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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2022/04/23(土)   CATEGORY: 未分類
タイとロシアの古い縁
2022年4月7日、国連人権委員会でロシアの理事国資格を停止する決議が行われた。結果は93ヶ国が賛成(セルビア、アルメニアも含めて欧州諸国はまとまった)。24ヶ国が反対。58ヶ国が棄権。
タイ

 反対国はアレな国々なので分かりやすいが、棄権国の中に仏教国家で平和な国のイメージのあるタイが含まれていることを意外と思う人がいるかもしれない。しかし、実はタイ(当時はシャム)とロシアの繋がりはロシア帝国期に遡る長い関係があるのである。

 ロシア帝国最後の皇帝ニコライ二世は皇太子時代(1890〜1891)ロシアの軍艦にのってアジアを旅をした。旅の記録はオリエンタリストとして有名なウフトンスキー公が行って豪華本で出版された(Travels in the East of Nicholas II. Emperor of Russia: when Cesarewitch, 1890-91)。ちなみに、現在ペテルスブルグにあるチベット・コレクションの大半はこのウフトンスキー公の力でそこにあるものである。

 ニコライ二世(当時皇太子)とウフトンスキー公は1890年12月23日にインドに上陸し、マドラスにおいてブッダガヤ復興運動が始まる直前の神智学協会の本部を訪れている。翌1891年にはセイロン(現スリランカ)、3月19日にはシャム(現タイ)に上陸し、ラーマ五世(チュラロンコン大王)とその皇子たちと交遊した。

 ニコライの旅は日本の大津で精神がちょっとアレな巡査に切りつけられ終わったが(大津事件)、この旅を通じてニコライはオリエンタリスティックな嗜好を強く持つようになった。てか、当時のヨーロッパのオリエンタリズムの流行にそのまま染まった。

 このあとロシアとシャム皇室同士の関係はどんどん深まり、この年の暮れにはシャムのダムロン王子がニコライのパパ、アレクサンドル三世とクリミア半島のリヴァディャ宮で謁見。


1896年にニコライ二世が即位すると、1897年にはラーマ五世自身がロシア帝国の都サンクトペテルスブルグを訪れ、シャム・ロシア関係は公式のものとなった。大使の交換も行われ、ラーマ五世お気に入りのまだ十代のチャクラボンス皇子 (Chakrabongse1883-1920)がロシアに送られた。

chakrabongse.png1899年には友好条約も締結された。

シャムが当時ロシアを非常に重視していたことは、インドで発掘されたばかりの舎利(仏様の遺骨)をラーマ五世は、他の仏教国をさしおいて、まずロシアに分骨したことにも現れている。

ことの起こりは、1898(明治31)、イギリス人の考古学者ウィリアム・ペッペがピプフラワーで舎利の入った容器を発見したことに始まる。その容器の銘文はアショーカ王時代のものであったため、舎利は限りなく真正に思われた(実は世界中の舎利を集めると象三頭分になるというくらい舎利は後世になるほど増え続けていたw)。
 
 当時、欧米で仏教は大ブームとなっており、それを追い風として伝統的な仏教国(スリランカ、ビルマ、日本)が結束して仏陀が悟りを開いたブッダガヤーの地を仏教徒に返還せよ、という運動をおこしていた(聖地復興運動)。それに対してブッダガヤーを支配するヒンドゥー教徒の地主は対立していた。インドを支配するイギリスはインド、スリランカ、ビルマ、いずれも自国の植民地であることから、どちらの側につくこともできずにいた。

 そこに、イギリス人の手によって真正の舎利が発掘されたのである。インド・イギリス政府は仏教徒の怒りを買わないため,舎利を仏教徒に寄贈することとし、当時唯一仏教王として独立国をはっていたシャムに白羽の矢が立った。
 1899年1月、ラーマ五世はインドに舎利奉迎の使節を派遣し、3月、持ち帰られた舎利はシャム各地で歓迎をうけた。

 仏教徒にとって真正の舎利は相当な権威をもつので、スリランカ独立の父のダルマパーラはこの舎利を手土産に鎖国中のチベットにいるダライラマ13世と連絡をとろうと考えていたという。

 ラーマ五世はこの舎利をスリランカとビルマに分骨することを決めていたが、その前に、たまたまロシアから一時帰国中であったチャクラボンス皇太子に舎利をロシアに持ち帰らせた(しかしこの事実は翌年まで伏せられた)。

1900年、3月4日、 ウフトンスキー公がロシア帝国下のチベット仏教徒60人を率いてチャクラボンス皇太子を訪れ、舎利を奉迎した。このチベット仏教徒はほとんどがブリヤート人で、二名程カルムック人が入っていたという*註1。

*註1以上のロシアの仏教徒への仏骨寄贈問題は、村嶋英治(2022)「稲垣満次郎と石川舜台の仏骨奉迎に因る仏教徒の団結構想:ピプラワ仏骨のタイ奉迎から日本奉迎まで(1898-1900)」 『アジア太平洋討究』 43: 215-257に詳しい。

 なぜ、ロシアに舎利を送ったことが伏せられたのかは、当時イギリスとロシアが対立しており、イギリスの植民地となっている他の仏教国(スリランカ、ビルマ) に先んじて、ロシアの仏教徒を優遇したことが露見すると外交的にまずかったからであろう。

チャクラボンス王子はロシア女性と結婚し、1906年にシャムに帰国した後、空軍の創設に尽力した。そう、つまりシャムの軍隊はロシア帝国式なのである。
 
 ではなぜシャムはロシアと仲が良かったのか? これは普通に地政学で説明がつく。シヤムは西の国境にイギリスの植民地ビルマ(現ミャンマー)、東の国境にカンボジアとラオスというフランスの植民地がせまり、英仏にごりごり領土を削られている状況下だったので、軍事的にはこの両国と対立するロシアと友好関係を保ちたかったのであろう。

 1904年にイギリスに攻め込まれたダライラマ13世が、ロシアの庇護をもとめて北上したのもその流れである。イギリスの敵は自分の味方というわけ。

 ちなみに、舎利がロシアに送られたことを知ったシャム公使稲垣満次郎は「あのにっくきロシアが舎利を手に入れたとな。日本も仏教国として負けていられない」、と日本からもラーマ五世に働きかけ、東本願寺の僧侶を中心とする仏骨奉迎団がにぎにぎしくタイに旅立ったのであった。

 しかし、持ち帰った舎利をどこにお祀りするかで各宗派でもめまくった挙げ句、結局名古屋の日泰寺(日暹寺)を新しく建立してそこでお祀りすることとなった。現在もこのお寺は日本・タイ友好のシンボルである(→詳しくはここ)。
日泰寺

 仏教の存在感が今よりもずっと大きかった20世紀初頭、イギリス人の手によって発掘された舎利は各国仏教徒のナショナリズムを刺激しまくっていたのであった。

 日泰寺の初代管長は舎利奉迎団の一員でもあった曹洞宗の日置黙仙(ひおきもくせん1847-1920)。この人は辛亥革命直後の1912年にインドで仏跡巡礼を行った際、ダライラマ13世とカリンポンで謁見している。その時の通訳が当時カルカッタ大学で教鞭をとっていた山上 曹源(やまがみそうげん1878-1957)なのである(前エントリー参照)。

このダライラマ13世謁見記録の詳細は山上 曹源が山上天川名でかいた『今日の印度』の最後の方に付録でついているので、ごらんあれ*註2。
今日の印度

*註2 デジタル化されていますのでどなたでもここで読めます

 この謁見記によると、山上曹源はチベットの御用商人ニイジャンを「友人」と呼んでおり、ダライラマはカルカッタ大学で山上がパーリ語の授業をやっていることに興味をもっている。これは山上はこの時点である程度チベットと通じており、ダライラマも明らかに山上が身を置いている神智学協会(協会長がカルカッタ大学の学長)やそこから分岐した聖地復興運動などに親しみ始めていたことを示している(それ以前にダライラマは1908年に北京でシッキムのクマル王子から聖地復興運動などについて聞き及んでいる)。

 というわけでタイ(シャム)とロシアの友好はいまなお続いているのである。ちなみに、ダライラマ14世が亡命後はじめての外遊先がタイ経由日本だった。日本とタイは同じ仏教国で植民地になったことがないという共通点があるものの(日本は敗戦後アメリカに占領されたがたった五年だし)、日露戦争でも、第二次世界大戦でもロシアと干戈を交えており、決して友好国とは言えないことを考えると、随分異なる歴史を歩んだものである。

 
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COMMENT

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● ヴェリクデーニ
マースレニツァ | URL | 2022/04/25(月) 11:25 [EDIT]
Hirano Takashi / 平野高志
@hiranotakasi
昨日はイースター。ウクライナ語では、Великдень(ヴェリクデーニ)と言います。
● 「真実の代償(The Price of Truth)」を意味する『Ціна правди』
マースレニツァ | URL | 2022/04/26(火) 10:59 [EDIT]
コトバの小径
2022-03-10
受難のウクライナ ~今こそ見られるべき「ホロドモール」の映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』~
国立ホロドモール虐殺記念博物館(右の建物)。中央は世界遺産のペチェールスカヤ大修道院(Kyiv, Ukraine)from Wikimedia Commons


<朗唱>

スターリンは王座で バイオリンを弾く

彼はしかめっ面で パンを生む地方を見る

木の実でできた楽器 悲嘆が生んだ弓

彼が指令を弾けば それは大地に鳴り響く

そしてスターリンは弦を切り 演奏をやめた

地方では大勢が死に 生き残りは少しだけ



<歌唱>

飢えと寒さが 家の中を満たしている

食べるものはなく 寝る場所はない

私たちの隣人は もう正気を失ってしまった

そして ついに 自分の子供を食べた



(映画の挿入歌『Piosenka Głodnych Dzieci(飢えた子供達の歌)』より)繰り返される虐殺の歴史:ロシアの独裁者によるウクライナ侵略
およそ1世紀前の悲劇が、21世紀の今になって再び息を吹き返している。2022年2月24日、ロシアはウクライナへ軍事侵攻を開始した。



世界では至る所で、ますます拍車のかかる格差社会を肯定し、権威主義的な政治体制が強化されつつあり、もはや封建時代や全体主義の時代へと逆行しているのではないかとさえ、悲観せざるを得ない状況が続いている。



言わずもがな、国際社会から圧倒的な非難を浴びている、ウラジーミル・プーチン大統領が断行したウクライナ侵略は、異常なまでの「大ロシア主義」的思想に根差しているといわれており、明らかに史上に残る残虐行為として、我々の記憶に焼きつけられるだろう。



