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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2019/05/06(月)   CATEGORY: 未分類
天皇陛下即位にダライラマ猊下がメッセージ
チベット政府がダライラマによる新天皇陛下に対するメッセージを公表した。以下に原文とともに和訳しました。
ちなみに、曙橋のチベットレストラン「タシテレ」では、令和が「re wa」(希望)に通じてめでたい、天皇陛下の即位めでたいということで、水曜日より「REWA(令和)セット」の提供を始めました。お近くの方、お得なセットですのでどうぞ。


水曜日、ダライラマ猊下は日本の新天皇ナルヒト陛下が即位し新しい令和の時代が始まったことを寿がれた。

猊下はこう書かれた「あなたの 敬愛されている父上アキヒト陛下の、国家の象徴としての責任を果たしつつ、国民と親密に交流するという慈愛にみちたアプローチを継いだ、ナルヒト陛下のご決断を心から称賛します」

私は日本人のレジリエンスに対して、また、日本という国家が第二次世界大戦の灰の中から再起した様に深い敬意を抱いております。近年は日本は前例のない自然災害に見舞われましたが、精神力と勤勉さによってまた回復されました。2011年の津波と地震によって荒れ果てた地域を訪れた際に私は自分の目でそれを見ました。私はこれらの災害にあった人々とそこで出会い、多くの命を失ったコミニュティーの人々と共に祈りました。

この15年間、わたしは定期的に日本を訪れております。その際、慈愛と宗教間の調和という人間の基本的な価値の育成を私が推進しようとしていることに対して、あらゆる種類の人々が、関心と熱意をもってくださっていることに深く感謝しております。」

猊下は「陛下の御代が成功を収め、人々が幸福になり、新しい時代がより平和で慈愛に満ちた世界になることを祈願する」という祈りで結んだ。

(原文)
His Holiness the Dalai Lama on Wednesday congratulated Japan’s new Emperor Naruhito on his enthronement and the dawning of the new Reiwa era.

“I warmly admire Your Majesty’s determination,” His Holiness wrote, “to continue your respected father’s, the Emperor Emeritus’s, compassionate approach of interacting closely with the public, while fulfilling the responsibility of Symbol of the State.

“I have profound respect for the resilience of the people of Japan and for the way the nation rose up again from the ashes of World War II. In subsequent years too, Japan has faced unprecedented, natural disasters but has recovered thanks to a combination of hard work and strength of spirit. I have seen this with my own eyes when I had the opportunity to visit areas struck by the devastating earthquake and the tsunami of 2011. I met there with people affected by these calamities and we prayed together for those members of the community who had lost their lives.

“Over the last fifty years or so, during regular visits to Japan, I have deeply appreciated the interest and enthusiasm that people from all walks of life have shown in my efforts to encourage the cultivation of such fundamental human values as compassion and religious harmony.”

His Holiness concluded with a prayer that His Majesty’s reign will be successful, that the people will be happy, and that the new era will contribute to a more peaceful, compassionate world.
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DATE: 2019/05/01(水)   CATEGORY: 未分類
平成最後の大灌頂
平成最後の3日間はロサン・テレ先生が主催する大灌頂(最初の二日間はグヒヤサマージャ尊・三日目はチッタマニ・ターラー尊本尊とする)を清風学園で受けてきた。

 灌頂とは一言でいえば、本尊と一体となった導師(阿闍梨)によってその本尊の修行をはじめる許可を頂戴する儀礼。日本でも中世期には新天皇の即位に際して輪王灌頂(仏教によって人々を導く宇宙帝王となる儀式)が行われていたように、真言宗・天台宗などでも普通に行われている儀礼である。

今回の灌頂会は実は長い長い前振りがある。清風学園の校長先生の宏一先生は、高野山大学の院生時代からグヒヤサマージャ尊の研究と行を続けていて、その総決算として2016年にダライラマ14世をお迎えしてグヒヤサマージャ尊の灌頂会をやろうとした。灌頂の際につくるマンダラも仏画ではなく、正式に砂マンダラを用いるため、インドのギュメ密教大学から19人のお坊さんを招聘して前もって砂曼荼羅の作成をして頂いていた。
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 「砂マンダラの最初の砂をおく儀式が明日あるよ」と前日に聞かされ、取材のために夜行バスにのったのもいまは懐かしい思い出(遠い眼)。しかし、それから間もなく、宏一先生から着信があり「今、駅にいる」というと、「帰宅してから電話ください」というので電話すると、何とダライラマの体調不良により、灌頂の本尊がグヒヤサマージャ尊からチッタマニ・ターラー尊になったという。

 しらん人にとっては「どっちだってええだろ」だろうが、30年にもおよぶ宏一先生のグヒヤサマージャに対する情熱を知る私は「げっ」となった。

私「だってせっかく作った砂マンダラどうすんですか。本尊グヒヤサマージャでしょ。」

宏一先生「しょうがないです。チッタマニは灌頂を受けている仏様なので助かりました。あと十日でチッタマニ尊のテクストもつくらなければ」と現実を健気に受け入れようとしているのが却って痛々しかった。

 今回の灌頂ではその時、作ったままになっていた砂曼荼羅を用い、ダライラマの代理としてセラ大僧院の元管長ロサン・テレ先生が阿闍梨をつとめられ無事成満したものである。宏一先生は平成元年にこの仏さまの研究と行をはじめたので、平成の終わりとともに心残りがはたされるのもなにかの因縁であろう。今回の灌頂は外に向けては非公開で、学園関係者と宏一先生の勉強会関係者が集まったもので、それでも以下の写真にみるように結構な数になっていた。

さて私がどこいるかわかるかな?

