中陰(仮住まい)の日々
三月四日に立て直した自宅に戻り、トラック四台分のゴミ引っ越し荷物の荷ほどきが、いつ果てるともなく続いている。
捨てる決心がつかずに仮住まいにもって行ったものを、また新しい自宅にもって戻り、まだ捨てる決心がつかないため、引っ越しとはゴミが右往左往することなのだと思う。
一区切りついたので、仮住まい中の心理変化について忘れない内に記録しておきたい。生まれた時から同じ家に住み続けていた自分にとって、自宅が更地になり、新しい自宅にもどるまでは本当に心許なく、仏教でいう「中陰」すなわち、肉体が死んだ後、意識が次の体に入るまでの過渡期のような気分であった。以下三期(阿倍仲麻呂期、住めば都期、遷宮期)にわけてお話ししたい。
●阿倍仲麻呂期
9月2日
仮住まいに引っ越す。仮住まいは駅から遠く、風呂場にナメクジがでるほど古く,押し入れに白塗りの子がでてきそうな昭和物件。はじめは「何か」がいるような気がして怖くて仕方がなかった。
その上、アコギな不動産業者は、ペットが傷つけないように襖と障子をはずして住めと言うので、夏は暑く冬は八寒地獄でつらいのなんの。その上配電が悪く鳥の部屋と猫の部屋の両方のエアコンをつけるとブレーカーがおちる。一階と二階のリビングを同じブレーカーにまとめるってどんな仕様よ。さらに、リビングの電気が壊れ、ガスが漏れ2回も業者が修理に入った。
こんな貸し家であったたため、引っ越し当初は自宅が恋しく、引っ越しの疲労もあり、めまい・頭痛・急激な視力低下など体調絶不調。遠回りして自宅近くのスーパーで買い物をすると、今はない自宅に戻りたくなりメンタルも絶不調。引っ越しの日がくしくも満月であったため、満月をみるたびに、「あと何回満月がくれば自宅に戻れる」と指折り数え、気分は唐の長安で月をみて故郷を懐かしんだ阿倍仲麻呂。
生まれ育った家が解体されるのは見るにたえないので、引っ越した後は、自宅方面に足を向けることを意識的に避けていたが、一度夜中に用があって自宅近くまでいった時、遠目に家があったはずの場所に闇の空間が拡がっているのを見てしまい、何ともいえない暗い気持ちになった。
10月3日

しかし、自宅がなくなった現実を直視せねばならない日がやってきた。地鎮祭である。この日、工事関係者ならびに施工主が集まってお祓いをうけ、工事の安全を祈願する(私はあらゆる験を担ぐ)。庭の一角を残して更地になったわが家を見るのはとてもつらかった。庭にいた蛙やヤモリの行く末を考えると胸が痛い。本当はボロ屋で死にたかった。
丁度この時期、愛鳥(オカメインコのごろう様) の一族である合気道道場の二階で自由にいきる58羽のオカメインコたちも、道場主がなくなって里子にだされ離散したため、私も愛鳥もともに難民である。帰る家がなくなるというのは本当に心許ない。メンタル中陰である。
10月20日
この日、あらかた仕上がった自宅の基礎に、地鎮祭で授かった人形(ひとがた)と興福寺の鎮め物の中にもある魔除けの水晶玉を、浄水で清めて基礎の四方に埋めた。
折角チベットを研究しているので、チベットでは新しい家を建てるときどんなものを基礎に埋めるのかを清風学園の平岡先生に伺う。先生「チューロ・リンポチェに聞いてみます」と勢いよく請け合われた。
暫くして電話があり「リンポチェが砂マンダラの砂がいいというので、ガワン先生がギュメ大僧院の座主をつとめていらした時御作りになった、グヒヤサマージャの砂マンダラの砂をほんとうに数粒ですがおわけします。この砂は亡くなられた方の額につけると良い転生をするというお加持のあるものです」とのこと。

なので新居の基礎には水晶玉と砂マンダラの砂が埋まっている。
●住めば都期
12月7日
棟上げ式。朝十時から工事関係者が揃いふみで骨組みができた自宅の内覧をする。更地になった時に極限まで不安定になったわが精神は、家の形がともかくもできたことにより、この日を境に安定し始めた。何事もなければ同じ間取りで同じ庭がみえるこの家に来年三月には入れる。転生先の肉体がきまったような安心感(笑)。

また、この頃、不思議なもので、仮住まいになじんできた。おそらく、愛鳥と愛猫、チベットのご本尊群が入ったことにより、呪われた昭和家屋は「私の家」になってきたのだ。
気がつけば仮住まいの二階の西向きの窓は見晴らしがよく、朝焼け夕焼けの富士山をみることができ、夜になるとコスギのビル群の夜景が美しい。また目の前には公園があり、秋は紅葉が美しく、初春は梅の香りが楽しめた。晴れた日、人がいないのをみはからって、昼ご飯をお盆にのせて公園で食べたら気持ちよかった。


