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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2021/06/28(月)   CATEGORY: 未分類
四ヶ月たって・・・
建て替えた我が家に戻り四ヶ月がすぎた。昭和なアナログボロ屋から、令和の家に引っ越した当初は、家の使い方がわからず困りはてた。ホームメーカーのやつらは厚さ十センチの使用説明書を置いていったが、あんなん誰が読むんだよ(読めよ 笑)。
リースとシール


 風呂の付け方はわからん、ガスレンジの使い方はわからん、風呂はたけんし茶ものめん、「全部アナログに戻してくれ」と叫ぶ毎日 (写真は微妙な距離感で新居のガスレンジの上にとまるごろう様と花姫)。
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 廊下にでたり階段をあがったりすると人感センサーとやらで勝手に電気がつくのも気持ち悪いが、誰もいない廊下に電気がついて、「すわ白塗りの子がついてきたか」と思ったら猫が廊下にいた。人感センサーって猫サイズにも反応するのね。

 「できるだけ前と同じデザインで」と指示して設計してもらった新居であるが、トイレと風呂と階段は前と同じにできなかったため、微妙に体になじまない。お鳥様が夜中にパニックを起こした時、1階から2階にかけあがった際、階段をふみはずして向こうずねをうちすごい痛かった。元のボロ屋は暗闇でもどこに何があるか体がわかっていたのに、今は見えても転ぶ。

心底、生まれ育った元のボロ屋が恋しく、そこに戻れないのならあのボロ仮住まいでもいいとさえ思った(ボロければいいのか? 自分? そういえばその仮住まいでも二回階段落ちしたw)。

 新居になれないのはお鳥様も同じであった。ガラスが新品で透明であるため、引っ越してすぐ、何かに驚いて飛び立ったごろう様がガラスに激突した。古い家の時は、ガラスがこ汚かったので外の鳥も中の鳥もガラスをそれと認識してぶつかることはなかったのに。

ガラスに残るごろう様の「鳥拓」をみるにつけても、ごろう様に申し訳なく、急いで窓硝子に養生テープをバッテンに貼り(戦時中かよ)、ニトリにカーテンを買いに走った(鳥部屋のカーテンは鳥柄にしてゆっくり選ぼうと思ってつけてなかった)。

二度と窓硝子は磨かない、そう誓った三月の晴れた日であった。写真は鳥拓とご不浄に鎮座するうすさまオカメインコ。
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 そして、問題は猫である。立て付けの良すぎる新居の網戸は羽のように軽く簡単にあくため、猫がいつのまにか部屋からいなくなっていた時は驚いた。遠くへいってなかったので連れ戻せたが、外猫に病気をうつされたり、虐められて帰ってこなくなるとまずい。なので、網戸を養生テープではりこみ開かないようにしたが、今度は網戸に爪をかけて破る気まんまん。仕方無いので網戸の下の方はダンボール箱をつぶしてガード。貧乏臭いことこの上ない。

 そして6月6日になった。新宅で迎える初めての先代ごろう様忌ならびに二世生誕祭である。ケーキも白、いただいたお花もワインも白、命日の厳粛と生誕のお祝いが交錯する悲しめでたい日である。(写真はモンサンクレールのバースデーケーキちゃんと二人の名前をいれてもらった)。
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 新居にうつって、一番心配だったのは一階と二階で分けているとは言え、猫(るり)とお鳥様が同じ屋根の下で暮らすことであった (前は猫は別棟にいた) 。

 るりに、お鳥様は家族であること、決して手を出してはいけないことを根気強く諭したところ、鳥のいる二階にはまったく興味を示さず、ためしにごろう様を肩にのせたまま一階におりても無関心。二羽が部屋の中で大旋回をはじめると机の下にもぐり、自ら距離をとってくれるいい子になった。

 それを見て、先代のるりも先代のごろう様にまったく害をなさなかったことを思い出す。ちなみに我が家のコンパニオンアニマルは転生によってその座をうけついでいるので、先代も当代も猫は「るり」、鳥は「ごろう」と名前も見た目も同じである。先代るりは10歳の頃に先代のごろう様をお迎えしたので、猫も10歳こえると人の都合を理解してくれるよう。
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 るりは新居にすぐなじみ、午前中は一階窓際の床の日だまりで眠りはじめた。ガラス一枚隔てた向こう側では雀たちがごはんをついばんでいる。日光東照宮の有名な眠り猫は、その後ろに雀の彫刻があり、猫と鳥が一緒の場所にいる、すなわち、太平の世の中を示しているというが、うちは眠り猫と雀が共存するリアルなアルカディア。思えば家はこの子たちのために建て替えたようなもの。

