ツォンカパ入定600周年式典
今年はチベット仏教最大宗派ゲルク派の開祖、ツォンカパ (1357-1419) が入定して600年目である。「入定」とは文字通りには瞑想(定)に入っている状態を指す。深い瞑想に入った行者は息も細くなり身体活動が限りなく低下するため一見死んでいるかのように見える。そのため、高僧の死を婉曲に表現する際にもこの言葉は用いられる。
マニアなゲルク派の僧侶たちは「ツォンカパが『死んで』とかいうのはよくない。『双入』して600年と言うべきである。」と熱弁をふるう。なぜなら、ツォンカパは清僧だったので、死後、幻身を得た後にダーキニーと双入(zung ‘jug)して成仏したためである。成仏の仕方に重点をおけば確かにそうとも表現できる。
ツォンカパは死の直前にセラ・チューディン(se ra chos sdings)の修行場に弟子を集め、自らの著した秘密集会タントラの四巻の注釈書*を手にかかげ、「私のこの教えをつぐものは誰かいないか」と問いかけた。すると、なみいる先輩僧をさしおいて若いシェーラプ・センゲがたちあがり、その四巻本を拝した。つまり、今年はシェーラプ・センゲが密教の主となって600周年でもある。
*厳密にいえばチャンドラキールティの注釈書を註釈した複注。全部で四巻ある
というわけで、今年はゲルク派にとって二重にめでたい年なので、そのお祝いに2019年8月9日から11日までの3日間、シェーラプ・センゲが創立したギュメ大僧院(インド・カルナタカ州)において、ゲルク派の位階ナンバー・ワンであるガンデン大僧院座主(ツォンカパの座を継ぐ者)とナンバー・ツーであるチャンツェ法王・シャルツェ法王(ツォンカパの二大弟子の座をつぐ者たち)、ナンバー・スリーのギュメの歴代僧院長というゲルク派の最高位の高僧たちが出御し、さらにサキャ派の座主をお迎えして600年記念式典が行われた。
この期間設定は例年、清風学園の理事長の平岡英信先生がギュメを訪問する期間にあわせたものと思われる。平岡家とギュメの出会いは今から三十年前に遡る。当時学生だった英信先生の子息宏一先生が1984年にこのギュメを訪問し、その窮状を父親英信先生に伝えた。英信先生はただちにギュメにとび、高僧たちが生活苦にあえいでいるのを確認すると、勧進にたちあがり、バブルまっただ中の日本に寄付をよびかけ、1990年に現在のギュメの本堂を建立した。今思えば当時の日本は本当に景気が良かった。
この本堂が建設中の1989年から1990年までの間、宏一先生はギュメに留学してチベット語、そしてこの僧院のお家芸である秘密集会タントラの解釈について学び始めていた。時の管長はゴソ・リンポチェ。リンポチェとは前世が高僧であったことを示す称号であり、ゴソとはゴマン学堂のモンゴル人(ソクポ)を意味する。17世紀にゴマン学堂の座主をつとめた初代ゴソがモンゴル人、もっと詳しく言えばかのトルグート(現ロシアのカルムキア共和国)からチベットに留学して出世したトンドゥプギャムツォなので、この略称がついた**。
**ゴマン学堂がゲルク派のモンゴル布教にはたした役割については拙著『清朝とチベット仏教』をみてね。
宏一先生はすんなり秘密集会タントラの学習を許可されたわけではない。副管長のドルジェタシは日本人が密教の教えを学ぶことによい顔をしなかった。しかし、宏一先生の世話係についていたゴソの弟ゲツォ(本名dge legs phun tshogsの愛称)が、宏一の希望を管長であるゴソにあげたため、ゴソは「チベット人で秘密集会タントラを学びたい人はたくさんいるが、日本人は宏一一人である。まあよいではないか」と鶴の一声で秘密集会タントラの学習を許可したのである。1990年にギュメ大僧院が無事落慶した際の僧院長もゴソ・リンポチェであった。つまり、ゴソ・リンポチェは平岡父子とギュメを結びつけた重要な存在である。