また、近くに大学のキャンパスや風致地区となっている公園があるため、散歩や買い物が楽しい。ナメクジがでたり、下水が臭ったり、あちこち故障したりと、とさまざまな障害に直面しつつも、朝美しい富士山をみると「まっいっか」と全てがどうでもよくなった。
仮住まいの目の前には江戸時代からの聖地を結ぶ古い道があり、裏手に地域で唯一残った幕末の郷倉があり、徒歩数分のところに鎮守の神社もある。家から道をみると江戸時代の巡礼が歩いているのがみえるようで歴史の学徒として嬉しいロケーションであった。
12月21日
冬至の日の夜 約400年ぶりに超接近した木星と土星が二階の窓からきれいにみえた。空が開けている家はそれだけで精神衛生にいい(写真は冬至の日に近辺でとった写真のプレビュー。朝は富士山がきれいにみえ夜は金星と土星がきれいだった)。

2021年1月1日
年明けとともに鎮守さまに初詣。コロナを理由に毎年のお振る舞いの甘酒はなしとのことで、神主さんにお祓いをしていただき、福箸を授かる。しかし、今年初めてなので例年との差がわからず結構満足する。この鎮守様、仮住まいから駅前に買い物にいく途中にあり、富士山が見える絶景ポイントであり、中陰の間、アホほど通った。
一月から二月にかけて、自宅は内装工事が入り、やがて足場がはずれ、配線工事が入り、完成に近づいていった。
2月13日(土)
23時08分頃、福島県沖を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生した。仮住まいは武蔵野の斜面にたっているので(だから見晴らしがいい)、この地震でものすごい揺れてびびった。新築自宅は地震・火災・大風・豪雨に強い造りとのことなので、ひっこせばこの不安はなくなるはず。
●新居へ遷宮
2月27日
関係者が集まって、自宅の仕上がり具合の確認が行われた。引き渡しは書類の都合で三月四日となるが、事実上はこの日が竣工日。奇しくも引っ越しの日より六回目の満月の日、さらにチベット暦正月15日の吉日であった。
3月4日
新居の鍵の引き渡しと同時に引っ越しを行った。造園業者に70万円とられたキンモクセイの移植はこの前日に搬入されていた。全体に外構にはいろいろ問題があった。引っ越し当日、キレイなものを先にいれるのが縁起がいいというので、まずは我が家のご神体、お鳥様とターラー尊を院生W くんに車だしてもらっておうつしする。
それからトラック四台で家具や本のはいったダンボール箱を運ぶ。業界では学者の引っ越しは本が多いので大変と言われているらしいが、運ぶ人はまだいい。この箱をあけて本棚にうつす私はもっと大変である。
3月6日
仮住まいを明け渡す手続きを行う。何もかも運び出された家はまた前と同じ気味の悪い空き家に戻った。これは私がこの家を自宅とみなさなくなったことによるものなのか、カラッポであることがそうみさせているのか、どちらかと言えば後者ではないかと思う。
二年前淡路島にリトリートをたてたYさんは、こうおっしゃる。
「私はリトリートを建てたあとも、仕事で東京や大阪に滞在することが多くて、リトリートに本当に腰を落ち着けたのは建って一年後だったんです。そうして落ち着いたある朝、なんか吉祥な感じがするので、庭にでてみると、私がこの土地を買う前からあった涸れ井戸に水が湧いていたんですよ。」
彼女曰く家でも精神でもカラッポのままだとよくないものがはいってくるのだという。
そうか。何もない家はただの器であり、そこに誰かが住んで、愛するものを守り、良い仕事をしていくうちにその場がよいもの=自分の家になっていくのか。うちには涸れ井戸はないが、この器としての家を良い感情で満たし、論文や仕事が泉のようにわいてくる場にしていかなければならない。
捨てる決心がつかずに仮住まいにもって行ったものを、また新しい自宅にもって戻り、まだ捨てる決心がつかないため、引っ越しとはゴミが右往左往することなのだと思う。
一区切りついたので、仮住まい中の心理変化について忘れない内に記録しておきたい。生まれた時から同じ家に住み続けていた自分にとって、自宅が更地になり、新しい自宅にもどるまでは本当に心許なく、仏教でいう「中陰」すなわち、肉体が死んだ後、意識が次の体に入るまでの過渡期のような気分であった。以下三期(阿倍仲麻呂期、住めば都期、遷宮期)にわけてお話ししたい。
