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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2021/06/08(火)   CATEGORY: 未分類
タワンをフィールドにした四冊
本日はタワン(インド名: アルナーチャルプラデーシュ州)を研究対象とした四つの本をご紹介したい。

地図でいうとチベットの南、ブータンの東、ミャンマーの西にあたる地域で、チベットではタワンと呼ばれダライラマ6世の故郷として、またダライラマ14世が1959年にインドに亡命する際に通過した地点としても知られている(写真はクリックすると拡大します)。
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 この地域は1951年に人民解放軍がチベットに侵攻するまではダライラマ政権の支配下にあり、言語や文化はチベットである(但し他にも少数民族多数あり)。 タワンはインドが実効支配しているが、中国(チベット)がそれを承認していないため、両軍が対峙しており、その結果1992年までは外国人の入境が禁止されていた。

 なぜこうなったのかというと、1913年にインドのシムラで英・チベット・中の間で交渉が行われた時、半年間双方資料をだしあって国境画定などを盛り込んだシムラ条約を調印しようと試みたのだが(チベット側は具体的な徴税文書とかを提示してここままでがチベットといったが、中国側は例によってここは中国だああああ、と主張)、調印の段階になって中華民国代表はイニシャルだけサインして逃げたため、イギリスとチベットだけで条約は結ばれた。

 1949年中華人民共和国が成立し、翌年中国共産党がチベットに侵攻・占領すると「シムラ条約は調印してないから無効。マクマホンラインなんて知るか。タワンは中国のものだ」と言い出したので、いつ中国軍が南下してくるかわからない微妙な地域となってしまったのである。

 そういうわけで、この地域はインドの中でも特別な地域となり外国人もインド人も入境が難しかったため、比較的最近まで近代化の波に洗われることのない伝統的な社会が存続していた。現在インドに属しているチベット文化圏のうち西部のラダックやザンスカールは研究が進んでいるが、このタワンは割と最近になって研究者のフィールドになったのである。

 これからご紹介する以下の4冊の本のうちはこのようなフィールド研究の成果に基づくもので、最初の二冊

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奥宮清人編(2011)『生老病死のエコロジー―チベット・ヒマラヤに生きる』昭和堂 
奥宮清人編(2011)『続・生老病死のエコロジー―チベット・ヒマラヤに生きる ヒマラヤ・アンデスに生きる身体・こころ・時間』昭和堂


は、高地プロジェクトに参加した20数名の先生方の論著を集めた一般向け論文集である。編者である医学博士の奥宮清人先生(総合地球環境学研究所、京都)は世界中の高所(フンザ、アルナーチャルプラデーシュ、青海省、ラダック、ペルー)においてメディカルキャンプを行い、高地特有の生理的特徴や長寿の秘密を探ってこられた方である。

もう一冊は
水野 一晴(2012)『神秘の大地、アルナチャル―アッサム・ヒマラヤの自然とチベット人の社会』昭和堂

である。水野先生は高山や乾燥地の極限地域における自然環境と社会、自然地理・気候変動を研究テーマとされており、京都大学地理学研究会を主宰。私個人の興味としてはダライラマ政権の支配下に当該地域があった頃のラサとタワン地域の関係(納税・交易ルートetc.)を土地の古老からの聞き取りによってかなり詳細に解明していたのが興味深かった。

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最後にご紹介するのは最近でたばかりの

長岡慶(2021)『病いと薬のコスモロジー――ヒマーラヤ東部タワンにおけるチベット医学、憑依、妖術の民族誌』春風社
である。

著者長岡氏は早稲田大学で自然地理学を学んだ後、京都大学の大学院においては人類学を専攻し、タワン地域のチベットの伝統医療を研究対象に定めた。

 チベットの伝統医学は『ギュシ』(rgyud bzhi 通称『四部医典』) という古典に則り体系化されており、ヒマラヤ地域の豊かな動植物を薬材を調合するチベット薬によって名高い(その薬材については拙著『チベット伝統医学の薬材研究』を見てね! )。

 長岡氏がタワンを研究対象に定めた理由は、チベットの伝統医学についての研究がラダックなどのインドの西部地域に偏っていることに気づき、「より低地で薬草などがゆたかに産出するタワンにはきっと西部とは異なった実地医学があるだろう、土地のアムチ(お医者さん)といっしょに薬草採取ができるといいな」と期待に胸をふくらませてタワンにいった。

 しかーし、ついてみると村出身のはアムチはおらず、 診療所のアムチはダラムサラにあるチベット亡命政府が運営するメンツィーカン(医学校)を卒業した人であり、薬草つみも中・印国境の微妙な場所であることから外国人が同行することは不可能であった。

 当初の期待がはずれてもそこからどうするかでその人の価値はきまる。よく見てみると村には人々が病になった時にたよる密教医やシャーマンなどはいる。また、インドがチベット医を登録制にする際に認定基準をめぐり、密教医とダラムサラのメンツィーカンで学んだ医者との間で対立があることなど、伝統が近代化に直面することによって生じる様々な事象を目にすることになった。こうしてタワンの医療がインドの医療制度と出会った時におきる様々な事象が本書のテーマの一つとなった。

 ちなみに上のレベルではチベット医学全体としてはラサのメンツィーカンを主宰する中国が現在ユネスコの無形文化遺産にチベット医学を中国の伝統医学の一部として申請しており、一方インドもインドの伝統医学の一部としてチベット医学の承認を求めるなど空中戦を繰り広げている。病をなおすという実学であるがゆえにチベット医学は仏教のようにはげしい弾圧対象にならず(チベット医学は仏教と強い関係があるのだが中国はそのあたりはスルー)、ともあれ存続していると思うしかない。

 この本のもう一つのテーマはタワンの人々が病をどう理解し、どのような対処をしているかというフィールドで見聞きした民族誌である。タワンのアムチたちの診療の実際なども記されており大変に面白いので興味のある方はぜひ本書おすすめです。
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● たわん
マサムネ | URL | 2021/06/08(火) 21:08 [EDIT]
ダライ・ラマ14世がインド北東部訪問へ 来年3月、領有権主張の中国は反発2016/10/29【ニューデリー=岩田智雄】
チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が来年3月、インドと中国が領有権を争いインドが実効支配する印北東部アルナチャルプラデシュ州を訪問する。中国政府は強く反発しており、このところ悪化している中印関係の新たな火種となっている。
 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所によれば、ダライ・ラマは多くのチベット仏教徒が住む州内のタワンなどを訪れる。これについて、インド外務省報道官は27日、「ダライ・ラマは、インド国内のいかなる場所も自由に移動できる」と述べ、訪問はダライ・ラマの当然の権利との見方を示した。
 一方、中国外務省のホームページによると、同省報道官は28日の記者会見で、「ダライ・ラマを係争地域に招くことは、両国境界付近の平和と安定、さらに両国関係を損なうものだ」と、インド政府とダライ・ラマを批判した。
 法王日本代表部事務所によると、ダライ・ラマはチベットからインドへの亡命時にタワンを通り、その後もしばしばタワンを訪問しているといい、事務所関係者は「今回、なぜこれほど問題視されるのか理解できない」と話している。タワンには今月、米駐印大使も訪れ、中国政府が批判する声明を出している。
 中国は最近、インドの原子力供給国グループ(NSG)への参加や、パキスタンに拠点を置くイスラム過激組織の指導者を国連の制裁リストに載せることに反対し、中印関係が悪化している。
 また、インドが越境テロの背後にいると主張する隣国パキスタンを中国が支援していることから、市民の対中感情も険悪になっており、30日のヒンズー教の祭り「ディワリ」を前に中国製品の不買運動が拡大した。
● 言語表記
マサムネ | URL | 2021/06/10(木) 05:06 [EDIT]
ウズベキスタン、2023年1月1日以降ラテン文字に完全移行へ
ウズベキスタンが、2023年1月1日以降、ラテン文字に完全移行する。
09.06.2021
ウズベク政府は、ラテン文字への段階的な移行に関するロードマップを定める決議を可決した。
この決議によると、2023年1月1日以降、ウズベキスタンのすべての機構の業務や公式な文書のやり取りが、ラテン文字で行われる。
また、同国のすべてのメディア、電子メディア、ニュースサイト、印刷所、出版社で、ラテン文字が導入される。
この日付移行、身分証明書、外国人滞在許可証、居住許可証、レターヘッドはラテン文字で作成され、国内のすべての通りや機構の名称、看板、標識、広告も、ラテン文字で記される。
その枠組みとして、同国でラテン文字による新たなウズベク語表記のルールが定められ、可決される。
ウズベキスタンの政府機関では、現在も公式文書のやり取りはキリル文字で行われているが、学校ではラテン文字表記のウズベク語の教科書を使って授業が行われている。
キリル文字とラテン文字を並行して使用しているウズベキスタンでは、1993年9月2日にラテン文字への移行に関する法案が可決されている。当時31字が定められていたこの文字表記は、1995年に29字に縮小され、新たなラテン文字表記に変わった。
ウズベキスタンでは現在も、ウズベク語に最適なラテン文字表記に関して議論が続いており、大部分の専門家は、1993年に承認されたラテン文字の方がよりウズベク語に適していると述べている。
● 乙嫁
マサムネ | URL | 2021/06/10(木) 05:17 [EDIT]
『乙嫁語り』で学ぶ19世紀中央アジアのお嫁さん事情
5/23
『乙嫁語り』(森薫/KADOKAWA)
 恋愛や結婚のしきたりは、住んでいる国や時代によって大きく異なります。お相手の選び方から、嫁入り道具、結婚式の方法まで、じつに多種多様。たしか日本でも、平安時代の貴族たちは和歌を送ってプロポーズしてませんでした? こんな風に自分の住んでいる国でさえぼんやりしているので、よその国の結婚文化やその歴史なんてなおさら未知の世界です。
 そんな未知の世界を描いたのが、『ハルタ』で連載中の漫画『乙嫁語り』(森薫/KADOKAWA)。19世紀の中央アジアに生きるお嫁さんたちの生活を描いた漫画です。
 イギリス人紀行家のスミスが、旅先でいろんなお嫁さんに出会うというのが基本のストーリー。登場するお嫁さんたちの家庭環境や、結婚観など、現代の日本に暮らす私たちとはまったく違うので、とても興味深く読むことができます。
 ちなみに乙嫁とは若いお嫁さん”“美しいお嫁さん”という意味だそうです。
結婚相手とはじめて会うのは、式当日?
 最初に登場するお嫁さんは、北方の移牧民、アミルさん。弓が得意なアミルさんは、街に定住するカルルクさんのもとに嫁ぎます。
 結婚式の日、はじめて対面した2人は驚きます。というのも、花婿のカルルクさんは12歳、一方花嫁のアミルさんは20歳。年の差婚の姉さん女房だったのです。そもそも、この時代の女性は10代で結婚するのが当たり前なので、アミルさんは遅めの結婚。周りから心配の目が向けられますが、共に生活するうちに、2人は少しずつ夫婦としての絆を深めていくのです。年下のカルルクさんが、アミルさんのために強く男らしくなろうとする様子にほっこりします。
 さて、アミルさんたちが暮らす地域では、結婚相手の決定権は両親にあります。アミルさんのようにまったく知らない相手のもとへ嫁ぐこともあれば、顔見知り同士で結婚することもあったりするので、適齢期の女性たちは、親が持ってくる縁談をドキドキしながら待っているわけです。
 とはいえ、なかにはお婿さん側から断られてしまうケースも。アミルさんのお友達のパリヤさんは、気難しい性格で、近所の評判も最悪です。そのため、なかなか結婚相手が見つかりません。目ぼしい人に何人か会うも、全員からお断りされる始末。
 気落ちしていた彼女に、ようやく運命の出会いが訪れます。ウマルさんという青年に心惹かれたパリヤさんは、こっそり彼の情報収集をしたり、パンに想いを込めて贈ったりします。その姿は恋する乙女そのもの。
 そんなある日、火事によって用意していた嫁入り道具が、ほとんど燃えてしまうという災難に見舞われます。すぐにでも結婚したかったパリヤさんでしたが、両親から「きちんとした嫁入り道具が揃うまで、結婚は延期」と言われてしまいます。嫁入り道具が揃わないと、結婚式のときに格好がつかないというのが理由だそうです。「なくてもいいじゃん!」…とはならないのが、この時代、この地域の文化なのです。
親の了解なしには結婚できない文化
 パリヤさんのお家は、結婚に対してわりとおおらかですが、一方で、親が決めた相手と強制的に結婚させられる家もあります。
 スミスは、旅の途中で未亡人のタラスさんに出会います。お互いに惹かれ合い、結婚の約束を交わす2人。ところが、タラスさんの義父に猛反対され、婚約は解消。2人は顔を合わせることもなく、別れることになるのです。
 印象的なのは、別れたあとのシーン。「いきなり会わせないで別れろとはあんまりだ」と愚痴をこぼすスミスに、カルルクさんたちは「父親が言ったのなら仕方ない」「父親を裏切らせては、女性が可哀想だ」ということを言います。“家長の言うことは絶対”という文化に生きる人たちならではの価値観ですよね。
 タラスさんは結局、義父が決めた相手と結婚することになります。どんなに愛し合っていても、親の了解が得られなければ結婚できないのです。切ないです。
小さい頃から用意する嫁入り道具
 たくさんのお嫁さんとともに、中央アジアならではの風習や文化が登場するのも、この作品のみどころのひとつ。
 たとえば、アミルさんたちが暮らす地域では、結婚するときに嫁入り道具として、たくさんの布を持っていく風習があります。それもただの布ではなく、細かな刺繍が入ったもの。それらは、すべて手作りで、小さいうちから少しずつ作っておくんだそうです。もちろん、花嫁衣装も手作り。代々受け継がれていくその家独自の文様は、とても鮮やかで繊細です。この刺繍のうまさも、花嫁スキルのひとつだそう。
 ほかにも奥さんたちが集うパン焼き竈(かまど)での井戸端会議や、狩りや食事の様子など、中央アジアならではのシーンが満載です。
 現在、既刊12巻で、コミックスのあとがきによると、スミスたちの旅は折り返しにかかっているそう。この先、スミスはどんなお嫁さんたちに出会うのでしょうか。知られざる中央アジアのお嫁さん事情、あなたも覗いてみませんか?
文=中村未来(清談社)
● らんぼ~怒りのアフガンえぐそだす
マサムネ | URL | 2021/06/10(木) 05:55 [EDIT]
米軍に協力したアフガン人数千人、避難計画を検討 米国防総省
米国防総省が米軍と協力して通訳などを務めたアフガン人数千人規模の避難計画の検討に着手した2021.5.30
(CNN) アフガニスタン駐留米軍が今年9月11日までに予定する完全撤収をにらみ、米国防総省が米軍と協力し通訳などを務めたアフガン人数千人規模の避難計画の検討に着手したことが30日までにわかった。
4人のバイデン政権当局者が明らかにした。検討は初期段階だが、米軍の撤退で反政府勢力タリバーンの報復を受けることを防ぐ狙いがある。
ホワイトハウスによる緊急避難計画の作成の要請はないが、ベトナム戦争の二の舞いを危惧する議員や外部団体が米軍が去る前に無事に退去させるよう強く迫っているという。
政権当局者は内密には米軍の引き揚げは7月に完了する可能性に言及。一方で、アフガン治安部隊や民間人へのタリバーンの攻撃はここ数週間増え、米国入国のビザ(査証)発給を待つアフガン人が殺害される事例も出ている。
命を賭けてまで米軍に尽くしたアフガン人にビザ供与を早める選択肢も考慮する。米国務省によると、米国への特別移民ビザを申請した人数は約1万8000人だという。