アグニェシュカ・ホランド(Agnieszka Holland)監督がメガホンを取った映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で(英原題:Mr. Jones)』(2019年、ポーランド・ウクライナ・英国合作)は、奇しくも今から約90年前にウクライナで起きた人為的大飢饉「ホロドモール(Holodomor)」の存在を描いている。“一市民”が暴いた国家の嘘
『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』というのは、観客により分かりやすいキャッチーな邦題にするために、よくありがちな長いタイトルだが、3カ国の合作ということでポーランド語では「市民ジョーンズ(Citizen Jones)」を意味する『Obywatel Jones』、ウクライナ語では「真実の代償(The Price of Truth)」を意味する『Ціна правди』となっている(英原題は前述の通り)。



英国ウェールズ地方出身のガレス・ジョーンズ(Gareth Jones)は、母国語の英語とウェールズ語のみならず、フランス語、ドイツ語、そしてロシア語に通じたマルチリンガルの新進気鋭なジャーナリストだった。



同じウェールズ人の血を引く、デーヴィッド・ロイド・ジョージ(David Lloyd George)元首相に気に入られた彼は、アドルフ・ヒトラーへのインタビューに成功したことで一躍名を知られるようになり、次はソ連に足を伸ばして、ヨシフ・スターリンへのインタビュー取材を試みていた。



すでにモスクワで活動していた友人のポール・クレブ(映画のために作られた架空の人物)から「スターリンの黄金」に関する情報を得たジョーンズは、南部行きの列車に乗り込むことに成功する。彼がウクライナ入りしたのは、そのような経緯である。



ちなみに、ポーランドにクラクフに拠点を置く隔月刊誌『New Eastern Europe』の映画評*1によると、このポール・クレブ(Paul Kleb)というドイツ人ジャーナリストの設定は、経済誌『フォーブス』モスクワ支局長で、2004年にモスクワで暗殺されたロシア系移民の米国人ジャーナリスト、ポール・フレブニコフ(Paul Klebnikov)へのオマージュだと明言しているところが、なかなか西側や日本でいると気づかない視点で興味深い。農民は強制移住させられ、抵抗する者は容赦なく射殺された。このような現実を無視した急激な農業集団化のため、ウクライナ各地で広範な凶作が生じた。共産主義思想の下、富農撲滅運動という名目で、農耕に必要な数頭の家畜を所有しているだけでも「富農」とされた農民は、“反革命分子”というレッテルを貼られ、こうして次々と“粛清”されていったのである。



ソ連が国際社会で第一級の国家であることを示すためには、外貨が必要である。急速な工業化に必要な外貨を獲得するために、国内の食糧(小麦)を大量に輸出へ回す必要があった。その小麦の多くを生産したのが、ウクライナの肥沃な土地だったが、外貨として稼いだはずの豊かさは、決してウクライナの人々に還元されることはなかった。まさに江戸時代の日本で「胡麻の油と百姓は、絞れば絞るほど出る」と発破をかけたように、ソ連政府はウクライナの農民に過酷な調達ノルマを課し、収穫物の大半を収奪していった。



西側の欧米諸国が世界恐慌の不景気に喘いでいるときに、なぜソ連だけが、たとえ表層的でも不自然なまでの好景気を享受できたのか? これこそが、ウクライナが「スターリンの黄金」と呼ばれた所以である。



そもそも「ホロドモール」とは造語で、ウクライナ語で「飢饉(ホロド)により苦死(モール)させる」ことを意味する。当時撮影された極限の飢餓状態にある子供や、道端で放置された遺体の姿は、思わず目を背けたくなるほどに痛々しいが、彼らが口にするはずだった小麦が、虚飾の「黄金」に化けて為政者の懐を肥やしていたという史実は、本当に何ともやり切れない。



当時の為政者は、この当たり前すぎる現実の成り行きを、果たして事前に想定していたのか? 「ホロドモール」の実態を初めて西側世界に伝えたジョーンズをはじめ、この大飢饉が天災として自然発生したのではなく、人為的な理由に由来するのは疑いないという指摘は、おそらく今後も揺るぎないだろう。このほかにも、一説には「ホロドモール」がウクライナ人(および同様に犠牲になったカザフ人なども含めて)計画的な民族のジェノサイド(大量虐殺)だったという見方もある。つまり、ロシア化にまつろわぬ民衆・民族を一掃するという意図である。



餓死者・犠牲者の数は諸説あり、推定で数百万人から1,450万人などといわれている。いずれにしても「ホロドモール」は、1991年のソ連崩壊まで、公式にソ連政府によって否定され続けたことは、歴史において覆しようもない事実となった。



いまだに亡霊が跋扈する21世紀の世界
「ホロドモール」の人道的な罪は、ソ連の為政者に加担した、西側の知識人らも負うべきであろう。映画にも登場し、「ニューヨーク・タイムズ」紙のモスクワ支局長でピューリッツァー賞の受賞歴もある米国のジャーナリスト、ウォルター・デュランティ(Walter Duranty)のみならず――これは文学の愛読者にとって、大変ショックなことだが――当時、ソ連に招かれていたアイルランドのノーベル文学賞作家、ジョージ・バーナード・ショウ(George Bernard Shaw)や、SF小説で名高い英国の作家、ハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells)らでさえも、同じ轍を踏んだ。



彼らは、自身が信じていた社会主義と親和があると思い込んだがゆえに、共産主義の仮面を被った独裁者の正体に気づかずに、ソ連の“模範的な運営が為されている農村”を見せられて、当局の望み通りの視察報告を行ったという。



皮肉なことに、進歩的な自由主義や民主主義を肯定しながら、反資本主義のヒトラーやスターリンに近づき、戦争に反対する社会主義者でありながら、優生学を信奉していたのが、最高峰の文学者と位置づけられる文人だったというのは、我々は肝に銘じておかなければならないだろう。



似たような事例は、実は形を変えて、ロシアに攻撃されたウクライナの惨状を伝える欧米メディアでも起こっている。ポリティカルコレクトネスに最も近いはずの幾人ものキャスター達が、「ヨーロッパの文明的な国が戦争だなんてあり得ない。ここはアフリカでも、シリアでも、アフガニスタンでもないのに」などといった旨の失言をし、謝罪に追い込まれている。



無意識に浮上した、自覚されない差別意識が自浄されないまま、それを中東・アジア・アフリカ側のジャーナリストや視聴者らから、#RacistReportag #StopRacismInUkraineといったハッシュタグを付けて厳しく指摘されていることは、21世紀になっても人間に内在する負の思考や感情を克服することが、いかに難しいかを露呈させている。



ソ連への入国を禁止となったジョーンズは、その後、1934年に当時の大日本帝国が支配していた満州国の内モンゴル地方を取材中に、30歳になる誕生日の前日である1934年8月12日、ソ連の内務人民委員部(NKVD)から派遣されたスパイの手で殺害されたと記録されている。
ホランド監督は、本作の映画製作に際して、次のように語っている

We knew, when shooting this film, that we are telling an important timeless story. But only after I realized how relevant is today this tale about the fake news, alternative realities, corruption of the media, cowardness of governments, indifference of people.

The clash of Jones’s courage and determination against Duranty's cynical opportunism and cowardice is still valid as well. Today, we don’t lack corruptible conformists and egoists; we lack Orwells and Joneses. That is why we brought them back to life.

【邦訳】
この作品を撮影しながら、私たちが時代を超えた重要な物語を作っていることはわかっていましたが、実際に撮り終えてみると昨今の、盛んに伝えられるフェイクニュースや真実の在り処、マスコミの腐敗、臆病な政府、人々の無関心さなどのさまざまな問題に直結していることにも気づかされたのです。

ガレス・ジョーンズの勇気や意志の強さと、ニューヨーク・タイムズ支局長だったデュランティのひねくれたご都合主義や臆病さとの衝突が、今の世の中でもまだ起きています。賄賂で動く順応主義者や利己主義者はいなくなりません。一方で、ジョーンズやオーウェルのような真実を求め、立ち向かう人が少なくなっているように感じます。だからこそ、私たちはこの映画で彼らを生き返らせたのです。



("MR. JONES" Production Noteより抜粋/邦訳は日本語版映画公式サイト「DIRECTOR PROFILE」を引用)



20年ほど前、ジョージ・オーウェルの再来かと思われるような辛辣な皮肉と批判精神で知られた、労働党支持者を公言する大学時代の恩師は、「ヨーロッパの社会と思想の歴史」の講義で次のように言い放った。「ソ連と中国で、共産主義は起きたためしがなかった。あれは共産主義に名を借りた、全体主義による恐怖政治にほかならない」。カール・マルクスやフリードリヒ・エンゲルスは、まさか自分達が世に出した『共産党宣言/共産主義者宣言』や『資本論』などの著作によって、翌世紀以降にそれらが独り歩きを始め、ついに悪夢のような現実が地球上に現れることになろうとは、おそらく想像だにしなかっただろう。
あえてマルクスらの言葉を借りるなら、このようにも言い換えられるかもしれない。「一つの亡霊が世界に付きまとっている――独裁主義という亡霊が。世界中のあらゆる権力が、この亡霊を迎え入れるために神聖な同盟を結んでいる。ヒトラーやスターリン、毛沢東や東条英機、ポル・ポトやペロン、北朝鮮の金一族、トランプやプーチン、その他アジア・アフリカ・ヨーロッパ・南北アメリカにはびこる、ありとあらゆる政治屋やナショナリスト達なども」。
そしてその亡霊は、意外なところで我々の身近に潜んでいる。為政者のつく嘘と、マスメディアの怠慢が国家を存続させ、真実を知る者だけが声を出そうとするものならば、その口は閉ざされる。全ては己の保身のため、誰もが真実に蓋をする。歴史は何も変わっていない。絶望的に――。

*1:当該の記事「Devoted to the truth」には「... However, once they fell out of the authorities’ favour, they were disappearing, like the fictional character Paul Kleb (an obvious homage to Paul Klebnikov, a journalist who was murdered in Moscow in 2004). In the film, Kleb was a German journalist and an acquaintance of Jones.」とある

notabene (id:notabene)
● 泰露
マサムネ | URL | 2022/04/26(火) 15:43 [EDIT]
タイ陸軍運営テレビ局トップが交代 ロシア寄りの報道姿勢が原因か
2022/3/30バンコク週報
陸軍運営のテレビ局「チャンネル5」のランシー社長が4月7日をもって退任することになった。この人事を承認したのは、同テレビ局の役員会議長を務めるナロンパン陸軍司令官という。

