歴史的な灌頂の募集始まる
7月2日、ホテル・オークラで恒例のダライ・ラマ法王の誕生会が行われた。今回は亡命政府の内務大臣ソナム・トプギャル(1954-)氏が、来賓として来日した。
乾杯の発声はその年ダライ・ラマ法王をお招きする方が務めることがなんとなく決まっているのだが、今年は清風学園の平岡校長がその役にあたった。11月にダライ・ラマ法王は清風学園において秘密集会の灌頂会を行われるからである。フライヤーは↓クリックすると大きくなります。

秘密集会タントラはダライ・ラマの属する宗派において最も広く研究・修行されているタントラ(密教経典)で、平岡校長は20代の頃ギュメ大僧院に留学してこの秘密集会タントラを学んで以来、ずっとこのタントラの研究と行を続けている。
私が平岡先生に「せっかくですから、先生の修行のこととかお話しては」と耳打ちすると
平岡校長「〔法王のお誕生日なのに〕あまり自分のことは話すのはね。それにマニアックすぎてみんな引くでしょう」
私「みなが引くか引かないかではなく、私が聞きたいんです」(強引 笑)
そして、内務大臣のお話のあと、先生が演壇に立たれた。
平岡宏一(清風学園校長)スピーチ
今日はどうしてもお話しさせて戴きたいことがあります。私たちは「秘密集会灌頂実行委員会」をつくりまして、11月11日から13日に清風学園講堂で、ダライ・ラマ法王を導師にお迎えして秘密集会の灌頂をやらせて戴く事になりました。実行委員長は弘法大師がお生まれになったお寺、大本山善通寺の宗務総長の菅智潤師です。 ここにいらっしゃるほんどの方は関係ないかもしれないですが、私のこの話を聞いたことでご縁ができる人がいるのでないかと思い、少しだけ私のお話をさせていただきます。
私は今回の灌頂を単なるイベントに終わらせることはあってはならないと考えています。
少しだけ私の話をさせていただきます。私たちの学校の理事長の平岡英信、私の父ですが、1985年から当時経済的に苦しい状態にあった密教の学問寺ギュメの応援をさせていただきました。このお寺の由来を話しましょう。〔ダライ・ラマの宗派の宗祖〕ツォンカパがなくなる前年に、弟子たちを前にして、自分がずっと修行してきた密教である秘密集会タントラの本を手にし、「このタントラの伝統をつぐものはだれかいないか」と呼びかけました。
その時に〔後にツォンカパの二大弟子と呼ばれる高弟の〕ケドゥプ・ジェもゲルツァプ・ジェもどちらも手をあげませんでしたが、若いシェーラプセンゲが三礼をして、「継ぎたい」といったので、ツォンカパはとても喜ばれて、自分のもつ秘密集会の伝統を、この若いシェーラプセンゲにあたえました。彼が秘密集会の伝統をつぐために作ったお寺がギュメです。
私はこのお寺に1988年から1989年の二年間留学させて戴いて、そのお寺の再興をお手伝いした功徳で、当代第一の秘密集会の行者にして学者のガンデン大僧院のロプサン・ガワン先生について131日かけて秘密集会を勉強させていただきました。ロプサン・ガワン先生は後に99代のギュメの管長になられました。2005年にガワン先生に大阪で秘密集会の灌頂を主宰していただきますが、その年〔ダライ・ラマ〕法王様に謁見させていただいた時、「お前、秘密集会の勉強もいいが、行(成就法)もちゃんとやりなさい」とおっしゃられたので、毎朝の成就法を始めました。以来2005年の5月9日から今日にいたるまで一日も欠かさず、秘密集会の成就法を続けてまいりました。その間、〔2008年には〕ガワン先生はなくなってしまいましたが、それから法王様に謁見の機会を戴くたびに一年の間に行をやっている間で疑問に思った点、たとえば〔成就法の〕最後ヨガシュド〜ハムというマントラの後に仏様を体にしみこませる際、「仏様をしみこますのは、行者の胸の奥底なのか、皮膚なのか」などの細かい質問をさせて戴くことを続けて参りました(おお、いい感じにマニアックだ!)。
〔また、毎年欠かさずギュメ寺に詣でておりますが〕昨年、ギュメ寺に行った時に、一般の大衆に対する教化がはじまっていることを感じました。これはどういうことかと申しますと、密教の伝統はお坊さんが継いできましたが、それがどこかで途切れるのではないか、という危機感をもち始めているからなのです。ギュメで修行しているゲシェ(博士)がこうおっしゃいました。「今は〔ギュメに〕たくさんのお坊さんがいる。でも30年後、40年後これだけの数の僧侶がいるかどうかはわからない」そういう風な危機感をもっていらっしゃるんですね。だから一般の人にも密教の伝統を伝え始めたのです。
