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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2017/05/31(水)   CATEGORY: 未分類
春のモンゴル学会雑感
5月20日(土)に東京外国語大学で行われた日本モンゴル学会に行ってみた。私はモンゴルゼミ出身なのでこの学会にいくと受付からはじまり、後輩がぞろぞろいて同窓会状態。みんな元気そうで何より。

聞いた分についてざっと演目をあげると(最後の部分はすいません、聞いてません!)、以下の通り、


●講演 O. バトサイハン (モンゴル国科学アカデミー国際研究所教授)「近代モンゴル政治の基盤を築いたボグド・ハーンの思想

●研究発表

1.額日登巴雅爾(エルドンバヤル)(内モンゴル大学)「内モンゴル人民共和国臨時政府の設立過程及びその目的」
2.哈木格図(ハムゴト)(広島大学大学院総合科学研究科)「近代内モンゴル民族主義運動とラマ勢力――近代内モンゴルの政教関係(1924〜1936 年)」
3.娜荷芽(ナヒヤ)(内モンゴル大学)
「「満洲国」期におけるモンゴル人留学事業について」
4.包宝海(バオ・バオハイ)(東京外国語大学大学院)「文化的記憶としての「ガーダー・メイレン蜂起」」
5.N. アムガラン(モンゴルガンダン寺)「あるモンゴル僧の未報告の著作の概要」


このうち講演のバトサイハン先生と、研究発表の2番のハムゴトさんと、5番のアムガランさんが仏教関係の発表。ちなみに、この後も含めて一人の日本人を除いて、発表者が全部モンゴル国か内モンゴル出身の方であるのには驚いた。

 チベット学会ではまだ日本人研究者の発表の方が数多いが、これはやはり在日チベット人の数が少なく、そこから大学院に入るような学生はもっと少ないことが影響しているのだろう。喜んでいいのか悪いのか。

 ご存じの通り、モンゴル人集団は現在モンゴル国以外にもロシア、中国と分断されている。1911年にジェブツンダンパ8世がモンゴルの独立を宣言した時には、中国国内のモンゴル人(内モンゴル)にも参加を呼びかけ、いくつかの集団はそれに応じたが、中国とソ連の政治的なかけひきの結果、内モンゴルは現在も中国の領域内にあり、年々漢化が進行している。厳密にいえば漢人移民の内モンゴルへの怒濤の移住は清朝末期の19世紀からすでに始まっており、1911年時点では中国人の集落があちこちにできていてもう足がぬけられない状態になっていた。

 ハレー彗星のようにたまにしかモンゴル学会に参加しない私には今回がたまたまそうなのか、それとも毎回そうなのかは知るよしもないが、内モンゴルからきた人もモンゴル国からきた人も、とかく分断されていない理想的な一つ「モンゴル」について熱く語るのが印象的。バトサイハン先生は普段は実証的なご研究をされているのだが、講演になると

「精神文化の面で、民族の文化遺産をさらに豊にして、世界の文化遺産を国民の手の届くものとし、人々の精神的な能力や知恵を開花させ、全面的な教育を受ける条件を備え、民族芸術、文化を復興させ、宗教によって国家をまとめあげ、精神を平等に発展させることは、モンゴル民族の存続する根本要素の一つであり、ボグド・ハーン(ジェブツンダンパ8世)が実効していたモンゴル国の基盤を固める基本政策の重要事項であった」

 みたいな感じで、何か政治演説臭というか、「モンゴル民族よふたたび」みたいな色が強く押し出される。日本の大学で学位をとった方は比較的たんたんと事実をのべる研究をされていたが、その場合でも「モンゴルはいかに近代国家として脱皮しようとしていたか」みたいな大テーマが通奏低音のようにあったりして、やはりそこはかとなく民族意識が感じられる。

一方、モンゴルに大きな影響を与えた他文化、たとえば、中国文化なり、チベット仏教文化なり、ロシア帝国とモンゴルの関係とか影響なりとを論じるような研究は、いまいち手薄だし、いまひとつ学術的な水準がこうアレに感じられた。

 たとえば、ウランバートルのガンデン寺から参加されたアムガラン師は、ガンデン寺に所蔵されるモンゴル僧のチベット語で記された全集の紹介を行われた。しかし、その全集の作者であるお坊さんについて、所属していたお寺も、誰の先生だったのかも、誰の弟子だったのかもまったく分からないとのことで、ただ、粛正記録にのっている75才で死んだという情報のみしか分からないという。その全集の内容についてももちろん検討していない。この状態で発表をするのもアドベンチャーだと思うのだが、アムガラン氏は「モンゴル仏教」を明らかにする上で重要な資料だということで、高揚した声で語り続ける。

 実は17世紀以後多くのモンゴル人は中央チベットや東チベットの僧院において学び、教え、そして研究成果をチベット語で記した。中央チベットの大僧院の僧院長の座にも多くのモンゴル人がついている。チベットからモンゴルに戻って、モンゴルの僧院で教授を行う高僧も多く、この人たちはの業績はチベットの仏典を網羅的に蒐集しpdf化を行っているBDRCに輯録されている。しかし、このようなグローバルに活躍したモンゴル人僧は現在のモンゴル人たちの目には入っていないようで、とにかく地元、地元限定で崇拝をうけた僧侶が「モンゴル仏教」の担い手として重要らしい。モンゴル外で活躍したモンゴル僧は彼らの目からみると「名誉チベット人」なのかもしれない。そんなことないのに。

 まあ、ついこの間までモンゴル研究のフィールドではチベット語文献の利用は極めて低調であったことを考えれば、まだモンゴル人作者のチベット文献に日が当たっただけよしとすべきかももしれない。

 しかし、会場を見回して集まっている人の数、また、理事の数をみても、チベット学会にくらべてほんと数が多い。ここにいる人の三分の一、いや一人でも二人でもいいから、チベット文化を理解した上でモンゴル史を研究してくれたらなあと、しみじみ思う。日本でも漢文を授業で教えると中国を尊敬するようになるから漢文の授業やめろとかいう人がいるが、そんなことをしたら日本人の残した文献のかなりのものが読めなくなる。朝鮮、ベトナムと近代以前の東アジアでは知識人は漢文で著作することが多く、じゃあ彼らはみな中国人でベトナム人、朝鮮人、日本人でないかといえば違うだろう。


 現在朝鮮半島の若者たちは漢字が読めなくなったことにより、自分たちの国の先人が書き残した漢文文献がじぇんじぇん読めなくなってしまっている。中国でも古典漢文をよめる若者はすくない。東アジアはとくにナショナリズムが激しく、自国の歴史を自国民の言葉でのみ純化させようとするが、それにくみせず冷静に実証的に過去をみることができれば、それが結局は視野の狭い他国より上にたつことになる。なので漢文廃止は絶対やめた方がいい

 モンゴル人も僧侶はチベット語で読み書きし、官僚は満洲語・漢語を読み書きしているのが普通だった時代があるのだから、それらも含めて自分たちの愛する国の歴史をきちんと把握してほしい。相手の真の姿はおかまいなく、ただ自分たちの思う姿を一方的におしつけるのは愛とはいわない。

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