法王の非公開トーク&法話
14日、ダライラマ法王は来日日程を終えて離日された。招聘主の方、関係者各位、そして何より数多くのボランティアのみなさまのお力により、今年もまた多くの人がダライラマのお話を聞き、その謦咳に接することができた。とくに会場係や受付などを担当するボランティアの方々は法王のお話をほとんど聞けないことを考えると、彼らは本当に来世に宝を積んでいる。
私事であるが、今回の来日中、施主のご厚意で非公開の昼食会とその後の法話の席に連なることができた。その席で法王がお話になられたことは、チベットの歴史を学ぶもの、研究する者たちへのメッセージたりうるので、以下文字におこしてみた。
続いての小さな法話会は、「一切のものは縁起しているが故に空である」との思想を説く『縁起賛』をテクストにしたものであった。この法話も簡単に梗概をあげておきたい。
法王の歴史に関するコメントにふれる前に、なぜ会話がこのように進むのかを理解するために、外国人が法王に謁見する際の不文律について述べたい。
ダライラマ法王は公的な空間では普通に握手をし対話を楽しんで、欧米的な気さくな振る舞いをされる。しかし、チベット人、チベット事情に通じた外人、あるいはその両方のまじったチベット的な空間に入ると、法王を第一と考える聴衆のかもしだす空気により、法王は王様へと変身する。これは、法王ご自身というより、眷属が作りだした場といえようか。
このモードに入ると、自分から法王に話しかけることはできず、基本的に法王のお声がかりを待たねばならない(公的な空間でもチベット人かチベット事情に通じた外人の通訳が入ることから、この「法王に直接ものをいう」ことは実はうまく回避されている)。また、法王にお渡ししたいものがあったとしても、直接手わたしすることも御法度である。横にいるお付きの僧にわたしてから法王へという手続きを踏まねばならない。
さらにこのモードにおいては「法王に意見する」「法王のアドバイスに反論する」などはまずできない。そのような蛮勇をふるう者は、眷属たちが醸し出す絶対零度の冷気に震え上がるからである。しかし、法王を護衛し、法王の健康のために日常的に気を配り、その教えを継承しているのは眷属の人々たちなので、場の空気はやはり尊重すべきものである。
前置きが長くなったが、以下はこのような空間で行われた会話です。
●●●歴史を学ぶ人たちへ●●●
法王「わたしはチベットの〔独立ではなく〕自治といっているが、それはチベットの歴史がどうでもいいということではない。チベットの歴史はそれはそれとしてある。研究対象にすべきである。
ソ連の時代、昔の資料や歴史書をみんな捨ててしまって、ソ連が崩壊してロシアになって、さあ歴史を教えようと思っても昔の資料がないから歴史が教えられないという話を聞いた。政治が歴史的事実をゆがめてはいけない。
私「わたしは満洲語・モンゴル語・チベット語の資料がよめます(文語のみ)。で、確信したことは、満洲人皇帝はチベット政府の意向を尊重し、チベットも独立して動いていたということです。」
法王「歴史家からみて政教一致のわが国の体制には何か問題があったか。」
私「かつて、カロン(チベットの首相)が交代する時、チベット側がカロン候補者のリストをだして、清朝がその中からカロンを選ぶことになっていました。〔これをチベットが清朝の支配下にあったという証拠と中国は主張する〕。しかし、実際の歴史文書を見てみると、清朝皇帝はリストの一番上の人に○をつけており、つまりチベット側のだした候補を追認し、結果として、首相は父から子へと父子相続していました。つまり、チベットの意見が通っていたわけです。しかし、形だけでも中国をたて〔選ばせるという形式をとった〕のはよくないと思います。」
すると間に入った通訳の方が、後半の意見の部分だけ訳していなかったような(笑)。法王に意見したように聞こえたからかな、自分の所感を述べただけなのだが(てかそれが無礼なのか?)。
法王「ラサン・ハンが1705年にダライラマ六世を廃して、新六世ペカルジンパを立てて、清朝はその新六世を承認したが、結局は1720年に自分が廃したダライラマ六世の生まれ代わりを承認せざるを得なくなった。清朝にはダライラマを決めるイニシアチブはなかった。グルカ戦争の時も・・・・」
とチベット政府が清朝の政策を無視して行動していた史実を挙げられた。法王がチベット史を詳しくかつ雄弁に語るのを見て、なんとなく「たぶん天皇陛下も日本の歴史にお詳しいんだろうな」と思った。
そこで私が乾隆帝が文殊菩薩として描かれる仏画三種類(カラープリンターのうちだし。すいません)をおみせすると(直接お渡ししようと思ったら、場の空気が冷気をかもしたので、おつきの僧に渡した 笑)、
法王「昔はチベット人は満洲人の皇帝を文殊菩薩の化身として信仰していた。13世ダライラマが〔1908年に〕北京を訪れて光緒帝とあった時、大臣をつとめていたツァロンが、会食の席で清朝皇帝が食べ残した蒸しパンをひそかに懐にいれてもって帰り、「菩薩の食べ残しだから、お加持の力がある」とみなにちょっとずつ配っていた。それくらいチベット人は満洲皇帝を信仰していた。」
