「解放」言説のまやかし
日曜日、ブログラムが面白そうだったので第八回目になる文京区民センターで行われているチベット勉強会に行く。プログラムはこの通り。
(1)特別講義「“チベット解放”の言説をめぐって」講師:大川謙作
(2)映像『チベット〜失われた世界 II』(イギリス制作)
(3)特別文化講義「チベットの芸能と民族楽器」講師:小野田俊蔵・テンジン・トゥンドゥップ[チベット漫談・歌手]
(4)最新チベット情報「 ジェグド大地震~今 私たちにできること~」進行:長田幸康
(1) 大川さんは新進気鋭の学者さん。論点は二つあり、最初のは中国がよく口にする「チベットを解放してやった」というその解放の対象が、自分たちの都合でころころ変わっているということ。
具体的には最初は帝国主義・国民党からの解放といってダライ・ラマ政権を批判していなかったにもかかわらず、ダライ・ラマが1959年に亡命したとたんに、旧体制を批判しはじめて、封建社会からの解放とか言い出したこと。日本において必要なくなった大型公共事業などを継続する時に、お役人様が後つけの理屈をひねりだしていくがアレと同じ。公共事業のゴリ押しでは人は死なないが、中国様によるチベット侵略の既成事実化は、大量の人の死と文化財の破壊をもたらし、洗練されたひとつの文明を終わらせようとしている。
大義なきチベット侵略をいい加減反省してくれませんかね。
後半の論点は、農奴制について。農奴という言葉は漢語からの直訳で、チベットに伝統的にある言葉ではミセーという。しかし、チベットでは広大な土地に人がちょっとしか住んでいないため、慢性的労働力不測のチベッとにおいてミセーの立場は強い。また、ミセーが出家すれば、僧院の中での出世も可能だし、僧官になれば高級官僚にもなれるので、まったく職業選択の自由がないわけでもない。また、ミセーはネパール人、在チベット四川人、いすらーむや酒屋のオヤジなども含む広い概念、という。
中立的・学術的にチベットの近現代史に取り組む若い世代の学者がでてきたことはとてもいいこと。これからも末永く活躍してほしい。
(2) 次はイギリスが撮影した旧社会のカラーフィルム。お坊さんは今と同じだけど、貴族のヘアスタイルとか装束とかが伝統的なものでしびれるう。つか、法王若い。うちの院生Mにかぶってみえる。でも院生Mはまったく修行していないから、法王と同じ年になっても似ても似つかない大人になるんだろうなあ。
(3) 歌って踊れる大学教授小野田先生の解説とともに、在豊橋のチベット人、タシ・トンドゥプさんによる、チベット漫才。小野田先生が漫才のテクストを和訳してくだっさいるので大体の内容はわかる。これがクチが悪くて面白い。古典落語をこよなく愛する自分は何かとてもこの芸能に心奪われるところがあった。この芸人さん、日本語流暢になったら吉本でられるよ。
(4) ギグド大地震、今私たちにできること。
Tibetan Village Projectという欧米のNGOが震災後十日にとった映像をまずみる。現地は爆撃の後みたい。地震から数ヶ月たったいまは、寒くてコンクリートが固まらない冬がくる前に、あるいはチベット人に対する虐待をまわりからあれこれいわれないように、中国政府はものすごい速さで瓦礫を片付けて、今中心地は更地になっているという。古い町なので土地の権利関係がはっきりしないため、土地は強制収用しているとのこと。
地震から一ヶ月は医療費がタダだったらしいが、その後は有料になったため、当然けが人は病院にかかることができないという。被災地域は広大だが街中に支援は集中し村レベルには届いていない。「救災」の青いテントは一家族にいっこと決まっているので家族の多いチベット人の実情にあっていないそうな。
たくさんのNGOが現地に入っているが、当局は現地に入った人を把握していて、その情報を外にもらすことをとても気にしているという。で、そんな状態なので、かくかくしかじかのルートを使って支援金を届けます、とはっきりいえません。しかし、集めたお金はかならず現地に届くようにしますので、カンパお願いします、とのこと。
余談になるが、自分はパソコンでノートとるので、バックライトがジャマにならないようにと一番後ろの席に陣取り、後ろにだれもいないのをいいことに、首のストレッチとかしていたら、ひょっと後ろをみたら、歌って踊れる大学教授が出番が終わって補助いすにすわっていらした。・・・・。
恥ずかしかった。
(1)特別講義「“チベット解放”の言説をめぐって」講師:大川謙作
(2)映像『チベット〜失われた世界 II』(イギリス制作)
(3)特別文化講義「チベットの芸能と民族楽器」講師:小野田俊蔵・テンジン・トゥンドゥップ[チベット漫談・歌手]
(4)最新チベット情報「 ジェグド大地震~今 私たちにできること~」進行:長田幸康