 みんな長生きしてほしい。
眠り猫
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DATE: 2021/06/08(火)   CATEGORY: 未分類
タワンをフィールドにした四冊
本日はタワン(インド名: アルナーチャルプラデーシュ州)を研究対象とした四つの本をご紹介したい。

地図でいうとチベットの南、ブータンの東、ミャンマーの西にあたる地域で、チベットではタワンと呼ばれダライラマ6世の故郷として、またダライラマ14世が1959年にインドに亡命する際に通過した地点としても知られている(写真はクリックすると拡大します)。
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 この地域は1951年に人民解放軍がチベットに侵攻するまではダライラマ政権の支配下にあり、言語や文化はチベットである(但し他にも少数民族多数あり)。 タワンはインドが実効支配しているが、中国(チベット)がそれを承認していないため、両軍が対峙しており、その結果1992年までは外国人の入境が禁止されていた。

 なぜこうなったのかというと、1913年にインドのシムラで英・チベット・中の間で交渉が行われた時、半年間双方資料をだしあって国境画定などを盛り込んだシムラ条約を調印しようと試みたのだが(チベット側は具体的な徴税文書とかを提示してここままでがチベットといったが、中国側は例によってここは中国だああああ、と主張)、調印の段階になって中華民国代表はイニシャルだけサインして逃げたため、イギリスとチベットだけで条約は結ばれた。

 1949年中華人民共和国が成立し、翌年中国共産党がチベットに侵攻・占領すると「シムラ条約は調印してないから無効。マクマホンラインなんて知るか。タワンは中国のものだ」と言い出したので、いつ中国軍が南下してくるかわからない微妙な地域となってしまったのである。

 そういうわけで、この地域はインドの中でも特別な地域となり外国人もインド人も入境が難しかったため、比較的最近まで近代化の波に洗われることのない伝統的な社会が存続していた。現在インドに属しているチベット文化圏のうち西部のラダックやザンスカールは研究が進んでいるが、このタワンは割と最近になって研究者のフィールドになったのである。

 これからご紹介する以下の4冊の本のうちはこのようなフィールド研究の成果に基づくもので、最初の二冊

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奥宮清人編(2011)『生老病死のエコロジー―チベット・ヒマラヤに生きる』昭和堂 
奥宮清人編(2011)『続・生老病死のエコロジー―チベット・ヒマラヤに生きる ヒマラヤ・アンデスに生きる身体・こころ・時間』昭和堂


は、高地プロジェクトに参加した20数名の先生方の論著を集めた一般向け論文集である。編者である医学博士の奥宮清人先生(総合地球環境学研究所、京都)は世界中の高所(フンザ、アルナーチャルプラデーシュ、青海省、ラダック、ペルー)においてメディカルキャンプを行い、高地特有の生理的特徴や長寿の秘密を探ってこられた方である。

もう一冊は
水野 一晴(2012)『神秘の大地、アルナチャル―アッサム・ヒマラヤの自然とチベット人の社会』昭和堂

である。水野先生は高山や乾燥地の極限地域における自然環境と社会、自然地理・気候変動を研究テーマとされており、京都大学地理学研究会を主宰。私個人の興味としてはダライラマ政権の支配下に当該地域があった頃のラサとタワン地域の関係(納税・交易ルートetc.)を土地の古老からの聞き取りによってかなり詳細に解明していたのが興味深かった。

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最後にご紹介するのは最近でたばかりの

長岡慶(2021)『病いと薬のコスモロジー――ヒマーラヤ東部タワンにおけるチベット医学、憑依、妖術の民族誌』春風社
である。

著者長岡氏は早稲田大学で自然地理学を学んだ後、京都大学の大学院においては人類学を専攻し、タワン地域のチベットの伝統医療を研究対象に定めた。

 チベットの伝統医学は『ギュシ』(rgyud bzhi 通称『四部医典』) という古典に則り体系化されており、ヒマラヤ地域の豊かな動植物を薬材を調合するチベット薬によって名高い(その薬材については拙著『チベット伝統医学の薬材研究』を見てね! )。

