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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2008/12/06(土)   CATEGORY: 未分類
「不幸の受容」≠「諦念」
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 とある学生からメールがきた。

 曰く、卒業論文で視覚障害をテーマに扱うつもり、で、『ブラインドサイト』とというドキュメンタリー映画とその映画の主演である西ドイツの女性の著作をみたら、チベットでは視覚障害者が「前世の業によってこうなった」と言われて、ベッドにくくりつけられたりして差別されているという。こういう俗説(前世の業のことか?)があるのか。あるとしたら、どうしてこのような俗説が発生してしまったのか。チベットでは他の障害に比べて視覚障害に関する特別な見方があるのか、という内容で、質問形式になっていた。

 どうも、この質問事項をみる限りでは、「チベットの俗説=障害者差別」という先入観がまずありきで、私にその=部分の内容説明をさせようとしているような、カンジ。

 そもそも、このようなテーマで卒論を書きたいのであれば、まずチベット仏教を勉強して、その何たるかを理解した上で、そこからでてきてしまう「俗説」なるものを定義するのが、正道であろう。専門家に聞いてすませて論文ができるのなら、アメリカ政治学で卒論書く学生が、ブッシュ大統領に直メールうって、「あなたはこのような政策をどのような意図で行ったのですか」と聞くのかい。
 
 で、この『ブラインドサイト』という映画を見ていないので調べてみると、視覚障害者の西ドイツの女性が、ヒマラヤの麓の視覚障害者の子供たちが差別されているのを見て、盲学校をつくり、彼らに「何事もなしとげられる」ということを教えるために、ヒマラヤの山(エベレスト?)にのぼる、というドキュメントらしい。

 うーん、微妙。
 視覚障害者に点字などを教えて世界を広げさせる、というその行動は素晴らしいと思う。しかし、登山については異論がある。登山は西洋人のもちこんだスポーツである。多くのチベット人にとって、高山は神の宿るものであり、崇拝の対象である。そのまわりを巡礼することはあっても、昇るということに人生の意義を見いだすことはなく、ましてや、障害を克服するための道具として用いることなどない。西ドイツの視覚障害の子供なら、そのような導き方でもいいけど、チベット社会の中でいきる子供たちに欧米的な価値観をうえつけることが必ずしも彼らの幸福につがるかどうかは微妙である。

 インド思想には輪廻思想というものがあり、仏教もそれをとりいれて、人は始まりのない昔から輪廻していて、現在のこの自分とその環境は、過去の言葉と心と体によって行った行動の結果であるとみる。

 しかし、この思想は決して差別のための思想ではない。それどころか、すべての生き物は始まりのない昔から輪廻を繰り返しているのだから、みなかつて母であったことがある。だから、すべての生き物を母のように慈しむべし、というテーゼを導きだすのだ。だから、仏教徒は、生を受けると、できるだけ生き物を害さないようにし、貧しいものに優しく、病のものをいたわろうとする。

 昔、ダラムサラの巡礼路に病気の牛がいたが、通りすがりの巡礼者がみなその牛の病苦を思いやって手を合わせ、西洋人の尼さんが牛に薬をぬったりしていた。障害のある人に「過去の業だからそうなった」などと非難するようなことをいい「ベッドにくくりつける」などということは、言葉と体と心によって悪い行いを積むことになるから、仏教思想によっても否定さるべきことである。

 かりに、この西ドイツの女性が見聞きしたような虐待行為がどこかで行われていたとしても、それはそれを行っている家の経済状態や人間関係によるものであり、輪廻思想が原因で虐待されているわけではない。

 豊かな国であっても、人格に問題のある両親のもとに生まれれば、その子供は虐待されるし、かりに貧しい国であっても、人格者の家に生まれれば障害があろうが何だろうが、幸せに生きられるだろう。
 

 「~しない」「~できない」理由はあとからつくものである。その論理は、国や時代によって異なるが、それ自体が原因ではない。虐待や差別を「されている」あるいは「している」根本的原因は「〔障害や貧困などの〕不幸を受け入れることのできない〔自分や他人の〕意識」に問題がある。

 チベット人がこのとてつもない怒濤の世紀を何とか生き延びてこれて、しかも、大半のチベット人が楽天的に生きてこれたのは、仏教思想の力によって、世界を愛し、「目の前にある不幸」から逃げず、それを受け入れる力があったからである。

 欧米思想に毒された我々からは少々暢気すぎるように見えようとも、彼らはこの半世紀、何とか自分たちの文化を維持し、そればかりか世界の人々にまでその文化をおすそわけしてくれている。