この秘密集会は密教の奥義です。〔チベット仏教がこのように危急存亡の折〕インドからチベットに伝わってきたこのタントラを日本の人々に伝えたいのです。私一人が学んでいても。私が死んだら終わりです。「あの人は特別変わったシュミをもっていた」で終わりです。法王がアメリカでカーラチャクラ(時輪)・タントラの灌頂を授けられた時にこうおっしゃっていました。自分は仏教の伝統を受け継いでいかねばならないからカーラチャクラの灌頂を授けるけど(カーラチャクラ・タントラは仏教存亡の折に一人でも多くの人に仏縁を結ばせるために行われている)、自分の行の中心は秘密集会タントラだ。」
秘密集会タントラは法王様の密教の奥義なのです。この秘密集会の行をはじめるためには秘密集会の灌頂を必ず受けねばなりません(灌頂とは修行の許可のための儀式)。
法王様がこの秘密集会の灌頂をインド以外で行うのは実はこれが初めてのことです。〔法王様が平岡家の要請を受けた背景には〕「もともと日本には仏教の伝統があるし、秘密集会が根ざす可能性がある」とお考えになっているのではないかと思います。
「千人も集めてどうするのか」とおっしゃるかもわかりませんが、千人くらい受けないとその中から秘密集会を受け継いでくれる方もでないと思うんですね。10人や20人ならいなくなってしまう可能性もありますが、千人うければ必ずその中から修行し、秘密集会の伝統を受け継ぐ人間がでてくると思います。そしたら法王様がずっとまもってきた密教の真髄を日本に根付かせることができます。日本にはずっと真言宗や天台宗の密教の伝統がありますから、その密教の伝統にとっても、失礼な言い方ですが、さらに息を吹き返させるようなそういう動きになると思います。
インド以外の外国で行われる、法王様81歳になられての灌頂です。これはたった一回、最初で最後のチャンスになることでしょう。是非ご縁のある方はこの灌頂に参加して戴ければと思います。
すみません。個人的な話ばかりさせていただいて。それでは乾杯にうつりたいと思います。
法王様が一日でも長生きされることは世界に一日でも長く仏教が止まることです。ダライラマ法王はチベット人であるけどチベット人ではありません。我々仏教徒の宝だと思っていますので、この法王様の法が一日でも長くこの世に止まりますように。そして我々がそれを応援できますように。そして法王様の一日でも長いご長寿を祈念致しまして、杯をあげさせていただきます。 乾杯!
というわけで、清風学園でダライ・ラマ法王主催の歴史的な秘密集会の灌頂が行われます。無上ヨーガタントラ、父タントラで法王様が毎日修行されている法です。20年秘密集会を学び行じて内容に通達した平岡先生が通訳を行い、会場は清風です。こんな縁起がととのった灌頂は、もう二度とないでしょう。
私は二年前から予約リストに連なっております(笑)。
こちらのサイトから予約ができます。
乾杯の発声はその年ダライ・ラマ法王をお招きする方が務めることがなんとなく決まっているのだが、今年は清風学園の平岡校長がその役にあたった。11月にダライ・ラマ法王は清風学園において秘密集会の灌頂会を行われるからである。フライヤーは↓クリックすると大きくなります。

秘密集会タントラはダライ・ラマの属する宗派において最も広く研究・修行されているタントラ(密教経典)で、平岡校長は20代の頃ギュメ大僧院に留学してこの秘密集会タントラを学んで以来、ずっとこのタントラの研究と行を続けている。
私が平岡先生に「せっかくですから、先生の修行のこととかお話しては」と耳打ちすると
平岡校長「〔法王のお誕生日なのに〕あまり自分のことは話すのはね。それにマニアックすぎてみんな引くでしょう」
私「みなが引くか引かないかではなく、私が聞きたいんです」(強引 笑)
そして、内務大臣のお話のあと、先生が演壇に立たれた。
平岡宏一(清風学園校長)スピーチ
