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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2013/05/05(日)   CATEGORY: 未分類
チベットの眼 中国の眼
 5/3は護国寺チベフェス会場隣接の天風会館にて麻生晴一郎さん(中国の環境や人権を護る民間の活動について著作をものしている作家さん)とトークを行った。一時に会場入りしたところ、かなりの数の方がもうお見えになっていて、楽屋裏のうちあわせがバレバレなのであった。

 司会者から事前に質問表をわたされていたのだが、タイムスケジュールのみと思い最後までよんでいなかったところ、始まってから質問表に気づいたというテキトーなワ・タ・シ。

 まず、はじめに司会者のUさんが、今年のはじめに作られた焼身抗議についての短い映像(by 亡命政府)を流して解説する。まず炎上するチベット人がでてくる。

司会「これらの映像は、たまたま居合わせた人がケータイカメラなどで撮影したものを、人づてに海外へと送ったものです。中国政府がいうように事前に計画して撮影されたものではありません。どの映像も火のついた時点からはじまり、焼身を準備する映像とかがないことがそれを裏付けています」

 さらに、映像は焼身抗議を行うものは、職業・性別・年齢が様々であること、共通する遺言として、チベット人がケンカをやめて一致するべきこと、チベットの言語をまもること、宗教の自由をまもるること、ダライラマ法王の帰還があげられていることを述べる。

 そして、2008年の僧侶たちのデモ、2011年の学生たちのデモの映像が流れる。司会者は前者は宗教の自由を、後者はチベット語で教育を受ける自由を求めるデモであること(本土チベットでは)を説明し、焼身抗議はいわば、滅び行くチベットの文化を保持せんがための叫びであると解説。

 以下のトークの内容は記憶に基づいて再構成したものです。もしマチガイがありましたらご指摘いただけると嬉しいです。

 司会「焼身抗議実は中国においてもよく行われています。チベットの場合と中国の場合ではどこが違うのか、それぞれの先生方にお伺いしたいと思います」

 私「日本人が自殺と聞いてイメージすることは、経済的に追い詰められたり、精神的に心折れた人が、そのつらい状況から逃げるべく死を選ぶというものです。自殺者はいわば自分のために個人的な理由で死んでいるわけです。ところが、チベットの場合、亡くなられた方の多くの遺書には、『チベットのために、あるいは有情のために、この身を捨てる』という、「他者のために命をすてる」という表現がでてきます。

仏教の思想に基づきますと、すべての有情は始まりのない昔から輪廻転生を続けており、その無限回の転生の中で、過去に必ず親子や兄弟や夫婦の間柄であったと考えます。中でもお母さんはもっとも恩があるため、『すべての有情は母でなかったものはない』という表現で『一切の命あるものに母親に報いるように、報恩する』ことを説きます」

 そして、チョカン(ラサの核となる七世紀に立てられた聖堂)のお釈迦様の前世譚を記した壁画(捨身飼虎・ウサギの焼身)をみせて、

 私「かつてダライラマはチベット暦の正月、このチョカンの東広場において、釈迦の前世譚を講義することを習いとしていました。たとえばこの捨身飼虎の図ですが、この物語はチベット人のみならず仏教徒によく知られています (日本でも法隆寺の玉虫厨子に描かれている)。

かつて釈尊が前世にマハーサットヴァ太子にお生まれになった時、一匹の雌虎が飢えて七匹の自分の子虎を食べようとしているのを見て、自らの身をなげうって雌虎に食べさせました。その結果、七匹の子虎の命は救われ、母虎が罪を犯すことはありませんでした。この子虎たちが後に釈尊の弟子たちに転生し、母虎は釈尊の育ての母に生まれ変わります。つまり、捨身とは自分の命を他者の救済のために捨てる究極の菩薩行です。チベット人がチベットの文化の危機を訴えるため、いわば自分をこえた目的のために焼身する背景には、これらの仏教思想の影響があります。