ただ、これらのビザ審査を米軍撤退前に終えるのは不可能との懸念もある。ビザを発給する該当者の審査には近年、500日以上要するという。
避難計画の検討の経緯に通じる政権当局者によると、バイデン政権の決定に備え、アフガン管轄の米中央軍も対応を準備する必要に迫られる。
避難計画は非常に複雑な要因が絡む作戦となり、段階的な実施への期待があると指摘。輸送する人数、必要な航空機の機数、入国ビザの入手まで米国以外に設ける臨時の滞在先への移送などの調整が求められる。新型コロナウイルス対策がこれに絡むともした。
米軍退去が続いた場合、この避難作業を進める上でタリバーンに首都カブールの国際空港や主要な飛行場を掌握させないことも優先課題と主張した。
● 忠臣
マサムネ | URL | 2021/06/10(木) 06:21 [EDIT]
堤真一さんが演じた平岡円四郎の志、渋沢栄一はどう引き継いだか
2021/6/2丸山淳一
 史実とはわかっていても、もう少し先延ばしできなかったか、と「平岡ロス」に陥っている視聴者も多いのではないか。NHK大河ドラマ『青天を衝つけ』の5月30日放送回で、ドラマ前半のキーマンだった一橋(徳川)慶喜(1837~1913)の側近、平岡円四郎(1822~64)が暗殺された。
「懐が深く、部下思いの人情家」は史実と異なる?
堤真一さんが演じた平岡円四郎
 平岡は慶喜とともに公武合体を進めて攘夷じょういの志士と対立したが、倒幕を企てて幕吏に追われていた渋沢栄一(1840~1931)を一橋家の家臣に取り立て、窮地から救っている。だが、意外なことに渋沢は、その大恩人をあまり褒めていない。渋沢の談話集『実験論語処世談』の中で渋沢は円四郎について「一を聞いて十を知ることができる数少ない人だった」と述懐した上で、こうつけ加えている。
 「一を聞いて十を知るというのも、学問なら格別だが、一概に結構な性分とは言えない。(中略)こういう性格の人は自然と他人に嫌われ、往々にして非業の最期を遂げたりするものだ。平岡が水戸浪士に暗殺されてしまったのも、一を聞いて十を知る能力にまかせ、あまりに他人の先回りばかりした結果ではなかろうか」
 同書の別のくだりでは、「平岡が非凡の才識を有していたのは間違いないが、人を鑑別する鑑識眼は乏しかった」とも評している。自分を一橋家の家臣にしたのも、「まだ若いのに殺されてしまうのは可哀かわいそうだから助けてやろうくらいのことで、私を観みて大いに用いるべしとしたからではなかろう」と少々手厳しい。他の史料も円四郎を「人づきあいが下手で、独りよがり」と評している。どうやら堤真一さんが演じた「懐が深く、部下思いの人情家」のイメージは史実とは少し異なるようだ。
 幕末の動乱下では先を見る眼めとともに、味方を増やす交渉能力が不可欠なはずだ。英名を博した慶喜は、なぜ円四郎を好み、最後は家老格に引き上げてまで重用したのか。実は慶喜と円四郎が結びついた裏には、それぞれの実父の思いがあった。
優れた行政官だった円四郎の実父と養父
円四郎の実父、岡本忠次郎(『近世名家肖像図巻』国立国会図書館蔵)
 平岡円四郎は、旗本の岡本忠次郎(1767~1850)の四男に生まれ、天保9年(1838年)16歳でやはり旗本の平岡家の養子となっている。忠次郎は「花亭」の別名で漢詩を詠んだ文化人として知られるが、優秀な行政官でもあった。勘定奉行の下僚から天保8年(1837年)に信濃・中野(長野県中野市)の代官に抜擢ばってきされた忠次郎は、その翌年、領地に冷害が起きると、幕府に掛け合って下賜金を得て、領民に分配している。江戸城の火災で幕府から復旧費の要請が来ると、領民から2700両を集めているから、領民をしっかり掌握できていたのだろう。
 ちなみに越後・水原(新潟県阿賀野市)と会津・田島(福島県南会津町)の代官を兼ねていた養父の文次郎も、越後と会津を結ぶ山岳ルート「八十はちじゅう里り越ごえ」を馬が通れる道に整備・拡充したことで知られる。名代官として領民に慕われ、平岡の転出が決まると、農民代表が江戸にのぼって平岡の留任を訴えたという。円四郎が平岡家の養子になったいきさつははっきりしないが、忠次郎と文次郎はともに幕府と領民の間に立つ中間管理職として、政策や領民掌握術の情報交換をする仲だったのかもしれない。
 実父と養父の行政官としての才覚に接した円四郎は、旗本や御家人の子弟が集まる昌平坂学問所の「学問所寄宿中頭取」、つまり学生寮の寮長に就職した。学問所の選抜は実力主義で、成績優秀者は幕府の要職に登用される。全国から集まる向学の士とともに見識を高め、父のように抜擢されるという夢を抱いていたのではないか。
慶喜の人物にほれ込み、側近に
京都若州屋敷(『徳川慶喜公伝、二』国立国会図書館蔵)
 だが、円四郎はわずか2年で「武術鍛錬のため」と称して学問所を辞めてしまう。学問所に集まるのは出来のいい子弟ばかりではなかった。人づきあいが苦手な円四郎には、さほど向学心もない「箱入り息子」のお世話は相当苦痛だったはずだ。退職後の円四郎は武術鍛錬もせず、10年近く定職にもつかず、親を心配させるが、夢をあきらめたわけではなかった。勘定所への就職を目指し、今でいうアルバイトのような形で町方与力のアシスタントをしていたという。
 『青天を衝け』の時代考証を担当している東北公益文科大学准教授の門松秀樹さんによると、高い筆記・計算能力が求められる勘定所は、家格に関係なく能力があれば出世できる数少ない役所だった(『明治維新と幕臣』)。実力主義の世界にいればおべっかや忖度そんたくは必要ない。人づきあいが下手なら、能力をつければいい、と考えたのだろう。
藤田東湖(『肖像』国立国会図書館蔵)
川路聖謨(『国史大辞典』国立国会図書館蔵)
 その能力に目をつけたのが、自身も勘定所の下僚から勘定奉行まで昇りつめた川かわ路じ聖謨としあきら(1801~68)だった。昔からつきあいがあった忠次郎から相談された川路は、円四郎を水戸藩の藤田東湖(1806~55)に紹介した。一橋家には慶喜の側近として中根長十郎(1794~1863)がいたが、聡明な慶喜には、言われた通りのことしかしないイエスマンの中根は側近としては物足りなかった。慶喜には主君に直言も辞さない「諍臣そうしん(気骨ある家臣)」が必要だと考えた父の徳川斉昭(1800~60)は、東湖に人選を依頼していた。おべっかを使わず自らの能力だけを頼みにする円四郎は、まさにうってつけの人材だった。
● FM横浜
マサムネ | URL | 2021/06/10(木) 06:35 [EDIT]
2021年1月24日
【ウズベキスタン文化】アブドラエヴァ・ディラフルズホンさん
ウズベキスタンの料理教室を通じて、日本とウズベキスタンとの架け橋を担っていてる、アブドラエヴァ・ディラフルズホンさんにお話を伺いました。
アブドラエヴァ・ディラフルズホンさんはウズベキスタンのサマルカンド生まれ。ソ連崩壊後、それまでの紙幣が紙くず同然となり、仕事もなく、育てた野菜やミルクを売って家計を支えました。奨学金で大学に進学し、日本語を学び大学1年で観光ガイドとなります。その後、国際観光事業を勉強するため宮城大学に留学。現在は、ディーリャという愛称でウズベキスタン料理を発信しています。
■アブドラエヴァ・ディラフルズホンさんのYouTubeチャンネル
● たたーるすたん
マサムネ | URL | 2021/06/10(木) 12:28 [EDIT]
中国人のいないIT都市カザン
08.29.2019
タタールスタン共和国 Tatarstan
こんにちは、モデル・定住旅行家のERIKOです。今定住旅行しているタタールスタン共和国の首都カザンがこんなにも大きな都市なのに、あまり知られていないことが日に日に不思議に思えてくほど歴史ある面白い街だなと感じています。そんなカザンの街のことを紹介したいと思います。

メトロ・トランバイ・バスの交通機関が充実

市内には多くのバスやトランバイ、そして地下鉄が運行しているため、どこへ行くにも快適にアクセスできます。バス・トランバイ・地下鉄の料金は、行き先問わず一律27ルーブル(約45円)。バスは料金を回収するスタッフが一人同乗しており、彼らに料金を支払います。ITが発達した都市なのに、非常にアナログなところも面白いです。

5Gも運用開始か?!IT都市のカザン

タタールスタン共和国ルスタム・ミンニハノフ大統領。”ルスタム・コンピューター”とあだ名がつくほど、タタールスタンはIT市場発展に力を入れています。すでに2018年のW杯開催中は、カザン市で5Gの運用テストが行われました。

こちらは2009年にオープンした市内にあるITパーク。国内にはカザン次ぐ第二の都市、ナベレジヌィ・チェルヌイнабережные челныにもあります。インキュベーションやスタートアップに力を入れており、合計142のIT企業が入っており、日々イノベイティブな活動やイベントが行われてます。

このITパークのパートナーともなっているのが、IT都市のイイノポリスです。イイノポリスは、ソ連崩壊後に作られた新しいIT都市です。現在1006世帯が暮らし、都市の中には大学、学校、病院の施設が設けられています。

2018年のFIFAW杯開催中はカザン市で5Gのテスト運用が行われ、イイノポリスでもスマートシティプロジェクトとしてテスト使用されました。

タタールの詳しいIT事情は、日経クロストレンドにて紹介しておりますので、是非ご覧ください!
大統領が仕掛けたIT都市構想 タタールスタン共和国で今何が?

日本企業も進出 ITを加速させるロシア・イノポリスの都市構想

中国人はどこに?

カザンで生活をしていると、他の都市とは違うあることに気がつきました。それは、中国人がいない!ということです。今となっては海外の行く先々で見かける中国人観光客も、中国人が経営しているお店もカザンでは全く見かけません。

観光客が少ない理由は分かりませんが、お店が全くないのは(中国料理店はいくつかあります)よそ者がタタールでビジネスを展開するのは大変難しく、外国人が入り込む隙がないということがあるのだそうです。

確かに、マーケットなどへ行くとロシア製の良質なものが非常に安い値段で売られていますし、それに対抗できる中国製のものはなかなか売れない市場なのかもしれません。
● かるむいく
マサムネ | URL | 2021/06/10(木) 12:32 [EDIT]
カルムイク人幸せの秘訣
07.30.2019
カルムイク共和国 Kalmykia
こんにちは、モデル・定住旅行家のERIKOです。カルムイクに滞在していて感じる2つのこと。それは、男性が男らしく力強いこと、そして人びとが満足感溢れる暮らしを送っていることです。

モンゴルの血を引く男性が強さを強調する傾向があるのか分かりませんが、肩幅はがっしりとしていて、力持ちで、強い!という印象を受けます。
滞在しているムチカエヴァ家の1歳4ヶ月のバニャは身体中に傷やかさぶたがあります。元気な男の子の証拠と言えますが、転んで血が出てたとしても、さっと立ち上がり何事もなかったかのようにまた歩き出します。
見ているとはっとしますが、お母さんのナターシャさん曰く、「甘やかすと痛みを感じるからちょっとのことではあやさず、過剰に反応しない」とのこと。確かに転んでも誰もびっくりしたり、宥めたりしません。カルムイク人の強さは幼い頃から鍛えられるのでしょう。
そして、多くのカルムイク人と接して感じるもう一つのことは、内面から溢れ出す充実感と幸福感です。

カルムイク人が信仰していたテングリとは?