関係筋によれば、ランシー社長のもとでチャンネル5がロシア軍のウクライナ侵攻に関してロシア寄りの報道をしてきたことが原因とされる。ただ、ランシー氏は3月29日、「クビになったのではない。一身上の理由で辞任を申し出たもの」と述べ、「解任」との一部報道を否定した。

また、国防相を兼任するプラユット首相は同日、「チャンネル5の報道姿勢に懸念を示したことはない」と述べ、今回の人事にかかわっていないことを示唆した。
● ・軍部支持の既得権層、公然とロシア支持 ソーシャルメディアを活用し親ロシア・親プーチンの「フェイクニュース」も 青年層などの民主派「反ロシア・親ウクライナを明確にしなければならない」 「国内の政治状況をウクライナ問題に投影させた結果」
マサムネ | URL | 2022/04/26(火) 15:48 [EDIT]
王室・軍部支持の既得権層、公然とロシア支持 ソーシャルメディアを活用し親ロシア・親プーチンの「フェイクニュース」も 青年層などの民主派「反ロシア・親ウクライナを明確にしなければならない」 「国内の政治状況をウクライナ問題に投影させた結果」
先月24日、タイの首都バンコクのロシア大使館前で、人権団体活動家らがウクライナ侵攻を批判するろうそく集会をしている=アムネスティ・インターナショナルのタイ支部のウェブサイトよりキャプチャー

 ロシアのウクライナ侵攻が、君主制維持をめぐり対立するタイの国内政治にまで影響を及ぼしている。君主制維持を主張する王党派と、廃止または全面改革を要求する民主化陣営が相反する立場を展開し、鋭く対立している形だ。

 13日付の「サウスチャイナ・モーニングポスト」の報道を総合すると、いわゆる「黄色いシャツ」と呼ばれる保守王党派は、ウクライナ戦争の開戦初期から、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領を積極的に支持している。代表的な君主制擁護団体である「タイ・ムーヴ・インスティテュート」のフェイスブックのアカウントは、ロシアに圧力をかける米国のジョー・バイデン大統領を批判し、「制裁後にロシアの石油輸出はむしろ増えた」とする出所不明の投稿であふれている。

 この団体は、「中立」を求めてきたフィンランドとスウェーデンが、ロシアの侵攻後にNATO加盟を推進すると、「欧州の安定が危うくなるだろう」というロシア側の一方的な主張も連日にわたり展開している。メディアにプーチン大統領を批判する文章を寄稿した著名な学者に対しては、「米中央情報局(CIA)に買収された」と非難したり、「民間人殺害に使われた武器を確認したところ、ロシアではなくウクライナ軍が使用したことが明らかになった」とする「フェイクニュース」を堂々と掲載したりしている。

 親王室・親軍部を自任する人々の態度について新聞は、専門家の話を引用し、「タイの王党派は、自分たちの既得権はもちろん、タイの主権を脅かしうる米国の介入の可能性に神経をとがらせている」とし、「プーチン大統領の権威主義的な態度や、ロシアの伝統的価値と民族主義を強調する姿に共感するのも同じ流れ」だと報じた。

 このような立場は、タイの外交政策にも反映されている。タイは先月2日、法的拘束力がない国連総会のロシア非難決議案には賛成票を投じたが、7日のロシアの人権理事会理事国の資格停止決議案の票決の際には棄権した。当時、国連のタイ代表部は声明を出し、「ウクライナの人道的危機状況について深く憂慮する」としながらも、「国連機構における特定の国家の地位を停止させる問題は、決して軽く処理することはできない」と主張した。

 一方、野党の前進党を中心とする民主化陣営は、ロシアの侵攻を批判しウクライナに対する明確な支持の立場を明らかにするよう求めている。前進党は、プラユット・チャンオチャ現首相の政権獲得のきっかけとなった2014年の軍事クーデターを先頭に立って批判し、タイ刑法112条(王室不敬罪)の廃止を求めてきた。英国日刊紙「ガーディアン」は、ある青年活動家の言葉を引用し、「独裁と対立して戦う方法を学べば、別の場所で同じ闘争をしている人々を理解できるようになる」と報じた。同紙は、現地の専門家の話を引用し、「王党派も民主化勢力も、民主主義と権威主義に対する自分たちの見方をウクライナ問題に投影させている」と指摘した。
● 天国と中国に一番近いシマ
マサムネ | URL | 2022/04/27(水) 12:50 [EDIT]
仏領ニューカレドニアに日本領事事務所 来年1月 中国の進出に対抗
2022/3/15
外務省は来年1月、南太平洋にあるフランスの海外領ニューカレドニアに領事事務所を開設する。ニューカレドニアはインド太平洋の戦略的要衝で、近年影響力を強める中国に対抗する狙いがある。

ニューカレドニアはオーストラリアの東に位置する島で、世界的なニッケル産地。中国企業の現地進出が著しい。中国は経済を通じて先住民の独立運動に接近し、インド太平洋での中国包囲網を打破する意図があると指摘されていた。
領事事務所は政庁所在地ヌメアに設置。現在は日系人が名誉領事を務めるが、「戦略的な重要性を考えると、要員を置く意味は大きい」(外務省筋)と判断された。

ニューカレドニアには約1700人が駐留する仏軍基地があり、事務所設置は日仏防衛協力の深化の象徴ともなる。昨年9月には、海上自衛隊がヌメアに寄港し、仏軍と共同訓練を行っている。

ニューカレドニアでは昨年、独立の是非を問う3度目の住民投票が行われ、「仏領残留」が決まった。(パリ 三井美奈)

中国に対抗、南太平洋キリバスに大使館を設置へ…ニューカレドニアには領事事務所
2021/12/29
キリバスは中国の働きかけを受けて2019年に台湾と断交し、中国と国交を結んだ。中国は港湾などのインフラ整備や巨額の経済支援を通じて存在感を高めているとされる。大使館を開設して職員を常駐させることで、中国の動向に関する情報収集にあたる。

仏領ニューカレドニア 独立問う3回目の住民投票 中国が独立派に接近
2021/12/11 【パリ=三井美奈】南太平洋にあるフランスの海外領土ニューカレドニアで12日、独立の是非を問う住民投票が行われる。ニューカレドニアは世界有数のニッケル産出地。経済進出を続けた中国が、ニューカレドニアの独立支持派に急接近しており、フランス国内で警戒感が強まっている。
ニューカレドニアは19世紀にフランスに併合され、現在は人口約27万人。1980年代、先住民から独立要求が高まり、98年の協定で、独立を問う住民投票を3回実施することが決まった。昨年までの2回の投票で独立はいずれも否決された。独立支持は2018年の第1回投票で43%、昨年の第2回投票は47%。今回は3回目の投票となる。
ニューカレドニアのニッケル産出量は、インドネシアやオーストラリアなどに次いで世界4位。ニッケルは電気自動車(EV)のリチウムイオン電池に不可欠な材料で、中国企業が相次ぎ開発に参入。最大の輸出先は中国となっている。
フランスでは保守系議員から「投票はフランスか、中国かの選択になる。マクロン大統領は住民に仏領残留を呼びかけよ」との声も出たが、仏政府は住民投票への介入を避けている。
仏国防省傘下の「フランス軍事学校戦略研究所(IRSEM)」は9月の報告書で、中国がニューカレドニアで在外中国人を通じて独立派に接近していると警鐘を鳴らしている。
その背景には、経済利権だけではなく、ニューカレドニアを中国包囲網打破の拠点とし、豪州を孤立させる計算があるとみている。周辺の島嶼(とうしょ)、フィジー、バヌアツなどでも中国は影響力を高めている。
● 宗像隆幸さんを偲ぶ会が2年越しに開かれる 2022年4月26日
マサムネ | URL | 2022/04/28(木) 11:52 [EDIT]
「宗像隆幸さんは私たちの心の中に生きています。我々は中国に対抗するために台湾政府と協力しつつ引き続き独立建国の志を貫きます」。有志らで組織する台湾の声である。

 台湾の戒厳令期に、「党外」が国民党の政治的迫害から逃れるのを密かに支援した日本人宗像隆幸氏が2020年7月6日に84歳で逝去した事は記憶に新しい。宗像氏は長年にわたり台湾独立建国運動に尽力。1970年に彭明敏教授が台湾から脱出するのを助けた人物として知られる。台湾独立建国聯盟は4月24日、東京で宗像氏を偲ぶ会を開催した。同時に今年の4月初めに死去した彭明敏教授にも哀悼の意を表明した。台独聯盟日本本部の林建良委員長は「武漢コロナウイルスの影響で、偲ぶ会開催に2年が経過しました。奇しくも台湾では、同じ日に彭明敏教授を偲ぶ会が行われ、2人の台湾の民主化のリーダーの不思議な運命を改めて感じました」と述べた。

 宗像氏は1936年に鹿児島に生まれ、1961年に明治大学を卒業。日本人ではあったが、日本で台独聯盟に加わり、台湾で中核的な役割を担った。宗像氏の人生に影響を与えたキーパーソンである元駐日代表の許世楷は、偲ぶ会で「1959年末に東大に留学した際、たまたま宗像氏と同じ学生寮に住んでいた。当時、日本は安保闘争が激しく、宗像氏に台湾の現状について話したところ、自由と民主を愛する宗像氏と親友になった」と述懐した。さらに1961年頃、台独聯盟のリーダー王育徳が創刊した雑誌『台湾青年』の編集者として宗像氏を招いた。王氏は、宗像氏の誕生日が9月9日(重陽節)であることから「宋重陽」というペンネームをつけた。それ以来、2002年に第500号で停刊するまで宗像氏は『台湾青年』の編集長を務めた。許氏によると、宗像氏はとても責任感があり、酒が好きであったが、彭明敏教授を台湾から脱出させる「X計画」の執行にあたっては、何ヶ月も酒を一滴も口にしなかった。宗像氏は彭明敏教授に偽造したパスポートを持たせ、日本人として台湾から脱出させる事を計画した。パスポートの刻印は精密だが、業者に依頼する訳にいかない。自作を強いられたが、酒のせいで精密な作業ができなくなることを恐れ、数ヶ月間一滴も飲まなかったという。

