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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2020/05/31(日)   CATEGORY: 未分類
非常事態宣言が解除
 武漢発のコロナ感染は一月末くらいに上陸しご丁寧に全世界にまで波及し、世界経済を停止に追い込んだ。
 
 年明けからの自分のツイッターをみると1/16日に、「来週からはじまる春節で中国人観光客を本当にいれるのか?」と投稿していて、そういえば自分この時点で籠城生活のために、鳥のごはん類(ここ重要)、鳥の命をまもる人の保存食(シリアル、かんづめ、レトルト食品)、トイレットペーパー、などを備蓄していた。さらに、かりに備蓄がつきても人は水だけで三ヶ月は生きられるとか考えていた。

 余談だが、今回ウイルスは猫科の動物への感染例は報告されているが、鳥にはうつらないようなので愛鳥の健康を心配しないでいいだけ気が楽だった。

 仕事の方では、教授会は三月を最後に会議はオンラインとなり、四月からはじまった非常事態宣言で大学のキャンパスは封鎖された。二月三月は海外出張もあらゆる集まりもすべてキャンセルとなったため、研究に集中。この間二ヶ月間の私の読書歴はFBでまわってきたブックカバーチャレンジで紹介した(ガチすぎてなんだかわかりませんとFB友達に言われた)。まあとにかくロシア帝国末期のロシア宮廷と仏教徒にまつわる資料をよんでいた。
 国内外の研究会に発表者としてひっぱりだされていた若手の研究者たちが研究会や学会が全部キャンセルになって落ち着いたといっていたので、これからは不要不急の研究会をへらした方がいいだろう。
 自宅で愛鳥と資料をよんでいるとまじで落ち着いた。

 しかし、五月からオンライン授業がはじまると状況は一変した。

 当局によると、なんでも四千人の中国人留学生、また、地方に自宅をもつ多数の学生が、大学にこられないため、彼等をとりのこして授業をするわけにはいかないという理由でオンラインにするのだそうな。

 池上彰が多数のスタッフの力をかりてパネルつくって要領よくプレゼンしているが、当局はあれを教師個々人の努力でやれといってるらしい。学生がなっとくする授業を収録してパソコンにのせられるように加工し、今年からはじまったムードルというシステムにのせろってか。教師個々人の努力で。

 ムリだろ

 最初のうちは試行錯誤であった。「録音おわったー」と思って再生してみると、録音できてなかったり、エクスポートしないまま保存したら次にあけた時録音がきえていたり。大学は「サーバーに負荷がかかるから、動画配信はやめろ、音だけにしろ、画質の程度をおとせ、」といろいろいってくるし、実際授業がはじまった最初の一週間はサーバーが限界にたっして、アナウンスメントをだしたら五時間後に生徒に配信とかシャレにならない状況であった。

 二つのメアドから転送しているので、大学の事務から矢継ぎ早にくるメールは、授業開始最初の一週間画面にあふれた。我慢強いとはいい難い私の忍耐は、毎日ブチブチきれまくった。近所のお寿司屋さんでランチしていたら、店員さんが「今年からうちの娘も大学一年生なんですが、一度も大学いってないし、オンライン授業わけわからんっていってます」というので「わけわからんのは先生も同じですよ」と絶叫。

 飲み屋でぐちるサラリーマンが昼の寿司屋に出現である。

 自宅で授業を録音していると昼は愛鳥のおたけび、夜は愛猫のごはんコールなどが背景にはいるが、「知るかそんなこと」。院生は数が少ないので、電話指導していたが、電話でしゃべるとごろう様がとんできていっしょにしゃべるのでさぞや私の声は聞き取りづらかったであろう。

 五月の末になり新規感染者数が減ってくると、何となーく町に表情がもどってきた。5/23に代官山に用事でいったが、半分くらいのお店がおそるおそる開店していた。

 5/29に、コメントをたのまれてテレ朝にいき、おわったあと報道フロアにでると、みなたちあがってテレビの画面にくぎづけになっていた。まるで昭和の街頭テレビのようである。「何かあるんですか」と聞いたら、「これから東京の空を六年ぶりにブルーインパルスがとぶんですよ」とのこと。

そういえば、コロナで最前線ではたらく人たちに感謝するためにそんな企画があったっけ。それ今日だったのか。外にでて運転手さんに、「ブルーインパルスがこれから飛ぶそうですよ」というと
運転手さん、「あっあれじゃないですか?」と正面を指さす。
 たしかに目の前のビルの間を五筋の飛行機雲がつきすすんでいく。
『プラマーナ・ヴアールティカ』ルーインパルス