              上は身体的なエネルギー、下はコミュニケーションやスピリットを表すテングリのサイン

カルムイクの文化を知っていく中で、カルムイク人がかつて信仰していた「テングリ」という宗教を知りました。テングリとは天神(テンジン)、いわゆる天を神様と信仰するシャーマニズムに基づく宗教です。カルムイク人が遊牧民であった頃は、主にこのテングリという宗教が信仰されていました。
現在、カルムイク人のほとんどは仏教を信仰していますが、中には未だにテングリを信仰をしている人も少なくありません。そして、このテングリの思想は、カルムイク文化の中に大きく影響しています。

カルムイク人が大切にしている2つの言葉

カルムイク語に、「ジルグル」と「クン」という言葉があります。この2つは、カルムイク人が最も大切にしている言葉です。

ジングル

「ジルグル」という言葉。直訳すると、”人生”、”幸せ”という2つの意味を合わせたような言葉です。人生=幸せなものであることを表しています。
ロシア語で人生はЖизнь(ジズィン)と言いますが、これはживот(お腹)=食べることから来ており、生きること=食べていくことの意味が強調されています。カルムイク語のジングル(人生)という言葉の価値観とは異なることがわかります。
カルムイク人はネガティブな行いを非常に嫌がる傾向があります。例えば、ため息、腕を組む、ポケットに手をいれるなどの行為がそれを意味します。それらは「ムーヨル」と呼ばれますが、そのような行為をネガティブだと捉えられており、これらを行うことで相手に高圧的な印象を与えると感じています。

キュン

カルムイク人が大切にしているもう一つの言葉は「キュン」です。発音は日本語の「君」にも似ています。これはパーソナリティを意味し、「人はそれぞれ違ったパーソナリティを持つべきだ」という思考を表しています。
かつてチンギス・ハンが、люди- основа любого дела (人は全ての財産 )と言いましたが、カルムイクでは人と同じであることはあまり良いこととされません。
生物学でも、我々のような有性生殖は多様であるために作られていると言われていますが、違いがあることが、地球の様々な環境に対応できるということにも共通点があるような気がします。

カルムイク人が守る4つのこと

テングリの考えでカルムイク人に大きく影響している4つのことがあります。

1、自分自身のパーソナリティーとハーモニーを持つこと。一人一人がミッションを持っていて、才能とはそのミッションを果たすための道具

2、他人と積極的な関係を持つこと。嘘をつくことを禁じ、ホスピタリティーを持つことが大事。(これはモンゴル帝国時代、法律にもなっていた考えでした)

3、自然と共存する

4、神との調和

カルムイク人の日々の充実感はどこからきているのだろう?と色々と考えていたとき、テングリ思想に出会い、妙に納得でききました。テングリを信仰していないカルムイク人も、このような思想はカルムイク文化の中に浸透しており、それらは子どももしつけや道徳教育の中にも見られます。

テングリの儀式

カルムイクのエリスタの平原にテングリの祭事を行う場所があります。私もテングリの儀式に参加させてもらいました。
まず、牛乳と石を用意し、北、東、南、西の方角に牛乳を数滴撒きます。その後、タルチョで覆われている石積みを3回時計回りに周りながら、牛乳を垂らします。
最後は自分が持ってきた石を石積みの好きな場所に置き、手を合わせます。こうすることで、心身共に浄化されるのだそうです。

テングリ信仰の考えや発想は、充実感や幸福感は近くにいる人に伝染するということに視点が置かれているように感じます。それは、カルムイク人の謙虚さや明るさとなって現れているようです。
● ひゃうご
マサムネ | URL | 2021/06/11(金) 05:44 [EDIT]
兵庫県議会 ウイグル問題で全国初の意見書採択6月9日
中国の新疆ウイグル自治区で、少数民族のウイグル族などが人権を侵害されているとして、兵庫県議会は日本政府に対し、調査を実施することなどを求める意見書を、都道府県の議会としては全国で初めて採択しました。
新疆ウイグル自治区をめぐっては、アメリカのバイデン政権が100万人を超えるウイグル族などの人たちが、強制的に施設に収容されたと指摘するなど、非難を強める欧米に対して中国も反発し、対立が激しくなっています。
こうしたなか、兵庫県議会は6月定例議会最終日の9日、日本政府に対して、「中国による人権問題の解決を促し、必要な措置を講ずることを求める」意見書を全会一致で採択しました。
意見書では、「ウイグル族の人たちへの弾圧について、中国による人権侵害は看過できない問題である」と指摘し、政府に対して調査を実施するよう求めています。
そのうえで、問題が確認された場合は、アメリカやイギリスなどの関係各国や国際機関と連携し、基本的人権の尊重および法の支配が中国でも保障されるように働きかけることを求めています。
全国都道府県議会議長会によりますと、新疆ウイグル自治区をめぐり、都道府県の議会として意見書を採択するのはこれが初めてだということです。
● 東トルキスタン
マサムネ | URL | 2021/06/11(金) 05:53 [EDIT]
在外ウイグル人の90%が、東トルキスタン内の家族や友人と連絡がとだえたまま…『在日ウイグル人が明かす ウイグル・ジェノサイド』重版4刷決定2021年6月9日[株式会社ハート出版]
あまりにも重大な侵略行為に欧米諸国が対中制裁を発動。これは人権問題だけではない。虐殺と搾取を伴う植民地支配である。
株式会社ハート出版(本社:東京都豊島区池袋 代表取締役:日高裕明)は、ムカイダイス著による『在日ウイグル人が明かす ウイグル・ジェノサイド』の増刷(4刷)を決定。また先ごろ、東京都内でムカイダイス氏による出版記念講演会が行われた。
中国・新疆ウイグル自治区において行われている現在進行形の人権侵害。徹底した監視、宗教弾圧、ウイグル語教育の禁止、強制避妊、中絶強要──それだけではなく収容所における強制労働、拷問、集団性的虐待、移植用臓器摘出など、同地に住むウイグル人に対する中国政府の民族浄化政策は、苛烈を極めている。
これを受けて欧米諸国がいち早く対中制裁を発動する中、一向に動きを見せない日本政府。一連の煮え切らない動きに対し、在日ウイグル人自身が声を上げた。同地ウルムチ出身の著者は、日本留学後定住。「万葉集」や「百人一首」といった日本文学のウイグル語翻訳だけでなく、ウイグル文学の邦訳を手掛けている。現在は大学で非常勤講師を務めているが、祖国の現状に胸を痛め、本書を執筆。半自叙伝的な内容と共に、ウイグルの地「東トルキスタン」とウイグル人の真実の歴史を語る。また、なぜウイグル人は揺るぎない親日の感情を持っているのか、日本とウイグルとの知られざる関係についても言及する。もちろん、現在ウイグルで何が行われているか現地に住むウイグル人からの直接取材した内容や、強制収容所からの脱出に成功した人たちの証言も抄録。巻末には「強制収容所に収容されているウイグル知識人リスト」も掲載されている。
先ごろ、東京都内でムカイダイス氏による出版記念講演会が行われ、多くの強制収容や中国のスパイ戦略に関するエビデンスを元に、明らかな中国によるジェノサイドの事実を提示した。講演会の中で、故郷・ウイグルの牧歌的な美しい風景や、建築美、日本の様式美に似た文化について、また、破壊された瓦礫の山に佇むウイグル人女性の写真を見せ、「これが今のウイグルを表す写真。私たちは強制収容所の中で腐って死んでいくのではなく、戦って負けて死ぬことができたら、どんなに幸せだっただろうか。無念としか言いようがない」と語った。コロナ禍で入場者を制限した中での講演会ではあったが反響を呼び、少しずつこの問題が日本人にも浸透しつつある中、このたび三度目の増刷が決まった。
本書により、いかにウイグル人たちが非人間的な扱いを受けているか、そして中国共産党によるウイグル人支配が不当なものであるか理解できる。本書の内容が世に広まることで、不当な人権支配を受けているウイグル人たちが一刻も早く、一人でも多く解放されることを願う。
5月2日より、ワニブックスWEBマガジン:NewsCrunchにて『「国がない」という不幸』と題したウイグル特集を連載中。
https://wanibooks-newscrunch.com/articles/-/1903
葛尾(@Katsurao_Japan)氏による『ウイグル・ジェノサイド』紹介動画
● ムカイダイスさん
マサムネ | URL | 2021/06/11(金) 05:57 [EDIT]
水源豊かなウイグルの土地に入植してきた漢民族によって奪われた伝統
2021年05月31日WANI BOOKS
水源豊かなウイグルの土地に入植してきた漢民族によって奪われた伝統
ウルムチ出身のウイグル人、ムカイダイス氏が幼少期に過ごしていたギュルトペ・マハッラ。そこでは漢民族を見たことさえなかったのだが、中学一年生の夏休みに行ったときには状況が一変していたという。母の実家である鍛冶屋が、何百年もの職人の歴史に幕を閉じることになった理由に迫る。
■鍛冶屋一族の祖父が語ってくれた物語
私の母の実家は、ウイグルの南の無花果(イチジク)で有名なアトゥシにあり、その町で17代続いているとも言われる老舗の鍛冶屋だった。私が小学校を卒業するまでの夏の間、私はウルムチを離れ、祖父母の家で過ごすことが多かった。
祖父は村の小学校の校長も務めていたため、家に本がたくさんあった。祖父母の家は伝統のウイグル彫り(木や建物自体に鎌倉彫のような美しい彫り)を施して作られた美しい大きな屋敷だった。
▲クズルス自治州の中のアルトュシュ市の位置 出典:ウィキメディア・コモンズ
馬が大好きな祖父は、馬小屋のなかで何頭かの駿馬を飼育していた。私は怖くて馬に近づくことはできなかったが、馬小屋の外に椅子を置いてもらって、座ったまま馬を眺めているのが好きだった。
家には広い果樹園が隣接していて、無花果をはじめ、石榴(ザクロ)や杏、葡萄などが作られていた。ここは迷宮のような家だった。その原因は家の大きさと造りの入り組んだ複雑さだけでない。そこには昔からの不思議なものがたくさん置いてあって、それにまつわる物語が大変面白かった。
私が一番好きな物語は、美しい模様がぎっしり刻まれた、開かずの鉄の箱にまつわる物語だった。その箱は、家業の鍛冶屋と職人の守り神として大切に保管されていた。
祖父によれば、祖先は遥か遠くから、鉄をいっぱい入れた袋を馬に載せて、パミール高原と氷山を越えて、この地にやってきた。祖先のエズーズ氏は、鉄を知り尽くした匠であり、邪悪な鬼も切り倒せる、鉄の剣を作る技術とともに、剣術に優れた英雄でもあったとのことだ。
彼はある夜、人間を襲った鬼を退治し、鬼の自慢の美しい髪の毛を切り落とし、肌身離さずに持ち歩いた。鬼は髪を返してくれと頼んだが応じず、この地域の鍛冶屋一族やそのゆかりの人間を決して傷つけないと誓約書を書かせてから、鬼に髪の毛を返した。この地域にいる限り、悪事は起こらず、皆が守られるということだ。その誓約書が箱の中に入っているという。
話が真実か否かはわからないが、幼かった私は、そのあとから鬼が出そうな暗いところが、全く怖くなくなったことだけは確かである。私の母の実家にまつわるこの話を、今でも時々思い出す。
■日本に来て感じたペルシアとのつながり
興味深いのは、私の祖先が鉄を持って、遥か遠くから中央アジアのオアシスにやってきたことである。遥か遠くというのは、おそらくペルシアではないかと推測する。
私は日本に来てから初めてペルシア人に会い、その文化を知った。彼らに「あなたは
イラン人か」と聞かれるたびに、私の祖先とペルシアのつながりについて確信を持てるようにはなったが、その経緯については全く手がかりがない状態である。
この鍛冶屋一族が住む集落は「ギュルトペ・マハッラ」と呼ばれていた。ギュルトペを日本語に訳すと「花の丘」という意味になる。
つい最近、たまたま読んだ日本の経済学者・関岡正弘先生の『マネー文明の経済学』という本で、この名前が世界最古の貿易文書を出土していた、トルコの地名(キュルテペ)と似ていることがわかった。この2つの似た地名に、何か関連性があるかどうかはわからないが、気になるところではある。
その名の通り、ギュルトペ・マハッラは小高い丘の上の集落であり、人々は丘のほぼ真ん中を通る大きな通りの両側に家を構えていた。集落のあらゆるところに水路があり、水路が作られるときには、両側に白楊木(どろのき)の苗が植えられる決まりがある。
▲白楊木(ギンドロ) イメージ:PIXTA
ウイグル人の家に入るときには、その水路に架けられた家々固有の綺麗な橋を渡るが、どんな家も果樹園が隣接している。これは、夏場に取れた杏やリンゴ、無花果などをドライにして、長くて厳しい冬を過ごすためのビタミン補給源にするためだ。
私が小さいときに、鍛冶屋たちは美しい鉄のベッドや鉄の窓の防犯柵を作っていた。ベッドの花形の飾りの作り方は、まず砂を湿らせ、その砂の中に型を埋め込む。そして砂の上から穴を空け、溶けた真っ赤な鉄を流し込むのだ。このようなやり方は、ウイグル独特なものかどうかはわからないが、大変不思議であったことは覚えている。
■漢民族が入植し状況が一変したマハッラ
私がギュルトペ・マハッラで過ごしていた期間は、ここに漢民族は一人もいなかった。マハッラの人も、漢民族を見たことさえなかった人がほとんどだった。
しかし、私が中学一年生の夏休みに行ったときには状況が一変していた。ギュルトペ・マハッラの町長が、なんと河南省から来た漢民族に代わっていたのだ。彼の親族と側近を含め20人の漢民族が、役場の近くに住むようになっていた。
母の実家である鍛冶屋は、2010年に何百年もの職人の歴史に幕を閉じ、今はもうない。後継ぎがいないのが一因と表面的に言われているが、ウイグルが中国に組み込まれ、その制度の犠牲になった最も鮮明な悲劇的な例でもある。
一族が盛んだった時期は、ウイグル人の家庭では農業用の馬と交通用の馬を何頭か所有していた。馬は蹄鉄を打って初めて使いものになると言われるほど、馬の蹄鉄とその修理は鍛冶屋一族の主な仕事であった。
▲馬の蹄鉄 イメージ:PIXTA
しかし、1990年代からウイグル人が所有する馬の数は劇的に減ったのである。その原因は、馬に与える餌としてのウマゴヤシ畑に使う水が圧倒的に足りなくなった現状から始まっていた。
1990年代後半からウイグルの南の村で慢性的に水不足が発生し、農作物や果樹園用の水、そして飲み水までもが不足した。たくさんのウマゴヤシ畑が枯れ、馬に与える餌がなくなり、たくさんの人々が馬を飼うのを辞めざるを得なくなった。村人の間では、水の奪い合いで争いが起きて、昔のような団結した平和な暮らしがなくなっていた。
マハッラの外れに大量の漢民族が住み込み、マハッラの人々の畑が強制的に彼らに与えられた。マハッラの外れに住む一家が襲われ、奥さんが性的虐待され殺され、旦那が殺される事件までもが起きた。政府が生産建設兵団の牢屋から逃げた3人の悪質な漢民族の写真を、マハッラに貼ったばかりのころではあったが、犯人は未だわかっていない。
私はその後、上海の大学に入った。大学生のときに、漢民族のクラスメートの女の子たちを連れて村に行った。しかし、かつての女は家事と刺繍に励み、男は鍛冶屋で火花を散らかして真っ赤な鉄を好きな形に打っていた賑やかな雰囲気はなく、すべてが色あせ、すべてが古びて寂れていた。
日本に来てから、ウイグルに置かれた「生産建設兵団」の位置を地図で見たときに、すべてが明らかになった。水源と土地が良い場所には、すべて生産建設兵団が置かれていた。
また全国から犯罪者や娼婦、そして退役軍人が生産建設兵団の母体として入植されていることを知ったとき、あの一家殺しの残虐な事件だけではなく、ウイグルで起きたさまざまな衝突の本質が見えてきたのだった。
▲新疆生産建設兵団第8師団150団12連部 出典:ウィキメディア・コモンズ
※本記事は、ムカイダイス:著『在日ウイグル人が明かす ウイグル・ジェノサイド』(ハート出版:刊)より一部を抜粋編集したものです。

