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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2023/11/01(水)   CATEGORY: 未分類
原稿の波にもまれた10月
10月は今年一番の論文の波が幾重にも押し寄せ(二大波頭は10/28締切のA417枚、11/2締切のA4✕21枚)、さあ、これから追い込みだという22日の日曜日、金剛インコ事件(世界最大のインコが育児放棄にあっていたのを私がレスキューし、里親をさがし送り出した事件)がおき、その間自分でも何をしていたか記憶がない。その間、MacのOSアップデートしたら、日本語ソフトがつかえなくなるわ、ジーニアスバーにいったらその過程で教員証おとすわ、もうわけワカメ。

 金剛インコ事件はインコのブログに書くとして、11月2日締切の論文、さきほどギリギリまにあって終わったので、誰も興味ないだろうけど、客観的にいって画期的なのでその要旨を記す(審査に通れば来年の『早稲田大学教育学部こ学術研究』にのる)。

 1904年、ダライ・ラマ13世がモンゴルに現れた時、ロシアから国境を超えてブリヤート仏教界の長イロルトゥエフが現れて迎接した。さらに殺到するブリヤート人巡礼はモンゴル人よりも熱心にダライ・ラマをサポートし(移動・補給・護衛etc.)、 ダライ・ラマの政治的影響力を増すことに貢献し結果としてチベット仏教世界の再興を促した。(以下の写真はイロルトゥエフ)
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 しかし、ここで疑問が生じる。1729年のキャフタ条約以後、バイカル東岸のブリヤートとチベットの間には国境があり行き来を禁じられていた(もちろん密入国して巡礼や留学をするものはいたが、あくまでも非公式にである)。それがなぜいきなり民族をあげてダライ・ラマを越境迎接したのだろうか。こうなるにはそれ以前にブリヤートにチベットやダライ・ラマに対する強い対面願望がなければならない。

 そこで、イロルトゥエフについて洗ってみた。イロルトゥエフはどうも1904年以前にインドにいったらしいことを暗示する資料があった。そもそもインドにおいて仏教はとっくに滅びていて、仏教寺院はみな遺跡となって土の下かヒンドゥー寺院にリメイクされており、仏教徒は長くインド巡礼をやめていた。さらに、インドは当時ロシアの敵国イギリスの植民地であり、このインド行きがなぜ可能になったのかも謎。謎は謎をよぶ。

 イロルトゥエフの生きた19世紀後半から20世紀初頭、インドにふたたび仏教旋風が巻き起こっていた。しかし、その風はシャム(タイ)やビルマ(ミャンマー)といった伝統的な仏教徒の力によってではなく、皮肉なことに仏教に傾倒した欧米人によって起こされていた。ヨーロッパ人が19世紀にはいって仏教を以下のように高く評価していた。

「仏教はキリスト教とは異なり、他宗教に寛容で、迷信的な要素が少なく、科学を否定せず、神によってではなく自助努力によって人格の向上をとげようとする」云々と。そして欧米人は仏教思想を研究し、インドで仏跡を発掘し、もりあがりまくった。

 1891年、このような新仏教によって結集した人々は、アメリカ人のオルコット大佐やセイロン人のダルマパーラに導かれて、釈迦が悟りを開いた地であるブッダガヤを仏教の聖地として復興させる目的で大菩提会(マハー・ボディ・ソサイエティ)を立ち上げた。注目すべきはこの運動をリードしていた人々は、チベットのダライ・ラマを運動の精神的な指導者とみなしていたのである。念の為いうけど、彼らはチベットにいったこともないしダライ・ラマに会ったこともない。「神秘のチベット」はいつでも聖人のすみかであったのだ(以下の図はブッダガヤのマハーボディー大寺)。

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 私は、このインドにおける仏跡復興運動がブリヤートに伝わり、イロルトゥエフがインドに巡礼にきて、大菩提会の活動にふれ、伝統宗教であるチベット仏教とダライラマに対する信仰心を新たにし、まだ見ぬダライ・ラマに憧れ、1904年ダライ・ラマを熱烈歓迎したのではないかという因果関係を推測した。

 ではシベリヤのブリヤート人はどうやって遠く離れたインドの事情を知るにいたったのか? おそらくはサンクト・ペテルスブルグにいたオリエンタリストたち、とくにウフトンスキー公(1861-1921)が怪しい。かつてペテルスブルグでエルミタージュ美術館にいったとき、チベット美術はほぼウフトンスキーコレクションであった。

