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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2012/11/09(金)   CATEGORY: 未分類
ダライラマ法王と科学者との対話 
11月7日は、「ダライラマ法王と科学者との対話」を聞きに行った。

 ダライラマは非常に合理的な思考の持ち主で、科学と仏典の記述が齟齬する場合は、科学をとれ、という方である。また、客観的な手法で現実を観察する科学は、分析的瞑想を重んじる仏教にも通じるところがあること、また、科学は人間の苦しみを減らす技術として活かせることなどから、科学に対して非常に好意的である。

 今回はまず科学者の方が最先端の知見をダライラマにご進講し、それに対してダライラマがコメントをするという形式が取られた。以下がその要旨である。長くなるので科学者の先生たちの講演は要旨にした。詳しいノートがほしい方は個別に連絡してください(しかし省略したところは科学者の先生たちのプレゼンで、わたしがそれを正確に理解できているかは謎である。それをいうなら法王様の話もだか。)。

●●●セッション3 『生命科学・医学と仏教』●●●

● 柳澤正史先生「睡眠・覚醒の謎にいどむ」(院生の頃からノーベル賞級の研究をしている方で、アメリカと日本の両方に研究室をもつスゴイ方)。

講演要旨:睡眠がなぜ起きるのかは仮説すらたてられないブラックボックスである。脳内物質オレキシンをつくれないネズミは、ナルコレプシー(緊張するとパタッと寝てしまう病)と同じ症状を呈する。オレキシンはナルコレプシー治療の鍵となる。
 
DL.「フフフ・・・化学物質の話だな。花は眠るのか」

柳澤先生「眠りません。睡眠には定義があり、神経の発達したものが動かなくなる、感覚が鈍くなるなどの条件を満たした時睡眠といいます。」

DL「睡眠には化学物質だけでなく心も関わっている。物理的なものばかりではない。

 私はよくアメリカにいく。インドからアメリカにいくと九時間の時差があるが、わたしは現地の時間にあわせようとするので時差ぼけをしない。しかし、大腸は別でゆうことをきかず、いつも決まった時間に排泄する。しかし、睡眠は意図してコントロールできている。従って、睡眠には心が関わっている。意識すればその時間に起きられることなどは、睡眠には心が関わっていることを意味している。

 精神を集中すると夢がやってくる。夢を見ている時、幽体離脱するという現象はよく報告されている。夢に意識を集中させると夢の体 (dream body) が他の場所にいく。心には微細なレベルがある。この微細なレベルの心が夢で離脱するのだ。草花には命はあっても心も感情もない。科学者は物質や知覚できるものばかりを扱うが心を扱わない。知覚は現在しか認識できない。しかし現在はすぐに過去のものとなってしまう。心の概念化作用についても扱わねばならない。」


●矢作直樹先生「病は気から」(東大救急医療の教授で『人は死なない』の著者の方)

講演要旨:自分がこれから述べることは科学的でないと前置きされてから、ご自身の体験や見聞した例も挙げて、霊的治療(Spiritual healing)が有効であることを発表。

DL 「〔医者から見放された病が治るなど〕神秘的なことは確かにある。それはしかし普遍的なレベルでは適応できないものだ。イギリスのRoyal Albert Hallで講演した時、私に奇跡的な癒しの力があるのではないかとみなが期待していた。しかし、私は癒しの力には懐疑的だ。もちろん特別なケースはあるだろう。その時私はこういった。「もし真のヒーラーがいるなら、今私は首の具合が悪いからなおしてくれ」と。そうしたら翌日軟膏を持ってきてくれた人がいて、それをぬったらなおった。今は膝の具合が悪いので、膝を治してくれる人がいたら嬉しい。しかし、癒しの力というのは一般化はできない。」