***。
***このあたりの経緯は拙著『ダライ・ラマと転生』を参照ください。
ゲルク派の僧のポストには任期があり任期を終えると出身僧院に戻る。ゴソ・リンポチェもギュメ管長の座を降りた後はセラ大僧院に戻り、平岡父子とゴソの交流は以後30年間途絶えていた。それが、現在ゴソ・リンポチェがチャンツェ法王をつとめているため、この記念式典で父子は30年ぶりにギュメで再会することとなった。宏一先生が秘密集会タントラを学ぶ手助けをしてくれたあのゲツォもゴソ・リンポチェの側近として随行していたので、宏一先生は「とにかく一言だけでもお礼をいわなあかん」とゲツォの部屋をたずねた。ほぼ同世代の二人は30年ぶりにギュメで一時間半旧交を温めることになったのである。

ゲツォは現在55才になっており、2005年に博士号(ゲシェ)をとり、ゴソ・リンポチェのやりてのおつき(シャプチ)としてゴソの海外ツアーについて諸事事務・通訳をつとめるうちに、中国語、英語とフランス語に堪能になっていた。ゲツォによると、「今一番不安をもっているのはインドのチベット難民だ。ダライ・ラマがご存命のうちはまだしも、未来はどのような扱いをうけるか分からない」とのことで、ゴソ・リンポチェはすでに台湾国籍をとっており、彼もネパール人の夫婦と養子縁組をしてネパール市民権をとり、ネパールにゴソの僧院をたてたという。とにかくパワフル。
600周年記念式典は、30年前にギュメ本堂が再建された際のメンバーを不思議にギュメに集め、再会させたのである。バリ不思議。
さて、それでは600年式典の様子を、丸の内でランチいただきながら宏一先生から聴いた話と資料に基づいてレポートする(丸の内オサレでびびった)。
600周年記念式典はダライラマ14世のご真影とシェーラプセンゲ縁の宝物が入場することにより始まった。写真の一番先頭にいる僧が手にもつ細長い経帙がツォンカパがシェーラプセンゲに託したくだんの四巻本である。

私「600年前のものにしちゃ妙に新しい感じですね。それに四巻本というのに一帙ですね。ホンモノですか?」
平岡センセ「「いつもこの一帙です。いくらなんでもホンモノじゃないでしょうという説と、いやホンモノだという二つの説があります。次に黄色いカターをかけた厨子に収められているのは、ツォンカパがシェーラプセンゲに授けた秘密集会尊の仏像です。」
私「ホンモノですか?」
平岡センセ「1959年にギュメ寺の僧侶が亡命した際、幸いホンモノを持ってでられたのですが、ダライラマ法王に献上したので今ダラムサラにあります。これは法王が代わりに下賜された秘密集会尊像です」
私「ホンモノがあるなら法王から今回の儀式用にお借りしてくればいいのに。」
平岡センセ「・・・・。次の青いカターがかかった厨子は、シェーラプセンゲが比丘になった時、ツォンカバが彼に与えた釈迦牟尼仏像でこれはホンモノだと言われています」
これらシェーラプセンゲゆかりの経典や仏像が、ゲルク派の位階のトップのガンデン大僧院の座主の前のテーブルにおかれる。すると、みなでツォンカパを称える「全世界の主に捧げる歌」(dpal ldan sa gsum ma)を斉唱する。
ついでこれら経帙と仏像はガンデン座主から当代のギュメの僧院長へと授けられる。ガンデン座主はツォンカパの死後、ゲルク派の長となったため、いわばツォンカパの代理人である。歴代ギュメの座主はシェーラプセンゲの座を継いでいるわけだから、この所作はツォンカパがシェーラプセンゲに秘密集会タントラの法を授けた故事を再現したものであることがわかる。感動的な再演である。続いて、シェーラプセンゲ賛歌が斉唱される。
そしてスピーチ。式次第を訳すとこんな感じ。
現ギュメ僧院長(blo bzang dbang ‘dus)による儀式の説明(5分)
博士ヨンテンによるシェーラプセンゲの生涯を略述(5分)
チュンペートゥプテン閣下のお話(5分)
日本からこのギュメ僧院を支援してくれている施主閣下平岡英信先生のお話(5分)
チャンツェ法王(ngag dbang gsung rab)閣下、お話。(10分)
