チベット旧社会に学べ
毎日のように続く真っ白な猛暑日、ジブリ映画の封切り、蝉がなきはじめ、いよいよ夏休みである。
ゲストハウスで寝泊まりしていて住所不定の院生のMは、夏休みに入ると習性で長い旅にでる。
その際、これまではゲストハウスをまるめこんで荷物をおかせてもらっていたらしいが、今年はゲストハウスはお客さんで一杯で、荷物をおけるような状況でないらしい。
そこで、自転車はH君のいえ、洋服類はKの家、チベット関係の本は私の研究室へと勝手に決めて、荷物の移動をはじめた。ここまで荷物が増えたのなら、もうゲストハウス暮らしはムリである。迷惑だからどこかに部屋借りろ。
とはいっても、院生Mはあまりにも自己中心的な性格であるため、「面倒臭い」の一言ですべての思考を停止する。この性格は至る所で物議をかもしており、Mに迷惑をかけられた人々の不満はいきおい躾をしない私に向けられる。
躾をしないのではなく、できないのである。
Mは自分にとって役に立つこと以外はすべて耳に入れないので、忠言なんかが耳に残るはずもない。長い目でみればまわりの意見を聞かないのは、彼にとってのデメリットなのに、そこに気づかないところがアホである。とにかくどんな生き方をしてもいいが、人に迷惑をかけることだけはやめてくれ。ああ、世間の親の気持ちが少しだけ分かってきた。
夏休みに入ると、何年か前までは「これで研究ができる」と嬉しいだけだったが、ここ数年夏の暑さに体が負けるので、梅雨が明けると気が重い。
入道雲を見上げて夏休みの入りを喜んだ、あのパワフルな小学生時代が懐かしいわい。
この時期とにかく余りに暑いので、我が家の妖精さんたち(オカメインコ、セキセイインコ、猫)の熱射病が心配。温度計と湿度計をにらみながら、少しでも涼しい部屋に移動させる。そして、どうしようもない温度に達すると除湿をかけた部屋にお入り頂くこととなる。
おかげで、宅配の人が、「エアコンついていたので在宅だと思って、何度もベルをならしました」と恨みがましくいうことになる。
本当はこんな非エコをしたくないのだが、妖精さんたちの命をまもるためには仕方ない。無精な私にしては珍しく、妖精さんたちの部屋の窓にゴーヤでエコカーテンをつくりはじめたのだが、いかんせんはじめたのが梅雨明けからなので、殺人光線をはばむほどのボリュームはいまだない。
こんなクソ暑いのも人間が六十数億も増えすぎて、森林を伐採して、エアコンぼーぼーつけるからである。いい加減もう成長とか、発展とか、開発とか、消費とか、何かしてくれ、何かちょうだい、削減するなら文化教養部門、とかいう、一人一人の価値観を改める時に来ていよう。
ではどう変えればいいのか。そう五十年前のチベットを手本にできるだけそこに近づいて行く努力をするのだ。かつてチベットでは成人男性の三割は僧院にはいって生涯を独身で過ごし、残る社会生活を営む人々も姉妹は一人の夫を、兄弟は一人の妻を共有していた。一世代の結婚を一組にして人口爆発と資産の分割を防ぎ、人口を一定数に保ってきたのである。
チベットの僧院は一握りの天才とそれを支えるその他大勢の善良な人々によって構成される。勉強におちこぼれた人は僧院内の様々な仕事をこなして、それ以外の時はマントラ唱えて精神修養に励んでいきるので、社会にでて結婚や事業に失敗して孤独死することを考えたらずっと幸せな日々である。
今の社会だったら、ニートとかひきこもりになっている人とかも、居場所を見つけることができるし、僧院は修業と学習の場だから、就職にあぶれたオーバードクターも衣食住の心配をすることなく生涯研究が続けられる。
80年代につくられたBBCのドキュメンタリー・フィルムを見ると、イギリス人でギャンツェに滞在していたヒュー・リチャードソンも、ラサに亡命してきたオーストリア人のハインリッヒ・ハラーも、「チベットは完全に中世社会であり、物質的には遅れているが、組織化は周到に行き届いており、高度に洗練された完成された社会だ」と賞賛を惜しまない。