●阿倍仲麻呂期
9月2日
仮住まいに引っ越す。仮住まいは駅から遠く、風呂場にナメクジがでるほど古く,押し入れに白塗りの子がでてきそうな昭和物件。はじめは「何か」がいるような気がして怖くて仕方がなかった。
その上、アコギな不動産業者は、ペットが傷つけないように襖と障子をはずして住めと言うので、夏は暑く冬は八寒地獄でつらいのなんの。その上配電が悪く鳥の部屋と猫の部屋の両方のエアコンをつけるとブレーカーがおちる。一階と二階のリビングを同じブレーカーにまとめるってどんな仕様よ。さらに、リビングの電気が壊れ、ガスが漏れ2回も業者が修理に入った。
こんな貸し家であったたため、引っ越し当初は自宅が恋しく、引っ越しの疲労もあり、めまい・頭痛・急激な視力低下など体調絶不調。遠回りして自宅近くのスーパーで買い物をすると、今はない自宅に戻りたくなりメンタルも絶不調。引っ越しの日がくしくも満月であったため、満月をみるたびに、「あと何回満月がくれば自宅に戻れる」と指折り数え、気分は唐の長安で月をみて故郷を懐かしんだ阿倍仲麻呂。
生まれ育った家が解体されるのは見るにたえないので、引っ越した後は、自宅方面に足を向けることを意識的に避けていたが、一度夜中に用があって自宅近くまでいった時、遠目に家があったはずの場所に闇の空間が拡がっているのを見てしまい、何ともいえない暗い気持ちになった。
10月3日

しかし、自宅がなくなった現実を直視せねばならない日がやってきた。地鎮祭である。この日、工事関係者ならびに施工主が集まってお祓いをうけ、工事の安全を祈願する(私はあらゆる験を担ぐ)。庭の一角を残して更地になったわが家を見るのはとてもつらかった。庭にいた蛙やヤモリの行く末を考えると胸が痛い。本当はボロ屋で死にたかった。
丁度この時期、愛鳥(オカメインコのごろう様) の一族である合気道道場の二階で自由にいきる58羽のオカメインコたちも、道場主がなくなって里子にだされ離散したため、私も愛鳥もともに難民である。帰る家がなくなるというのは本当に心許ない。メンタル中陰である。
10月20日
この日、あらかた仕上がった自宅の基礎に、地鎮祭で授かった人形(ひとがた)と興福寺の鎮め物の中にもある魔除けの水晶玉を、浄水で清めて基礎の四方に埋めた。
折角チベットを研究しているので、チベットでは新しい家を建てるときどんなものを基礎に埋めるのかを清風学園の平岡先生に伺う。先生「チューロ・リンポチェに聞いてみます」と勢いよく請け合われた。
暫くして電話があり「リンポチェが砂マンダラの砂がいいというので、ガワン先生がギュメ大僧院の座主をつとめていらした時御作りになった、グヒヤサマージャの砂マンダラの砂をほんとうに数粒ですがおわけします。この砂は亡くなられた方の額につけると良い転生をするというお加持のあるものです」とのこと。

なので新居の基礎には水晶玉と砂マンダラの砂が埋まっている。
●住めば都期
12月7日
棟上げ式。朝十時から工事関係者が揃いふみで骨組みができた自宅の内覧をする。更地になった時に極限まで不安定になったわが精神は、家の形がともかくもできたことにより、この日を境に安定し始めた。何事もなければ同じ間取りで同じ庭がみえるこの家に来年三月には入れる。転生先の肉体がきまったような安心感(笑)。

また、この頃、不思議なもので、仮住まいになじんできた。おそらく、愛鳥と愛猫、チベットのご本尊群が入ったことにより、呪われた昭和家屋は「私の家」になってきたのだ。
気がつけば仮住まいの二階の西向きの窓は見晴らしがよく、朝焼け夕焼けの富士山をみることができ、夜になるとコスギのビル群の夜景が美しい。また目の前には公園があり、秋は紅葉が美しく、初春は梅の香りが楽しめた。晴れた日、人がいないのをみはからって、昼ご飯をお盆にのせて公園で食べたら気持ちよかった。


また、近くに大学のキャンパスや風致地区となっている公園があるため、散歩や買い物が楽しい。ナメクジがでたり、下水が臭ったり、あちこち故障したりと、とさまざまな障害に直面しつつも、朝美しい富士山をみると「まっいっか」と全てがどうでもよくなった。
仮住まいの目の前には江戸時代からの聖地を結ぶ古い道があり、裏手に地域で唯一残った幕末の郷倉があり、徒歩数分のところに鎮守の神社もある。家から道をみると江戸時代の巡礼が歩いているのがみえるようで歴史の学徒として嬉しいロケーションであった。
