ジェブツンダンパ10世の認定
ダライラマは11月8日に成田に到着し、清風学園と高野山で灌頂を、清風学園、世田谷学園、横浜などで講演を行われ、18日に成田からモンゴル国の首都ウランバートルに向かった。そして23日にウランバートルから再び成田に戻り、休養・クローズドの講演の後、27日午前、成田空港からインドへ帰還された。つまり、今回の来日はモンゴル行脚とセットになっていたのである。

日本人は法王が日本に滞在されている間にはその動向に多少の関心を持つが、いったん他国へ離れると興味を失い日常生活に戻っていく。しかし、今回のモンゴル行は〔仏教史的には〕非常に大きな歴史的事件、すなわちジェブツンダンパ10世の認定が行われたのでこれに注目してみたい。
ジェブツンダンパという転生僧は17世紀の初代がダライラマ5世とパンチェンラマ1世の弟子であり、歴代モンゴル随一の権威をもち、ジェブツンダンパ8世にいたり、1911年に独立モンゴルの国王になった高僧である。ジェブツンダンパ8世なきあと、モンゴルはソ連によって社会主義国に改変させられ転生僧の政権は否定されたため、ジェブツンダンパ9世はチベットで誕生しチベットで養育され、ダライラマ14世の亡命とともに、インドに逃れた。
今回、清風学園のチッタマニ灌頂の法話の初日(2016年11月11日)に、ダライラマ法王は死の瞑想の話をされる際、たとえの一つとしてジェブツンダンパ9世の死の思い出話をされた。
ダライ・ラマ14世「先代のジェブツンダンパ9世が亡くなる前、重病で口をきくのも大変そうだったが、私が「来世もモンゴルで活躍しなさい」といったら、〔ジェブツンダンパ9世から〕電話があって、「どこで死んだらいいですか?と聞かれたので、「正月にモンゴルで死になさい」といったら一月四日にモンゴルで死んだよ。〔前首相〕サムドン=リンポチェが私の代理で白いカターをもってモンゴルにとんだら、遺体にカターをかけた瞬間に鼻から血がでて死の瞑想が終わった。私のカターを待っていたのかな。」
この時私は「ジェブツンダンパのエピソードだけやけに詳しいな」と思ったが、翌日、「これはまだ内緒だが法王はこのあとモンゴルを訪問される」と聞いて納得した。おそらく今度の法王のモンゴル行はジェブツンダンパ10世の認定問題が絡んでいると。
というわけで、まず、たたき台として法王公式サイトからダライラマのモンゴル日程を粗々書き出すと以下の通り。

19日にウランバートルのガンデン寺で『ナーランダー僧院の17人の成就者たちへの祈願文』他法話。20日はマイナス40度の厳寒の中、ブヤントウハー・スポーツセンターにおいて一万人以上の一般人の前でミグツェマの口頭伝授、21日は、トリティア・ダルマ・チャクラ財団の主催による仏教科学と現代科学の対話と題する国際会議。22日は記者会見、そして若者たちと交流し、23日にウランバートルから再び成田に戻った。
この間22日の記者会見の席でャーナリストの質問に答える形でダライラマは、ジェブツンダンパ10世の認定問題に触れられた。モンゴル在住のIさんからモンゴル語のニュース・サイトの記事を教えていただき、重要な部分を抜粋して翻訳した。私の現代モンゴル語力はかなり信用できないので、原文が読める方は原文をご覧ください。
ジャーナリストの最大の興味は、9世ボグドの後継者を認定したかどうかについてであった。この問題についてダライラマ14世法王は・・・(中略)・・・モンゴルのジェブツンダンパ=フトクトは長い歴史をもつラマだ。昔昔のダライラマたちとも因縁がある。ジェブツンダンパ9世が亡くなられる前、「私はいつ、どこで死にますか? 次はどこに生まれますか? 」と 私に尋ねたことは素晴らしい事であった。最後に会った時、私は彼に「あなたのお体の具合は悪い。年も高齢だ。あなたの来世生まれる地はモンゴルのようだ」と申し上げた。