 麻生さん「中国においても、開発業者に立ち退きを迫られた人が、抗議のために焼身する例があります。しかし、そこにはチベットのような宗教的な意味はあまりません。彼らは行き場がないから死ぬんですね。中国では役所と裁判所と警察は仲良しなので、家を奪われようという人が裁判所に訴えると、裁判所は警察に通報して訴えた人間は逮捕されます。そこでおいつめられて焼身するのです。ですから、中国人がチベットの焼身を見聞きしても、それは単なる究極の抗議だとしかみられていないでしょう。」

司会「焼身抗議でなくなる方はみなダライラマ法王のチベットへの帰還を訴えています。ダライラマはチベットにとってどういう存在なのでしょうか」

 私「チベットの歴史説話においては『チベットは観音菩薩の祝福する地である』と信じられています。釈尊がなくなられる前、自分が布教できなかったチベットを観音菩薩に託し、そのご縁で観音菩薩はチベットの地を見守ることとなったといわれています。チベット人にとって観音はチベット人の発生を見守り、文化を授け、七世紀には開国の王ソンツェンガムポ王となって、チベットに仏教を導入した大恩ある存在です。

開国の王ソンツェンガムポは七世紀にマルポリの岡の上に宮殿をたてたとされ、1643年に着工され1697年に竣工したダライラマの宮殿ポタラ宮の中にはこのソンツェンガムポ王ゆかりのお堂が包み込まれています。つまり、チベット人にとってダライラマは太古の昔よりチベットを祝福し、導いてきた観音菩薩の化身でありかけがえのない聖なる指導者なのです。

18世紀初頭、チベットを訪れた宣教師も、ダライラマはチベットの政教のトップにあり、観音菩薩として人々に愛されあがめられていることを記しています。社会主義思想の影響により、現在、宗教を人民の搾取の道具であると考える人がたくさんいますが、仏教の商売敵であるキリスト教の宣教師ですら、人々のダライラマに対する愛とダライラマのチベット人に対する愛を記録している以上、それを後世の人間が否定しても意味はありません。

 1959年にダライラマはインドに亡命しました。それから半世紀、ダライラマは中国に対して、忍耐強く対話を呼びかけ、1989年のノーベル平和賞の受賞に象徴されるように、世界平和の護り手として、チベット人のみならず、人類全体から尊敬されるようになっています。従って、中国人から未開の民であるかのように見下されているチベット人にとって、国際社会の尊敬を受けるダライラマは誇りであり、人々が思いやりをもって生活していた伝統的な社会の象徴なのです。本土のチベット人が、『ダライラマの帰還』を叫ぶことは、チベットのアイデンティティを取り戻したいという意志の表示でもあります。」

麻生さん「中国人にとってダライラマは分離独立勢力の親玉という認識です。一部の人権派の弁護士が『チベット独立運動家』の弁護をしようとしていますが、うまくいってません。人権を守るために民間で活動している人たちも、チベット問題に手を触れると自分たちの活動自体が危うくなるのであえて手を出そうという人はいません。チベットに同情的な知識人は軟禁状態です。」

 私「そもそも、ダライラマは1987年以後独立という言葉は一言もいっておりません。そもそも、中国国内で独立運動の活動家としてつかまったチベット人も、その行動はといえば、故郷の若者たちに奨学金を出して就学の機会を与えていたなどきわめて穏健なものです。自分たちの民族や文化を保持しようとしただけです。つまり、今の中国政府の下ではチベット人は中国人よりも、さらに弱い立場にいるのです。ところが中国人にチベット問題について水を向けても、圧倒的多数は『政府は少数民族は優遇するが、漢人は競争にさらされている。外国人には投資をしてほしいから優遇するが、自国民には厳しい』といって、自分の被害者意識を述べたてるばかりで、自分たちがチベットに対して行ってきた行動に対しては無神経です。」

 麻生さん「中国人が強い被害者意識に囚われているのは、政府の圧政があります。あの圧政の下ではみな自分のことを思うのがせいいっぱいで、チベットのことまで考えられません。多くの中国人はチベット問題に無関心で、観光地くらいの位置づけです。」