12月21日
冬至の日の夜 約400年ぶりに超接近した木星と土星が二階の窓からきれいにみえた。空が開けている家はそれだけで精神衛生にいい(写真は冬至の日に近辺でとった写真のプレビュー。朝は富士山がきれいにみえ夜は金星と土星がきれいだった)。

2021年1月1日
年明けとともに鎮守さまに初詣。コロナを理由に毎年のお振る舞いの甘酒はなしとのことで、神主さんにお祓いをしていただき、福箸を授かる。しかし、今年初めてなので例年との差がわからず結構満足する。この鎮守様、仮住まいから駅前に買い物にいく途中にあり、富士山が見える絶景ポイントであり、中陰の間、アホほど通った。
一月から二月にかけて、自宅は内装工事が入り、やがて足場がはずれ、配線工事が入り、完成に近づいていった。
2月13日(土)
23時08分頃、福島県沖を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生した。仮住まいは武蔵野の斜面にたっているので(だから見晴らしがいい)、この地震でものすごい揺れてびびった。新築自宅は地震・火災・大風・豪雨に強い造りとのことなので、ひっこせばこの不安はなくなるはず。
●新居へ遷宮
2月27日
関係者が集まって、自宅の仕上がり具合の確認が行われた。引き渡しは書類の都合で三月四日となるが、事実上はこの日が竣工日。奇しくも引っ越しの日より六回目の満月の日、さらにチベット暦正月15日の吉日であった。
3月4日
新居の鍵の引き渡しと同時に引っ越しを行った。造園業者に70万円とられたキンモクセイの移植はこの前日に搬入されていた。全体に外構にはいろいろ問題があった。引っ越し当日、キレイなものを先にいれるのが縁起がいいというので、まずは我が家のご神体、お鳥様とターラー尊を院生W くんに車だしてもらっておうつしする。
それからトラック四台で家具や本のはいったダンボール箱を運ぶ。業界では学者の引っ越しは本が多いので大変と言われているらしいが、運ぶ人はまだいい。この箱をあけて本棚にうつす私はもっと大変である。
3月6日
仮住まいを明け渡す手続きを行う。何もかも運び出された家はまた前と同じ気味の悪い空き家に戻った。これは私がこの家を自宅とみなさなくなったことによるものなのか、カラッポであることがそうみさせているのか、どちらかと言えば後者ではないかと思う。
二年前淡路島にリトリートをたてたYさんは、こうおっしゃる。
「私はリトリートを建てたあとも、仕事で東京や大阪に滞在することが多くて、リトリートに本当に腰を落ち着けたのは建って一年後だったんです。そうして落ち着いたある朝、なんか吉祥な感じがするので、庭にでてみると、私がこの土地を買う前からあった涸れ井戸に水が湧いていたんですよ。」
彼女曰く家でも精神でもカラッポのままだとよくないものがはいってくるのだという。
そうか。何もない家はただの器であり、そこに誰かが住んで、愛するものを守り、良い仕事をしていくうちにその場がよいもの=自分の家になっていくのか。うちには涸れ井戸はないが、この器としての家を良い感情で満たし、論文や仕事が泉のようにわいてくる場にしていかなければならない。
チベット暦正月のチベット界隈ニュース
2021年3月10日は62回目のチベット蜂起記念日。亡命第一世代はどんどん鬼籍に入り、欧米の中国批判が強力であった期間に成長した第二世代は多少希望をもっていたものの、中国が経済・軍事において強大化する中、現在第三世代を中心とした全世代に無力感が拡がっているという。
ここにきて風向きは少し変わり始めてもいる。これまで世界は中国市場を失いたくないがために、中国政府のさまざまな問題点に目をつぶってきた。しかし、香港の民主派をつぶし、ミャンマーの軍事政権のクーデターを援護し、ウイグル人を収容所にいれ年年軍事費を増強し太平洋に軍事進出し、はてはコロナの震源地となった中国に対し、EU、イギリス、アメリカは態度を変え、中国の問題点をはっきり指摘するようになってきた。その副産物で中国は日本に秋波を送り始めているが、これに飛びつきそうな二階幹事長は国内で右からも左からも袋だたきにあっている。
先進国はもう中国警戒モード全開。
こんな中国にチベットは62年支配されてきたのである(東チベットはもっと長く1905年から)。先頃、アメリカのフリーダム・ハウスが発表する、「世界自由度ランキング」(政治的権利・市民の自由にたいするアクセスレベルで計る)では,本土チベットはシリアとならんで世界でもっとも「自由のない国」と認定された(ソースはここ)。
