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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2021/12/14(火)   CATEGORY: 未分類
「今年の三大ニュース」と「日本とチベットの120年」
今年もあと僅かとなりました。そこで恒例「独断で選ぶ2021年、チベット・ニュース」。
 
1. 5月14日、センゲ首相の任期満了をうけ、チベット亡命社会はペンパツェリン氏を新首相に選出。

2. 7月23日、習近平、人民解放軍のチベット進駐70周年を記念して「チベット自治区」を初視察。自治区を離れた後に視察の発表をしたのは襲撃を恐れていたのではとウワサされた。

3. 12月6日 中国政府のウイグルにおける人権弾圧を批判し、アメリカほかが2022年の北京冬季五輪を外交ボイコット表明。

 ウイグルの人権問題が北京冬季オリンピックの開催に影響している今、2008年のチベット蜂起にともなう夏期北京オリンピックのボイコット騒動を思い出す。あの時はアメリカを始めとする欧米社会は選手も派遣しない 「完全ボイコット」を検討したものの、モスクワ五輪のボイコットが何も生み出さなかった反省から結局取りやめになり、開会式にはアメリカ大統領やらなんから錚々たるメンバーが参列した。

 あの時、国際社会は「オリンピックを契機に国際社会を意識し、これからは中国も国際標準を学んでくれるのではないか」と希望したが、その希望ははかなく潰えた。2008年のオリンピックの成功に自信を深めた中国は、一帯一路で途上国に返せない借金を背負わせ、東シナ海に軍事拠点をつくり、ウイグルの文化虐殺を着々と進めた。2008年のあの時の判断が後に「[ナチスに対する]宥和政策と同じだった」とか評価されないことを祈る。

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さて、閑話休題。ちょっと前、ダライラマ法王事務所から「ダラムサラで流すから日本とチベットの関係を15分で語って欲しい」と依頼があった。実は、今年は日本人(河口慧海)がチベットの都ラサに初めて入った1901年から丁度120年目。それ関係かと思ったら全然関係なし(笑)。しかし、120年の歴史を15分で語るのはいろいろ削らなければならない。そこでチベットの方に分かりやすいように以下のように両国の関係を試験的に五期にわけてみた。

I. チベットではダライラマ13世による鎖国→海外亡命→ラサ帰還までの時代 / 日本では日清・日露戦争からWWI直前の時期 (1897 〜1913)

 19世紀末、南下するロシアと北上するイギリスの狭間にあって、チベットは両大国の係争地であった。また、ダライラマ13世は欧米人に対して堅く門を閉ざしていたため、欧米人探検家の射幸心は煽られ、国籍をとわない探検がラサに競って向かっていた。

 このような中にあって日本人がチベット潜入を目指した動機には、政治的なものと宗教的なものがあった。外務省の資金によりチベット入りした成田安輝(1901年11月ラサ入り)は前者の目的でラサに入った。一方、河口慧海(1901年3月ラサ入り)・能海寛(1903?年に失踪)は、宗教的な動機、すなわち明治維新で弱体化した日本仏教をたてなおそうという目的でチベット仏教の経典を求めてラサに向かった。
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 東本願寺の寺本婉雅(1905年5月ラサ入り)は、政治・宗教のないまざった動機、すなわち日本とチベットの仏教界を協力させて西洋と対抗しようとダライラマ13世に持ちかけていた。ちなみに、寺本婉雅はダライラマ13世が「この人は日本人」と認識した、はじめての日本人であったと思われる。

 1904年から1905年までの間、ダライラマ13世はイギリスのラサ侵攻をうけてラサを脱出し、ロシアの支援を求めてモンゴルに滞在していた。しかし、日露戦争(1904-1905) に敗れたロシアにはチベットを救済する余裕はなく、あまつさえ、1907年にはイギリスとの間で、中国をチベットの宗主国と認める英露協商を締結してしまった。

 このため、ダライラマ13世は英露協商にしばられない日本やアメリカに接近をはかった。1908年、寺本婉雅の仲介で西本願寺の法主(代理) がダライラマ13世と五台山で会談し、ダライラマはチベットの高僧を日本に派遣することを承諾した。こうして、1910年に来日したツァワ=ティトゥル (tsha ba khri sprul) は大谷光瑞の邸宅、二楽荘に滞在した。
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 1911年辛亥革命がおきると、ダライラマ13世はラサ帰還を視野にいれはじめ(ダライラマ13世は中国軍を避けて英領インドにいた)、チベット政府はありとあらゆるチャンネルを通じて諸外国に武器供与を求めていた。しかし、当時の日本はチベットに自重を求める方針であったため国としてそれに応じず、1910年と1912年に日本人として四番目にラサ入りした矢島保治郎がチベット軍の教練などにあたっていた(チベットは最終的にはイギリス式教練を採用)。1913年初頭のダライラマ13世のラサ凱旋と同時期に、ツァワ=ティトゥルの世話係であった西本願寺の青木文教、多田等観がダライラマ13世に招待され、正式にチベット入りしてラサに滞在した(同時期に河口慧海・矢島保治郎も滞在)。