 彭教授の台湾脱出を支援するまでは、宗像氏と彭教授は面識がなかった。宗像氏は「X計画」の成功の確率は5割しかないと見ていた。計画が失敗すれば、彭教授は国民党に暗殺される可能性もあり、宗像氏自身にも害が及ぶかもしれなかった。しかし、このお互いに会った事とない二人は互いを信じた。脱出成功の1971年5月に宗像氏と彭教授は米国で初めて対面した。2019年12月に宗像氏は美麗島事件40周年イベントに出席するために訪台し、彭教授に会ったがこれが二人の最後の会合となった。

 林建良氏は、日台関係に大きな影響を与えたもう一つの重要な出来事を明らかにした。1998年11月の江沢民訪日に関わる出来事である。1998年6月、クリントン米大統領が中国を訪問した際、上海で「3のノー」政策を発表した。「米国は台湾の独立を支持せず、“一つの中国と一つの台湾(中国と台湾とは別の国)”を支持せず、主権国家からなる国際機関に台湾が加わることを支持せず」というもので、当時、台湾は大きな衝撃を受けた。江沢民は同年11月の訪日に先立ち、クリントンが発表した「3のノー」政策同様の内容を、日中首脳の共同声明に盛り込むよう日本に要請した。当時、宗像氏が動いて、小渕恵三首相のアドバイザーである末次一郎氏を訪台させ李登輝総統との会談を実現した。これにより日本が中国側の要求に従うのを阻止する事ができ、小渕首相は外国メディアから中国の圧力に屈しないとの評価を得た。台独聯盟日本本部が開催した宗像氏を偲ぶ会には300人余りが出席したが、その中には長年にわたり台湾民主化運動を心に留めて支援した日本人も少なくなかった。謝聡敏氏の台湾の政治犯リスト持ち出した小林正成氏や、「台湾の政治犯を救う会」の手塚登志雄氏などである。

宗像氏をよく知る元国策顧問の金美齢氏、日本の著名な政治評論家である櫻井よしこ氏、全日本台湾連合会の趙中正会長、在日台湾同郷会の岡山文章会長、国際政治アナリストの藤井厳喜氏、『李登輝秘録』著者・河崎真澄氏、台独聯盟日本本部の王明理・委員長代行らが宗像氏を偲び、蔡明耀副代表も出席して追悼を表明した。

 金美齢氏は、宗像氏は豪快な人物で、「宗像伯爵」と呼んでいた。普通のサラリーマン向きの性格ではなく、貴族のような心を持っていた。台湾民主化に参加したことによってその人生が輝いた。「よくやった」と声を掛けたい。宗像氏の妻瑞江夫人も出席し、感謝の言葉を述べた。宗像氏の熱意が、周囲の人を動かし、幸運にもいくつかの仕事のお手伝いをすることがでた。そのなかで、日本がある面で危機感を欠いていることがわかったという。櫻井よしこ氏は、宗像氏が台湾民主化運動に生涯をささげたことは、もっと多くの日本人に知られるべきであるとした。日本と台湾は運命共同体であり、日本と台湾は絶対に中国の手に落ちてはならない。今が正念場だ、と語った。
● 語り継がれてきた「広く深い海」 翻訳で伝えたいチベットの人々の声
マサムネ | URL | 2022/05/08(日) 08:20 [EDIT]
大学の自分の机でチベット語の本を開く星泉さん=東京都府中市
「世界の屋根」と呼ばれるヒマラヤに抱かれ、平均標高が4千メートルを超すチベット高原。雄大で過酷な自然や、長い伝統を持つ宗教、中国での少数民族問題などでしばしば言及されますが、そこに暮らす人々の肉声が伝わる機会は決して多くありません。チベット語と文学を研究する星泉さん(54)は、言葉を通じてチベットの今に想像力の翼を広げてほしいと願っていると言います。「ご縁」だというチベットとの出会いや、実は日本人に親しみやすい面もある言葉の学び方、そして文学の魅力について聞きました。
――チベットとの出会いはどのようなものだったのでしょうか。

 「うちの母親は、チベット語の研究者でした。東京外国語大学での専攻はモンゴル語だったのですが、モンゴルとチベットは歴史的にも関係が深いので『チベット語をやってみたら』と先生に勧められ、チベット語を始めたそうです。幼いころ、夜寝るときに聞かせてもらう話も、いつも母が採集したチベットの民話でした。私は、おばけや魔女の話が大好きでした」
「チベット人が我が家に遊びに来ることもよくありました。お客さんが大勢になると、みんな大きな声でよく笑うんです。チベット人は『よく笑う人たちだな』と思っていました。家にしばらく滞在していたチベット人のお坊さんの周りを弟と一緒にふざけて走り回っても、お坊さんがニコニコしていたのを覚えています」

 ――ご自身もチベット語研究の道に進んでいかれたのですね。

 「チベット語を本気で学んでみたいと思ったのは、大学3年の春休みに友だちとインド旅行に行ったのがきっかけです。そのときに母の知人のチベット人の家を訪ねて、チベット暦の正月を一緒に過ごしました。親戚の人たちも大勢集まって、一緒に歌ったり楽器を演奏したりと、とても楽しかったんです。何よりもチベットは『人がいいな』と思いました。ユーモアがあってやさしくて、いつも相手を楽しませようとしている人たちなんです。言葉も、まるで音楽を聴いているみたいでとてもきれいだな、と感じました。この人たちと話ができたら楽しいだろうな、この言葉をしゃべれるようになりたいなと強く思いました」
「それからの学生時代は、田舎のおばあちゃんの家に遊びにいく感じで、インドのその一家を何度も訪ねました。私がうまくチベット語を話せないのに、耳で聞いた言葉をいつもノートにメモしていたので、『新聞記者に憧れる幼稚園児のようだね』とからかわれたこともありました」

 ――チベット語は、世界でどれぐらいの人に使われていますか。

 「中国国内ではチベット自治区、青海省、四川省、雲南省などのチベット高原と呼ばれている平均標高4千メートル以上の地域を中心にして、中国以外ではインド、ブータン、ネパール、パキスタンなどで計600万人ほどの人が使っているとされます。欧米などに移住したチベット人十数万人も使っています。広大な地域のため方言は多様で、大雑把に分けると六つのグループがあります。それぞれが別の言語と言ってもいいぐらい違っていて、その中でまた方言が分かれている。ただ、それぞれの方言を文字にすると、読んでお互いに意味が通じる部分が多いです」――文法には、どのような特徴がありますか。

 「語順は日本語とよく似ていて、主語+目的語+動詞の基本的な構造になります。助詞や接続詞の位置も似ているので、音だけだったら、日本語の話者にとってはとても勉強しやすい言語です。日本語を思い浮かべながら単語を並べていくだけでも文はできます。ただ、形容詞や指示詞が名詞の後ろに来るのが違うところです。例えば、日本語なら『その+有名な+お寺』と表現するところをチベット語では『お寺+有名な+その』となります」

 「面白いのは、チベット語に『ウチ』と『ソト』の文末表現の使い分けというのがある点です。話題の事柄が、話者自身にとって関係の深い事柄かどうかを明示する言語形式があるのです。同じ事柄でも『ウチ』と『ソト』の文末表現を使い分けるので、その使い分けから、話者が事態をどう見ているかがわかったりします」

 ――チベット語を勉強したいと思ったら、どのように始めたらいいでしょうか。

 「他の言語ほど教科書が多くはないのですが、まずは教科書を手にとって、音声を聞きながら発音を耳になじませていってほしいと思います。チベット文字は7世紀ごろに成立して長い歴史があるのですが、昔のままのつづりを1千年ぐらい使い続けているため、現在の実際の発音との乖離(かいり)が大きくなって、発音しない文字も多くなっています。ですので、文字を習得するのは容易ではなく、もし初学者が文字から始めると挫折してしまうことが少なくありません。まずは、発音から入っていただければと思います。その上で文字に入り、書き言葉を学ぶようになれば、方言の違いを超えて共通の部分が多い書き言葉は、広大なチベット文化圏へのパスポートとなるでしょう」

 ――独学では難しそうな気もしますが。

 「いろいろなところで初学者向けのチベット語講座がありますし、今はオンラインの講座もあります。ただ、学習を続けるのは容易とは言えないので、まずは勉強仲間を作るということを一つの目標にしてもいいかもしれません。私も一緒に学んだ人たちとよく読書会や翻訳会をしましたが、それが後にチベット文学の翻訳につながっていきました。チベット人留学生と交流したり、チベット人が開いている料理店で店主に話しかけてみたりするのもいいですね」
● 写真展「Letter from Uyghur」~ウイグルからの手紙~開催 5月7日(土)~22日(日)開催(15日は休み)
マサムネ | URL | 2022/05/08(日) 08:28 [EDIT]
ヤギケンジの写真展「Letter from Uyghur」~ウイグルからの手紙~「美しくも哀しい歴史をもつウイグル民族、真の姿がここにある。」が、5月7日(土)~14日(土)・15日(休み)5月16日(月)~ 22日(日)東京ジャーミイ・トルコ文化センター(多目的ホール)にて開催される。



写真展「Letter from Uyghur」 HP

https://sproutsvision.jimdofree.com/



写真家ヤギケンジが1980年代後半から1990年代、4度に渡り撮影したウイグル民族の自然な暮らしを捉えた写真作品30点と、詩人ムカイダイスとコラボした作品8点。さらにウイグル人権問題の経緯、歴史年表、地図・基礎情報のパネル数点を展示。ウイグル民族とはどの様な人々か、そしてこの地で深刻な人権侵害がこの同時代に継続していることを、写真と詩を通じて日本に伝える。

ウイグルの歴史、人権問題
ウイグル民族はユーラシア大陸のほぼ中央、シルクロードとも言われてきた東トルキスタン(現“新疆ウイグル自治区”)を中心に暮らす、独自の歴史と文化を持つイスラム教を信仰する人々。8~9世紀に約100年継続した「ウイグル可汗国」、9~13世紀に約300年繁栄した「天山ウイグル王国」と「カラ・ハン朝」、16~17世紀に165年繁栄した「セイディア汗国」を建国。こうした独立のウイグル国家は18世紀から清朝の支配下におかれ、1884年に「新しい領⼟」を意味する「新疆」という名前が付けられた。それでもウイグルの反抗が途絶えず1933年と1944年に「東トルキスタン共和国」として独立国家を設立。しかし1949年に再び中国人民解放軍の侵略により、共産党支配下に置かれ、1955年に「新疆ウイグル自治区」という名前が付けられ、自治区と称しながら実質的に自治権がない場所となった。(出典:日本ウイグル協会・ウイグルレポートより)ウイグルにおける人権問題も長い歴史を背負い、この5年間では新疆ウイグル自治区の「再教育施設」と称した強制収容所では、多くのウイグル民族が収容され、言われのない罪と虐待を受けている。