明るいニュースとしては、コロナが猖獗を極めるインドにおいてもワクチンの接種がはじまり、最近ダライラマ法王も第一回目のワクチンを接種受けた。以下がそのニュースです。

●コロナ: ダライラマは最初の接種を受け、みなにワクチン接種を呼びかける(ソースはここ) CTA news 2021年3月7日
チベットの精神指導者ダライラマはダラムサラの使節でオークスフォード・アストラゼネカのコロナ・ワクチンの最初の摂取を受け、接種対象者に「これは本当に本当に有益なものです。」と勧めた。
インドは1月16日からワクチン接種を開始しているが、それは医療従事者や最前線の関係者に限定されていた。
最後に、2月27日の満月の日に行われた祈願会のクライマックスについて報告したCTAの記事を抄訳する。コロナ禍においてもチベットは各地をつないでバーチャルに祈願会を行い、伝統の法王法話も発信された。亡命しようが、コロナ下であろうがなんであれ伝統儀礼をきちんと行うチベットの気合いがつたわってくる。
●ダライラマ猊下が大祈願会の満月の法話を行う。
(ソースはここ)CTA news 2021年2月28日
ダライラマ猊下がダラムサラのお住まいのウェブカメラの前に登場されると、デプン大僧院の声明師(dbu mdzad)が重低音で祈願文の出だしを読誦した。それから『般若心経』を唱え、次にセラ大僧院の声明師が『悟りに至る階梯(lam rim)思想の系譜に捧げる祈願文』を唱え、最後にガンデン大僧院の声明師が[導師に教えを請う象徴的所作である]マンダラ奉呈を行った。これらはみなウェブカメラの中で行われ、ダライラマ法王はガンデン大僧院の現座主、元座主、前座主、主立った転生僧たち、ラダックの発心協会(Semkye Association)の僧侶たちをウェブ上でご覧になっていた。
ここで法王はパンディタ帽を一瞬かぶると祈願文の導入部を唱え、法話を開始した。

「この法話会は大祈願会の一部として行われています。我々は[コロナで]対面では集まれないので、オンラインで集っています。祈願会の所作は非常に複雑で私は午後の法要をリードするために練習をしなければなりません。極楽に関する祈願文です。あまりに緊張していたので、あたりに鳥がとんでいるのも気づきませんでした。」
「私たちはパンデミックで対面で集まる事はできませんが、問題ありません。私の法話はどこからでもアクセスできるからです。もし中国に支配されているチベットの人々がそこにいるなら嬉しいですが。伝統に則り、私はまず前回途中まで話した仏様の前世のお話しをして、その後、ナーガールジュナの著された『宝行王正論』からのお話しをいたします。」
「 我々は今21世紀を生きていますが、チベット人の多くは難民として亡命の地にあります。仏の教えは弟子達のニーズと性質に応じて授けられ、論理と理性を用いる鋭い知性によって保持されてきました。仏教はいまや多くの地域に広がり、さらに多くの人々の関心を引いています。」
「歴史のお話しをすれば、七世紀に観音菩薩の化身として知られるソンツェンガムポ王が洞察力をもって中国と関係をもち、中国から妃を迎え、その妃が仏陀の像をチベットにもたらし、その像はラサの釈迦堂(ジョカン)に祀られています。王はインドの文字をモデルにしてチベット文字を作りました。[それから五代目の]ティソンデツェン王は偉大なるシャーンタラクシタをインドからチベットに招き、シャーンタラクシタは我々チベット人に仏典をチベット語に翻訳するように勧めました。その結果、我々はインドの言葉のサンスクリット語やパーリ語を用いずに仏典を理解することができるようになりました。」
「シャーンタラクシタは[インドの仏教の最高学府]ナーランダ大僧院からやってきた方なので、我々チベット人は最初からナーランダの伝統を学んでいたわけです。つまりナーランダの学風である論理学と論証学によって仏教を学んだのです。これは他の仏教国にはみられないないやり方です。仏の教えがかくも完全に保存できたのは、シャーンタラクシタやチベット人の翻訳家たち、また、インドの学者たちのおかげなのです。チベットの人々は困難に際してもゆるがない信仰心をもちつづけました。誇るべき深淵なる伝統を我々は保持しているのです。強硬路線の中国の官僚ですらこれは認めるでしょう。」
