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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2022/02/27(日)   CATEGORY: 未分類
ロシア市民は戦争を望んでいない(付近著の紹介)
プーチンがウクライナに侵攻し、ウクライナが戦場になってしまった。プーチンの思考回路はソ連時代そのままで、なんと核までちらつかせて欧米を威圧している。あの中国ですら今回のプーチンの行動に動揺しているのはワロタ(そのあと尻馬にのる可能性もあるけど)。去年のミャンマーの軍事クーデターも、アフガニスタンのタリバン復権も衝撃であったが、今回、こんな野蛮な形の戦争が始まったことに、衝撃を禁じ得ない。

 日本のマスコミがプーチンの言い分まで伝えているが、これ必要ないと思う。「過去に同一国であった」、とか、「NATOの東方拡大を続けている」とか、過去に遡った国境画定なんてはじめたら世界中で紛争がおきるから現今の国境線を護ろうときめたんじゃん。NATOに入るか入らないかは主権国家であるウクライナの判断である。しかも、ウクライナがNATOに入れるとしても10年後とかいわれている状況で、なぜプーチンはこんな野蛮な行為に走るのか。

 ロシア情勢に通じている人たちがすべて驚いている。プーチンはこの軍事行動で何を得ようとしているのか、それを得たとして代償を考えているのか。その行動があまりに非合理なので、過去のソ連時代の栄光を取り戻そうとするプーチン個人の感情の暴走ではないかと評する人がいた。実際、転落して刑務所に入ったり、病院に入ったりする人の共通項として、自らの現状認識ができず、過去の栄光にしがみついて、間違った選択を続けるというものがある。プーチン、ほんとそれかも(誰か認知症といっていた)。

 独裁国家では独裁者が戦争を始めれば、国民は従わざるを得ない。可愛そうなのはロシア市民である。私は3回しかロシアにいったことがないが、インフラはボロボロ、国民の生活は決して豊かとはいえず、戦争する金があるなら内政にあてろと思う(実際プーチンはシベリアにあてるお金をクリミア半島のインフラ整備に用いた)。オリンピック誘致するお金があるなら除雪にまわせと叫ぶ札幌市民と同じ感覚は当然わくだろう。

昨日だけでも以下の記事が(ソースはクリックするとでてきます)。

★2/26/ 00:03 『ノーヴァヤ・ガゼータ』紙:50万人以上の市民が政府に対ウクライナ戦争を止めるように要求。
★《カザフスタン220226》
2022/2/26 04:01ロシアがカザフスタンにウクライナ戦参戦を要請して、拒絶される。

★2022, 2/26/ 11:02 何百人もの医師がプーチンに戦争の中止を要求。



つい最近拙編著の THE EARLY 20TH CENTURY RESURGENCE OF THE BUDDHIST WORLD IN CENTRAL ASIAが上梓された(末尾に目次の和訳を参考までにあげた)。本書にはロシア国籍の方が三人が寄稿してくださっている。このうちツェレンピロフ氏はブリヤート史研究の一人者、クチャーノフ氏はカルムック史研究の一人者、クズミン氏はスラブ系であるが、ロシア語資料をもちいて近代チベット史をチベット政府の視点から研究している。前二者は民族的にはブリヤート人である。

 そのツェレンピロフ氏が25日Facebookに以下の投稿をあげていた。DeepLで英訳してから和訳したのを以下にあげる。

Военная операция моей страны в Украине является полнейшим безумием. Я, гражданин России, не считаю, что любовь и преданность своей стране непременно означает поддержку политики правящего в ней режима. За этот режим я никогда не голосовал. Хочу выразить слова поддержки и солидарности с теми людьми, которые страдают от военных действий на территории Украины. Нет войне.
 
私の国のウクライナにおける軍事行動は全く狂気の沙汰である。ロシア市民として、私は祖国への愛と忠誠心はかならずしもその体制の政策に対する支持を意味しないと信じている。私はこの体制に投票したことはない。私はウクライナの領土で軍事行動で苦しんでいる人々に支持と連帯を示したいと思う。戦争反対。
ツェレンピロフ2
合体

この投稿に対して、次々と民族コミニュティの人々が、ロシア語で支持します、戦争反対のコメントがつり下がっていく(和訳したものと原文をあげときます)。中には「ロシアのほとんどの市民は同じように考えている」とコメントする人もいた。実際、ニュースではロシアの街頭には「この戦争はプーチン以外望んでいない」というプラカードを掲げてデモする人を映し出している。世界各国のロシア系の人々がウクライナ人とともに街頭にくりだして戦争反対を叫んでいる。

もう独裁者が戦争を始めていい時代ではないのである。

もちろんロシア市民、とくに高齢者は、ロシア国営テレビにでてくるようなそのままの言説をする市民もいるであろう。が、多くの市民は独裁者の戦争につきあうことを望んでいない。

 逆にいえば市民がこれだけやりたくないといっているのに戦争ができてしまうところが独裁の恐ろしさである。始まってしまえば、ロシア・ウクライナ双方で犠牲者がでる。彼らには親も兄弟も友人もいる。破壊された建てものに住んでいる人は住居を失う。この戦争は長い目でみればロシアの終わりの始まり以外の何物でも無い。プーチン、ロシアを本当に愛しているなら、即刻戦争をやめろ。

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近著の解説を最後にあげときます。

●20世紀初頭中央アジアにおける仏教世界の復興(THE EARLY 20TH CENTURY RESURGENCE OF THE BUDDHIST WORLD IN CENTRAL ASIA)

目次
はじめに 石濱裕美子& アレックス・マッケイ (Ishihama Yumiko and Alex McKay)

第一章  石濱裕美子
 ダライラマ13世のモンゴル滞在のインパクト: 1904年から1908年にかけてのチベト仏教徒のナショナリズムの覚醒
The Impact of the 13th Dalai Lama’s Sojourn in Mongolia: Arousing the National Consciousness of Tibetan Buddhists from 1904 to 1908

第二章 和田大知
ハルハ・青海滞在期のダライラマ13世の近代的・伝統的な政策
The Modern and Traditional Diplomacy of the 13th Dalai Lama, during his Sojourn in Khalkha and Qinghai (1904-1907)

第三章 橘 誠
友情と敵意: 20世紀初頭のチベット人と金融
Friendship and Antagonism: Tibetans and Money in Early Twentieth Century Mongolia

第四章 セルゲイ・クズミン(Sergius L. Kuzmin)
チベット? ロシア文書に基づく、20世紀初頭のモンゴルの政治的インターフェース。
The Tibet ? Mongolia Political Interface in the First Half of the 20th Century.
Data from Russian Archives

第五章  バートル・クチャーノフ(Baatr U. Kitinov)
19世紀末から20世紀初頭にかけて生じたカルムック人の間にみられる仏教リバイバルを示すロシアの文書
The Russian Archival Documents on the Revitalization of Buddhism among the Kalmyks in the late 19th and early 20th centuries

第六章 井上岳彦
ロシア皇帝に対する仏教徒の信仰: 1830年代のドン・カルムックの僧団とロシア正教会
Buddhist Devotion to the Russian Tsar: the Bicultural Environment of the Don Kalmyk Sangha and Russian Orthodox Church in the 1830s

第七章 ハムゴト(Hamugetu)
20世紀初頭のチベット仏教世界における伝統と近代化の相克:1912年から
The Struggle between Tradition and Modernity in the Early 20th Century of the Tibetan Buddhist World: a case study of the 7th lCang-skya’s activities from 1912-1957

第八章 ニコライ・ツェレンビロフ (Nikolay Tsyrempilov )
転輪聖王してのロシア皇帝: ブリヤートのラマたちはニコライ二世の戴冠式をどうみたか
Russian Tsar as Cakravartin: A Buriat Lama’s View of the Coronation of Nicholas II

第九章 石濱裕美子& 井上岳彦
ロシア科学アカデミー所蔵、ドルジエフに帰せられた三通の手紙について
A Study of Three Tibetan Letters Attributed to Dorzhiev held by the St. Petersburg Branch of the Archive of the Russian Academy of Sciences
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COMMENT

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● 因果応報
マサムネ | URL | 2022/02/27(日) 18:51 [EDIT]
在日ウクライナ大使館
@UKRinJPN
ロシアによる侵攻を受け、ウクライナ中央銀行はウクライナへの援助のために特別口座を開設しました。寄付金はUSドル/ユーロ/UKポンドて全世界から送金できます。
口座番号:
UA843000010000000047330992708
● 今年のバター祭は二月二十八日から
マサムネ | URL | 2022/02/27(日) 18:59 [EDIT]
月曜日「 迎えの日」
マースレニッツァ初日は月曜日。ロシア語で「встреча」と呼ばれるこの日は、大量のブリヌイを焼き、それを1週間食べ続けます。

妻が実家に泊りに行き、夫は自分の両親を連れて妻の実家に遊びに行きます。ブリヌィを焼く作業が始まり、麦わらやぼろ服からマースレニッツァのワラ人形を作ります。最初に出来たブリヌィを貧しい者へ与えます。これは、善行を積んで故人を弔うためだそうです。
火曜日「遊戯の日」
マースレニッツァ二日目。
この日はロシア語で「заигрыш」と呼ばれています。親戚や友達を自宅に招き、ブリヌイをごちそうします。この日の一番大切なイベントは「お見合い」です。復活祭(パスハ)の後に結婚式が行われていたので、マースレニッツァの期間中にお見合いをするのは大切な行事だったようです。
水曜日「ご馳走の日」
夫(婿)が妻の母(義母)の家に招かれ、ブリヌィをご馳走される日です。この日は「лакомки」と呼ばれています。この日は娘の夫(婿)に対して妻の母(義母)が優しくする日なんだそうです。
木曜日「お祭り騒ぎの日」
木曜日は「разгул」とか「широкий четверг」と呼ばれています。「разгул」は日本語で「どんちゃん騒ぎ」という意味で、「широкий четверг」は「広い木曜日」です。
この日から本格的にマースレニッツァが始まります。家事はせず、人々は思い切り楽しみます。