 1913年初頭、チベットはチベット・モンゴル条約自立のお触れなどを相次いでだし、各国の元首に親書を送るなどしてチベットの「国」としての承認を求め続けた。同年シムラ会議においてチベットと中国の国境線の画定が諮られたが決着をみず、1914年、シムラ条約はイギリスとチベットの間のみで締結された。こうして事実上独立の時代にはいったチベットは、社会主義化したモンゴルやロシアが仏教界を壊滅させたこともあり、国際社会に対する興味を全体的に失っていく。

II. チベットは独立期 / 日本は両大戦期 (1937 〜 1945)

 大戦期、日本軍は、連合国が蒋介石を支援するヒマラヤ・ルートに関する情報を得るため、再びチベットに目を向けた。この時期、ラサに潜入した日本人は以下の三人である。
野元甚蔵 (1917-2015) 1939年にラサに潜入、ダライラマ14世の即位式に出会う。
木村肥佐生 (1922-1989) 1943年ラサに潜入。
西川一三 (1918-2008) 木村と入れ違いの1945年にラサに潜入。
 
III. チベットは中国に占領 / 日本は戦後 (1959 〜 2008)

 戦後、中国に対して行った蛮行に対する罪悪感から、日本の「知識人」たちは「自分たちの理想を新中国が体現している」と中国を賛美しつづけた。日本の報道は大躍進政策の失敗や文化大革命の混乱は一切報道せず、当然、チベットについても「チベットは中国に『解放』され、幸せになった」と信じていた。難民社会や亡命政権についてはメディアが報道しないため一般の人々の知る所とはならず、難民社会を支援していたのは一部の保守層の政治家や市民であった。欧米では左翼が人権問題に敏感であるのと真逆の現象が、日本では起きていたのである。
 ダライラマ14世の1967年におこなわれた初外遊は仏教国と認識された日本とタイであった
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IV. 北京オリンピック後 ( 2008〜現在)

 2008年のチベット蜂起をへて、日本のマスメディアはようやくチベットの実情を報道しはじめ、多くの日本人がチベット問題を知るようになった。もともとアジアの国の中でダライラマ14世に安定的にビザを発給していた国は日本だけ。来日回数がおおいのは当然だが、28回の来日のうち実に15回が2008年以後であることがチベットに対する認識の高まりを示している。近年、ダライラマの日本公演は、ロシアのブリヤート人・カルムック人、モンゴル人、台湾・韓国の仏教徒、東南アジアの華僑が集う場となっている。
 
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● NHKスペシャル
マサムネ | URL | 2021/12/20(月) 16:34 [EDIT]
NHKスペシャル
中国新世紀 (5)「“多民族国家”の葛藤」
https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/9LM8RKZM7W/
来年2月の北京オリンピックを前に、アメリカなどが「外交的ボイコット」を表明するなど、世界が注視する新疆ウイグル自治区の人権問題。世界各地では「自治区に住む家族と連絡がつかない」と訴える人が相次いでいる。一体、何が起きているのか?現地での監視や収容の実態を追跡する。創立から100年を迎え、民族の団結を目指す中国共産党は、ウイグル族などの少数民族をどうまとめていくのか?その葛藤と行方を見つめる。

見逃し配信
中国新世紀 (5)「“多民族国家”の葛藤」
来年2月の北京オリンピックを前に、アメリカなどが「外交的ボイコット」を表明するなど、世界が注視する新疆ウイグル自治区の人権問題。世界各地では「自治区に住む家族と連絡がつかない」と訴える人が相次いでいる。一体、何が起きているのか?現地での監視や収容の実態を追跡する。創立から100年を迎え、民族の団結を目指す中国共産党は、ウイグル族などの少数民族をどうまとめていくのか?その葛藤と行方を見つめる。
● 輪廻転生
マサムネ | URL | 2021/12/30(木) 05:25 [EDIT]
石田三成さん「文化財の危機に東軍も西軍も、敵も味方もない」徳川美術館支援呼び掛けの輪ひろがる
11/3(水)
中日スポーツ
運営ピンチの徳川美術館
 中日スポーツWEBが3日、尾張徳川家に伝わる国宝などを所属している徳川美術館が、コロナ禍で入場者激減にともない今後の運営費として活用することを目的にクラウドファンディング実施をした記事を発信。文中で「徳川は敵といえど、何卒皆々のご支援をよろしくお願い申し上げます」と支援を呼び掛けていたフォロワー数約20万人のツイッターアカウント「石田三成」が、新たな応援メッセージをツイートした。
 「石田三成」さんは「いつの間にか記事になっていました…。とはいえ、文化財の危機に東軍も西軍も、敵も味方も関係ありません。大一大万大吉(旗印)。皆々の力を結集して、少しずつ支援していこう。引き続き宜しくお願い申し上げます」と重ねてコメントした。
 このツイートには「戦国時代のエピソードらしく『敵に塩を送る』ってやつですね」「殿は敵に優しく、味方には手厳しい…」「歴史を語り続けてくれる遺物の保護、並びにそれができる環境は大事にしなければなりませぬな」などのコメントが寄せられ、徳川美術館を支援する輪が広がっている。

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