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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2012/03/13(火)   CATEGORY: 未分類
シンディとトモダチとハーディングが示したこと
 3月10日、一年ぶりに渋谷のオーチャドホールを訪れシンディ・ローパのコンサートを聴いた。その理由は去年に遡る。去年のこの時期のにブログにも記したように、一年前の原発パニックの最中、自分は渋谷で開かれたシンディのコンサートにいった。

 これはいろいろな意味でスゴイ体験だった。

 外国人はとっくに日本から逃げ出しており、下りの新幹線と西に向かう飛行機は乳幼児をつれた日本人の母親でごった返していた。そもそもこのコンサートのチケット自体、大阪に逃げた人から半額でゆずってもらったものである。

 あの日、計画停電で電車は鈍行しか走っておらず、ついた渋谷は節電でまっ暗。道は店内の電気の反射で照らされているのみなので、まわりに店のないハチ公前広場はマックラで、あやうく●ロを踏みそうになった。

 その時の自分の装備であるが、余震で電車が止まった時のことを考えて、カカトのない靴、厚着、ホッカイロ、歩いて帰る場合の地図、懐中電灯、カロリーメートまでカバンにいれていた。何しろひっきりなしに余震がある。

 ニュースで茨城空港や九段会館の天井がくずれるシーンを目の当たりにしていたので、柱のないホールの広大な空間に入るのが、正直とても怖かったのを覚えている。

 で、会場に入ると案の定席はガラガラ。本来の観客の多くはドタキャンしてどこかに逃げているのだろう。あの時、早稲田の文化構想学部のA先生も「逃走論」とかいって西に逃げたため、西●×と揶揄されていた。彼に限らず多くの小説家・知識人の先生方は西へ西へと逃げていた。

 しかし、開場間際となると当日券で入ってくる人により、ほぼ満員となった。見ると、デーブスペクターとか、湯川れい子とか複数の著名人が一階席の中央部に並んでいる。シンディの心意気に答えてチャリティーを行うために来ていたのであった。

 コンサートは忘れられないものとなった。このような状況下であえて一つの空間に集まったことにより、妙な連帯感のようなものが生まれていた。シンディ・ローパの曲はもともと非常にノリのよい曲なので、そのままで震災を忘れて元気がでる。

 True Colors

 悲しい目をしたあなた、
 落ち込まないで。
 わかっている、
 頑張るのは難しいこと。
 人々に満ちたこの世界で、
 あなたは先が見えなくなっている。
 あなたの中にある暗闇が
 あなたを小さくみせている。

 でも、わたしはあなたの本当の色が
 輝き出しているのが見える。
 あなたの本当の色がみえる。
 だから私はあなたを愛しているの。
 ためらわないで、あなたの本当の色を見せるのを。
 あなたの色は美しい。
 虹のように。

 とシンディが歌うと、会場は「ホント先が見えないよー」と思ったかどうか、みな涙ぐんでいた。

 最後は、シンディの先導でジョン・レノンの「人々に力を」(Power to the people)を全員で唱和。

 その時、「みんな元気を出して、来年もまた来るわ! 」と言ったら本当に一年後、やってきたのである。去年のお礼もかねて行かねばなるまい。

 今回シンディはコンサートの前に石巻の小学校も訪れていて、ヒット曲を謳い、桜の苗木をプレゼントした。オーチャード・ホールのコンサートの様子も、被災三県映画館で無料でライブ中継されたという。

 びっくりしたのは日本語で「忘れないで」という曲を絶唱し、彼女は被災地を、日本を忘れないと日本語で伝えたこと。

 トークでは時折声を詰まらせて、「泣かないわ」と気合いをいれるなど、つおいだけではなく、女性らしい細やかな雰囲気であった。

シンディは来日にあたってのNHKのインタビューでこう言った。

「世界ではさまざまな困難があり、どんな人も困難に直面するが、でもだからこそ、お互いがお互いのために存在しているし、お互いが支え合っていけば必ず困難は乗り越えられる」

