クラッシュから生まれる希望と絶望
アカデミー賞の作品賞をとったとかいうアメリカ映画『クラッシュ』を見る。
ロサンゼルスに住み、お互い微妙に生活圏を重ねる人々(店主と客、派遣修理人とクライアント、犯罪者と被害者、検事と警察、医者と患者、刑事と民間人etc.)が、人種間でぶつかりあい(クラッシュ)、それらのエピソードの中から、奇跡のように相互理解が生じたり、その逆に、突然不慮の死が訪れたりすることなどをたんたんと描いた作品である。
(かなりえーかげんにみていたので、内容をちゃんと把握していないかもしれない)
人種的な偏見のない白人が、はずみで黒人を殺してしまったり、差別的な発言を繰り返す商店主や犯罪者が、奇跡的に心をいれかえたり、自分の出世のために同人種の家族を切り捨ててうしろめたい人々など、単純な勧善懲悪でおわらないストーリーが、アメリカ映画には珍しい奥行きをもたせている。
例によって、前提となる社会がドグサレているので、共感するまではいかないが、そういう社会をうまく描いたという意味では賞賛に値する。
好みの男優がでていないにもかかわらず、私が珍しくアメリカ映画をほめたくなった理由はたぶん、あれだな。
同じような手法をつかった邦画『有頂天ホテル』があまりにアレだったからだろう。
この『有頂天ホテル』、『クラッシュ』同様、様々な人間模様をぶつけあわせながら、最後のカタストロフィー(カウントダウンパーティ)に向けて収斂させていくのであるが、じつにひどい。
一つ一つのエピソードが実にくだらないのである(以下ネタバレあり。みない方が幸せかもしれないので、以下の記述も読むことをオススメします 笑)。
証人喚問に呼ばれて自殺寸前にまで追いつめられている汚職政治家と元愛人の再会
恋人のパンツをはいて仕事に出かけたことから危機を迎えているカップル
鹿の交配を趣味でやっているオッサンとコールガール
もと演劇青年、今ホテルの副支配人とその元妻の再会(この元妻は今は鹿の交配オッサンの妻)
歌手になる夢をあきらめようとするベルボーイと元同級生の女の子の再会(この女の子はコンパニオンで津川雅彦とフリン中)
このセンスがみじんも感じられない荒唐無稽な設定だけでも、みる気なくなるでしょ?
で、これら登場人物が、大晦日のホテルで、昔の知り合いや元妻に再会すると、よくある話で「自分の今」をよくみせようとして、相手にウソをついたり、去勢をはったりして、どたばた喜劇が始まる。
でもって登場人物がいきついた境地が「生きたいように生きるんだ」とか「夢をあきらめないで」とか、なんだかねーの世界。
たとえ娯楽作品であっても、そこにその時代や社会の一部をするどくきりとってみせるリアリティがなかったり、人間性というものに対するペーソスとか愛情とかがなかったりすると、そこには笑いも感動も生まれない。
どんなに有名な役者を数つかってそろえても、巨額の費用を投じてセットつくっても、いい作品にはならないのである。
その点『クラッシュ』は多少デフォルメしているとはいえ、黒人、白人、中東系、ヒスパニック、東洋人などのまじりあう「ロサンジェルスの今」をよく描いていた。
そして、そのどうしようもないドロドロの中から、かすかな希望とそして圧倒的な絶望を描いてみせた。
なので、『クラッシュ』は、社会も、人も両方描くことに失敗している底の浅い『有頂天ホテル』よりははるかにマシ(つか、一邦画をアカデミー賞と比べる私が悪いのか)。
ロサンゼルスに住み、お互い微妙に生活圏を重ねる人々(店主と客、派遣修理人とクライアント、犯罪者と被害者、検事と警察、医者と患者、刑事と民間人etc.)が、人種間でぶつかりあい(クラッシュ)、それらのエピソードの中から、奇跡のように相互理解が生じたり、その逆に、突然不慮の死が訪れたりすることなどをたんたんと描いた作品である。
(かなりえーかげんにみていたので、内容をちゃんと把握していないかもしれない)
人種的な偏見のない白人が、はずみで黒人を殺してしまったり、差別的な発言を繰り返す商店主や犯罪者が、奇跡的に心をいれかえたり、自分の出世のために同人種の家族を切り捨ててうしろめたい人々など、単純な勧善懲悪でおわらないストーリーが、アメリカ映画には珍しい奥行きをもたせている。
例によって、前提となる社会がドグサレているので、共感するまではいかないが、そういう社会をうまく描いたという意味では賞賛に値する。
好みの男優がでていないにもかかわらず、私が珍しくアメリカ映画をほめたくなった理由はたぶん、あれだな。
同じような手法をつかった邦画『有頂天ホテル』があまりにアレだったからだろう。
この『有頂天ホテル』、『クラッシュ』同様、様々な人間模様をぶつけあわせながら、最後のカタストロフィー(カウントダウンパーティ)に向けて収斂させていくのであるが、じつにひどい。
一つ一つのエピソードが実にくだらないのである(以下ネタバレあり。みない方が幸せかもしれないので、以下の記述も読むことをオススメします 笑)。
証人喚問に呼ばれて自殺寸前にまで追いつめられている汚職政治家と元愛人の再会
恋人のパンツをはいて仕事に出かけたことから危機を迎えているカップル
鹿の交配を趣味でやっているオッサンとコールガール
もと演劇青年、今ホテルの副支配人とその元妻の再会(この元妻は今は鹿の交配オッサンの妻)
歌手になる夢をあきらめようとするベルボーイと元同級生の女の子の再会(この女の子はコンパニオンで津川雅彦とフリン中)
このセンスがみじんも感じられない荒唐無稽な設定だけでも、みる気なくなるでしょ?