マサムネ | URL | 2021/06/11(金) 06:18 [EDIT]
野球殿堂博物館が正規職員を募集 管理部門スタッフ1人6/9(水) 野球殿堂博物館は、管理部門スタッフとして正規職員1人を募集する。応募締め切りは26日午後4時。入職日は8月1日を予定している。勤務地は東京都文京区後楽の野球殿堂博物館。詳細は「マイナビ転職サイト」で。応募受け付けはインターネットのみとなっている。
● りんご
マサムネ | URL | 2021/06/11(金) 21:51 [EDIT]
ウズベクへリンゴ教材動画/藤崎町
 藤崎町りんごわい化栽培研究会(太田直人会長)と藤崎町、弘前大学、国際協力機構(JICA)は9日、ウズベキスタンに対するリンゴ栽培指導に共同で取り組む「リンゴ栽培の改善と農家への普及プロジェクト」の一環として、研究会員のリンゴ畑で摘果作業を解説する動画を撮影した。新型コロナウイルスの影響により現地指導ができないことから、農家の栽培技術向上のため、剪定(せんてい)を含む一連の作業をまとめた教材動画を制作する。
 中央アジアにあるウズベキスタンは農業が基幹産業で、リンゴを含む園芸農業も盛んに行われている。事業では同国のリンゴ産業近代化を目指し、太田会長ら生産者が同国まで出向くなどし、リンゴ栽培先進地である津軽の技術と知識を現地の農家に伝達してきた。
 撮影では、太田会長がふじの摘果する実の見分け方や中心果を残すといった手本を見せたほか、摘果ばさみやはしごなどの道具も解説。ウズベキスタンからプロジェクトの研究生として来日し、弘大農学生命科学部の博士課程でリンゴ栽培を研究するボティロフ・アリシェルさん(33)がウズベク語に翻訳した。
 今後、剪定作業を撮影し、一連の作業をまとめた動画を来年に完成させる。
【写真説明】摘果作業を解説する太田さん(右)とウズベク語に翻訳するアリシェルさん(中央)
● チベットやウイグル如何に
マサムネ | URL | 2021/06/12(土) 09:30 [EDIT]
早稲田大、五輪難民選手団の事前合宿を学内施設で受け入れへ
2021/6/12早稲田大学
 早稲田大は11日、東京五輪に参加する難民選手団29人の事前合宿を学内の施設で受け入れると発表した。
 事前合宿は来月14日に始まる予定で、新宿区の早稲田、戸山両キャンパスにあるトレーニング施設や宿泊施設を利用してもらう。選手団はこのほか、埼玉県川口市の総合運動場でも調整を行う。早大では難民支援の学生サークルも活動しており、国際交流を進める狙いから受け入れを決めた。
 難民選手団は2016年リオデジャネイロ五輪で初めて結成された。早大によると、開催国での事前合宿は今回が初めて。シリア出身で競泳女子のユスラ・マルディニ選手ら、11か国出身の29人が12競技に出場する予定だ。
 早大は「コロナ禍だが、可能な限り学生らとも交流させたい」としている。
● 周庭
マサムネ | URL | 2021/06/12(土) 15:12 [EDIT]
香港民主活動家、周庭氏が出所
2021/6/12:29
12日、香港の刑務所を出所した周庭氏(中央)(AP=共同)
2019年6月の香港警察本部包囲デモをめぐり、昨年12月に無許可集会を扇動した罪などで禁錮10月の実刑判決を受けて服役していた香港の民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)氏(24)が12日、出所した。
周氏は車で施設を離れ、報道陣にコメントしなかった。香港メディアの中継映像をみると、周氏は白いTシャツにマスク姿。約半年の獄中生活で少しやせたようにみえる。
● わくちん
マサムネ | URL | 2021/06/13(日) 14:44 [EDIT]
新型コロナワクチン開発〜トルコ系ドイツ人夫婦の軌跡
医療法人 若葉会 さいたま記念病院
http://www.saitamakinen-h.or.jp/news_head/%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%B3%E9%96%8B%E7%99%BA%E3%80%9C%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E7%B3%BB%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E4%BA%BA%E5%A4%AB%E5%A9%A6/

まもなく日本でも新型コロナのワクチン接種が始まります。
世界で最初に開発され実用に供されたのがファイザー社のワクチンです。
このワクチンは従来の生ワクチンや不活化ワクチンあるいはトキソイドワクチンと異なり、ごく一部のタンパク情報を担うmRNAを使用しているのが特徴です。mRNAが投与されると人間の細胞はmRNAの情報に基づくタンパクを作成するようになります。新型コロナワクチンでは、新型コロナウイルスの突起(スパイクと呼ばれる)を構成するタンパクが作成されます。新型コロナの突起タンパクは人間にとっては異物であるため突起タンパクに対する抗体の産生やT細胞の応答を促すようになります。こうした免疫反応によって新型コロナウイルスの感染能力を低下させるという仕組みです。ファイザー社の新型コロナワクチンの効果は臨床治験では94%の有効率を示しました(ワクチン非投与群が100人感染したのに対しワクチン投与群では6人しか感染しなかった)。ファイザー社の次に開発されたモデルナ社のワクチンもmRNAです。mRNAは壊れやすいため体に取り込ませるにあたって多くのノウハウが必要となります。
当院でも新型コロナワクチンの接種が始まるはずです。このワクチンの仕組みを医師として知っておく必要があります。年末年始はmRNAワクチンの勉強に当てました。
にわか勉強ではありますが、上記のようにまとめてみました。
勉強の過程でファイザー社のワクチンを最初に作ったのがビオンテック(バイオンテック)というドイツのベンチャー企業だと知りました。その創始者は研究者であり医師でもあるウール・シャヒン氏とエズレム・テュレジ氏の夫妻。2人ともトルコ系ということに興味を覚えました。
内外の情報を集めてみました。経歴など細かな情報は主にドイツのSpiegel誌2021/1/2号から得ました(図はその表紙。タイトル:ビオンテックの救世主「ドイツはワクチンを十分に入手できるだろう」)。
夫のシャヒン氏はトルコ生まれ、4歳のときに母親と共に西ドイツに移住してきました。当時、父親は西ドイツ・ケルンに居住し自動車工場で働いていました。シャヒン氏はケルンのギムナジウム(中高一貫のエリート校)を首席で卒業し、ケルン大学医学部に進学して医師となり、ザールラント大学病院に異動しました。
2歳下の妻のテュレジ氏は西ドイツで生まれました。父親はトルコ・イスタンブール出身の外科医で西ドイツに移住後、北方のニーダーザクセン州のカトリック系病院に勤めていました。テュレジ氏はギムナジウム卒業後ザールラント大学医学部に進学して医師となりました。医学部最終学年のときにシャヒン氏と知り合ったとのことです。
2人はザールラント大学でそれぞれ腫瘍免疫療法と遺伝子多型の研究で学位を取得したのち、1990年代半ばにドイツ中部のマインツに移りました。マインツ大学で腫瘍学の研究指導を受け、2001年に上部消化管がんの新規治療薬開発のためのガニメド社を設立、2002年に結婚、2008年ビオンテック社を設立しました。なお、ガニメド社は2016年日本のアステラス製薬が約5億ユーロ(+成功報酬)で買収しました。夫妻の開発薬(抗 CLDN18.2抗体薬)を使って現在アステラス製薬による胃がんの治験が進行中です。
夫妻が一貫して目指してきたのはがんの免疫療法でした。上記の抗体薬もその1つです。しかし、がん患者への恩恵は依然として少ないままでした。成績不良の理由は、がんの遺伝子変異が常に起こっているからではないか、こうした変異に速やかに対応するにはmRNAを用いた免疫療法が望ましい、と考えるようになり、ビオンテック社はmRNAによるがんワクチンの研究を始めていました。
夫のシャヒン氏は2020年1月中旬、新型コロナのニュースを聞き、世界的大流行を予想したそうです。新型コロナの遺伝子情報が中国から発表されると直ちにmRNAワクチン作成のアイデアが浮かび、2週間後には20種類(一部情報では10種類)のワクチン候補薬をコンピュータ上で設計したとのことです。以後、ビオンテック社の研究者を総動員して実用化を目指しました。
実用化に貢献した人物として、①2007年、夫妻の研究に賛同し巨額の投資をしてくれたストリュングマン兄弟、②1990年代半ば、研究指導をしてくれたマインツ大学腫瘍学フーバー教授、③2020年3月、夫妻の研究を全面的に支援し新型コロナワクチンの世界供給体制を約束してくれたファイザー社のブーラCEO(最高経営責任者)を挙げています。ブーラCEOはギリシャ出身です。トルコとギリシャの国同士は外交では緊張関係にあっても個人同士は強い信頼関係があると言われています。
私が当初興味を持ったトルコ系移民についての感想を夫妻はほとんど語っていません。人類に役立つ医学研究や医療であれば国籍や移民は関係ない、という立場です。
私が西ドイツに留学していた1986-1987年(2019/6/20ブログ)、トルコからのガストアルバイター(ゲストワーカー [移民労働者])が大勢働いていました。研究室やアパートの掃除はトルコ人女性、工事現場の下働きはトルコ人男性が多くを担っていました。建物の壁に「テュルケン・ラウス(トルコ人出て行け)!」の落書きを目にすることもありました。
当時、夫妻は20歳前後だったはず。私の目からするとトルコ人に対するドイツ社会の偏見はかなりのものでした。ドイツ人の中でさえギムナジウムや大学への進学には親の身分や職業が関係していました。トルコ人ならなおさらだったと思います。結局、優秀な人材は、移民であろうがなかろうが関係ない教育環境が当時の西ドイツ、その後のドイツにはあったのだろうと思います。
一方で、夫妻はドイツの大学教育に注文をつけています。
それは、研究が実用化されないことへの不満です。研究のための研究に陥り、臨床応用されたのは1つもないとまで言い切っています。
アメリカでは研究成果をすぐ起業に結びつけるのにドイツではそれがない。自分たちは純粋のドイツ人ではなかったおかげで、研究者なのに起業家になれた、ということのようです。現在、夫妻はマインツ大学で教育にも当たっています。研究成果を臨床に役立てられる人材を育成し、事実、多くの優秀な研究者かつ起業家を輩出しているとのことでした。日本にとっても参考になる話です。
最後に、夫妻の言葉を紹介します。
1)(夫)20年間の免疫工学の経験から我々のワクチンは理論的には完璧だという自信があった。ただし実際に効くかは分からなかった。
2)(妻)ワクチンの貯蔵・運搬はマイナス70度の超低温で今は行われているが、今年夏の終わり頃にはもう少し高温でも大丈夫な改良ワクチンができるはずだ。
3)(夫)イギリスなどで発生している新型コロナウイルス変異種に対しても我々のワクチンの有効性は変わらない。万が一、変異によりワクチンの有効性が低下した場合、直ちに新しいワクチンを作る用意がある。季節性インフルエンザワクチンと同じように当局が臨床試験をいちいち要求しなければ、新しいワクチンをすぐに提供できる。
4)(妻)私たちは当初から生産と運搬のシステム強化に乗り出していた。生産にはヨーロッパの5つの企業と契約している。別の企業とも交渉を進めている。
5)(夫)ワクチン不足に対処するためアスピリンの製造工場を新型ワクチンの工場に変えたらよいという政治家がいるが、長年の経験と技術がなければワクチンは製造できない。
6)(夫)開発途上国を含めできるだけ多くの国の高齢者や医療従事者にワクチンを届けたい。少なくともドイツでは数ヶ月以内に届く。
7)(妻)研究者が発注・生産・貯蔵・運搬にまで関わるのは大変だけど患者に科学のイノベーションを届けられると思えばよい。未知の問題は新たに解決すればよい。
8)(妻)研究は午後5時で終わることはない。1日関わっている。ヨーロッパがん免疫療法学会の理事長も務めていて忙しい。しかしバカンスはしっかりとっている。ご心配なく。
9)(夫)株価が上がって長者番付に載ったが意味はない。株価が暴落して資産価値が下がっても気にしない。
10)(妻)私たちの本来の研究であるがん免疫療法はおそらく2023年頃に提供できるだろう。