ヤギもこの数年、ウイグルの状況に警鐘を鳴らす情報「強制収容所・強制労働・断種ジェノサイド」を断片的に受け取り、自分の無力さを感じるばかりであった。しかしこのコロナ禍、自宅待機中に撮影した30年前の写真を整理し、自分の内なる声にもう一度写真家として再起し、声なき者たちの声を届ける決意した。

彼らの本来の姿から、あなたの答えが見つかる

アクセス

東京ジャーミイ・トルコ文化センター(多目的ホール)

https://tokyocamii.org/ja/access/



東京ジャーミイ・トルコ文化センター

https://ima.goo.ne.jp/column/article/6909.html?page=2



NAOさんブログ   

http://blackholm.livedoor.blog/archives/12506081.html



写真展「Letter from Uyghur」 HP

https://sproutsvision.jimdofree.com/



ABGギャラリー

https://americabashigallery.com/letter-from-uyghur/



【Amazon】Letter from Uyghur ~ウイグルからの手紙~ Kindle版(英語版・English Edition)https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A6
● 神戸学院大学の岡部芳彦教授この4月刊行ご高著『日本・ウクライナ交流史1937-1953年』(神戸学院大学出版会)
マサムネ | URL | 2022/05/08(日) 09:03 [EDIT]
福田充 Mitsuru Fukuda
@fukuda326
4月21日
神戸学院大学の岡部芳彦教授がこの4月に刊行されたご高著『日本・ウクライナ交流史1937-1953年』(神戸学院大学出版会)をご恵投くださいました。ロシア軍のウクライナ侵攻で悲しいタイミングではありますが、ウクライナを知る重要な文献です。
篠田英朗 Hideaki SHINODA
@ShinodaHideaki
4月21日
ウクライナに魅了され、交流した岡部教授の先人にあたる日本人たちの記録。1930年代に宇独立運動を支援した日本人、極北の収容所でウクライナ人とともに死を覚悟して蜂起した日本人拘留者・・・。容易には見つからない資料を丹念に探索され、分析される姿勢に頭が下がる。
● 管理人のみ閲覧できます
| | 2022/05/09(月) 09:28 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
● ワセダ
マサムネ | URL | 2022/05/09(月) 19:53 [EDIT]
清水ともみさんがリツイート
三木慎一郎
@S10408978
2022年5月8日
「中国共産党は中国人民の幸福の増進に確実に実績を上げた」
2021年🇨🇳CCTVのインタビューで答える早稲田大学第12代総長(1982-1990)の西原春夫氏。
早稲田大学が日本で一番留学生が多い理由がコレです。
現在の早稲田大学中国人留学生数は約3,300人。
三木慎一郎
@S10408978
2021年9月13日
早稲田大学12代総長
西原春夫講演会
「日本人は周辺の国々、人々に大変な損害と屈辱を与えてきた。恨みは三代続くと言われている。
したがって、日本人は三代続けて償いをし続けていかねばならない」
いわゆる親中と呼ばれる人達や、日中友好関連の人達の頭の中はこんな感じだから救いようがない。
https://twitter.com/i/status/1437187933887336448

フィフィ
@FIFI_Egypt
2022年5月8日
米国留学が困難になった中国人学生は日本を目指す、早稲田大学が積極受け入れ姿勢
https://recordchina.co.jp/b893135-s38-c30-d0198.html

正直、日本の学生からしたら複雑ですよね。外国人には補助金から返還不要の奨学金も出ますし、お得にレジデンスにも住めます、しかも、日本を威嚇して敵対視する国の若者でも優遇されるのに…
● ウクライナ侵攻 幼なじみを憂えるロシア人僧侶 2022/5/6
マサムネ | URL | 2022/05/12(木) 10:27 [EDIT]
本堂で般若心経を唱えるヴォルコゴノフ慈真さん。「一つでも衝突を減らすためにできることをしたい」と語る=大阪市平野区の如願寺で2022年4月27日午前11時41分、花澤茂人撮影
 ロシアのウクライナ侵攻に心を痛めている青い目の僧侶が大阪にいる。聖徳太子の創建とされる真言宗御室派の古刹(こさつ)・如願寺(大阪市平野区)のヴォルコゴノフ慈真(じしん)さん(32)。ロシア極東ウラジオストクの出身だが、縁あって仏道を歩む。「少しでも早くこの戦いが終わってほしい」。ウクライナからドイツに逃れた幼なじみを気に掛け、一方で緊張感高まる故郷を思いながら、自分にできることを自問自答する日々だ。

 今年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻の報を聞き大きなショックを受けた。「歴史的にもつながりが深くとても近い存在。本当に戦争が起こるなんて」。幼なじみの女性はウクライナ人男性と結婚し、2013年にあった結婚式の際には慈真さんも首都キーウ(キエフ)を訪れた。「美しい町でした。ロシア人の僕にも、誰も嫌がらせなんかしなかった」。その友人はキーウ近郊のフメリニツキーで暮らしていたが、侵攻開始直後に出張中だった夫から「すぐに逃げろ」と言われ、子どもたちとドイツに避難したという。「でもご主人はウクライナに残っている。さぞ心配でしょうね」と思いやる。

 慈真さん自身、侵攻開始とほぼ時を同じくして、2人の子どもを連れ故郷に帰省した。
● タイ政府、大麻草100万本を全土の世帯に無料配布 2022.05.12 Th
マサムネ | URL | 2022/05/13(金) 06:08 [EDIT]
タイのアヌティン・チャーンビラクル保健相=2月8日、タイ・ノンタブリ県/Sakchai Lalit/AP

(CNN) タイ政府は家庭での大麻栽培を認める新ルールの制定を記念して、6月に大麻草100万本を全土の世帯に無料で配布する。保健相がフェイスブックへの投稿で明らかにした。

タイのアヌティン・チャーンビラクル保健相は8日の投稿で、大麻草を自家栽培の作物のように育ててもらいたいと表明した。

6月9日に施行される新ルールに基づき、大麻草は地元自治体に届け出を済ませれば自宅で栽培できるようになる。ただし栽培できるのは医療用の大麻に限られ、免許がなければ商業目的で大麻を使用することはできない。

タイは大麻を換金作物として普及させる計画を推進しており、2018年には東南アジアの国として初めて、医療用大麻を合法化した。

大麻に関する自治体の条例も緩和されている。飲料メーカーや化粧品会社は昨年、消費者製品への使用が認められたことを受け、大麻や大麻から抽出されるCBDという成分を使った製品を相次ぎ発売していた。

アヌティン保健相は10日、企業が登録すれば、気分を高揚させるテトラヒドロカンナビノール(THC)という成分を含有した製品も販売できるとフェイスブックで発表。「これで国民と政府は、マリフアナと大麻から年間100億バーツ(約370億円)以上の収益が得られる」と書き込んだ。
● コロナ変異株に有効 富山大のスーパー中和抗体 2022/5/12
マサムネ | URL | 2022/05/14(土) 14:32 [EDIT]
富山大は12日、新型コロナウイルスから回復した患者の血液を基に作った「スーパー中和抗体」が、オミクロン株を含むさまざまな変異株に対して有効だと動物実験で確認したと発表した。今後出現する変異株にも効果が期待できるといい、重症化を防ぐ治療薬として実用化を目指す。成果は11日付の国際専門誌に掲載された。
スーパー中和抗体は、回復した新型コロナ重症患者のうち、特に強い中和抗体を持つ人の血液から人工的に作った抗体。ウイルスの特定の部分に結合し、人などの細胞に侵入するのを防ぐ。この部分は感染時に重要な役割を果たしている。

富山大などの研究チームは、スーパー中和抗体を投与したハムスターと、人工の疑似ウイルスを使った実験で、これまでに流行した全ての変異株に対し感染を防ぐ効果があることを確認した。実用化に向けては研究機関や製薬会社などと協力する方針。
● 地方議員がロシア・中国問題をあえて叫ぶ理由 2022/5/14
マサムネ | URL | 2022/05/15(日) 12:17 [EDIT]
大阪府泉南市の添田詩織議員。中国の人権弾圧の問題点などを積極的に訴えている(渡辺大樹撮影)
ロシアのウクライナ侵攻や中国の覇権主義的な動きなど、混沌(こんとん)とする国際情勢の中、関西の若手地方議員らが「国を守る」ことを主眼とした世論喚起に力を入れている。根底にあるのは、国がなければ、そもそも地方は存在しないとの強い思いだ。「地方議員の本分ではない」との批判もあるが、ロシアのウクライナ侵攻によって中国の問題は関心が高く、市民の理解は深まりつつあるという。
「関心は私への偏見でもいい」
「今はおしゃれでかわいい服がすごく安い価格で買えますよね。でも、それはウイグル人が労働を強制されている工場で作られた製品かもしれないんです」

4月上旬、大阪・ミナミの繁華街。大阪府泉南市の添田詩織市議(33)が通行人らに訴えた。中国による人権侵害が指摘される新疆(しんきょう)ウイグル自治区産の「新疆綿」を使用していると疑われたアパレルメーカー名を挙げると、足を止める人の姿が見られた。

この日に行われていたのは、中国の人権弾圧に抗議する集会。日本在住のウイグル人や「ウイグルを応援する全国地方議員の会」のメンバーらが参加し、添田氏は同会の代表理事を務める。

異色の経歴で「DJ議員」としても知られる添田氏。タトゥー(入れ墨)を入れていることも公表しており、「私に対する偏見からウイグル問題を知ってもらっても構わない」との覚悟で臨む。

イスラム教徒のウイグル人が住む中国西部の同自治区では、近年、中国当局による強制収容や拷問などが行われているとの報告が相次ぎ、米政府が「ジェノサイド(民族大量虐殺)」と認定。収容先の施設で組織的な性的暴行があったと証言するウイグル人女性もいる。
海外で暮らすウイグル人が現地で拘束されたり、中国へ強制送還されたりするケースも。日本に留学するウイグル人の大学生らも就労できなければ、ビザ(査証)の関係で帰国せざるを得ないが、待ち受けているのは収容の恐怖だ。

「新型コロナウイルス禍で就職がままならない留学生が多い。雇ってもらえる企業を探すのも地方議員の役目だ」と添田氏。「みすみす帰国させてウイグル人の身を危険にさらしては、申し訳が立たない」。