ジェブツンダンパ9世の生まれ変わりを認定するのは私の疑問の余地のない任務だ。ジェブツンダンパ9世の生まれ変わりはモンゴルにおいて生まれた徴が明らかである。しかし、その子は若いので、今はコミュニティに招く必要ないと考えている。
三才から五才になった時に〔即位を〕考えなければならない。幼子を獅子座に招くのは難しい。大きくなって経典や学識がついてから、命あるものたちに利益を届けねばならない。私は「髙い座に座ったことにより、仏教を行わない」という〔例をたくさん見てきた〕。チベットにおいて大ラマの生まれ変わりは〔勉強しなくとも〕学識・経典は自然と生まれるという噂がある。このような話は。昔から仏教を理解しないものの誤解のデマである。改めなければならない。〔つまりジェブツンダンパにしっかり仏教の勉強と修業をさせるように言っている〕
質問「仏教の三高峰、乃ちパンチェン・ボグド、ダライラマ、ボグド・ジェブツンダンパたちの生まれ変わりを認定する際には、常に論争がありました。パンチェンラマにしても、あなたが認定した方と中国政府が即位させた方の二人がいます。ジェブツンダンパ10世を認定するとどんな問題がおきますか? あなたが認定した子を〔中国政府が認定した〕パンチェ・ラマが認定しないこともありえますか。このような不明瞭な問題がおきたならどうするおつもりですか。
ダライ・ラマ「そうそう。パンチェン・ラマは今二人になっている。確かに将来、ダライラマも二人になることは確実だな(笑)。だから驚くようなことではない。政治問題はちょっとした理由からも、変化していく。重要なのは〔変化しない〕仏教である。経典を聞いて、考えて、伝え、広めることが重要だ。これ以外のパンチェン、ダライラマを招くことは重要ではない。仏教を聞き、考え、実践することこそが大切なことなのだ。
つまり、ダライラマ法王はジェブツンダンパ10世の認定はした。しかし、まだ子供で仏教の勉強もしないうちに高座につけて崇めても意味がないので、もう少し育ってから発表しよう、と言っている。そして、中国の認定した「なんちゃってパンチェン」がジェブツンダンパ10世を別に認定したらどうすると問われた際の答えは、暗にジェブツンダンパ10世の養育係に、彼をきちんとした学識ある僧に育てろとの重要なメッセージを含んでいる。
チベット世界でこの転生制が続いてきたのは仏教の存続に有効なシステムであったからだ。実際子供の頃から仏教によって涵養されたダライラマ14世は、たった15歳で国を失ったにも関わらず、いまにいたるまでチベット人の心をまとめあげ、仏教界の大黒柱となり仏教を広げつつ、なおかつ世界平和のアイコンになるというスーパーな活躍ぶりを発揮している。彼の明るい姿をみて彼が難民であると深刻な問題を抱えている人であるとは誰も思わないであろう。仏教を実践した結果があのお姿なのである。
勉強をきちんと治めて人心をまとめることのできる大ラマはその死後再び転生者が探索される。しかし、大ラマの転生僧であっても勉強も修業もしない残念なラマは、最終的には転生は断絶する。前世がとくに大ラマでなくともめざましい活躍をすればその人の転生は探索されるし、大ラマであっても残念な人は次第に誰にも見向きもされなくなっていく。
実は転生僧の世界も厳しい実力社会なのである。
ジェブツンダンパが頭の良い子であってほしいと心の底から思う。残念なラマで終わらないでほしい。
ジェブツンダンパが果たしてどのような僧になるか。モンゴルの人心をまとめモンゴル仏教界をひっぱっていくカリスマ性を持つか、それとも残念な結果に終わるか、それはモンゴルの僧たちのジェブツンダンパの養育いかんにかかっている。
良い僧になってくれ、ジェブツンダンパ!

