記念日が入る期間に本作を上映して下さったのだとしたら岩波ホール、ご立派だと思います。

 上映館はここでご覧ください。
 
素人だったけど…チベット映画の上映支える字幕翻訳担当 「巡礼の約束」 (毎日新聞2020年1月30日 )

 チベット圏出身のソンタルジャ監督(46)が現地語で全編撮影した映画「巡礼の約束」(2018年中国)が2月8日から岩波ホール(東京・神保町)で公開される。少数言語の映画は劇場公開のハードルが高いものの、チベット人映画監督の作品として日本に初上陸した前作に続き、劇場公開が実現した。背景には、作品に魅せられ、字幕翻訳を担当した松尾みゆきさん(44)=京都市伏見区=の奮闘があった。【藤田祐子】

 松尾さんは福岡市出身。東京のテレビ番組制作会社で働いた後、福岡の日本語学校で外国人向けに日本語を教えた。06〜11年に中国青海省西寧市で日本語を教え、家族の介護などのため一度帰国した後、語学を学ぶため14年に留学生として再訪する。帰国する直前の15年7月、誘われた上映会が監督の前作「草原の河」だった。

 わだかまりを抱えた父子の家族の物語が胸を打つ。気付けば自分の記憶まで揺さぶられ、言語も民族も超えて感情移入していた。上映後、初対面のソンタルジャ監督に「この映画に日本語をつけていいですか」と直訴する。「西寧で暮らし、チベット文化に関心を深めた歳月はこの監督と出会うためだったのかもと思えた」と振り返る。

 帰国後、チベット宗教文化を研究している夫の三宅伸一郎・大谷大教授(52)の助けも借りて、1年がかりで日本語字幕に取りかかった。翌16年に日本語字幕付きDVDが完成した。大きな壁にぶつかったのはここからだ。松尾さんは、字幕のついた映画があれば、後は上映するだけだと思っていたという。

 京都市の自宅からDVDの入ったリュックを背負い、夜行バスで上京した。映画館を訪ねて映画の素晴らしさを訴え、DVDを渡すものの、「まず、企画書を出して」「資料がなくては検討もできないよ」とつれない反応が続く。深夜にネットカフェのパソコンで映画のあらすじをまとめ、監督のプロフィルを訳して、翌日再び映画館を回った。
映画「巡礼の約束」のワンシーン?GARUDA FILM

 それでも良い返答はなく、ここが最後と思って訪ねた岩波ホールで、映画の上映には映画を購入する配給会社や宣伝スタッフが必要なことを教わる。チベットを題材にした中国映画などを手掛けた経験がある配給会社も紹介された。「素人がめちゃくちゃなことをしたのに……。奇跡です」。17年4月から全国35劇場で公開された。

 ソンタルジャ監督は松尾さんとの出会いを「とても感動してくれたことが伝わり、熱意ある人だなと思った」と振り返る。中国では商業映画と芸術映画は厳格に区別され、芸術映画の劇場公開はほとんどないといい「(日本での上映は)難しいだろうなと思っていた。のちに芸術作品を中心に上映する小規模な映画館が日本にたくさんあり、映画ファンが多いことも知った」と語る。いまでは松尾さんの存在は粗編集の段階から意見を聞く大切なパートナーになっている。

 松尾さんが苦心してつけた「草原の河」の字幕は、公開までに配給会社から徹底的に修正された。「劇場映画はテレビドキュメンタリーと違い、文字数や仮名遣い、表示時間に厳しい制限があることも知らなかった。女の子は女の子っぽく、年寄りは年寄りの口調にと工夫した渾身(こんしん)の翻訳がばさばさ削られてショックでした」と語る。発奮して字幕翻訳の専門学校に入学して基礎を学び、2作品目の「巡礼の約束」は納得のいく翻訳に仕上がった。

