「祈りの2400km」でトークします!

渋谷のイメージフォーラムで。チベットの巡礼をテーマにした映画「ラサへの歩き方 祈りの2400km」が封切られる(公式サイト)。
この映画では、チベット仏教における最高の礼拝様式、「五体投地」による巡礼をテーマにしている。
五体投地とは、合掌した手を頭上、喉、心臓の3カ所にあてたのち、体を地面になげだし、再び立ち上がり、体の長さだけすすんで、また同じことを繰り返す礼である。この礼拝の仕方では一回の礼拝で身長の長さしかすすまない。しかも、空気のうすいチベット高原でこの礼拝を行うのは平地で行う以上の重労働である。それでもチベット人は朝夕、お寺や仏塔のまわりをこの五体投地でまわり、ある場合にはこの五体投地礼で何百キロも先の聖地をめざ

したりする。
この映画は、東チベットのマルカムの村人が中央チベットのラサを拝み、その後さらに西のカイラスまで五体投地礼で2400kmを踏破する巡礼の旅をドキュメンタリータッチで描いている。
村人が巡礼を思い立つ動機、巡礼の準備、集団巡礼の開始、野営、旅のトラブル、 88カ所巡礼の「お接待」を思わせる道中でのチベット人同志の助け合い、情報交換、など、実際に巡礼を行っている人々がとおりぬける様々な情景がうまくつなぎあわされており、それがチベットの雄大な自然を背景としているため映像人類学の記録を見ているようである。
もちろん中国映画であるから、ラサのポタラ宮の前でチベット人たちが感動のあまり呆然としていても、そこがダライ・ラマの宮殿だからとかいう解説はつかないし、海外にみせるためか巡礼団の新生児が紙おむつていたりとか、微妙な部分もあるのだけど、全体としてはチベット人の視点からそしてチベット人の文脈で「巡礼」をとらえている。
キリスト教のサンチアゴ巡礼であれ、カイラス巡礼であれ、徒歩の巡礼を行う人たちの体験は万国共通である。それはどんなにゆっくりとしたペースであっても目的地にむかって意思をもって毎日進めば、どんなに時間がかかろうともかならずめざす地にたどりつくということである。そしてかりに途中で死んだとしても、それは巡礼にでなかった人よりも百万倍も善い死に方とされている。
なぜかといえば、そもそも我々の人生もこの巡礼のようなものだからだ。毎日行う少しずつの積み重ねが我々を良い方にも悪い方にも形作っていく。しかし、良い方に向かって進み出していれば、たとえそれが道半ばで終わったとしても、良い方向へ勢いのついた心のベクトルは必ず来世においてもよい方へいこうとする。
巡礼とは少しずつでも自分を向上させていけば、あそこまではむりと思ったような遠いあこがれの目的地にも、いつかはつける自信をつけてくれる旅なのである。
「幸福とは、あなたの思考と言葉と行動の三つが調和している時。」マハートマ・ガンディー
Happiness is when what you think, what you say, and what you do are in harmony.
で、突然、現実に引き戻して恐縮なのですが、映画のトークイベントにでます。8月3日の最終回(18:30〜) の上映終了後、チベット人視点からみた聖地としてのラサやカイラスについて語ります。もし映画にいってもいいよ、という方はぜひ8月3日の最終回トークのある日におこしください。
『ラサへの歩き方〜祈りの2400km』
◆7月23日〜、シアター・イメージフォーラムでの上映時間
連日: 10:50 13:20 16:00 18:30
◆上映後トークイベント
7月26日(火)18:30の回 辻信一さん(文化人類学者・明治学院大学国際学部教授)
7月27日(水)18:30の回 ロディ・ギャツォさん(在日チベット人/『ラサへの歩き方〜』字幕監修協力)
7月30日(土)16:00の回 星泉さん(東京外語大学教授/『ラサへの歩き方〜』字幕監修)
7月31日(日)16:00の回 池谷薫さん(映画監督『ルンタ』)
8月3日(水)18:30の回 石濱裕美子さん(早稲田大学教授)
8月11日(木・祝)13:20の回 渡辺一枝さん(作家)
歴史的な灌頂の募集始まる
7月2日、ホテル・オークラで恒例のダライ・ラマ法王の誕生会が行われた。今回は亡命政府の内務大臣ソナム・トプギャル(1954-)氏が、来賓として来日した。
乾杯の発声はその年ダライ・ラマ法王をお招きする方が務めることがなんとなく決まっているのだが、今年は清風学園の平岡校長がその役にあたった。11月にダライ・ラマ法王は清風学園において秘密集会の灌頂会を行われるからである。フライヤーは↓クリックすると大きくなります。