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 ロサン・テレ先生は当日の朝は何時間も前から道場に入り、グヒヤサマージャ尊の経典を通し読みし、真言を唱えた。それは綺麗な状態で我々に授戒するためであるという。

ロサン・テレ先生「私の状態は万全であるから、あとはあなたたちの問題である。供養をしたり、祈願をしたりは他の宗教にもある。あなたがたは仏教を志すのであるから、仕事がうまくいくように、幸せになりますようにとただ祈願するだけではなく、仏教をよく理解しなさい。」

思えば、この世には素晴らしい哲学があり、素晴らしい人もたくさんいる。しかし、それを理解する能力がなければないに等しい。どんなに素晴らしい法があって、それを素晴らしい人が説いていても、受ける側に理解する力や実践する能力がなければ何も変わらない。

先生は「何か尊いものにすがって棚ぼたを願うのではなく、素晴らしい思想や人から学んで自分が変わりなさい」というのである。


ロサン・テレ先生が私達に授けようとした菩薩戒は「自分が仏教を志すのは、自分のためではなく、他者を救う力をえるためである」と誓う他者救済の誓いである。「誰が他人のために自分を犠牲にするか」という人にはちょっと考えてもらいたい。

人はみな幸せになりたいと思っているが、自分の幸せだけを求めて、楽しいと思う事だけをして身勝手に生きれば、周りから人がさっていき、やがては仕事も人生もまわらなくなる。一方、他者のことを思って行動する人は、結果としては人から信頼されサポートされ、仕事も人生も実り多いものになる。このことをかつてダライラマは「かしこい利己心」と表現された。

 他者を思って行動すれば自分のことはほっておいても何とかなる。

仏教では、人が幸せを求めても結局は不幸になっていくのは我執が原因であり、この我執がなくなれば幸福になれるととく。我執と煩悩が残したものが全部なくなったものが仏の境地(菩提)であり、その仏の境地に少しずつでも近付こうとする日々のシミレーションが密教の行である。とにかく毎日続けることで少しずつ人格を矯正するのである。
 
 たとえは悪いが我々が我執から解放されるための密教の日々の行は、アルコール依存症や薬物依存症の治療にも通じるものがある。

 依存症の治療では依存によって壊れた脳の機能を回復させるため、とにかく一日でも長く「しらふ」(sobriety)を続けることが重視される。毎日毎日飲まない日を積み重ねると、何年後かに依存をしていた時にはわからなかった正常な意識に自分が戻っていることに気づく。

 そして、最終的には同じように依存に苦しむ人を今度はスポンサーになって救う側になることで治療は完遂する。脳の機能が正常になってくると自分がいた場所が見えてきて、その場所で現在苦しんでいる人を今度は救おうという視点が生まれくるため可能となるのである。他者を想うことによって依存=我執を乗り越えるのである。

 菩薩戒は仏教の勉強を正しい動機をもって行うという誓いであり、灌頂は密教の行を開始する許可の儀礼である。依存症の治療にくらべるのも失礼な話だが、もう「飲まない」と同病の人の前で誓うのも、「もう我執を捨てる」と仏さま(阿闍梨)の前で誓うのも同じ構造であろう。

 チベットでは灌頂も菩薩戒も何度受けてもいいものだとされる。その理屈は、初めて受けた人はこれから戒律を守ると誓うことができ、かつて戒律を受けたけど破ってしまった人はまたここで新たに戒を再スタートでき、菩薩戒をすでに受けてずっと守っている人はさらにその気持を強くすることができるからだとのこと。

 良いことを始めることは素晴らしいし、やめてもまた続ければいい、というあかんやつを見捨てないふところの広さは大乗仏教の一番美しい部分だと個人的には思う。

 三日目のチッタマニ尊の灌頂の際、チッタマニの祠の左右にYさんがお花をお供えされた。灌頂が終わったあと、Yさんが私の下にきて「右側のお花は先生のお母さんの命日が昨日だと聞いたので、お母様に。左側は今までなくなっていった患者さんたちのために」と言われて感無量。母がなくなってから長い月日がたち、母の日という概念も消えて久しいが、その花もりはカーネーションがポイント・ポイントに使われていた。
おそなえ

 思えば、私の平成は、母親が死に、悲しみに沈んでいたら愛鳥と出会い、楽しい生活が始まり、博士号をとり専門書三冊だし研究は一応順調で、しかして2017年に愛鳥に死なれ、悲しんでいたらまた別の体で戻ってきてくれたというまあ、総じていえば幸せと総括できるかな。

 

 
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DATE: 2019/04/01(月)   CATEGORY: 未分類
ギュメ僧たちの証言(ロサン・テレ先生来日)
ダライラマ法王がチベットからインドに亡命して今年で60年。チベット動乱の3月10日の前後より新聞各紙やNHKなどで、中国政府がチベット人、ウイグル人に対して強硬な同化政策を行っていること、また、「辺境」への積極投資によりチベット人の生活が急速に変化していくことなどが報道された。とくに、BS1では去年に引き続き、ラルンガル僧院のドキュメンタリーが放映され、中国に強いNHKの面目躍如たるものがあった。このように一時に比べると日本のマスコミはチベットに優しくなったものの、チベット本土の状況は悪化の一途なので手放しでは喜べない。

さて、この春、二大密教学堂の一つ、ギュメの僧院長、セラの学堂長など大僧院の長を歴任した高僧、ロサン・テレ先生が来日されて一切悪趣救済観世音菩薩の灌頂(仏様の力を授ける儀式)を行います。
ロサンテレ

 本尊となる「一切悪趣救済観世音菩薩」とは、タクプ五世(gar gyi dbang po: 1765~1792)がビジョンの中で得た観音様の一種で、この観音様の修行を完成すると地獄(悪趣)に落ちても一回はキャンセルできるという噂です。私は2017年にインドのセラ大僧院のロサン・テレ先生の坊で受けて以来、毎日マントラを唱えて、地獄行きませんようにと念じています(笑)。ちなみに、ダライラマ14世もラダックのデスキットで2017年の7月12日にこの灌頂を授けています。

一切悪趣救済観世音菩薩の許可灌頂

導師: ロサン・デレ先生(ギュメ寺第101世管長)
通訳: 平岡宏一先生(清風中学校・高等学校校長/種智院大学客員教授)
日時: 2019年5月11日(土)14:00~17:00(受付開始:13:00)※時間厳守でお願い致します。
会場: ダライ・ラマ法王日本代表部事務所(東京都新宿区西落合 3-26-1)
お志 お一人様 1万円
お申し込みはこちらから