村上和雄先生「矢作先生はこのプレゼンを最初から科学的でないとお断りされている。これはいいことだ。一番いけないのは、科学と称して偽科学をやることである。」

DL「今までの科学は計量できるもの、物質的なものを対象としてきた。私にとって科学は現実を調べることだ。21世紀の科学は霊性と科学が一体化したものになる。科学は物質だけではなく心も含めた現実の全体を扱わねばならない。

 仏教の教えでは、〔実体的な〕魂は存在しない。神もいない。ただ因果の法則があるだけ。始まりも終わりもない。

 肉体にも心にも粗大なレベルと微細なレベルがある。粗大な肉体が滅びると粗大な心もなくなるが、微細なレベルの体と心は存在しつづける。このレベルになると、始まりも終わりもない。これは釈迦牟尼の教えに説かれていることである。

 意識は物によって作ることはできない。スピリチュアル・ヒーリングが成り立つためには受け手の側の性質や前世の因縁などの特別な条件があってはじめて可能になることだ(つまり前世の因縁でおきている病は治せない)。再現性はない。」


●河合徳枝先生「幸福感の脳機能を測ることは可能か」

講演要旨:バリ島の祝祭において、トランスに入った人の脳波を12年かけて計測し、トランスに入った脳は多幸感にあふれていることを計測した。それは耳に聞こえない高周波の鈴の音やガムランによってひきおこされていると思われる。

DL「チベットには神託官がいるので子供の頃からこういうトランスを見てきた。この現象はモンゴルにも、パキスタンにもその他の地方にもあり、世界中に広く見られるものだ。なので、どうしてトランスが起きるのか知りたいと思っていた。トランスに入った人には記憶がないと言ったな?

 仏教では命は様々な形態をとると説く。このトランスに入った人をみると、本人の意識はどこかに押さえこまれており、何か別のものに憑依されたように見える。こういう状態の生理学を研究するのは面白い。

 チベットでは神託官に憑依するのは精霊=神(sprit)であると考える。精霊には良い物もいれば悪い物もいる。この精霊自体は特別な意味はない。餓鬼(日本でいう不成仏霊のようなもの)は微細なレベルの存在ではあるが、物質でもある。したがっていろいろなところにいってスパイのようにのぞき込んでいるので情報をもっている。従って、それらの精霊を神託官におろして世俗の事柄を相談するのだ。

 しかし、精霊はせいぜいが友達で、世俗の話にすぎない。精霊をヘンに重視してはいけない。真の帰依の対象 (refugee) は仏・法・僧の三宝であり、精霊ではない。」


 村上先生「私の意見ですが、本人の意識がどこかにいったトランス状態で幸福を得るよりも、覚醒した意識で幸せになった方がいい。」(ドラックなどもそうだが、現世を忘れて得られる多幸感に意味がないことをいっているのだろう)

 河合先生「バリ島の人はドラッグを用いずにトランスに入っている。トランスを文化の中で生かして幸せになっている。日本の社会はストレス一杯で多幸感のあふれる脳内物資はでにくい状況である。なので、日本の社会にも祭りをとりいれて幸せになれるような試みはできないかと思う。」

DL「精霊が天から降りてくるなんていってはいけない。〔精霊がもたらすものは、せいぜい感覚の幸せだ。〕感覚の幸せは永続する幸せではない。本当の幸せは心の修練を通じて得られる。努力をしてはじめて得られるものだ。トランスで得られるものではない。苦しみを押さえ、環境に振り回されない心を作ってはじめて多幸感は得られる。

 情緒には自然発生的なものと訓練によって得られるものの二つがある。〔後者がもちろん大切で〕瞑想の目的は精神力を高め、感覚に支配されるのではなく、どんないやな音をきいても、いやな物を見ても、いやなことがあっても乱されない心の平安を作ることだ。」