 長岡氏がタワンを研究対象に定めた理由は、チベットの伝統医学についての研究がラダックなどのインドの西部地域に偏っていることに気づき、「より低地で薬草などがゆたかに産出するタワンにはきっと西部とは異なった実地医学があるだろう、土地のアムチ(お医者さん)といっしょに薬草採取ができるといいな」と期待に胸をふくらませてタワンにいった。

 しかーし、ついてみると村出身のはアムチはおらず、 診療所のアムチはダラムサラにあるチベット亡命政府が運営するメンツィーカン(医学校)を卒業した人であり、薬草つみも中・印国境の微妙な場所であることから外国人が同行することは不可能であった。

 当初の期待がはずれてもそこからどうするかでその人の価値はきまる。よく見てみると村には人々が病になった時にたよる密教医やシャーマンなどはいる。また、インドがチベット医を登録制にする際に認定基準をめぐり、密教医とダラムサラのメンツィーカンで学んだ医者との間で対立があることなど、伝統が近代化に直面することによって生じる様々な事象を目にすることになった。こうしてタワンの医療がインドの医療制度と出会った時におきる様々な事象が本書のテーマの一つとなった。

 ちなみに上のレベルではチベット医学全体としてはラサのメンツィーカンを主宰する中国が現在ユネスコの無形文化遺産にチベット医学を中国の伝統医学の一部として申請しており、一方インドもインドの伝統医学の一部としてチベット医学の承認を求めるなど空中戦を繰り広げている。病をなおすという実学であるがゆえにチベット医学は仏教のようにはげしい弾圧対象にならず(チベット医学は仏教と強い関係があるのだが中国はそのあたりはスルー)、ともあれ存続していると思うしかない。

 この本のもう一つのテーマはタワンの人々が病をどう理解し、どのような対処をしているかというフィールドで見聞きした民族誌である。タワンのアムチたちの診療の実際なども記されており大変に面白いので興味のある方はぜひ本書おすすめです。
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DATE: 2021/05/09(日)   CATEGORY: 未分類
チベット里親支援レポート
リアルで行われるチベット・イベントには、ぶっつけ的な要素が満載で、主催者が会場に集まってから司会者とか段取り決めるみたいなおおらかさがあるのだが、果たしてオンラインではどうであろうかと思ったら、オンライン・チベフェスはとりあえず時間通りに始まった。ほっとするのもつかの間、いきなりハウリングしまくっていて(同じ室内でパソコンを二台以上つけていると音が肉声と別のパソコンからでた音声をひろい生じる現象)ワロタ。しかし二日目午後くらいからは、スタッフがんばったのか状況は改善していた。

 今回は四日午後に流されたチベットの教育機関から日本の里親さんへのビデオレターをレポートする。録画がここにおいてあるようなのでチベットのマンダラや瞑想についての講義などはこちらでご覧いただきたい。

 子供たちのビデオ・メッセージはここ一ヶ月以内に録画されたもので、コロナで学校がオンラインになっていることもあり、大々的なことはできなかったとのこと。それでも「教育が受けられて嬉しい」という子供たちの言葉はなんか感動的だった。そいえばこのコロナ禍でチャイルドラインには、普段なら子供たちが「学校にいくのがつらい」とかいう電話が多いのに、今年は「学校にいけなくてつらい」という訴えが多かったとのこと。人は社会的な生き物なんだなあとそのニュースを聞いて思った

 話をもどそう。ビデオレターを送ってきたのは以下の四種類の学校であった。

(1) 難民社会の教育省が直営校するカリンポン、シッキム、シムラなどの四校。
(2) 難民社会でもっとも古い歴史をもつダラムサラのチベット子供村(TCV)。
(3) チベット・ホーム・ファンデーション(Tibet Home Foundation)が運営するムズリーの学校。
(4) マンジュシュリ孤児院基金(Manjushri Orpharn Fund)が運営するタワン(アルナーチャル・プラデーシュ州)のマンジュシュリ学校。

(1) 教育省直営校
 カリンポン校の子 「[里親支援の御陰で]家族が学費と生活費のために苦労することがなくなりました。一生懸命勉強していますが、これからもっとがんばります。」
 シムラ校の女の子。「将来チベットの伝統医学を学び医師になりたいと思っています」
 シムラ校の男の子。「ラダック出身のテンジンリクジンです。中学三年です。時間がある時は本を読んだりサッカーをするのが好きです。ここが学校の講堂です(ダライラマの写真が掲げられている)。六時に起床して六時半から七時まで、午後は五時から五時半までここでみなで読経します。[図書館にきて]日曜日はここでみなでテレビで映画やニュースをみています(背後には本土チベットの地図が掲げられている)。
[シムラ校]みなで声を揃えて「仏性会※のみなさんありがとうございまーす」。