ファイザーCEOアルバート・ブーラ氏、ホロコーストを生き延びた両親の経験を初めて語る5/18(火)
ギリシアのテッサロニキでホロコーストを生き延びた両親
新型コロナウィルスのワクチンで脚光を浴びているファイザーのCEOのアルバート・ブーラ氏の両親はギリシア系のユダヤ人でホロコーストの生存者である。そのアルバート・ブーラ氏が2021年1月のアウシュビッツ絶滅収容所が解放されてから76年を迎えた国際ホロコースト記念日で両親のホロコースト時代の経験を初めて語った。アルバート・ブーラ氏は戦後生まれなのでホロコーストは経験していない。
アルバート・ブーラ氏は以下のように両親の経験を語っていた。「多くのホロコースト生存者は、あまりにも悲惨な体験だったため当時の話を子供たちにはしませんでした。でも私の両親はしてくれました。それはとても幸運なことです。私たちに自分達の経験を伝えておきたかったのです。
両親は私に人生の価値を伝えたかったのです。両親は決してナチスに対しての怒りや復讐を口にしませんでした。両親はナチスが私たちの家族や友人にしたことについて、ナチスや現在のドイツを嫌わないようにと教えました。両親は生き延びることができた幸運と人生の喜びを伝えてくれました。
そのような観点で私の愛する両親である父のモイスと母サラの物語を伝えていきたいと思います。両親はギリシャのテッサロニキで生まれました。テッサロニキのユダヤ人は15世紀後半にスペインから、キリスト教への改宗を逃れて、当時のオスマントルコに移住してきました。ナチスドイツに占領されて、戦前に約5万人いたテッサロニキのユダヤ人は戦後には2000人程度しか生き残りませんでした。私の両親はその幸運な2000人の中にいました。
クリスチャンに成りすましてアテネで生き延びた父モイス
父はナチスに占領されると、他の多くのユダヤ人とともにゲットーに収容され、黄色いダビデの星を着用させられていました。そして1943年3月のある日、ゲットーがナチスによって封じられてしまい、多くのユダヤ人が絶滅収容所に移送されましたが、その時、偶然父と叔父イント氏(父の兄)はゲットーの外にいたので、助かりました。その時に、ゲットーの中にいた父の父(アルバート・ブーラ氏の祖父でアブラハム・ブーラ氏)に会って話をして、ゲットーで何が起きたかを聞いて、ゲットーには戻ってこないで、隠れるようにと言われました。それが私の父と叔父が、父のアブラハム・ブーラ氏、妻のラヘル氏(アルバート・ブーラ氏の祖母)、娘のグラジエラ氏(アルバート・ブーラ氏の叔母)、息子のデビッドに会う最後となりました。彼らはアウシュビッツ絶滅収容所に移送されてしまいました。
その後、父と叔父は、地元の警察が助けてくれて、クリスチャンネームの偽物のIDカードを手に入れてなんとかアテネまで逃げてくることができました。そして戦争が終わるまで2人はクリスチャンになりすましてアテネで生き延びることができました。戦後、ナチスドイツが去ってから父と叔父はテッサロニキに戻りましたが、家族が所有していたあらゆる財産はもうなくなっていました。全くの無一文からの出発となり、テッサロニキで2人で酒店を営み始めて、退職するまで酒店で働いていました。
処刑直前に間一髪で救われた母サラ
私の母の家族も父と同じようにゲットーに収容されていました。母は7人兄弟の一番下でした。上の姉たちはクリスチャンと結婚していたのでキリスト教徒に改宗していました。当時は異宗教間での結婚は社会的に認められていなかったため、母の父(アルバート・ブーラ氏の祖父)は一番上の姉とは口もきいていませんでした。そして、姉の住んでいるところでは、姉が元々ユダヤ人であったことは誰も知りませんでした。それで姉の家族が当時10代だった母を匿ってくれていました。しかし残りの母の家族は全員アウシュビッツ絶滅収容所に送られてしまいました。
母はナチスドイツが恐怖でほとんど外出することができなかったのですが、たまたま外出している時に逮捕されて地元の警察署に収容されてしまいました。その時に、クリスチャンだった母の叔父のコスタス・デ・マディス氏が身代金を払って釈放してもらおうとしていましたが、母の姉はナチスドイツを全く信用していなかったので、毎日昼に警察にこっそりと母の様子を見に行き、処刑されるトラックに乗せられていないか確認していました。
ある日、その恐怖が現実となり、母がトラックに積まれているのを見つけました。そこで母の姉は夫に相談して身代金を支払って釈放してもらうように打診しました。母の姉によるとその日の夜は恐怖で本当に長かったそうです。翌朝、母はナチスドイツによって処刑されるために、壁際に並ばされていましたが、間一髪でナチスがやってきて、別のラインに移されて処刑されることを免れました。母が処刑されるラインから外されるとすぐにマシンガンで残りのユダヤ人は全員撃ち殺されました。数日後に母は警察署から釈放されました。
「両親の名前を憶えなくてもホロコーストの記憶はとどめて」
そして8年後に両親はお見合いで結婚しました。父には2つの夢がありました。1つは息子が科学者になることと、もう1つは息子がユダヤ人の素敵な女性と結婚することでした。両方とも叶えることができました。
これが父のモイスと母サラの物語です。私の人生にとって、両親から聞かされたホロコースト時代の経験は、私の世界観にとてもインパクトを与えてくれました。今回、初めて両親のホロコースト時代の経験を公の場所で話しました。
● かざふ
マサムネ | URL | 2021/06/13(日) 14:47 [EDIT]
カザフスタン、外国人への農地売却及び賃貸を禁止
14.05.2021
https://www.trt.net.tr/japanese/shi-jie/2021/05/14/kazahusutan-wai-guo-ren-henonong-di-mai-que-ji-biren-dai-wojin-zhi-1639161
カシムジョマルト・トカエフ大統領は当該の禁止を想定した法案を承認した。
新法によると、今後農地は外国人、外国株を保有する現地企業、国際調査機関のほか、帰国したもののなおカザフ国籍を取得していないカザフ民族に売却及び賃貸しされることはない。
現在農地を使用している外国国民及び企業のリース期間は延長されない。
カザフスタン農業省が公表した最新報告によると、同国では現在9万3000ヘクタールの農地が外国人によって賃貸されている。
● シオノギ製薬
マサムネ | URL | 2021/06/13(日) 14:49 [EDIT]
塩野義のコロナワクチン、条件付き承認で年内実用化も
産経2021.5.10
塩野義製薬の手代木功社長は10日、開発中の新型コロナウイルスのワクチンについて、最終段階の大規模な治験(臨床試験)と並行する形の条件付きの使用承認が得られれば、年内に実用化できる見通しであることを明らかにした。同日の報道向け決算説明会で説明した。
塩野義は遺伝子組み換えのタンパクワクチンを開発中で、現在は第1、2段階にあたる第1/2相試験を進めている。手代木社長は条件付き承認に向けて国と協議中とし、「十分な有効性と安全性を担保できれば、条件付きの承認を考えてほしいと話をさせてもらう」と述べた。実用化後の全数調査などを条件として提案する方針という。
手代木社長はまた、コロナの変異株に対応したワクチン開発を進めていることも明かした。すでに年間1千万人分の生産体制を構築しており、年内には3千万人分以上への供給力引き上げを目標としている。
一方、コロナの治療薬については「できるだけ早く(自宅でも服用できる)経口剤を作りたい」と述べ、今年度前半に治験を開始する方針を説明。今年度内の実用化に向けて開発を進めているとした。
● ころっけ@キルギス
マサムネ | URL | 2021/06/13(日) 14:55 [EDIT]
コロッケ「日本で私が絶対もらえない称号」キルギス国立大の名誉教授に任命5/29(土)
タレントのコロッケ(61)が28日、都内の在日本キルギス共和国大使館で、両国の文化交流の功績をたたえた感謝状授与式に出席し、アラバエフ・キルギス国立大の名誉教授に任命された。
コロッケと同じ所属事務所の演歌歌手・三田りょうが同国の独立記念コンサートに出演していることをきっかけに、4年前からコロッケも「何か人のためになれば」と活動を考案。昨年12月、同大学内に無料で日本語を学べる「コロッケ日本語教室」を開校したことを受け、名誉教授に任命された。同日本語教室には12~18歳の生徒40人が在籍している。
名誉教授となったコロッケは「日本では、私が絶対にもらえない称号。重圧は感じる」と恐縮しつつも、やる気満々。コロナ禍の影響で来訪はまだかなっていないが、「私と言えばモノマネ。ニワトリや犬など動物のモノマネをきっかけに日本語を教えたい。そこで第2、第3のコロッケを育成できたら最高です」とお家芸である歌手・岩崎宏美の顔芸をしながら、意気込みを語った。
自身がプロデュースする店「コロッケのころっ家」で、キルギスの名産品を使った商品も構想しているようで、「ハチミツとクルミオイルが有名ですので、そのオイルで揚げたコロッケに、ハチミツをかけて食べるのもいいかも」と明かしていた。
◆キルギス共和国 中央アジアに位置する国で、首都はビシケク。面積は日本の約半分の19万8500平方キロ・メートル、人口は650万人。キルギス語が国語で、ロシア語が公用語。名産品はクルミとハチミツ。

マサムネ | URL | 2021/06/13(日) 15:05 [EDIT]
田中徹雄氏は 第35師団歩兵第220連隊に所属した幹部候補生の第5期生。

日中戦争に参加して、山西省で孫殿英率いる7万の中国軍を帰順させ
その功績が天皇の耳に入って勇名をとどろかせ、松竹の映画にまでなり、のちに 山梨県副知事になられた方です。
(サンリオを創設なさった辻 辻慎太郎氏の上司にあたる方です。
それは又別記いたします )

ラストエンペラー・満州国 愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)皇帝は 皆様もご存じのとおり 満州国最後の皇帝です。

映画 《ラストエンペラーの》の中で囚(とら)われの身となり、独房の中で、 身の回りのお世話をしてくれる側近の者も誰一人いず、 靴の紐など自分で結んだこともない
皇帝が、靴ひもを結ぼうとするのですが どうしても 結べないので
す。涙を浮かべながら、何回やっても 何回やっても 結べないの
です。

下級の兵士から 怒鳴られ 頭をこずかれているラストエンペラーを
やはり囚われの身となって、兄の皇帝の隣に収監されていた 弟
溥傑(ふけつ)が 小さい壁穴から じっとみている姿が 大きなスクリ
ーンに映しだされた あの映画の1シーンが 脳裏に焼き付いてる方
もいらっしゃるのではないでしょうか?

この皇帝の弟・溥傑氏の夫人は、 日本の嵯峨侯爵家のお嬢様で
した。


終戦後「 満州国とのかかわり」、そして「 日本人」という事で 死刑に処せられる事が決定していたようです。

ところが それを聞きおよんだ 田中徹雄氏は
「殺させてなるものか。」
「生きて日本の土を踏んでいただかなくては。」
「何が何でも助けねば」
と 単身 ジープ?で いくつもの関門を通り抜け、軟禁されている 夫人を探しだし、乗ってきた車に押し倒すようにして、乗せ、 毛布を被せ、 又 来た道と同じく いくつもの関門・兵士の詰所を 突破して 助け出し、 昭和22年
横浜に夫人を上陸させたのです。
彼の勇気は言うに及びませんが、彼は、中国の東亜同文書院大學へ
留学していたことがあり、中国語が堪能であった事が幸いしたようです。

昭和の平和の時代になって 愛新覚羅溥傑ご夫妻が 訪日の際は必ず
帝国ホテルにお泊りだったようです。そして 田中氏はお二人とその都度会食をなさっておりました。

田中徹雄氏は、日本酒であれウイスキーであれ なんでもござれ!!の無類の酒好きな方でした。

副知事時代 公用車で我が家にいらして そのまま呑んでいらしたことがありました。(今なら 大問題 !!でも50年程前の事ですから。時効?)
上機嫌になると 背広を裏返し 前身頃を後ろ側にして 腕を袖に通すとまるで 中国服を着ているかのように みえるのです。

