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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2022/06/22(水)   CATEGORY: 未分類
ダライラマの側近(ケンポ)たち
7月3日から国際チベット学会がチェコのプラハで開催される。プラハといえば1989年の感動のビロード革命で共産党政権が倒れて、その結果大統領となったバーツラフ・ハヴェル(1936-2011)は、ダライラマと深い交友関係にあった。2011年のハヴェルの死去の際にはチベット社会を代表してダライラマから弔辞が送られた。

 そんなプラハなので、本来なら喜んでいくところだが、西洋人の夏休みにあわせた予定なので学期の途中だし、ウクライナ戦争で日本の飛行機はロシアの上を飛べないのでえらいこと飛行時間がかかるし、円安だし、コロナだし(欧米はコロナ気にしないんで市中感染めっちゃ多い)、結局オンライン参加とあいなった。

 それが10日程まえ、「オンライン参加の人は6月25日までに自分の発表を動画でとって学会に送れ」と言われていることを人に言われて気づいた。学会からくるメールをロクに読んでいなかったのが敗因。

 「もう間に合わないので対面でいく」という人まででてきて、私も一瞬そうしようかと思ったけど、15時間以上も飛行機のるのやだし、録画するしかない。

 オロオロしていると、逐電していた元院生Mから連絡がきた。

M「せんせい〜、やらかしました。国際チベット学会って七月なんですね。九月だと思っていて、仕事休めなくて出られません」

この師にしてこの弟子あり。

私「国際チベット学会は昔から西洋人の都合で七月です。ウランバートルの時も、パリの時も七月であなた参加してたでしょ。参加費はらったんだから、オンライン参加に切り替えるしかないね。」

M「録画ってどうやるんですか。ケータイでできますか」

私「zoomでパワーポイントで共有して自分のパソコンに録画するの。」

M「ケータイじゃだめですか」

ふと思う。zoom録画になれていない人はケータイで発表の声と顔だけ録画してパワーポイントと資料は事務に送りつけるのではないか。そうなったら学会事務、地獄だな。

 今、zoomで録画してみたが、生で発表する時は、パワーポイントのタイミング間違えようが、文法間違えようが、終わってしまえばそれまでだが、録画すると見直しできるので、パワーポイントのミススペルとか、切り替えの遅れとかが正視に耐えない。しかし撮り直すのも面倒くさい。もうやだ。

ちなみに発表内容は寺本婉雅の外務省報告やダライラマ13世伝に基づいて、ダライラマ13世の側近について明らかにしたもの。以下に発表内容とはややずれるがダライラマの側近についてつれづれに思ったことを備忘に書きつける。
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ダライマの内廷に仕える僧侶たち(ケンポ)のトップは総管ケンポといい、大臣の一人に数えられる高官である。その下の四位の僧官の中にダライラマの身辺に常侍する僧官として御膳係(スルポン)・御褥係(シムポン)・法事係(チューポン)の家政のトップである三ケンポがいる。

で、寺本が外務省に提出した「北京におけるダライラマの側近に関するレポート」によるとダライラマには二大側近として
かの有名なドルジエフ(日露戦争中の日本は彼をロシアのスパイといって忌み嫌ったが実は忠実なダライラマのしもべ)とラメンケンポ(侍医)をあげ、公使館などで交渉するケンポとして以下の七人をあげる (名前は多少手を入れている)

1. ドゥルワ・ケンポ (漢名 謝庭華)
2. ロサンテンジン・ケンポ
3. ロサンカンチュン・ケンポ
4. ヂャムツァンツチュム・ケンポ
5. お食事係(gSol dpon) ・ケンポ (寺本がスルポン堪布といっている人)
6. 法事係( mChod pa)・ケンポ (寺本がチョパ/チョドバ堪布といっている人)
7. クンデリン寺のジャサク・ラマ

このうち、5と6はダライラマのお食事や法事を準備する係で、ラメンケンポは侍医で、この三人は本当にダライラマの身の回りの世話係。ダライラマの行脚中はおそらくは、支援を申し出る人々を仕切って食事や寝床の世話をしていたと思われる。ダライラマ伝をみると、ダライラマはチベットからモンゴルまで移動する際に、休憩する場所、野営をする場所が先々に準備されていたので、その手配をしていたのが、この側近たちと思われる(写真はなまずひげが侍医、真ん中はジャルサン、右がお食事係)。
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 ロシアのブリヤート出身のドルジエフはロシアとの交渉係として同道しており、ドゥルワは前のエントリーで述べたように日本や清朝との間の交渉係として呼び出された人である。
 2もモンゴルにいるダライラマが何度も北京内廷に派遣した僧なのでおそらくは中国語に通じた僧、3,4は詳細不明。

