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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2014/03/17(月)   CATEGORY: 未分類
北京ミニ滞在記 (学術編)
ダライラマ13世関連の史料を探しに、ちょっとだけ北京に行ってきた(写真はクリックすると大きくなります)。
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 清朝時代の史料を所蔵する第一歴史档案館は、故宮の西華門近くにあり、北京の政治の中心中南海の隣。今までも何かといろいろ事件の起きてきた天安門広場からも徒歩十分の近さ。

周知の通り、3月8日にクアラルンプール発北京行きマレーシア航空が消え、今もその行方はしれない。同機が消えた直後には様々な憶測が飛び交い、なかでも衝撃的だったのは「ハイジャックされた同機が中南海につっこむとの情報をえた中国政府が、同機を撃墜した」という憶測。

 これを聞いた時は「今回の北京行き、やめよっかな~」と本気で思った。自分の乗ったCAが中南海特攻に遣われるのもヤダし、中南海につっこんできた飛行機がついでに近くの档案館にも破片をとばすのもヤダし。しかし、出張届けもだしたしチケットも買ってしまっていたので、コスパを考えて出発する。

 搭乗口で見わたすと、乗客はほとんど中国人で、僅かの日本人に、白人が二人くらい。なぜ日本人が少ないのが分かるかというと、見た目と中国語もさることながら、搭乗口のテレビで震災関連の特番をやっているのにそれ見て涙ぐんでいるのが私だけだったから。「消えたマレーシア航空も乗客はほとんど中国人だったな」といやな想念が浮かぶ。羽田発のCAであったが、乗務員には日本人なし、日本語放送もなし。日本人に向けたサービスは爽やかなまでに何もない。

あ、ごめん一つだけあった(笑)。機内でタダで読める新聞の中に朝日新聞があった。

おかげ様で何事もなく北京につき、ついたその日はpm2.5が多少高かったが、その晩から風がふきはじめ空気は多少よくなり、めでたいことに喘息はでなかった。

 ●档案(文書)館訪問

档案館ではかつて、見たい史料を請求すると、現物の文書史料を閲覧することができたが、最近は現物提示を完全に停止し、データ化された史料をパソコンで閲覧するシステムとなった。メリットをあげると、その場ですぐ文書が閲覧できること、文書の作者、年代からの検索、キーワード検索ができるようになったこと、などであるが、デメリットはデータ化が終わっていない史料についてはまったく見られないこと、デジタルデータは現物に比べてやはり情報量がおちることなどである。

今回は『清末十三世達頼喇嘛档案史料選編』に収録されている史料 (理藩部档案、外務部档案、漢文録副)の現物のデータを見たかったのだが、ほとんどデータ化されていなかった。なので13世関連の収穫は乏しいものの、いまだ出版されていないダライラマやパンチェンラマによる清皇帝への書簡類がみつかったので、まあいっかと思うことにする。

 ●北京のダライラマ13世史跡

1904年、イギリスのヤングハズバンド隊がチベットに侵攻し、ダライラマ13世はロシアに救援を求むべくモンゴルへ向かった。ダライラマ不在の間、ガンデン座主が代表するチベット政府とイギリスの間でラサ条約が締結された。チベットに駐留する満洲官僚オタイは、イギリスがチベットにせめこむ契機をつくったダライラマ13世を憎み、ダライラマの称号を剥奪し、パンチェンラマに代わりにチベットの政務を司らせることを皇帝に建議しその通りの勅諭が下された。

しかしチベットは当然のことながら清朝の制御下にはない。清朝は消えたダライラマがどこにいったのか見つけることができず、ようやくモンゴルに見いだしたものの、清皇帝の帰還命令にダライラマは従わなかった。

 さらに、オタイの建議を受けて、ダライラマを首にし、パンチェンラマにチベットの政務を代わらせようとしたものの、ダライラマが後事を託したガンデン座主が実権を握り続けこれも全く実現しなかった。チベット人が政治のトップとして認めるのはダライラマだけ、ということに清朝が気づくのに時間はかからなかった。

 このような中、張蔭棠(1906年にインド・中国修訂条約の締結の際の中国側官僚。満洲人でなく広東人)は、イギリスからチベットの「主権」をとりもどすべく(張さんの考える主権概念の内容については岡本隆司「『主権』の生成と『宗主権』---20世紀初頭の中国とチベット・モンゴル」を参照ください)、東チベットを武力で制圧する荒技をかけてきた。ダライラマ13世はこの清軍の侵略行動やめさせるべく皇帝に直接あって直談判するため、自らの北京行きを決意する。最初はダライラマの来朝を渋った清政府も1908年6月、張蔭棠のアドバイスを受け入れることとする。そのアドバイスとは、「イギリスのインド総督がインドのマハラジャを謁見するような儀礼で」ダライラマを清皇帝の臣下と位置づけ、ダライラマに臣下としての新称号を交付するというものであった。