●●●セッション4 クロージング・セッション『新たな科学の創造への挑戦 〜日本からの発信〜』●●●

●安田喜憲先生

「私は花粉の化石をつくって、森と文明の関係について研究してきました。森は大切です。今はじめて法王様と異なった意見を述べます。森がないと人は生きていけません。あの中国でも昔は深い森がありました。しかし、文明の発展とともに森はなくなってきました。ヨーロッパにも森がありましたが、動物を狩る民族が文明をつくった結果、森はなくなっていきました。その中で日本は唯一森を保ってきました。法王様は森のないチベットに暮らしてきたから、動物のみに心があり、植物には心はないとおっしゃいます。しかし、日本では最澄が「山川草木悉皆仏性」といったように、植物にも心があると考えます。法王様は動物のたくさんいる地で育ったから動物的な仏教を提唱されますが、日本は植物的な仏教なのです(ここで会場内に拍手がわいたのにはびっくりした)。

DL「フッフッフッ・・・。

 森の大事さについては、もちろんよく分かっている。コンクリートの建物の中に暮らしていても、人は花を活けたがるのは、先祖の遠い記憶かもしれない。お釈迦様はルンピニーの花園で木の下でお生まれになった。悟りを開かれたのも、亡くなられたのも、木の下であった。律 (Vinaya) においても、「僧侶は木を植えなさい、前の僧侶の植えた木を次にきた僧侶が世話しなさい」という規定がある。

 また、仏教は〔人以外にも〕鳥・昆虫を含めたあらゆる生き物(有情)をリスペクトする。これらの生き物たちのふるさとは森だから、森が大切だということには同意する。

 私の属する仏教の流派が植物に心を認めないということだ。仏教には三つの流派がある。一つは東南アジアにつたわったパーリ仏典の上座部仏教、二つ目は中国・朝鮮・日本に伝わったサンスクリット仏典に基づく大乗仏教、それから三つ目がチベットに起こり、モンゴル(今は中国領内・ロシア領内・モンゴル共和国に三分割)に伝わったチベット仏教である。

 このうち一番深淵な仏教はチベット仏教であると思う。チベット仏教はナーガールジュナが学んだナーランダ大僧院の伝統を引くもので、僧侶としての行いを重視する。〔日本では僧侶は妻帯し、俗人と同じ生活を送って僧団の活動がなくなっていることを間接的に言及〕中国も台湾も僧伽(戒律をまもる僧侶たちの集団生活)を大切にしている。

 日本ではどこのお寺にいっても、般若心経を読む。しかし、僧侶にその意味を聞いてもみな「知らない」と言う。内容も知らずにただ経典を読んでいても仕方ない。僧侶はもっと勉強しなさい。チベットでは般若経の内容をさまざまに研究し、たくさんの注釈書がつけられてきて、その内容を吟味してきたのだ。

 「どこにでも仏がいる」という日本的な仏教思想は、神道の影響を受けた結果生まれたもので、純粋な仏教ではないと思う。」


●唯一文系の宗教学者の棚次正和先生

 「私は祈りの研究をしています。私は人間は三階建てであると思います。一階は物質、二階は瞑想や夢などによって到達できる心の領域、三階は時間的には永遠、空間的には無限な絶対的なもの。前の二つはこれに比べると相対です。私はこの〔絶対的なもの〕を学生に教える時、それは円の中心のようなものだと説明します。円の中心は目に見えないけどすべての存在の生み出される真ん中です。

 法王は今、二階から一階におりてきて科学者たちと話しをしているけど、科学者は一階にいながら二階の様子を知ろうとしているのだと思います。「二階で音がするけど掃除機をかけているのかな?」とか。だから、科学者も二階に上がって従来の方法で科学的に二階を研究する態度が必要だと思います。
 
DL「あなたに全面的に同意します。仏教では存在を、知覚できるもの、隠れたもの(論理的な推論によって存在が確かめられるもの)、最も隠れたもの(経験や推理の対象にならないもの)の三種類に分類する。

 最も隠れたものは、それぞれの地域に特有の霊性(local sprituality)と混交することもある。チベットでもシャーマンや仮面舞踊や音楽には仏教以前に古くからある地域の霊性が残っている。だから、ナーランダの伝統(つまり真実を論理によって明らかにしていくこと)に戻らねばならない。