法王「満洲という言葉が文殊菩薩からきているという説はどうか?」
私「もちろんそういう人もいますが、地名から来ているという説もあります。わたしはつきつめたことがありません。」
法王「1983年頃、ハーバート大学で講義した時、一人の中国人の考古学者が密かに面会にきた。彼は発掘品の写真をもっていて、これはチベットの中で文明が独自に始まった証拠だといった。しかし、その人は公の席では、「チベット文明は中国の影響で始まった」といっていた。政治の都合で歴史を変えるのはよくない。
聞いた話だが、江沢民が、チベットの展覧会をみていて、七世紀から十世紀チベットは軍事大国で中国と争い、13世紀はモンゴルの支配下に入り、モンゴルのあと独立していたが、18世紀に満洲人の支配下に入った、という展示の内容を見て、『いろいろあると面倒臭いから、チベットが昔から中国の一部だといったらすっきりするんじゃいか』といったという。本当かどうか知らないが 笑」
法王「中国に行ったことがあるか?」
私「何回か」
法王「学会には行くか?」
私「国際学会には行きますが、中国の学会には〔ここのところ〕いってません」
法王「今は〔日中関係が厳しいから〕難しいだろうが、可能になったら中国の学者と一緒に仕事をしなさい。〔たぶん政治の世界同様、学問の世界も対話が重要とおっしゃっているのだと思う〕」
私「仰せのままに」。
本音では「ちょっとムリ」と思ったけど、正論だし、この場ではそう言うしかないのは前に述べた通り。ここでしみじみ思ったのだが、理想というものがあって、それを実現するためには能力とチャンスとさまざまなものが必要で、つまりはなかなか実現は困難である。しかし、能力やチャンスに限界があっても、限界があるからこそそれを超えようと努力するという側面もある。法王に「~しなさい」と言われ「やります」といえば努力をしなければいけない状況に自分を置いたことになり、そうさせてしまうシチュエーションがあることが希有なことだと思った。
戦後民主(社会)主義の進展とともに、神様も仏様も親も先生も政治家も聖職者も哲学者も金持ちも医者も弁護士も、かつて権威があった者すべてが力を失った。それは人が大いなる自由を得ることを意味すると同時に、律するものの無くなったエゴが暴走する時代の幕開けでもあった。
そのような世にあって、法王をとりまく伝統的な空間にだけは、奇跡的に道徳者が権威をもつ古きよき時代の空気がある。ここに身を置くと、「少しでも善い人間になっていこう」という、普段だと絶対に思いつかないことを素直に考えるようになるから、本当にすごいことだと思う。
また、忘れてはならないのは、われわれ日本人は自由の国にいるからこうやって法王のお話も聞くことができるが、本土のチベット人たちは法王のお話を聞きたくても聞けないということ。また、いつも考えるのは、私よりももっと経済力や政治力のある人がここにいた方が、はるかにチベットにとってよいのではないか、ということ。だがそう言っていても建設的でないので、せめて私が理解した範囲内で、法王の言葉や法を日本に伝えようというのが、このエントリーの目的である。
●●●『縁起賛』講義●●●
そして、午後は小さな法話会が行われた。最初は『般若心経』をテクストとするとのことだったが、法王は突然
「『縁起賛』をやる!」と宣言。
もちろん誰も異論を唱えるものはなく、担当者はテクストをコピーしに走る。
『縁起賛』はダライラマの属するゲルク派(中観帰謬論証派)の特徴的な教えである「すべてのものは依存関係(縁起)にあるが故に、実体はない(空)」を、ゲルク派の開祖ツォンカパが、それを感得した直後の感動の中でつくった韻文である。
『縁起賛』は適当な長さのテクストであるため、講義に用いられることも多く、2007年のアマラーヴァテイの大灌頂でも法王は『縁起賛』を講義している。
幸いなことに、根本裕史先生が、解説・原文つきで訳注を行っており、以下のサイトでダウンロードできる。原文もついているので、毎朝唱えれば半年くらいで全文覚えられそう。
http://dl.dropbox.com/u/32123650/articles/Nemoto_2008a.pdf
http://dl.dropbox.com/u/32123650/articles/Nemoto_2009b.pdf
http://dl.dropbox.com/u/32123650/articles/Nemoto_2010a.pdf
以下が法王の解説である。論理学の公式のような形で発言されている部分はまったく理解できなかったので(いやそれ以外の点についても怪しいが 笑)、その点ご寛恕いただければと思う。