いろいろな遊びがありますが、木曜日の一番大事なイベントは「雪の砦」という雪合戦に似た遊びです。大きな雪の砦を建てて、女子は守りに、男子は攻撃側になり、雪合戦を楽しみます。最後に雪の砦を壊すことになっていますが、これは冬への勝利を象徴しているそうです。

思いっきり遊んで、長い冬で溜まったストレスやネガティブになった気持ちを吹き飛ばします。


日本の豆まきにちょっと似てますね(笑)

金曜日 「姑の晩の日」(義母の晩)
ロシア語で「тещины вечёрки」と呼ばれています。この日は、夫(婿)が妻の母(義母)や、親戚、友人を自宅に招き、妻が焼いたブリヌイでもてなします。水曜日は夫(婿)が妻の母(義母)宅に招待されますが、今度は招待する側になるということですね。ちなみに、この日、夫(婿)は義母に対して親切にしなくてはならないという決まりがあるそうです。
土曜日「 小姑の日」(夫の姉妹の集い)
ロシア語で「золовкины посиделки」と呼ばれています。妻(嫁)は夫の姉妹(小姑)とその親戚を自宅に招き、ご馳走し、何かプレゼントをします。
日曜日は「送りの日」
マースレニッツァで一番大事な日です。ロシア語で「проводы масленицы」と呼ばれています。キリスト教の時代になってからは、四旬節の準備をする日になりました。この日は、人々が別に悪いことをしたわけではないが、お互いに許しを請う習慣があります。そのためこの日のことは「許しの日曜日」とも呼ばれています。また、晩に亡くなった親戚を偲ぶの日でもあります。そして、この日の終わりに、藁で作った冬の象徴であるマースレニッツァ人形を燃やし、冬に別れを告げ、春の到来を喜び合います。Масницяを直訳するとバター祭り
ウクライナには『Масниця(マースレニツァ)』という毎年2月頃~3月頃に開催される伝統的な正教のお祭りがあることをご存知ですか?
「春を迎え、冬を送る祭り」という意味があるそうで、「マースレニツァ」を直訳すると「バター祭り」となるそうです!
マースレニツァを境に、復活祭までの間、バターやチーズなどの乳製品が食べられなくなってしまうそうで、「バター週間」「パンケーキ週間」「チーズ週間」とも言われているんですって!
マースレニッツァは、масло(マースラ:バター)から来ているので、バター祭りとか、題名のパンケーキウィークなんて言われているのです。
今は祝日とかではないですが、ロシアロシアではこのマースレニッツァは盛大に祝われているようですネ!
マースレニッツァは四旬斎の始まりの前の一週間祝われます。
四旬斎が始まると肉、魚はもとより、乳製品や卵の消費も禁じられることから、マースレニッツアは卵や牛乳、チーズなどのデイリープロダクツが許される最後の週というので、その昔、丸い形と黄金色が太陽に似ているという事から、太陽を賞賛するものとして、許される豊かな食材で作られたБлиныブリヌイ(ロシア版クレープ、パンケーキ)を食べる週となっているようです!
このお祭りでの御馳走は「ブリヌイ」というクレープ!
食べてみた~~い!!!
丸い形をしたブリヌイは「太陽」を象徴しているそうです。
ブリヌイを食べるのも楽しみですが、お祭り期間中はバザーが行われたり、仮装パーティーがあったり、ゲームがあったり、とても賑やかで楽しいお祭りのようです♡
そして、お祭りの最終日には「マースレニツァ人形」を燃やすという大イベントが!
「マースレニツァ人形」とは寒い冬を象徴する人形で、細い白樺の幹、枝、麦わらなどで作られています。
おさげに結ばれた髪の毛は亜麻の繊維でできていて、プラトーク(頭巾)を被っています。
人形の手にはブリヌイ(クレープ)を作るための器がのっていて、望みを託した色とりどりのリボンがつけられます。
そのリボンは、お祭りの最終日にマースレニツァ人形と一緒に燃やしてしまうのですが、そうすることで望みが叶うと考えられているそうです!
で、マースレニッツァが終わると四旬斎です。海外のレストランで「Lent Menu」なんていうのが出てくることがありますよね。普通のベジメニューの事なのかと思っていましたが、微妙に意味が違ったのですね。



Lentとは四旬節(西方教会)・四旬斎(東方教会)と言う、復活祭(イースターたまご)を準備する禁食期間の事で、西方教会系の四旬節はイースターの46日前の水曜日から始まりますが、東方教会の四旬斎はパスハ(イースター)の約7週間前の月曜日から始まります。
● 猫にいつまでもカーニバルが続くとは限らない、太齋もまたやってくる
マサムネ | URL | 2022/02/27(日) 19:09 [EDIT]
「猫にいつまでもカーニバルが続くとは限らない、太齋もまたやってくる」 (465,525)
ニェ・フショー・コム・マースレニツァ、ブィバーイェット・イ・ベリーキー・ポースト

人生いいことばかりではない、悪いこともある、の意。辞書によればカーニバル(マースレニツァ)とは古くは古代スラブ人の冬を送る祭りで、ロシヤ正教では太齋(ベリーキー・ポースト)の前週の期間のこと、らしい。宗教的背景はよくわかりませんが、とにかくお祭りの後に斎戒期があるんだろう。しかしなぜ猫なんだろうか。
● ウクライナへ捧ぐ法王猊下祈念
マサムネ | URL | 2022/02/27(日) 19:24 [EDIT]
Dalai lama crying-Russian and Ukraine war(Lost Humanity) - YouTube
https://youtu.be/8UUPjNU0Dis

● 大天使ミカエル:市民はキエフの上空で異常な現象の写真を公開しました 発行日 12:46、27.02.22
マサムネ | URL | 2022/02/28(月) 06:36 [EDIT]
キエフの住民は、首都の上空で何とか撮影した珍しい現象の写真を公開しています。

それで、2月27日にVitalySidorkinは夜明けの写真を公開しました。空では、ユーザーはキエフの守護聖人と見なされている大天使ミカエルの姿を見ました。

「これは今日、2022年2月27日6時25分にキエフです。キエフ市の守護聖人は大天使聖ミカエルであることを思い出させてください」とシドルキンは書いています。
さらに、2月25日の初めに、キエフのDarnytskyi地区の住民は、その輪郭が天使に似ている、空の珍しい人物に気づきました。一部のユーザーは、大天使ミカエルの姿も見ました。

OksanaKadiivskaがFacebookに天文現象の写真を 投稿しました。
彼女によると、写真はUrlivskaStreetで撮影されました。

注-大天使ミカエルはキエフの天国の守護聖人と見なされています。彼のイメージは街の紋章にあります。
● カズレーザー ウクライナの18~60歳国外脱出禁止に「ホロドモールであったり虐殺を受けてきたので」
マサムネ | URL | 2022/02/28(月) 16:34 [EDIT]
ホロドモール 1932~33年、旧ソ連時代のウクライナで起きた人為的な大飢饉(ききん)。「欧州のパンかご」と呼ばれるほど豊かな穀倉地帯を有していたが、独裁者スターリンの集団農業政策で生産量が激減。飢餓が深刻化し、約400万人が死亡したといわれる。ウクライナではスターリンが命じたジェノサイド(集団虐殺)との見方が根強い。(時事)2022/02/05
お笑いコンビ「メイプル超合金」のカズレーザー(37)が28日、フジテレビの情報番組「めざまし8(エイト)」(月~金曜前8・00)に出演。ロシアのウクライナへの軍事侵攻について言及した。

【写真】サッカーでも連帯…試合前にウクライナの国旗をまとうエバートンの選手たち

 ウクライナに侵攻したロシア軍は27日、首都キエフ西側に部隊を集結して封鎖を維持、攻防戦が続いている。ロシア部隊は、第2の都市、東部ハリコフにも侵入。一時市街戦になったが、ウクライナ側は撃退したとしている。ウクライナのゼレンスキー大統領は同日、ベラルーシとの国境でロシアと停戦交渉を実施することで合意したと発表。交渉に前提条件は付けないとした。ロシア側は、交渉はベラルーシ南東部ゴメリ州で行うとしている。

 MCの谷原章介が「ウクライナ国民の男性すべて18歳から60歳、一緒に戦うということを宣言し、かつご自身もずっとキエフにとどまって情報をSNSで発信し続けています。この姿勢、いかがでしょうか?」とウクライナのゼレンスキー大統領について聞かれたカズレーザーは「橋下さんがおっしゃることも全くその通りだと思うんですが、ただ、われわれの感覚とウクライナというヨーロッパの国の感覚では、国、国土というものの捉え方が違うのではないかなと思いますね」と言い、「ウクライナという国はやはりソビエト時代、ホロドモールであったり虐殺、民族に多大なダメージを受けてきたので、どうしても守り切りたいという国民感情がわれわれとはもしかしたら違うんのかなと。そこはどうしても理解が薄くなってしまう及ばない部分があるのかも知れません」と言い、「ただゼレンスキー大統領が言い続けることで少しでも弱気な部分を見せてしまえば、もうウクライナ国民の士気が下がってしまうっていうのも事実なので、この姿勢を崩すわけにはいかないんじゃないかなと思います」と自身の考えを述べ、「今後、交渉の場についてどういった態度を取るかっていうのは注視しなきゃいけないと思いますね」と話した。

 橋下徹氏が「ただカズさん、どうなんだろう。確かにヨーロッパの事情は違うけれども、逃げたいという人の逃げる自由というものも守ってあげなきゃいけないんじゃないですかね。そういう政治もやらなきゃ、NATO加盟というところに入っていこうと思えば、そこは僕は重要だと思うんですけどもね。逃げたいっていう人の自由、あると思いますよ」と言うと、カズレーザーは「それが現在の正しいルールだと思うし、ただそこの折衷案として全国民挙国一致ということでなく男性だけというのを選択したんじゃないのかとも思いますね」と述べた
● 義勇
マースレニツァ | URL | 2022/02/28(月) 18:56 [EDIT]
在日ウクライナ大使館
@UKRinJPN
ゼレンスキー大統領は27日、ボランティアとしてウクライナ兵と共にロシア軍に対して戦いたい格国の方々へ、新しく設置されるウクライナ領土防衛部隊外国人軍団への動員を呼びかけた。お問い合わせは在日ウクライナ大使館まで。
● ウクライナ神社
マースレニツァ | URL | 2022/03/02(水) 19:25 [EDIT]
埼玉・上里の菅原神社、ウクライナの平和願い御朱印投稿
3/1(火)
埼玉・上里の菅原神社(上里町帯刀)宮司の妻でウクライナ出身の梅林テチャナさんが2月24日、「Stand With Ukraine(ウクライナと共に)」などと記した御朱印をSNSに投稿した。(本庄経済新聞)