(1) 大川さんは新進気鋭の学者さん。論点は二つあり、最初のは中国がよく口にする「チベットを解放してやった」というその解放の対象が、自分たちの都合でころころ変わっているということ。
具体的には最初は帝国主義・国民党からの解放といってダライ・ラマ政権を批判していなかったにもかかわらず、ダライ・ラマが1959年に亡命したとたんに、旧体制を批判しはじめて、封建社会からの解放とか言い出したこと。日本において必要なくなった大型公共事業などを継続する時に、お役人様が後つけの理屈をひねりだしていくがアレと同じ。公共事業のゴリ押しでは人は死なないが、中国様によるチベット侵略の既成事実化は、大量の人の死と文化財の破壊をもたらし、洗練されたひとつの文明を終わらせようとしている。
大義なきチベット侵略をいい加減反省してくれませんかね。
後半の論点は、農奴制について。農奴という言葉は漢語からの直訳で、チベットに伝統的にある言葉ではミセーという。しかし、チベットでは広大な土地に人がちょっとしか住んでいないため、慢性的労働力不測のチベッとにおいてミセーの立場は強い。また、ミセーが出家すれば、僧院の中での出世も可能だし、僧官になれば高級官僚にもなれるので、まったく職業選択の自由がないわけでもない。また、ミセーはネパール人、在チベット四川人、いすらーむや酒屋のオヤジなども含む広い概念、という。
中立的・学術的にチベットの近現代史に取り組む若い世代の学者がでてきたことはとてもいいこと。これからも末永く活躍してほしい。
(2) 次はイギリスが撮影した旧社会のカラーフィルム。お坊さんは今と同じだけど、貴族のヘアスタイルとか装束とかが伝統的なものでしびれるう。つか、法王若い。うちの院生Mにかぶってみえる。でも院生Mはまったく修行していないから、法王と同じ年になっても似ても似つかない大人になるんだろうなあ。
(3) 歌って踊れる大学教授小野田先生の解説とともに、在豊橋のチベット人、タシ・トンドゥプさんによる、チベット漫才。小野田先生が漫才のテクストを和訳してくだっさいるので大体の内容はわかる。これがクチが悪くて面白い。古典落語をこよなく愛する自分は何かとてもこの芸能に心奪われるところがあった。この芸人さん、日本語流暢になったら吉本でられるよ。
(4) ギグド大地震、今私たちにできること。
Tibetan Village Projectという欧米のNGOが震災後十日にとった映像をまずみる。現地は爆撃の後みたい。地震から数ヶ月たったいまは、寒くてコンクリートが固まらない冬がくる前に、あるいはチベット人に対する虐待をまわりからあれこれいわれないように、中国政府はものすごい速さで瓦礫を片付けて、今中心地は更地になっているという。古い町なので土地の権利関係がはっきりしないため、土地は強制収用しているとのこと。
地震から一ヶ月は医療費がタダだったらしいが、その後は有料になったため、当然けが人は病院にかかることができないという。被災地域は広大だが街中に支援は集中し村レベルには届いていない。「救災」の青いテントは一家族にいっこと決まっているので家族の多いチベット人の実情にあっていないそうな。
たくさんのNGOが現地に入っているが、当局は現地に入った人を把握していて、その情報を外にもらすことをとても気にしているという。で、そんな状態なので、かくかくしかじかのルートを使って支援金を届けます、とはっきりいえません。しかし、集めたお金はかならず現地に届くようにしますので、カンパお願いします、とのこと。
余談になるが、自分はパソコンでノートとるので、バックライトがジャマにならないようにと一番後ろの席に陣取り、後ろにだれもいないのをいいことに、首のストレッチとかしていたら、ひょっと後ろをみたら、歌って踊れる大学教授が出番が終わって補助いすにすわっていらした。・・・・。
恥ずかしかった。
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● チベットの芸能やら「チベット解放」の言説をめぐってやら
YTR3320 2010/07/25(日) 22:39
YTR3320 2010/07/25(日) 22:39
2010年7月18日に「第9回チベットの歴史と文化学習会ージェグド復興支援学習会~今、わたしたちにできること」に参加した。学習会のポイントは、早稲田大学の石濱裕美子教授があっという間にブログに書いておられた。
http://shirayuki.blog51.fc2.com/blog-entry-476.ht... [続きを読む]
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