縁起思想は、釈尊の教えの心髄であり、〔日本でも広く知られている〕『般若心経』とも関係がある。この縁起はナーガルジュナ(龍樹)の説く空の思想とも関係している。
仏教修行には理論(lta)と実践(spyod)の二つの側面がある。
実践修行については「他人を害さない」「人の役に立つ」という非暴力の思想がある。パーリ仏教の戒律は、命あるものを殺めないようにと定められたものである。また、仏教に限らずキリスト教も、他者を害さない、他人に貢献するなどの実践を行っている。ヒンドゥー教の実践にもイスラーム教の実践にも「他者を害さない、他者に貢献する」という非暴力思想は共通しているだろう。
〔実践からみると、仏教とそれ以外の宗教は非暴力という共通の教えがあるが、理論の面から見ると異なる。〕
キリスト教は造物主の存在を受けいれ、神の作ったこの世界を愛するようにと説く。
一方仏教はこの世界は「神が作ったもの」とは考えず、ただ因果の法則を説く。原因があるから結果がある、という因果にねざした非暴力を説くのである。
我々が感じている幸福も不幸も、原因があって生じたものである。この因果の法則、すなわち、縁起思想という理論は、仏教のみに見られる特徴的な思想である。すべてのものは無常であり、原因と条件によって生じているだけである。〔生じたものは必ず滅する。原因によって生じ滅して、留まることがないのがこの世界である。〕
幸せも不幸せも安楽も苦しみも、みな生じ滅している。しかしこれは感覚(意識内の出来事)であって、ものによって作り出されているのではない。科学者は「脳細胞が意識をつくる」というが、モノが心をつくることはできない。
一方、心理作用が肉体に影響を与えることはよく知られている。
種が発芽する場合、発芽の直接的な原因は種であり、発芽を促す間接的な原因は、水や太陽の光などである。たとえばカラシナの種からはカラシナの芽しか生えないように、直接的な原因は結果と同じ性質のものとなる。
心にも、肉体や物質にも、それが生まれるにあたっては結果と同じ性質を持つ直接的な原因がある。たとえば、物質はどうして生まれたか。エネルギーの塊からビッグバンがおこり、物質が生まれた。ものが存在するためには必ず、その直接的な原因があるため〔キリスト教の説く天地創造のような〕はじまりは存在しない。心をもたない物質も心にも始まりはない(昔から存在している)。
アーリヤデーヴァの著した『四百論』には、「物質には始まりはないが、終わりはある」と説かれている。、だから、命あるものには前世も来世もある。
突然この世に出現するものがあるなんて、受け入れられるか。
金沢のこの天気が突然現れたものですか、何もないところからビッグバンが突然現れるか?
〔何もないところから〕神がこの世界を作ったという思想を受け入れられるか?
もし神に自由意志があるとするなら、なぜこの世界に苦しみまで作ったのか?
知り合いのインド人はこう言っていた。「神がこの世界を作ったとするなら、なぜあまりにもひどい人がいるんでしょう」。
神が智慧と慈悲と力を備えた全能の存在であるなら、なぜこの世の苦しみを作ったのか。神の本質が慈悲であるなら、その結果できあがった世界に慈悲がないのはなぜなのか。
神の存在を受け入れないサーンキャなどの学派は以上のように言う。この点についてみなさんと話し合いたい。
この世にはさまざまな性質の人がいるため、それにあわせて釈尊も様々な教えを説かれた。声聞・独覚・菩薩の三乗が説かれ、顕教・密教(四タントラ)も説かれ、インドにも説一切有部・経量部・唯識・中観の四大学派がある。すべての流派は誰かの役に立っている。すべての宗教はむろん尊重されねばならない。
アサンガ(無着)は『阿毘達磨集論』で、三縁(rkyen gsum)を説き、異教徒の説く創造神ブラフマン、サーンキヤの説く根本原質、順世外道の説く因果律の否定などを退けた。
「どのような原因にもよらず自分の力でなりたつ絶対的な存在」、すなわち、「神」のようなものは論理的に存在しえない。この世に存在する苦しみは神ではなく、苦しみを味わっている本人が作り出したものだ。無明が作り出したものだ。全体をみずに目先にとらわれるから戦争が始まる。苦しみは自然現象ではない。五蘊に対する執着から生まれるのだ。
ナーガルージュナは『七十頌如理論』において無明を二様に説く。一つは「単なる無知」、もう一つは「まちがったもものの見方」すなわち、「知覚に現れているものを実体視すること」である。
無明を退けることができるのはその反対(対治)にある正知である。無知は病院では治すことは出来ない。正知によってのみ治すことができる。
「存在するものはすべて依存関係にある」という縁起思想には二つのレベルがある。
一つはあらゆるものは原因によって生じているという因果の法であり、
もう一つは、すべてのものが名前を与えられることによって存在するようになる、という縁起である。
あるものと、それでないものとは同時に存在できるか。
