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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2023/08/27(日)   CATEGORY: 未分類
23年 秋のチベット祭り
 九月のチベット関係情報をあげます。ブログ主は九月に二つの講演します。9月9日には河口慧海などがチベットに向かう契機となった明治期の世界仏教運動を扱います(全一回)。さらにチベット死者の書がNHKスペシャルで放映されて30年を記念してNHKカルチャーで全三回死者の書を講義します。オンラインなのでお気軽にどうぞ。いずれもビジター参加可能です。
 さらに東西で河口慧海展が行われます。重なったのはまったくの偶然とのこと。


演題「ブッダガヤを仏教徒の手に取り戻せ 仏跡復興運動が繋げた世界」
日時: 9月9日(土)13:10~18:10 ※途中休憩をはさみます。 外部参加OK
場所: 早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校(最寄り駅 八丁堀駅)
主宰: 早稲田大学エクステンションセンター

詳細はこのURLで。

 <概要> 19世紀に欧米において市民社会にふさわしい宗教として仏教がブームとなると、釈迦の伝記は賛嘆され、イギリス人はインドで仏跡の発掘に励んだ。
 欧米人の仏教に対する高い評価は伝統的な仏教徒に自信を与え、スリランカ人のダルマパーラは釈迦が覚りを開いた聖地ブッダガヤをヒンドゥー教徒から取り戻すべく、世界の仏教徒に呼びかけた。 
 日本においても仏教の源流をもとめて、河口慧海ら日本人はチベットに向かい、岡倉天心などの著名人もインドの仏跡巡礼にむかった。タイ、ビルマ、ロシア、日本の仏教徒たちの間には仏後巡礼をとおして横のつながりが生まれ、聖地奪還運動は伝統的な仏教徒に地域の仏教を相対化し仏教の普遍性を自覚させると同時に、時間がたつにつれそれぞれの国の民族運動へと変化していく。本講義では世界仏教運動のもりあがりと民族運動への変化について学んでいく。



演題:「チベット死者の書―生と死の哲学」(オンライン・全三回)
日時: 2023年 09/30(土), 10/21(土),  2023/11/25(土) 各13:00~14:30
主宰: NHKカルチャー

NHKスペシャルで『チベット死者の書』が放映されてから30年。記念講座をすることとなりました。オンラインですのでお気軽にどうぞ。詳細はこのURLで。

第一回 チベット死者の書が説く死と再生の過程
 チベット人にとって死は決してネガティブなものではなく、人の意識がもっとも覚りの心に近づく最高のチャンスと考えます。しかし、生前にした様々な行いの影響ですぐ光の体験はきえ、人は再生の過程にいやおうなしに入っていきます。死者の書はこの過程でする様々な体験のガイドであり、注目すべきは何を見ようとそれを「心の現れ」であるのでとらわれないように説くことです。

第二回 『チベット死者』の書の「発見」ものがたり
死者の書と呼ばれる文献群がチベットでどのように生まれ、「発見」されたかをまず話します。さらに、1927年、エヴァンス・ベンツがカルマ・リンパの死者の書を英訳したことにより、欧米や日本において本書が「死」や「意識」に対する考え方を大きく変える契機になかったことついて述べます。

第三回 多死時代に『死者の書』が与える福音
 死者の書は、「良い生」が「良い死」には不可欠であることを教えてくれます。目先の欲望にとらわれ、我執にまみれて生きた人に良い死は訪れず、中長期的に人生をみて我執からできるだけ離れた生き方をした人には良い死がやってきます。つまり、良い死を迎えることのできる生とは、本当の意味での幸せな人生でもあるので、死者の書とは実は生き方の書でもあるのです。


また、東西で偶然二つの河口慧海展が行われます。以下開催日の早い方から。


企画展「日本初のチベット探検―僧河口慧海の見た世界―」
場所: 東京国立博物館 本館 14室
期間: 2023年8月22日(火) ~ 2023年10月9日(月・祝)
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2614



企画展「企画展「河口慧海 仏教探究の旅」
場所: 堺市博物館(〒590-0802 大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁 大仙公園内)
期間: 令和5年9月2日~10月15日
URL: https://www.city.sakai.lg.jp/kanko/hakubutsukan/exhibition/kikaku_tokubetsu/kawaguchiekai.html




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DATE: 2023/08/19(土)   CATEGORY: 未分類
チベットを求めて可睡斎に行く
 お盆直後の8月17日に調査とレジャー兼ねて静岡県の名刹可睡斎(かすいさい)にいく計画をたてた。しかし、お盆に台風が直撃し、出だしは波乱に満ちていた。