 通訳をつとめられる清風学園校長の平岡宏一先生はロサン・テレ先生とは平岡先生が27才でインドのギュメ大僧院に留学した時以来のつながりがあるので、非常に息の合った会になると思われます。

 ここで、ロサン・テレ先生の来日とチベット動乱60年を記念して、2017年にお坊さんたちから聞き取った「チベットの僧侶たちの今」を以下に記しておきたいと思います。

(1) ロサン・テレ先生 (2017年8月15日 於セラ大僧院のロサン・テレ先生の坊)

 中国政府はインド在住の難民僧侶たちが本土チベットを訪問したいというと許可証をだす。しかし、影響力が強い僧侶であったりすると、その許可は出ない。私は「もう余命も残り少ないので、死ぬ前に本土にいる兄弟に一目逢いたい」と申請し(先生の弟子になった甥の母は存命)、2016年の一月二十日から七月までチベットに滞在した。1998年以来二度目の本土チベット訪問だった。

[1998年の時とくらべて]道はよくなっていたが、自由はなくなっていた。[チベットでは]アムド、クンブム、タシキル[などの大きな僧院と]、法王様がうまれたタクツェルとかパンチェンラマの生まれた場所とかの聖地を沢山まわった。最初は身バレしていなかったので、いろいろなところに行けたが、そのうち[高僧であることがばれて]ガンツェの自宅で瞑想(ツァム)にはいって秘密集会の行をやっていた。そのうち、いろいろな寺から招待がきて、来年の五月までスケジュールが埋まった。セルシュ寺で3000人ほど集めて説法会を25日ほどして、そのあとヒヤサマージャ尊とチャクラサンヴァラ尊の灌頂をしようとして、秘密集会をまずしたら、何万人もの人が集まってきた。そしてグヒヤサマージャ尊の漢書ヴが終わった晩、当局が宴会を開いて呼ばれて、「お前が余命いくばくもないというから許可をだしてやったが、元気じゃないか」(爆笑)、セラの僧としか書いてなかったが、管長じゃないか、などと絡んできた。私は今は管長の座を退いていると反論した。彼らは宗教の自由がないと批判されるのが怖いのであくまでも法律に触れたという理由で批判してきた。妹も公安に呼ばれたが、耳が遠いのでずっとオンマニペメフンといっていた。説教する公安は上に報告するためか録音していた。結局、宗教行事をしないのならいていいと言われたが、その晩、本土にいる直弟子がきて、何がおこるかわからないから明日すぐに帰国した方がいい、飛行場まではセルシュの僧院長と一緒にいった方がいい。僧院長は名士だからへんなことはできないはずだ、というので、翌日ネパールにもどった。集まってきた人の半分は漢人で、一対一では信仰心がある様をみせるが、大量に人が集まった後は何が起きるかわからないというので、味方になってはくれなかった。

 
(2) テレ先生の甥御さんソナムグードゥプ(48) (同上)

宗教によってしか中国は変わらないと思う。仏教を勉強をすれば命が大切なことがわかる。そうすると命を傷つけてはいけないことがわかる。お互いに思いやりあってよくなろうという気持ちが自然とおきてくる。最近は科学によって人の本質とは慈愛をもつものであることが証明されてきた。これは希望のもてることだと思います。中国の人たちも仏教を勉強すればその状態は向上していく。漢人も良いお手本があればゆっくりよくなっていくと思います。それはどの国でも同じです。

 インド[の難民社会]で勉強をおえたお坊さんが、本土チベットにわたりカム地方(東チベット)とアムド地方(東北チベット)の大きな僧院にいらっしゃいます。インドからチベットに入る時のパスを、[本土に定住する決意を示して]捨てると説法の自由が与えられるのです。ただし、人気がでて人が集まり始めると、どうなるか分かりません。法王様のお加減が悪くなった際、法王の長寿儀礼を行った仏教博士二人が刑務所に入れられました。

 寺ごとの僧侶の定員については、地域の政治家の裁量に委ねられています。理解のある政治家の場合は[定員より多くの僧が集まっても]見て見ぬふりをしてくれますが、それも中央から何か言われたらどうなるかわかりません。


トゥプテン・ウーセル (83) (日時: 2017年8月14日 場所: 自坊)

平岡宏一先生談「この方は1990年にギュメが再建された時のギュメの財政部長 (phyag mdzod)でした。1989年に二週間日本に滞在している間、[当時のギュメの僧院長]ゴソ=リンポチェと彼をつれて鳥取の霊感のある人を訪ねたら、その方はこのトゥプテン・ウーセルの全身からお経みたいなイメージを受けるといって、[ギュメの再建のために]多額のお布施をだしてくれました。若い時は精悍で、この人大好きです。昔は正月になると電話をくれていたけど、最近はもうくれませんね。」
掌

・トゥプテン・ウーセルのお話 

掌の△の傷をみせながら]、この傷は前世、掌をあげて「弓で当ててみろ」といって射貫かれたあとだ。私の前世は両親の友達だったので、私がこの傷をもって生まれると、「あの人の生まれ変わりだ」と分かったという。私は17歳の時までアムドのこの写真の村にいた。父さんは刀をもった怒りやすい人だったが早くに死んで、お母さんといた。

 四歳半からお寺に預けられて、師匠(実は叔父さん。親族を師にするのはよくあること)について勉強した。近くにパンチェンの前世ゆかりのビントゥ僧院(500人はいたそう)があったので、パンチェンラマに憧れて、まず[パンチェンラマの座である]タシルンポに向かった。そこに九ヶ月滞在した後、ラサにでて、経典の暗記とかして、20才になったのでギュメに入門した。1959年以前、ギュメは20才にならないと入れなかったんだ。
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 25歳になった時、中国がきた(1959年のチベット動乱)。シュー(未詳)という場所にいた時、そこにいた200人で衆議一決してインドへの亡命を決めた。その中には当時のギュメの僧院長もいた。僧院長は馬に乗っていたので先に行った。私は入門五年目までの若いお坊さんたちのグループに入って道に迷いながらインドに向かった。亡命を決めたのは三月だった。インドが南にあるのは知っていたのでひたすら南に向かって歩いた。