 ダライラマ13世は9月4日に北京に汽車で到着した。清初の1653年にダライラマ5世が北京を訪問した折には、皇帝自らがダライラマを迎えにでようとして漢人官僚にとめられたほど清王朝はダライラマを尊崇していた。清初の満洲人たちとってモンゴル人との同盟は死活問題であったため、モンゴル・満洲を結ぶ共通の文化的な要素チベット仏教を重視していたのである。

 しかし、20世紀のダライラマ13世の北京訪問は、1653年の反面鏡のような待遇であった。北京在住の欧米人や日本人は、西太后や光緒帝がダライラマを属国の長として貶めようと様々な手段をつくしていたこと証言している。
 
 これに対してダライラマは「旧例」に従うことを主張し続けるが、あと二年で滅びる王朝の宮廷はぐっちゃぐちゃで、結果としては張蔭棠の意のまままにダライラマはかつてない属国待遇をうけることとなる。

 北京についてからのダライラマの行動と主立った事件をまとめるとこのようなものとなる(日付は旧暦。( ) 内はチベット暦)。

9月4日 (8/3) ダライラマ13世は、列車で北京の正陽門へ到着。ダライラマ13世はダライラマ五世の時と同じく北京城外北の黄寺に滞在。

9月12日 (8/12) 光緒帝と西太后、黄寺を訪れダライラマと初会合(皇帝自らダライラマの下を訪れたこの会見は非公式のものとされたのか表の記録にはない)。

9月20日(8/20) 西太后と光緒帝は頤和園の仁寿殿でダライラマとあう。

9月26日 ダライラマ、西太后の誕生日を祝うことを申し出る。

10月2~4日 西太后の意向を受けて、ダライラマは諸僧を引き連れて北京の主要なチベット寺 (雍和宮、嵩祝寺、白塔寺etc.) を訪問。

10月6 日(9/6) 紫光閣で宴を賜る。

10月10日(9/10) ダライラマ13世、南海の小島の寺で西太后の誕生日を祝い、その後、観劇。この晩、西太后からダライラマへ屈辱的な新称号授与の命令が下る。

10月21日 光緒帝が崩御し、翌日に西太后も崩御 (いつも思うんだけど、この二人なんで一日違いに死んでいるんだろう?)。

11月28日 離京。


 この時代西太后と光緒帝は一年のかなりの期間を現在頤和園と呼ばれている北京西北郊外の離宮で暮らしていた。この頤和園は清朝最盛期の皇帝、乾隆帝の時代に今の規模になったものの、1860年のアロー号戦争、1900年の義和団事件と大規模な掠奪にあっているため、現在残る建物はほぼ光緒帝時代の再建である。

 たとえば、頤和園の中心を形成する万寿山の北側には、乾隆帝が作ったチベットのサムエ大僧院のコピー、香岩宗(サムエゾンの漢音写笑)があるが、今この建築物をみるとサムエと言って言えないこともないが、かなり違う。万寿山の南側にひろがる大報恩寺も光緒帝の時代に寺から宮殿にコンバートされ、かつての寺の本堂は西太后の誕生日を祝う宮殿となっている。つまり、〔海軍の資金を用いた〕西太后により万寿山大報恩寺は、離宮へと作り替えられたのである。それでは、頤和園点描。

 ・香岩宗---乾隆帝がたてたチベットのサムエ大僧院のコピー。
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 ・排雲殿----かつては大報恩延寿寺の本堂。光緒12年以後は、西太后の誕生日を祝う場。後方は佛香閣。
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  ・観戯廊-----西太后が賓客を観劇で接待した場所。舞台正面には西太后の玉座がある。背後の屏風は光緒30年 (1904)と記されている。舞台のぐるりに賓客の座るロイヤルボックスがある。
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 ・仁寿殿---西太后が外国使節を接見した場。乾隆帝の時代は勤政殿といい、再建後は仁寿殿という。9月22日ダライラマ13世はここで西太后と光緒帝と会見した。

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 ダライラマと西太后が会合した、黄寺と南海の寺や紫光閣は現在は非公開である。なので

・紫光閣の宴会はカスチリヨーネの絵で雰囲気の一端を感じてください。
 →
 ・ダライラマの滞在した黄寺については中国wikiをどうぞ。

 本については、中央民族大学の書店と蔵学研究中心の書店をまわったが、手に入れた本の中で現在もっとも心が動いているのは、『羅布林下』(nor bu gling kha 中国蔵学出版社 2013)。これはラサにあるノルブリンカ(ダライラマの離宮)のタクトミンギュル宮(新宮 rtag tu mi 'gyur pho brang)の壁画の写真集。この壁画テーマはチベットの政教一致体制の歴史であり、古代からダライラマ13世の時代までのチベット史が描かれている。20世紀中葉のチベットの歴史観の格好の史料である。
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