ダライラマは北京で
初回 1908年10月14日で頤和園の仁寿殿で顔合わせ。
二回目 同年  10月30日に紫光閣でモンゴル王公もまじえての賜宴。
三回目 同年  11月2日 西太后の誕生日の前日に南海の小島の宮殿で長寿儀礼執行。
と三回西太后と会見するんだけど、

 頤和園の仁寿殿にはドルジエフと5.6.7の四人が陪席し、
 紫光閣ではこの四人プラス侍医、1と2が入った14人が陪席している。

 各国公使館に出入りしていたケンポは、ドゥルワケンポがそうであったように、ダライラマが連絡をとりたい地域(この場合は日本)にコネのある地域の高僧がとりたてられている。この場合の側近は期間限定で、たとえばドルジエフは最終的にはダライラマの意をうけてロシアに行き、チベットのために活動するし、ドゥルワもこのダライラマの北京滞在のあと、1909年、に中央チベットに戻り、シッキムのダライラマには随伴せず、デプン大僧院ゴマン学堂の座主に就任している。
 つまりドルジエフやドゥルワケンポはダライラマの必要に応じて内廷に呼ばれ対象国との間の折衝を行っていたと思われる。
一方、ダライラマ13世と苦難の外国くらしの9年間をともにした侍医ラメンケンポは、帰国後総管ケンポに就任している。

 寺本婉雅は「直弟子になればドルジエフのようにダライラマの側にいける。そのための支度金をだせ」と参謀本部などに願い出ているが(チベット仏教に対する知識がまったくない寺本が直弟子になれるのかは謎であるが)、しかし、この申し出はダライラマに自由にアクセスできるドルジエフのようなポジションは簡単には得られなかったことを示している。

 この三回目の西太后との同席で、ダライラマのためにしつらえられた席が低く、また王座から遠かったため、側近たちは清朝宮廷に抗議すべきかを、日本公使館に相談にいくが、日本公使館は自重を説いた(寺本の日記に基づく)。

 この後、ダライラマは光緒帝と西太后の死去をうけて清朝を見限り、英領シッキムへと亡命するが、その後、ダライラマ工作につくのは寺本に代わって西本願寺の青木文教と多田等観となる。
 寺本はダライラマに北京行きをすすめた時、ダライラマの目的達成のためには「日本の官憲は微力を尽くす」と約束していたが、日本公使館は前述したように全く動かなかった。ので、おそらくは寺本はダライラマの信頼を失い人員交代となったと思われる。

 ダライラマの内廷の様子がおぼろげながら見えてくると、これは遊牧民国家などのケシク(恩寵)制の仏教版かと思ってしまう。ケシクとは君主の恩寵(ケシク)を得る者という意味で、ようは側近である。

 多様な民族と交渉する遊牧民は、ケシクに様々な地域出の子弟を集めて家政(警備・食事係・車馬の手入れ係・家畜の世話係・おしとね係・書記)を行わせ、ケシク内で共に生活する中で君主を中心とした仲間意識をはぐみ、君主はその中から適性をみて使者・商人・戦士・通訳などとして外に派遣する。彼等が仕事を終えてまた内廷に戻ってくれば、もとの食事係やおしとね係の仕事に励む。王の身近で恩寵(ケシク)をうける人が出世するのである。

 多民族から構成され、内廷の仕事が外の実務に切れ目無く続いているのがケシクである。
 中央チベットの大僧院には各地から多民族の子弟が留学にやってきており、学問を終えた後に故郷に戻るものもいるが、僧院長や学堂長に出世してラサに定住する者も多い。

 ダライラマがある地域の有力者と連絡をとる必要が生じた場合、チベットの大僧院の中にいるその地域出身者が故郷とダライラマの間をつなぐ役目を行うのは自然な流れであり、とくに1904年から1913年までのダライラマがラサを離れていた期間中は、それらの人々はチベットから、あるいは地域から呼び出されてダライラマの移動に随行していたと思われる。一身のように身軽な宮廷であり、しかし、実務交渉はすべてケンポが行うため、外部のものはダライラマとは容易に言葉は交わせない。
侍医

 結果として、ポタラ宮の外にあってもダライラマの神聖性はまもられたのである。

 ちなみに、現在もダライラマの身の回りの御世話をする役僧の方は側近中の側近であり、外部の我々は彼等を介してしかダライラマとは接触できない。よくダライラマに突撃してプレゼントを手渡ししようとする人がいるが、あれは伝統的にはNGである。必ず側近僧を介さねばならない。だいたい通訳が間にはいるので失礼な話しはカットできる。寺本は日本からの手紙はチベットの側近僧がチベット語に翻訳する際にずいぶん改められたと書いている(笑)。
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