 何かと今の自分に不満をもつ我々が、誰一人幸せにできないどころか、自分すら不幸にしているのとは大違いである。

 彼らが「不幸を受け入れる」とき、それは「現状を変革する」ことを諦めたことを意味しない。

 たとえば、ダライラマ法王は今もポーランドを訪問され、ワレサ元大統領と会談している。ワレサはカソリックの信仰によってソ連を崩壊に導いた連帯の指導者である。

 法王は諦めたことなど一度もない。この半世紀ずっと闘っていらっしゃるのである。

 「不幸な現状を受け入れる」ことは仏教徒にとって、負けでも諦めでもない、ダライラマ法王はこの不幸を自らの修行の機会ととらえ、中国に感謝しながら生きている。そして何度でも人の役に立つ姿に生まれ変わりたいといっている。

 仏教思想を、障害をもつものや貧しいものに現状を肯定させる悪しき差別思想、などと決めつけている人がいるとするなら、そういう人には物事の見方をかえて、もっと豊穣な世界に目を向けて欲しいとおもう。
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COMMENT

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ゆず | URL | 2008/12/06(土) 23:59 [EDIT]
確かにそう思います。インドに行った事がありますが、インドには悪名高いカースト制度がありました。もちろん、今はインドの憲法ではカーストを認めてません。でも、インド独立の父のガンディーはカーストを否定してない。むしろ、カーストは必要だと言っています。今でも身分差別はインドから消えていません。よく考えたらカースト制度モドキは世界中にあったわけで、日本にも士農工商という身分制度がありました。いくら民主主義だ、差別はいけない、平等なんだといわれてても、身分の低い人・差別はどの社会にも存在するし、必要なんですね。汚物処理や屠殺など皆が嫌がる仕事でもしている人がいるから、社会が成り立っている。チベットだけが特別なんじゃない。みんな同じ人間だから、考えてる事はどの社会でも変わらないと思います。もちろん、差別を無くすよう努力する事は大事だと思いますが。
● ユラと神奈備山
PENBA YAKDU | URL | 2008/12/07(日) 01:43 [EDIT]
 このドイツの方、少しおせっかいというか勉強不足だったかもしれませんね。チベットの子供たちに「なせばなる」を体験させるのならエベレストはちょっとピントはずれで、カイラスかカワカブの巡礼(コルラ)の方がよほど自信となったと思いますね。

 ただ登山がすべてだめということもないようで、ラサ近くのプンバ・リ(壺の山の意でしょうか)はダライラマ法王の誕生日に山頂に登って御参りする山のようです(最近政府に禁止されたそうです)。コンボ地方のとあるユラ(産土神の山)に登って良いかと村の古老に聞くと、「どうそ、登ってやって下さい」というので、変だなと思いつつ登ると、雪山だというのに山頂にタルチョがありました。ここは遠くに仰ぐ別の神山の礼拝所のようになっていました。
 また、日本の神山も古代は登っちゃだめだったようで、古代出雲の神奈備山は拝むものでしたが、その後の宗教感の変化で登って巡礼するようになったようです。

 西洋人には「魔の山を征服する」という野蛮な発想がまだあって、今だに謙虚さが足りんのです。

バカボン | URL | 2008/12/07(日) 10:31 [EDIT]
お手軽気分で、卒論の情報収集している学生をちょいと注意と思っていましたら・・・後半の文章は、しっかりと返答するって、さすが教育者。

domino | URL | 2008/12/07(日) 15:23 [EDIT]
このドイツ人女性が学校を作るまでの本を読んだことがあります。いいことをしているとは思うんですが、さすがにエベレスト登山は行き過ぎだろう~と思います。たしかラサのチベット貴族の方のお家を学校にしていたはず。子供たちがいまも元気で過ごしていることを願うばかりです。
● 管理人のみ閲覧できます
| | 2008/12/08(月) 00:53 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
● ラサの盲学校
Lhadom | URL | 2008/12/08(月) 19:29 [EDIT]
私はラサで、この女性に会いこの盲学校を見学させて頂きました。彼女は日差しの下に長時間赤ちゃんをおきっぱなしにすると、目が見えなくなってしまう等の知識が掛けている。また、チベット自治区には盲学校が一つも無く、チベット語の点字といういものも存在しない。これは、カルマだから仕様がないと片付けてしまったから、と言っていました。確かにそうかも知れません。でも、日本だって、つい数年前までは障害者を家の外に出したく無いという風潮だったはず。ベッドなどにくくり付けているのは動き回ると危ないからという理由のようです。その学生さんも、事実関係を良く調べるべきですね。その盲学校は全て英語で教育が行われメールやサイトもあるのですから、直接そこのボランティアなどに問合せできるのに、、、

