センゲ首相の来日
9日土曜日は来日中のロプサン・センゲ首相の歓迎パーティへ。六時開場に間に合う時間に大学をでたものの、途中財布を落として探しに戻ったりして、15分遅刻でホテル・オークラについた(財布は早稲田駅の改札口に届いていた。届けてくださった方、ありがとうございます。)。
すでに首相のスピーチは始まっていて、その演説は40分ほどつづいた。アメリカ生活が長く、演説のうまさに定評のある方だけあって、聞き入ってしまいその長さを感じさせない。センゲ首相のスピーチはリベラルの普遍的な価値観をプレゼンするキング牧師とかオバマ大統領とかの演説を想起させるので、途中から記録したくなった。 しかし、アイホンがクロークに預けたカバンの中だったので、以下の内容はまったくの記憶に基づく再構成である。
私はダージリンの郊外の貧しいチベット難民の家庭に生まれました。両親はともに1959年の動乱の中でインドに亡命してきたチベット難民です。私が学校(亡命政府の作ったチベット人学校)にあがる年になった時、三頭いる牛の一頭をうってそのお金で学校に行きました。でもそれでも足りなくて残り半分の学費は誰かのだしてくれた奨学金でした。それがなければ私は教育を受けることは出来ませんでした。
学校は貧しく、給食に出てくるのは石のまじったごはんや、床におとしたら跳ね返ってきそうな固い黒いパンでした。跳ね返ってくるので、落としても口に戻るのは良いですが(笑)。それからデリー大学に進学することができました。これも、アメリカか、ヨーロッパか、はたまたみなさんのような日本人か、どなたかがだしてくださった基金のおかげです。さらに、そこからハーバート大学に行くことも出来ました。これも篤志家の奨学金のおかげです。
今の私があるのはみなさんのような支援をしてくださった方たちのおかげです。また、貴重な土曜日の晩、野球の試合も見に行かず、相撲の試合も見にいかず、楽しいことがたくさんあるのにそれらを諦めて、この集まりに出てくださって本当にありがとうございます。
私はアメリカ、主にボストンに17年いて、野球のファンで土曜日の晩は野球を見ていて、もしレッドソックスとヤンキースの試合があったら、たとえこのような集まりがあったとしても行こうかどうしようか考えてしまったかもしれません。みなさんも、野球にいったり、相撲みにいったりすることを諦めてここにきてくださってありがとうございます。
まだ希望を捨てていない本土のチベット人は毎日ラジオにかじりついて、何か一つでも良いニュースがないかといつも耳を澄ましています。私がこうやって海外に出て、たくさんの方が応援してくれていることがラジオに流れれば、彼らは力づけられます。みなさんによって本土チベット人々は希望を持ち続けることができるのです。
私はアメリカに住んでおり、娘もそこで生まれました。アメリカでの生活を楽しんでいた2011年、私を亡命社会の首相に据えたいという人によってチベットの首相になりました。そのときから私はスターバックスコーヒーをインドのチャイに、ホットドッグをインドのビリヤニに、ハリウッド映画をボリウッド映画にひきかえることになりましたが、私はチベットの社会に仕えることができてとても嬉しいです。私の学費を払ってくださった方にもお返しできたとも思います。
私はチベット人ですから、もし日本に17年いてワサビをつけた寿司をすきになっていたとしても、チベット社会が私を必要とするというのであれば、それを捨ててインドに戻るでしょう。世界中を精力的にとびまわっておられるダライラマ猊下をお助けすることができるのであれば、それらを捨てることなど何ともないことです。
イタリアででしたか。「中国はどんどん強くなっていて、みなが中国を恐れている」という人に対して「私は恐れていない」と言いました。するとみながその理由を聞くので「私はチベット人だからだ」と答えました。
私が中国を恐れない理由は三つあります。
1 かつてはチベット(古代チベット)が中国の都を占領し、今は中国がチベットを占領しています。これまでの長い歴史の中でチベットと中国はそのような状況を繰り返してきました。今もそのような歴史の一部を見ているに過ぎないからです。
2 法王がつねづねおっしゃっているように、我々は事実に基づいて戦っています。長い歴史の中で、必ず、正義は不正義に勝ち、非暴力は暴力にかち、自由は不自由に勝ってきました。いずれ正義は勝ちます。