実際、そのカラーフィルムにうつる1930年代から59年までの間のチベット人は乞食から貴族にいたるまで、みな楽しそうに笑っている(チベット人は善行を積むために乞食に布施をしまくるので、乞食が楽して生きられた 笑)。チベット人は仏教徒なので虫一匹殺さないようにつとめるため、高原にも豊かな森にも動植物が満ちあふれていた。
虫一匹殺さないように生きてきたそのチベット人は1950年以後、中国によって虫のように殺されていった。イギリス人が精神的に進んだ豊かな社会とみたチベットは、共産主義の中国人には「遅れた化石のような社会」とさげすむべき対象として映ったのである。
さげすまれるべきは、この物質の発展を至上とする近代社会であろう。
ダライ・ラマがいつも次のようにおっしゃっている。「科学の発展は人間の苦痛を取り除いてきたので、否定するべきものではない。しかしこの社会に、自制、道徳、精神の陶冶などというものが加わることによって、より人は幸せに生きられるのではないか。」
この外に向かって求めすぎる心を、自分の内に向けて自分の問題に気づく時、この行き詰まった社会にも一筋の光明がさしこんでくることになるのである。
ゲストハウスで寝泊まりしていて住所不定の院生のMは、夏休みに入ると習性で長い旅にでる。
その際、これまではゲストハウスをまるめこんで荷物をおかせてもらっていたらしいが、今年はゲストハウスはお客さんで一杯で、荷物をおけるような状況でないらしい。
そこで、自転車はH君のいえ、洋服類はKの家、チベット関係の本は私の研究室へと勝手に決めて、荷物の移動をはじめた。ここまで荷物が増えたのなら、もうゲストハウス暮らしはムリである。迷惑だからどこかに部屋借りろ。
とはいっても、院生Mはあまりにも自己中心的な性格であるため、「面倒臭い」の一言ですべての思考を停止する。この性格は至る所で物議をかもしており、Mに迷惑をかけられた人々の不満はいきおい躾をしない私に向けられる。
躾をしないのではなく、できないのである。
Mは自分にとって役に立つこと以外はすべて耳に入れないので、忠言なんかが耳に残るはずもない。長い目でみればまわりの意見を聞かないのは、彼にとってのデメリットなのに、そこに気づかないところがアホである。とにかくどんな生き方をしてもいいが、人に迷惑をかけることだけはやめてくれ。ああ、世間の親の気持ちが少しだけ分かってきた。
夏休みに入ると、何年か前までは「これで研究ができる」と嬉しいだけだったが、ここ数年夏の暑さに体が負けるので、梅雨が明けると気が重い。
入道雲を見上げて夏休みの入りを喜んだ、あのパワフルな小学生時代が懐かしいわい。
この時期とにかく余りに暑いので、我が家の妖精さんたち(オカメインコ、セキセイインコ、猫)の熱射病が心配。温度計と湿度計をにらみながら、少しでも涼しい部屋に移動させる。そして、どうしようもない温度に達すると除湿をかけた部屋にお入り頂くこととなる。
おかげで、宅配の人が、「エアコンついていたので在宅だと思って、何度もベルをならしました」と恨みがましくいうことになる。
本当はこんな非エコをしたくないのだが、妖精さんたちの命をまもるためには仕方ない。無精な私にしては珍しく、妖精さんたちの部屋の窓にゴーヤでエコカーテンをつくりはじめたのだが、いかんせんはじめたのが梅雨明けからなので、殺人光線をはばむほどのボリュームはいまだない。
こんなクソ暑いのも人間が六十数億も増えすぎて、森林を伐採して、エアコンぼーぼーつけるからである。いい加減もう成長とか、発展とか、開発とか、消費とか、何かしてくれ、何かちょうだい、削減するなら文化教養部門、とかいう、一人一人の価値観を改める時に来ていよう。
ではどう変えればいいのか。そう五十年前のチベットを手本にできるだけそこに近づいて行く努力をするのだ。かつてチベットでは成人男性の三割は僧院にはいって生涯を独身で過ごし、残る社会生活を営む人々も姉妹は一人の夫を、兄弟は一人の妻を共有していた。一世代の結婚を一組にして人口爆発と資産の分割を防ぎ、人口を一定数に保ってきたのである。