日本人は法王が日本に滞在されている間にはその動向に多少の関心を持つが、いったん他国へ離れると興味を失い日常生活に戻っていく。しかし、今回のモンゴル行は〔仏教史的には〕非常に大きな歴史的事件、すなわちジェブツンダンパ10世の認定が行われたのでこれに注目してみたい。
ジェブツンダンパという転生僧は17世紀の初代がダライラマ5世とパンチェンラマ1世の弟子であり、歴代モンゴル随一の権威をもち、ジェブツンダンパ8世にいたり、1911年に独立モンゴルの国王になった高僧である。ジェブツンダンパ8世なきあと、モンゴルはソ連によって社会主義国に改変させられ転生僧の政権は否定されたため、ジェブツンダンパ9世はチベットで誕生しチベットで養育され、ダライラマ14世の亡命とともに、インドに逃れた。
今回、清風学園のチッタマニ灌頂の法話の初日(2016年11月11日)に、ダライラマ法王は死の瞑想の話をされる際、たとえの一つとしてジェブツンダンパ9世の死の思い出話をされた。
ダライ・ラマ14世「先代のジェブツンダンパ9世が亡くなる前、重病で口をきくのも大変そうだったが、私が「来世もモンゴルで活躍しなさい」といったら、〔ジェブツンダンパ9世から〕電話があって、「どこで死んだらいいですか?と聞かれたので、「正月にモンゴルで死になさい」といったら一月四日にモンゴルで死んだよ。〔前首相〕サムドン=リンポチェが私の代理で白いカターをもってモンゴルにとんだら、遺体にカターをかけた瞬間に鼻から血がでて死の瞑想が終わった。私のカターを待っていたのかな。」
この時私は「ジェブツンダンパのエピソードだけやけに詳しいな」と思ったが、翌日、「これはまだ内緒だが法王はこのあとモンゴルを訪問される」と聞いて納得した。おそらく今度の法王のモンゴル行はジェブツンダンパ10世の認定問題が絡んでいると。
というわけで、まず、たたき台として法王公式サイトからダライラマのモンゴル日程を粗々書き出すと以下の通り。

19日にウランバートルのガンデン寺で『ナーランダー僧院の17人の成就者たちへの祈願文』他法話。20日はマイナス40度の厳寒の中、ブヤントウハー・スポーツセンターにおいて一万人以上の一般人の前でミグツェマの口頭伝授、21日は、トリティア・ダルマ・チャクラ財団の主催による仏教科学と現代科学の対話と題する国際会議。22日は記者会見、そして若者たちと交流し、23日にウランバートルから再び成田に戻った。
この間22日の記者会見の席でャーナリストの質問に答える形でダライラマは、ジェブツンダンパ10世の認定問題に触れられた。モンゴル在住のIさんからモンゴル語のニュース・サイトの記事を教えていただき、重要な部分を抜粋して翻訳した。私の現代モンゴル語力はかなり信用できないので、原文が読める方は原文をご覧ください。
ジャーナリストの最大の興味は、9世ボグドの後継者を認定したかどうかについてであった。この問題についてダライラマ14世法王は・・・(中略)・・・モンゴルのジェブツンダンパ=フトクトは長い歴史をもつラマだ。昔昔のダライラマたちとも因縁がある。ジェブツンダンパ9世が亡くなられる前、「私はいつ、どこで死にますか? 次はどこに生まれますか? 」と 私に尋ねたことは素晴らしい事であった。最後に会った時、私は彼に「あなたのお体の具合は悪い。年も高齢だ。あなたの来世生まれる地はモンゴルのようだ」と申し上げた。
ジェブツンダンパ9世の生まれ変わりを認定するのは私の疑問の余地のない任務だ。ジェブツンダンパ9世の生まれ変わりはモンゴルにおいて生まれた徴が明らかである。しかし、その子は若いので、今はコミュニティに招く必要ないと考えている。
三才から五才になった時に〔即位を〕考えなければならない。幼子を獅子座に招くのは難しい。大きくなって経典や学識がついてから、命あるものたちに利益を届けねばならない。私は「髙い座に座ったことにより、仏教を行わない」という〔例をたくさん見てきた〕。チベットにおいて大ラマの生まれ変わりは〔勉強しなくとも〕学識・経典は自然と生まれるという噂がある。このような話は。昔から仏教を理解しないものの誤解のデマである。改めなければならない。〔つまりジェブツンダンパにしっかり仏教の勉強と修業をさせるように言っている〕
質問「仏教の三高峰、乃ちパンチェン・ボグド、ダライラマ、ボグド・ジェブツンダンパたちの生まれ変わりを認定する際には、常に論争がありました。パンチェンラマにしても、あなたが認定した方と中国政府が即位させた方の二人がいます。ジェブツンダンパ10世を認定するとどんな問題がおきますか? あなたが認定した子を〔中国政府が認定した〕パンチェ・ラマが認定しないこともありえますか。このような不明瞭な問題がおきたならどうするおつもりですか。