「私が毛沢東に会った時、彼がもつ一般大衆を救おうとする社会主義者の動機に深い感銘を受けました。しかしながら時が経つにつれてそれは変わっていきました。いまや富める者と貧しいものとの差は天文学的に開いています。本土チベットのチベット人は老いも若きもチベットの伝統を支持しています。それは釈迦堂の前で五体投地をする人々からもわかります。私は彼らに休めといってあげたいです。」
「若者はチベット語に関心をもってください。最近は[青海省の省都]西寧ですらチベット語が教えられていると聞いています。これは過去に見られなかったことです。チベット全域のチベット人に我々の共通言語に関心をもつようにお願いしたいです。話し言葉は様々な方言がありますが、書き言葉は共通しています。[チベット語を学び仏典を読む時には]同時に仏陀がこういったことを思い出してください。『賢者が金の真贋を見極めるために、焼いたり、こすったり剪ったりするように、比丘たちよ。私の言葉を単に私を尊敬しているという理由からではなく、十分吟味してから信じなさい。』懐疑的であれ。学びそして試しなさい。」
以下、仏の前世のお話しから王子ヴィシュヴァンタラVishvantaraの物語を取り上げました。ヴィシュヴァンタラの主な美徳は寛大さでした。ある廷臣が父王に「王子はあまりにも寛大なので、帝国の富を他に施して消費するまえに廃位するよう」にと訴えました。(なぜかここで話は突然ぶっ切れて『宝行王正論』の話となる)
「『宝行王正論』の著者ナーガールジュナはパーリ語仏典の伝統にはあまりひかれなかったようで、サンスクリット語仏典の伝統に重きをおきました。彼は般若思想系の経典に記録されている仏陀の第二期の教え(第二転法輪)について説きました。この『宝行王正論』は空思想について扱うナーガールジュナの「正しい論理についての六つの著作」の内の一つで、さらに詳細な修道について説明しています。セルコンリンポチェの注釈に則って本書を解説します。」
「本書の第一聯目では仏陀に対する帰依が説かれます。仏陀は欠点がなく、三阿僧祇という永遠にも均しい長い間、全ての命あるものに対して愛をもって接しさらに智恵を育み、善行と智恵を積んできた方です。ナーガールジュナは仏を素晴らしい教えの器であると言います。第三聯目では仏教を修行するためには良い転生をすることが不可欠であると説いています。良い転生は十の悪い行い(殺生・偸盗・邪淫・妄語・両舌・綺語・悪口・貪・嗔・邪見)を控え、良い行いを実行することによって得ることができます。酒を飲まず、正しい生活をし、人を害さず、困っている人に施しをし、他者を尊重し愛することによってさらに補完することができます。」
最後に法王はラダック発心協会の懇請によって「他者のために悟りを目指す心を起こす」(発菩提心)の儀式を執り行った。
「我々は社会的な存在であり、社会に依存しています。従って、シャーンティデーヴァが『悟りへの道』で説いたように我々は他者にやさしさを示す必要があります。」
シャーンティデーヴァはこういいます
"苦しんでいる人はみな自分の幸福を追求しているがゆえにそうなっている。幸福な人は他者の幸福を願っているが故に幸せなのである" 8章129偈
"自分のことばかり考えている愚者と他者のために行動している賢者、この違いを観察してみなさい。他にいうことがありますか?" 8章130偈
"自分の幸福を他人の苦しみと交換しない人は仏の境地に達することはできない。この輪廻の中においても幸福になることはない。だからあらゆる命あるものに対して利他的でなければならない"8章131偈
仏の境地を目指す心をおこすための儀式(発菩提心)を主催した後、
「この心こそが仏の教えの心髄です。わたしはもちろん本尊のヨーガを行いますが、私の主な修行はこの他者のために仏の境地を目指す心を陶冶し、空を理解する智恵を育むことにおいています。私はいわゆる祝福の系譜なるもには重きを置いていません。以上です。」
ここにきて風向きは少し変わり始めてもいる。これまで世界は中国市場を失いたくないがために、中国政府のさまざまな問題点に目をつぶってきた。しかし、香港の民主派をつぶし、ミャンマーの軍事政権のクーデターを援護し、ウイグル人を収容所にいれ年年軍事費を増強し太平洋に軍事進出し、はてはコロナの震源地となった中国に対し、EU、イギリス、アメリカは態度を変え、中国の問題点をはっきり指摘するようになってきた。その副産物で中国は日本に秋波を送り始めているが、これに飛びつきそうな二階幹事長は国内で右からも左からも袋だたきにあっている。