シャルツェ法王 閣下、お話。(10分)
最後にメインゲストのガンデン座主 (10分)と、来賓であるサキャ派座主のお話(10分)で開会式が終わる。
昼ご飯をはさんで午後1:30からこの儀式の本体である、エリート僧21人によるディベートがはじまる。

写真は何回目かのディベートで勝者が顕彰されるシーン。真ん中にすわっているのはガンデン座主、その座のふもとで手を合わせている三人が優勝者。ガンデン座主の両側の高座にはチャンツェ法王であるゴソ・リンポチェとシャルツェ法王が座っている。ゲルクはの位階がよく分かる写真である。
日本で歌や舞を神に奉納するように、ゲルク派では秀才の僧侶によってディベートをおこなわせ、その勝者を顕彰することで、仏教の興隆を祈願する。この写真はディベートの風景。挑戦者が座ってマイクの前にいる僧である。

ちなみに初日の夕方、宏一先生はチベット語で20分、「日本仏教ととくに密教について」という演題で講演した。そこでは、聖徳太子の言葉に帰せられる「世間虚仮 唯仏是真」、十七条の憲法などを紹介し、日本の仏教の始まりを述べ、密教については、弘法大師空海が唐にわたって中国人である恵果阿闍梨からインド直輸入の密教を授かったこと。弘法大師は高野山で「入定」し、現在も瞑想しているとされるが、これはチベットの死の瞑想トゥクダム(thug dam)と同じである、と述べ、
「日本の仏教にも仏になるための五相成身観が説かれているが、その内容はあいまいで、ひょっとすると特別な口伝があったのかもしれないが、現在は詳細は分からなくなっている。意識が死に際してどういうふうに悟りの意識につながるかはやはり秘密集会タントラを学ばなければ分からない」と600周年記念にふさわしくツォンカパの入定と秘密集会タントラを言祝いでしめた。
この後、宏一先生はガンデン大僧院に向かい、ガワン先生の生まれ変わりであるヤンシーの成長を確認に。ヤンシーは優秀で『入中論』を覚えたとのことで、教育係も立派な方なのできっと優秀な子に育つとのこと。それからシンガポール経由で帰国する中体調を崩し、日本に帰って三日間寝込んだとのこと。お疲れ様でした。
マニアなゲルク派の僧侶たちは「ツォンカパが『死んで』とかいうのはよくない。『双入』して600年と言うべきである。」と熱弁をふるう。なぜなら、ツォンカパは清僧だったので、死後、幻身を得た後にダーキニーと双入(zung ‘jug)して成仏したためである。成仏の仕方に重点をおけば確かにそうとも表現できる。
ツォンカパは死の直前にセラ・チューディン(se ra chos sdings)の修行場に弟子を集め、自らの著した秘密集会タントラの四巻の注釈書*を手にかかげ、「私のこの教えをつぐものは誰かいないか」と問いかけた。すると、なみいる先輩僧をさしおいて若いシェーラプ・センゲがたちあがり、その四巻本を拝した。つまり、今年はシェーラプ・センゲが密教の主となって600周年でもある。
*厳密にいえばチャンドラキールティの注釈書を註釈した複注。全部で四巻ある
というわけで、今年はゲルク派にとって二重にめでたい年なので、そのお祝いに2019年8月9日から11日までの3日間、シェーラプ・センゲが創立したギュメ大僧院(インド・カルナタカ州)において、ゲルク派の位階ナンバー・ワンであるガンデン大僧院座主(ツォンカパの座を継ぐ者)とナンバー・ツーであるチャンツェ法王・シャルツェ法王(ツォンカパの二大弟子の座をつぐ者たち)、ナンバー・スリーのギュメの歴代僧院長というゲルク派の最高位の高僧たちが出御し、さらにサキャ派の座主をお迎えして600年記念式典が行われた。
この期間設定は例年、清風学園の理事長の平岡英信先生がギュメを訪問する期間にあわせたものと思われる。平岡家とギュメの出会いは今から三十年前に遡る。当時学生だった英信先生の子息宏一先生が1984年にこのギュメを訪問し、その窮状を父親英信先生に伝えた。英信先生はただちにギュメにとび、高僧たちが生活苦にあえいでいるのを確認すると、勧進にたちあがり、バブルまっただ中の日本に寄付をよびかけ、1990年に現在のギュメの本堂を建立した。今思えば当時の日本は本当に景気が良かった。