 ウフトンスキーはサンクト・ペテルスブルグ大学の歴史哲学部で仏教を学び、卒業後の1884年には内務省異教局に勤務し1886〜90年の間にザバイカル、モンゴル、中国を訪れ、チベット仏教美術を収集し、ロシア仏教の一人者とみなされていた。即位前のニコライ二世が世界旅行をした際にもこの人、記録係として随行しており、この旅では、インドで大菩提会のたちあがるところを目の当たりにし、さらに、オルコット大佐と会見して互いの仏教愛を確認しあっており、そのあと、バンコクに上陸しシャム(現タイ)のチュラロンコン王一家と交流し、とどめは、ザバイカルでブリヤートの指導者たちと交流していた。あやしいでしょう(挿絵の以下上はチュラロンコン大王一家、下はブリヤートの指導者たち)。


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そこで大菩提会の機関紙『マハー・ボディ・ジャーナル』(院生Wくんがロンドまでいって自分の研究のついでに撮ってきてくれた)や、スラ研の井上岳彦先生からご教示された二つの資料集(ロシア・セイロン関係文書集、ロシア・インド関係資料集)を見たら簡単に裏付けがとれた。

 当時ロシア宮廷(ウフトンスキー公)はこう考えていた。

「ロシアはヨーロッパとアジア(Eurasia)をつなぐ存在であり、アジア人のことは拝金主義のイギリスよりも精神性の高いロシア人の方が理解できる。ロシアのアジア進出は単に「自然な融合」として起こる、だからアジアを征服するためには、軍事的手段に訴えず、ロシア皇帝の徳をもってなさねばならない」。

帝国主義者の自己欺瞞といってしまえばそれまでだが、この時代のイギリスやロシアのアジアに対する態度って、多かれ少なかれ「私が一番あなたのことを理解しているの、だから私の言う通りにすればいいの」っていう毒親モードであった。

実際、ロシア宮廷はイギリス王室よりもアジアの仏教徒を身近に見ていたためこの世界旅行の前後、ブリヤート人パドマエフ(この人はロシア正教に改宗)、ドルジエフ、イロルトゥエフ、イチゲロフなどを重用していた。こんな感じのサンクト・ペテルブルグの空気を通じて、イロルトゥエフは欧米の仏教にたいする高い評価をしり、1900年にインド・チベット巡礼を志したのであろう(実現にあたってはヨーロッパの東洋学者がこぞって協力していた)。

 ではイロルトゥエフは、ウフトンスキーが言うように、ロシア帝国に同質性を感じて、その支配を喜んで受け入れていたのであろうか。否である。それはロシア帝国が現実には仏教徒に対する配慮よりも政治を優先していたからである。

イロルトゥエフがコロンボに入港する約3月前の1899年9月30日に、ダライ・ラマの側近であるドルジエフとニコライ二世がクリミアのリヴァディヤ宮で謁見していた。この件でダライ・ラマに無視され続けていたイギリスは硬化し、インドに駐在するロシア当局は、この状況でイロルトゥエフがチベット巡礼にいったらイギリスとロシアの外交関係がどうなるか不安視した。

 イロルトゥエフは純粋に仏教徒として、インド仏跡巡礼をし、チベットのダライ・ラマとの謁見を望んでいた。にもかかわらず、結果として、イギリスに忖度するロシア当局に行動を制限され、インド巡礼こそ許されたものの、オルコットとの対面をはばまれ、チベット行きは中止させられたのである。その三年後の1904年、ダライ・ラマ13世をシベリアに迎えようとして、ロシア当局がダライラマの国境越えを許さなかったことと同じパターンである。

 ウフトンスキーがどうロシア皇帝を美化しようとも、仏教徒にとってはロシア皇帝よりダライ・ラマの方が圧倒的に魅力的なアイコンである。そこで、1904年、ダライ・ラマがモンゴルに現れたとき、ブリヤート人たちは堰を切ったようにダライ・ラマの下に殺到した。ついでにいえば、ダライ・ラマが青海に移動すればそこまでいき、北京にいけば主だった王侯はみな随行していった(国境は無視!)。この過程の中で、ロシアや清朝の支配によってあいまいになっていたかれらの民族アイデンティティはチベット仏教を核として固まり、ダライ・ラマに随行した王侯ははじめはチベット仏教世界の連帯をめざし、それが無理と知ると、帝国からの地域の自立をめざしたのである。

イギリスがインドの知識人に英国式の教育を受けさせてイギリス紳士に仕立てようとしたら、欧米のヒンドゥー教にたいする高い評価に力をえて、インド独立の父ガンディーができてしまったのと同じ構図である。

 ニコライ二世の戴冠式に出席したブリヤート知識人はニコライを転輪王と呼び、現在のハンバ・ラマ、アユシエフもプーチンをターラー菩薩とよんで、ロシアに忠誠を誓っているが、これはチベット仏教ととしてのアイデンティティを保つための生存戦略と考えると非常に理解しやすい。
 
 本論文はほかにもシャム宮廷とロシア宮廷の仏舎利交流などを扱っており、この仏舎利事件は日本もかかわっているので、なかなかグローバルな仕上がりになりました。
論文でたら、読んでくださいね〜。そして間違いがあったら指摘してくださいねー。

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