後にブータン経由で亡命したグループとも一緒に歩いていて、自分ら20人のグループは途中から加わったカムの軍人たちともに移動した。チベット人狩りがあったから昼は潜んで夜中に移動した。六人の軍人は人からもらった銃をもっていた。インドにつくまで一ヶ月かかったような気がする。タワン(アルナチャール・プラデーシュ)を経由して逃げた (ダライラマ14世とほぼ同じルートをたどって亡命したものと思われる)。

 ブータンを経由して逃げたグループが亡命ギュメ僧たちの本体で、彼らはツォンカパが[ギュメの創立者]シェーラプセンゲに与えた門外不出のタンカ(佛画)を奉じていた。分かれ道にきた時、一つはインドに向かう道であったが中国軍がいて、もう一つの道はどこにいくのか分からない道であった。どちらに行くべきかわからないので、セラ大僧院からギュメに留学していた仏教博士が(おととし逝去)、タンカの前で占いをたてようといいだし、占いの結果は何と中国軍のいる道にいけという卦がでた。

 その道をいくと、中国の将軍が「お前等はどこにいくんだ」と通訳を介して質問してきたので、「戦火を逃れて安全なところにいきます」と言うと、その将軍が通行証をだしてくれたのでその後インドへ行くことができた。もしタンカの前での占いがなかったから、ギュメ僧は散り散りになっていた。

これらの僧はブータンを経由して、[インドの]ダルハウジーにしばらく滞在し(密教僧はダルハウジーに顕教僧はバクサドアルに当時集められた)、1972年に[現在ギュメが再建されている]フンスールへきた。[ギュメの至宝であるこの]タンカには金剛怖畏尊が描かれているというが、開けてないからみたことがない。ギュメのもう一つの至宝であるツォンカパがシェーラプセンゲに授けた秘密集会仏像は(50~60cmくらいのものらしい)、ラサのギュメ寺からチベット語を介するネパール人がもちだして、法王に献上したので[ダライラマ14世の居殿のある]ダラムサラの寺にある。その時、ともに亡命したギュメの僧侶は200名ほどでいたが、現在生き残っているのは14人くらいである。チベットは涼しくて気持ちの良いところだった。

ツォンカパがシェーラプセンゲに授けた秘密集会尊の複注(ティカ)四巻は持ち出すことはできなかった。自分の下の妹は生きていて、三人子供がいるそうだが、「一人弟子にしろ」といってもしなかったので、「チベット本土に」帰ってこいと言われたが無視している。何をきめるもすべて中国人が決めるチベットにもどっても意味がない。戻った人もたくさんおり、中には人望があって議員をやった者もいるが、インドから戻った人間は中国側に監視されていて何をしたかすべて中国側は知っていた。寺の中にスパイがいるんだ。
 本土に戻った人は目立たなければそんなひどいことはされない。昔よりは本土に戻りやすくなった「私は中国人です」という書類にサインすれば戻れるが、私は死んでもそれをする気はない。

●ダワゲルツェン (82)

平岡先生談 「ギュメがお金がなくて困っていた時期、デリーでレストランを経営していて、その時この方は会計やっていました。あんまりありがたい表情をしていたので、聞いてみたらクショラ(高僧)でした。」

・ダワゲルツェン師のお話

私はカムの出で19歳でツァワゴンパに、22歳にギュメに入門した。法王様をどう思っているか? 尊敬しているに決まっている。私はラサで法王様の下で一人前の僧の戒(比丘)を受けたんだぞ。中国が来た時はブータン経由で亡命した(先ほどのブータン経由で亡命したギュメ僧グループの人)。[インドで]35歳で密教博士を取得した。その後、砂マンダラ作成を学んだ。1984年と1996年に短期間本土チベットに戻ってラサのギュメ寺にいて、それから[故郷の]カムの寺にいったが、中国はあてにならんので、インドに戻った。ここなら誰にもジャマされずに祈ることができる。
 
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DATE: 2019/03/12(火)   CATEGORY: 未分類
なぜダライラマの言葉は心に響き続けるのか
アメリカのニュース雑誌『タイム』は2019年3月、三度ダライラマを表紙に掲げ、亡命60年目のダライラマインタビューを掲載した。原文はこちらです。あまりにも長いので途中から根気がつきましたので、正確に読みたい方は原文を参照してください。
本エントリーのタイトルはタイム誌の總タイトルからとったものです。

ダライラマは60年間仏教の顔であり続けた 中国はそれを変えたい。
                                      『タイム』2019年3月7日


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一面ヒマラヤ杉に覆われた小さな丘に朝が訪れた。ダライラマ14世猊下はダラムサラにある自室の仏殿で瞑想している。ダラムサラは北インドのカングラ渓谷の上流に建設されたぼろぼろの町だ。ゆっくりと瞑想から立ち上がりながら、法王は83才にしては素早い動きで足をのばした。そして座の下におかれた赤いフェルトのスリッパをみつけ、[彼と謁見すべく]外に集まりつつある群衆に目を向けた。

約300 人が法王にカター(拝礼に際して捧げる白いスカーフ状の布)を捧げて加持を受けようと二月の寒さをものともせずにそこにいた。伝統的な民族衣装をまとったブータンからの一団がいる。タイから来た男はイギリスのサッカーチームに優勝をもたらしてくれるよう聖なる祝福をえるために、リヴァプールF.C. のスカーフをもってきていた。二人の女性はダライラマの王座に近づくや感極まってこきざみにふるえながら數珠をつまぐりながら経文をとなえた。

ダライラマは大きな子供のようであった。つまり、頭のてっぺんを叩いたり、お下げ髪をひっぱったり、鼻をつまんだりして訪問者に対していた。会話はくすくす笑いや大笑いに満ちていた。