3 もう一つはみなさんのような支援してくださる方々の存在です。チベット人はたかだか600万人にすぎませんが、世界中の我々を支援してくれている人々の声が私たちの小さな声を大きくしてくれています。
だから、私たちは中国を恐れないのです。
チベット仏教の歴史は2500年ですが、中国共産党の歴史はたかだか100年です。
チベット人のDNAは長い時間をかけて高地に馴化しました。中国人の移民が増えようが、同化が進もうが、チベット人はチベット人です。漢人カップルもチベット高原で子供を生みますが、チベット人夫婦から生まれた子供より死亡率が高いことが研究の結果分かっています。漢人の遺伝子が高地に馴化するまで500年はかかるとのことです。
ソ連が崩壊することは誰も予測していなかったのに、ソ連は崩壊しました。
マンデラが23年もの間、牢獄入れられている時、彼が南アフリカの大統領になることを誰が予測していたでしょうか。
五年前にアウンサンスーチーさんが町中を歩くなんて考えられたでしょうか。それがいまやビルマやオスロの町を歩いているばかりか、選挙にかって大きな発言力をもとうとしています。
レフ・ワレサがこう言いました。1989年に、東ドイツの外務大臣がベルリンの壁を前にして「私が生きている間はこの壁は崩れないよ」といった二週間後にその壁は崩れたんだよ。」
歴史は若い人たちの力で思いもかけず早く進むことがあります。それがなぜチベットに起きないといえるでしょうか。
正義は不正義に、自由は不自由に、非暴力は暴力に勝ちます。
必ずそうなると信じています。
再びこのようなことが起きてくれたなら、それは21世紀で最高のストーリーになると思います。
このストーリーを見聞きしたいまだ抑圧されて人々も希望を持つことができます。
ダライラマが本来の座であるポタラ宮にお帰りになることがないとは誰がいえましょうか。
この次はチベットで、この次はラサでお会いしましょう。
このスピーチの中でセンゲ首相が、「アメリカでの快適な生活を捨ててチベット社会に仕える」という件をちょっと説明すると、インドとアメリカ両方の難民社会に身を置いたことのあるKくんによると、チベット難民の中にも格差があり、主にインドやアジアの国々にいて貧しい生活をしているチベット人と、アメリカに定住できて定職を得たチベット人の間には大きな開きがある。アメリカに定住したチベット難民はチベット語すら怪しくなっており、インドに戻ることを考えていない人々もたくさんいるため、これを貧しいチベット難民は非常に複雑な感情を抱いてみている。センゲ首相は勝ち組のチベット人であるため、2011年に就任した当時には彼のチベット語に失笑するような人もいたらしい。
しかし、センゲ首相は一期をつとめあげる間に、何とか難民社会の人望を得た。それはこのスピーチにもあるように、首相が「個人的な快適さをなげうってチベット社会に奉仕する」ことを身を以て証明したからであろう。
今回の来日でもう一つ注目すべきは、朝日新聞を含めた日本の主要なメデイアがすべてとにもかくにも首相の来日とその発言を発信したことである (しかし、なぜか朝日新聞はセンゲ首相をサンガイと表記する)。ネットで簡単に記事をあげられる時代だからか、世の中の意識が変化したからか、何であれ、チベット問題をメディアがとりあげてくれるようになったことはありがたい。
以下、各社の記事タイトルを貼っておきます。
● 14世後継で中国けん制(共同通信)
2016年1月9日
●「中国開発で氷河消失が加速」チベット亡命政府首相インタビュー ダライ・ラマ制度は「必ず存続」 (産経新聞)
2016.1.10 09:54
●チベット亡命政府首相 中国政府に対話再開求める(NHKニュース)
1月9日 21時50分
●チベットに「真の自治を」=来日中の亡命政府首相(時事通信)
2016/01/09-20:22
●中国当局に抗議、チベット族の焼身自殺140人 (読売新聞)
2016年01月09日 20時58分
●「生まれ変わる場所は亡命の地」センゲ首相(毎日新聞)
2016年1月9日 22時42分
●「習政権、チベット抑圧強まった」 亡命政府首相が会見(朝日新聞)
2016年01月10日