ダライ・ラマ「そうそう。パンチェン・ラマは今二人になっている。確かに将来、ダライラマも二人になることは確実だな(笑)。だから驚くようなことではない。政治問題はちょっとした理由からも、変化していく。重要なのは〔変化しない〕仏教である。経典を聞いて、考えて、伝え、広めることが重要だ。これ以外のパンチェン、ダライラマを招くことは重要ではない。仏教を聞き、考え、実践することこそが大切なことなのだ。
つまり、ダライラマ法王はジェブツンダンパ10世の認定はした。しかし、まだ子供で仏教の勉強もしないうちに高座につけて崇めても意味がないので、もう少し育ってから発表しよう、と言っている。そして、中国の認定した「なんちゃってパンチェン」がジェブツンダンパ10世を別に認定したらどうすると問われた際の答えは、暗にジェブツンダンパ10世の養育係に、彼をきちんとした学識ある僧に育てろとの重要なメッセージを含んでいる。
チベット世界でこの転生制が続いてきたのは仏教の存続に有効なシステムであったからだ。実際子供の頃から仏教によって涵養されたダライラマ14世は、たった15歳で国を失ったにも関わらず、いまにいたるまでチベット人の心をまとめあげ、仏教界の大黒柱となり仏教を広げつつ、なおかつ世界平和のアイコンになるというスーパーな活躍ぶりを発揮している。彼の明るい姿をみて彼が難民であると深刻な問題を抱えている人であるとは誰も思わないであろう。仏教を実践した結果があのお姿なのである。
勉強をきちんと治めて人心をまとめることのできる大ラマはその死後再び転生者が探索される。しかし、大ラマの転生僧であっても勉強も修業もしない残念なラマは、最終的には転生は断絶する。前世がとくに大ラマでなくともめざましい活躍をすればその人の転生は探索されるし、大ラマであっても残念な人は次第に誰にも見向きもされなくなっていく。
実は転生僧の世界も厳しい実力社会なのである。
ジェブツンダンパが頭の良い子であってほしいと心の底から思う。残念なラマで終わらないでほしい。
ジェブツンダンパが果たしてどのような僧になるか。モンゴルの人心をまとめモンゴル仏教界をひっぱっていくカリスマ性を持つか、それとも残念な結果に終わるか、それはモンゴルの僧たちのジェブツンダンパの養育いかんにかかっている。
良い僧になってくれ、ジェブツンダンパ!
COMMENT
● 転生/常若
マサムネ | URL | 2016/12/18(日) 10:55 [EDIT]
マサムネ | URL | 2016/12/18(日) 10:55 [EDIT]
転生による仏法の護持は、神道の常若の思想と似ていますね。
常磐とも申しますのか。
伝承のとおり聖徳太子が仏法が日本に必要とお考えになられた思考の深淵は理解できていないながらも、日本人が本来持っている思想を正しく発展させるために必要だと考えたのかも、と想います。
さて、下記の方を御存知でしょうか?
田嶋 隆純(たじま りゅうじゅん、明治25年-昭和32年は、チベット語に訳された仏教文献の精査解読とそれに基づくチベット訳と漢訳の仏典対照研究の先駆けとなった仏教学者。大正大学教授。真言宗豊山派大僧正。
昭和24年)、花山信勝の後を受け巣鴨拘置所の教誨師となる。大学の講義中、突然会いに来たアメリカ兵から受諾を要請されたという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%B6%8B%E9%9A%86%E7%B4%94
常磐とも申しますのか。
伝承のとおり聖徳太子が仏法が日本に必要とお考えになられた思考の深淵は理解できていないながらも、日本人が本来持っている思想を正しく発展させるために必要だと考えたのかも、と想います。
さて、下記の方を御存知でしょうか?
田嶋 隆純(たじま りゅうじゅん、明治25年-昭和32年は、チベット語に訳された仏教文献の精査解読とそれに基づくチベット訳と漢訳の仏典対照研究の先駆けとなった仏教学者。大正大学教授。真言宗豊山派大僧正。
昭和24年)、花山信勝の後を受け巣鴨拘置所の教誨師となる。大学の講義中、突然会いに来たアメリカ兵から受諾を要請されたという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%B6%8B%E9%9A%86%E7%B4%94
● 田嶋 隆純
シラユキ | URL | 2016/12/29(木) 20:45 [EDIT]
シラユキ | URL | 2016/12/29(木) 20:45 [EDIT]
>マサムネさん
田島先生の情報ありがとうございました。何となく聞いた名前かとおもって本棚をみたらこの方の本がありました。いろいろご活躍されたのに今あまり顕彰されていないのは、純粋に研究者だったからかもしれません。ありがとうござました。
田島先生の情報ありがとうございました。何となく聞いた名前かとおもって本棚をみたらこの方の本がありました。いろいろご活躍されたのに今あまり顕彰されていないのは、純粋に研究者だったからかもしれません。ありがとうござました。
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