人でないものと、人であるものは同時に存在できるか。〔できないだろう?〕
お互いに矛盾する存在は同時に存在できない。
「何かに依存して存在しているもの」と、その反対の「それ自身の力で存在しているもの」(神=造物主)は同時に存在できるか? 〔できないだろう?〕
『般若心経』の説く「空即是色」「色(五蘊)即是空」の意味について考えてみよう。
ナーガルジュナの著した『中論』の第24章第18、19偈にこれとまったく同じ「私は縁起を空であると説く。縁起しているから空である」という一文がある。
実在論者(モノが実体として存在すると考える人々。説一切有部・経量部・唯識・中観も自立論証派がこれに含まれる)は、モノの存在を実体的にとらえているが、モノは〔実体的に〕見えているようには〔実体的には〕存在していない。
モノの存在のし方をつきつめてみると、そこには二つの真実(二諦)があることがわかる。一つは世俗的な現れ方(世俗諦。いわば普通に「ある」という場合のあり方)、一つは究極的な現れ方(勝義諦)である。この二つのあり方は実際は一体のものであり、切り離すことはできいない。
『縁起賛』が称える中観帰謬論証派の思想では、「世俗の存在の仕方と究極の存在の仕方は、本当のところ、一つのものか、別のものかといえば、一つものである」と考える。
世俗諦と勝義諦も、縁起と空も、別々のものではなく一つの存在の二つのあり方であり、切り離すことができないのである。
『般若心経』で言えば、色が世俗諦であり、空が勝義諦を指している。「空即是色」「色即是空」とはその二つが一体のものであり、切り離すことができないことを示していよう。
すべてのモノは縁起したものに名が与えられただけの存在なのである。
さあ、今から、みなで『縁起賛』を声にだして読みなさい。そのあと分からないことを質問しなさい
わたしは『縁起賛』の第五偈
およそ「条件に依存するもの」(縁起するもの)は
それ自身の力でなりたっていない(空である)。
この教え以上に希有なる
どんな正しい教えがあろうか」
という有名な偈の、最初の一行目が世俗諦で、二行目が勝義諦を指すのですか、と質問させて頂いた。
すると、法王はその解釈でよい、と詳しく説明をしていただいた。音源が手に入らないので詳細がかけないのが悲しい。
最後に『入中論』は七つの観点から無我(=空)をを説いていること、ナーガールジュナ、『四百論』、『入中論』(第六160偈)の三つを読むこと、ラムツォナムスムに修行の順序がのっているので、それを参考にしなさい、とみなに勧められた。
以上の法話が終わると、法王はご機嫌も麗しく、「明日も九時半から法話会をやる」と突然おっしゃられ、その日のうちに帰らなければいけない人は、涙を流したのであった。
私事であるが、今回の来日中、施主のご厚意で非公開の昼食会とその後の法話の席に連なることができた。その席で法王がお話になられたことは、チベットの歴史を学ぶもの、研究する者たちへのメッセージたりうるので、以下文字におこしてみた。
続いての小さな法話会は、「一切のものは縁起しているが故に空である」との思想を説く『縁起賛』をテクストにしたものであった。この法話も簡単に梗概をあげておきたい。
法王の歴史に関するコメントにふれる前に、なぜ会話がこのように進むのかを理解するために、外国人が法王に謁見する際の不文律について述べたい。
ダライラマ法王は公的な空間では普通に握手をし対話を楽しんで、欧米的な気さくな振る舞いをされる。しかし、チベット人、チベット事情に通じた外人、あるいはその両方のまじったチベット的な空間に入ると、法王を第一と考える聴衆のかもしだす空気により、法王は王様へと変身する。これは、法王ご自身というより、眷属が作りだした場といえようか。
このモードに入ると、自分から法王に話しかけることはできず、基本的に法王のお声がかりを待たねばならない(公的な空間でもチベット人かチベット事情に通じた外人の通訳が入ることから、この「法王に直接ものをいう」ことは実はうまく回避されている)。また、法王にお渡ししたいものがあったとしても、直接手わたしすることも御法度である。横にいるお付きの僧にわたしてから法王へという手続きを踏まねばならない。
さらにこのモードにおいては「法王に意見する」「法王のアドバイスに反論する」などはまずできない。そのような蛮勇をふるう者は、眷属たちが醸し出す絶対零度の冷気に震え上がるからである。しかし、法王を護衛し、法王の健康のために日常的に気を配り、その教えを継承しているのは眷属の人々たちなので、場の空気はやはり尊重すべきものである。
前置きが長くなったが、以下はこのような空間で行われた会話です。
●●●歴史を学ぶ人たちへ●●●
法王「わたしはチベットの〔独立ではなく〕自治といっているが、それはチベットの歴史がどうでもいいということではない。チベットの歴史はそれはそれとしてある。研究対象にすべきである。