秘密集会タントラはダライ・ラマの属する宗派において最も広く研究・修行されているタントラ(密教経典)で、平岡校長は20代の頃ギュメ大僧院に留学してこの秘密集会タントラを学んで以来、ずっとこのタントラの研究と行を続けている。
私が平岡先生に「せっかくですから、先生の修行のこととかお話しては」と耳打ちすると
平岡校長「〔法王のお誕生日なのに〕あまり自分のことは話すのはね。それにマニアックすぎてみんな引くでしょう」
私「みなが引くか引かないかではなく、私が聞きたいんです」(強引 笑)
そして、内務大臣のお話のあと、先生が演壇に立たれた。
平岡宏一(清風学園校長)スピーチ
今日はどうしてもお話しさせて戴きたいことがあります。私たちは「秘密集会灌頂実行委員会」をつくりまして、11月11日から13日に清風学園講堂で、ダライ・ラマ法王を導師にお迎えして秘密集会の灌頂をやらせて戴く事になりました。実行委員長は弘法大師がお生まれになったお寺、大本山善通寺の宗務総長の菅智潤師です。 ここにいらっしゃるほんどの方は関係ないかもしれないですが、私のこの話を聞いたことでご縁ができる人がいるのでないかと思い、少しだけ私のお話をさせていただきます。
私は今回の灌頂を単なるイベントに終わらせることはあってはならないと考えています。
少しだけ私の話をさせていただきます。私たちの学校の理事長の平岡英信、私の父ですが、1985年から当時経済的に苦しい状態にあった密教の学問寺ギュメの応援をさせていただきました。このお寺の由来を話しましょう。〔ダライ・ラマの宗派の宗祖〕ツォンカパがなくなる前年に、弟子たちを前にして、自分がずっと修行してきた密教である秘密集会タントラの本を手にし、「このタントラの伝統をつぐものはだれかいないか」と呼びかけました。
その時に〔後にツォンカパの二大弟子と呼ばれる高弟の〕ケドゥプ・ジェもゲルツァプ・ジェもどちらも手をあげませんでしたが、若いシェーラプセンゲが三礼をして、「継ぎたい」といったので、ツォンカパはとても喜ばれて、自分のもつ秘密集会の伝統を、この若いシェーラプセンゲにあたえました。彼が秘密集会の伝統をつぐために作ったお寺がギュメです。
私はこのお寺に1988年から1989年の二年間留学させて戴いて、そのお寺の再興をお手伝いした功徳で、当代第一の秘密集会の行者にして学者のガンデン大僧院のロプサン・ガワン先生について131日かけて秘密集会を勉強させていただきました。ロプサン・ガワン先生は後に99代のギュメの管長になられました。2005年にガワン先生に大阪で秘密集会の灌頂を主宰していただきますが、その年〔ダライ・ラマ〕法王様に謁見させていただいた時、「お前、秘密集会の勉強もいいが、行(成就法)もちゃんとやりなさい」とおっしゃられたので、毎朝の成就法を始めました。以来2005年の5月9日から今日にいたるまで一日も欠かさず、秘密集会の成就法を続けてまいりました。その間、〔2008年には〕ガワン先生はなくなってしまいましたが、それから法王様に謁見の機会を戴くたびに一年の間に行をやっている間で疑問に思った点、たとえば〔成就法の〕最後ヨガシュド〜ハムというマントラの後に仏様を体にしみこませる際、「仏様をしみこますのは、行者の胸の奥底なのか、皮膚なのか」などの細かい質問をさせて戴くことを続けて参りました(おお、いい感じにマニアックだ!)。
〔また、毎年欠かさずギュメ寺に詣でておりますが〕昨年、ギュメ寺に行った時に、一般の大衆に対する教化がはじまっていることを感じました。これはどういうことかと申しますと、密教の伝統はお坊さんが継いできましたが、それがどこかで途切れるのではないか、という危機感をもち始めているからなのです。ギュメで修行しているゲシェ(博士)がこうおっしゃいました。「今は〔ギュメに〕たくさんのお坊さんがいる。でも30年後、40年後これだけの数の僧侶がいるかどうかはわからない」そういう風な危機感をもっていらっしゃるんですね。だから一般の人にも密教の伝統を伝え始めたのです。
この秘密集会は密教の奥義です。〔チベット仏教がこのように危急存亡の折〕インドからチベットに伝わってきたこのタントラを日本の人々に伝えたいのです。私一人が学んでいても。私が死んだら終わりです。「あの人は特別変わったシュミをもっていた」で終わりです。法王がアメリカでカーラチャクラ(時輪)・タントラの灌頂を授けられた時にこうおっしゃっていました。自分は仏教の伝統を受け継いでいかねばならないからカーラチャクラの灌頂を授けるけど(カーラチャクラ・タントラは仏教存亡の折に一人でも多くの人に仏縁を結ばせるために行われている)、自分の行の中心は秘密集会タントラだ。」
秘密集会タントラは法王様の密教の奥義なのです。この秘密集会の行をはじめるためには秘密集会の灌頂を必ず受けねばなりません(灌頂とは修行の許可のための儀式)。
