FC2ブログ
白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2020/02/05(水)   CATEGORY: 未分類
120年前の小さな秘密
院生Wくんが1904年に日本人で三番目にチベットのラサ入りを果たした寺本婉雅について調べていておかしな点に気づいた。ちなみに潜入中の寺本の肖像はこれ↓
寺本婉雅肖像

Wくん「寺本は1899年にチベットに出発する前に、北京に駐在する矢野文雄公使から駐蔵大臣(ラサに駐留する清朝官僚)宛の紹介状を書いてもらうのですが、その際矢野公使が肩書きを入れなかったとくやしそうに日記に書いてあるんですよ。なのに、現在残る矢野公使の紹介状には肩書きがばっちりはいっていて、しかし日付は翌日なんです。」

そこで、寺本婉雅の日記をみると確かに1899年3月1日の項に

 越へて二日、[矢野]公使余を招きて曰く、『二十九年の公文通知にり[清朝の]総理衙門に要求し難しと。其代り駐蔵大臣の紹介状を与へん』とて、単に官名を記せざる矢野文雄の名を記したる書面を渡されたり。余怪しみて曰く、何故に官名を記し玉(たま)はずや。曰く、『事公然に渉るを恐るるのみ。縦(たと)ひ官名なきも彼或は之を察すべけむ』と。余は此の事に就(つ)き甚だ失望を感じたりしも、復た詮方(せんかた)なかりき(『蔵蒙旅日記』46)。

と、かみ砕いていえば、「現地の人に便宜を図ってもらえるように公使の名前で私を守って、と頼んだのに、矢野公使は保身に走って官名かいてくれなかった、まじ失望した」とある一方、今に残る紹介状の矢野公使の肩書きは「北京駐箚日本欽差全権大臣」とかなーり仰々しい。

私「この肩書き、寺本の偽造じゃね?」

Wくん「公文書の偽造なんてそうそうやりませんよ。うがちすぎですよ」

しかし、私はこう思った。もし矢野公使が翌日思い直して、肩書き入りの紹介状を送ったとしたら、記録魔の寺本はそれを絶対日記にかく。なのに書いてないのは不自然。それに、現場で苦労する側は身を守るためには偽造くらいするだろう。大体、これは公文書じゃないし、見るのは駐蔵大臣で、日本の関係者じゃない。

長年にわたりアメリカのドラマCISシリーズを見続け脳内捜査官の私は、頼まれてもいないのに筆跡鑑定にとりかかった。文字には指紋と同じくそれを書いた個人のしるしが残る。文字のはねとかとめとかはコントロールできないからだ。欧米でサインが身元証明に用いられるのはそのためである。

 まず矢野公使が書いたことが確かな部分から大の字をきりだす。紹介状本文の一行目の大乗と、後ろから二行目の駐蔵大臣、最終行の文海大人の三つをきりだし、矢野公使が書いたかどうか不明の肩書きの中の全権大臣の大の字と比べる。とくに三画目のはね方をくらべると前者三つと後者は明らかに違う。肩書きの大ははね方がつつましい。
矢野龍渓明治320303

 また、矢野公使が紹介状と同日に揮毫した書には在、北京日本欽差府とあり、紹介状にかかれた全権大臣といった日本国を代表することを明示した権威的肩書きを用いていないことも傍証となる。

 そこで、今度は寺本婉雅の筆跡から大の字を探す。これは寺本婉雅による大隈重信宛書簡からうるほどでてきた。大隈の大だからw。
 寺本大隈文字

はい、これがそれです。肩書きの大と比べてみてください。三画目のハネが同じである。
ちなみにも、日付は二に一本くわえて三にしただけとみた。以下は上が肩書き、下が寺本発大隈宛書簡の寺本の文字である。
縮め肩書き
ちぢめ寺本
 以上、現場からお伝えしました。
[ TB*0 | CO*2 ] page top
Copyright © 白雪姫と七人の小坊主達. all rights reserved. ページの先頭へ