今日はどうしてもお話しさせて戴きたいことがあります。私たちは「秘密集会灌頂実行委員会」をつくりまして、11月11日から13日に清風学園講堂で、ダライ・ラマ法王を導師にお迎えして秘密集会の灌頂をやらせて戴く事になりました。実行委員長は弘法大師がお生まれになったお寺、大本山善通寺の宗務総長の菅智潤師です。 ここにいらっしゃるほんどの方は関係ないかもしれないですが、私のこの話を聞いたことでご縁ができる人がいるのでないかと思い、少しだけ私のお話をさせていただきます。
私は今回の灌頂を単なるイベントに終わらせることはあってはならないと考えています。
少しだけ私の話をさせていただきます。私たちの学校の理事長の平岡英信、私の父ですが、1985年から当時経済的に苦しい状態にあった密教の学問寺ギュメの応援をさせていただきました。このお寺の由来を話しましょう。〔ダライ・ラマの宗派の宗祖〕ツォンカパがなくなる前年に、弟子たちを前にして、自分がずっと修行してきた密教である秘密集会タントラの本を手にし、「このタントラの伝統をつぐものはだれかいないか」と呼びかけました。
その時に〔後にツォンカパの二大弟子と呼ばれる高弟の〕ケドゥプ・ジェもゲルツァプ・ジェもどちらも手をあげませんでしたが、若いシェーラプセンゲが三礼をして、「継ぎたい」といったので、ツォンカパはとても喜ばれて、自分のもつ秘密集会の伝統を、この若いシェーラプセンゲにあたえました。彼が秘密集会の伝統をつぐために作ったお寺がギュメです。
私はこのお寺に1988年から1989年の二年間留学させて戴いて、そのお寺の再興をお手伝いした功徳で、当代第一の秘密集会の行者にして学者のガンデン大僧院のロプサン・ガワン先生について131日かけて秘密集会を勉強させていただきました。ロプサン・ガワン先生は後に99代のギュメの管長になられました。2005年にガワン先生に大阪で秘密集会の灌頂を主宰していただきますが、その年〔ダライ・ラマ〕法王様に謁見させていただいた時、「お前、秘密集会の勉強もいいが、行(成就法)もちゃんとやりなさい」とおっしゃられたので、毎朝の成就法を始めました。以来2005年の5月9日から今日にいたるまで一日も欠かさず、秘密集会の成就法を続けてまいりました。その間、〔2008年には〕ガワン先生はなくなってしまいましたが、それから法王様に謁見の機会を戴くたびに一年の間に行をやっている間で疑問に思った点、たとえば〔成就法の〕最後ヨガシュド〜ハムというマントラの後に仏様を体にしみこませる際、「仏様をしみこますのは、行者の胸の奥底なのか、皮膚なのか」などの細かい質問をさせて戴くことを続けて参りました(おお、いい感じにマニアックだ!)。
〔また、毎年欠かさずギュメ寺に詣でておりますが〕昨年、ギュメ寺に行った時に、一般の大衆に対する教化がはじまっていることを感じました。これはどういうことかと申しますと、密教の伝統はお坊さんが継いできましたが、それがどこかで途切れるのではないか、という危機感をもち始めているからなのです。ギュメで修行しているゲシェ(博士)がこうおっしゃいました。「今は〔ギュメに〕たくさんのお坊さんがいる。でも30年後、40年後これだけの数の僧侶がいるかどうかはわからない」そういう風な危機感をもっていらっしゃるんですね。だから一般の人にも密教の伝統を伝え始めたのです。
この秘密集会は密教の奥義です。〔チベット仏教がこのように危急存亡の折〕インドからチベットに伝わってきたこのタントラを日本の人々に伝えたいのです。私一人が学んでいても。私が死んだら終わりです。「あの人は特別変わったシュミをもっていた」で終わりです。法王がアメリカでカーラチャクラ(時輪)・タントラの灌頂を授けられた時にこうおっしゃっていました。自分は仏教の伝統を受け継いでいかねばならないからカーラチャクラの灌頂を授けるけど(カーラチャクラ・タントラは仏教存亡の折に一人でも多くの人に仏縁を結ばせるために行われている)、自分の行の中心は秘密集会タントラだ。」
秘密集会タントラは法王様の密教の奥義なのです。この秘密集会の行をはじめるためには秘密集会の灌頂を必ず受けねばなりません(灌頂とは修行の許可のための儀式)。
法王様がこの秘密集会の灌頂をインド以外で行うのは実はこれが初めてのことです。〔法王様が平岡家の要請を受けた背景には〕「もともと日本には仏教の伝統があるし、秘密集会が根ざす可能性がある」とお考えになっているのではないかと思います。