●台風でとまる新幹線

 8月15日、台風七号が近畿を直撃したことにより、東海道新幹線は計画運休となった。翌日復旧するかと思えば今度は静岡県内の大雨により車両のやりくりがきかず新幹線は朝からとまりっばなし。新大阪・名古屋・東京などの新幹線の主要駅には帰宅難民となった人々が滞留し、インドの鉄道駅のよう。午後七時のニュースでは「明日(17日)の運行についても見通せないので、最新の情報をHPで」となんか不安な予告をしている。でかけるのは無理かとも思ったが、可睡斎の精進料理の予約をいれていたので(笑)、17日、とにかく家を出た。

 可睡斎は「こだま」の掛川駅から在来線で二駅。ホームでJR東海の駅員さんに「一番早いこだまはいつ来ますか?」と聞くと、「HPみて頂くとわかるのですが、いま東京〜新横浜間に何も走っていません。「こだま」はまだ東京駅に入線もして・・・あっ今入線して準備中表示になりました」とのこと。

 普通こだまは自由席でも座れるのだが、帰宅難民が加わり70分おくれてつく「こだま」に途中駅からのる我々の座席はたぶんない。覚悟を決めて最初にきた「こだま」にのったら8:50分に発車。この列車的には70分遅れているが、予定では8:45分にでるつもりだったので主観的にはほぼ遅れナシ。小田原で降りた人の後に座れたため、席もOK。今回に関しては台風の影響ナシ。日頃の行いがいいのか悪運か。

 掛川駅で降車して在来線で袋井駅にいき、タクシーで可睡斎へ。可睡斎は家康ゆかりの寺である。戦国時代、可睡斎の住職が、今川の人質だった家康(竹千代)を助けたことから、家康が駿河の城主になった時に恩人として住職を御前に呼んだ。しかし、この住職は家康の前で居眠りをはじめたので、まわりが咎めようとすると家康
「居眠りしてもヨシ!」といったことから、この住職、ひいてはこの寺は可睡斎(ねむってもヨシ)と呼ばれるようになった。

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●目的は日置黙仙

今年の大河は家康が主人公であるため、袋井の駅にも可睡斎にも大河のポスターが貼りまくられている。しかし目的は家康ではない。もっと時代がくだった、1892年から1916年までこの寺の住職であった日置黙仙禅師である。
 日置黙仙はグローバルな活躍をした曹洞宗の有力僧で、以下にあるように、1912年1月にインドでダライラマ13世と謁見している。以下、一目で分かる彼の年譜。


1892年    西有穆山の後任として、日置、可睡斎住職に就任。
1895年    日置、総持寺東京出張所執事 。 
1896年    日置、可睡斎に僧堂開設願い。
1900年    高村光雲作の活人剣のモニュメントを可睡斎にたてる。
1901年    西有穆山、総持寺貫首に(この頃総持寺が北陸から鶴見に移転)。
1900年6月  日置、真正の仏舎利を奉迎するため暹羅(タイ)へ渡航。
1902年    西有穆山、曹洞宗管長に。
1907年    日置、日露戦争の戦跡をまわって慰霊。
同年10月30日 日置、タイから奉迎した仏舎利をまつる寺院日暹寺の住職に就任。
1911年4月2日 可睡斎に日露戦争の戦場の土をおさめた護国塔(設計伊東忠太)をたてる。
1911年12月  日置、タイのラーマ六世の戴冠式に日本仏教を代表して列席。來馬琢道も同道。
1912年1月  日置、ダライラマとダージリンで謁見。山上曹源も同道。このあとインドで仏跡巡礼。
1914年    ダライラマ13世から日置黙仙にチベット大蔵経(ナルタン版)が寄贈され、日置は総持寺に奉呈。
1915年8月1日 日置、サンフランシスコ世界宗教会議に出席。
1916年    日置、可睡斎住職を退任し、永平寺六十六世貫首に当選する。
 同年6月   日置、来日したタゴールを迎える。
1920年 遷化。


ざっと見ても明治から大正期にかけての内外仏教界において日本を代表する活躍をしていたことが分かると思う。この彼がもっとも活動的であった20世紀初頭、可睡斎にいたので、これは一度はいかねばならないと思っていた。