この本堂が建設中の1989年から1990年までの間、宏一先生はギュメに留学してチベット語、そしてこの僧院のお家芸である秘密集会タントラの解釈について学び始めていた。時の管長はゴソ・リンポチェ。リンポチェとは前世が高僧であったことを示す称号であり、ゴソとはゴマン学堂のモンゴル人(ソクポ)を意味する。17世紀にゴマン学堂の座主をつとめた初代ゴソがモンゴル人、もっと詳しく言えばかのトルグート(現ロシアのカルムキア共和国)からチベットに留学して出世したトンドゥプギャムツォなので、この略称がついた**。
**ゴマン学堂がゲルク派のモンゴル布教にはたした役割については拙著『清朝とチベット仏教』をみてね。
宏一先生はすんなり秘密集会タントラの学習を許可されたわけではない。副管長のドルジェタシは日本人が密教の教えを学ぶことによい顔をしなかった。しかし、宏一先生の世話係についていたゴソの弟ゲツォ(本名dge legs phun tshogsの愛称)が、宏一の希望を管長であるゴソにあげたため、ゴソは「チベット人で秘密集会タントラを学びたい人はたくさんいるが、日本人は宏一一人である。まあよいではないか」と鶴の一声で秘密集会タントラの学習を許可したのである。1990年にギュメ大僧院が無事落慶した際の僧院長もゴソ・リンポチェであった。つまり、ゴソ・リンポチェは平岡父子とギュメを結びつけた重要な存在である。
***。
***このあたりの経緯は拙著『ダライ・ラマと転生』を参照ください。
ゲルク派の僧のポストには任期があり任期を終えると出身僧院に戻る。ゴソ・リンポチェもギュメ管長の座を降りた後はセラ大僧院に戻り、平岡父子とゴソの交流は以後30年間途絶えていた。それが、現在ゴソ・リンポチェがチャンツェ法王をつとめているため、この記念式典で父子は30年ぶりにギュメで再会することとなった。宏一先生が秘密集会タントラを学ぶ手助けをしてくれたあのゲツォもゴソ・リンポチェの側近として随行していたので、宏一先生は「とにかく一言だけでもお礼をいわなあかん」とゲツォの部屋をたずねた。ほぼ同世代の二人は30年ぶりにギュメで一時間半旧交を温めることになったのである。

ゲツォは現在55才になっており、2005年に博士号(ゲシェ)をとり、ゴソ・リンポチェのやりてのおつき(シャプチ)としてゴソの海外ツアーについて諸事事務・通訳をつとめるうちに、中国語、英語とフランス語に堪能になっていた。ゲツォによると、「今一番不安をもっているのはインドのチベット難民だ。ダライ・ラマがご存命のうちはまだしも、未来はどのような扱いをうけるか分からない」とのことで、ゴソ・リンポチェはすでに台湾国籍をとっており、彼もネパール人の夫婦と養子縁組をしてネパール市民権をとり、ネパールにゴソの僧院をたてたという。とにかくパワフル。
600周年記念式典は、30年前にギュメ本堂が再建された際のメンバーを不思議にギュメに集め、再会させたのである。バリ不思議。
さて、それでは600年式典の様子を、丸の内でランチいただきながら宏一先生から聴いた話と資料に基づいてレポートする(丸の内オサレでびびった)。
600周年記念式典はダライラマ14世のご真影とシェーラプセンゲ縁の宝物が入場することにより始まった。写真の一番先頭にいる僧が手にもつ細長い経帙がツォンカパがシェーラプセンゲに託したくだんの四巻本である。

私「600年前のものにしちゃ妙に新しい感じですね。それに四巻本というのに一帙ですね。ホンモノですか?」
平岡センセ「「いつもこの一帙です。いくらなんでもホンモノじゃないでしょうという説と、いやホンモノだという二つの説があります。次に黄色いカターをかけた厨子に収められているのは、ツォンカパがシェーラプセンゲに授けた秘密集会尊の仏像です。」
私「ホンモノですか?」
