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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2007/05/05(土)   CATEGORY: 未分類
護国寺・伝通院徳川ツァー
GWに早大生有志をつのって、「護国寺と伝通院江戸ツァー」に行く。
護国寺は五代将軍綱吉の母(桂昌院 俗名お玉)がたてた寺で、江戸の大火と廃仏毀釈と関東大震災とアメリカの空爆を奇跡的に生き延びた元禄期のお堂で有名である。

ちなみに、将軍様の母は、じつは前身は京都の大徳寺近辺にあった八百屋の娘。すっごい美人で評判で、家光にみそめられて、大奥にあがった。以来みぶん違いのエライ殿方に嫁ぐ女性を「玉の輿」というようになった。

 ちなみにかつてうちのダンナにこの由来についていった時、

「『美人』に生まれているという時点で、すでに『身分』と同様の価値を手にしているのだから、思いもかけない良縁にめぐりあう『玉の輿』の語源にはふさわしくない」と理屈をこねられた。
 
 折しもゴールデンウィークの護国寺にはチベットのナムゲル寺から僧侶十名がきて、護摩・チャム(舞踊)・灌頂など行うチベットフェスティバルも開かれている。新聞で紹介されたり、無料であることもあり、お客さんがわんさか来ている。

 どのくらいわんさかかというと本堂にある薬師如来の砂曼荼羅をみるために、不老門のあたりから延々並ばねばならない。

 ちなみに、不老門の額は16代将軍になったかもしれない、家達の書で、本堂の「悉地院」の扁額は五代将軍綱吉の手である。あー、ありがたい。

 しかも、GW中、お玉さんの念持仏の瑪瑙の如意輪観音様と薬師堂の薬師仏もご開帳。仏像マニア「お好きな方にはたまらない」ラインナップである。

 本堂の砂曼荼羅と瑪瑙の観音様をおがみ、薬師堂をまわり、桂昌殿に向かう途中、わたしの視界のすみに例のものがとびこんでくる。

わたし徳川とーろーだー!!!」

説明しよう。

かつて、将軍家は上野の寛永寺と芝の増上寺にお墓があった。しかし、両方とも戦災とかで荒れ果て、両寺とも徳川家の墓域の土地の大半をうりとばしちゃってその上にのっていた灯籠(歴代の将軍様に大名が献じた灯籠)は全国にちらばった。
(参考ここクリック)

寛永寺も増上寺も基本的に同じカタチで、傘部分に葵紋のついた巨大な灯籠で、見つかると何かとても嬉しい。

この灯籠の送り主の将軍様の名前を見ようとしたが、まわりに植え込みがあり近くによれない。しかしかろうじて、八大将軍吉宗の戒名有徳院が読み取れ、つまりは寛永寺からの流出灯籠であることがわかる。

まわりの植木の育ち方からみてここにこの灯籠が生えてからずいぶんたつのだろう。

ちなみにわたしが今までリアルやネットでみつけたり他人様から教えていただいたりした、寛永寺の灯籠のありかは、早稲田の側の宝泉寺、ホテルニューオータニの日本庭園、武蔵野の名刹深代寺、浅間山ふもとの鬼押し出し観音(笑)などである。

このサイトを見ているアナタ、もし「東叡山」の刻まれた葵紋灯籠があったら、ご一報ください。
時効警察ではないですが

「趣味で捜査してます」

そのあと、「仏教世界からみた江戸」というテーマで蘊蓄を傾けつつ、徳川家の子女が眠る伝通院とその周辺史跡をめぐる。

最後に、あまり気が進まないが「こんにゃくえんま堂」にいった。それまで回ってきた徳川家のお膝元のお寺などと違い、庶民寺である。

 えんま様にはこんにゃくが山のように供養され、塩地蔵はまっしろな塩にうもれ、サイパン平和の鐘には珊瑚が供養されていた。お堂の前には台湾製とおぼしき香炉と獅子一対祭られている。

 この寺、何を目指しているかさっぱりわからん。

 こういうお寺は、歴史モードでは理解は難しく、民俗学・宗教学モードにきりかえなければならない。

 それから後楽園駅について解散。

コネタについてはおいおい。
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