ウイグル問題に積極的に取り組む一方、有権者から「地元と関係があるのか」と批判気味に言われることも少なくないという。

添田氏は地元のまちづくりや課題解決に注力した上での活動だとして「ウイグルに関心を寄せることは中国の侵略・脅威に対抗する意思表示。国防は最大の福祉であり、市民や国民の利益に資する」と強調。ウクライナ侵攻を受け、理解は広がりつつあると語った。

台湾との交流は中国への牽制
「親台派」で知られる神戸市の上畠寛弘(のりひろ)市議(34)も世論喚起に注力する地方議員の一人。神奈川県鎌倉市議時代にも、台湾の国際機関への正式加盟の支援を求める意見書や台湾出身者の戸籍表記を「中国」から改めさせる意見書採択を主導した。
「台湾との草の根交流は中国への牽制になる」と訴える神戸市議の上畠寛弘氏(本人提供)
昨年11月に神戸市で開かれた日台地方議員の友好関係を深める「日台交流サミット」でも実務面を取り仕切り、「日台関係基本法」の制定などを提言した「神戸宣言」を採択に導いた。上畠氏は「台湾との草の根交流を深めることは、中国への牽制(けんせい)になる」とみる。

神戸市には、三菱重工業や川崎重工業など防衛産業に関わる工場が立地するが、防衛装備品の需要は国内では自衛隊に限られ、受注規模や利益率も決して高くない。

上畠氏は、地場産業活性化の観点から「自由と民主主義の価値観を共有する台湾や米国などに輸出できないか」と提言する。量産効果として開発コストの削減が期待できるほか、企業が潤えば、地元の雇用創出にもつながるというわけだ。

「国民に最も近いのは基礎自治体の議員。郷土のためにできることはたくさんある」とも主張。「神戸市も含めて日本だと改めて認識しておきたい」と力を込めた。(矢田幸己)
● 2019.05.04 池袋西口の中華『新珍味』はなぜ台湾独立運動の聖地となったか 店主は100歳の台湾人革命家・史明
マサムネ | URL | 2022/05/15(日) 18:02 [EDIT]
台湾独立運動の資金を蓄えるために店を開いた
史明は1918年、日本統治時代の台湾・台北で生まれた。

早稲田大学に進学し、マルクス主義に覚醒したことで「植民地支配からの台湾の解放」を希求するようになり、1942年、卒業と同時に中国へ渡り中国共産党のスパイとして暗躍する。やがて鄧小平に引き立てられ中国人民解放軍幹部への道を歩むが、共産党の実態に絶望して台湾へ逃亡。折しも台湾では国民党政府による反体制派に対する弾圧の嵐が吹き荒れており、圧政を敷く蔣介石の暗殺を企てる。だが計画が露呈して指名手配され、1952年、バナナ輸送船に乗って命からがら日本へ亡命した──。

『新珍味』はその史明が、自活しつつ台湾独立運動の資金を蓄えるために開いた店だった。厨房で腕をふるうかたわら、階上の自室では台湾独立をめざす勉強会を開き、台湾通史の決定版として今も読み継がれている『台湾人四百年史』を執筆した。同書は、庶民の視点に立って書かれた初めての台湾史のテキストで、台湾人が「自分は中国人ではなく、台湾人なのだ」と自覚する大きな原動力となった。台湾を「事実上の独立国」とする見方もあるが、日本による植民地統治が敗戦で終了すると、入れ替わるように中国から、蔣介石と中国国民党政権が台湾に侵攻し、外省人(中国人)による台湾支配が21世紀まで続いたことを理解する必要がある。

いくら民主化が進み、民主進歩党(民進党)政権が誕生しても、国家のシステムは外来の「中華民国」を引き継いだまま。しかも「中華人民共和国」との政治的対立から、台湾が“国”として外交承認されず、国際社会から閉め出されている状態が今も続いている。

「このままではいずれ、狡猾な中国に呑み込まれる。『中華民国』という不正常な状態を是正して真の独立を果たさない限り、台湾の未来はない!」というのが史明の考えなのだ。

池袋の戦後復興マーケットのバラックで開店
史明は日本に亡命した1952年にまず、東京八丁堀で間借りのギョウザ店を営み、翌1953年に池袋西口のバラックへ移転。1954年に現在地で店をオープンした。

「池袋界隈は早稲田留学時代から縁の深い土地でね。戦前はのどかな郊外住宅地で、台湾人の教員や学生も多く住んでいた。早稲田で教鞭をとっていた社会学者の呉主恵(ご・しゅけい)や哲学者の郭明昆(かく・めいこん)も池袋在住で、彼らのもとをよく訪れていたから土地勘があった。ただ商業は池袋より、三業地(花街)のある大塚のほうが栄えていたな」

池袋西口には戦後、焼け跡に闇市を起源とするいくつもの戦災復興マーケットが生まれ、1960年代まで賑わった。都市史学者・建築史家の石榑督和(いしぐれ・まさかず)氏によると、特に仁栄マーケット、永安公司といった華僑系のマーケットが繁盛し、史明も「羊肉や中華食材が容易に調達できた」と話していることから、池袋西口の華僑ネットワークがビジネスの基盤作りに役立ったようだ。さらに、池袋近郊の旧成増陸軍飛行場が連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収され、米空軍の家族住宅『グラント・ハイツ』(現・練馬区光が丘一帯)になったことも大きいと話す。史明が日本へ亡命した年にGHQの占領は終了したが、米軍は引き続き駐留した。

「約1,300世帯が住むグラント・ハイツで、多くの日本人や台湾人、朝鮮人が運転手やメイドとして働いていて、彼らは西口マーケットの顧客でもあった。ちなみに、“戦勝国=中華民国籍”になった台湾人はハイツ内のPX(進駐軍専用商店)で自由に買い物ができたから、日本人の立ち入りが禁じられていたPXで商品を仕入れ、マーケットで転売して儲けた連中も多かった」。

とはいえ、池袋西口が「新チャイナ・タウン」として変貌するのは1990年代以降のこと。東京中華街促進会の胡逸飛(フー・イーフェイ)理事長によると1980年代、改革開放政策の波に乗って中国から「新華僑」が集まるようになり、池袋に日本語学校が続々開校する。1991年にオープンした中国系食材店『知音(ちいん)中国食品店(現・中国食品友諠(ゆうぎ)商店)』が当たると、周辺に『池袋陽光城』『聞聲堂(ウェンションタン)中国書店』など新華僑経営の店舗が集まり、2000年代に「新チャイナ・タウン」が形成されるようになったのだ。

史明によると1980~90年代は、留学名目で訪日したあと故意にオーバーステイし、不法就労で稼ぐ中国人が多かった。今のトキワ通りのあたりは戦後、私娼たちが客引きをする”青線地帯“となっていて、80年代以降は留学ビザでやって来た相当数の中国人女性が売春していたという。
右翼も左翼も公安警察もヤクザも集う
史明が早稲田留学時代、文学やクラシック音楽、歌舞伎を通じて幅広い交友を持った縁から、『新珍味』は文化人が集うサロンの側面もあった。

「作家の武者小路実篤には留学時代にずいぶん可愛がってもらい、戦後も交流が続いた。『新珍味』にも何度となく立ち寄ってくれ、『四百年史』を上梓するときに題字を揮毫してくれたのは武者小路だ。文学研究者の柳田泉をはじめとする坪内逍遥の弟子たち、美術史家の逸見梅栄(へんみ・ばいえい)、作家の開高健なども常連で、彫刻家の平櫛田中(ひらくし・でんちゅう)も来てくれたなあ」。

また、総合出版社の光文社が池袋3丁目に本社を構えていた時代は、同社の編集者や記者の溜まり場だったという。

史明は1975年まで「極左」と呼ばれ、武力革命も辞さないスタンスで台湾独立を目指していた。その影響で『新珍味』には彼の台湾独立運動に共鳴する若い台湾人たちが集い、日本赤軍や国鉄労働組合(国労)の幹部、東京大学教授の宗像誠也(むなかた・せいや)といった反権力の左翼人士がギョウザを食べながら、階上の大部屋で激論を交わしていた。

面白いことに、左翼だけでなく右翼も『新珍味』の常連だったという。史明は戦前、五・一五事件で犬養毅首相を暗殺した元海軍中尉で国家主義者の三上卓(みかみ・たく)と交流があった。三上は戦後、野村秋介ら弟子たちと『新珍味』を訪れては「彼らの面倒を見てやってくれ」「少し食わせてやってくれ」などと頼んだらしい。
昼はギョウザを焼き、夜は台湾独立の地下工作に傾注し、左翼や右翼の過激な連中とも関わりを深めていく史明──。傍目にも怪しい彼が公安の監視対象だったことは疑いなく、事実、公安調査庁初代長官の藤井五一郎、内閣安全保障室(現・内閣官房国家安全保障局)初代室長の佐々淳行(さっさ・あつゆき)は自ら『新珍味』を訪れ史明と接触し、日本がいかにして台湾や中国と関わっていくべきかといった観点から史明に意見を求めて来た。

「彼らの態度は常に紳士的だったが、そこは腹の探り合いだ。俺も、話せることは隠さず何でも話したが、守るべきことは徹底して秘匿した。同時に、日本の公安幹部が持つ情報を収集する機会にもなった」。

警察にとっても、池袋西口の顔役で華人社会にも精通する史明は一目置くべき存在。池袋警察署長は就任のたびに史明のもとへ挨拶にやってきたという。

その一方で史明は、地元のヤクザとの義理も欠かさなかった。

池袋西口はテキ屋(露天商)系指定暴力団の極東関口会(現・極東会)が縄張りとしているが、史明は20年以上にわたって毎年正月に「松竹梅」(宝酒造)の樽酒を差し入れていた。店を守る手段でもあったのだが、同時に顔なじみのヤクザたちは『新珍味』の常連になっていく。史明は「うまい酒を飲み、うまいメシを食っているときは、左も右も警察ヤクザも関係ない。そこが面白いじゃないか」と屈託ない。
2階はバー、5階は本気の爆弾製造工場
「サントリーの角瓶なら2人で1本、ジンなら1人で1本、毎晩のように空けていた」という史明の酒好きが高じ、『新珍味』は一時期、2階をバーにしていた。

簡単なカウンターをしつらえたその空間に、彼は『バー・ゼーランディア』と名付ける。ゼーランディアは、オランダ統治時代の1624年にオランダ東インド会社が台南に築いた城塞で、観光名所になっているゼーランディア城(安平古堡)のことだ。「“池袋モンパルナス”の名残で、戦後も池袋界隈のアトリエ村には有名無名の画家たちが住んでいたから、彼らが中心となってバーを盛り上げてくれたよ。はっきり憶えてはいないが、画家の熊谷守一やセツ・モードセミナーを開いた長沢節などが通ってくれたように思う」