 あとできくと、空中にモールス信号でTU、すなわちTank YoUとかいていたのだそうな。何となくスカッとしたのは、仏教でいう随喜(善をなす人をほめること)をしたからだろう。チベット僧は「随喜はもっとも簡単にできて効果も大きい善行だから、どんどんやりなさい」と奨励している。

 今日から六月である。愛鳥のご生誕月をいわうためケーキを買いに行こう。
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COMMENT

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石居進 | URL | 2020/06/01(月) 11:02 [EDIT]
投稿拝読して何となく嬉しかったです。随喜のコメントをお送りします。
● 石居先生
シラユキ | URL | 2020/06/01(月) 20:02 [EDIT]
ありがとうございます。先生もまた鎌倉ににお出かけになることができますね。熱くなる前に翠を楽しみたいですね
● 瑞気
マサムネ | URL | 2020/06/05(金) 18:53 [EDIT]
ニコライ・コンスタンティノヴィチ・リョーリフ(Николай Константинович Рёрих, 1874年10月9日 - 1947年12月13日)は、ドイツ系ロシア人の画家。美術界と法曹界で訓練を積んでおり、文学や哲学、考古学に関心を寄せた知識人でもあった。一般的には、ストラヴィンスキーの『春の祭典』の着想・構想・舞台デザインに関わった美術家として名高く、しばしば音楽史においてドイツ語名のニコライ・レーリヒ(N. Roerich)で言及されている。
サンクトペテルブルクで裕福な公証人の家庭に生まれ、世界各地で流浪の生涯を送った後、インドのパンジャブで最期を迎えたコスモポリタンである。渡米後は英語風にニコラス(Nicholas)と名乗った。イェレナ夫人ともども神智学の導師として活動し、共同でアグニ・ヨーガ協会を設立した。息子のユーリ・リョーリフはジョージ・ディ・レリックの英語名でチベット学の研究者となり、息子のスヴャトスラフは画家・建築家となった。
父親コンスタンチン・リョーリフはスウェーデン系とラトビア系の血も引くバルト・ドイツ人、母親マリア・リョーリフはテュルク系タタール・ロシア人。
1920年に最初のニューヨーク入りを果たす。夫妻ともども米国中を廻った後、ニューヨーク市に居を構え、美術学校を設立する。さまざまな神智学協会に加入するうち、(美術活動よりも)宗教活動がレーリヒ家の生活を支配するようになる。
アジア探検​
ニューヨークを後にしたレーリヒ家は、長男ジョージとその友人6人と共に、5年計画での「レーリヒ家のアジア探検」に赴いた。レーリヒ自身の言葉を借りると「シッキムから始まり、パンジャーブ、ラダック、カラコルム山脈、ホータン、カシュガル、Qara Shar、ウルムチ、エルティシ川、アルタイ山脈、オイロート、中央ゴビ、甘粛省、ツァイダム盆地、そしてチベットへ」の探検旅行であり、途中、1926年にシベリアからモスクワへ寄り道する予定であった。 探検出発後、1927年夏ごろから1928年6月までの約一年間レーリヒ家との連絡が途絶え一家は一時行方不明となった。レーリヒはチベットで襲われ「我々は銃をもっていたので流血の惨事は免れたが、チベットのパスポートがあったにも関わらずチベット当局は強制的に探検をストップさせた」。 レーリヒ家はチベット政府により5か月間拘束され、その間わずかな配給食糧と氷点下でのテント暮らしを強いられ、一行のうち5名が死亡した。1928年春、チベット退去を許可されたレーリヒ家は南を目指して歩き、インドで研究施設「ヒマラヤ研究所 (Himalayan Research Institute)」の職員に保護された。
レーリヒは、チベットにあるとされるシャンバラについての思想を展開し,後に、ソ連とアメリカの和解と心霊的な世界連邦樹立を目指して活動した。
1929年にレーリヒは、パリ大学によってノーベル平和賞候補に推薦された(1935年には2度目の推薦を受けている)。平和についての高い関心に基づき芸術と文化の「国際赤十字」となることを目標に掲げた『パックス・クルトゥーラ』を創設。この文化保全活動を通じて、1935年4月15日にホワイトハウスにおいて全米州連盟(現・米州機構)に加盟するアメリカ合衆国と20ヶ国の加盟国を文化財保全を目的とした初期の国際条約であるレーリヒ条約(国際文化財保護条約)調印に導いた。当時の合衆国副大統領ヘンリー・A・ウォレスはレーリヒのもっとも近しい理解者、追随者であり、1940年の大統領選挙の際には問題として取り上げられた。 1934年5月には息子ジョージと共に日本を訪れ講演会などを行った。
レーリヒの芸術作品は主にニューヨークにあるニコライ・リョーリフ美術館に収められている。またレーリヒの唱えた神智学の教えを広めようとする団体も多数存在する。
後の研究でレーリヒはチベット、モンゴル、中国、ロシアの一部からなる新しい国家を創設しようとしていたことが分かった。妻エレーナ(ヘレーナ)はそうした国がいかにしてニコライ・レーリヒによって統治されるべきかを詳細につづった本「The Leader」を著し、後に Gleb Drobychev と Gurt Wilson によってロシア語から英語に翻訳されている。
● 周庭BB做MV女主角為抗爭者打氣と緑ウクライナ
マサムネ | URL | 2020/06/05(金) 19:02 [EDIT]
【自由不死】Tommy X 鄺神創作《煲底之約》 周庭BB做MV女主角為抗爭者打氣
2019.11.21
https://hk.appledaily.com/entertainment/20191121/LRWZZNEZXOOJBTMHL72HWDQWK4/
周庭さんMVに女学生役を主演 「最後に皆が笑顔で会えるように」
2019年11月22日
このほど、政党・香港衆志(デモシスト)の副秘書長で「民主の女神」と呼ばれる周庭さん(22)が主演するミュージックビデオが公開された。
21日にリリースされた、香港の歌手・阮民安(Tommy)氏の新曲「煲底之約」のMVのなかで、女学生を演じた。周さんは役の中で、父親との政治思想の違いから葛藤し、涙するが、将来のためにデモの前線に立ち、黄色いヘルメットをかぶる。