 そして一年後の来日の動機について

「忘れていないと伝えたいのです。みんなにも被災地や子どもたちたちに何ができるか、私が来ることで思い出してほしいのです」

 これって、「世界は相互に依存しているから、自分が幸福になろうと思ったら、自分が不幸であることにばかりとらわれるのではなく、まず他者を思いなさい。」というダライラマの言葉にも通じる。

 外国人であるシンディが、あえて危険な日本に残ってコンサートを続けたのは、自分の元気をもらった人がもっと弱い立場にある人に手を貸すようにと示すためだったのだ。

 その翌日3/11に放映されたテレ朝の特番「3/11トモダチ作戦の全貌」(レンズが震えた! 3.11映像の証言 第4部)においてもシンディやダライラマと同じ精神を見た。

 3/11当日に、日本からの救援要請がないうちに、アメリカ軍の太平洋司令官は、中東に向けて航海中の空母ロナルド・レーガンをして日本に向かわせた。そして韓国から飛ばした偵察機により被害の甚大さを知ると、救援軍を派遣することを決定した。

 「放射能の危険があるが、行きたくない者は行かなくていい」といったが、誰一人任務につくことを拒否するものはいなかった。

 中でもロナルド・レーガン付きの黒い騎士団(Black Knight)というヘリ部隊はほれぼれするような救援活動を実行。津波で孤立した300人に水や食料を届けた。被災者はヘリを涙ながらに迎えていた。この時、被災地の多くで目撃された若いヘリ・パイロット、ナディアたんはもう天女状態である。

 3000人が住む孤立した島(気仙沼の大島)に上陸したアメリカ海軍もすごかった。強襲揚陸艦エセックスから兵士をのせた小型艇兵士を上陸させ(普通の船ではがれきだらけの浜辺に接岸できなかった)、たった6日で大島の港を片付けて、本土からの船が接岸できるようにした。

 最初は米軍を遠巻きにしていた住民も、若いアメリカ軍兵士ががれきを撤去する様をみると、その作業に一人加わり二人加わり、最後は一緒に港の復旧をはじめた。アメリカ兵は、住民たちの要望にこたえて食器類の内割れていないものを拾い集めるというような細かい作業まで行った。今、島で食堂を再開している夫婦は、その時兵士が広い集めた食器を使っている。

夫婦「もしこの食器がなかったら、食堂を再開する気にはならなかった。こうして拾い集めてもらったことで、店を再開するように励まされたような気がした」。

 アメリカ兵は島の人にもう一度がんばってみようという気力を与えていたのである。アメリカ軍が引き上げる日、島の人はみなで "Thank you very very much USA" と書いた横断幕をもって、手を振って名残を惜しんだ。言葉が通じないもの同士である。心が通じなければこのような笑顔の別れはなかっただろう

 震災直後ツイッターで「この地震はアメリカが日本に恩を着せるために起こしたものだ。だから、空母ロナルド・レーガンがあんなに早く日本に到着したのだ」と発言している人がいたが、地震で脳内にダメージを受けたにしてもアホな発言である。

 もちろん、アメリカ軍とならんで忘れてはならないのは自衛隊の奮闘である。「自分たちはこの国の最後の砦である。自分たちが引いたら後には何もない。自分たちが頑張るしかない」と言いながら、自衛隊員も危機の時に現れる人の美質を示した。「~論」とか理屈をいって西に逃げた人たちよりも、この素朴な自衛隊員の言葉の方が何倍も心に触れる。
 
 そして、シンディのコンサートから帰った晩、、「3.11のマーラー」というNHKドキュメンタリーが流れた。これは震災当日、行われた魂のコンサートの記録である。 

 これについては個人的に笑える話がある。何ヶ月か前、同僚の先生と帰り道が一緒になった。

私「震災の時、先生はどこで何してましたか?」

x先生「本震があった時は、編集の方と打ち合わせ中で、そのあとハーディングがマーラーの五番をふるっていうんで、隅田のホールに向かったんだけど」

私「ええ、震災当日コンサートがあったんですか?」

X先生「事務局に電話したらやるっていうんで、タクシーで向かったんだけど、渋滞に巻き込まれてとても時間内につかないと思って引き返した。そしたら律儀なもんで、6月にハーディングもう一度来日して再演したんだ」