 ダライラマは『タイム』誌の90分インタビューの中で
「我々70億人の人間は感情的にも精神的にも肉体的にも同じである。みな幸せな生活を欲っしている」という。

 ダライラマの人生は臨界点に達している。彼は慈悲の顕現、観音菩薩の化身と考えられている。観音とは人類を救済するために涅槃に入ることをあえてやめた存在である。「ダライラマ」号はもとはチベットの最高位の僧を意味していた。チベットとはヒマラヤの彼方に隠れたテキサス州の二倍の広さをもつ遠い国である。

 しかし、17世紀、「ダライラマ(5世)」はこの秘密の国の政治的な絶対権力も握った。ダライラマ政権は毛沢東のチベット征服とともに変質し、現ダライラマ14世の統治は終わりを迎えた。1959年3月17日、ダライラマはインドへの亡命を余儀なくされた。

 以来60年の間、世界でもっとも孤立した民族の指導者は、世界で五億人近くが実践している宗教(仏教)のもっとも有名な顔となった。のみならず、彼の知名度は彼自身の信仰の領域を越え、仏教徒が保証を与えたマインドフルネスや瞑想のような、世界でさらに数億人に浸透した多くの実修法にまで及んでいる。さらに、子供の頃に「神王」と名付けられた貧しい農家の息子は、亡命後は西洋人にも帰依されている。1989年にはノーベル平和賞を受賞し、マーチン・スコセッシ監督が1997年に作成した自伝映画『クンドゥン』によって公的に評価されている。

 [ハリウッド俳優]リチャード・ギア、[ミュージシャンの]ビースティー・ボーイズや下院議長のナンシー・ペロシ氏などの「ダライラマは世界中の数億の人々の希望の使者」と称える支持者たちのおかげで、チベットの自治問題は西洋人の心から常に忘れさられることはない。

 しかし、ダライラマは老年に達し、旅行はより困難になってきている。中国の影響力は増し、ダライラマの影響力には陰りが見えてきている。今日、チベットからダライラマを追い出した中国共産党は、ダライラマの継承プロセスと仏教の教義などを取り入れることに着手している。

 表向きは無神論の共産党は資本主義ばかりか宗教にも順応している。彼らは習近平の下で北京政府が活発化させている漢人ナショナリズムの信仰の家を提唱している。一月、中国共産党は五年かけて仏教を漢化することを宣言した。何億$も投じて古代中国の宗教として信仰をブランド再生するのだ。

パキスタンからミャンマーに至るまでチャイナ・マネーは古代の仏教の聖地を活性化させ、仏教学を推進してきた。北京政府は30億$を投じて、釈尊の生まれたネパールのルンピニーの町を、空港、ホテル、コンベンションセンター、寺、大学のそなわった豪華な巡礼地へと変身させてきた。中国は2006年以後、世界仏教フォーラムを主催し、世界中から僧を招待している。

もちろん、世界でもっとも有名なダライラマを除いてであるが。北京政府はいまなおダライラマを脅威とみなしており、彼をもてなした国は即座に非難の対象とする。そしてその恫喝は効果を発揮しており、かつては世界中の都市で歓待されていたのが、2016年以後、ダライラマは世界の指導者たちと面会をしていない。

 ダライラマと約十万人のチベット人の亡命を受け入れたインドですら、チベット蜂起記念日60周年の記念日に「現在北京との関係が微妙である」ことを理由に代表を送っていない。ジョージ・ブッシュ大統領以後ドナルド・トランプに至るまで、すべてのアメリカ大統領はあえてダライラマと会見してきた。トランプは中国の国家統制経済を改革することについて議論する中で、ダライラマと会見している。

 今なおダライラマは故郷への帰還を望んでいる。いくら著名なセレブの友人たちがいようとも、彼は帰郷を望む一人の人間であり、主を奪われた民の指導者なのである。2011年に亡命社会の政治の長の地位からは退いたものの、彼は単純に中国内にある聖地の巡礼を希望しており、『タイム』にも「私は心から中国の仏教徒に尽くしたい」と語っている。

 にもかかわらず、中国共産党はダライラマを「僧衣を着た狼」、中国の官僚が言うように危険な「分裂主義者」と認識している。しかしダライラマは「いかなる合意もチベットを中華人民共和国内にどとめなければならない」という地政学的な現実を認識しつつ、1974年以後「独立」要求を停止している。ダライラマは完全独立にかえて、「高度な自治、宗教・文化的な自由」を要求している。それはたいした問題ではない。

 コロンビア大学のチベット学の教授グレイ・タトルは「この点に返答がなされることは考え難いです。すべてのカードを中国が握っている。」と言う。
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先代ダライラマ13世の側近であるチベットの高僧たちが、一連の神託や予言に従って東北チベットの村にやってきた時、ラモトンドゥプという二歳の男児は先代ダライラマ13世の転生者に認定された。
 早熟なよちよち歩きの子供はダライラマ13世の遺品を認識し、自らを先代の後継者であると宣言するように高僧たちに促した。四才になると彼は黄金の神輿にゆられてチベットの都ラサにおくられ、まばゆいポタラ宮の玉座にすえられた。そして毎日最高の学者たちから仏教の教学を学ぶこととなった。

ダライラマは笑いながら「時々、先生は私を鞭で脅した。鞭は聖なる人に用いるいうことで黄色であったが、いったん鞭がふるわれたら聖であろうが俗であろうが痛いことに変わりはなかった」と回想している。

孤独な子供時代であった。両親にもめったに逢えず、同世代の子供との接触も、家長となった兄のロプサンサムテンを除いては許されていなかった。先生たちは仏教に重点を置いていたが、たぶんそのせいで、ダライラマは科学や技術に魅力を感じた。彼は映写機やカメラをその構造を知るために分解しては組み立て直した。オーストリアの登山家ハインリッヒ・ハラーは「ダライラマはその理解力、根気強さ、勤勉さで私を驚かせ続けた」と『セブン・イヤーズ・イン・チベット』の中で記している。ハラーは当時ラサに居住することを許された六人のヨーロッパ人の一人であり、ダライラマの家庭教師も務めていた。今日なお、ダライラマは「半分、仏教、残り半分は科学者」と誇らしげに自称している。