 私「報道統制と愛国教育によって、漢人は政府がチベットで何をしてきたのか、チベットにどんな歴史があるのかもまったく無知です。にも関わらず彼らは、なぜか自分たちはチベットのことをよく知っていると思い込んでいて、チベット人の頭ごなしにチベットについて断定的に語りますよね。あの根拠のない自信はどこからくるのでしょうか?」

麻生さん「中国人は外国人に何か言われることがとにかくイヤでなんですよ。とくにチベット問題は漢人が一致団結して聞く耳もたなくなるテーマです。日本でも中国研究者などの集まりにいくと『日本もそういうところがあるから』とはっきり中国政府の批判をする人はいません。むしろ中国の民間の活動家の方がはげしく政府批判をするくらいです。わたしははじめてこういう集まりに出ましたが、老若男女様々な聴衆がいて健全に議論していますね(これはほめ言葉であろうか、それとも・・・)。」

私「中国を研究している人々は入国を拒否されると研究がなりたたなくなるので、自然と自主規制するのでしょうか。中国の報道統制は国外でも有効なわけですね。」

麻生さん「中国人でもキリスト教徒の弁護士さんはチベットに心を寄せています。私は中国に入国拒否されてから、香港に行くようになりました。そこで雪の下の炎(23年間投獄され国際的な釈放運動で自由になったチベット僧のドキュメンタリー)の上映会にいったのですが、それも教会で行われていました。」

私「それで思い出したんですが、最近劉燕子さんの『反旗』という著作を寄贈頂いたのですが、彼女が認めた民主活動家の方はかなりの確率でキリスト教徒なんですよ。そこで思ったのですが、中国人がもし儒教でも仏教でもキリスト教でもいいので、それらを通じてモラルや普遍的な価値に気づくことができれば、彼らも変わることができるのではないでしょうか。麻生先生が『中国人が日本人をどう見ているか』で、中国人自身が東日本大震災における日本人の秩序ある行動をみて自らのモラルのなさを嘆くという話を著されていましたよね」

麻生さん「モラルとは一人や二人がまもっていても、大多数がまもらなければ意味が無いんですよ。中国の場合、モラルや普遍的価値に基づいて行動する人はほんの一握りです。中国人の大多数が普遍的な価値に基づいて行動するようにならない限り、民主化しても地球環境や民族文化の保全といった普遍的な部分にいたるまで、国際社会が納得するような行動をとるようになれるとは思いません。私は中国の民主化が進めばチベットの状況が変わるという見方には否定的です。」

私「同感です。民主主義というのは多数決ですから、自分の利益のためだけに動く人々が多数決で何か決めても、ナショナリズム(自民族の利益は自分の利益のもっともわかりやすい延長)の暴走とマイノリティの弾圧など、今までもすでに起きているろくでもないことがさらに拡大して起きるだけです。

圧政の下で、大半の中国人は普遍的な価値とかモラルに親しむことができず、自分の利益しか考えていません。しかし、このような社会はチベット人ばかりでなく、中国人自身にとっても生きづらい社会です。簡単な話、人間の普遍的な価値について説くダライラマの話を漢人が理解すれば、チベット人も漢人もそして世界の人々も幸せになると思いませんか。」

司会「麻生さんは去年の十一月と今年の二月、中国への入国を拒否されています。そのような状況下でこの集まりにお呼びすることは麻生さんのお立場にとって悪いのではないかと心配したのですが、男気のある方で来てくださいました。よろしかったら中国政府の情報統制についてお話ください。」

麻生さん「去年は全日空で北京に入り、今年は香港から中国への入国を試みましたが拒否されました。最初の入国拒否の時は飛行機の席まで警察が乗り込んできて、別室につれていかれました。たぶん全日空が乗客名簿をわたして、それで私の席がわかったのでしょう。入国しないうちは私は中国の法に従う必要はないので、向こうも『中国語がうまいですね』などとおだてて『とにかく日本に戻れ』とだけいってきました。帰りの飛行機賃を『16000元のところ10000元にまけてやる』と言われましたが、『そんな金ない』といったらタダでのせてくれました。今年二月の場合は、やはり理由をきいても『前回と同じだ』と言われ前回も理由を聞いてないので入国拒否の理由は分からずじまいです (笑)」。