※仏性会とはダライラマ法王が1989年にノーベル平和賞をとる前からずっと法王と交流し難民社会を支援をしている仏教勉強会。
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(2)「チベット子供村」 (TCV)
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 TCV理事長「TCVハチベット本土からの子供や貧困家庭の子、そして孤児たちの世話をする、学校というより教育と福祉を行う慈善団体です。1959年にチベットは国を失い1960年代多くの人が法王について亡命しました。そのような状況下でTCVはまず[親を失った子を保護する]保育園として始まりました。法王は何よりも教育を重視し、ここTCVはダライラマの構想を実践する場所となっています。

 現在は難民社会でもっとも大きな教育施設になりました。TCV の支部は北はインドのラダックから南はバイラクッペまであり、現在約8000人の子供が教育を受けています。ダラムサラには1200人の子供が勉強しており、教師と寮母さんなどのスタッフは200人います。38名の子供が日本からの支援を受けています。これまで72000人以上の子供たちがチベットの伝統文化と現代教育を受けて卒業しました。TCVの理念は「まず、自分より他人を思いなさい」(Other before Slef)です。
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 私たちが考える「良い教育」とは家庭環境や宗教やカーストや人種に拘わらず、子供たちに思いやりもたせ、皆一つの家族であるという感覚を育むことです。これは法王のお考えでもありチベット文化の本質でもあります。子供たちが次世代の世界のお手本になるように育てるように努力しています。


そして子供たちのビデオレター「枕詞がダライラマ法王とジェツンペマかあさんのおかげ勉強ができます。日本の●×さんから支援を受けています。小学校から高校一年まで。学費・政活費だけでなくお土産も戴きました。心から感謝しています。」となっていたのが印象的。本当にダライラマが始められた施設なのだなあ。

(3)ムズリーのTibet Home Foundation(CST)では日本人が35名の子供たちの里親になっているとのこと。子供達が富士山の絵とかかいているのが日本によせていて健気。

(4)タワンのマンジュシリ校
 さて今回四種類の学校のうち、タワンが一番外国人が入りにくい場所である。国境紛争地帯であるため、外国人の入境が長く制限されていたからだ。ここではKIKUのみなさんの支援により57名の子供がサポートされている。
 小学校低学年の子が集まってThank you ボードを掲げている(日本の旗もみえる)。真ん中にトゥプテン・プンツォク師が読経してるのがチベットらしくていい。
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師「みなさまの幸せと長寿を祈ります。KIKUのすべてのメンバー。龍村和子ファミリーのみなさん、タシデレ(こんにちわ)。トゥチィチェ(ありがとう)、[日本語で]ありがとうございます。

アマルグルン院長「「なくなられた久保隆さんのご家族に深くお悔やみ申し上げます。久保さんは私たち家族の一員でした。彼は私たちの心、そして祈りの中に存在し続けています。」


最後にアリヤ代表がしめのことば 
アリヤ代表「以上のチベット人の学校は教育省(Department of Education)に管轄されています。チベット政府にとってチベット問題の次に重要なのが子供の教育です。伝統と近代教育を子供たちに伝え、ちゃんとした人間ができるようにしています。モットーはOther before Self(自分より他人を大切に)。come to learn go to serve (学べ、そして社会に貢献しろ)です。この理想に基づいてインドばかりかブータン、ネパールにまで全部で85校以上が運営されています。経済的に困窮している家族の子供には世界各国から里親支援をしていただいています。

 もし里親に興味のある方は事務所に連絡ください(サイトはここ)。子供を紹介します。その子供に高校生になるまでスポンサーができます。可能な限りでいいです。子供たちからの手紙とかカードをもらうことができます。TCVの運動会に参加するなどして自分の里子に会うこともできます。

 実はわたしもドイツの里親の支援で学校をでました。私が高校生になるまで支援してくれました。私が大学をでて[難民政府に就職し]ドイツに仕事で行くことになった時、その里親に連絡したら、高齢になっていましたが、会うことができてお互い嬉しかったです。人間は相通じあうことはとても大事です。

 2008年のチベット蜂起以前にはチベット本土からきた子供たちがインドのチベット学校で学んだ後、残る人もいれば本土に帰る子もありました。しかし、2008年からは中国政府が国境の警戒を厳しくしたので本土からくる子供はまったくなくなりました。

