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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2022/08/27(土)   CATEGORY: 未分類
とあるチベット学者の夏休み
ご近所のIさんの指導をうけつつ裏庭を開拓し、家庭菜園を作った。酷暑なのに水まきがテキトーであり、かつ、雑草がものすごい速さで育つので、それに負けないもののみが残った。きゅうりは今の時点で六本収穫、トマトはいまだ熟さず、バジルとしそは山ほどとれた。

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8月1 日
お釈迦様がはじめて法を説いた吉日であるこの日より、N氏とともに週一でジャムヤンシェーパ伝の読書会を始める。ジャムヤンシェーパはチベットが政治的にもっとも強かったダライラマ5世6世期の代表的な高僧で様々な政治的な事件の仲裁にあたり、また、モンゴル人や東北チベット人の多く集まるデプン大僧院ゴマン学堂の現在にいたる伝統の大枠をつくった学僧でもある。
 私が政治的な情報を、N氏はチベット僧院の伝統についての知識をもつので、本伝を翻訳するには最強のタッグといえる。
 自分の研究に関してはダライラマ13世伝と13世にかかわる漢語史料からダライラマ13世の側近に関する情報をひろう作業を行っている。

8月4日
トーハクに「チベット仏教の美術展」をWくんSくんと観覧しにいき、キュレーターのNさんと交流する中で、1900年に来日したアキャ・リンポチェが宮中に献上した仏像があることや、日本国内にはないと思われていた寺本婉雅の大本営への報告書がトーハクに所蔵されていることを知り驚く。
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8月14日
 ご近所のMさんが理事をつとめていらっしゃる国連クラシックライブ協会の環境ミュージカル「銀河鉄道の夜」のシンポジウムにお呼ばれする。シンポジウムでは10分しゃべればいいだけだというので気軽にOKしたが、芸術監督のKさんが突然シンポジウムを劇中劇にするとひらめかれたことで、なぜかミュージカルに人生初参加することに。役者の方のあの発声法とシンポジウムの素人のしゃべりは全く違うのに本当にうまくいくのか不安。

 この日ははじめての通し稽古の日で豊島区シビックセンターにいく。通し稽古なるものを始めてみるが、着替えのタイミングや背景の画像の切り替えとかがまだ上手くいっておらず、監督はお怒り。しかしてM さんによると当日になるとなんとかうまくいっちゃうんだよ、ということで、ダライ・ラマ法王のイベントを手伝っている人も当日になるとどうにかなっちゃうんだよ、同じようなことを言っていたことを思い出す。

8月19, 20日
ニューヨーク帰りの方がつくる本格派Vegan ランチをいただく(一番上の写真)。美味しかった。翌日は横浜の中華街で重慶飯店で飲茶食べ放題。ロシアが戦争おこしたせいで、崎陽軒のシューマイ弁当の魚がマグロからしゃけに変わっておりご時世を感じる。
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8月25・26日
ミュージカル当日。いつもと同じようにダライ・ラマのお話しをする。もう一人ゲストの方が豊島区の区議のKさんで、Kさんによると豊島区は23区ではじめてSDGsのナントカに指定された区であるとかで、このミュージカルが開催されているホールも秩父の木をつかった地産地消であるとのお話しをうかがった。
 監督のKさんによると、国連クラシックライブ協会の公演で赤毛のアンは満席になるが、環境ミュージカルは満席にならない。しかし、今日は満席になったと驚いていらした。

 俳優さんの踊りやオペラ歌手の生歌や尺八やバイオリンの生演奏がきけ、かつ、歴史や社会の勉強となるので、クラシックライブ協会の銀河鉄道の夜はおすすめです。10/31にアンコール公演があるそうです。
 8月ももう終わり。
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DATE: 2022/08/11(木)   CATEGORY: 未分類
「チベット仏教の美術」展にいってきました。
8月4日、院生Wくんと仏像マニアのSくんとトーハクの正門前で待ち合わせをし、博物館スタッフNさんの説明を伺いながら、「皇帝も愛した神秘の美」展示を参観する。文献学者である私は博物館スタッフであるNさんとはこれまで接点がなく初対面である。

 入ってすぐのところにパンフの表紙にもなっているチャクラサンヴァラの像が展示されている。

 「乾隆帝はこのチャクラサンヴァラ尊の灌頂を受けているので、この仏さまは清朝にとって特別な意味のある仏なんです。阿毘達磨倶舎論に説かれる、武力によらずして仏教で世界を平和に支配する転輪聖王が、密教化した姿がこのチャクラサンヴァラ尊です。
 世界の中心にあるスメール山の頂上で、ヒンドゥー教のシヴァ神を足の下に踏んだ姿で作られ、そのマンダラも転輪聖王のシンボルある法輪形です。今回チャクラサンヴァラのマンダラは展示されていますか?」

 Nさん「残念ながらありません。今回は古美術商の伊藤弥三郎氏から購入したヴァジュラーヴァリー(金剛蔓)の三つのマンダラを展示しています。このマンダラは康煕帝の12子允祹(1709-1763) がチャンキャの指示のもとに作ったとされています。」