多彩な交友を重ねながらも、史明は『新珍味』が台湾独立運動の拠点であることを片時も忘れない。身銭を切って在日台湾人や台湾在住の若者ら延べ1000人を『新珍味』で受け入れ、革命成就を目指す秘密の勉強会や、テロリストとして養成するための具体的な訓練を施していた。特筆すべきなのは、史明が『新珍味』の5階で爆弾を自作していたことだ。

台所の一部を改造し、日本赤軍のメンバーの助言を受けながら黒色火薬や塩素酸ナトリウム、爆薬火薬などを調達したという。

「爆竹の火薬を利用したこともあった。作った爆弾は、日本から尖閣諸島経由で密航した同志が台湾に持ち込み、密かに実験をしてから軍用列車爆破などのテロ活動に使った。台湾独立運動の主戦場はあくまで台湾本島だから、俺自身が台湾に密航したこともあるよ」

1970年代は日本でも、連続企業爆破事件のような左翼組織によるテロ活動が頻発していた。時代の空気とはいえ、池袋駅前の繁華街で繁盛する中華料理店が爆弾工場だったことは驚きだ。爆弾を作った『新珍味』の5階はのちに改装されたが、史明が起居していた4階は今も当時のまま保たれている。台湾とは敵対する中国出身の店長、2号店も視野
金田店長が『新珍味』にやって来たのは2010年。彼は文化大革命真っ只中の1968年に中国東北部の遼寧省瀋陽で生まれた中国人だ。中学卒業後に調理師となり、30歳で来日。各地の中華料理店で腕を奮い、日本国籍も取得した。

史明は台湾へ本帰国したあとも、店の経営を確認するため毎年2ヵ月間、『新珍味』に滞在。金田店長にも厨房で手ずから指導した。

「中国の脅威に立ち向かう台湾人革命家の史明先生が、中国出身の私を雇うのは不思議だよね。でも先生は『俺が批判しているのは、中国共産党や中国の一党独裁体制。個々の中国人と政治は別ものだ』ときっぱり。中国人のアルバイトなどにも分け隔てなく接していたよ」史明の面倒見のよさはよく知られていた。刑務所に収監されていた台湾人ヤクザの身元引受人になって店で雇用したり、身寄りのない少年院上がりの若者を店員に招き入れたりしたことも一度や二度ではない。

もっとも、30年来の常連のM氏によると史明の指導は厳しかったという。

「昔は気が短かったから、厨房でしょっちゅう当時の店長と衝突していた。『ハイは1回だけでいい!』も口癖だった。それでもひと仕事を終えると、カウンター右端の指定席に座ってオレたちと遅くまで杯を傾け合ったものだ」

トレードマークの白髪とヒゲから「仙人」の愛称も。店内に史明の姿がない夜は常連から「仙人はどうしているの?」「あれ、今日は仙人がいないね」などの声が飛び交ったという。

「そんな史明先生が『新珍味』に来なくなって久しいけれど、今も先生を慕って店に通い続ける客は多いし、台湾人の立ち寄りも増えている。その影響力の大きさを日々実感するね」と金田店長。彼は目下、向こう2年以内に新宿か上野で2号店をオープンし、史明の革命精神が詰まった味を広めていこうと画策中だ。
● 中共に対し「強く気高く、善意に基づき困難な決断を下せる国だと信じている」とザリツカさんは訴えた。
マサムネ | URL | 2022/05/16(月) 09:46 [EDIT]
中国主席に支援要請 包囲された兵士の家族ら―ウクライナ
2022年05月15日【キーウ(キエフ)AFP時事】
ロシア軍の包囲攻撃が続くウクライナ南東部マリウポリのアゾフスタル製鉄所から逃げられなくなった兵士たちの家族らが14日、キーウ(キエフ)で記者会見し、中国の習近平国家主席に支援を求めた。兵士の父スタウル・ビチニャクさんは「どうか介入してほしい」と中国に要請した。兵士の妻5人と共に会見に臨んだビチニャクさんは「世界にたった一人、頼れる人物がいる。それは中国の指導者だ」と強調。「ロシアに対する影響力は大きく、プーチン(大統領)とも個人的に親しい」と指摘した。家族らは負傷兵や遺体の搬出を求めており「休みなく続く攻撃の下、部隊は地獄で暮らしている」と訴えた。兵士らを安全な場所へ連れ出すため「必要な措置を取ってほしい」と習主席に懇願した。
 兵士の妻の一人、ナタリア・ザリツカさんは「陸海空から」攻撃を受けていると訴える夫からのメッセージを受け取った。ロシアは「拷問のような苦しみ」を与え続けるため、包囲を長引かせていると夫は述べているという。
 中国に対し「強く気高く、善意に基づき困難な決断を下せる国だと信じている」とザリツカさんは訴えた。一方で世界に「沈黙しないでほしい。この破壊を止めてほしい」と呼び掛けた。
● ウクライナ代表が欧州音楽祭優勝 一般投票で圧倒的支持 2022/5/15
マースレニツァ | URL | 2022/05/16(月) 12:34 [EDIT]
14日、ユーロビジョンで優勝したウクライナ代表グループ「カルシュ・オーケストラ」のメンバーら=イタリア・トリノ(ゲッティ=共同)
欧州最大級のポップ音楽コンテスト「ユーロビジョン」の決勝が14日(日本時間15日)、イタリア北部トリノで開催され、ウクライナ代表のヒップホップバンド「カルシュ・オーケストラ」が優勝した。同国代表の優勝は6年ぶり3回目。審査員投票では4位だったが、一般投票で圧倒的な支持を獲得した。「カルシュ・オーケストラ」はウクライナの民俗楽器の音色とヒップホップを組み合わせたバンド。母親への愛と感謝の気持ちを歌詞に込めた曲「ステファニア」を披露した。ロシア軍によるウクライナ侵攻後、SNS(交流サイト)などでこの曲の歌詞を自国と重ねるウクライナ人が増えている。

メンバーの1人は演奏後、「ウクライナを、マリウポリを、アゾフスタリ(製鉄所)を今すぐ助けてください」と呼びかけた。東部マリウポリのアゾフスタリ製鉄所はロシア軍に包囲され、ウクライナの部隊が抵抗を続けている。

ユーロビジョンは今大会で66回目。ウクライナ代表は2004、16年の2回優勝している。一方、ウクライナ侵攻によりロシア代表の参加は禁じられた。(本間英士)

欧州最大級の音楽祭で優勝したウクライナのスター、ジャマラが世界に訴えたいこと 名曲「1944年」で歌った迫害が再び繰り返されている。
ドイツ・ベルリンで開催されたコンテストの舞台で歌うジャマラ=3月(AP=共同)

 ウクライナを代表する歌手、ジャマラ(38)の生活は、ロシアの侵攻で一変した。幼い2人の息子を抱え、トルコ・イスタンブールに避難した。彼女は旧ソ連時代に迫害されたウクライナ南部クリミア半島の先住民族タタール人だ。戦渦が広がる中、民族の悲劇の歴史を歌った彼女の歌が、再び共感を集めている。本人に胸の内を聞きに行った。(共同通信=橋本新治)

 ▽トルコ人の助手もファンだった

 「あのジャマラがイスタンブールに避難している」。イスタンブールで勤務している私に、トルコ人の助手が教えてくれた。ジャマラは欧州最大級の国別対抗音楽コンテスト、2016年の「ユーロビジョン」を「1944年」という曲で制した。トルコでもユーロビジョンの人気は絶大。助手はジャマラのファンだった。

 歌手、作曲家、俳優として多彩な才能を持つジャマラ。音楽にはソウル、ジャズ、フォークといったさまざまな要素が入り交じり、優しい声が持ち味だ。助手はいかに素晴らしい歌手かを力説してくれた。音楽シーンに疎く、知らないことばかりだった私も「1944年」の意味や、彼女の生い立ちを聞くうちに、そんな人生があるだろうか、と引かれていった。

 ▽ソ連に強制移住させられた曽祖母を歌った曲
 曲は、独裁者スターリン時代の第2次大戦中、タタール人がウクライナ・クリミア半島から中央アジアに強制移住させられた史実を描いている。

 歌詞には英語とタタール語が混在する。「見知らぬ人がやってくる、あなたの家にやってくる、みんなを殺して、そして言う、俺たちに罪はない、罪はない」で始まる。見知らぬ人とはソ連兵を指す。ジャマラの曽祖母が体験した悲劇だった。

 突然やってきたソ連兵が曽祖母を家から追い出し、5人の子どもと共に貨物列車に押し込んだ。ウズベキスタンに向かう家畜用の車両だった。息苦しく、水もなかった。まだ赤ちゃんだった末っ子の娘が死んだ。曽祖母は遺体を守ろうとしたが、兵士が取り上げ、車両から投げ捨てた。その場所がどこなのか、今も分からない。この赤ちゃんは、ジャマラにとって祖父の妹にあたる。

 ▽偶然が重なり、インタビューにこぎつけた
ジャマラに魅せられた私だったが、問題はどうすれば会えるか。欧州のスター歌手との接点は何も思いつかなかった。ただ、そこへ偶然が重なった。

 クリミア・タタール人の指導者ムスタファ・ジェミレフ氏(78)がイスタンブールに来ていたのだ。彼はタタール民族運動のレジェンド。私は侵攻前にウクライナに出張し、ジェミレフ氏をインタビューしたばかりだった。彼女の連絡先を知っているに違いないと思い、会いに行った。

 再会を喜んでくれたジェミレフ氏は、実はトルコから新たな軍事支援を取り付けるため、ゼレンスキー大統領から派遣され、エルドアン大統領に会いに来た、と明かしてくれた。気軽にお茶を飲みに来たつもりだったが、そのままインタビューに。最後にジャマラの連絡先を尋ねると、すぐに取り次いでくれた。

 取材当日、ジャマラは待ち合わせ時間に少し遅れてやってきた。「ごめんなさい。子どもがなかなか寝てくれなくて」。取材中、質問を聞くときを除き、ほとんどうつむいていた。疲労困憊であることは明らかだった。

 申し訳ないという気持ちで一杯になったが、彼女はメディアを通じて訴えたいという、自分自身に課した責務を果たそうとしているようだった。ジャマラは、侵攻当日の様子から語り始めた。