 本当の対話とは、「私たちはここまでは同じだけど、ここからは違っている」というそのラインを明確化することだ。そのことによってかえって互いの関係はしっかりしたものとなる。お互いに差違があろうとも、互いを尊重し、互いから学ぶことによって、調和と対話が生まれるのだ。

 今まで科学は外にある物質を研究対象としてきた。これからは心を含めて研究対象にせねばならない。欧米とインドではすでにその試みははじまっている。

 人間性を平和に変えて行くには、力でも国連決議でもなく(シリアをみていても分かるだろう。国連は無力だ)、人が心の中に平和をはぐくむことだ。一人一人が心に平和をはぐくめばそれが家族に及び、国と国との関係にも及んでいく。

 われわれ年寄りは二十世紀の遺物だ。もうすぐこの世からバイバイするだけだ。二十一世紀は一人一人が心に平和をはぐくむような世界にせねばならない。それはわれわれ老人ではなく、ここにいる若い人たちの責務だ。

 かつて広島で開催された平和集会に参加したとき、みな平和を祈っていた。祈っているだけでは平和はこない。実際行動する(自らの心を平安にする修練をはじめる)ことによってしか平和は実現しない。

 怒りや嫉妬や執着といった悪しき性質を我々の心から取り除くだけではまだ足りない。、智慧を働かせて、分析的な瞑想(観)を行い心を陶冶していくのだ。

 禅宗のようにただ座っているだけではいけない。ちゃんと〔論理的な推論によって〕認識対象を分析しなさい。

 科学者こそ、この分析ができるはずである。宗教は個々の文化に根ざして発達してきたので、人類共通の普遍たりえない。しかし、良識・道徳・科学には人類に普遍的に語りかけることができるのである。」


●安田先生

「私は東北大学で教えているのですが、震災以後、学生たちが授業中居眠りをしなくなりました。私の話を涙を流す者すらいます。そしてアンケートをとってみると、彼らの大多数は「震災以後、死を意識しながら生きねばならない。他者の幸せのために生きることがほんとうの幸せだ」と答えるようになりました。彼らはある意味、二万人という犠牲者がでたことにより心が変わったのです。」

DL「われわれの住む宇宙は衝突していずれ終わる。始めがあれば終わりがある。だから論理的に言えばすべては死ぬ。だから、生きている間に何をするかが重要だ。意味のある生を生きるのだ。

 わたしはトップの科学者たちと対話してきたが、彼らは「地球規模の問題、すなわち人口増加、温暖化、経済などは人類に責任があるので人類が解決しなければならない」と結論づけた。口だけで「〜しよう」といって何もしない者はニセモノだ。あなた方も人類の一部なのだから、この問題について行動しなければならない。

 あらゆる問題を解決するには、若い世代を金や権力に価値をおいて育むのではなく思いやりの心を育むようにさせること、これが我々の達した結論だった。日本は戦後灰の中から立ち上がって驚異的な経済成長を遂げた。先端技術もいいけど、内面を修練することをせよ。そうすればアジアに貢献できるし、世界に貢献することもできるだろう。」


●下村満子(司会)「法王は科学者との対話は今まで欧米で2-30回やってきました。日本でやるのは欧米でやる場合と何か違いはありますか?」

DL「西洋には仏教の伝統がないため、仏教を背景にしたことをしゃべるとき躊躇し、仏教は宗教ではなく科学と断ったりせねばならない。しかし、日本は古い仏教国なのでそのような気を遣う必要はない。その点は幸せだ。日本人は潜在的に仏教徒なのだから、ただお経を唱えるだけでなく、その内容を分析しなさい。

 あとはそうだな。日本語は難しい。欧米ではわたしのブロークンな英語でも通じるが日本の科学者には私のブロークンな英語では通じないみたいだ。わたしはMind & Life Conferenceを欧米で開催してきたが、来年は是非日本でやりたい。
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COMMENT