チベットの僧院は一握りの天才とそれを支えるその他大勢の善良な人々によって構成される。勉強におちこぼれた人は僧院内の様々な仕事をこなして、それ以外の時はマントラ唱えて精神修養に励んでいきるので、社会にでて結婚や事業に失敗して孤独死することを考えたらずっと幸せな日々である。
今の社会だったら、ニートとかひきこもりになっている人とかも、居場所を見つけることができるし、僧院は修業と学習の場だから、就職にあぶれたオーバードクターも衣食住の心配をすることなく生涯研究が続けられる。
80年代につくられたBBCのドキュメンタリー・フィルムを見ると、イギリス人でギャンツェに滞在していたヒュー・リチャードソンも、ラサに亡命してきたオーストリア人のハインリッヒ・ハラーも、「チベットは完全に中世社会であり、物質的には遅れているが、組織化は周到に行き届いており、高度に洗練された完成された社会だ」と賞賛を惜しまない。
実際、そのカラーフィルムにうつる1930年代から59年までの間のチベット人は乞食から貴族にいたるまで、みな楽しそうに笑っている(チベット人は善行を積むために乞食に布施をしまくるので、乞食が楽して生きられた 笑)。チベット人は仏教徒なので虫一匹殺さないようにつとめるため、高原にも豊かな森にも動植物が満ちあふれていた。
虫一匹殺さないように生きてきたそのチベット人は1950年以後、中国によって虫のように殺されていった。イギリス人が精神的に進んだ豊かな社会とみたチベットは、共産主義の中国人には「遅れた化石のような社会」とさげすむべき対象として映ったのである。
さげすまれるべきは、この物質の発展を至上とする近代社会であろう。
ダライ・ラマがいつも次のようにおっしゃっている。「科学の発展は人間の苦痛を取り除いてきたので、否定するべきものではない。しかしこの社会に、自制、道徳、精神の陶冶などというものが加わることによって、より人は幸せに生きられるのではないか。」
この外に向かって求めすぎる心を、自分の内に向けて自分の問題に気づく時、この行き詰まった社会にも一筋の光明がさしこんでくることになるのである。
COMMENT
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| | 2010/07/26(月) 11:44 [EDIT]
| | 2010/07/26(月) 11:44 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
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eri | URL | 2010/07/27(火) 23:46 [EDIT]
eri | URL | 2010/07/27(火) 23:46 [EDIT]
妻の共有、夫の共有も視点を変えれば奇異には映らないのですね。
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シラユキ | URL | 2010/07/28(水) 18:28 [EDIT]
シラユキ | URL | 2010/07/28(水) 18:28 [EDIT]
>モモさん
テクノロジー・アセスメントについて詳しいわけでないのでよくわかりませんが、たぶんそうです。
>eriさん
私は僧院に入ります(笑)。そいえばモンゴルでは夫なきあと、その妻は次の家長に全部嫁ぐという嫂婚制もありました。
テクノロジー・アセスメントについて詳しいわけでないのでよくわかりませんが、たぶんそうです。
>eriさん
私は僧院に入ります(笑)。そいえばモンゴルでは夫なきあと、その妻は次の家長に全部嫁ぐという嫂婚制もありました。
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