●活人剣

 山門をくぐると左手に、地面につきささり切っ先を空にむけた剣のモニュメントがある。その名も「活人剣」。「るろうに剣心」の神谷活心流ではない。史実に基づく由緒ある建造物である。日清戦争後、下関条約が締結された時、清國の全權大使として来日した李鴻章は日本の暴漢に襲われた。この時、李鴻章の治療に当たったのが陸軍軍医総監の佐藤進。李鴻章は佐藤が医者でありながら佩刀していることを問うと、佐藤は李鴻章に「私は毎日病とたたかっているこれは活人剣である」といい、剣禅一致の境地をといた。
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 この逸話に基づいて日置黙仙が高村光雲に作らせたモニュメントがこの「活人剣」である。このお寺愛国だったので、戦時中に剣は金属供出され、現在のものは2015年に再建されたものである。新旧を比べた写真をおいたのでご覧あれ。私は高村版活人剣が好き。

●伊東忠太の護国塔

 まずは、総受付で護国塔への道をきく。この塔は日露戦争の戦没者を弔うべく立てられたもので、日置黙仙が大陸の戦場をまわって集めた土が塔の基壇におさめられている。設計は東大の工学博士伊東忠太。場所は谷ひとつこえてかなり急な坂をのぼった(舗装道はすべるのでもう一本ある山道を推奨)境内の西側の丘の上である。
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 ひーひー坂を登っていくといきなり視界が開けて護国塔が現れる。忠太らしくデザインはインド・チベット風で翼のついた狛犬が門番をしており、柱は真ん中がこころもちふくらんでいる(エンタシス。忠太は法隆寺の柱のエンタシスはギリシアのパルテノン神殿様式がインドを介して日本に伝わったと考えていた)。塔のファサードは一世紀のアジャンターやブッダガヤのマハーボディ寺院風、相輪部は前回述べたようにチベット仏塔様式である。

 現存する塔は伊東忠太の設計図通りではないため、宝物館には伊東忠太の設計通りにつくられた護国塔の模型があった。この原案をみると、翼のついたライオンは四隅に配され、二段ある基壇は現在よりも高く、基壇二段目には北京のチベット寺昭廟風の階段がついていた。

 当時の静岡民友新聞によると、塔の発起人たちはどのような様式で塔を建てるかでもめた。三浦梧楼中将は日本の伝統様式である五重塔・三重塔を主張し、渡邊子爵はインド様式を主張した。そこに日置の師である西有禅師が割って入り、「しじゅう(始終・四重)はやっかいでごじゅう(後住・五重)が迷惑する」、とダジャレをとばして、インド・チベット風に決着した。つまり、可睡斎側はインド・チベット様式を支持していたのである。当時としては最先端のデザインを可睡斎側は推していたのである。

●チベット・ホルンにトイレの神様

 世代が変わり、現在可睡斎にいるお坊さんたちはこの時代についての話を知らなかったが、歴代住職の位牌をまつるお堂にチベットホルン(ドゥン)があり、「カルラの笛」と名付けられていた。解説文をよむと平成5年(1993)にチベットのドゥンを模して開発したとあるので、少なくとも1993年にはチベットに興味をもつお坊さんがいたわけだ。

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 この可睡斎、とにかく盛りだくさん。境内ではインスタ映えする風鈴祭をやっており、まるで「うる★奴ら」の「ビューティフルドリーマー」の世界(若いもんは知らんだろう)。そして見所は昭和10年に建設された当時は最先端の水洗トイレ。「日本一の禅寺院のトイレ」(東司)を謳うだけあり、それは迫力。
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 今はやりの男女兼用だけど、トイレのまんなかに烏枢沙摩明王がたち、蓮華の水盤からは手洗いの水がちょろちょろおちているので、たぶん変な人種はよりつかない。歌舞伎町タワーにも真ん中に烏枢沙摩明王を据えたら問題は解決するのではないか(土地柄がアレか)。

 拝観料には堂内をめぐる権利、このトイレ見学、宝物館、風鈴のなる日本庭園をながめながらの冷やしぜんざいもこみとなっており、とてもオトク。2000円だすとこれに加えて精進料理もいただけます。このお寺もっと交通の便のよいところにあったら観光客がつめかけるだろう。
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 本堂の右手に秋葉總本殿があり、ここには火伏せの神である秋葉権現が祀られている。神仏習合時代ここは修験者の集まる場所で堂内には天狗の面がかざられている。むかーし、江戸には火事がたえなかったため、秋葉さんのお札は火災保険のように飛ぶように売れた。

 ちなみに、現在の可睡斎のお土産は、トイレにはる烏枢沙摩明王とひぶせの秋葉権現のお札である。残念ながら日置禅師関連の資料がどこにあるのかはいまいるお坊さんたちでは分からないとのことで、また後日を期す。
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