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● 感謝
合田秀行 | URL | 2012/11/10(土) 01:21 [EDIT]
今回は、ほとんど内容を聞けなかったので、先生のレポートを拝読でき、とてもありがたいです。講談社から、本が出るようですが…。

高杉?先生となっていたのは、棚次正和先生です。村上先生と共著で「祈り」について対談されています。棚次先生には、私が大会長をしたトランスパーソナル心理学/精神医学会のシンポジウムで、お話し頂き討論しました。長いお付き合いの宗教学者です。

シラユキ | URL | 2012/11/10(土) 18:02 [EDIT]
>合田先生
ご教示ありがとうございました。
それと、献身的なサポート、本当に頭が下がります。先生が素晴らしいと生徒さんも良い行いをするようになるんですね。お疲れ様でした。
● 『詳しいノート』、すっごく読みたいです
とり | URL | 2012/11/15(木) 18:07 [EDIT]
こんにちは。
新潟市在住、とり と もうします。
講談社からご本が発売されるとは、今から、楽しみです。
また、東京では来春1月5日にTV放映もありますようで、、待ち遠しいです。

ところで、今ちょうど矢作直樹さんのご本『人は死なない。では、どうする?』を、図書館から借りて、読んでいるところなんです。興味深いです。

あつかましいお願いですが、『個別に連絡を』とおっしゃる『詳しいノート』、すっごく読みたいです。いただけませんでしょうか?。
● メール確認ください
シラユキ | URL | 2012/11/16(金) 00:28 [EDIT]
>とりさん
メールに先生方のお話ノートおこしを添付しました。ご確認ください。
● メールありがとうございます
とり | URL | 2012/11/16(金) 01:20 [EDIT]
早速のご送付、大大大感謝です。
すっごく嬉しくって、涙ぐんでしまいました。
まことに、ありがとうございます。

チベット密教、わからないなりに好きです。グリーンターラーさんになりたい。
● 始めまして。
Hirabayashi76 | URL | 2012/11/16(金) 13:57 [EDIT]
はじめまして。
不躾ではありますが、東北大大学院教授安田喜憲氏とダライラマ法王の問いに関しての質問です。
今年の講演は聴きに行く事ができなかったのですが、
私の手元にある『中外日報』11月13日(2)面では
「(ダライ・ラマ)法王は花に心はないとおっしゃるが、日本人はそうは考えない」安田喜憲•東北大大学院教授(環境考古学)は、花粉の化石から森林と文明の関係を読み解く自らの研究に触れ、遊牧など「動物文明」のチベット仏教に対し、森林に育まれた日本仏教は「植物文明」だと主張。ダライラマは「日本仏教はブッダの法と神道の考えが混然となったものでは」との見方をしめした。」
とあります。
貴殿のブログでの
「どこにでも仏がいる」という日本的な仏教思想は、神道の影響を受けた結果生まれたもので、純粋な仏教ではないと思う。」
というダライ・ラマ法王が日本仏教を純粋な仏教ではないと否定したという記述と齟齬がある様に感じるのですが。
貴殿のブログの過去の記事などでも暗に日本仏教を批判する記述がありますが、それはそれとしてダライ•ラマ法王がはっきりと日本仏教を否定したのかしないのかというのは大変な問題です。
私は過去になんどかダライ・ラマ法王の講演を拝聴していますが、チベット仏教があらゆる仏教の中でも非常に完成された仏教であるとの見解を示す事はあっても、他国の仏教を「純粋な仏教ではない」と断じる様な表現はする事はありませんでした。
インドでは感情/心のある生物(有情)と感情/心のない生物(無情)に分け、有情のみに仏性(悟りに至る性質)があると考える。
チベットへはインドから直接伝播した(ニンマ派などには中国仏教や道教の影響もあるが)ので植物を無情とみなしこころが無いとみなす。
日本仏教はインドから中国、中国から日本へと伝播した(厳密には最初期は朝鮮半島から)中国では道教の影響で植物の様な無情にも仏性があるとの見解が萌芽し、日本ではそれが神道的なアミニズム的世界観の元で決定的なものになる。
これらを踏まえないとダライラマ法王の
「私の属する仏教の流派が植物に心を認めないということだ。仏教には三つの流派がある。一つは東南アジアにつたわったパーリ仏典の上座部仏教、二つ目は中国・朝鮮・日本に伝わったサンスクリット仏典に基づく大乗仏教、それから三つ目がチベットに起こり、モンゴル(今は中国領内・ロシア領内・モンゴル共和国に三分割)に伝わったチベット仏教である。」
の真意を捉え損ねる様に思います。
私個人の見解でいえば、チベット仏教の神託官はチベットの土着な信仰と習合した風習であり、チベット仏教の中には明らかに土着のボン教の影響がある。
インドから中国に伝わり発展した禅宗には土着の道教の影響がある。上座部仏教でもタイの仏教の中には土着の精霊信仰が共存している。日本では神道と習合している。
それらを踏まえて、ダライ・ラマ法王の発言の
最も隠れたものは、それぞれの地域に特有の霊性(local sprituality)と混交することもある。チベットでもシャーマンや仮面舞踊や音楽には仏教以前に古くからある地域の霊性が残っている。だから、ナーランダの伝統(つまり真実を論理によって明らかにしていくこと)に戻らねばならない。
本当の対話とは、「私たちはここまでは同じだけど、ここからは違っている」というそのラインを明確化することだ。そのことによってかえって互いの関係はしっかりしたものとなる。お互いに差違があろうとも、互いを尊重し、互いから学ぶことによって、調和と対話が生まれるのだ。」