法王様がこの秘密集会の灌頂をインド以外で行うのは実はこれが初めてのことです。〔法王様が平岡家の要請を受けた背景には〕「もともと日本には仏教の伝統があるし、秘密集会が根ざす可能性がある」とお考えになっているのではないかと思います。
「千人も集めてどうするのか」とおっしゃるかもわかりませんが、千人くらい受けないとその中から秘密集会を受け継いでくれる方もでないと思うんですね。10人や20人ならいなくなってしまう可能性もありますが、千人うければ必ずその中から修行し、秘密集会の伝統を受け継ぐ人間がでてくると思います。そしたら法王様がずっとまもってきた密教の真髄を日本に根付かせることができます。日本にはずっと真言宗や天台宗の密教の伝統がありますから、その密教の伝統にとっても、失礼な言い方ですが、さらに息を吹き返させるようなそういう動きになると思います。
インド以外の外国で行われる、法王様81歳になられての灌頂です。これはたった一回、最初で最後のチャンスになることでしょう。是非ご縁のある方はこの灌頂に参加して戴ければと思います。
すみません。個人的な話ばかりさせていただいて。それでは乾杯にうつりたいと思います。
法王様が一日でも長生きされることは世界に一日でも長く仏教が止まることです。ダライラマ法王はチベット人であるけどチベット人ではありません。我々仏教徒の宝だと思っていますので、この法王様の法が一日でも長くこの世に止まりますように。そして我々がそれを応援できますように。そして法王様の一日でも長いご長寿を祈念致しまして、杯をあげさせていただきます。 乾杯!
というわけで、清風学園でダライ・ラマ法王主催の歴史的な秘密集会の灌頂が行われます。無上ヨーガタントラ、父タントラで法王様が毎日修行されている法です。20年秘密集会を学び行じて内容に通達した平岡先生が通訳を行い、会場は清風です。こんな縁起がととのった灌頂は、もう二度とないでしょう。
私は二年前から予約リストに連なっております(笑)。
こちらのサイトから予約ができます。
乾杯の発声はその年ダライ・ラマ法王をお招きする方が務めることがなんとなく決まっているのだが、今年は清風学園の平岡校長がその役にあたった。11月にダライ・ラマ法王は清風学園において秘密集会の灌頂会を行われるからである。フライヤーは↓クリックすると大きくなります。

秘密集会タントラはダライ・ラマの属する宗派において最も広く研究・修行されているタントラ(密教経典)で、平岡校長は20代の頃ギュメ大僧院に留学してこの秘密集会タントラを学んで以来、ずっとこのタントラの研究と行を続けている。
私が平岡先生に「せっかくですから、先生の修行のこととかお話しては」と耳打ちすると
平岡校長「〔法王のお誕生日なのに〕あまり自分のことは話すのはね。それにマニアックすぎてみんな引くでしょう」
私「みなが引くか引かないかではなく、私が聞きたいんです」(強引 笑)
そして、内務大臣のお話のあと、先生が演壇に立たれた。
平岡宏一(清風学園校長)スピーチ
今日はどうしてもお話しさせて戴きたいことがあります。私たちは「秘密集会灌頂実行委員会」をつくりまして、11月11日から13日に清風学園講堂で、ダライ・ラマ法王を導師にお迎えして秘密集会の灌頂をやらせて戴く事になりました。実行委員長は弘法大師がお生まれになったお寺、大本山善通寺の宗務総長の菅智潤師です。 ここにいらっしゃるほんどの方は関係ないかもしれないですが、私のこの話を聞いたことでご縁ができる人がいるのでないかと思い、少しだけ私のお話をさせていただきます。
私は今回の灌頂を単なるイベントに終わらせることはあってはならないと考えています。
少しだけ私の話をさせていただきます。私たちの学校の理事長の平岡英信、私の父ですが、1985年から当時経済的に苦しい状態にあった密教の学問寺ギュメの応援をさせていただきました。このお寺の由来を話しましょう。〔ダライ・ラマの宗派の宗祖〕ツォンカパがなくなる前年に、弟子たちを前にして、自分がずっと修行してきた密教である秘密集会タントラの本を手にし、「このタントラの伝統をつぐものはだれかいないか」と呼びかけました。
その時に〔後にツォンカパの二大弟子と呼ばれる高弟の〕ケドゥプ・ジェもゲルツァプ・ジェもどちらも手をあげませんでしたが、若いシェーラプセンゲが三礼をして、「継ぎたい」といったので、ツォンカパはとても喜ばれて、自分のもつ秘密集会の伝統を、この若いシェーラプセンゲにあたえました。彼が秘密集会の伝統をつぐために作ったお寺がギュメです。