そのいでたちで 大きな身体をゆすりながら 中国の歌を歌ったり 中国語で演説の真似をしたりして とても おちゃめな方でした。

ただ、残念なことに 志半ば、61歳の時 脳梗塞で倒れ 次の日には帰らぬ人となってしまいました。

豪快で、酔う程に大声になり おしゃべり好きで、 そして 涙もろくて・・・・。
話をしているうち 装飾して 段々 大風呂敷にもなっていくのですが
その 装飾が 面白おかしく 聞いてるものを ひきつけるのです。
● こせい女史
マサムネ | URL | 2021/06/13(日) 15:09 [EDIT]
ラストエンペラーの姪が雅子さまに渡したアサガオの種2019/2/22
「日中友好に生涯を捧げた父と母が愛した庭でしたから、若い世代の方々が、この庭を通じて、隣国や平和への関心を持つきっかけとなっていただければと願うのでございます」
兵庫県西宮市の武庫川女子大学附属中学・高校にある「日中友好の庭」。2月半ばの好天に恵まれた日の午前。庭の寄贈者で、同市在住の福永こ生さん(78・『こ』は樗の字の木へんが女へん)は、寒風に耐えるような木々を愛おしそうに見やりながら、みやびな響きをもつ美しい日本語で語り始めた。
「本当は、もっとカラフルなお庭なんですが、今は冬枯れの時期だけに、残念でなりません。ここの植木も庭石も、かつてわが家にあったものを寄贈させていただきました。中央のモミジは、父のいちばんのお気に入り。かつて父は日本の来るたびに、大好きな日本酒を嗜みながら眺めておりました。そして、白雲木。母が結婚して満州(現・中国東北部)に渡るとき、赤坂御所で貞明皇后(大正天皇の皇后)が、御自ら種をお拾いくださって『記念に満州に植えるように』と賜ったそうでございます。その種から育った木の孫木になります。ここに来ると、どの木や花を見ても父や母を思い出します。懐かしゅうございます」
こ生さんの父親は、中国・清朝のラストエンペラーであり、満州国皇帝であった愛新覚羅溥儀の実弟の溥傑さん。母親は、日本の天皇家と縁戚関係にある嵯峨侯爵家令嬢の嵯峨浩さん。
つまり、こ生さんは、あのラストエンペラーの姪であり、幼少のころには満州国の正統な皇位継承者として、2番目の皇女を意味する「二格格(アルゴーゴー)」と呼ばれていた。
しかし、敗戦で運命は一変。5歳のこ生さんは、そのまま母と、内戦下の中国大陸6,000キロを1年5カ月もの間、流転。命からがら日本に帰国できたときに、憧れたのは「普通の生活」だった。
やがて結婚して母となり、両親亡きあとも、その遺志を継いで日中親善に努め、時代の語り部として生きてきた。また、日本の皇室との交流も続いている。
「昨夏も、毎日書道展で溥儀や溥傑の書が特別展示されて両陛下にお会いしたとき、父の話になりました。天皇陛下が’92年の初めての中国訪問時をふり返られて、『北京では、溥傑さんにたいへんお世話になりました』と語られ、皇后さまも『心のおきれいなお人でしたね』とおっしゃられて。父からは、そうした話は聞いておりませんでしたので、初めてうかがって、とてもうれしゅうございました」
’07年、夫の死を機にそれまで住んでいた西宮市内の一戸建てを引き払い、こ生さんは同じ市内のマンションへと移った。ピアノや家具などの大半を、幼稚園や福祉施設に寄付し整理した。
「唯一の心残りが、庭でした。嵯峨の家の家紋にもなっている連翹、父のモミジ、そして白雲木などなど。この庭だけはなくしてはいけない、と思ったのでございます」
そんな庭は、末娘の母校で、中国との交流もあった武庫川学院に寄贈され、「日中友好の庭」となった。?生さんは、一本の木にまつわるこんな思い出を語った。
「’92年の両陛下とのお食事会のとき、まだご結婚前の紀宮さまもご一緒でした。赤坂御所のお部屋の前に、ここの白雲木の元木があるとのことで、紀宮さまは、『花が落ちたら、白いじゅうたんのようになって、とてもきれいなんですよ』と、お話しくださいました。今、その部屋には愛子さまがおられるとうかがっております」
皇室との交流は世代を超えて続き、皇太子ご夫妻とお会いになったのも去年の夏。やはり、花にまつわるエピソードがあった。
「皇太子さま、雅子さまが夏の甲子園の百周年記念大会にご出席されるためこちらにいらした際に、お会いできました。その数日前に、わたくしが両陛下と懇談させていただいたことをお聞きになっていたのでしょう。お会いになったときにまず、『(両陛下に)お会いになっていたのですね』と、お聞きくださいました。わたくしは、『はい』と申し上げてうなずくばかりでしたが。そのときに、白雲木のある庭や『日中友好のアサガオ』のお話もさせていただきました」
日中友好のアサガオも、戦後、生死も定かでなかった溥傑さんの消息がわかり、’61年に再会するときに、浩さんが日本で種を買って中国に持参したものがもととなっている。
「北京の自宅で両親が丹精込めて世話をして、縁の白い赤紫の花を咲かせました。母亡きあとも、父が7年間、一人で水をあげたり、種を収穫していたものです。その父も亡くなったあとは、わたくしが両親の思いを受け継ぐかたちで育て、ご縁のあった方に種をお配りしています。すでに日本各地だけでなく、中国の日本人学校などでも育っています。昨夏は、採れたばかりの種を、皇太子さま、雅子さまに、お礼状とともに遅らせていただきました。もちろん、その前には、皇后さまにもお送りしております」
一輪の花が国境を超え、時を超え、横たわる大河にかかる橋のように、人と人とをつないでいく。
「国同士は難しいことがあっても、人と人は別ですね。父の好きだった『相依為命(あいよっていのちをなす)』の言葉どおり、時代が変わっても、相手を思いやる気持ちがあれば、共に生きていけるのでございます」
まもなく、厳しい冬が終われば春が訪れる。木々は緑の葉を茂らせ、花は色とりどりに咲いて、また誰かの心を温かくしてくれる。

血に染まった乳母の顔、銃弾・砲弾の嵐…西宮在住ラストエンペラー血族の回想「多くの人に守られ生かされた」2015/6/30産経WEST
https://www.sankei.com/article/20150630-FQITAW3VS5IMBGVZYDZ2I5VUCM/

【戦後70年】血に染まった乳母の顔、銃弾・砲弾の嵐…西宮在住ラストエンペラー血族の回想「多くの人に守られ生かされた」
ラストエンペラーとして知られる清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ、1906~67年)とともに満州で終戦を迎えた血族が兵庫県西宮市に住んでいる。溥儀の実弟である溥傑(ふけつ、1907~94年)の次女、福永●生(こせい。●=女へんに雨、その下に誇のつくりで大を取る)さん(75)。戦後70年を迎えて戦争の記憶が風化し日中関係が複雑さを増す中、「人と人との真心の交流を大事にしてほしい」と訴えている。(加納裕子)
満州国崩壊 石投げられ、唾吐きかけられ、目の前で多くの命失われた
福永さんは昭和15(1940)年3月、溥傑と嵯峨浩(さがひろ、1914~87年)の次女として東京で生まれた。浩は公家華族の長女で、2人の結婚は日本と満州の親善の架け橋といわれた。
1945年8月の終戦時、5歳だった福永さんは溥儀や溥傑、浩とともに満州にいた。「みんな泣いていて、寂しいような悲しいような情景だけは覚えております」と振り返る。父親の溥傑は溥儀とともに飛行機で亡命する途中、ソ連軍が拘束。一方、母親の浩は「一族とともに皇后をお守りする」と決意して日本への帰国の誘いを断り、やがて皇后とともに中国共産党軍に捕らえられる。
翌年1月、皇后と浩、福永さんらは中国東北部の町、通化に移送された。翌月、日本人が武装蜂起に失敗し、戦死や処刑などで千人以上が死亡したとされる「通化事件」が発生。福永さんらのいた場所も戦場となり、激しい戦闘にさらされた。
その後も軍に拘束されたまま中国東北部を転々とし、延吉では軍に市中を引き回されて市民に石やつばを吐きかけられたことも。ハルビンで釈放され、日本に引き揚げる開拓団に紛れて歩き続けてようやく港にたどり着いたが、今度は国民党軍に戦犯として捕らえられた。上海で元軍人の日本人に救出されて日本への引き揚げ船に乗るまで直線距離にして約6千キロ、約1年5カ月に及ぶ流転の日々の中で、母娘の目の前で多くの命が奪われたという。
鮮血で染まる顔、折り重なって守ってくれた人々
福永さんが鮮烈に覚えていることがある。通化事件で砲弾が飛び交う中、皇后を守ろうとした溥儀の乳母が撃たれ、手首のない手で顔を覆った。鮮血で真っ赤に染まった顔…。乳母はやがて息絶え、遺体は放置された。そんな砲弾の中で一族を守ろうと、布団をかぶせて覆いかぶさった日本兵がいた。その日本兵が砲弾で亡くなると中国兵が同じようにかぶさって守り、命を落としたという。
「それらの方が亡くなった上で私たちが生かされたことに感謝しております」と福永さんは振り返る。この後も数え切れない修羅場をくぐり抜けての奇跡の生還の陰には、身をていして浩や福永さんを守ろうとした大勢の日本人、中国人がいたという。
愛によって再生した一族の物語、伝えていくことが大事
溥儀とともにソ連に抑留されていた溥傑はその後、中国の戦犯管理所に送られた後、1960年に釈放。互いを想い続けていた一家は翌年、再会を果たし、浩は生涯を北京で溥傑とともに過ごした。
一方、福永さんは日本にとどまって帰化し、日本人の実業家と結婚して大阪や兵庫で5人の子供を育てた。溥傑と浩は1972(昭和47)年の日中国交正常化以降に日中親善のため何度も来日し、浩は福永さんに「物がなくなっても惜しむことはない。人の心と自分の命を大切にするように」と繰り返したという。
平成25年10月、福永さんは兵庫県西宮市の自宅で保管していた一族の資料約千点を同市にある関西学院大学博物館に寄贈。同博物館では27年5~7月に約60点を公開する展覧会「愛新覚羅家の人びと-相依為命(あいよっていのちをなす)-」が開催され、6月20日に開かれた記念講演会では福永さんが自らの体験を語った。
博物館によると、当初の定員300人に対して4倍近い参加申し込みが寄せられ、関西圏だけでなく、関東や九州など遠方からの参加者もいたという。河上繁樹館長は「予想を超える反響だった。終戦から70年、中国との緊張関係もある中で、戦争を知らない世代が増えている。ご本人が語ることが大きかったのではないか」と話す。
展覧会の副題「相依為命」は「時代は変わっても、相手を思いやる気持ちがあれば生きていける」との意味で、溥傑がよく口にした言葉。福永さんの生涯をつづったノンフィクション「流転の子 最後の皇女・愛新覚羅●生」を著した作家の本岡典子さん(59)は「●生(こせい)様は命さえあればと語られ、その言葉はシンプルだけれど大切なこと。苦労の後、愛によって再生したご一族の物語を伝えていくことは今、とても大事なことだと思います」と訴える。
福永さんは取材に対して穏やかだが、凛とした表情で語った。「私どもは政治や経済とは全く関係ありません。心と心の交流こそが一番確かで信頼できると思うのです。父と母の『相依為命』ではありませんが、お互いに思い合って支え合って生きていく精神が広まれば、戦争は少なくなると思います。次の世代の方にも心と心の交流を続けていってほしいのです」



■愛新覚羅家の歩み(敬称略)

1906年 愛新覚羅溥儀が誕生

1907年 溥儀の実弟、溥傑が誕生

1908年 溥儀が第12代清朝皇帝になる

1912年 溥儀が退位し、清朝が滅亡

1914年 嵯峨浩が誕生

1928年 溥傑が日本に留学

1932年 満州国建国宣言、溥儀が執政に就任

1934年 溥儀が満州国皇帝に即位

1937年 溥傑と浩が日本で結婚、2人は満州へ渡る

1938年 溥傑の長女、慧生(えいせい)が誕生

1940年 溥傑の次女、●生(こせい)が誕生

1945年 満州国崩壊、溥儀が退位。溥儀と溥傑はソ連軍に拘束される

1947年 1年5カ月の流転の末、浩と●生が帰国。終戦時に学習院初等科通学のため日本にいた慧生と再会

1950年 溥儀と溥傑が中国の戦犯管理所へ移送される

1957年 慧生が死去

1959年 溥儀が釈放される

1960年 溥傑が釈放される

1961年 ●生が学習院女子短期大学を卒業。溥傑と浩、●生が北京で再会。浩は北京にとどまり、●生は日本に帰国する

1962年 ●生が日本に帰化

1967年 溥儀が死去

1968年 ●生が日本人実業家の福永健治と結婚、大阪に居を構える(その後、一家は兵庫へ転居)

1972年 日中国交回復

1987年 浩が北京で死去

1994年 溥傑が北京で死去

2007年 福永健治が死去

2013年 ●生が一族の写真や手紙、映像などの資料約千点を関西学院大学博物館に寄贈

(●=女へんに雨、その下に誇のつくりで大を取る)
● 台湾
マサムネ | URL | 2021/06/13(日) 17:57 [EDIT]
台湾発「ありがとう日本」ワクチン提供に産経新聞広告で
2021/6/13
6月13日付産経新聞に掲載された、ワクチン提供に感謝を伝える広告
13日付の産経新聞に「ありがとう日本!」などと題した2枚の全面広告が掲載された。新型コロナウイルスワクチン124万回分を台湾に無償提供した日本政府と国民に対し、感謝の気持ちを伝えるため、約130の台湾系企業、団体などが共同出資して掲載されたものだ。
「台湾人有志一同」と署名された一枚の広告は、「患難見真情」(まさかの時の友こそ真の友)ということわざを引用し、台湾が困っていたときに迅速に救いの手を差し伸べた日本に対し、台湾民衆の素直な感謝や、コロナ禍の後、日本の友人と早く再会したい気持ちが込められているという。
金融機関の聯邦銀行グループ、大手紙、自由時報グループ、総合不動産企業、瓏山林グループが協賛した。聯邦銀行の林鴻聯頭取は「ワクチンを提供してくれたことに対し、私たち台湾人は本当にありがたく思っている事を日本の皆さんに知ってほしい」と思いを語った。
6月13日付産経新聞に掲載された、ワクチン提供に感謝を伝える広告
一方、台湾を代表する動物「黒熊」が登場する2枚目の「感謝」の広告は、財団法人、台湾伝統基金会の呼びかけに応じ、わずか4日で126社の企業や団体が集まった。IT企業、証券会社、病院、学術団体、スポーツ関連団体など業種は多岐にわたり、日本や米国の台湾系企業、団体も複数参加した。