【写真】「Stand With Ukraine(ウクライナと共に)」などと記した上里菅原神社の御朱印

 テチャナさんはキエフ国立大学で英語と日本語を専攻。宮司・梅林正樹さんと留学中に知り合い、2009(平成21)年10月、結婚を機に来日した。テチャナさんは国学院大学で2020年、神社本庁が行う「神職養成講習会」を約1カ月半受講し、同年5月5日付けで「直階」の階位を取得。同庁は6月1日、テチャナさんを「権禰宜(ごんねぎ)」に任命した。

 「学問の神様」として知られている菅原道真公を祭っている同神社で、テチャナさんは「英語とウクライナ語の御朱印」を頒布している。「ウクライナに平和な暮らしが戻りますように、という気持ちを込めて、市民が犠牲になっている祖国の現状を知ってほしいと思いSNSに投稿した」と話す。「自分たちにできることとして、これからも日本の、世界の、そして今は特にウクライナの平和を祈っている」とも。

 「家族はヨーロッパに引っ越しているが、親せきはウクライナに住んでいる」と話すテチャナさんは「親戚の無事は確認できた」と胸をなでおろす一方で「世界平和を望んでいる。一日も早く平和な生活に戻ってほしい」と訴える。

 夫の正樹さんは国学院大学大学院で「文学研究科」修士課程を修了。昨年12月、父親の肇(はじめ)さん引退に伴い、宮司になった。梅林さん夫婦は外務省研修所の非常勤講師も務めており、外交官がウクライナやロシアに赴任する際に、ウクライナ語とロシア語の指導を行う。正樹さんは「毎日の祝詞(のりと)に、ウクライナの平和を祈る文言を入れている」と話す。

 同神社の御朱印の受け付け可能日時はホームページなどで確認できる。
https://mobile.twitter.com/tenjin_main_jp
● ホロドモール
マースレニツァ | URL | 2022/03/03(木) 19:44 [EDIT]
ウクライナの命運は…「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」は今だからこそ見るべき映画(北島純)
3/1(火)
日刊ゲンダイDIGITAL
【寄稿】北島純(社会情報大学院大学特任教授)
赤い闇 スターリンの冷たい大地で」(C)FILM PRODUKCJA - PARKHURST - KINOROB - JONES BOY FILM - KRAKOW FESTIVAL OFFICE - STUDIO PRODUKCYJNE ORKA - KINO WIAT - SILESIA FILM INSTITUTE IN KATOWICE

 2月24日、ロシアが遂にウクライナに侵攻した。プーチン大統領は、東部ドネツクとルガンスクの親露派地域を一方的に独立国家として承認した直後に、全面的な軍事作戦に踏み切った。20日に北京五輪が閉会し3月4日からパラリンピックが始まる間隙を縫うタイミングだ。雪解けによってウクライナの大地がぬかるみ陸上部隊の移動が困難になる前に、露軍が全土を蹂躙する可能性も指摘されている。

ウクライナ軍「本当の戦力」は? 首都キエフに侵攻許し、戦闘機は露軍の10分の1だが…

 ウクライナ側は徹底抗戦の構えを見せているが、開戦初頭で既に防空システムが制圧され、空港や港湾施設が破壊されたとの情報もある。侵攻に備えてキエフ市民が「木製銃」を手に軍事訓練を行っている報道に接して、先の太平洋戦争中に「竹やり」でB29に立ち向かおうとした姿を思い起こした人もいるかもしれない。軍事力の差は圧倒的で、プーチン大統領は核兵器の使用を匂わすブラフもかけている。バイデン米大統領はアフガン撤退時の混乱で批判を招いたばかりで、米国民の厭戦意識と国内経済動揺の恐れに引きずられ、経済制裁は繰り出すものの、EU諸国と同様に軍事介入に躊躇している。

 ウクライナの命運はどうなるのか──世界中が固唾をのんでいる今だからこそ見るべき映画がある。1932年から33年にかけてウクライナに地獄絵図をもたらした「大飢饉」(ホロドモール)を描いた「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」(アグニェシュカ・ホランド監督、2019年)だ。ホロドはウクライナ語で飢饉、モールは疫病を意味するが、少なくとも400万人が餓死・病死したとされるこの大飢饉は、ソ連の独裁者スターリンが推し進めた農場集団化(コルホーズ)と第1次5カ年計画を成功させるために必要な外貨獲得の手段としてウクライナから穀物を強制徴用した結果の人為的災害であるとされている。

 異論はあるが、ウクライナ農民抹殺を狙ったスターリン政権の意図的政策だとする説も有力で、2006年にはユシチェンコ大統領(当時)がウクライナ人に対する「ジェノサイド」(大量虐殺)だと認定している。

■ウクライナは映画と縁が深い国

 映画の主人公は、実在した英国人記者ガレス・ジョーンズ。ウクライナ人の母を持つジョーンズは、ヒトラーのインタビューを成功させロイド・ジョージ元首相の外交顧問を務めた新進気鋭のジャーナリストだったが、当時の大恐慌にもかかわらず経済成長を遂げているスターリン体制に疑問を持つ。単身モスクワに乗り込んだジョーンズは、ピュリツァー賞を受賞した米国人記者デュランティがスターリン体制のプロパガンダに加担しソ連礼賛の報道を続けている姿に直面、「真実」を求めてウクライナに行く。

 そこで彼が目撃したのは絶望的な飢饉で、赤ん坊が遺棄され人肉を食らう飢民が徘徊する地獄絵だった。帰国したジョーンズは隠蔽された飢饉の実態とスターリン体制の欺瞞を訴えるが聞く耳を持たれない。失意のうちに故郷ウェールズに戻ったジョーンズだが、新聞王ハーストに直訴して記事を発表する──という筋書きだ。ジョーンズ役はジェームズ・ノートン(36)、007ジェームズ・ボンド役のダニエル・クレイグ後継として名前が取り沙汰されている期待の星。「ミッション:インポッシブル/フォールアウト」で知られる女優バネッサ・カービー(33)の丁寧な演技も光る。

 ウクライナは実は映画と縁が深い。旧ソ連の天才映画監督セルゲイ・エイゼンシュテインがモンタージュ理論を確立した「戦艦ポチョムキン」(1925年)の舞台となったのは黒海沿岸のオデッサ。名作「ざくろの色」(1971年)で知られるセルゲイ・パラジャーノフ監督もキエフに住んでいた。

 そのウクライナで凄まじい大飢饉があったことは日本ではあまり知られていない。しかし、ウクライナ国民にとっては忘れることができない記憶になっており、ロシアの隣国として幾度となく煮え湯を飲まされてきたウクライナが今回のロシア侵攻に対しても、肥沃な黒大地で育まれた不屈の魂で立ち向かうのではないかと思わせる。

(Hulu、Amazon Prime Video、dTVで配信中)

▽北島純(きたじま・じゅん) 社会情報大学院大学特任教授。東京大学法学部卒業、九州大学大学院修了。駐日デンマーク王国大使館上席戦略担当官を経て、現在、一般社団法人BERC(経営倫理実践研究センター)主任研究員及び東洋学園大学大学院現代経営研究科非常勤講師を兼務。専門は戦略的パートナーシップ、情報戦略、コンプライアンス。

ホロドモールに関して、付け加えることがあります
ホロドモールの結果、農民がいなくなってしまったので
スターリンは、ロシア人をウクライナに移住させた。
これが、ウクライナの東部にロシア人が多い理由です。
もちろん、移住したロシア人は、スターリンの命令で
連れて来られただけで罪はないと思いますが、
ウクライナ人は良い気持ちはしないでしょう。
テレビ番組で、学者が、ウクライナは東部と西部で
全く異なった文化を持っているのがトラブルの背景だと
言っていますが、その原因のホロドモールについて
全く触れないのは、異常だと思います。
● 支那の核、必要核(悪)?
マースレニツァ | URL | 2022/03/03(木) 20:57 [EDIT]
橋本琴絵
@HashimotoKotoe
第3次大戦なら「核戦争以外ない」と断言したロシアのラブロフ外相。
ウクライナは2012年のヤヌコビッチ政権が中国共産党の核兵器でウクライナを防衛する協定を締結している。
先のプーチンによる核脅迫を含め、この協定がどこまで強いのか耐久テストをしているのではないか。
● 偽パンチェン・ラマ 11世のギャルツェン・ノルブ
マサムネ | URL | 2022/03/05(土) 07:04 [EDIT]
Tibetan News Japan
@TibetanNewsJP
#チベット のお正月「ロサル」に先立ち、中国が認定した #偽パンチェン・ラマ 11世のギャルツェン・ノルブは #中国共産党 尤権氏と北京で面会。ギャルツェン・ノルブは、#チベット 仏教は中国主導の元にあるべきという原則を支持し、宗教を社会主義に適応させていくと述べた。
● チベット人が台湾の土曜日に蜂起記念日を祝う 03/02/2022
マサムネ | URL | 2022/03/06(日) 10:55 [EDIT]
ダライ・ラマ法王の台北に本拠を置くチベット宗教財団の会長、ケルサン・ギャルセン・バワ。CNA写真2022年3月2日
台北、3月2日(CNA)台湾のチベットグループは、「チベット蜂起の日」の63周年を記念して、土曜日に台北で行進を行う予定です。自由チベット、イベントの主催者は水曜日に言った。

行進は土曜日の午後1時に開始される予定で、かつて中国本土で逮捕され、後に台北に移転して新しい書店を開いた香港の書店、Lam Wing-kee(林榮基)が出席する予定です。イベント前の記者会見の主催者。