私「震災当日、電車とまっていたでしょ? お客さん集まったんですか?」

x先生「それが根性で会場にたどりついた人が105人いたらしい。」

という震災当日に行われたマーラー五番の物語である。

イギリスの若き指揮者ハーディングが震災にあったのは、車でホールに向かう途中であった(ちなみにシンディは着陸直前なのであの揺れは体験していない)。

 ハーディング「地震になれているはずの日本人が動揺しているのを見て、ただ事でないと思った」。そして、新日本フィル事務局は「ホールの安全が確認できて、演奏の質が確保できるなら、一人のお客様のためでも演奏会やりましょう」と決断。

 とはいっても、93人の楽団員のうち、ホルン奏者の一人は、新橋で電車がとまって他に交通手段もないのでスカイツリーを目標に走っていた。ついた時は本番45分前。同じく気合いでホールに徒歩で向かった観客も途中道に迷ったりして大変だったようである。X先生も気合いで歩けば伝説のコンサートに行けたのに(笑)。

 ゲネプロ(リハーサル)の時には、楽団員は浮き足立っており、音はこわばっていた。しかし、ハーディングはいつも通り、何もなかったかのように皆のまえに現れた。「地震のない国から来たから、さぞや動揺しているかと思ったら、いつも通りでした」。悲惨な津波の映像をみた後で動揺していた団員の心は、ハーディングによって音楽に集中していく。

 ハーディングは後にこういった「こういう時には一人になってはいけない。演奏会をやれば人が集まる。音楽がそこにある。演奏会が終わればみな現実に戻るが、音楽が続いている間は、マーラーが、我々を暗闇から光が差し込む場所につれていってくれる。うまく演奏できたかどうかが問題ではない。大切なことは聴衆も演奏者も音楽を必要としたあのときに、音楽を演奏できたことです。そこに価値があったのです。」

 団員の数は93人、お客さんの数は105人。この晩の演奏は楽団員も観客も口をそろえて「特別だった」という神の降りたものであった。マーラーの五番って、とくに第四楽章があのルキノ・ヴィスコンティ監督の 「ベニスの死す」のハイライトで使われた、心に触れる美しい楽曲である。シンディのコンサートから類推しても、余震の続く3/11の当日に行われたコンサートはそりゃスゴかっただろう。みな自分のいろいろな思いを演奏に入れたから、うまいヘタを超えたハンパでない音がでたのである。

 「音楽は苦しんでいる人の苦しみを理解する助けになります。マーラーを聞いたことにより、被災した人たちの痛みをより理解できるのではないでしょうか。」(ハーディング談)
 これ、本質的にはシンディと同じことを言っている。

 人は地獄を見るといろいろな反応をする。多くは自分と自分の延長にあるものだけを考えて、うろたえて逃げる、無気力になる、不安を怒りにかえるなど、ネガティブな行動に走る。

 しかし、「最後の砦」自衛隊や、トモダチ作戦のアメリカ軍や、シンディや、ハーディングは違った。逃げても、止めても誰にも責められないような状況下で、あえて「自分のできること」を決行することを通じて、魂の錬金術をみせてくれたのである。ちなみに、ダライラマもその後、震災の49日法要でこの錬金術をみせてくれた。

 彼らが口にすることはみな同じである。「自分の力を他人のために使いなさい。世界は依存しあって存在しているのだから、他者を思うことは、自分の幸せにもつながることなのだよ」ということ。苦難に直面するからこそ、人は人を思う。人の心は鉄から金になることもある。地獄と天国は実は次元の違う隣り合わせである。