ソ連の時代、昔の資料や歴史書をみんな捨ててしまって、ソ連が崩壊してロシアになって、さあ歴史を教えようと思っても昔の資料がないから歴史が教えられないという話を聞いた。政治が歴史的事実をゆがめてはいけない。
私「わたしは満洲語・モンゴル語・チベット語の資料がよめます(文語のみ)。で、確信したことは、満洲人皇帝はチベット政府の意向を尊重し、チベットも独立して動いていたということです。」
法王「歴史家からみて政教一致のわが国の体制には何か問題があったか。」
私「かつて、カロン(チベットの首相)が交代する時、チベット側がカロン候補者のリストをだして、清朝がその中からカロンを選ぶことになっていました。〔これをチベットが清朝の支配下にあったという証拠と中国は主張する〕。しかし、実際の歴史文書を見てみると、清朝皇帝はリストの一番上の人に○をつけており、つまりチベット側のだした候補を追認し、結果として、首相は父から子へと父子相続していました。つまり、チベットの意見が通っていたわけです。しかし、形だけでも中国をたて〔選ばせるという形式をとった〕のはよくないと思います。」
すると間に入った通訳の方が、後半の意見の部分だけ訳していなかったような(笑)。法王に意見したように聞こえたからかな、自分の所感を述べただけなのだが(てかそれが無礼なのか?)。
法王「ラサン・ハンが1705年にダライラマ六世を廃して、新六世ペカルジンパを立てて、清朝はその新六世を承認したが、結局は1720年に自分が廃したダライラマ六世の生まれ代わりを承認せざるを得なくなった。清朝にはダライラマを決めるイニシアチブはなかった。グルカ戦争の時も・・・・」
とチベット政府が清朝の政策を無視して行動していた史実を挙げられた。法王がチベット史を詳しくかつ雄弁に語るのを見て、なんとなく「たぶん天皇陛下も日本の歴史にお詳しいんだろうな」と思った。
そこで私が乾隆帝が文殊菩薩として描かれる仏画三種類(カラープリンターのうちだし。すいません)をおみせすると(直接お渡ししようと思ったら、場の空気が冷気をかもしたので、おつきの僧に渡した 笑)、
法王「昔はチベット人は満洲人の皇帝を文殊菩薩の化身として信仰していた。13世ダライラマが〔1908年に〕北京を訪れて光緒帝とあった時、大臣をつとめていたツァロンが、会食の席で清朝皇帝が食べ残した蒸しパンをひそかに懐にいれてもって帰り、「菩薩の食べ残しだから、お加持の力がある」とみなにちょっとずつ配っていた。それくらいチベット人は満洲皇帝を信仰していた。」
法王「満洲という言葉が文殊菩薩からきているという説はどうか?」
私「もちろんそういう人もいますが、地名から来ているという説もあります。わたしはつきつめたことがありません。」
法王「1983年頃、ハーバート大学で講義した時、一人の中国人の考古学者が密かに面会にきた。彼は発掘品の写真をもっていて、これはチベットの中で文明が独自に始まった証拠だといった。しかし、その人は公の席では、「チベット文明は中国の影響で始まった」といっていた。政治の都合で歴史を変えるのはよくない。
聞いた話だが、江沢民が、チベットの展覧会をみていて、七世紀から十世紀チベットは軍事大国で中国と争い、13世紀はモンゴルの支配下に入り、モンゴルのあと独立していたが、18世紀に満洲人の支配下に入った、という展示の内容を見て、『いろいろあると面倒臭いから、チベットが昔から中国の一部だといったらすっきりするんじゃいか』といったという。本当かどうか知らないが 笑」
法王「中国に行ったことがあるか?」
私「何回か」
法王「学会には行くか?」
私「国際学会には行きますが、中国の学会には〔ここのところ〕いってません」
法王「今は〔日中関係が厳しいから〕難しいだろうが、可能になったら中国の学者と一緒に仕事をしなさい。〔たぶん政治の世界同様、学問の世界も対話が重要とおっしゃっているのだと思う〕」
私「仰せのままに」。
本音では「ちょっとムリ」と思ったけど、正論だし、この場ではそう言うしかないのは前に述べた通り。ここでしみじみ思ったのだが、理想というものがあって、それを実現するためには能力とチャンスとさまざまなものが必要で、つまりはなかなか実現は困難である。しかし、能力やチャンスに限界があっても、限界があるからこそそれを超えようと努力するという側面もある。法王に「~しなさい」と言われ「やります」といえば努力をしなければいけない状況に自分を置いたことになり、そうさせてしまうシチュエーションがあることが希有なことだと思った。
戦後民主(社会)主義の進展とともに、神様も仏様も親も先生も政治家も聖職者も哲学者も金持ちも医者も弁護士も、かつて権威があった者すべてが力を失った。それは人が大いなる自由を得ることを意味すると同時に、律するものの無くなったエゴが暴走する時代の幕開けでもあった。