1989年に中国で行われた天安門広場での抗議行動で著名な学生リーダーであったウーアルカイシ(吾爾開希)もこのイベントに参加します。

次回のイベントでは、チベットグループは、チベット問題を平和的に解決するためにダライラマと中央チベット政権によって提案された中道政策への敬意と、台湾政府がダライラマを招待することを期待することを表明するアピールレターを発行します。訪問する。

彼らはまた、台湾政府にチベット、新疆ウイグル自治区、香港を支援するよう訴え、これらの地域での権力の乱用について中国政府を非難する。

彼らはまた、立法院に3月10日のチベット蜂起の日にチベットの旗を掲げ、中国が人権を踏みにじったことを非難するよう求めた。
チベット問題が取り上げられる前に、この地域に対する共産主義中国の残忍な政策の詳細は「私たちの責任」であると、台北に本拠を置くダライ・ラマ法王のチベット宗教財団のケルサン・ギャルセン・バワ会長は記者会見で述べた。

ダライ・ラマは、1959年のチベット蜂起の際に故郷を逃れてから63年間インドに亡命しており、中国がチベット人に対して民族的、宗教的、文化的虐殺の政策を実施しているため、チベット人が帰国することは困難です。 、ケルサンは言った。

一方、彼は台湾のメディアと国民に、香港の問題とロシアのウクライナ侵攻に注意を払い、北京が台湾を中国の不可侵の一部であると主張しているので、これらの事件から学ぶよう呼びかけた。

世界はロシアのウクライナへの残忍な侵略を目撃しており、63年前にチベット人が中国の占領に反抗して団結したときに同様の出来事が起こったとチベットと台湾の人権ネットワークのディレクターで事務総長のSonYu-liam(孫友聯)は述べた台湾労働戦線の。

チベットと台湾の人権ネットワークの公式ウェブサイトによると、1959年のチベット蜂起は1959年3月10日、チベットの首都ラサで中国の占領軍に反抗して反乱が勃発したときに始まりました。
(LeeYa-wenとEvelynKaoによる)
● 義勇
マースレニツァ | URL | 2022/03/06(日) 11:03 [EDIT]
ナザレンコ・アンドリー🇺🇦🤝🇯🇵@nippon_ukuraina
橋下さん、連続で投稿していらっしゃいますが、侵略戦争を始めた側に対する批判より、被害者への説得が圧倒的に多いように見えます。家が放火された人に助言しつつ、放火犯の責任に触れないことは、不自然だと思います。人災は災害と違って、責任者がいます。加害者を止めないと自家もいつか狙われます。
橋下徹
@hashimoto_lo
ナザレンコさん、戦っているウクライナの人には敬意を表しますが、戦争が始まってしまった以上、壮大な意義に熱くなってはいけません。結局利用されるだけになってしまいます。戦争が始まれば究極の災害として対応しなければなりません。
ナザレンコ・アンドリー🇺🇦🤝🇯🇵@nippon_ukuraina
皆様、本当にありがとうございました。
私の情報を頼りしていた方、申し訳ありません。できる限り速報いたします。でもウクライナに行く日本人がいる以上、私も一緒に戦場に行くしかありません。明日は大使館に行って志願いたします。ウクライナに栄光あれ!🇺🇦
引用ツイート毎日新聞ニュース@mainichijpnews · 3月1日ウクライナ「義勇兵」に日本人70人が志願 50人が元自衛官 https://mainichi.jp/20220301/k00/00m/030/165000c
● 内通
マースレニツァ | URL | 2022/03/06(日) 11:16 [EDIT]
Hirano Takashi / 平野高志
@hiranotakasi
何か射殺の噂は流れてたがこんな話だったとは。初回の宇露協議に参加していたらしいキレーイェウという人物が、国家反逆罪容疑で拘束の際に保安庁により射殺。ロシア側のエージェントであったことが通信記録などからわかったそう。
● 邦人避難之記
マースレニツァ | URL | 2022/03/07(月) 10:01 [EDIT]
Еріка-StandWithUkraine@ua_withTelya·5時間国境越え
子供たちは疲れが溜まったのか18時就寝...😵‍💫
長文だけど忘れないうちに記録
まず最初に、
一人で子供たちと逃げる自信がない私に一緒に行こうと声をかけてくださるご家族がいて、道中いろいろ助けていただきながら国境までご一緒させていただきました。
感謝しても感謝しきれません。
今後退避を予定されている方には「身一つで逃げても、国境のウクライナ側の街にさえつけば何とかなる。」ことをお伝えしておきたいです。
Kyiv中央駅に向かう途中、いろんなところで無料でパンやお茶が配られているのを目にしました。
予約していた寝台電車が急遽キャンセルとなってしまいましたが、駅で一晩過ごすより前に進むことに決め、ノープランのまま他の行き先電車に飛び乗りました。
今、Kyiv発の電車は避難用に使われており、チケットの有無に関わらず希望者は乗ることができます❗️
寝台列車だったので子供たちは横になって寝ることが出来ましたが子供たちが入れ替わり何度も泣き大変でした。
それでも車掌さんが何度も様子見に来てくださり「これ飲ませてあげて」と大きな水のペットボトルをくれたり、おむつやクッキーをくださいました。
夜中に疲れ切っていた時にも「お母さんも大変でしょ」と温かい紅茶とパンをくださり嬉しかったです