 ▽国境に送り届けてくれた夫は自国に残った

 ロシアがウクライナに侵攻してきた2月24日、ジャマラは曽祖母と同じように突然、首都キーウ(キエフ)の自宅を追われた。午前5時ごろ爆音が響き、息子2人を抱いてシェルターに逃げた。どうやって荷物をまとめ、何を持って行けばいいのか、何を着るべきか、一切分からなかった。欧米諸国が「ロシアが攻撃する」と警告していたが、気にも留めていなかったという。

 もう少し自宅にとどまって様子を見ようかと思ったが、事態は刻一刻と悪化していった。24日夜、子ども2人、夫、夫の両親と車でキーウを離れた。数日かけてルーマニア国境までたどり着き、そこから姉が暮らすイスタンブールに向かった。夫はジャマラたちを国境まで送り届けると、来た道を戻っていった。
コーヒーが好きな夫はウクライナで仲間とコーヒーチェーン店を営み、世界に五つしかないという高価なコーヒーマシンを自慢していた。

 しかし、日常は一変。今は兵士に防弾チョッキやヘルメットを運び、女性や子どもたちの避難を手助けする日々だ。

 ジャマラも侵攻前日まで、音楽人生の集大成となるアルバム制作に没頭していた。オーケストラを使った壮大な作品で、グラミー賞も狙えるのではないかと心を躍らせていた。「あっという間に全てが粉々に壊れた。今となってはどうでもいい。とにかく夫に生きていてほしい。私のウクライナが勝利し、ここから抜け出したい」

 ▽「私たちの民族はなぜこんな経験を」

 1983年、ジャマラは中央アジアのキルギスで生まれた。父は音楽学校でアルメニア系の母と出会った。父は合唱団の指揮者、母はピアニストだった。家族がクリミアに帰還できたのは90年ごろ。音楽一家に育ったジャマラはキーウの音楽院でオペラを学び、歌手の道を歩んだ。「どこで生まれたかどうかは大切ではない。大切なのは祖先のルーツはどこから来ているかだ。私はキルギスで生まれたけれど、祖国はクリミアだ」

 ロシアが2014年にクリミアを強制編入して以来、ジャマラは故郷に帰っていない。そしてウクライナが戦場となった。「信じられないほど悲しい。なぜ私たちの民族はこんな経験をしなければならないのか。ようやく家を建てたのに、捨てて出て行かなければならない。これで何回目だろう。もう一度、全てゼロからスタートしなければならない」

 「1944年」は欧州で再び注目を集めている。ジャマラはウクライナ支援の寄付を集めるため欧州各国を飛び回っている。ドイツやルーマニアの音楽イベントで、曽祖母の苦難を歌った。「私の家族の物語だった。その歌詞が今、現実になった。みんなの物語になった。当時と似た歴史をたどっている」

 今はとにかく時間がないという。息子たちが小さく、育児も忙しい。メディアのインタビュー依頼も多い。それでも疲れ果てた自分を奮い立たせている。

 「歌う必要があるなら歌う。話す必要があるなら話す。世界に向かって支援を求め、叫ぶだけだ。私は今できる限りのことをしようと思う。この戦争を言葉で、歌でどうやって止められるか」

2021-12-16
ジュニア・ユーロビジョンのオランダ代表は日本人!
ユーロビジョン・ソングフェスティバルは毎年欧州各国で開催されてるが、こちらはジュニア部門。各国から選ばれた少年・少女が歌を競うもので、2021年のオランダ代表はなんと日本人の女の子あやなさん。
パリでの決勝の様子は、2021年12月19日(日)16時から、オランダのNPO3「Zapp」でライブ放送された。オランダは15番目に登場。
● 国連特別報告者に中国から2500万円、「民族浄化の隠蔽支援」 監視団体 2022年5月20日
マサムネ | URL | 2022/05/20(金) 19:18 [EDIT]
【5月20日 AFP】国連(UN)監視団体「UNウオッチ(UN Watch)」は19日、国連のアリーナ・ドゥハン(Alena Douhan)特別報告者が2021年に中国から20万ドル(約2560万円)を受け取る一方、同国がイスラム系少数民族ウイグル人に対する「民族浄化を隠蔽(いんぺい)するのを支援」したと非難し、返金を求めた。

 ドゥハン氏はベラルーシ人法学者。2020年3月、国連人権理事会(UN Human Rights Council)から特別報告者に任命された。一方的な制裁の負の影響を専門とする。国連特別報告者の主張は必ずしも国連の見解を反映するものではない。ドゥハン氏は昨年9月、新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)を「素晴らしい土地」と喧伝(けんでん)する中国政府が後援するオンラインプロパガンダイベントに出席した。

 イベントでは中国の外交官や高官が、西側諸国が中国に対する中傷キャンペーンを展開していると非難。「新疆ウイグル自治区の政策は国際的な労働・人権基準に従っており、生活水準の向上を目指す全民族の意志を支持する」と主張する映像も流された。

 欧米諸国は中国によるウイグル人へのジェノサイド(大量虐殺)を認定しているが、中国は断固として否定している。

 UNウオッチによると、ドゥハン氏は昨年、他にも二つの西側諸国による制裁を批判するイベントに出席。イベントは中国、ベラルーシ、イラン、ベネズエラ、ロシアの共催だった。

 UNウオッチのヒレル・ノイアー(Hillel Neuer)事務局長は「独立した立場であるべき人権専門家が政権から金を受け取り、残虐行為を隠蔽すべく企図されたイベントを支持するとは信じ難い」と非難した。

 中国からドゥハン氏への献金は3月、国連総会(UN General Assembly)に提出された国連人権理事会が任命したすべての特別報告者と作業部会の活動に関する報告書で発覚した。

 国連人権理事会の報道官はAFPの取材に対し、特別報告者の活動資金は国連の通常予算で賄われるが、委託された仕事の量に対して決して十分とはいえないとして、特定の活動に対する任意献金の必要性を強調した。

 特別報告者の活動には多くの国が献金しているが、中国が昨年ドゥハン氏に献金した額は群を抜いて多かった。ドゥハン氏はロシアからも15万ドル(約1900万円)、カタールからも2万5000ドル(約320万円)を受け取った。

 ドゥハン氏はベネズエラやジンバブエ、イランなどを訪問。制裁は「壊滅的な人道的影響」をもたらし違法であり、解除すべきだと主張。人権活動家からは、権威主義国の苦境は西側諸国に科された制裁が原因だと主張し、権威主義政権のプロパガンダに利用されていると批判されている。(c)AFP/Nina LARSON
● ウイグル自治区で「弾圧隠し」か…国連高官の訪問前に監視台撤去・モスク礼拝を指示
マサムネ | URL | 2022/05/21(土) 07:17 [EDIT]
読売新聞 2022/5/20

【上海=南部さやか】国連のミチェル・バチェレ人権高等弁務官が今月末までに中国入りし、少数民族ウイグル族への人権侵害が指摘される新疆ウイグル自治区を視察する。自治区では訪問を前に「弾圧隠し」が始まっている模様で、バチェレ氏が実態を把握するのは困難とみられる。
◆やらせ
「自治区では、街中に数百メートルおきに設置されていた警察の監視台の撤去が進んでいる。5月上旬には、当局が普段は禁じるモスク(イスラム教礼拝所)での礼拝を指示し、当局者がその様子をビデオで撮影したという。バチェレ氏の訪問にあたり、宣伝材料として利用される可能性がある。

ウイグル族の女性(37)は「ウイグル族が住む集合住宅の入り口に設置されたテロ防止名目の鉄柵も、2か月前から撤去され始めた」と明かした。

また、米政府系放送局のラジオ自由アジア(RFA)は、当局が自治区の複数都市の住民に対し、許可なく国連訪問団の質問に答えることを禁止し、外国を含む自治区外からの電話にも出ないよう指示したと伝えた。「外国人と会話してはならない」と通知した村もあるという。

◆お膳立て
バチェレ氏訪中の具体的な日程は公表されていないが、国連によれば、約1週間の滞在中、自治区訪問のほか、政府高官との会談も予定されている。北京は訪れないという。国際人権団体は懸念を深め、視察が「独立した立場で無制約で行われる」よう求めている。「人権侵害はない」とする中国がお膳立てした視察では、今回の訪問を受けた報告書が中国に有利な内容となるおそれがあるためだ。

一方、AP通信は17日、自治区南部の一つの村でウイグル族1万人以上がテロに関連する罪で収監されていると報じた。25人に1人が収容されている計算で「世界最悪の投獄率」だとしている。RFAによると、自治区西部のカシュガルでは、ウイグル族の特産品が集まり「ウイグル文化の展示場」と呼ばれる国際貿易市場の解体も進んでいる。

同化政策 高官人事にも
中国の 習近平シージンピン 政権は、大多数の漢族と少数民族を一つの「中華民族」と位置付け、同化政策を意味する「共同体意識の強化」を掲げてきた。少数民族の居住区域などでは、それに基づく高官人事も進んでいる。

寧夏回族自治区では今月9日、区都トップの 張雨浦ジャンユープー 氏が区政府主席代理に就いた。地元ナンバー2の政府主席に昇格する公算が大きい。張氏は回族ながら山東省出身者で、自治区での勤務経験は1年以下だ。内モンゴル自治区で昨年、遼寧省の出身者が主席ポストに就いたことに続き、自治区外出身者の起用となる。

香港紙・星島日報は一連の人事の狙いを「地元勢力の拡大を防ぐため」と伝えた。国内五つの自治区では、いずれもトップの共産党委員会書記ポストは漢族が独占。少数民族の起用が制度化されている主席ポストについても、地元出身者を充てることで地元への配慮を示すこともあった。こうした人事手法が見直されている可能性がある。

特に内モンゴル自治区では近年、当局の言語政策に対する抗議活動が起きており、地元の反発に気兼ねなく同化政策を推進する布石との見方がある。習政権は2020年、少数民族政策部門トップにも、少数民族ではなく漢族を起用する異例の人事を行っている。
● みな面白い記事でした
シラユキ | URL | 2022/05/22(日) 18:38 [EDIT]
>マースレニツァさん
ホロドモールに象徴されるロシアのウクライナに対する抑圧の歴史、よく分かりました。過去にスターリンの独占インタビューしてピュリッツァー賞をえたニューヨークタイムズの記者に、賞を取り消すようにとの運動も確かウクライナから出ていました。ウクライナ人のホロドモールに深く傷ついているのがよく分かります。

>マサムネさん
タイで既得権層がロシアを支援しているというニュース、知らなかったので面白かったです。あと新珍味の史明さんの話も面白かったです。

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