 思えばこの震災を境に、政府・報道・官僚・知識人・市民運動はその未熟さ・機能不全を示して信用を失墜した。一方、自衛隊、アメリカ軍、英米人気質からは教えられることが多かった。しかし、自衛隊、アメリカ軍、英米人気質のすべては、戦後日本の知識人が極端なまでに排除してきたものである。傍観者の立場から、既成の社会を批判しまくるにもかかわらず、批判・排除しているものに支えてもらっているという状態は、思春期の子供と同じである。この過渡期の不安定さを戦後60年も続けてきたわけだから、そりゃ日本全体が病むのも当然の理であった。

 震災当時「公のために我慢することを賛美することは軍国主義の始まり」という極端な主張のもとに、自分のことだけを考えろ、というネガティブな言動が限りなく蔓延した(今もそれを続けている人はいる)。しかし、ここで問いたいのだが、困っている人のためにエゴを押さえること、任務を誠実にこなす人を賞賛すること、社会に貢献することなどを非難する真っ当な理由がどこにあるのか。

 誰もが社会貢献、自立の努力などの市民の義務を果たさず、ただ権利ばかりを主張するようになれば、早晩その社会は崩壊する。たとえば、あの震災の時、みなが自分のことだけ考えて現場から逃げだしていたら、自衛隊やお医者さんやアメリカ兵が逃げだしていたら、死傷者数はもっと増えただろう。

 もちろん人には逃げる自由もあれば、不安や不満を表明する自由もある。とくに逃げることが普遍的な意味をもつ場合は、社会に訴えることもアリだと思う。たとえば、障害者を世話している人が、「自分一人ではこの子たちを救えない、助けて」みたいな場合はこれにあたる。しかし、ただ〔根拠なく起きる〕心の不安を原因とするネガティブな言動は、個人的な問題なので、回りに賛同を求めてはいけないし、周りもその内容に振り回されるべきではない(ただし、こういう人には心のケアは必要である)。

 震災一周年にあたって強く思ったことは、震災を契機に、日本社会も思春期を脱して責任ある大人になる努力をはじめる時がきたということ。旧来の価値はすべて再検討をし、残すべきものは残し、捨てるべきものは捨てる。そして自らがこうあるべき社会の姿をもっているのなら、ただ既存の体制を批判して誰かを動かす、という人任せではなく、個々人が自ら責任ある関わり合い方をすること。能力があるなら、その能力を提供すればいいし、能力がないのなら能力のある人をサポートすればいい。

3月10日のチベット蜂起記念日については次のエントリーで。
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COMMENT

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● ありがとうございました。
イケヤ | URL | 2012/03/14(水) 13:41 [EDIT]
素晴らしいエントリーを読ませていただき、ありがとうございました。読んでちょっと泣いてしまいました。
● 感激しました!
Stevie | URL | 2012/03/14(水) 17:54 [EDIT]
イケヤさんのブログからたどり着きました。
これを素晴らしいと言わずに何を素晴らしいと言うのでしょう。
私も泣きました。
シェアさせていただきます。

嶺のシラユキ | URL | 2012/03/14(水) 18:42 [EDIT]
>Steiveさん
ありがとうございます。もしミュージシャンの方でしたら拙著『世界を魅了するチベット』では、フリーダム・チベタン・コンサートなどチベットを支援する世界のミュージシャンについて触れています。どこかで手に取って頂ければと思います。
● 管理人のみ閲覧できます
| | 2012/11/20(火) 13:41 [EDIT]
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● 震災当日の音楽家たち、一年後に来日したシンディ・ローパーについてのブログのご紹介。
ほぼ週刊イケヤ新聞ブログ版 2012/03/14(水) 13:40
白雪姫と七人の小坊主達 http://shirayuki.blog51.fc2.com/blog-entry-604.html あまりに素晴らしい内容なので、 みなさんと共有したく、リンクを張ります。 ぜひご覧ください。 震災当日の音楽家たち、 一年後にちゃんと日本に来て「震災を忘れないで、私は忘れ...  [続きを読む]
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