翌朝、気づいたら小さなお友達が一人増えてる❗️
お母さんが疲れ切った顔で「夜中ずっと泣いていた」と...
うちの子たちと楽しく遊ぶ姿を見てホッとされたようで何度もお礼を仰っていました。次女と同じ2歳のお子さんと2人だけで避難されているとのこと。同志としていろいろお話しをさせていただき、電車を降りる時は荷物を運ぶのを手伝ってくださいました。
出会いに感謝です。
夫の友人のお母さんが泊まっていいと仰ってくださったので、宿泊先の確保の為に終点手前のちょっと大きめの駅で降りました。
駅構内を見てびっくり❗️
ボランティアの方が軽食を配っていて、スロバキア国境行きのシャトルバスまでありました。
ここでもみなさんに親切にしていただきました。
国境手前の行列。混乱を避けるために区画ごとに人数制限がありましたが、区画ごとにボランティアさんが子供たちにお菓子をくださり、子供たちは急に元気に❗️
次女抱きながら荷物を運ぶ私を見て、ボランティアの方が荷物を運ぶのを手伝ってくださいました。
国境まで付き添ってくださったボランティアさんはKyivの工科大学をご卒業で、数年前まで我が家の近くにお住まいだったそうです。
街の様子をお伝えしたところ、しばらく言葉なくお辛そうな顔をしていました。
そして一言「Yes, we have to be brave.」
自分自身に言い聞かせるように仰っていたのが印象に残っています。青春を過ごされた土地でまだご友人もKyivにいらっしゃるだろうし、心中察するに余りあります。
国境を渡る瞬間の写真を撮ろうと思っていましたが必死すぎて気づいたら国境超えていました。
国境越えた先はEU全土からのボランティアさんで溢れていました。
無料でSIMカードを配ってくださり本当にありがたかったです。
他にも炊き出し、ベビーフード、オムツ、衛生用品が山積みになっていました。
他にも衣類やベビーカー、チャイルドシートまで用意されていました。
「何かお困りのことはありますか?」と声をかけてくださったスロバキアの兵士さんに
「どこか泊まるところはありませんか」と聞いたら難民キャンプに案内いただきました。中は暖かく生き返りました。
日本に帰りたい旨をお伝えすると飛行機を調べてくださり「プラハに行くのが良い、ちょっと待ってて」とバスの時間を調べてくださいました。「出発30分前に荷物運ぶの手伝いにくるね!」と仰っていたのですが、暫くしてお戻りになり「バスは満席になったからボランティアの送迎を確保したよ!」
この送迎ボランティアさんとの素敵なご縁についてはまた後日😌
多くの方がずっと励まし続けてくださり、人の温かさに感謝するばかりの国外脱出でした。
何より、車掌さん(ロシア語)以外はずっと私の片言ウクライナ語と英語だけで会話が成り立つことにも驚きです。
この移動の間、ウクライナ政府、スロバキア政府、各国のボランティアさんの他、
在ウクライナ日本大使館、在ルーマニア日本大使館(元々予定していた行き先)、在スロバキア日本大使館、在チェコ日本大使館の領事部の皆様に多くのお力添えをいただきましたこと、心よりお礼申し上げます。
今の心境は複雑
多くの人の優しさに感動する反面、やっぱり反省すべきは私の判断が遅すぎたということ。
退避指示が出てすぐ、コロナに感染する前にもっと早く決断できていれば、私たちを助けてくださった方の力や物資をウクライナ人に使うことができた。
私がその機会を使ってしまったという事実が何より辛い
● 「煙のない戦火」…中国・自治区出身女性が民族弾圧に抗議 2022/3/8
マサムネ | URL | 2022/03/09(水) 08:41 [EDIT]
中国政府の迫害に抗議する在日ウイグル人のグリスタン・エズズ氏(左から4人目)。左の花嫁衣装は漢民族と結婚を強いられるウイグル人の悲しみを表現した=8日午後、東京都千代田区(主催者提供)
産経
「煙のない戦火」…中国・自治区出身女性が民族弾圧に抗議
2022/3/8中国政府の迫害に抗議する在日ウイグル人のグリスタン・エズズ氏(左から4人目)。左の花嫁衣装は漢民族と結婚を強いられるウイグル人の悲しみを表現した=8日午後、東京都千代田区(主催者提供)
中国政府の迫害に抗議する在日ウイグル人のグリスタン・エズズ氏(左から4人目)。左の花嫁衣装は漢民族と結婚を強いられるウイグル人の悲しみを表現した=8日午後、東京都千代田区(主催者提供)
日本で暮らす中国・新疆ウイグル、内モンゴル、チベットの各自治区出身の女性たちは8日、東京都千代田区の衆院議員会館前で、中国政府による民族弾圧に抗議する集会を開いた。ウイグル自治区の収容所を解放された女性からは不妊手術の強制や性的暴行がなされていたという証言が各地で相次ぐ。参加者は収容所の解体とともに女性への侮辱や同意を得ない堕胎手術の停止を求める声明をまとめた。
3月8日は国連の「国際女性デー」で、持続可能な未来を築くため、世界中の女性の貢献を認識することがテーマとされる。漢民族へ同化政策が強いられることに危機感を抱いた在日ウイグル人女性らがこの日に合わせ、集会を開催した。
ウイグル人のグリスタン・エズズ氏は、「現地に住むたくさんの女性が中国の野望の犠牲にされている。中絶手術も強制されている。民族が消えた後に『ウイグルという民族がかつてあった』と歴史教科書に載っては困る」と述べた。ウクライナ侵攻に伴うロシアへの制裁措置や非難決議を挙げ、「ロシアにとった態度、制裁、覚えた怒りを(日本は)中国にもとってもらいたい。ミサイルが飛ばない『煙のない戦争』に残されたわれわれのことを忘れないで」と訴えた。
山形県ゆかりの内モンゴル自治区出身の女性も、「われわれの今日が日本の明日になる可能性がある。政治家はロシアに対する怒りを、中国に対しても同じように出してほしい」と呼びかけた。民族団体側は一部の国会議員に参加を呼びかけたが、出席者はゼロだったという。
● 声
マサムネ | URL | 2022/03/15(火) 19:52 [EDIT]
佐藤正久
@SatoMasahisa
【先週金曜日の外交部会等の指摘(露国営放送の報道だけだと偏るしプロパガンダの片棒を担ぐ可能性)を受け、NHKの自主判断で、早速、ウクライナ国営放送と契約】
NHKの対応は早かった。昨日、朝にNHKから説明を受けだが、今朝のBSワールドニュースからウクライナ国営放送を流し、露放送内容も吟味2022年3月15日
ナザレンコ・アンドリー🇺🇦🤝🇯🇵
ロシア国営チャンネルの生放送。良心ある職員が突然反戦プラカードを持って現れた。
言っていること:戦争を止めろ!戦争反対!
プラカード:プロパガンダを信じるな!貴方はここで嘘をつかれている!戦争を止めろ!
凄い勇気。
https://twitter.com/i/status/1503445101934448640
● ウクライナ人の花嫁”を欲しがる中国人男性が武力侵攻後に急増した理由
マースレニツァ | URL | 2022/03/16(水) 12:10 [EDIT]
(戦争で)家を失ってしまったウクライナ人女性を保護します」
「若くて美しく、未婚で、健康な女性が優先です」
【画像】ウクライナ人女性と出会った中国人男性の写真が続々と…
ロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始した2月24日以降、中国のソーシャルメディア「ウェイボー(微博)」上で、男性ユーザーらによるこのような投稿が急増したと、報じられている。
これらの投稿は、「ウクライナ人女性を妻にしたい」という欲望を持つ一部の中国人男性による、若いウクライナ人女性への“ラブコール”だ。戦時下において、これらの投稿は不適切だと判断され、現在は削除されているが、それでもロシアのウクライナ侵攻を、「ウクライナ人女性を妻にする絶好のチャンス」としてみている男性がいることには変わりはない。
実際、中国人男性と東欧の女性をマッチングするオンラインの仲介サービス「メイリシュカ(Meilishka)」上では、ロシアの武力侵攻以来、ウクライナ人女性とのマッチングを希望する中国人男性の依頼が倍増していると、米メディア「ヴァイス」は報じる。
オーナーであるロシア人男性のパベル・ステパネッツが同メディアに語ったところによれば、彼のクライアントである中国人男性らは、ウクライナ人女性についてこう考えているという。
戦時下で「ウクライナ人女性は悲しみに暮れていて、中国を(自国よりも)安全な場所だとみているだろう」と。無論、これは男性側の憶測に過ぎない。だが、このような憶測をベースに、「彼らは、ウクライナ人女性の方も中国人男性を夫にすることを検討しているのではないかと、考えている」ようだ。
「ウクライナ人女性は中国の女性ほど富を要求してこない」
ウクライナ侵攻が始まる以前から、一部の中国人男性の間ではウクライナ人女性を好む傾向が年々高まっていたと、同氏は「ヴァイス」に語っている。同氏がこの国際結婚を斡旋する仲介サービスを立ち上げたのは2017年。現在、「ウクライナ人女性の登録人数は748人」だそうだ。
ウクライナ人以外にも、ロシアやベラルーシ人の女性が登録しており、彼女たちと中国人男性の「デートを設定する」サービスを提供しているという。男性側が払う料金は10~13万円ほどで、「若くて美しく、中国語を話せる女性を希望する場合、料金はさらに高くなる」。創設以来、「8~9組のカップルがこのサービスを通じて結婚した」と、語っている。
この背景には、​​「一人っ子政策」により男女の人口比が偏り、男性が女性よりはるかに多い「男余り」の社会になってしまったことがある。加えて、女性の経済的な自立、つまり、望まぬ結婚を拒否できる女性が増えたことも、「男余り」に拍車をかけている。
だが、国内で相手を見つけられない中国人男性は、なぜ、言葉も文化も異なるウクライナ人女性に関心を寄せているのだろうか。その理由を「ヴァイス」はこう説明している。
ブロンドで青い目の彼女たちは「世界一美しく、それでいてウクライナ人女性は中国人女性ほど、富を要求してこないから」。
また、ウクライナでは中国と逆の人口偏りが起きていることから、「彼女たちもきっと国外の結婚相手を探しているだろう」との希望的観測もあるようだ。さらに、近年の中国のソーシャルメディア上では前述のような投稿を含め、こういった偏見やセクシズムを煽る投稿やミームが多数作られてきたこともあり、中国では「若くて美しいブロンドの白人女性を妻にすることは、男としての個人の成功、そして、中国の急成長のシンボルとしてみられてきた」。
もっとも、知りもしないウクライナ人女性を外見だけ見て妻にしたがる男性というのは、中国に限らず欧米諸国にも存在し、マッチングサービスを提供するサイトは複数ある。「ヴァイス」によれば、一部の西洋の男性が抱くウクライナ人女性のイメージは、自国の女性よりも「フェミニスト度合いが低く、愛情深くて、男性をたてる」。そんな偏見が根強いようだ。
● ノウルーズ
マサムネ | URL | 2022/03/21(月) 11:06 [EDIT]
Sawuto
@sawut_
国連は2010年にこの祭りを「ノウルーズ国際デー」として正式に承認した。ノウルーズの日にウイグル人は新年の挨拶をし、ノウルーズ特有のご飯を食べ、ノウルーズの歌を歌うなどが慣例。中国では「春節」が正式な祝日であるが、国家的にはノウルーズは正式の祝日ではない。現在ウイグル人らはノウルーズよりも「春節」を祝うことを強要され、ノウルーズを祝うことができない
● 哀悼
マサムネ | URL | 2022/03/21(月) 13:19 [EDIT]
宝田明さん逝去 “ダムダム弾で撃たれた傷が今も…”昨年語っていた「壮絶戦争体験」
2022/03/20新潮
昭和を代表する二枚目スターとして知られた宝田明さんが、3月14日に肺炎のため亡くなっていた(享年87)。昨年、宝田さんは週刊新潮のインタビューに応じ、自身が体験した「戦禍の記憶」について語っていた。(以下は「週刊新潮」21年6月10日号に掲載されたものです)

 ***

 僕と同じ昭和1桁生まれの方々は、新型コロナウイルスの感染率が高いと言われ、実際に、耐え難きを耐えながら自重を続けていると思います。この世代は誰もが戦争を経験し、過酷な人生を強いられました。それだけに、いまがどれだけ辛かろうと、この新たな困難も乗り越えてもらいたいと願っています。多感な少年期を満洲国で過ごした宝田明氏の胸には、戦争に翻弄された日々の記憶が深く刻まれている。そして、令和の日本を襲った現代の疫禍と同じく、国民の生命と平穏な生活を奪った昭和の戦禍についても、風化させてはならないと語るのだ。〉

 僕の祖父は、越後国村上藩の士族の末裔で、朝鮮総督府の海軍武官でした。祖父の勧めで朝鮮に渡った父は朝鮮鉄道に勤め、私もそこで生まれました。

 その後、父が満洲鉄道(満鉄)に転勤したのを機に一家で満洲へと移り住み、まもなく“アジアのパリ”と呼ばれたハルビンに転居しました。

 当時の僕はご多分に漏れず生粋の“軍国少年”。大きくなったら関東軍に入って満洲へ戻り、日本の北方を死守する防波堤にならんと当然のように考えていました。日本の土を踏んだことがなかったので、ひと一倍、我が祖国への思いが強くてね。満洲に住む知り合いが帰国すると聞けば、“宮城(きゅうじょう)”の玉砂利を持ち帰ってきてほしいとねだるような少年でした。ハルビンは華やかな国際都市で、日本人はもちろん、漢民族、朝鮮族、蒙古族、満洲族とさまざまな人々が互いに手を携えて暮らしていました。文字通り、「五族協和」を体現したような状態で、ロシア革命を逃げ延びた白系ロシア人とも身近に接していた。コスモポリタンな環境に育ったせいか、いつのまにか僕にも国際性が身についたわけです。僕が俳優になって女性のハートを鷲掴みにしたと言われても、別に計算しているわけではなくてね(笑)。ただ、日常的に外国人と付き合っていた少年時代のバタ臭さは影響しているかもしれません。

「憎きソ連兵め!」
 さて、1945年になるとそんな満洲の雰囲気は一変し、小学5年生だった僕でも戦況の悪化を感じ取れるようになりました。僕は兄3人と、姉、弟の6人きょうだいでしたが、上の兄二人は出征し、姉も遠方で働いていた。南方での戦が危うくなったと聞くたびに、兄姉の身を案じたものです。

 そして、8月6日、雑音混じりのNHKラジオから〈広島に謎の化学爆弾が投下され、10万人の同胞が命を落とした〉というニュースが届けられます。人々が騒然とするなか、9日には長崎にも同じ爆弾が落とされたという。