 かつてのダライラマは18才の誕生日に政治権力を握り、それ以前は摂政が統治することになっていたが、毛沢東の軍隊がやってきてチベットを領土主張したことにより、チベット政府はわずか十五歳でダライラマ14世に全権を奉還することとなった。彼は忠実ではあるが装備の貧弱な国民をなだめながら、侵略軍と交渉するという事態に投げ込まれたのである。

 状況は占領軍が到来してからの9年間でさらに悪化した。中国の宣言文が仏陀を「反動的」と称したことは、270万の敬虔な民を怒らせ、1959年3月にはダライラマが拉致される、暗殺されるという噂が広まり、それが深刻な流血の事態をひきおこした有名な運命の蜂起をもたらした。「ポタラ宮の前の川の対岸に中国の砲台があり、それまでは大砲にカバーがかけられていたが、15日から16日にかけてカバーがはずされた。だから、われわれは事態の深刻さを覚り、17日の朝、私は脱出を決意した。」ダライラマはこう回想した。

二週間にわたるインドへの旅は緊張感に満ちていた。世界でもっとも過酷な自然の中にある高原を横切って中国軍が一行をハンティングしていたからである。ダライラマはヤクと牛の混血種であるゾの背中にのって未知のインドへと到着した。ダライラマが旅の途上で宿とした建物はすぐに仏殿に変えられた。しかし、彼がとおった場所は毛沢東のひきおこした災害規模の大躍進政策と文化大革命によって草木も生えない状態にされた。何十万人もが死んだ。そして、ある統計によれば、全体の99.9%にあたる6400の僧院が破壊された。

 チベット人は他者との接触を断ち、放っておいてもらいたいと思っていたが、それが非常に悪く作用した。ダライラマの王国は同盟国をもたず、ラサ政府はいかなる他国とも公的な外交関係を樹立せず、国際機関に参加を表明もしていなかった。ダライラマの嘆願はたやすく無視された。チベットは第二次世界大戦中誠実に中立をまもり、アメリカは朝鮮半島でおきたばかりの軍事衝突(朝鮮戦争)にはまりこんでいた。

ダライラマはこういう。「[初代インドの首相]パンディット・ネルーはこういったよ『アメリカはチベットを解放するために中国の共産党員とは戦わないよ。遅かれ早かれあなたは中国政府と対話しなければならない』」


ダライラマに従ってインドに逃げたチベット人たちは固定した家屋をたてず、荷ほどきしないままだった。なぜならか彼らはすぐに祖国に凱旋できると信じていたからである。しかしそうはならなかった。

 中国と亡命チベット政府の間で行われたそれから40年にわたる「対話」は何も結果を生まなかったのである。1970年代にダライラマ特使と改革解放派の鄧小平との間でおためごかしの「対話」が始まり、それは鄧小平の後継者江沢民に引き継がれた。「対話」はチベットの独立を議題にしないことを要求し、さらに、そのダラダラ続く協議は1994年に一旦停止し、2000年代に一時再開し再び今足踏み状態である。

この間、チベットは北京政府のいいなりである。国際連合の人権高等弁務官は「事態はこの地域で急速に悪化している」と嘆く。五月、チベット人ビジネスマン、タシワンチュクが単にチベット語の学習を推奨したという罪で五年の刑を宣告された。十二月には政府は僧院内でチベット語やチベット文化を教えることを禁じる指示を出した。かつては「神々のすまい」と称されたラサの町はいまや中国の他の都市と同じくネオンとコンクリートの建物がひしめく雑然とした町になりはてている。アメリカ合衆国は公式にはチベットは中国の一部であると承認しつつも、副大統領のペンスは七月「チベットの人々が中国政府に残忍に抑圧されている」と述べている。
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多くがチベットの文化と宗教の自由は北京政府によって攻撃にさらされていると証言している。チベット人のあるものは彼らの扱いに抗議するべく極端な手法に訴えた。2009年以来、150人以上の僧、尼僧、一般市民のチベット人が焼身抗議を行っている。焼身抗議者はしばしば今際の際に最後の力をふりしぼってダライラマを称える。ダライラマは非暴力を提唱しているにも拘わらず、この抗議のやり方を批判しないと批判されているが、ダライラマはこういう

「難しい状況です。もし私が焼身抗議者を非難すればその家族は悲しいでしょう。しかし、彼らの犠牲は何の効果も生まないし問題をより大きくするだけです」



 北京政府はチベットにおける人権侵害の誹りを全力で否定している。かれらはチベット人の宗教・文化を完璧に尊重していると主張し、いかに孤立し貧しいチベットの生活水準をあげたかを強調する。ある公的な数字に基づくと、中国は主要な僧院と聖地を刷新するために4・5億$をつぎ込んでおり、2023年までに2.9億$の予算を組んでいる。600万チベット人の繁栄を促進するために、新しい空港、世界有数の高山を貫通する高速道路などを建設する970億$相当の大規模なインフラ整備計画にも世界第二位の経済大国(中国)はゴーサインをだしている。
 
 このレベルの投資は亡命チベット人にジレンマを与えている。亡命者の大半はインドに「特別な客」として住んでおり、働くこともできるし教育を受けることもできるが、重要なこととして不動産を購入できない。多くの難民は道路工事や、観光客あいてにアクセサリーを売るなどの劣悪な仕事で疲弊している。そして多くのチベット人の若者は彼らのまだみぬ故郷に魅せられ、故郷に戻ることを選択し始めている。ダラムサラの「ラ」NGOの長であるドルジキは「もし子供達に安全で安心な未来を望むのなら、チベットにもどるか、市民権の得られるどこかの国にいくしかない」という。
 
 本土への帰還者たちの多くはチベットで育ったチベット人よりも高度な教育と外国での体験で武装している。「チベット子供村」(インド在住の52000人の若いチベット人をケアする五つの孤児院と八つの学校のネットワーク)の校長ツェテンドルジェは「彼らのうち何人かはうまくやっています。ただし、彼らが政治に巻き込まれたなら、トラブルがおきます」という。