先進国はもう中国警戒モード全開。
こんな中国にチベットは62年支配されてきたのである(東チベットはもっと長く1905年から)。先頃、アメリカのフリーダム・ハウスが発表する、「世界自由度ランキング」(政治的権利・市民の自由にたいするアクセスレベルで計る)では,本土チベットはシリアとならんで世界でもっとも「自由のない国」と認定された(ソースはここ)。
明るいニュースとしては、コロナが猖獗を極めるインドにおいてもワクチンの接種がはじまり、最近ダライラマ法王も第一回目のワクチンを接種受けた。以下がそのニュースです。

●コロナ: ダライラマは最初の接種を受け、みなにワクチン接種を呼びかける(ソースはここ) CTA news 2021年3月7日
チベットの精神指導者ダライラマはダラムサラの使節でオークスフォード・アストラゼネカのコロナ・ワクチンの最初の摂取を受け、接種対象者に「これは本当に本当に有益なものです。」と勧めた。
インドは1月16日からワクチン接種を開始しているが、それは医療従事者や最前線の関係者に限定されていた。
最後に、2月27日の満月の日に行われた祈願会のクライマックスについて報告したCTAの記事を抄訳する。コロナ禍においてもチベットは各地をつないでバーチャルに祈願会を行い、伝統の法王法話も発信された。亡命しようが、コロナ下であろうがなんであれ伝統儀礼をきちんと行うチベットの気合いがつたわってくる。
●ダライラマ猊下が大祈願会の満月の法話を行う。
(ソースはここ)CTA news 2021年2月28日
ダライラマ猊下がダラムサラのお住まいのウェブカメラの前に登場されると、デプン大僧院の声明師(dbu mdzad)が重低音で祈願文の出だしを読誦した。それから『般若心経』を唱え、次にセラ大僧院の声明師が『悟りに至る階梯(lam rim)思想の系譜に捧げる祈願文』を唱え、最後にガンデン大僧院の声明師が[導師に教えを請う象徴的所作である]マンダラ奉呈を行った。これらはみなウェブカメラの中で行われ、ダライラマ法王はガンデン大僧院の現座主、元座主、前座主、主立った転生僧たち、ラダックの発心協会(Semkye Association)の僧侶たちをウェブ上でご覧になっていた。
ここで法王はパンディタ帽を一瞬かぶると祈願文の導入部を唱え、法話を開始した。

「この法話会は大祈願会の一部として行われています。我々は[コロナで]対面では集まれないので、オンラインで集っています。祈願会の所作は非常に複雑で私は午後の法要をリードするために練習をしなければなりません。極楽に関する祈願文です。あまりに緊張していたので、あたりに鳥がとんでいるのも気づきませんでした。」
「私たちはパンデミックで対面で集まる事はできませんが、問題ありません。私の法話はどこからでもアクセスできるからです。もし中国に支配されているチベットの人々がそこにいるなら嬉しいですが。伝統に則り、私はまず前回途中まで話した仏様の前世のお話しをして、その後、ナーガールジュナの著された『宝行王正論』からのお話しをいたします。」
「 我々は今21世紀を生きていますが、チベット人の多くは難民として亡命の地にあります。仏の教えは弟子達のニーズと性質に応じて授けられ、論理と理性を用いる鋭い知性によって保持されてきました。仏教はいまや多くの地域に広がり、さらに多くの人々の関心を引いています。」
「歴史のお話しをすれば、七世紀に観音菩薩の化身として知られるソンツェンガムポ王が洞察力をもって中国と関係をもち、中国から妃を迎え、その妃が仏陀の像をチベットにもたらし、その像はラサの釈迦堂(ジョカン)に祀られています。王はインドの文字をモデルにしてチベット文字を作りました。[それから五代目の]ティソンデツェン王は偉大なるシャーンタラクシタをインドからチベットに招き、シャーンタラクシタは我々チベット人に仏典をチベット語に翻訳するように勧めました。その結果、我々はインドの言葉のサンスクリット語やパーリ語を用いずに仏典を理解することができるようになりました。」