 誰もが不安を隠しきれないまま8月15日を迎え、満鉄の社宅に住んでいた父母と僕たち兄弟は、畳に正座しながら玉音放送に耳をそばだてました。「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び……」天皇陛下のお言葉を聞いて、母はガクッと崩れ落ち、父が「終わったな」と漏らしたのを覚えています。幼い僕には意味が分からず、「どうしたの? 負けたの? 嘘だよね!」と父に食って掛かったのですが、「いや、天皇陛下が仰った通り、日本は負けたんだ」。

 後年、あの光景を思い出して詠んだ短歌があります。

「威儀正し 玉音放送聞く我が家 終ったと父の声弱くして」

 しかし、僕が戦争の本当の恐ろしさを知るのは、終戦後のことでした。

 日本の敗戦が明らかになると、40〜50輌ものソ連軍の戦車が隊列を成してハルビンに侵攻してきました。ただ、当時の軍国教育では「鬼畜米英」と教え込まれてきたものの、満洲には白系ロシア人の友だちもいたので、ソ連軍が怖いとは思わなかったんですね。天皇陛下のお言葉を聞いて、母はガクッと崩れ落ち、父が「終わったな」と漏らしたのを覚えています。幼い僕には意味が分からず、「どうしたの? 負けたの? 嘘だよね!」と父に食って掛かったのですが、「いや、天皇陛下が仰った通り、日本は負けたんだ」。

 後年、あの光景を思い出して詠んだ短歌があります。

「威儀正し 玉音放送聞く我が家 終ったと父の声弱くして」

 しかし、僕が戦争の本当の恐ろしさを知るのは、終戦後のことでした。

 日本の敗戦が明らかになると、40〜50輌ものソ連軍の戦車が隊列を成してハルビンに侵攻してきました。ただ、当時の軍国教育では「鬼畜米英」と教え込まれてきたものの、満洲には白系ロシア人の友だちもいたので、ソ連軍が怖いとは思わなかったんですね。もちろん、警官の姿はありませんでしたが、代わりにソ連の憲兵がいた。「カピタン・パジャーリスト!(将校さん、お願いです!)」と懇願して、どうにか現場まで連れて行きました。しかし、その婦人は下半身を丸裸に剥かれて辱めを受けた後でした。憲兵がこん棒で兵士たちを殴ると、彼らは慌てて脱ぎ捨てたズボンを穿きながら逃げ出しました。その時に感じた「憎きソ連兵め!」という思いはいまだに消えません。

 それからまもなく、実際にソ連兵から銃撃された日の記憶も、鮮明に思い出すことができます。

鉛弾が腹に…
 敗戦後、日本兵は捕虜として、シベリア抑留をはじめソ連領内に続々と連行されて行きました。僕はすでに出征していた兄二人のことが心配でならなかった。

 ちょうど満鉄の社宅近くに引込線があって、そこに日本兵を乗せる貨物列車が数珠つなぎになっていたんですね。何のアテもなかったのですが、「あそこに行けば兄ちゃんに会えるんじゃないか」と思ったのでしょうね。連行される日本兵の列車に無謀にも近づいて行った。すると、彼らが大きく手を振って「戻れ、戻れ!」と叫ぶんだ。振り向くと警備のソ連兵が飛んできて、“ダダダダッ”と銃弾を乱射するのが目に入った。無我夢中で逃げましたよ。
どうにか家に帰り着いたのもつかの間、今度はお腹が熱くて熱くて堪らない。服を脱いだら下腹部が血だらけで真っ赤に染まっていた。逃げるのに必死で気づかなかったけれど、弾が当たっていたんですね。傷口はまるで熟したザクロのようでした。母親に「兄ちゃんがいるかもと思って貨車に近づいたら撃たれた」と話すと、「ばか!」って思いっきりビンタされましてね。そっちの方が痛かったくらいです(笑)。

 ただ、ソ連の侵攻によって満鉄病院や市立病院は閉鎖され、家にある衛生用品はヨードチンキやオキシドール、ガーゼくらいのもの。何日かすると傷口が黄色く膿んで高熱が止まらず、寝ることもできなくなった。それを見兼ねた僕の親が、ひげを蓄えた年配の元軍医を呼んでくれたんですね。老医師は凧に竹ひごを張るように僕の手足を縛って固定し、母に向かって「お母さん、裁ちばさみを火で炙って持ってきなさい」と。ただ、ソ連の侵攻によって満鉄病院や市立病院は閉鎖され、家にある衛生用品はヨードチンキやオキシドール、ガーゼくらいのもの。何日かすると傷口が黄色く膿んで高熱が止まらず、寝ることもできなくなった。それを見兼ねた僕の親が、ひげを蓄えた年配の元軍医を呼んでくれたんですね。老医師は凧に竹ひごを張るように僕の手足を縛って固定し、母に向かって「お母さん、裁ちばさみを火で炙って持ってきなさい」と。

 続けて、医師は僕に対し、「君は日本男児だろう。それなら歯を喰いしばってがんばれ」と言うなり、加熱されて青白く光る裁ちばさみの先端をブスっと腹に突き刺しました。もちろん、麻酔なんてありませんよ。そのままジョキジョキと腹を裂かれたものだから、こっちは痛みを通り越して失神寸前。しばらくして、僕の腹のなかをまさぐっていた医師の手からコロンと小さな塊がこぼれ落ちました。「ソ連兵め、こんな弾を使ってやがる」。医師によれば、僕が撃ち込まれたのは人道上の理由で使用が禁止されていた“ダムダム弾”でした。この鉛弾を喰らうと、弾頭がマッシュルーム状に裂け、鉛毒によって患部が腐ってしまう。縫合もできず、抗生物質もないので手術後も地獄の苦しみを味わいました。傷口はいまでも痛みますよ。とりわけ梅雨前線が通過する時にはね。そのせいで正確な天気予報ができるんです(笑)。
「三船ちゃん」と「森繁さん」

敗戦から1年以上が経過した頃、ようやく我々にも帰国のめどが立ちました。両親と僕、弟の四人は鉄道でハルビンを離れ、途中から日本行きの船に乗ることになった。引き揚げという名の民族大移動です。

 後年、東宝で俳優の道を歩み始めた僕は、同じく大陸からの引き揚げ経験がある大先輩と出会いました。三船(敏郎)ちゃんと森繁久彌さんです。二人とも大変な苦労の末に帰国したわけですが、そのせいで相通ずるところがありました。撮影の合間に集まっては、「あの監督は馬鹿野郎だ」「あの女優はこんなとこがあってさ」と、戦時中に覚えた片言の中国語で大いに盛り上がったものです。

 とはいえ、引き揚げは過酷な経験でした。僕たちの家族がハルビン駅から中国に向けて出発する際には、ソ連兵によって必要最低限の荷物以外は焚火にくべられました。兄たちの写真まで没収されて燃え盛る炎のなかに放り込まれたのですが、母はなりふり構わず焚火に素手を突っ込んで、焼け焦げた写真を引っ張り出した。母は強し、ですね。その写真は兄たちの遺影として残っています。

 引き揚げで南下する途中に食料が尽きて、列車が停車した隙に畑へと忍び込み、ニンジンを盗んだこともあった。野菜を売りにやってくる地元の中国人から衣服と物々交換で野菜を手に入れたりね。ついに交換するものが無くなって、乳幼児と引き換えに泣きながら食料を受け取る婦人もいました。いわゆる中国残留孤児です。わが家も上の兄二人を戦争で亡くし、3番目の兄も満洲でソ連兵に連れ去られて行方不明になっていました。僕たちはどうにか日本海を渡って、父方の故郷である新潟県村上市に落ち着いたわけです。それからほどなくのこと。軍隊の外套を着た男が突然、わが家を訪ねてきたんです。満洲で生き別れになった三兄でした。僕が抱きつくと、兄はこう言いました。「なんで俺を置いて帰ったんだ!」。とても感動の再会などとは呼べません。命からがら帰国を果たした三兄は、その後も親きょうだいと打ち解けることができず、早死にしてしまいました。

 結局、戦争は必ず民間人を巻き添えにします。子どもたちが銃で撃たれ、婦女子は凌辱され、家族の絆も引き裂かれてしまう。その傷は生涯癒えることがありません。

 戦後まもなく「シベリヤ物語」という総天然色のソビエト映画が封切られました。久しぶりにロシア語を聞きたいと思って観に行ったものの、5分もすると吐き気を覚えて丸の内日活劇場を飛び出してしまった。僕を撃ったソ連兵の顔が思い浮かんでね。やはり戦争の後には恨みと憎しみしか残らない。戦争がもたらす悲劇は決して風化させてはなりません。日本は世界で唯一の被爆国なのだから、なおのこと反戦を訴え続ける責任があると思います。これはイデオロギーの違いとは全く別次元の話なんです。

 さて、日本に帰国したものの、暮らしぶりは一向に良くならず、僕が中学生の頃に仕事を求めて家族で上京を果たします。都立豊島高校に進学すると、演劇部に所属して芝居の魅力に心を奪われました。そして、終戦翌年に東宝が開始した新人発掘オーディションの第6期に応募し、53年に東宝ニューフェイスとして俳優活動をスタートさせます。

 その翌年に初主演した作品が「ゴジラ」です。

「ゴジラ」はアメリカでもリメイクされた、世界的な知名度を誇る“怪獣映画”ですが、そもそものコンセプトは違いました。ゴジラは度重なる水爆実験によって安住の地を奪われた“被爆者”なんですね。映画公開時は、アメリカによるビキニ環礁での核実験が大きな社会問題となっており、映画にも核兵器に反対するメッセージが込められていました。実際、この水爆実験によって、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の船員たちは死の灰を浴びて被爆しています。船員のひとり、大石又七さんと僕は同い年。後に連絡を取り合ったのですが、今年3月に亡くなられました。
尊敬を集める国に
日本の人口が約9千万人だった時代に「ゴジラ」は961万人を動員する大ヒットを記録します。終戦直後の日本では戦争の傷跡が生々しく記憶され、原爆に対する意識も高かったわけです。「ゴジラ」は商業映画、怪獣映画ではあるけれど、作品の底に流れているのは日本人だからこそ世界に訴えることのできるテーマだった。それを忘れてはいけないと思います。