これらの企業と団体は、今回の広告を通じて、ワクチン提供への感謝とともに、これからも日本と友好関係を推進したい気持ちを日本の読者に伝えようとしているという。(台北 矢板明夫)

● 鐵路
マサムネ | URL | 2021/06/14(月) 20:39 [EDIT]
アゼルバイジャン、ザンゲズル鉄道回廊建設に向けトルコへ秋波
(アゼルバイジャン、トルコ、アルメニア)

イスタンブール発

2021年06月14日

アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領は5月30日、バクーを訪問したトルコのアディル・カライスマイルオール運輸・インフラ相と会談し、トルコからナヒチェバン、アルメニアを経由してアゼルバイジャン本土をつなぐ、アラス川沿いのザンゲズル鉄道回廊建設の重要性を強調した。

アリエフ大統領は、この鉄道はトルコとアゼルバイジャンの同盟関係を強化するものだとしている。トルコは、ザンゲズル鉄道回廊がトルコとアゼルバイジャン、トルコとロシアをつなぐだけでなく、中国の「一帯一路」にもつながるものと期待している。トルコはカラバフ(注)復興需要に多大な関心を寄せており、既にトルコのゼネコンは、フュズリ・シュシャ高速道路(約100キロ)とフュズリ空港のプロジェクトへの参画が決まっている。アゼルバイジャン政府は、トルコ国民の支持が2020年の44日間にわたる武力衝突の支えとなったとして、復興事業にはトルコ企業を優先するとしている。

アゼルバイジャン政府は、約150万人のアゼルバイジャン人がカラバフに戻ると見込んでおり、インフラ、道路、農業、エネルギー、教育、医療などの復興プロジェクト実施に向け、既に13億ドル相当の予算をカラバフ復興基金に割り当てている。

一方、ザンゲズル鉄道回廊建設に関して、アゼルバイジャンと対立するアルメニアは強く反発している。アゼルバイジャンとトルコの結び付きを強化し、アゼルバイジャンの戦略的重要性を高める可能性があるからだ。アルメニア政府は、2020年11月10日のナゴルノ・カラバフ停戦協定はザンゲズル鉄道回廊建設にまでは言及していないとの見解だ。(注)アゼルバイジャンでは、2020年の休戦協定で回復されたのがナゴルノ・カラバフ全域ではないこともあり、「新たに解放されたアゼルバイジャン領」と表現するが、本稿では便宜上「カラバフ」を用いる。(中島敏博)
● ろすけ
マサムネ | URL | 2021/06/14(月) 20:56 [EDIT]
いま、シャーマンの力 ロシア「異端」の宗教が復権
2021年1月18日
祈祷するシャーマンのオクサナ・キムさん。「帽子に描かれた目で外界を見る」という=モスクワで
祈祷するシャーマンのオクサナ・キムさん。「帽子に描かれた目で外界を見る」という=モスクワで
供物の残りを前に語るオクサナさん(左)=モスクワで
供物の残りを前に語るオクサナさん(左)=モスクワで

祈祷するシャーマンのオクサナ・キムさん。「帽子に描かれた目で外界を見る」という=モスクワで
供物の残りを前に語るオクサナさん(左)=モスクワで
 ロシアで、ソ連時代にほぼ途絶えたとされる土着の原始宗教シャーマニズムが勢いを増している。科学万能の時代に、なぜ神や精霊との交感を望む人がいるのか。ロシア宗教史で「異端者」ともいえるシャーマンの姿を追った。
 (モスクワ・小柳悠志、写真も)
 祈祷(きとう)を見せてくれたのが極東ブリャート共和国の女性シャーマン、オクサナ・キムさん(51)。最近は新型コロナウイルス封じの依頼も多く、各地に出張する。ロシアメディアでもたびたび登場する。
 取材を兼ねて祈祷を受けたのはモスクワ郊外の信者のアパート。食卓に供物のウオッカと牛乳、バターを塗ったクッキー、チョコを並べると始まりだ。
 香草に点火し、オクサナさんは祭文を唱え始めた。モンゴル系ブリャート語で歌声のようなリズムが心地よい。途中、目を閉じ故郷の大自然を思い描くよう求められる。最後は中庭に出て、シャーマンが神聖視するシベリアのバイカル湖に向かって供物を投げた。
 シャーマンが説くのは、日本の伝統信仰と同じく先祖や大自然を崇拝する心。「周囲に清らかな水があって、空に太陽が輝き、父祖の教えを継ぎ、家族が平和に暮らせたら幸せでしょう」とオクサナさん。
● ういぐる
マサムネ | URL | 2021/06/17(木) 05:18 [EDIT]
ウイグル出身者ら、対中非難決議見送りに抗議
2021/6/16
中国新疆(しんきょう)ウイグル、チベット、内モンゴルの各自治区や香港の出身者らでつくる「インド太平洋人権問題連絡協議会」は16日、中国の諸民族が直面する人権侵害行為を非難する国会決議案の採択が見送られたことについて、抗議声明を公表した。
声明は「非難決議さえ行えない日本の国会は、何をそんなに恐れているのか理解できない。決議の成立を妨げた勢力に対しては、
怒りをもって抗議する」とした。
党外交部会などで決議案を了承した自民党を含め、党内手続きを終えた立憲民主党、日本維新の会、国民民主党に対しては謝意を示した。
協議会はチベット亡命政権の代表機関、ダライ・ラマ法王日本代表部や日本ウイグル協会、世界モンゴル人連盟、スタンド・ウィズ・香港@ジャパンなどで構成する。
● ちぇこ
マサムネ | URL | 2021/06/17(木) 05:25 [EDIT]
プラハ市長、ワクチンめぐる政治介入を批判 「チェコ政府に台湾支援促す」
2021/06/16
(ブリュッセル中央社)チェコの首都プラハのズデニェク・フジブ市長は15日、「政治の力が台湾の新型コロナウイルスワクチン確保を妨害していることにがくぜんとしている」と述べ、チェコ政府に台湾支援を促していく意向を示した。
台湾は、独バイオ医薬のビオンテックからワクチン500万回分を調達する予定だったが、交渉は最終段階で頓挫してしまった。同社は、台湾を含む中華圏向けの販売などで中国の上海復星医薬と提携しており、蔡英文(さいえいぶん)総統は先月下旬、その背景に「中国の介入」があったと明かした。
この日、自身のツイッターに動画やコメントを投稿したフジブ氏。チェコがコロナ禍に苦しんでいた時、台湾が手を差し伸べてくれたと振り返り、台湾にワクチンを届けるよう、自国の首相や保健相、外相に働き掛けていくと強調した
(唐佩君/編集:塚越西穂)
● 4歳
マサムネ | URL | 2021/06/17(木) 05:59 [EDIT]
山田方谷4歳の板額発見 公開へ 高梁市教委、秀でた才能示す史料
2021年03月29日
御前神社で見つかった方谷が4歳の時に書いたとされる額。中央に「国土安全」と書かれ、左下に小さな手形が押してある
御前神社で見つかった方谷が4歳の時に書いたとされる額。中央に「国土安全」と書かれ、左下に小さな手形が押してある
 幕末の備中松山藩で活躍した儒学者山田方谷(1805~77年)が数え年の4歳(満3歳)で書いたとされる板額が御前(おんざき)神社(高梁市宇治町遠原)で見つかり、29日に同市教委が公開した。市教委によると、同様の額は近隣の複数の神社に奉納されており「教育熱心だった両親が、たぐいまれな才能を発揮した方谷をアピールしようとしたのでは」とみている。

 額は縦164センチ、横42・5センチ。中央に「国土安全」と大ぶりな字が墨で書かれ、その下に右から「山田氏」「四才筆」の記述、左下に当時の方谷が押したとされる手形が残る。額の左端に「文化五年戊辰且月吉祥日」(1808年6月)の日付、右端に「当国阿賀郡西方村安五郎謹書」と方谷の出身地・阿賀郡西方村(現在の高梁市中井町西方)と幼名が記されている。

 市教委によると、今月1日、本殿を調査中、棟札とともに見つかった。方谷の父・五郎吉は山田家の再興を願ってわが子に英才教育を施し、方谷は母・梶の指導で4歳で書を習得したとされ、小さな手形とともに「つる」「天下太平」などとしたためた額が、高梁、新見、真庭市の神社に奉納されている。

 御前神社と山田家のつながりや奉納を記録する文献はないが、元県立博物館長の田村啓介・高梁市教委参与は「五郎吉はわが子の才能を広く世間に伝えようとしたのだろう。方谷が幼少から特別な存在だったことを改めて示す史料」と話している。

 額は4月10日~6月21日に市歴史美術館(同市原田北町)で開かれる小企画展「御前神社の神像と歴史」で一般公開する。
● 料理
マサムネ | URL | 2021/06/19(土) 07:34 [EDIT]
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(ディーリャ先生)ウズベキスタンの世界遺産の町
ヒヴァ名物の緑の手打ちパスタ ■コースA

JR東神奈川、東横線反町駅。日本語でのお教室です。
 


メインの「シヴィト・オシイ」は、ウズベキスタンの西ある世界遺産の町、ヒヴァまで行かないと食べられない郷土料理です。ヒヴァは「千夜一夜物語」に出てきそうな風景の町。城壁で囲まれていて、とても情緒のある素敵なところです。そんなヒヴァで食べられているのが、デ...
<コースA>

<お食事中はお近くの席の人に話しかけないようおねがいします。禅に通じる黙食でお願いします 会話が必要な方はマスクをつけてからお話ください>

場所:講師自宅で行われる料理教室。
携帯:講師によるデモンストレーションとお食事
特徴:少人数制 「お召し上がり お持ち帰りどちらかをお選びください」

もっと見る ↓
開催日時
2021年6月25日 (金曜日)
開講時間:11:00-15:00前後
定員人数:6人
予約人数:5人
参加料金:5980円
2021年6月30日 (水曜日)
開講時間:11:00-15:00前後
予約受付終了
2021年7月3日 (土曜日)
開講時間:11:00-15:00前後
予約受付終了
2021年7月4日 (日曜日)
開講時間:11:00-15:00前後
予約受付終了
2021年7月5日 (月曜日)
開講時間:11:00-15:00前後
予約受付終了
2021年7月10日 (土曜日)
開講時間:11:00-15:00前後
予約受付終了
2021年7月11日 (日曜日)
開講時間:11:00-15:00前後
予約受付終了

決済方法
■クレジットカード決済

■銀行振込・ネットバンキング

メニュー
ディルを練り込んだ緑のパスタ
実物
●ディルを練り込んだ緑のパスタ『Shivit oshi シヴィト・オシイ』
●アジカソースがしみ込んだ夏野菜『Ajika Salat アジカ サラト』
●ギリシア風サラダ『Grekcha Salati グレクチャ サラト』
●パプリカとトマトソース『Ajikaアジカ』
●ジャム入れパイ『Varen’elik balish ヴァレンネリク バリシ』
●お土産 ヴァレンネリク バリシ『お土産 ヴァレンネリク バリシ』
●ウェルカムドリンク
●ウズベキスタンのお茶またはコーヒー
具たっぷりのパイ
実物

料理の紹介





Shivit oshi シヴィト・オシイ
●ディルを練り込んだ緑のパスタ
ウズベキスタンではよく麺料理を食べます。しかも、その麺は家庭でも店でも自家製の手打ちが基本です。こちらもそのひとつ。ディルとほうれん草を練り込んだ手打ち麺です。もちもちとした食感の麺の上に、野菜たっぷりの具をのせていただきます。色もきれいなのですが、食べるとディルの爽やかな香りが口に広がって、すっきりした夏に合うおいしさを感じていただけます。
※実物↓


Varen’elik balish
「ヴァレンネリク バリシ」 ジャム入りパイ



ギリシア風サラダ『Grekcha Salati グレクチャ サラト』

オリーブとフェタチーズ(またはモッツアレラチーズ)を使い、オレガノとレモン汁でアクセントを加えたさっぱりとしたサラダです。 ウズベキスタンでは乳製品をよく食べ、昔からブリンザという塩気がきいたモッツアレッラチーズを作っています。また、ウズベキスタンでは食事にサラダは欠かせません。 レストランの評判は肉料理のおいしさとサラダの豊富さで決まると言われるほどで、メニューの2ページに渡ってびっしりとサラダが載っていることもめずらしくなく、 食卓に数種類のサラダが並ぶのも普通の光景です。この「グレクチャ サラト」は、見た目も華やかで美しく、人気の高いサラダです。



Ajikali salat「アジカ サラト」アジカソースがしみ込んだ夏野菜
アジカソースを作り、ズッキーニやナス等の夏野菜にアジアソースを染み込ませウズベキスタンのお惣菜を作りましょう。温かく食べても美味しいし、冷やしても食べても美味しい。食欲がない日でもこれだけでごはんが進みます。









●お持ち帰り(お土産)

ラッザット・バリッシュのパン 



 


開催日と料金を見る
キャンセル規定につきまして
https://www.nikikitchen.com/cancel



利用規約はご予約時に同意の上 お申込みいただいております


https://www.nikikitchen.com/reservation/kiyaku.php



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当面の間は以下を運営方針とさせて頂きます。
コロナウイルス感染状況により、予告なしに変更となる可能性があること、予めご了承下さいますよう、お願い申し上げます。



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、講師が濃厚接触と疑いがあった場合や、だるさ、味覚障害、休学生涯咳やクシャミ、発熱の症状が出たり、体調不良の場合は、当日でもクラスの開催を中止し、受講料は返金いたします。
•原則、クラスはデモンストレーション形式で進行します。