「千人も集めてどうするのか」とおっしゃるかもわかりませんが、千人くらい受けないとその中から秘密集会を受け継いでくれる方もでないと思うんですね。10人や20人ならいなくなってしまう可能性もありますが、千人うければ必ずその中から修行し、秘密集会の伝統を受け継ぐ人間がでてくると思います。そしたら法王様がずっとまもってきた密教の真髄を日本に根付かせることができます。日本にはずっと真言宗や天台宗の密教の伝統がありますから、その密教の伝統にとっても、失礼な言い方ですが、さらに息を吹き返させるようなそういう動きになると思います。
インド以外の外国で行われる、法王様81歳になられての灌頂です。これはたった一回、最初で最後のチャンスになることでしょう。是非ご縁のある方はこの灌頂に参加して戴ければと思います。
すみません。個人的な話ばかりさせていただいて。それでは乾杯にうつりたいと思います。
法王様が一日でも長生きされることは世界に一日でも長く仏教が止まることです。ダライラマ法王はチベット人であるけどチベット人ではありません。我々仏教徒の宝だと思っていますので、この法王様の法が一日でも長くこの世に止まりますように。そして我々がそれを応援できますように。そして法王様の一日でも長いご長寿を祈念致しまして、杯をあげさせていただきます。 乾杯!
というわけで、清風学園でダライ・ラマ法王主催の歴史的な秘密集会の灌頂が行われます。無上ヨーガタントラ、父タントラで法王様が毎日修行されている法です。20年秘密集会を学び行じて内容に通達した平岡先生が通訳を行い、会場は清風です。こんな縁起がととのった灌頂は、もう二度とないでしょう。
私は二年前から予約リストに連なっております(笑)。
こちらのサイトから予約ができます。
COMMENT
● 吉祥あれ
マサムネ | URL | 2016/07/09(土) 11:24 [EDIT]
マサムネ | URL | 2016/07/09(土) 11:24 [EDIT]
素晴らしい御布施ですね。積善功徳、積善功徳。
思い付きですが、応援にも及ばない話題を二件謹呈。
壱
大阪と申せばサムハラ神社、サムハラという語がチベット或いは仏教の歴史と何か関係あるのでせうか?御貴見を伺えますならば幸いに存じます。
サムハラ神社
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE
弐
チベットの文成公主の伝説と類似する仏国の聖女サラ伝説
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9_(%E3%82%AB%E3%83%AA)
聖女サラ(教皇による列聖はされていないそうです。)というのは、この地に住んでいたイスラム教徒のムーア人の女性で、当時は(いつの時代かは不明)ムーア人と、元々この辺に住んでいた人たちは、平和に暮らしていたそうです。
http://france33.seesaa.net/article/58435749.html
思い付きですが、応援にも及ばない話題を二件謹呈。
壱
大阪と申せばサムハラ神社、サムハラという語がチベット或いは仏教の歴史と何か関係あるのでせうか?御貴見を伺えますならば幸いに存じます。
サムハラ神社
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE
弐
チベットの文成公主の伝説と類似する仏国の聖女サラ伝説
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9_(%E3%82%AB%E3%83%AA)
聖女サラ(教皇による列聖はされていないそうです。)というのは、この地に住んでいたイスラム教徒のムーア人の女性で、当時は(いつの時代かは不明)ムーア人と、元々この辺に住んでいた人たちは、平和に暮らしていたそうです。
http://france33.seesaa.net/article/58435749.html
● 猊下の漢字称号に違和感
伝法の未来 | URL | 2016/07/17(日) 04:35 [EDIT]
伝法の未来 | URL | 2016/07/17(日) 04:35 [EDIT]
ダライラマ猊下に対して法皇猊下とお呼びするべきではないでしょうか?