 多くの民間人が犠牲になっているコロナ禍はまさに戦争に比肩する有事でしょう。ただ、戦争を知る世代の人間としては、どうしても危機感の欠如を感じてしまいます。東西の冷戦は終結したものの、米中の新たな冷戦が始まりました。中国の覇権主義的な動きに加え、中東情勢も悪化の一途を辿っている。本来であれば、各国が利権や兵器製造のためではなく、伝染病を撲滅するためにカネをかけるべきだと思います。

 それなのに日本のテレビをつければ、食べ歩きや大食いの番組ばかり。コロナで大切な家族や仕事を失って、今夜の食事にも困っている人たちの声は全く届いていない。ドラマにしてもバラエティにしても、日本のテレビ番組には幼児性しか感じられません。もっと大人で、利口な国民になるべきだと感じます。尊厳に満ちた、世界から尊敬を集める国にならないと。

 正直に申し上げて、エンターテインメント業界も厳しいですよ。僕らが進めていた企画はほぼ全て潰れてしまいました。公演が中止に追い込まれると、俳優だけでなく裏方として支える何百人ものスタッフが路頭に迷ってしまう。それでもコロナ禍が収まることを願って準備を進めている。民間人が否応なく巻き込まれてしまうという意味で、戦争とコロナ禍は似ています。そうであればこそ、この困難も歯を食いしばって乗り越えるしかないんです。
宝田明(たからだあきら)
俳優。1934年、朝鮮・清津生まれ。2歳で満州国・ハルビンに渡る。日本に引き揚げ後の53年、東宝ニューフェイス第6期生として俳優業を始める。「ゴジラ」「放浪記」など出演作多数。「マイ・フェア・レディ」などで舞台俳優としても活躍。

「週刊新潮」2021年6月10日号 掲載


● たいわ
マースレニツァ | URL | 2022/03/21(月) 19:20 [EDIT]
日本人から台湾人になってわかる 「二重国籍」でしたたかに生きる台湾の知恵
国際

2022年03月21日

日本人から台湾人になってわかる 「二重国籍」でしたたかに生きる台湾の知恵
春節(旧正月)を迎え華やぐ横浜の中華街 AFP=時事(他の写真を見る)

 コロナ禍からの回復がなかなか進まない不安の中で迎えた2022年。冬季オリンピック・パラリンピックが中国で開かれた。折しも「米中対立」とも呼ばれる現在の不安定な国際構造の中、その最前線に立たされている国が私の住んでいる台湾だ。

 1989年6月、天安門事件の衝撃に揺れる北京での語学留学を終え、同年8月に居住地を台湾に移してから、今年で34年目になる。2020年11月に日本へ一時帰国した私は、数カ月の滞在だったはずが、コロナ禍に振り回されてダラダラと滞在を続け、2021年12月、オミクロン株が徐々に拡散する中で1年ぶりに台湾に帰還した。

 まるまる2週間、厳重な監視下のホテル隔離を経た後に台北の街に出て、真っ先に向かった場所は、居住地区の区役所。中華民国(台湾)への帰化申請書類を提出するためだ。

 どうして60歳にもなろうというタイミングで、いまさら台湾国籍を取得するのか。そう聞かれると単に「権利があるから」(私の配偶者は台湾人で、居留年数も5年を過ぎているため国籍取得の権利がある)と答えているが、もう少しカッコよく言うならこういうことだろうか。
すでに日本に暮らした年月よりも長い歳月を過ごした台湾の籍に入ることで、自分の中に残っていた外国人気分と、長年曖昧だったアイデンティティーに変化があるかもしれないと感じていたこと。それに加え、コロナ禍の1年間を日本で過ごして、台湾社会と日本社会の活力の差を強く実感したのも大きかったと思う。

 核家族化によってすっかり崩壊してしまった日本の家族関係と違い、台湾の家族というのはまだ昔ながらの良きシステムを保っていて、事あるごとに集結して団欒し、老人は一族の誰かが中心になり面倒を見る。一方の日本はどうだろうか。互いの遠慮もあるだろうが、親戚同士が訪ね合うことも(台湾人と比べれば圧倒的に)少なく、疎遠状態は深まるばかりだ。

 また台湾人の多くは中国大陸でビジネスをしたり、アメリカに移民したりと、そのネットワークは国際的だ。彼らは一族のネットワークをフル活用して、世界中の情報を共有している。バブル崩壊以降だんだん内向きで保守的となり、緩やかに衰退に向かいつつある日本とは、メンタリティーもバイタリティーも差があるように見えてしまうのだ。

 前置きが長くなってしまったが、そういうわけで私は、日本滞在中に実家などを整理し、長年連れ添った台湾人の妻の一族に改めて婿入りするような気持ちで台湾社会へ戻ったのだった。

日本国籍が放棄できない

本国籍が放棄できない
 ところが、日本人が台湾人になるというのは、思っていたよりもかなり大変な仕事だった。私自身の国籍変更手続きを振り返る時、台湾という国の置かれた特殊性が改めて浮き彫りになるような気がするので、ここでその珍しい経験を共有したいと思う。

 まず私は、自分で台湾籍を取得しようと考え始めるまで、祖国日本が二重国籍を認めない国であることさえ把握していなかった。中国や日本などの限られた例外を除き、世界的には多くの国で重国籍が認められている。外国暮らしが長かったせいか、私は単純に2つの国籍を同時に持てるものと考えていたのだ。

 したがって、私がまずやらねばならないことは、日本の法務局で「国籍離脱」の申請を行うことだった。これは「日本人をやめます」と自己申請することだよな、と改めて冷静に考えると、少しドキドキした。ただ、もしこれがアメリカ国籍を取得する場合なら、そのまますんなり日本国籍の放棄が認められるのだが、私の場合、戻ってきたのは「国籍喪失届不受理証明書」――。「日本籍を離れます」と自己申請しているのに「それは認めません」と突き返されるわけだ。なんと不条理なことなのだろう。

 ここで私は、日本人が台湾籍を得ることが思いのほか特殊な行為なのだと実感した。二重国籍を認めない日本政府は、通常であれば、まず日本国籍を離脱してから相手国に帰化申請をするよう指導する。ところが台湾籍を得ようとする者に対しては、「我が国と国交のない台湾へ帰化しようと要請するあなたは、無国籍状態になってしまう懸念もあるので、国籍離脱は認めません」という意味の「国籍離脱の不受理」を告知するのだ。

 この流れをよくわかっている台湾側は「国籍離脱の不受理証を日本政府からもらったということは、日本政府が貴方の国籍返上に関して関知しない、という意味だから、台湾側での帰化手続きが進められる」という理屈で、この不受理証を必須文書とする。両国の事務方とも「建前はそうなってます」という感覚で、このような茶番めいた書類のやりとりをするのだ。

 横浜地方法務局長(私の実家が神奈川県なので)のハンコが押された不受理証明書を台北の区役所に提出すると、次は台湾の基本生活知識を中国語で理解できているかを判断する筆記試験を受ける。区役所へ申請を出す際の規定、帰化後にどんな義務や権利が発生するか、DV(ドメスティック・バイオレンス)を受けたらどこに電話するか、という質問まであった(私の結果は90点で合格)。さらにいくつかの事務的な確認を受けた後、4日後に帰化申請は承認され、3カ月ほど待つと「仮免」とでもとでもいうべき「台湾地区居留証」が発行される。この段階で、外務省にあたる外交部で手続きすれば仮パスポートも発行してもらえる。そして通常の流れでは、「仮免」発行の1年後、正式なIDカードである「中華民国国民身分証」が発行される運びとなるわけだ。

帰化に前向きな日本人女性
 今回、帰化の手続きをするにあたって、500人近い会員を持つ在台湾日本人の組織「居留問題を考える会」からの説明が大いに参考になった。そこでは、様々な動機で日本から台湾に帰化する人々の例を知ることができた。最も多いのは、台湾に嫁いだ日本人女性だという。台湾人の夫が退職あるいは死亡した時、給付金や年金、相続の問題において外国籍であることで不利にならないように、という動機だ。すでに日本には帰る家もなく、老後の不安を感じたシニア女性が、台湾の介護や福祉システムを十分に受けられるよう帰化を決意するのである。あるいは「子供が成長するまで待ったが、もう配偶者とその一族には我慢の限界なので、帰化が認められた瞬間に離婚届けを突きつけます」と気丈にもシニア離婚を決意している女性もいた。

 他方、最近は若い世代の人の帰化申請も増えているという。「居留問題を考える会」の関係者いわく、「特に30代前後の日本人女性は以前より戦略的に見えます。台湾に長期居留したいために、現地の人と結婚してまず配偶者ビザを取得し、帰化する権利が整った途端、そそくさと帰化手続きを始める人が意外と多いですね。彼女たちの考えは、配偶者とはいつ離婚になるとも限らない、その前に手を打っておく、というものです」
他方、最近は若い世代の人の帰化申請も増えているという。「居留問題を考える会」の関係者いわく、「特に30代前後の日本人女性は以前より戦略的に見えます。台湾に長期居留したいために、現地の人と結婚してまず配偶者ビザを取得し、帰化する権利が整った途端、そそくさと帰化手続きを始める人が意外と多いですね。彼女たちの考えは、配偶者とはいつ離婚になるとも限らない、その前に手を打っておく、というものです」

 以前の社会システムでは、女性が離婚をするというのは家族からのステップアウトを意味し、嫁ぎ先の家族に一生を尽くす、というのが美徳でもあったが、その家族システムが崩壊しつつある現代にあっては、日本の若年世代の生き方も多様になっていると感じる。私のように、日本という国に明るい未来を感じない日本人も増えたかもしれない。少し前の世代なら「やはり日本がいちばん住みやすい国」と信じて、いつかは日本に帰るつもりで国籍変更まではしない人が多かったと思うが、時代は流れ、新たな“日本人移民”たちが生まれつつあるのだろうか。

ビジネス面でのメリット――巨大な中国市場へのアクセス
 もちろん、面倒な手続きを嫌い、帰化せず「外僑永久居留証」で一生を全うする在台日本人も多い。特に男性は女性に比べ、わざわざ台湾籍を取得するメリットを感じないようだ。ただ、ビジネス面で国籍を必要とするケースはある。(漢方)診療所を開業するにあたって、「外国籍での開業は認められない」と言われ国籍を取得した人もいる。また、意外と知られていない台湾籍のメリットとして、「『台湾同胞証』を持っていれば、中国に自由自在に滞在できる」ことも挙げられる。