チベットはなおダラムサラに亡命政権、中央チベット政府(CTA) を有しているものの、内紛とスキャンダルがつきまとっている。亡命者は自身の道を構築しつつある。昨年九月、ダライラマはダラムサラの寺院で撮影された映像の中で若いチベット人にむけてこう語った。

「亡命の地にあって乞食として生きるくらいなら、北京政府の統治の下で生きた方がいい」

『タイム』に向けても彼はこういう。

「亡命チベット人が中国に戻ることを選んでも、ノープロブレムだよ」

他国で成功したチベット人でも帰還を望む者はいる。ソンツェンギャスル(45) は亡命第一世代の両親が手に入れたスイスの土地を売り、中国のシャングリラ・クラフトビールの醸造所を2014年にたちあげた。今日、彼の醸造所は受賞歴をもち、年間、260万ガロンのラガー、エール、ポーターを醸造する能力をもつ。彼は母親がチベット地域で1990年代に立ち上げた孤児院の職員の80%を採用した。「チベットはここに住むひとたちにインパクトを与えることのできる外国で高い教育を受け、よく訓練されたプロをたくさん擁している」



『失われた地平線』ではかつてのチベットは精神的で農業ベースのユートピアに描かれていたが、チベット王国は決してユートピアではなかった。大半の住民はホッブスのいう「万人の万人に対する闘争」の世界を生きていた。貴族は七段階にランクづけされ、その最高位はダライラマ一人であった。一般人は教育の類いは施されず、近代的な医学、とくに外科が禁じられていたため、小さな傷でも命取りになった。病人は大麦の粉、バター、高僧の尿をまぜあわせた粥で看病され、平均寿命は36才であった。犯罪者は手足を切断され、煮立ったバターによって焼かれた。通行可能な道路が少ないため、車輪ですら広く用いられることはなかった。

 ダライラマも「チベットはすごく、すごく、遅れていた。」と認め、「だから、改革を行うはずであった」という。しかし、彼はまた伝統的なチベット人の生活は現在よりもずっと自然に叶っていたとも強調する。チベットは南極・北極を除き、世界でもっとも多くの淡水を保持している。そのため、環境問題専門家はチベットを特に北京政府がひきおこす息が詰まるような開発によって被害を受けやすい「第三極」と名付けている。

 ダライラマはいう。「地球温暖化はこの大陸、あの大陸、この国、あの国とか関係なしに進行している。」このさしせまった危機は誰の責任かと問われると、ダライラマは北京でなくワシントンを名指しした。

「アメリカは自由世界の盟主として地球規模の問題にもっと真剣に取り組むべきだ」


ダライラマ個人はさわやかでものおじしない人である。よく笑い、突き出た耳は彼をとても無害で可愛く見せている。いかに彼が人に触りたがるかは筆舌に尽くしがたい。彼は精神的にも肉体的にも、伝統的にも近代的にも等しくくつろいでみえる。iPad にさらさら流れる川と山の映像をうつしだして瞑想したかと思えば、二三分後にはチベット語の伝統的な経典をめくっている。夕方六時にひきあげ、朝は午前四時におきてまず朝の数時間を瞑想して過ごす。

 「西洋文明はアメリカも含めて物質的な生活を指向しすぎている。しかし、そのような文化はたくさんのストレス、不安、嫉妬などをうみだしている。だから、私はいま一番「内なる価値」(精神的な価値) を育むことを推進することに注力している。幼稚園から子供たちは感情のコントロールの仕方をもっと教わるべきである。宗教のあるなしに係わらず、破壊的な感情と立ち向かい、より穏やかで、より内なる平和を得た人になれるよう、人として我々はもっと感情の構造を学ぶべきである。」


 彼が第二に傾注しているのは各宗教間の調和である。中東の混迷はイスラム世界における分派間の抗争を伴っている。
「イランは主にシーア派であり、サウジアラビアと彼らのお金はスンニー派である。これが問題だ。なんと心が狭いのか」と嘆き、あらゆる宗教の信奉者たちがもっと思考を「広げる」ように勧める。

仏教にも過激派はいる。仏教の主題は、唯一神をもたない無神論として調和と精神的な清潔性を強調することにより、他の信仰をもつものもガチガチの無神論者もアクセスしやすいものである。しかし、アジテーターの僧侶がムスリムのロヒンギャの虐殺を促しているミャンマーの状況について、ダライラマは「悲しいことだ」という。

「あらゆる宗教は人に対する慈しみを育む伝統を内包している。なのに彼らは暴力と分裂を引き起こしている。」

ダライラマは地球規模の問題にも鋭い目を向けており、積極的に発言している。トランプ大統領の「アメリカ第一主義」の外交政策とアメリカの南国境における壁建設のこだわりは、ダライラマを「不快」にさせている。ダライラマはメキシコはアメリカの良き隣人と呼び、さしせまるイギリスのブレグジットも叱責の対象である。ダライラマは常にEUを賞賛している。


 九十才が近くなり、おつきのもの助けをかりながら歩きつつ、ダライラマは人の意識を探り、みなが当たり前と感じていることに疑問を呈し続けている。チベット暦新年にあたる西暦の二月に、ダライラマは人工知能から生じる問題、宗教のドグマに何も考えずに従うことについて「人工知能は決して人の心にはかなわない」と語っている。

ダライラマは釈尊ですらこう言っているという。
「私の教えを無条件に信じるのではなく、綿密に精査し、もし理性に照らして問題があるなら、私の教えであっても受け入れてはならない。」

 これはダライラマ自身の主張とも一致している。まだ少年だった時でもダライラマは科学的な心に導かれ、自分が神王の十四代目の化身であることに疑義を呈していた。ダライラマの師は、「先代のダライラマはとても馬が好きだったのに、当代がとくに馬好きでないことはおかしい」と、回想している。

 そして今、成長したダライラマは彼の存在を定義づけているダライラマ制は本質的に封建的であると言い、彼は自分が死んだ時、精神的な要素はさておき、政治的な権威は付与されるべきではないという。

 ダライラマは言う。「ダライラマ制はある時点にはじまった。それは制度が今日的な意味をもたなくなる時がくることも意味している。やめてもノーブロブレムだよ。私はダライラマ制に関心はないよ。私より中国共産党の方がより関心をもっているんじゃないか。」