 しかし本土ではチベット文化を教える機会はどんどん減少しているので、本土のチベット人はチベット語もチベット文化も勉強できずアイデンティティを守ることができなくなっています。しかし、インドのチベット人はみなさんの御陰さまでチベット文化をまもることができています。

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DATE: 2021/05/01(土)   CATEGORY: 未分類
チベットフェスティバル (オンライン)
雨が降ったりやんだりの不安定な天気が続いているが、大気には新緑の香りが充満している。外にでたくなる季節ではあるが、コロナで宣言が出ているためデパートも飲食店も閉まりっぱなし。閉門蟄居が推奨されている。スーパーでは旅にでた気になる物産展が開催されているため、本ブログもエア旅行の紹介を。まず、エアブータンを楽しんでいただくため、ブータン料理に挑戦。いや私でなく院生Wくんがだけど(爆笑)。

シェフ院生Wくんはブータンの食材を見事に代表的な料理エダマツィ(唐辛子のチーズフォンデュ)とパクシャパ(豚バラ唐辛子煮込み)に作り上げてくれた。探してみたら両方ともクックパッドにレシピがおちていて、いまや食材さえあればどんな国の料理でも自宅でつくれるんやなあと感無量。彼の腕がよかったため辛いながらもご飯がすすんだ。食材をくださったTさん、作ってくれたWくん、ありがとうございました。

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次はエアチベットのご紹介。ゴールデンウィーク恒例のチベット文化の啓蒙イベントチベフェスが今年はオンラインで開かれます。閲覧のみなら、Tibet House Japanのフェイスブックから live配信でみられるとのこと(サイトはここ)個人的にはボールドにした五月三日の午後のチベット・ハウス職員によるチベット料理のプレゼンと四日の午後のチベットの教育機関からのビデオメッセージに興味がある。歌と踊りは流しっぱなしにしておこうと思っている。

5月2日(日)
午前11時~午後12時30分 チベットハウス代表アリヤから、開会のご挨拶と、チベットの歌と音楽
午後2時 ~午後3時30分 チベットの歌と音楽

5月3日(月)
午前11時~午後12時30分 「砂曼荼羅、その目的と意味」 クンチョク・シタル師
午後2時 ~午後3時30分 チベット料理クッキング バター茶・パク(麦焦がし)・テントゥック(麺)
プレゼンター:ジグメとロブサン(チベットハウス・ジャパン職員)

5月4日(火)
午前11時~午後12時30分 「入門:仏教瞑想と修行」 ゲシェー・テンジン・ウセル師
午後2時 ~午後3時30分 ビデオメッセージ 「チベット現地教育機関と子供達から、サポーターの皆様へ」

5月5日(水)

午前11時~午後12時30分 「チベットの宗教文化」 チベットハウス・ジャパン代表 TGアリヤ
午後2時 ~午後3時30分 チベットの歌と音楽/終わりのことば


見るだけでなくBlueJeansで参加したいという方は(会員優先)、以下の情報を申込先メールアドレスまで送信すれば追ってミーティングIDとパスワードが送られてくるとのこと。

1.参加イベント(下記「 スケジュール」参照)
2.メールアドレス
3.参加者名
申込先メールアドレス:tibethouse.jp@tibet.net






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DATE: 2021/04/18(日)   CATEGORY: 未分類
ブータンとイスラムを都内で堪能
16日午後、日米共同声明の中で、52年ぶりに台湾海峡の平和と安定の重要性が言及され、さらに香港と新疆ウイグル自治区の人権問題への懸念をも表明された。この声明は日米中関係の歴史的な転換点といえる。
現在の習近平指導部の力による現状変更は国際社会からの孤立を招いており、これはかつての日本のたどった道を彷彿とさせる。歴史の国中国であれば、このままいけばどんな結末となるかわかりそうなものだが、今のところはわかっていないよう。
 
 さて、本題です。ブータン留学から帰った学生Tさんからブータン料理の食材を戴いたので、ブータン料理の作り方を知りたくなった。レシピはクックパッドとかに転がっていないので、日本で唯一ブータン料理を提供する店である代々木上原のガテモタブン向かった。孤独のグルメでも紹介された代表的なブータン料理店である。お供は院生Wくん。私は料理に対する情熱がナッシングなので、料理がとくいな院生Wくんを巻き込んで作って貰おうという腹黒い作戦である。
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 余談であるがガテモタブンってチベット語の綴りが思い浮かばないと思ったらただのブータンと多分をかけあわせた親父ダジャレらしい。