私はこのお寺に1988年から1989年の二年間留学させて戴いて、そのお寺の再興をお手伝いした功徳で、当代第一の秘密集会の行者にして学者のガンデン大僧院のロプサン・ガワン先生について131日かけて秘密集会を勉強させていただきました。ロプサン・ガワン先生は後に99代のギュメの管長になられました。2005年にガワン先生に大阪で秘密集会の灌頂を主宰していただきますが、その年〔ダライ・ラマ〕法王様に謁見させていただいた時、「お前、秘密集会の勉強もいいが、行(成就法)もちゃんとやりなさい」とおっしゃられたので、毎朝の成就法を始めました。以来2005年の5月9日から今日にいたるまで一日も欠かさず、秘密集会の成就法を続けてまいりました。その間、〔2008年には〕ガワン先生はなくなってしまいましたが、それから法王様に謁見の機会を戴くたびに一年の間に行をやっている間で疑問に思った点、たとえば〔成就法の〕最後ヨガシュド〜ハムというマントラの後に仏様を体にしみこませる際、「仏様をしみこますのは、行者の胸の奥底なのか、皮膚なのか」などの細かい質問をさせて戴くことを続けて参りました(おお、いい感じにマニアックだ!)。
〔また、毎年欠かさずギュメ寺に詣でておりますが〕昨年、ギュメ寺に行った時に、一般の大衆に対する教化がはじまっていることを感じました。これはどういうことかと申しますと、密教の伝統はお坊さんが継いできましたが、それがどこかで途切れるのではないか、という危機感をもち始めているからなのです。ギュメで修行しているゲシェ(博士)がこうおっしゃいました。「今は〔ギュメに〕たくさんのお坊さんがいる。でも30年後、40年後これだけの数の僧侶がいるかどうかはわからない」そういう風な危機感をもっていらっしゃるんですね。だから一般の人にも密教の伝統を伝え始めたのです。
この秘密集会は密教の奥義です。〔チベット仏教がこのように危急存亡の折〕インドからチベットに伝わってきたこのタントラを日本の人々に伝えたいのです。私一人が学んでいても。私が死んだら終わりです。「あの人は特別変わったシュミをもっていた」で終わりです。法王がアメリカでカーラチャクラ(時輪)・タントラの灌頂を授けられた時にこうおっしゃっていました。自分は仏教の伝統を受け継いでいかねばならないからカーラチャクラの灌頂を授けるけど(カーラチャクラ・タントラは仏教存亡の折に一人でも多くの人に仏縁を結ばせるために行われている)、自分の行の中心は秘密集会タントラだ。」
秘密集会タントラは法王様の密教の奥義なのです。この秘密集会の行をはじめるためには秘密集会の灌頂を必ず受けねばなりません(灌頂とは修行の許可のための儀式)。
法王様がこの秘密集会の灌頂をインド以外で行うのは実はこれが初めてのことです。〔法王様が平岡家の要請を受けた背景には〕「もともと日本には仏教の伝統があるし、秘密集会が根ざす可能性がある」とお考えになっているのではないかと思います。
「千人も集めてどうするのか」とおっしゃるかもわかりませんが、千人くらい受けないとその中から秘密集会を受け継いでくれる方もでないと思うんですね。10人や20人ならいなくなってしまう可能性もありますが、千人うければ必ずその中から修行し、秘密集会の伝統を受け継ぐ人間がでてくると思います。そしたら法王様がずっとまもってきた密教の真髄を日本に根付かせることができます。日本にはずっと真言宗や天台宗の密教の伝統がありますから、その密教の伝統にとっても、失礼な言い方ですが、さらに息を吹き返させるようなそういう動きになると思います。
インド以外の外国で行われる、法王様81歳になられての灌頂です。これはたった一回、最初で最後のチャンスになることでしょう。是非ご縁のある方はこの灌頂に参加して戴ければと思います。
すみません。個人的な話ばかりさせていただいて。それでは乾杯にうつりたいと思います。
法王様が一日でも長生きされることは世界に一日でも長く仏教が止まることです。ダライラマ法王はチベット人であるけどチベット人ではありません。我々仏教徒の宝だと思っていますので、この法王様の法が一日でも長くこの世に止まりますように。そして我々がそれを応援できますように。そして法王様の一日でも長いご長寿を祈念致しまして、杯をあげさせていただきます。 乾杯!
というわけで、清風学園でダライ・ラマ法王主催の歴史的な秘密集会の灌頂が行われます。無上ヨーガタントラ、父タントラで法王様が毎日修行されている法です。20年秘密集会を学び行じて内容に通達した平岡先生が通訳を行い、会場は清風です。こんな縁起がととのった灌頂は、もう二度とないでしょう。
私は二年前から予約リストに連なっております(笑)。
こちらのサイトから予約ができます。
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