そのような世にあって、法王をとりまく伝統的な空間にだけは、奇跡的に道徳者が権威をもつ古きよき時代の空気がある。ここに身を置くと、「少しでも善い人間になっていこう」という、普段だと絶対に思いつかないことを素直に考えるようになるから、本当にすごいことだと思う。
また、忘れてはならないのは、われわれ日本人は自由の国にいるからこうやって法王のお話も聞くことができるが、本土のチベット人たちは法王のお話を聞きたくても聞けないということ。また、いつも考えるのは、私よりももっと経済力や政治力のある人がここにいた方が、はるかにチベットにとってよいのではないか、ということ。だがそう言っていても建設的でないので、せめて私が理解した範囲内で、法王の言葉や法を日本に伝えようというのが、このエントリーの目的である。
●●●『縁起賛』講義●●●
そして、午後は小さな法話会が行われた。最初は『般若心経』をテクストとするとのことだったが、法王は突然
「『縁起賛』をやる!」と宣言。
もちろん誰も異論を唱えるものはなく、担当者はテクストをコピーしに走る。
『縁起賛』はダライラマの属するゲルク派(中観帰謬論証派)の特徴的な教えである「すべてのものは依存関係(縁起)にあるが故に、実体はない(空)」を、ゲルク派の開祖ツォンカパが、それを感得した直後の感動の中でつくった韻文である。
『縁起賛』は適当な長さのテクストであるため、講義に用いられることも多く、2007年のアマラーヴァテイの大灌頂でも法王は『縁起賛』を講義している。
幸いなことに、根本裕史先生が、解説・原文つきで訳注を行っており、以下のサイトでダウンロードできる。原文もついているので、毎朝唱えれば半年くらいで全文覚えられそう。
http://dl.dropbox.com/u/32123650/articles/Nemoto_2008a.pdf
http://dl.dropbox.com/u/32123650/articles/Nemoto_2009b.pdf
http://dl.dropbox.com/u/32123650/articles/Nemoto_2010a.pdf
以下が法王の解説である。論理学の公式のような形で発言されている部分はまったく理解できなかったので(いやそれ以外の点についても怪しいが 笑)、その点ご寛恕いただければと思う。
縁起思想は、釈尊の教えの心髄であり、〔日本でも広く知られている〕『般若心経』とも関係がある。この縁起はナーガルジュナ(龍樹)の説く空の思想とも関係している。
仏教修行には理論(lta)と実践(spyod)の二つの側面がある。
実践修行については「他人を害さない」「人の役に立つ」という非暴力の思想がある。パーリ仏教の戒律は、命あるものを殺めないようにと定められたものである。また、仏教に限らずキリスト教も、他者を害さない、他人に貢献するなどの実践を行っている。ヒンドゥー教の実践にもイスラーム教の実践にも「他者を害さない、他者に貢献する」という非暴力思想は共通しているだろう。
〔実践からみると、仏教とそれ以外の宗教は非暴力という共通の教えがあるが、理論の面から見ると異なる。〕
キリスト教は造物主の存在を受けいれ、神の作ったこの世界を愛するようにと説く。
一方仏教はこの世界は「神が作ったもの」とは考えず、ただ因果の法則を説く。原因があるから結果がある、という因果にねざした非暴力を説くのである。
我々が感じている幸福も不幸も、原因があって生じたものである。この因果の法則、すなわち、縁起思想という理論は、仏教のみに見られる特徴的な思想である。すべてのものは無常であり、原因と条件によって生じているだけである。〔生じたものは必ず滅する。原因によって生じ滅して、留まることがないのがこの世界である。〕
幸せも不幸せも安楽も苦しみも、みな生じ滅している。しかしこれは感覚(意識内の出来事)であって、ものによって作り出されているのではない。科学者は「脳細胞が意識をつくる」というが、モノが心をつくることはできない。
一方、心理作用が肉体に影響を与えることはよく知られている。
種が発芽する場合、発芽の直接的な原因は種であり、発芽を促す間接的な原因は、水や太陽の光などである。たとえばカラシナの種からはカラシナの芽しか生えないように、直接的な原因は結果と同じ性質のものとなる。
心にも、肉体や物質にも、それが生まれるにあたっては結果と同じ性質を持つ直接的な原因がある。たとえば、物質はどうして生まれたか。エネルギーの塊からビッグバンがおこり、物質が生まれた。ものが存在するためには必ず、その直接的な原因があるため〔キリスト教の説く天地創造のような〕はじまりは存在しない。心をもたない物質も心にも始まりはない(昔から存在している)。
アーリヤデーヴァの著した『四百論』には、「物質には始まりはないが、終わりはある」と説かれている。、だから、命あるものには前世も来世もある。
突然この世に出現するものがあるなんて、受け入れられるか。
金沢のこの天気が突然現れたものですか、何もないところからビッグバンが突然現れるか?