 「巡礼の約束」は四川省アバ・チベット族チャン族自治州のチベット圏を舞台に聖地ラサへの巡礼に旅立つ1組の家族の心模様を描いている。ソンタルジャ監督は「チベットのごく普通の人々の世界を見てほしい」と来場を呼びかけている。上映は3月20日まで。問い合わせは岩波ホール(03・3262・5252)。
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DATE: 2020/02/05(水)   CATEGORY: 未分類
120年前の小さな秘密
院生Wくんが1904年に日本人で三番目にチベットのラサ入りを果たした寺本婉雅について調べていておかしな点に気づいた。ちなみに潜入中の寺本の肖像はこれ↓
寺本婉雅肖像

Wくん「寺本は1899年にチベットに出発する前に、北京に駐在する矢野文雄公使から駐蔵大臣(ラサに駐留する清朝官僚)宛の紹介状を書いてもらうのですが、その際矢野公使が肩書きを入れなかったとくやしそうに日記に書いてあるんですよ。なのに、現在残る矢野公使の紹介状には肩書きがばっちりはいっていて、しかし日付は翌日なんです。」

そこで、寺本婉雅の日記をみると確かに1899年3月1日の項に

 越へて二日、[矢野]公使余を招きて曰く、『二十九年の公文通知にり[清朝の]総理衙門に要求し難しと。其代り駐蔵大臣の紹介状を与へん』とて、単に官名を記せざる矢野文雄の名を記したる書面を渡されたり。余怪しみて曰く、何故に官名を記し玉(たま)はずや。曰く、『事公然に渉るを恐るるのみ。縦(たと)ひ官名なきも彼或は之を察すべけむ』と。余は此の事に就(つ)き甚だ失望を感じたりしも、復た詮方(せんかた)なかりき(『蔵蒙旅日記』46)。

と、かみ砕いていえば、「現地の人に便宜を図ってもらえるように公使の名前で私を守って、と頼んだのに、矢野公使は保身に走って官名かいてくれなかった、まじ失望した」とある一方、今に残る紹介状の矢野公使の肩書きは「北京駐箚日本欽差全権大臣」とかなーり仰々しい。

私「この肩書き、寺本の偽造じゃね?」

Wくん「公文書の偽造なんてそうそうやりませんよ。うがちすぎですよ」

しかし、私はこう思った。もし矢野公使が翌日思い直して、肩書き入りの紹介状を送ったとしたら、記録魔の寺本はそれを絶対日記にかく。なのに書いてないのは不自然。それに、現場で苦労する側は身を守るためには偽造くらいするだろう。大体、これは公文書じゃないし、見るのは駐蔵大臣で、日本の関係者じゃない。

長年にわたりアメリカのドラマCISシリーズを見続け脳内捜査官の私は、頼まれてもいないのに筆跡鑑定にとりかかった。文字には指紋と同じくそれを書いた個人のしるしが残る。文字のはねとかとめとかはコントロールできないからだ。欧米でサインが身元証明に用いられるのはそのためである。

 まず矢野公使が書いたことが確かな部分から大の字をきりだす。紹介状本文の一行目の大乗と、後ろから二行目の駐蔵大臣、最終行の文海大人の三つをきりだし、矢野公使が書いたかどうか不明の肩書きの中の全権大臣の大の字と比べる。とくに三画目のはね方をくらべると前者三つと後者は明らかに違う。肩書きの大ははね方がつつましい。
矢野龍渓明治320303

 また、矢野公使が紹介状と同日に揮毫した書には在、北京日本欽差府とあり、紹介状にかかれた全権大臣といった日本国を代表することを明示した権威的肩書きを用いていないことも傍証となる。

 そこで、今度は寺本婉雅の筆跡から大の字を探す。これは寺本婉雅による大隈重信宛書簡からうるほどでてきた。大隈の大だからw。
 寺本大隈文字

はい、これがそれです。肩書きの大と比べてみてください。三画目のハネが同じである。
ちなみにも、日付は二に一本くわえて三にしただけとみた。以下は上が肩書き、下が寺本発大隈宛書簡の寺本の文字である。
縮め肩書き
ちぢめ寺本
 以上、現場からお伝えしました。
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