mimaco | URL | 2008/12/09(火) 08:45 [EDIT]
福祉のような社会の仕組みがまだ及ばない、またはその余裕のない国々では、障害者は家に閉じ込められ、"ベッドにくくりつけられたり"していることがままあるでしょう。これは、福祉の発達している社会に暮らす我々の目には、差別や虐待と映るかも知れません。
しかし、農業や遊牧で生計を立てている家族にとって、働き手とならない者を養うのは大変な負担となります。もし家族の誰かがその介護に従事するようになれば、働き手が更に減るということ。なおかつ、彼らが暮らしているのが厳しい自然環境の中であれば、障害のある人がひとり戸外へ出てゆけばどのような危険な状況にあるか…。家に閉じ込め、ベッドに縛られているのは差別や虐待のためではなく、家族で暮らし、少しでも安全にいるための手段であることもあります。富裕な家においては障害のある家族を隠すため家から出さないということもありますが、これは寧ろ少数派では。差別や虐待をするのなら、その前に選択されるのは"捨てる"ということかも知れません。
以上も私の考えでしかなく、事実を知りたいのなら、人に質問するのではなく、自分で調べるべきですね。
障害を持つ人のための学校という考え、彼らが社会へ出る仕組み作りを進めるのはよいことですが、何も地盤の出来ていない状況で「やればできる」みたいな行動をさせるというのは問題があると思います。

Hiromi | URL | 2008/12/09(火) 16:56 [EDIT]
>「不幸を受け入れる」とき、それは「現状を変革する」ことを諦めたことを意味しない。
とても勇気の出る言葉だと思います。

歴史の分岐点には民族大移動による破局的変化がよくあるから、今の世界や日本の現状についても、小さい国や小さい民族が、たくさんいる民族に飲み込まれてしまうのは、仕方のないことなのかな……と少しだけ弱気になっていました。でも、やっぱり、そういう危機から逃げずに、あきらめないで集団そのものや文化や宗教を守って、より発展させて今に伝える集団は、世界中にたくさんいます。仏教そのものも、そうだと思います。
個人にとっても、障害や困難にまけずに、自分の生き方や夢を、より意味のあるものにしていくことは大事なことですね。

カルマ♪♪ | URL | 2008/12/09(火) 20:58 [EDIT]
障害者をひとくくりにして、悪しきカルマのせいと思うのは、差別発言だよなぁ。(うんうん。)
ただ単に、坂がおおいし、手のかかる小さい子供は、そのこだけではなかったし、歩き回ると危ないので、ご両親は、そうしておられたのだと思います。
前世、かっけであんまし、歩けなかったけど、外出以外、そのことで、一度も不自由したことなかった気がする。

しらゆき | URL | 2008/12/09(火) 21:20 [EDIT]
>ゆずさん
わたしもガンディーの生涯にすごく詳しいわけではないけど、彼は自分の経営するアーシュラムではアンタッチャブルな人々に対して差別が行われていたらそれを怒って断食していたと思うけど。もう一度確認してみて。しかも、仏教はカースト認めてません。

>Penba Yakduさん
たしかに、西洋人には謙虚さがたりん。何でも征服。克服。ブンパリは里山みたいなものなので、カイラス山とはちょっと位置づけがチガウかもしれません。何せよ山に登る動機は敬虔ですよね。

>バカボンさん
ありがとうございます。教育者なんて立派なもんではありませんが。

>dominoさん
そうですね、点字やマッサージを教えて自活させるまでは素晴らしいことだけど、そこでどうして山登りなのか、西洋人の考えることは謎ですね。

>nさん
わたしも遅ればせながら『ブラインドサイト』みました。かたにはまった感動ドキュメンタリーをとろうとした制作者の意図はどこへやら、なかなかグッドな内容がてんこもりでした。

>Lhadomさん
そうですが、実際にこの学校に足を運ばれたんですね。彼女も今はずいぶんいろいろ考えるようになったのではないでしょうか。この映画一つとっても、みた人からいろいろ感想がよせられたでしょうから。

>minacoさん
そうなんですよ。そこにでてくる視覚障害の子供たちもチベット人の子供たちはちゃんと家族と暮らしているんですが、漢人の子供だけは親に売り飛ばされてめぐりめぐってこの学校にきている。カルマうんぬんを言う以前に、子供を売らねばならない福祉の未発達と経済力を言うべきでしょう。

>Hiromiさん
チベットの人たちは先進国なみの少子化社会で、それこそ数からいったら圧倒的に弱いですが、よくがんばっていると思います。何とかこの時代を生き延びてほしいです。

>カルマさん
チベットは道路一つとっても舗装されていないところが多いですから、まだ分別の働かない子供を安全のためにくくりつけることは確かにあるかもしれませんね。

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