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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2020/01/04(土)   CATEGORY: 未分類
ダライ・ラマ法王秘話⑤ ダライラマの印璽
 10月22日の「即位礼・正殿の儀」で用いられた高御座(たかみくら)と御帳台(みちょうだい)が、現在国立博物館において公開されている(〜1/19)。入場無料で写真も取り放題なので、「とにかく皇室文化をできるだけ国民に理解してもらいたい」という政府の気合いがガンガン伝わってくる(笑)。
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 写真は高御座を正面から撮したもので、座の両側にある机は国璽(国王の用いるハンコ)をおくためのものである。高御座は実際見てみると結構大きかった。

  去年、即位の礼・正殿の儀をテレビでみた時、初めてみるものなのに何か既視感があった。私は日本史の研究者ではないので、そのデジャヴとはダライラマの即位式を通じて得られたものである。

 そもそも即位式というものは皇太子なり、国王候補者なりが、冠をかぶったり、特別な座についたり、人々から祝福をうけたりすることによって、普通人から聖なるもの=王へと身分チェンジする儀礼である。どうしたって構造は似てくる。
 
 そこで両即位礼を「座」と「国璽の継承」という二点から比べてみた。

 即位の礼で皇太子・皇太子妃両殿下が高御座・御帳台につくことによって天皇・皇后両陛下として内外に即位を宣言したように、歴代ダライラマも獅子座につくことによって即位を内外に宣言した。獅子座とは仏の座る座であり、仏をなぜ獅子すなわちライオンと呼ぶかというと、百獣の王ライオンがひとたび吠えると森のあまたの獣が静まるように、仏の言葉が凡百の議論を消し飛ばすことから類推されたものである(写真は獅子座にすわった3才のダライラマ14世)。
 1940即位式

 ダライラマ14世の自伝『チベットわが祖国』に記された即位礼の記述を一部以下に転載する。

 私の[ラサへの]到着後、すぐ獅子座に推戴される儀式を執り行うことが決定された。これは、私の即位式であった。・・・日取りは、1940年にあたる庚辰の年の最初の月の14日であった(西暦で2月22日)。その日取りは、国家が抱えている占星術師たちの助言に基づき、摂政が国民議会と協議して決定したものであった。・・・

 私が広間に入ったとき、私の上級個人教師である摂政、下級個人教師、内閣の閣僚たち、最高宗務長官、そして先任侍従などが私につき従っていた。また衣服の長、宗教儀式の長、料理膳部の長、そしてそしてチベット古来の各地方を代表する人々などもつき従っていた。
 私が広間に入った時、出席者全員が起立した。そして私は宗務長官および内閣の長老閣僚によって、獅子王座へと導かれた。一方、先任侍従が行列を導いた。

 獅子座は、チベットの教典の指示通りに造られていた。王座は四角い形をし、金箔塗りの木製で、木に彫刻されたライオンで支えられていた。ライオンは各隅に二頭ずつ、合計八頭であった。王座の上には色違いの金欄で造られた四角い、ぶ厚い座布団が五枚重ねられていた。そのため王座の高さは六フィートから七フィートもあった。王座の前にある机には、ダライ・ラマ事務局のすべての印璽が載せられていた


  このあと摂政を始めとする僧や俗人たちが位の高い者から順にダライラマに曼荼羅や宝物を捧げ、ダライラマは祝福を返し、その間も「仏教が栄えるように」と学僧が奉納ディベートを行い、寸劇が行われる(寸劇は紅白の演出を想像してくれれば分かりやすいw)。 再びダライラマの自伝に戻ろう。

 これをもって、すべての儀式が終了した。それは長い行事であった。出席していた全員が私が幼いにもかかわらず適度な威厳と沈着さをもって私の役割を立派に果たし得たことを見て、大喜びしたということを、私はあとで聞かされた。その後、私は「願望、善行の広間」へ行った。ここでもまた、即位が行われた大広間につき従った役人が、すべて出席した。私の公職用の印璽がすべて私に捧げられた。続いて私は最初の主権の象徴的行為を行った。すなわち、私は寺院にたいして命令を伝達する書類に印鑑を押した。

 特別な座 (ダライラマの場合は獅子座、日本の場合は高御座) につくことによって内外に即位を宣言し、その儀式は側仕えの臣下 (ダライラマの場合は廷臣、日本の場合は宮内庁職員) が仕切り、訪れる内外の人々の祝福を受けるという式次第はまったく同じ。

 また、両儀式ともに、先代の国璽(国王のハンコ)を引き継ぐことが重要な要素になっているが、これは三才のダライラマがこの国璽を用いて最初の命令を発したことが物語るように、国権が委譲されたことを象徴している。

 ハンコ文化は中国に起源を発し、ハンコに記された称号なり職名なりの権威を具現したものであり、国王の用いるハンコ(国璽)は国王の権威そのものである。

 ダライラマ14世はそれ以前にダライラマのものとなった大小様々な印を引き継いだが、中でも有名なのを三つ選んで紹介。

(1) モンゴルのアルタン・ハーンが1578年に奉呈した「持金剛仏ダライラマの印」
1578印
(2) 1653年に清皇帝が奉呈した「西天大善自在仏所領天下釈教普通普通瓦赤喇呾喇達頼喇嘛之印」。称号の前半は明朝の永楽帝がカルマパに授けた称号、後半はアルタン・ハーンの授けた称号であり、清朝はこの二つの称号を合体してダライラマに贈った。この称号の意味をものすごく簡潔にまとめると「世界の仏教を支配する偉大な方」。
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(3) 1909年ダライラマ13世が清朝と断交を決めた後に、自ら名乗った称号を刻み、その後も用い続けた印(写真)。近代チベット史において最も重要な印璽であり、14世も亡命直後に記された最初の自伝で、この称号に対する思い入れを語っている。
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 しかし、ダライラマ14世は自らの文章をサインでしめくくるようになり、印璽を用いることはなくなった。このことが示すように少なくともダライラマ制においては中国由来のハンコ文化は消滅に向かっている。

 翻って21世紀の日本では即位の礼で国璽が引き継がれた。この国璽はかつては教育勅語などの明治・大正期の歴史的な文書におされたいわゆる「御璽」であろう。象徴天皇制となった今、国権の象徴である国璽を引き継ぐことが儀式の重要なポイントになっていることは、見る人が見ると「ガー」と批判しそうだが、そもそも平安装束とか着ている時点でアナクロなわけで、かけてもいいけど関係各位そこまで考えてないだろう。

 有職故実の大半は時間がたつとイミフになる。その意味を考えることで歴史を知ることにもなる。即位の礼で先代の天皇陛下の万年筆とかを受け継いでもしまりがないので、これはこれでいいのではないかと思う、

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● ご紹介
マサムネ | URL | 2020/01/19(日) 13:27 [EDIT]
長崎唐通事の満洲語学 松岡 雄太 著
鎖国下の江戸時代に幕府直轄地の長崎で唐船貿易に関わって中国語の翻訳・通訳といった外交業務に携わった地役人である唐通事たちが、満洲語を学び満洲語辞書を編纂していった経緯、および、何のために満洲語を学んだのか、といった問題を深く考察する。
https://www.akashi.co.jp/book/b487818.html
● 清朝は満洲人がおこしたので
シラユキ | URL | 2020/01/19(日) 23:23 [EDIT]
清と通好するのなら満洲語はそれはマストだつたと思います。

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