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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2007/05/28(月)   CATEGORY: 未分類
まわる~まーわる~よ、輪廻はまわる~
 『Tibet Tibet』というドキュメンタリー映画の監督のキムスンヨン(金森太郎)氏が沖縄から仕事で上京してきて、聞きたいことがあるというので、自宅最寄り駅まできてもらい初対面する。「民族区分は幻想である」やチベット仏教話でもりあがる。その中で彼が

 「六道輪廻(天・阿修羅・人・畜生・餓鬼・地獄)とは人の意識のありようではないか、具体的に言えば、天は遊んでばかり、畜生は本能のままにいき、餓鬼は精神的に満たされない、阿修羅は闘いたい人の意識ではないか? 」と質問してきたので、

 私「もちろんあなたが言った解釈とは微妙に違うけど、チベットでも六道輪廻をそれぞれ人の意識の状態と考えることはあるよ。でも同時に本当にそういう世界が客観的に実在するとも考えているよ」

 と答える。じつは輪廻は現代仏教界においてとってもセンシティブな問題。

 この輪廻思想が過去のある時期社会差別や格差を助長したという意見があり、その反省から、現代仏教界では「輪廻は客観的にはない」ことにしている宗派が多い。

 まー、あれだな。

 ビンボーにうまれた人に「あんた前世に金持ちだった時、ケチで弱者に施さなかったから今ビンボーに生まれたんだよ」といか言ったら、ビンボーに生まれて苦労している人に精神的ダメージを与えるばかりか、自業自得なんだからあきらめろ、といってるようなもんだ。これじゃー、万民平等を原則とする民主主義も、ビンボー人が金持ちを倒し革命することを善とする社会主義も勢いがつかない。
 
 あと、初期仏教の経典によると、お釈迦様は十四無記といって、「死後、意識はどこにいくか」などのわからん問題十四題については答えなかったという有名な説話があるため、これも輪廻が否定される一つの根拠となっている。

 しかし、そもそも輪廻思想は差別思想ではないし、仏教の典籍の大半は輪廻の実在を前提として説かれている。

 輪廻とは「いいことをすればいいことがあり、悪いことをすれば悪いことになる」ということを教える、じつに道徳的な教えである。

  この思想が過去に弱者を痛め付ける道具に使われていたとするならば、差別は「自業自得だからその痛みをひきうけろ」と冷たく語った人の心の中にあるのであり、輪廻思想にあるのではない。

 本来の輪廻思想は、「輪廻は始まりのない昔から∞に続いてきたことだから、すべての生き物はかつて自分の母となり自分を慈しんでくれだことがあるものである。だからすべての生き物を母を愛するように平等に愛し慈しまねばならない」という美しき究極の平等思想なのである。

 相手がビンボーだろうが、みにくかろうが、動物だろうが、○×民族であろうが、△□教徒であろうが、なんだろうが、そのすべてをひっくるめて自分の未来の姿、過去の姿であるとして生き物を平等に愛する思想なのである。
 
 また、来世があるから人は「今の自分を客観的によくしよう」と思うのではないか。来世がないと思えば「アンタ癌であと数ヶ月の命ですよ」と告知されたら、「チクショー、銀行強盗でもなんでもやって、その金で最後ぱーっと派手に遊んでやる」なんて気持ちになることもあるかもしれない。

 でも来世があると思えば、「来世のために、残る人生はできるだけ善いことをしよう。そして穏やかな気持ちで死を迎えよう。」と考えることもあろう。いい教えじゃん。

 さらにいえば、歴史時代を通じて現れた仏教の聖者の大半--ツォンカパにせよ、最澄にしろ、親鸞にせよ--が、「輪廻が実在する」とみなが信じている時代に出現し、輪廻の実在を前提として教えを説いている。

 過去の聖者たちはむろん善の文脈でこの輪廻思想を説いているのである。

 最後に彼が、

「最近この"地獄"のゾーンに、中国人に拷問されるチベット人の絵が描かれている六道輪廻図を見たことがあるが、輪廻をこのように解釈するのはアリか」と聞いてきた。

ので私は

「"痛み"を一般的に表現する絵なら問題ないだろうけど、特定の民族に対して怒りや恨みを喚起するような絵は、怒りや欲望をすてることをテーマとする仏教絵画としてはふさわしくないだろう。また、長く伝統的な形式によって描かれてきたものを、画家個人の体験によって変更することは、多くの人には受け入れられない」と答える

 その精神を理解せずに安易に、伝統を現代風に解釈するのは、とてもキケン。

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COMMENT

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| URL | 2007/05/29(火) 05:47 [EDIT]
先生、輪廻転生が無いと、お釈迦様の悟りにいたる動機がなくなりますと思うのです。悟り以後どこにも輪廻転生の語が出てこないと言われておりますが、輪廻から解脱されたお釈迦様はそれを前提に解脱の方法を示されたと考えております。

業論についても過去の事を云々するのではなく、あくまでも未来へ向かっての誓願と教わりました。

釈迦に説法のようなことを書いて申し訳ありません。

どうしたわけかログインできないのでここで「拍手」させてください。
● すっきりしました。
CATTY | URL | 2007/05/29(火) 14:43 [EDIT]
輪廻について疑問に思ってたことが解けました。
ありがとうございます。
次に向けて最善を尽くすためにあるんですよね。

あーほんとにすっきりしました。

モモ@大東 | URL | 2007/05/29(火) 15:07 [EDIT]
輪廻という考えは慈善とか礼節とか慎みなどを
推奨するものなのですね。
私も行動をよく考えて行えるようになれば
来世ではオカメインコとなり、幸せな家庭のお手伝いを
できるようになるかもしれません。
そう思うと、迂闊に煙草の吸殻を道端に捨てるような真似は
しなくなりますね<反省しろ自分

イシハマ | URL | 2007/05/30(水) 05:17 [EDIT]
>釈迦に説法
お釈迦様にたとえられるとは恐れ多い。「悟り以後どこにも輪廻転生の語が出てこない」が、かりにそういうことだとしても「言及しない」=「ない」ということの証明にはならないですよね。

>CATTYさん
チベットでは子供の教科書から「お釈迦様の教えといわれるものであっても、金の真贋をみきわめるように、論理によって吟味してその真贋をみきわめよ」という言葉があります。わたくしのいったこともうのみにしない方が・・・。

>「煙草の吸殻を道端に捨てる」
モモさんのためにも、モモさんの品格のためにもいますぐやめたほーがーいいのではないかーと思います。
● すみません
モモ@大東 | URL | 2007/05/30(水) 13:32 [EDIT]
いつもは携帯灰皿持参なんですが・・・
2度ほどやってしまいました。
来世でオカメインコになるためにも即改めます。
● 管理人のみ閲覧できます
| | 2007/06/04(月) 12:57 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます

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