〔何もないところから〕神がこの世界を作ったという思想を受け入れられるか?
もし神に自由意志があるとするなら、なぜこの世界に苦しみまで作ったのか?
知り合いのインド人はこう言っていた。「神がこの世界を作ったとするなら、なぜあまりにもひどい人がいるんでしょう」。
神が智慧と慈悲と力を備えた全能の存在であるなら、なぜこの世の苦しみを作ったのか。神の本質が慈悲であるなら、その結果できあがった世界に慈悲がないのはなぜなのか。
神の存在を受け入れないサーンキャなどの学派は以上のように言う。この点についてみなさんと話し合いたい。
この世にはさまざまな性質の人がいるため、それにあわせて釈尊も様々な教えを説かれた。声聞・独覚・菩薩の三乗が説かれ、顕教・密教(四タントラ)も説かれ、インドにも説一切有部・経量部・唯識・中観の四大学派がある。すべての流派は誰かの役に立っている。すべての宗教はむろん尊重されねばならない。
アサンガ(無着)は『阿毘達磨集論』で、三縁(rkyen gsum)を説き、異教徒の説く創造神ブラフマン、サーンキヤの説く根本原質、順世外道の説く因果律の否定などを退けた。
「どのような原因にもよらず自分の力でなりたつ絶対的な存在」、すなわち、「神」のようなものは論理的に存在しえない。この世に存在する苦しみは神ではなく、苦しみを味わっている本人が作り出したものだ。無明が作り出したものだ。全体をみずに目先にとらわれるから戦争が始まる。苦しみは自然現象ではない。五蘊に対する執着から生まれるのだ。
ナーガルージュナは『七十頌如理論』において無明を二様に説く。一つは「単なる無知」、もう一つは「まちがったもものの見方」すなわち、「知覚に現れているものを実体視すること」である。
無明を退けることができるのはその反対(対治)にある正知である。無知は病院では治すことは出来ない。正知によってのみ治すことができる。
「存在するものはすべて依存関係にある」という縁起思想には二つのレベルがある。
一つはあらゆるものは原因によって生じているという因果の法であり、
もう一つは、すべてのものが名前を与えられることによって存在するようになる、という縁起である。
あるものと、それでないものとは同時に存在できるか。
人でないものと、人であるものは同時に存在できるか。〔できないだろう?〕
お互いに矛盾する存在は同時に存在できない。
「何かに依存して存在しているもの」と、その反対の「それ自身の力で存在しているもの」(神=造物主)は同時に存在できるか? 〔できないだろう?〕
『般若心経』の説く「空即是色」「色(五蘊)即是空」の意味について考えてみよう。
ナーガルジュナの著した『中論』の第24章第18、19偈にこれとまったく同じ「私は縁起を空であると説く。縁起しているから空である」という一文がある。
実在論者(モノが実体として存在すると考える人々。説一切有部・経量部・唯識・中観も自立論証派がこれに含まれる)は、モノの存在を実体的にとらえているが、モノは〔実体的に〕見えているようには〔実体的には〕存在していない。
モノの存在のし方をつきつめてみると、そこには二つの真実(二諦)があることがわかる。一つは世俗的な現れ方(世俗諦。いわば普通に「ある」という場合のあり方)、一つは究極的な現れ方(勝義諦)である。この二つのあり方は実際は一体のものであり、切り離すことはできいない。
『縁起賛』が称える中観帰謬論証派の思想では、「世俗の存在の仕方と究極の存在の仕方は、本当のところ、一つのものか、別のものかといえば、一つものである」と考える。
世俗諦と勝義諦も、縁起と空も、別々のものではなく一つの存在の二つのあり方であり、切り離すことができないのである。
『般若心経』で言えば、色が世俗諦であり、空が勝義諦を指している。「空即是色」「色即是空」とはその二つが一体のものであり、切り離すことができないことを示していよう。
すべてのモノは縁起したものに名が与えられただけの存在なのである。
さあ、今から、みなで『縁起賛』を声にだして読みなさい。そのあと分からないことを質問しなさい
わたしは『縁起賛』の第五偈
およそ「条件に依存するもの」(縁起するもの)は