新曲は、阮氏が作曲し、邱俊宇氏が歌詞をつけた。ネット上では多くの香港ネットユーザーから熱烈な支持を得て、オンラインコミュニティで話題となった。タイトルの「煲底」は、「炊飯器の底」と例えられている香港立法会ビルの下部を指す。抗議者の訴える場所となっている。

阮氏は21日にSNSで、この新曲を、民主運動のなかで、最前線に立つ勇武派、自殺した人々、性的暴行を受けた被害者、前線で記録するジャーナリストたち、負傷者を手当てする救急隊員、クリスチャンの団体「子どもを守ろうの会」、高齢者層で民主派を支持する「銀髪族」、デモ隊の事案を担当する弁護士団、多くの一般市民に捧げるとした。香港の民主化への希望を込めた応援歌となっている。

周さん演じる女学生は、香港の街中をひたすら駆け抜ける。香港立法会ビルの近くで、勇武派とみられる黒服の若い男性に会う。男性が、警察による催涙ガスを防ぐために付けていたガスマスクを周さんが外す。これは、最後には笑顔で皆が会えるようになることを意味するという。
(翻訳編集・佐渡道世)

緑の楔(みどりのくさび、ウクライナ語:Зелений клин)は、アムール川から太平洋岸までのロシア極東におけるウクライナ人の植民地の名称。緑ウクライナとも。
1917年のロシア革命以降、極東ウクライナ共和国がウクライナ人によってロシア極東に建国されることが計画された。ボルシェビキの極東共和国が1920年4月6日に設置されると、ウクライナ人が多数であった極東はこの国家を脱して緑ウクライナと呼ばれる国家の建設を試みた。しかし、この運動はすぐに失敗した。
1918年2月、第二回全ウクライナ極東会議がハバロフスクで開かれる。地理的には接続していなかったものの緑ウクライナがウクライナ国の一部として宣言される。
1918年4月 - 第三回全ウクライナ極東会議が独立したウクライナ国家を太平洋岸に設立するか問う。
1918年 - 極東ウクライナ軍が編成される。兵力は5000人以上でありボリス・フレスチャティスキー(英語版)が指揮官となった。
1920年4月11日 - ヘトマンの地位にあったグリゴリー・セミョーノフは極東ウクライナ共和国の権威のために民族自決と、極東のコサック、ブリヤート人、ウクライナ人の境界内での自治を唱えた。
1922年 - 赤軍との対立後、崩壊、解散。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm35216079
【緑ウクライナ】滅亡国家3分解説【VOICEROID解説】

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