と話しが佳境に入ってきたところで、カチェン ロサンシェーラプ師入場。
ザンスカール生まれの47?才。平岡センセによると、カチェンとはタシルンポ寺でゲシェ(博士)を意味する称号。ようは今回来日された僧侶たちの中で最高位の方である。私が簡単に彼の寺の歴史についてダライラマ一世がたて、管長はパンチェンラマ。

カチェンは「政治の話はできません」とあらかじめお断りをされてから、10世パンチェンラマが1989年に急死したこと、その生まれ変わりとされるゲンドゥンチュキニマ少年を、ダライラマ14世が1995年に認定すると、その数日後、ニマ少年は拉致されて行方不明となったこと。中国政府がゲルツェンノルブという別の少年を転生者にしたてて、パンチェンラマとして即位させたが、このゲルツェンノルブを認めるチベット人は全くいないこと、転生の選定という宗教的な事柄に政治がかかわることはしてはならないことなどを語られた。

 司会者が「共産党のたてたパンチェンラマは、今年二階級特進でわずか二四歳で中国仏教界のナンバーツーの位置に就いたこと。亡命政府は失踪中のパンチェンラマの誕生日4/25をパンチェンラマデーにして彼の救出を考える日と制定したと補足。
 さらに「中国に対してどのような思いがありますか」という質問に対して

カチェン「ダライラマ法王同様、私も中道政策(独立と同化の真ん中である自治)を支持します。殴られたからといって殴り返せば相手が恨んで、また、殴られます。やられたらやり返すということは報復の連鎖しかうみません。中国政府が変わるのは難しいかもしれませんが、民間の人々が仏教を学び〔仏教を通じてモラルを身につけ〕民主化していくことは可能ではないかと思います。」とおっしゃった。

 会場のからの「私は大学に入りましたが、まったく勉強に興味がもてません。どうしたらいいでしょうか」という脱力する質問に対しては

 カチェン「私はザンスカルというものすごいド辺境に生をうけ、一三歳で出家しました。だからみなさんの考える学校の勉強についてはわかりません。ザンスカルにいる頃、経典も読めず文字も読めず、このままではいけないと、ザンスカルのお寺と関係の深い親寺のタシルンポ(南インドにバイラクッペに再建)に留学しました。それからはよく勉強しました。朝起きて経典の勉強をして、朝ご飯をたべてそのあと論理学のディベートをし、またお経の勉強をし、夕方にはまた、つまりは食べて寝る時以外は勉強をしていました。

私は政治のことを話せるようなふりをしてここにきていますが、じつは政治のことは分かりません。〔僧侶の生活は〕とても幸せです。あなたも勉強に興味がもてないとか情けないことは言ってはいけません。あなたが勉強することはあなた自身の役に立ち、他の人の役に立ち、社会の役に立ち、国の役に立つのです。勉強をしなさい。

今日はこのような場におよび頂いてありがとうございました。チベットのこと、世界中でおきている苦しんでいる人のことを気にかけてください。」
と話を結ばれた。
 
 高僧はやはりよい話をされる。

 主催者からカタの贈呈があり、会場にいたモンゴルの歌姫オドバルさんが、愛息にカタをもたしてカチェンへご挨拶。ほほえましい~と思ったら、オドバルさんが愛息のあたまをラマの下に押しつけた三礼させたのは、ワロタ。

 モンゴル人はチベット人の伝統的なお施主民族だから、カタ奉献一つみても過去の歴史の場面が思い起こされて胸アツになる。

 カチェン「私は政治の話をできるようなふりをしてここにいますが、じつはできないんです。私は幸せです」という言葉はじつは、そのまんま私の思いでもある。チベットがこのような状況でなければ、カチェンはただ学僧として論理学の勉強をし、わたしもただ歴史の研究をしていただろう。この悪しき時代が、世が世なら出会わなかった私たちをこの日本のこの場で出会わせたのだ。
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| | 2013/05/05(日) 12:01 [EDIT]
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シラユキ | URL | 2013/05/05(日) 14:26 [EDIT]
ありがとうございます。脱字なおしました!

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