 この「台湾同胞証」(正式名称は「台湾居民来往大陸通行証」)というのは、かなり特殊な渡航証だ。中華人民共和国は台湾を国として認めず、台湾人を「台湾同胞」という中国国民の一種と位置付けており、台湾人が所持する中華民国パスポートの効力を認めない。それを解決するために作られたのが「台湾同胞証」なのだ。要は、中国に入国する時のみに効力を発揮する通行証である。これは日本人の身分ではありえない特殊な証明書なので、あったほうが得だと感じた。

 かつて私が新疆ウイグル自治区を旅行した時のことだが、現地の役人に「パスポートを見せろ」と言われて提示したところ、「ビザがないじゃないか」と難癖をつけられて足止めをくらったことがあった。日中間では短期の旅行ならビザは不要なのだが、その役人はそれを知らなかったのだ。中国はとても広い国なので、田舎に行くとこういう面倒事はまま起きる。しかし、「台湾同胞証」を持っていれば、こうした事態は避けやすくなる。

「台湾同胞証」にはもともと、中国政府から台湾人への「飴とムチ政策」としての要素もあった。中国に居住地登録をすれば、台湾人の滞在は制限なし。中国人民と限りなく近い扱いを受けられる。まさに同胞の証しであり、大陸とのビジネスにおいては大切なツールとなる。ちなみに、台湾の身分証には中国語名も記載できるので、日本の本名とは違う華人らしい名前をつけ、名実ともに中国人になりきることもできる。なんだか別の人格を得られるような気がした。

 ただ、帰化をしない知人からは「『台湾同胞証』だって、北京政府からの通達ひとつで、中国国内のあちこちでイヤがらせを受けて、入管でメチャクチャ待たされることもあるそうですよ」と、「台胞証」が万能でないことをほのめかされた。「台胞証」には、中国側が台湾人をビジネス優遇策によって引き入れ、少しずつ中国に同化させようという意図もあり、ひいては中台有事があった際の人質になる、というリスクも出てくる。ビジネスのために中国に駐在する台湾人は最大時で200万人といわれており、その数は実に台湾の総人口の1割弱にも上る。仮に中台有事が起きた場合、台湾当局は彼らを見捨てて抵抗を継続できるのか、頭を悩ませることになるだろう。放棄した国籍を再び取り返す台湾系華僑
 手続きの合間に、横浜中華街の知り合いにも帰化の相談をしたが、そこで驚くべき事実を知った。いったん中華民国籍を離脱して日本に帰化した元台湾人たちの多くは、国籍回復という形で再び台湾籍を取り戻すという、日本人が考えも及ばない離れ業的な手続きをしているというのだ。

 二重国籍といえば、現立憲民主党の蓮舫議員が、台湾と日本の二重国籍状態であったことで議論が沸騰した。蓮舫氏以外にも、作家の東山彰良氏、歌手の一青窈氏、俳優の余貴美子氏、タレントの渡辺直美氏など、日本にも台湾をルーツに持つ著名人は少なくない。台湾に生まれて日本に拠点を移した人や、在日台湾人家庭に生まれた台湾系華僑と呼ばれる人々は、全国に散らばっており、蓮舫氏のように幼少期から2つの国籍を持ち、成人になっても両方の国籍を保持し続けている二重国籍者は少なくない。

 すでに述べたように日本は二重国籍を認めていないから、日本国籍を持ちたい台湾人は、中華民国籍を放棄して日本人となるほかない。ところが少し時間をおいて、やはり台湾籍も持っておきたいということで、日本人の身分で台湾籍を取得して(つまり私が行ったのと同じ手続きで)二重国籍になる。それだけの面倒を惜しまずに台湾籍を回復する彼らは、よほど自分のルーツにこだわりが深いのだろう。蓮舫氏の場合は国会議員という立場だったために、公職選挙法上の規定に抵触する恐れもあり大きな批判にさらされた。ただ、公人という立場でさえなければ、国交のない日本と台湾の間で暮らす台湾系華僑の生き方としては、日台二重国籍というのは決して珍しいケースではなかったと思う。

日本人は台湾籍を取っても選挙には出られない?
 400年以上も前から移民の集合体で成り立っている台湾社会は、伝統的に移民に寛容だ。近年は、ここ20〜30年で増加した「中国人妻」や「ベトナム人妻」の帰化手続きが急増したため、これら新しい帰化住民を「新移民」と位置づけ、各自治体は彼らの受け入れ環境を整備している。中国人妻については1990年代、改革開放のアクセルを加速した中国本土と台湾が急速に接近した結果、台湾人と中国人の婚姻が増えた。また農村部には嫁が来ないなどの理由で、比較的に貧しいベトナムからの嫁取りがブームになった。他の東南アジア諸国から嫁いでくる女性もいるが、台湾人男性は色白の女性を好む傾向が強く、圧倒的にベトナム人妻が多い。ピーク時の2003年には台湾人と国際結婚する外国人が年間5万4634人(内政部資料より)に達したが、その半面、偽装結婚などの各種問題も顕在化した。そのため、同年から移民を監督する「移民署」が面接などの対策を強化した結果、ここ15年ほどは年間2万人強に落ち着いている。とはいえ、台湾に暮らす外国籍配偶者(帰化者を含む)は56万人を超えており、少子化の時代に大した人口増である。すでに台湾の原住民の総人口(約50万人といわれる)を超えていることになる。

 日本から帰化する人々も「新移民」に含まれるわけだが、実は私には台湾籍を取得したらチャレンジしてみたいことがあった。新移民が集住するエリアで、新移民たちの暮らしをサポートする市民サービスを充実させたい。そのために、いずれは「里長(最小単位の地区長)」を目指して選挙に出馬してみようかと、ひそかに考えていたのだ。

 私の“野望”について、日本の知人たちはたいてい驚いて「なんでそんなことをするの?」と聞いてくるのだが、私はもちろん「権利があるから」と答えている。せっかく参政権が与えられるのだから、立候補してみたっていいではないか。ところが、帰化手続きを進める中で「帰化後10年間は被選挙人として立候補できない」「中華民国籍以外の国籍を所持している間は公務につくことはできない」という条項を見つけてしまった。

 これは万事休すだった。なにせ日本政府は私の国籍放棄を認めてくれないのだ。仮に日本国籍を放棄していれば、帰化後10年待てば(その時はすでに70歳だが……)、台湾の公僕として奉仕することも可能だが、国籍放棄ができない仕組みになっている以上、この望みは一生絶たれるわけだ。したがって私は目下、別の角度から台湾社会に貢献していく方法を模索している。
台湾人の懐に入るためには台湾語のマスターを
 現実問題としては、台湾に暮らしてすでに33年になるので、国籍が変わったところで自分の生活が変わることはないだろう。あるとすれば、今後は「台湾新移民の広橋」の自覚を持って、新参者として新たに台湾社会に受け入れてもらう努力が必要だと思っている。

 新移民にとって大切なのは、台湾で「普通話(プートンホワ)」と呼ばれる標準語としての北京語に加え、台湾語(閩南語―福建語のひとつ)を習得することだと感じた。台湾語ができるかできないかで、周囲の評価はずいぶん違うものになる。台湾語の話者が多い中南部では特に、「我々の言葉を使いこなすなら、仲間とみなす」という空気を肌で感じる。台湾語で会話ができてようやく、彼らの懐に入ったという実感を持てるわけだ。

 かといって、私は今でも日本国籍を持つ日本人でもある。完全に台湾人になりきる必要もないのではないか、とも感じる。腹の奥には日本人魂を持ちつつ、台湾社会と折り合いをつけていくことになるのだろう。新移民として生きていく上では、まだまだ見えない壁はいくつも立ちはだかっているはずだ。とりあえずは新しい国籍の取得をきっかけに、環太平洋を含むアジアの住人の1人として、人間の幅を広げる第一歩として、「日本を離れて俯瞰してみる」ことを意識して生活してみようと思う。その先にどんな世界が待ち受けているか。新しい人生の始まりである。

広橋賢蔵
台湾在住ライター。台湾観光案内ブログ『歩く台北』編集者。近著に『台湾の秘湯迷走旅』(共著、双葉文庫)など。
● 露の圧力に屈するな 消されるクリミア少数民族
マースレニツァ | URL | 2022/03/23(水) 09:00 [EDIT]
露の圧力に屈するな 消されるクリミア少数民族
2022/3/22
2月中旬、ウクライナの首都キエフで、取材に応じたクリミア・タタール人のアイデル・ムジュダバイエブさん(佐藤貴生撮影)
ロシアのウクライナ侵攻を悲痛な思いで見つめている人々がいる。同国南部クリミア半島の先住少数民族クリミア・タタール人だ。18世紀に帝政ロシアが併合し、人々はソ連時代の強制移住で民族離散を余儀なくされた上、クリミアは再び露に併合された。ウクライナの首都キエフ在住のクリミア・タタール人の男性は「ロシアは侵略者。ウクライナが圧力に打ち勝つよう祈っている」と訴えている。

「存在しない」民族
「この250年間、私たちにとっていい時代はほとんどなかった」。2月中旬、キエフで会ったクリミア・タタール人のアイデル・ムジュダバイエブさん(49)が話した。オスマン帝国の保護国だったクリミア・ハン国が1783年に帝政ロシアに併合されて以降、民族的悲劇が続いていると主張する。
● >マサムネさん
シラユキ | URL | 2022/03/24(木) 11:13 [EDIT]
コメント、台湾・ウクライナ系は勉強になります。NHKが国営ウクライナ放送と契約したという件は、毎朝世界のニュースをみていて、ウクライナのニュースが流れるようになつて気がつきました。前はロシアがカバーしていたんですよね。でも、画像の下にこれはウクライナ放送局のながしているものです、と但し書きがあり、ロシアの国営放送にも同じ是はロシア国営放送がながしているものですとテロップがでていたのにはワロタ

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