すでに首相のスピーチは始まっていて、その演説は40分ほどつづいた。アメリカ生活が長く、演説のうまさに定評のある方だけあって、聞き入ってしまいその長さを感じさせない。センゲ首相のスピーチはリベラルの普遍的な価値観をプレゼンするキング牧師とかオバマ大統領とかの演説を想起させるので、途中から記録したくなった。 しかし、アイホンがクロークに預けたカバンの中だったので、以下の内容はまったくの記憶に基づく再構成である。
私はダージリンの郊外の貧しいチベット難民の家庭に生まれました。両親はともに1959年の動乱の中でインドに亡命してきたチベット難民です。私が学校(亡命政府の作ったチベット人学校)にあがる年になった時、三頭いる牛の一頭をうってそのお金で学校に行きました。でもそれでも足りなくて残り半分の学費は誰かのだしてくれた奨学金でした。それがなければ私は教育を受けることは出来ませんでした。
学校は貧しく、給食に出てくるのは石のまじったごはんや、床におとしたら跳ね返ってきそうな固い黒いパンでした。跳ね返ってくるので、落としても口に戻るのは良いですが(笑)。それからデリー大学に進学することができました。これも、アメリカか、ヨーロッパか、はたまたみなさんのような日本人か、どなたかがだしてくださった基金のおかげです。さらに、そこからハーバート大学に行くことも出来ました。これも篤志家の奨学金のおかげです。
今の私があるのはみなさんのような支援をしてくださった方たちのおかげです。また、貴重な土曜日の晩、野球の試合も見に行かず、相撲の試合も見にいかず、楽しいことがたくさんあるのにそれらを諦めて、この集まりに出てくださって本当にありがとうございます。
私はアメリカ、主にボストンに17年いて、野球のファンで土曜日の晩は野球を見ていて、もしレッドソックスとヤンキースの試合があったら、たとえこのような集まりがあったとしても行こうかどうしようか考えてしまったかもしれません。みなさんも、野球にいったり、相撲みにいったりすることを諦めてここにきてくださってありがとうございます。
まだ希望を捨てていない本土のチベット人は毎日ラジオにかじりついて、何か一つでも良いニュースがないかといつも耳を澄ましています。私がこうやって海外に出て、たくさんの方が応援してくれていることがラジオに流れれば、彼らは力づけられます。みなさんによって本土チベット人々は希望を持ち続けることができるのです。
私はアメリカに住んでおり、娘もそこで生まれました。アメリカでの生活を楽しんでいた2011年、私を亡命社会の首相に据えたいという人によってチベットの首相になりました。そのときから私はスターバックスコーヒーをインドのチャイに、ホットドッグをインドのビリヤニに、ハリウッド映画をボリウッド映画にひきかえることになりましたが、私はチベットの社会に仕えることができてとても嬉しいです。私の学費を払ってくださった方にもお返しできたとも思います。
私はチベット人ですから、もし日本に17年いてワサビをつけた寿司をすきになっていたとしても、チベット社会が私を必要とするというのであれば、それを捨ててインドに戻るでしょう。世界中を精力的にとびまわっておられるダライラマ猊下をお助けすることができるのであれば、それらを捨てることなど何ともないことです。
イタリアででしたか。「中国はどんどん強くなっていて、みなが中国を恐れている」という人に対して「私は恐れていない」と言いました。するとみながその理由を聞くので「私はチベット人だからだ」と答えました。
私が中国を恐れない理由は三つあります。
1 かつてはチベット(古代チベット)が中国の都を占領し、今は中国がチベットを占領しています。これまでの長い歴史の中でチベットと中国はそのような状況を繰り返してきました。今もそのような歴史の一部を見ているに過ぎないからです。
2 法王がつねづねおっしゃっているように、我々は事実に基づいて戦っています。長い歴史の中で、必ず、正義は不正義に勝ち、非暴力は暴力にかち、自由は不自由に勝ってきました。いずれ正義は勝ちます。
3 もう一つはみなさんのような支援してくださる方々の存在です。チベット人はたかだか600万人にすぎませんが、世界中の我々を支援してくれている人々の声が私たちの小さな声を大きくしてくれています。
だから、私たちは中国を恐れないのです。
チベット仏教の歴史は2500年ですが、中国共産党の歴史はたかだか100年です。