平岡センセ「1959年にギュメ寺の僧侶が亡命した際、幸いホンモノを持ってでられたのですが、ダライラマ法王に献上したので今ダラムサラにあります。これは法王が代わりに下賜された秘密集会尊像です」
私「ホンモノがあるなら法王から今回の儀式用にお借りしてくればいいのに。」
平岡センセ「・・・・。次の青いカターがかかった厨子は、シェーラプセンゲが比丘になった時、ツォンカバが彼に与えた釈迦牟尼仏像でこれはホンモノだと言われています」
これらシェーラプセンゲゆかりの経典や仏像が、ゲルク派の位階のトップのガンデン大僧院の座主の前のテーブルにおかれる。すると、みなでツォンカパを称える「全世界の主に捧げる歌」(dpal ldan sa gsum ma)を斉唱する。
ついでこれら経帙と仏像はガンデン座主から当代のギュメの僧院長へと授けられる。ガンデン座主はツォンカパの死後、ゲルク派の長となったため、いわばツォンカパの代理人である。歴代ギュメの座主はシェーラプセンゲの座を継いでいるわけだから、この所作はツォンカパがシェーラプセンゲに秘密集会タントラの法を授けた故事を再現したものであることがわかる。感動的な再演である。続いて、シェーラプセンゲ賛歌が斉唱される。
そしてスピーチ。式次第を訳すとこんな感じ。
現ギュメ僧院長(blo bzang dbang ‘dus)による儀式の説明(5分)
博士ヨンテンによるシェーラプセンゲの生涯を略述(5分)
チュンペートゥプテン閣下のお話(5分)
日本からこのギュメ僧院を支援してくれている施主閣下平岡英信先生のお話(5分)
チャンツェ法王(ngag dbang gsung rab)閣下、お話。(10分)
シャルツェ法王 閣下、お話。(10分)
最後にメインゲストのガンデン座主 (10分)と、来賓であるサキャ派座主のお話(10分)で開会式が終わる。
昼ご飯をはさんで午後1:30からこの儀式の本体である、エリート僧21人によるディベートがはじまる。

写真は何回目かのディベートで勝者が顕彰されるシーン。真ん中にすわっているのはガンデン座主、その座のふもとで手を合わせている三人が優勝者。ガンデン座主の両側の高座にはチャンツェ法王であるゴソ・リンポチェとシャルツェ法王が座っている。ゲルクはの位階がよく分かる写真である。
日本で歌や舞を神に奉納するように、ゲルク派では秀才の僧侶によってディベートをおこなわせ、その勝者を顕彰することで、仏教の興隆を祈願する。この写真はディベートの風景。挑戦者が座ってマイクの前にいる僧である。

ちなみに初日の夕方、宏一先生はチベット語で20分、「日本仏教ととくに密教について」という演題で講演した。そこでは、聖徳太子の言葉に帰せられる「世間虚仮 唯仏是真」、十七条の憲法などを紹介し、日本の仏教の始まりを述べ、密教については、弘法大師空海が唐にわたって中国人である恵果阿闍梨からインド直輸入の密教を授かったこと。弘法大師は高野山で「入定」し、現在も瞑想しているとされるが、これはチベットの死の瞑想トゥクダム(thug dam)と同じである、と述べ、
「日本の仏教にも仏になるための五相成身観が説かれているが、その内容はあいまいで、ひょっとすると特別な口伝があったのかもしれないが、現在は詳細は分からなくなっている。意識が死に際してどういうふうに悟りの意識につながるかはやはり秘密集会タントラを学ばなければ分からない」と600周年記念にふさわしくツォンカパの入定と秘密集会タントラを言祝いでしめた。
この後、宏一先生はガンデン大僧院に向かい、ガワン先生の生まれ変わりであるヤンシーの成長を確認に。ヤンシーは優秀で『入中論』を覚えたとのことで、教育係も立派な方なのできっと優秀な子に育つとのこと。それからシンガポール経由で帰国する中体調を崩し、日本に帰って三日間寝込んだとのこと。お疲れ様でした。
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