講師とご家族の教室開催日を含む14日以内の海外渡航の禁止、海外からの帰国者との接触禁止とさせていただいております
•クラスが決定した後、緊急事態宣言または開催日がステップ0に変わった場合変わった場合材料手配の都合上、ご予約ご入金後のご返金は致しませんクラスは通常通り行われます。場合によってはお食事はせず全点お持ち帰りになる場合もございます。ご希望の方はお料理レッスンで提供するお食事とレシピを当日指定時間に受け取りに来ていただこともできます。
https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/124/27/2020052607.pdf




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<参加する上で皆様にお守りいただく 参加条件 

※同居のご家族や身近な方が③~⑥に該当する場合もご参加できません>



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マスク不着用の方や体調の悪い方、他下記該当者はクラスの参加途中でも講師の方から参加をお断りする場合がございます



①お食事中は他の方に話しかけないようおねがいします。
禅に通じる黙食でお願いします 会話が必要な方はマスクをつけてからお話ください



⓶マスクを外した後は会話はできません。パーティションがあっても会話の際はマスクはご着用ください


③教室開催日を含む14日以内の海外渡航の禁止、海外からの帰国者との接触禁止とさせていただいております


④体調不良の方のある方、風邪症状(咳、くしゃみ)などの症状、37度以上の熱のある方はご参加できません


⑤強いだるさや倦怠感がある方はご参加できません


⑥味覚、嗅覚障害がある方はご参加できません


⑦感染症と疑われる方と濃厚接触があった


⑧クラスで一番最初に消毒後、手洗いは必ずしてください タオルやハンカチはお持ちになってください


⑨貴重品は必ずご自身で身につけてご参加ください。カバンの中にいれたままご参加されないようお願いたします


⑩携帯電話はウィルスや細菌の温床です。たとえ教室で手洗いをしても手洗い前(GOOGLE MAPを使用したり電車の中等で触るなど)に触った携帯電話の画面から温床になる場合があります。携帯電話はクラスの中で消毒をした場合に限り使用を認めます。消毒用のウェットティッシュはご自身でお持ちください 若しくはラッピングしてから使用してください


⑪マスク、スリッパ、ハンドタオル、石鹸または消毒剤、キッチン用手袋、エプロン、筆記用具、ピックアップ用の容器
をお持ちください その他感染防止で気になるものがありましたらなんでもお持ちください



⑫お食事の時以外のマスクの着用(鼻までしっかり着用下さい。鼻マスクは禁止。)


⑬試食の際は、パーティションがない場合は、相手と向かい合わないよう席の工夫をお願いいたします。また試食をせず持ち帰りをされる場合は、必ず容器と保冷剤を持参下さい。またお持ち帰りに関しましては食中毒等が起きても自己責任となりますのでよろしくおねがいいたします 保冷剤は講師にはなされご到着時に冷凍庫を貸してもらってください


⑭新型コロナウイルスは未知の脅威であることに変わりはないため、方針やお願いを記載させて頂きましたが、感染動向によって適宜見直し更新させて頂く予定にしております。


⑮マウスシールドをマスクの代わりに着用されるのは禁止とさせていただきます


⑯クラスの中で体調の悪そうな方、咳をされるかた、マスクを外しておしゃべりをされる方、他なにかお困りのことがありましたらクラスの開催の時間内に事務局に速やかにお電話をお願いいたします 090-3248-6467   クラス終了後では対応できません




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お振込み方法

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お申し込み後初めての方は3日以内、リピーターの方は5日以内にお振込みいただく前金制です。
•他のクラスへの変更はできません。
•ご本人がご欠席の場合代理出席の方の御参加はできません。
•人数が予約数に達しない場合はクラスは開催をせずご返金とさせていただきます
•銀行決済もしくはクレジットカード決済となります
•予約時に会員規定へのご同意もございます
https://www.nikikitchen.com/reservation/kiyaku.php

ご予約後、「自動的に予約完了メールが届きます。届かない場合は<会員画面> http://www.nikikitchen.com/reservation/members
 

にアクセスをおねがいします
会員画面へはご予約時のメールアドレスとパスワードで入れます。予約状況の確認や予約完了メールが閲覧できます。
•会員画面に表示がない場合は事務局nikikitchen@ga2.so-net.ne.jp までご連絡をお願いします

お待ち合わせ場所は講師の自宅となります。ご入金後「会員画面」に開示されます。
Niki's Kitchen 英語料理教室
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● パネル展示
マサムネ | URL | 2021/06/19(土) 09:45 [EDIT]
清水ともみ
@swim_shu
Shimizu Tomomi🇯🇵 絵本「私の身に起きたこと 〜とあるウイグル人女性の証言〜」ウイグル漫画集「命がけの証言」正論連載『日本製』を求めて。
清水ともみ
6月17日
清水ともみ
@swim_shu
全国で次々開催☪️最初のウイグルパネル展は逗子市で開催されました。地道が一番の近道かな🥲中央だけが日本じゃない、日本は地方で出来ているんだから🗾💪#ウイグル
引用ツイート
Ikuko Kanazawa
@mYH92xDZySW5z5m
東トルキスタン(ウイグル)の人口は侵略前1800万,侵略されてから弾圧を受け続け 今ジェノサイド(大量虐殺)の渦中にあります。
「21世紀のジェノサイド ウイグルの真実」パネル展 6/20迄
6/18(金),19(土) 11時~6時
6/20(日) 11時~5時
茨城県日立シビックセンター
お待ちしてます!
● モンゴル映画ターコイズの空の下で
| URL | 2021/06/19(土) 13:44 [EDIT]
● シナが支那に
マサムネ | URL | 2021/06/20(日) 09:16 [EDIT]
米俳優ジョン・シナさん、台湾を国と呼び謝罪 中国語でメッセージ
2021年5月26日カーアクション映画『ワイルド・スピード/ジェットブレイク(Fast and Furious 9)』に出演した米国のプロレスラーで俳優のジョン・シナ(John Cena)さんは25日、台湾を「国」と呼んだ発言が中国で多くの批判を生んだことを受け、中国のファンに向け中国語で謝罪した。

 シナさんは同作の宣伝で5月初めに台湾を訪問し、ファンイベントで台湾を「国」と呼んだ。中国は台湾を自国の一部とみなしており、この発言は中国のソーシャルメディアで炎上。シナさんは25日、中国版ツイッター(Twitter)の微博(ウェイボー、Weibo)に、日常会話レベルの標準中国語で謝罪する動画を投稿した。


 シナさんは、「『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』でとてもたくさんのインタビューに答えてきたが、1度のインタビューで間違いを犯してしまった」とコメント。「本当に、とても重要なことだけれど、私は中国と中国の人々を愛し、尊敬している。間違いをとても申し訳なく思っており、おわびする」と語った。

 この動画は240万回再生され、中国のメディアでも大きく報じられた。だがソーシャルメディアユーザーらは納得しきれない様子で、ある微博ユーザーは「『台湾は中国の一部だ』と中国語で言わない限り、受け入れない」と書き込んだ。

 政府系メディアの環球時報(Global Times)によると『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』は中国で21日に公開され、興行収入は1億4800万ドル(約161億円)に上った。(c)AFP
● 手を帰る支那を変えて
マサムネ | URL | 2021/06/20(日) 18:14 [EDIT]
漫画】『鋼の錬金術師』作者が中国で炎上!短編集で毛沢東が登場したためwww 作者「あの国で海賊版を出せない漫画を描こうと」 中国人ブチギレ「荒川弘は大日本帝国絵師」「毛沢東が率いる共産軍が中国で日本侵略軍を破った」
6/20
https://hosyusokuhou.jp/archives/48905395.html
● ちべっとクラファン
マサムネ | URL | 2021/06/21(月) 20:16 [EDIT]
チベット難民支援でクラウドファンディング
2021/6/21
中国のチベット自治区からインドに逃れたチベット難民の支援を続ける熊本県玉名市のNPO団体「れんげ国際ボランティア会」(Artic)が、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、多くの亡命チベット人が住むインドの北部2州に医療品を送った。Articは、現地での支援を拡大するため、クラウドファンディング(CF)を始めた。
インドでは14日、デリー首都圏を含め、全国的に新型コロナに伴う経済活動などの規制が緩和された。今月15日には日本外国特派員協会で記者会見したサンジェイ・クマール・ヴァルマ駐日大使も感染状況について「改善している」と言及。一時はベッド1台を2人以上の患者で共有するなど逼迫(ひっぱく)した医療提供体制は回復しつつある。

ただ、Articによると、依然としてインド国内で生活する約10万人のチベット難民は厳しい医療環境に置かれているという。Articは6月以降、酸素吸入時に使用するマスクや、感染防止用の医療用ガウンやマスクなど計約200万円分を日本で調達し、チベット難民キャンプに送った。
今回のCFは30日午後11時までで、目標額は500万円。インドで入手が難しい医療品を日本国内で調達して送るほか、現地の亡命チベット人支援団体に直接送金し、物資の現地調達に役立ててもらう。サイトのURLは、https://readyfor.jp/projects/tibetan_support。
● 五輪
マサムネ | URL | 2021/06/24(木) 18:55 [EDIT]
北京五輪「ボイコットを」 チベット人ら訴え―スイス
2021年06月24日
23日、スイス・ローザンヌの「オリンピック・ミュージアム」前で、2022年北京冬季五輪に反対するデモを行うチベット人やウイグル人の活動家ら(AFP時事)

 【ローザンヌAFP時事】国際オリンピック委員会(IOC)本部があるスイス・ローザンヌで23日、欧州在住のウイグル人やチベット人ら数十人がデモを行い、来年2月開催の北京冬季五輪のボイコットを呼び掛けた。

北京五輪「外交ボイコット」を 米下院議長、各国首脳に呼び掛け

 オリンピックデーのこの日、多くが民族衣装に身を包んだ参加者はスイスやフランス、ドイツなどからローザンヌの「オリンピック・ミュージアム」前に集結。「人権なくして五輪なし」「ジェノサイド(集団虐殺)五輪を阻止せよ」と書かれたプラカードを掲げたり、チベットの旗を振ったりした。
 欧州チベット青年協会の代表は「中国政府はチベット人の言語や文化、アイデンティティーを消し去る多様な取り組みを始めており、ウイグル人に対しても同じことが行われている」と訴えた
● チベット族「死ぬ自由もない」、監視カメラの死角で礼拝
マサムネ | URL | 2021/06/28(月) 20:30 [EDIT]
チベット族「死ぬ自由もない」、監視カメラの死角で礼拝…[中国共産党100年]きしむ大国<1>
2021/06/27 09:02
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習政権、少数民族の同化加速

 中国共産党は7月、創設100年の節目を迎える。一党支配のもとで米国の覇権に挑むまでになった強権国家は、国内外で様々な摩擦やひずみを生んでいる。きしむ大国の今を報告する。


甘粛省のチベット族居住地域にある学校で、「普通話を話そう」と漢字で書かれた横断幕(6月上旬)
 首都北京から西に約1700キロ・メートル離れた甘粛省のチベット族居住地域。山あいのチベット仏教寺院で、チベット族の女性13人が、電球の光が届かない暗い一角を見つめ、涙ぐみながら一心に手を合わせていた。

 女性らの視線の先にあるのは、公安当局が所持することすら禁じている、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の肖像写真だ。この一角は当局が天井の四隅に設置した監視カメラのちょうど死角になる位置なのだという。

 えんじ色の法衣を着た50代の男性僧侶が監視カメラを気にしながら、胸に手を当てて小声で言った。

 「危険なのは承知している。それでも信仰は守り抜きたい。ダライ・ラマは心の中にいるのだから」

 チベット仏教寺院は2014年時点で全国3600か所。人口約630万人のチベット族の間では、活仏としてのダライ・ラマへの信仰は今なおあつい。共産党にとって、これほど敬愛を集めるシンボルは、国の分離・独立につながるリスクにほかならない。ダライ・ラマは「分裂主義者」と決めつけられ、信仰の抑圧が進んできた。

 党の指導を信仰に優先させる「宗教の中国化」を掲げる 習近平シージンピン 政権下で、チベット族居住地域の街頭や寺院には「監視カメラが増え、締め付けは厳しさを増した」(チベット族男性)という。当局者が住居を捜索し、ダライ・ラマの写真を隠し持つ人を見つけ、見せしめで処罰するケースも多い。

 この集落近くでは、コンクリートの壁に「中華民族の共同体意識を強固にしよう」と習国家主席の政治スローガンが大書されていた。チベット族が通う民族学校の校門には「普通話(標準中国語)を話そう」と呼びかける横断幕があった。

 チベット自治区ラサで大規模暴動が起きた08年以降、「母語(チベット語)が主、普通話が従」だった言語教育は「普通話が主」に改められた。ウイグル語を母語とし、イスラム教を信仰するウイグル族も含め、少数民族を「中華民族」の名の下で多数派の漢族に同化させる動きが進む。

 「私たちには死ぬ自由もない」と嘆くチベット族女性もいた。チベット族居住地域で数年前まで、強権統治への抗議として焼身自殺が相次いだが、少数民族政策の成果を強調する当局はそれも許さない。ハイテクを駆使した監視が進む今では、「自殺しようとガソリンを買ったら、すぐに把握される」という。

 共産党政権は少数民族の「自治」を掲げ、憲法は「信仰の自由」をうたう。だが、分裂を何よりも許さない一党支配下で、それらは有名無実化するばかりだ。

  ◆ダライ・ラマ14世 =1935年、中国青海省で生まれ、故13世の生まれ変わりとして4歳で即位した。チベット族が中国軍と衝突した59年のチベット動乱をきっかけにインドへ逃れ、ダラムサラに亡命政権を樹立。非暴力による平和解決を求め続け、89年にノーベル平和賞を受賞した。

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