それ自身の力でなりたっていない(空である)。
この教え以上に希有なる
どんな正しい教えがあろうか」
という有名な偈の、最初の一行目が世俗諦で、二行目が勝義諦を指すのですか、と質問させて頂いた。
すると、法王はその解釈でよい、と詳しく説明をしていただいた。音源が手に入らないので詳細がかけないのが悲しい。
最後に『入中論』は七つの観点から無我(=空)をを説いていること、ナーガールジュナ、『四百論』、『入中論』(第六160偈)の三つを読むこと、ラムツォナムスムに修行の順序がのっているので、それを参考にしなさい、とみなに勧められた。
以上の法話が終わると、法王はご機嫌も麗しく、「明日も九時半から法話会をやる」と突然おっしゃられ、その日のうちに帰らなければいけない人は、涙を流したのであった。
COMMENT
石濱裕美子先生
いつも貴重なお話をご公開賜りましてありがとうございます。
猊下に直接ご質問できる機会に恵まれることは誠に希有なること、本当におめでとうございます。心からご随喜申し上げます。
中観思想を学ぶ者にとりましては、色々と課題・疑問が山のように出て参りますが、日々一歩一歩と前進を目指して取り組んで参りたく存じております。
先生のご質問への猊下のお答え、音源がもしこれから出て参りましたら是非にもまたお教え賜りたく存じております。誠に宜しくお願い申し上げます。
川口英俊拝
いつも貴重なお話をご公開賜りましてありがとうございます。
猊下に直接ご質問できる機会に恵まれることは誠に希有なること、本当におめでとうございます。心からご随喜申し上げます。
中観思想を学ぶ者にとりましては、色々と課題・疑問が山のように出て参りますが、日々一歩一歩と前進を目指して取り組んで参りたく存じております。
先生のご質問への猊下のお答え、音源がもしこれから出て参りましたら是非にもまたお教え賜りたく存じております。誠に宜しくお願い申し上げます。
川口英俊拝
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シラユキ | URL | 2012/11/18(日) 09:40 [EDIT]
シラユキ | URL | 2012/11/18(日) 09:40 [EDIT]
>川口さん
いつもそういって頂けるので、レポートあげる励みになります。こちらこそありがとうございます。
いつもそういって頂けるので、レポートあげる励みになります。こちらこそありがとうございます。
総論賛成・各論反対などと言うが、総論にあたる世界観が、どれだけ辻褄の合ったものか詮索する能力がない。現実対応策に関しても状況は同じである。
矛盾を含んだままの発言は、実行の段階で破たんする。
日本人は、この困難をどう処理してよいのかわからない。
「だって、本当にそう思ったのだから仕方がないではないか」という。
選挙戦では、出鱈目な発言がはやっている。
日本人は自分自身の知的水準が高いと信じているが、実は議論ができない。
だから、発言の中から矛盾を淘汰できない。詭弁家を排除できない。
淘汰もなく、まとまりもなく、乱立する。
相手に言われたことをすべて信じるしかない。子供の様なものである。
出鱈目を言う政治家に、選挙でころりとだまされる。政治史はこの繰り返しである。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
矛盾を含んだままの発言は、実行の段階で破たんする。
日本人は、この困難をどう処理してよいのかわからない。
「だって、本当にそう思ったのだから仕方がないではないか」という。
選挙戦では、出鱈目な発言がはやっている。
日本人は自分自身の知的水準が高いと信じているが、実は議論ができない。
だから、発言の中から矛盾を淘汰できない。詭弁家を排除できない。
淘汰もなく、まとまりもなく、乱立する。
相手に言われたことをすべて信じるしかない。子供の様なものである。
出鱈目を言う政治家に、選挙でころりとだまされる。政治史はこの繰り返しである。
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