 さてここで一口マメ知識。ブータンはチベット文化圏であるが、政治的にはチベットと微妙な関係にある。ダライラマ5世が1642年にチベットに政教一致のダライラマ政権をつくりあげたほぼ同時期にドゥクパ・カギュ派がブータンに政権を確立した。両者は宗派が異なることもあり17世紀には衝突を重ね、ダライラマ政権とは距離をとった存在であった。そうこうするうちに1951年、人民解放軍がチベットを蹂躙した。

 Tさんによると、ブータンの人はチベット人をもちろん嫌いではないけど、チベットが中国に滅ぼされた時は、「あー、やっぱりね」と微妙な反応をしたそうな。それは歴代ダライラマ政権が中国皇帝やモンゴル王公の帰依をうけることで繁栄する一方、彼等の干渉をまねいたことに対する「やっばりね」である。

 ちなみにブータンは中国とインドという二大大国に囲まれており、力でおしてくる中国は大嫌いで、主にインドに依存している。が、だからといってインドを全面的に好きではないという、大国にはさまれた国にありがちな立ち位置である。

 Tさんにうかがったブータンの食生活はモモ以外はあまりチベットとにていない。チベットは高地で寒冷なので米はとれないが、ブータンでは全国民の需要をまかなう米が国内でとれるとのこと。代表的なブータン料理、エマダツィは米と唐辛子とチーズを一皿にもりあわせたものでそれを毎日戴くのだそうな。これがチベットだと大麦を粉末にひいてそこにバター茶をかけるツァンパってことになるから、主食レベルで随分違う。
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 お店ではエマダツィのランチをたのむ。美味しいまずい以前の問題で辛くて完食できない。チーズフォンデュで唐辛子を食べているといえばわかるだろうか。孤独のグルメでは主人公が料理を食べ続けるうちに唐辛子が調味料から野菜へとパラダイムシフトした、といっていたが、辛くて完食できずそのシフトが起きない。

 Tさんによるとヤクのしぼりたてのミルクからつくられたチーズで食べるとエマダツィはすっごい美味しいそうだが、日本にはヤクおらんし、唐辛子もブータンの唐辛子は日本のものとは異なるのでそのあたりが原因か。

 とにもかくにもブータン料理の偵察を終えて、当初は家に帰ってチベット語のオンライン授業をやるところだったのだが、行きの電車で東京ジャーミー(イスラムーのお寺)が近くにあることがわかったので前から是非是非いってみたかったのでMくんに授業時間をずらしてくれと頼んでジャーミーに向かう。
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 Wくん「モスクって異教徒とか女性ははいれないんじゃないですか」 

 私「このモスクは在日トルコ人が経営していて、トルコはイスラム圏でも世俗化が進んでいるので大丈夫。とくに日本だと『中で何やっているかわからない』という評判がたつとイスラム教徒全体があやしい目でみられるから礼拝時間以外は人をいれてるの。海外のモスクじゃこうはいかないから絶対行かないと」
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 礼拝堂にはいるには女性は貸しスカーフで髪を包むことになっている。さらにコロナでマスクをしていたのであとで自分の写真みたら中東のイスラム女性みたいな風貌になった。Wくんはびびって入ろうとしない。私は気にせず礼拝堂に入ると、正面にメッカのカーバ神殿の方角を示すキブラがあり、その右側にイマームの説教台。カリグラフィーに囲まれもちろん偶像がいっこもない空間はうっとりするほど美しいトルコのモスク。

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館内にはハラール食品をうるスーパー、そして食堂もある。この食堂は異教徒でも入れるが、現在ラマダーンなので人がまばら。コーヒーとチャイを頼むが、イスラーム教徒ならラマダン中は本当は水をのんでもいけないので申し訳ない。モスクの入り口にはイスラームの基本知識やムハンマドの生涯と教えを記した無料の啓蒙本が一杯おいてあり、とりあえず一セットいただく。東京ジャーミーの案内パンフは礼拝堂の中のクルーアンを引用したアラビア語のカリグラフィーをすべて解説してくれていてとても便利。
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 トルコの文化を紹介するイベントも定期的に開かれているようなので、イスラム圏について知りたい方、トルコが好きな方、また、代々木上原でたまたま下車した方、ブータン料理に東京ジャーミーなど多角的に楽しめますので是非どうぞ。
 
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