で、これら登場人物が、大晦日のホテルで、昔の知り合いや元妻に再会すると、よくある話で「自分の今」をよくみせようとして、相手にウソをついたり、去勢をはったりして、どたばた喜劇が始まる。
でもって登場人物がいきついた境地が「生きたいように生きるんだ」とか「夢をあきらめないで」とか、なんだかねーの世界。
たとえ娯楽作品であっても、そこにその時代や社会の一部をするどくきりとってみせるリアリティがなかったり、人間性というものに対するペーソスとか愛情とかがなかったりすると、そこには笑いも感動も生まれない。
どんなに有名な役者を数つかってそろえても、巨額の費用を投じてセットつくっても、いい作品にはならないのである。
その点『クラッシュ』は多少デフォルメしているとはいえ、黒人、白人、中東系、ヒスパニック、東洋人などのまじりあう「ロサンジェルスの今」をよく描いていた。
そして、そのどうしようもないドロドロの中から、かすかな希望とそして圧倒的な絶望を描いてみせた。
なので、『クラッシュ』は、社会も、人も両方描くことに失敗している底の浅い『有頂天ホテル』よりははるかにマシ(つか、一邦画をアカデミー賞と比べる私が悪いのか)。
COMMENT
●
隣のドロドロ | URL | 2006/08/11(金) 15:09 [EDIT]
隣のドロドロ | URL | 2006/08/11(金) 15:09 [EDIT]
クラッシュや有頂天ホテルと比べるべくもありませんが、来週私、帰省します。見舞い、墓参り、親戚同士の盆の寄り合い、近所行事から私はどんな希望何を見出すことができるのでしょうか(笑)
先生よかったらおたちよりください。F先生とご一緒に。
先生よかったらおたちよりください。F先生とご一緒に。
● 今気がついた
イシハマ | URL | 2006/08/11(金) 16:50 [EDIT]
イシハマ | URL | 2006/08/11(金) 16:50 [EDIT]
『隣のトトロ』のパロディだね!
たぶんお盆時期には京都にいない。
暑いので体に気をつけてね。
たぶんお盆時期には京都にいない。
暑いので体に気をつけてね。
● 残暑お見舞い申し上げます
ジュナ | URL | 2006/08/12(土) 11:19 [EDIT]
ジュナ | URL | 2006/08/12(土) 11:19 [EDIT]
『有頂天』のユル~イ人物設定、今の日本の縮図なんでしょうか、でも「夢をあきらめないで」はちょっと・・・
ツガワの映画論によると「人間が目的に向かって必死に努力する姿が観客の感動を呼ぶ」のだそうで。
ツガワ絡みなら『寝ずの番』の方が、まだいいかもです。
ツガワの映画論によると「人間が目的に向かって必死に努力する姿が観客の感動を呼ぶ」のだそうで。
ツガワ絡みなら『寝ずの番』の方が、まだいいかもです。
● いや、あれは日本の縮図ではない
イシハマ | URL | 2006/08/14(月) 14:50 [EDIT]
イシハマ | URL | 2006/08/14(月) 14:50 [EDIT]
あんな古い笑いすべった笑いが日本の縮図だと悲しいですよ。
あれは三谷監督の世界の縮図であって、そのような意味では日本の極微の一部といえるかもしれませんが。
あれは三谷監督の世界の縮図であって、そのような意味では日本の極微の一部といえるかもしれませんが。
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