中華思想において[王]号は属国君主に対する呼び名。
特にこの呼称問題で漢字を使用する国にとっては[王]と【皇】では別格の次元のものです。
漢字圏において
・子供の名前
・戒名
・社名
など、漢字を使用する人々にとっては運命を大きく左右するほどの力を持ち合わせます。
称号がいつまでも属国君主の王をお使いになる事は、チベットの本来の願いからしても間違いではないでしょうか。
独立後に一人でも多くの善なる心を持った漢民族と協力していく上で、混乱大きアジアを仏法をもってして沈静化できると考えます。
法皇猊下こそ、将来、極悪党崩壊後にアジア全体の平和のシンボルになっていかれると確信します。
中華思想において[王]号は属国君主に対する呼び名。
特にこの呼称問題で漢字を使用する国にとっては[王]と【皇】では別格の次元のものです。
漢字圏において
・子供の名前
・戒名
・社名
など、漢字を使用する人々にとっては運命を大きく左右するほどの力を持ち合わせます。
称号がいつまでも属国君主の王をお使いになる事は、チベットの本来の願いからしても間違いではないでしょうか。
独立後に一人でも多くの善なる心を持った漢民族と協力していく上で、混乱大きアジアを仏法をもってして沈静化できると考えます。
法皇猊下こそ、将来、極悪党崩壊後にアジア全体の平和のシンボルになっていかれると確信します。
● 呼称
シラユキ | URL | 2016/07/17(日) 08:35 [EDIT]
シラユキ | URL | 2016/07/17(日) 08:35 [EDIT]
法王様を尊敬されているがゆえの行動かと思いますが、そもそもチベット語でも様々な敬称があり、かつチベット人ならダライ・ラマと直接いうことすらありません。言い出したらきりがないです。法王様は法王様を心から尊敬する人たちもみなといっていことばで不敬ではありませんし、新聞・雑誌にいたっては決して法王号をつけないことを思うと、中道です。大切なことは法王様の教えを伝達することで呼称にこだわることではありません。
● マサムネさん
シラユキ | URL | 2016/07/17(日) 08:37 [EDIT]
シラユキ | URL | 2016/07/17(日) 08:37 [EDIT]
今回の灌頂はゲルク派のお家芸で、しかも国外で初ということで、私も楽しみにしております。
● 拝復
マサムネ | URL | 2016/07/18(月) 19:33 [EDIT]
マサムネ | URL | 2016/07/18(月) 19:33 [EDIT]
「国外で初」だったのですね!
存知上げず、改めて畏敬の念を覚えるばかりです。
五百羅漢に倍する歴史的事件になろうかと武者震いして仰ぎおります。
尊称について、第三者ながら駄言をば。
あくまで文脈かと。
支那の連中に尊称問題を仰るならば理解も出来ますが。
例として学校で教師を呼ぶに「~教師」とは呼びません。したがって正式名称イコール呼称ではないかと。
「~先生」と呼ぶにもトーンは様々です。
「先公」に近い念を込めて呼ぶ場合もありますよね?
そういう方に尊称たる意義を教える趣旨なら兎も角、本ブログ主殿は真に「先生」として呼び慣わしておられる訳ですから、特に指摘はなさらずとも良いのでは?
語の意義よりも共感の資質は更に大切だと想います。
存知上げず、改めて畏敬の念を覚えるばかりです。
五百羅漢に倍する歴史的事件になろうかと武者震いして仰ぎおります。
尊称について、第三者ながら駄言をば。
あくまで文脈かと。
支那の連中に尊称問題を仰るならば理解も出来ますが。
例として学校で教師を呼ぶに「~教師」とは呼びません。したがって正式名称イコール呼称ではないかと。
「~先生」と呼ぶにもトーンは様々です。
「先公」に近い念を込めて呼ぶ場合もありますよね?
そういう方に尊称たる意義を教える趣旨なら兎も角、本ブログ主殿は真に「先生」として呼び慣わしておられる訳ですから、特に指摘はなさらずとも良いのでは?
語の意義よりも共感の資質は更に大切だと想います。
● 追伸
マサムネ | URL | 2016/07/18(月) 19:43 [EDIT]
マサムネ | URL | 2016/07/18(月) 19:43 [EDIT]
尊称について、もう一言。
例として先生を挙げました。
同じ想いで或る先生を観ている者同士は「~先生」と会話で用います。
しかし、教科書的と申しますか、相手の想いの丈が不明である相手に事実のみ伝える場合、お世話になった先生でも氏名のみで語ることはありますよね。
社員が社長のことを語るに「~社長は云々」とは申さず名前で相手に説明することと同じです。
例として先生を挙げました。
同じ想いで或る先生を観ている者同士は「~先生」と会話で用います。
しかし、教科書的と申しますか、相手の想いの丈が不明である相手に事実のみ伝える場合、お世話になった先生でも氏名のみで語ることはありますよね。
社員が社長のことを語るに「~社長は云々」とは申さず名前で相手に説明することと同じです。
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