 たしかに共産党はダライラマの継承に興味津々である。亡命社会に打撃を与えるために、中国はチベット仏教の指導者を共産党関係者にすることに着手し始めている。ダライラマが1995年に一人のチベット人の少年をパンチェンラマ(ダライラマにつぐ権威をもつ高僧)の転生者に指名すると、中国当局は少年を「保護観察」下におき、いいなりになる人物を代わりにすえた。ダライラマの指名した少年がどこにいるのかは今もって分からない。

 従って、ダライラマがもしこの世を去る時がきたならば、15世ダライラマを無神論の中国共産党が選定することは大いにありうることなのである。

前述のタトル教授はこういう「中国がそのために準備していることは明白です。馬鹿馬鹿しいことですが。」
チベット仏教の信徒は亡命政府の選んだダライラマと共産党の選んだダライラマのどちらに従うのかの選択を迫られるであろう。この点について当代のダライラマの意見ははっきりしている。
「次のダライラマに関するいかなる決定も、すべてチベット人の手に委ねられている」


疑いなく、共産党がダライラマを指名したいという願望は中国に2.4億人の仏教徒がいるという事実から生じている。仏教徒の数と共産党員の数は三対一で仏教徒の方が多い。共産党はこの力を法律によって縛ることを熱望しており、仏教徒をダライラマ制に結びつけることによってそれが実現すると信じている。それが「チベット自治」を象徴的に葬りさり、70年前にはじまった中華人民共和国によるチベットの完全吸収を完遂させると北京政府は期待している。

従って、皮肉なことに、当代の神王の希望は結果として叶うことになるだろう。いつかダライラマは中国へ帰ることになるだろう。当代の体でか、次代の体でか、そこに祝福があるかないかは分からないが。
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DATE: 2019/03/11(月)   CATEGORY: 未分類
60年目のピースマーチ
チベット人蜂起記念日、60周年だし、最近研究対象を変えて中国に入れなくても痛痒ないものにしたので、気持ちよく顔ガンだしでピースマーチにいく。

 人の多い場所ということで、これまでのマーチは新宿や渋谷が多かったが、2011年に東日本大震災がおきて以後、3月10日前後の土日は反原発デモが繰り広げられるようになり、また、昨年まで利用していた新宿の公園がヘイトデモ対策で利用不可となり、初めての浅草開催となった。しかし、台東区長選挙の公示日と重なり、それも危なかったが、関係各位の努力により頑張って雷門近くの公園となった。

 集合地点の花川戸公園につくと、チベット旗が翻り、交通整理やあんなことの対処のために制服警官・私服警官・公安のみなさまが集まっている。
かんばん

 初めて参加されるYさんは「今そこで目つきの悪い人が人の顔をのぞきこみながらなにやらメモしています。中国のスパイじゃないでしょうか

 私「それたぶん公安。大人しいチベットデモは公安や警察と対立しないので、彼らはむしろ絡んできたり、バセイをあびせてくる人間を制止してくれるありがたい存在です」

 在日チベット人の方々のスピーチが続いた後、コールが配られ、それは英語と日本語で記されている。
 U.N.O.(国際連合! ) と叫ぶと、We want justice (正義を!)とかいう感じ。デモに併走して英・漢・日で記されたチラシも配布される。浅草に集まる外国人観光客や中国人観光客むけにチベット問題を知ってもらうために。 今年は60周年ということもあり、NHKも取材にこられている。

 60周年なので60と書いた喪章も配られる。
 挑発をうけても決して相手にしないようにと注意がされる。

 マーチが公園をでたところで、公園の前にとまっている観光バスが中国人観光客のものであることに気づく。じゃあそのあたりで遠巻きにたっている人たちは中国人かも。せっかく外国に出たのだから、広い世界を知ってくれ。数メートル先には法輪功の人達も垂れ幕もって立っている。知っててきている模様。

 デモは浅草寺を囲む大通りをぐるっと反時計回りに一周するのであるが、最初は休日のオフィス街なので閑散としている。しかし、国際通りに入ると歩道からマーチをみる人の数はふえていき、雷門通りに入るとスカイツリーが正面に現れ、テンションがあがったマーチの参加者はケータイでツリーとチベット旗を写真にとる。
名所

信号でまつたびに女の方にマイクがうつり(とまってる集団が叫ぶとうるさがられるからだろう)、うろ覚えだけど
 
「わたしたちは日本に暮らすチベット人とその支援者です。60年前中国の軍隊に国を奪われ、たくさん殺されました。おばあちゃんたちはチベットに帰りたいといって死んでいきました。私たちは自分たちの子供にチベットを見せてあげられません。チベットには宗教の自由も、教育の自由も、言論の自由もありません。武器をもたないチベット人は自らの体に火をつけて抗議を行い、その数は180人に達しています。私たちに力を貸してください。」と訴えかける。

人力車jpg

 コールは何度もしているうちに覚えて、ノリがよくなっていく。雷門前につくと大量の欧米からの観光客が道路際にならび動画をとっていた。これをちゃんとチベットマーチと認識しているからである。マーチの参加者も雷門を撮影するので、双方がケータイを構えるというイミフな状態。
雷門

 ふと右をみると、浅草名物人力車に仏陀のお面をかぶった人がのっている(写真)。まさにカオス。終点の隅田川公園前について在日チベット人たちがチベット国歌を斉唱して解散。チベット旗は回収されるが喪章は今年しか使えないので各自記念品として持ち帰る。
人力車仏像

 そのあと、チベット人たちはいろいろな集まりにちっていくが、わたしはYさん、Jさん、Oさん、MさんWさんとともに、電気ブラン発祥の地、神谷バーに入る。昼ごはんをたべてまもないので、おやつにしようかとおもったけど、Yさんがつまみを頼んでくださったので、結果昼酒をのむ展開に。
 
 日本を皮切りとして3月10日の日中になると同時に世界中の都市でチベット人デモははじまり、とくにニューヨークのチベットデモはもちろんもりあがったのであったった。
 
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