と強調されている点こそが、ダライ・ラマ法王の真意の様に思うのですが、いかがでしょうか。

シラユキ | URL | 2012/11/16(金) 20:41 [EDIT]
Hirabayashiさん
ご主旨がよく理解できません。わたしもメモ書きからおこしていますので、もし疑問点があるのでしたら、法王事務所にたぶん音記録があると思いますので、お願いしてその部分をご自分の納得のいかれまで丹念に調べてみてください。
 法王はその地域にあった教えはその地域の人にとってベストだと確かにいっています。だから、その地域の聖職者は信徒の道徳的なお手本にならねばならないとも。
● DLの語られたこと
G. Shoju | URL | 2013/01/12(土) 17:26 [EDIT]
最後のDLに対する質問として、「どのような題目について一番興味がありましたか?」との問いに対してバリ島でのトランスの研究が一番興味があったと確かおっしゃったと思うが、極めて興味あるお答えと思われた。
研究そのもの大変貴重だし、今回のような「対話」の中で取り上げられたことは意義深いど思われました。またこの「対話」は開催されるとのことでしたが、期待したいとおもいます。Jan. 12, 2013

n. | URL | 2015/07/05(日) 21:15 [EDIT]
こんにちは。矢作先生の命には続きがあるを読んでブログに辿り着きました。面白い討論会をしてますね!
昔DNAを研究している稲毛教授にDNAは日本と香港に一個づつ離して置いても話し合いながら、腕は一本か二本かとか話しあい細胞を再生するんだよ、と教えてもらいました。宮内庁で働く人のDNAの検査もしていていろいろな研究があるんだなと思いました。私もトランスには興味があって、一度声が二重に割れて、重低音と高音の声がでて、人間業じゃないな…と自分でビックリした時がありました。確かにそう思う自分がいて、喋ってるのは二宮の従兄弟みたいだなと感じました。
憑依しちゃダメだよね、と言って離れていきました。神道は確かにボン教みたいですが、途中仏教を学び聖徳太子から菩提心がなければ仏教でないと理解したから、菩提心がある人から日本にも仏教がありますよと説明して貰えば話は早いかなと思いました。白濱先生から是非お話しいただけたら早いですね。
2015.7.5

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