「シャーンタラクシタは[インドの仏教の最高学府]ナーランダ大僧院からやってきた方なので、我々チベット人は最初からナーランダの伝統を学んでいたわけです。つまりナーランダの学風である論理学と論証学によって仏教を学んだのです。これは他の仏教国にはみられないないやり方です。仏の教えがかくも完全に保存できたのは、シャーンタラクシタやチベット人の翻訳家たち、また、インドの学者たちのおかげなのです。チベットの人々は困難に際してもゆるがない信仰心をもちつづけました。誇るべき深淵なる伝統を我々は保持しているのです。強硬路線の中国の官僚ですらこれは認めるでしょう。」
「私が毛沢東に会った時、彼がもつ一般大衆を救おうとする社会主義者の動機に深い感銘を受けました。しかしながら時が経つにつれてそれは変わっていきました。いまや富める者と貧しいものとの差は天文学的に開いています。本土チベットのチベット人は老いも若きもチベットの伝統を支持しています。それは釈迦堂の前で五体投地をする人々からもわかります。私は彼らに休めといってあげたいです。」
「若者はチベット語に関心をもってください。最近は[青海省の省都]西寧ですらチベット語が教えられていると聞いています。これは過去に見られなかったことです。チベット全域のチベット人に我々の共通言語に関心をもつようにお願いしたいです。話し言葉は様々な方言がありますが、書き言葉は共通しています。[チベット語を学び仏典を読む時には]同時に仏陀がこういったことを思い出してください。『賢者が金の真贋を見極めるために、焼いたり、こすったり剪ったりするように、比丘たちよ。私の言葉を単に私を尊敬しているという理由からではなく、十分吟味してから信じなさい。』懐疑的であれ。学びそして試しなさい。」
以下、仏の前世のお話しから王子ヴィシュヴァンタラVishvantaraの物語を取り上げました。ヴィシュヴァンタラの主な美徳は寛大さでした。ある廷臣が父王に「王子はあまりにも寛大なので、帝国の富を他に施して消費するまえに廃位するよう」にと訴えました。(なぜかここで話は突然ぶっ切れて『宝行王正論』の話となる)
「『宝行王正論』の著者ナーガールジュナはパーリ語仏典の伝統にはあまりひかれなかったようで、サンスクリット語仏典の伝統に重きをおきました。彼は般若思想系の経典に記録されている仏陀の第二期の教え(第二転法輪)について説きました。この『宝行王正論』は空思想について扱うナーガールジュナの「正しい論理についての六つの著作」の内の一つで、さらに詳細な修道について説明しています。セルコンリンポチェの注釈に則って本書を解説します。」
「本書の第一聯目では仏陀に対する帰依が説かれます。仏陀は欠点がなく、三阿僧祇という永遠にも均しい長い間、全ての命あるものに対して愛をもって接しさらに智恵を育み、善行と智恵を積んできた方です。ナーガールジュナは仏を素晴らしい教えの器であると言います。第三聯目では仏教を修行するためには良い転生をすることが不可欠であると説いています。良い転生は十の悪い行い(殺生・偸盗・邪淫・妄語・両舌・綺語・悪口・貪・嗔・邪見)を控え、良い行いを実行することによって得ることができます。酒を飲まず、正しい生活をし、人を害さず、困っている人に施しをし、他者を尊重し愛することによってさらに補完することができます。」
最後に法王はラダック発心協会の懇請によって「他者のために悟りを目指す心を起こす」(発菩提心)の儀式を執り行った。
「我々は社会的な存在であり、社会に依存しています。従って、シャーンティデーヴァが『悟りへの道』で説いたように我々は他者にやさしさを示す必要があります。」
シャーンティデーヴァはこういいます
"苦しんでいる人はみな自分の幸福を追求しているがゆえにそうなっている。幸福な人は他者の幸福を願っているが故に幸せなのである" 8章129偈
"自分のことばかり考えている愚者と他者のために行動している賢者、この違いを観察してみなさい。他にいうことがありますか?" 8章130偈
"自分の幸福を他人の苦しみと交換しない人は仏の境地に達することはできない。この輪廻の中においても幸福になることはない。だからあらゆる命あるものに対して利他的でなければならない"8章131偈
仏の境地を目指す心をおこすための儀式(発菩提心)を主催した後、
「この心こそが仏の教えの心髄です。わたしはもちろん本尊のヨーガを行いますが、私の主な修行はこの他者のために仏の境地を目指す心を陶冶し、空を理解する智恵を育むことにおいています。私はいわゆる祝福の系譜なるもには重きを置いていません。以上です。」
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