 見れば確かに優品である。展示入れ替えがあるため、三つ揃った姿はみられなかったが、詳しくは以下のトーハクの画像検索で全部を確認してください(画像検索結果はここ)。


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 Nさんによると、トーハクに所蔵されているチベットの美術品は、赤峰領事だった北條太洋(1866-?)氏が大正12 年(1923) 3 月 28 日に東宮(後の昭和天皇)に献上した173あまりの仏像類が多くを占めているという。赤峰は熱河(承徳)が近いので、熱河離宮から流出した優品が多いと思われる。

Nさん「この献上は『昭和天皇実録』大正12 年(1923) 3 月 28 日条にも記されているんですよ。」*

*二十八日 (中略)午後、東宮仮御所において、赤峰領事館領事 北条太洋献上の 喇嘛仏像百八十余個をご覧になり 、北条領事より説明をお聞きになる

 そして、二つの釈迦像の前で私の足がとまる。アキャ・フトクト(北京最大のチベット僧院雍和宮の貫首)が1901年に来日した時、献上したものだと記されている。そういえば2年前に行った企画展『大隈重信とチベット・モンゴル』で院生W くんが、アキャ・フトクトの来日から離日までの行動を記した『教学報知』を翻刻していたことを思い出し、Nさんにお送りすることを約した。

 昔からチベット僧による世俗の有力者へのお土産はお釈迦様と相場はきまっており、アキャの仏像もダライラマ14世が、長野の名刹善光寺に送った仏像とまったく同じ触地印のお釈迦様(ソースのニュースはここ)。写真で並べると同じ印相していることがわかるでしょう(向かって右の金色のが善光寺におさめられているお釈迦様)。
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 アキャ・フトクトは東本願寺の僧寺本婉雅が、エスコートして日本に滞在していたが、寺本婉雅がラサで購入したという「乾隆帝の御衣でつくったツォンカパ(ダライ・ラマの属する宗派の宗祖)の絵画も展示されていた。
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 院生W「彼、ラサには三ヶ月くらいしかいないので、長く滞在していた東北チベットか、北京あたりで購入してると考える方が自然ですよね」

 「タンカに書いてあるならまだしも、寺本の証言だけだと微妙だよね」とこれまで寺本が結構ふかしていることを知っている師弟は塩対応。

 選ばれし仏像オタクSは金銅仏によせた風合いでつくられた乾漆像の栴檀仏やヤマーンタカ像にみいっている。
 一方、院生Wくんは河口慧海(1901年に日本人としてはじめてラサに潜入した僧)が作った標本箱を目を輝かせて眺めている。この一行ツボがとにかくオタクである。
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 河口慧海は帰朝後、チベット旅行記を新聞に連載し時の人となり、1904年にそれが発刊され、同年、東京美術学校(芸大の前身)でチベット展を開催した。この標本箱はその時のそのままの形でトーハクに所蔵されて今目の前にあるのである(写真左は藤岡光田作作河口慧海像 右は河口慧海が将来したビャクダンに高村光雲が釈尊像をほったもの)。
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 選ばれしオタク一行はチベット展のついでに日中国交正常化50周年記念特別デジタル展「故宮の世界」にも足を運んだ。

 Sくん「ボク特別展にこんなに人がいないの見たことないです。」

私「連日の猛暑がおさまって、来るなら今日っていう日なのに人がいないねー。まあ40周年の時も故宮展やったけど尖閣問題でもめていて、最後まで中国が国宝をだすかわからずひやひやしたから、今回はあの時よりさらに日中関係悪いんで、察するに関係者もリスクを冒したくなかったんでしょう。知らんけど。」

 しかし、VRの故宮はすいてて故宮を独り占めしたみいで意外に楽しかった。

 そして家に帰り二年前のカタログでアキャ・フトクトの行動日誌を確認すると、アキャ・フトクトは1901年7月27日に宮中に参内し、宮内大臣に仏像など五点を献上している。

 私はカタログをNさんに送り、「アキャ帝室博物館にはいってませんが、宮中に参内しています」と伝えると、すぐにお返事があり、現在トーハクが所蔵しているアキャの献上品とされる五品がこの「教学報知」に記された銅仏像二点、絵仏像一点、蔵香(チベタン・インセンス) 一把、毛織物一巻と見事に一致するという。

 その時いただいた台帳の画像にアキャにつづいてウーセルという僧が絹織物と蔵香を献上しているが、これはアキャに随行してきたウーセル・ギャムツォである。Nさんによると帝室博物館は宮内省(当時)の所管だったので、宮中に献上されたものが大正期に帝室博物館に入っていることは矛盾ないという。

 二年前に院生Wくんが、この教学報知の長い記事を「面白い、翻刻したい」といった時は、ご苦労様だと思ったもんだが、やっておくものである。ちなみに日本国内には存在せずアメリカにしかないと思われていた寺本婉雅の参謀本部へのチベット旅行の報告書(九大のK先生が発見し、院生Wくんが翻刻)はあっさりとトーハクに所蔵されていた

 博物館は歴史研究の盲点だと思いしったのが今回の収穫であった。
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