チベット人のDNAは長い時間をかけて高地に馴化しました。中国人の移民が増えようが、同化が進もうが、チベット人はチベット人です。漢人カップルもチベット高原で子供を生みますが、チベット人夫婦から生まれた子供より死亡率が高いことが研究の結果分かっています。漢人の遺伝子が高地に馴化するまで500年はかかるとのことです。
ソ連が崩壊することは誰も予測していなかったのに、ソ連は崩壊しました。
マンデラが23年もの間、牢獄入れられている時、彼が南アフリカの大統領になることを誰が予測していたでしょうか。
五年前にアウンサンスーチーさんが町中を歩くなんて考えられたでしょうか。それがいまやビルマやオスロの町を歩いているばかりか、選挙にかって大きな発言力をもとうとしています。
レフ・ワレサがこう言いました。1989年に、東ドイツの外務大臣がベルリンの壁を前にして「私が生きている間はこの壁は崩れないよ」といった二週間後にその壁は崩れたんだよ。」
歴史は若い人たちの力で思いもかけず早く進むことがあります。それがなぜチベットに起きないといえるでしょうか。
正義は不正義に、自由は不自由に、非暴力は暴力に勝ちます。
必ずそうなると信じています。
再びこのようなことが起きてくれたなら、それは21世紀で最高のストーリーになると思います。
このストーリーを見聞きしたいまだ抑圧されて人々も希望を持つことができます。
ダライラマが本来の座であるポタラ宮にお帰りになることがないとは誰がいえましょうか。
この次はチベットで、この次はラサでお会いしましょう。
このスピーチの中でセンゲ首相が、「アメリカでの快適な生活を捨ててチベット社会に仕える」という件をちょっと説明すると、インドとアメリカ両方の難民社会に身を置いたことのあるKくんによると、チベット難民の中にも格差があり、主にインドやアジアの国々にいて貧しい生活をしているチベット人と、アメリカに定住できて定職を得たチベット人の間には大きな開きがある。アメリカに定住したチベット難民はチベット語すら怪しくなっており、インドに戻ることを考えていない人々もたくさんいるため、これを貧しいチベット難民は非常に複雑な感情を抱いてみている。センゲ首相は勝ち組のチベット人であるため、2011年に就任した当時には彼のチベット語に失笑するような人もいたらしい。
しかし、センゲ首相は一期をつとめあげる間に、何とか難民社会の人望を得た。それはこのスピーチにもあるように、首相が「個人的な快適さをなげうってチベット社会に奉仕する」ことを身を以て証明したからであろう。
今回の来日でもう一つ注目すべきは、朝日新聞を含めた日本の主要なメデイアがすべてとにもかくにも首相の来日とその発言を発信したことである (しかし、なぜか朝日新聞はセンゲ首相をサンガイと表記する)。ネットで簡単に記事をあげられる時代だからか、世の中の意識が変化したからか、何であれ、チベット問題をメディアがとりあげてくれるようになったことはありがたい。
以下、各社の記事タイトルを貼っておきます。
● 14世後継で中国けん制(共同通信)
2016年1月9日
●「中国開発で氷河消失が加速」チベット亡命政府首相インタビュー ダライ・ラマ制度は「必ず存続」 (産経新聞)
2016.1.10 09:54
●チベット亡命政府首相 中国政府に対話再開求める(NHKニュース)
1月9日 21時50分
●チベットに「真の自治を」=来日中の亡命政府首相(時事通信)
2016/01/09-20:22
●中国当局に抗議、チベット族の焼身自殺140人 (読売新聞)
2016年01月09日 20時58分
●「生まれ変わる場所は亡命の地」センゲ首相(毎日新聞)
2016年1月9日 22時42分
●「習政権、チベット抑圧強まった」 亡命政府首相が会見(朝日新聞)
2016年01月10日
新年のチベット・イベントのお知らせ
みなさま明けましておめでとうございます。
今年も、ゆるゆるご覧いただければ幸いです。
さて、チベット新年のイベントの詳細が決まりましたので、以下にお知らせします。
それと、今週末と急ですがチベット亡命政府のロプサン・センゲ首相が来日されます。
2011年にダライラマが政界を引退されたあと、チベットの難民社会の首相をつとめている方です。
●チベット亡命政権主席大臣ロブサン・センゲ来日講演
演題『融けゆくチベット氷河、アジアの新たな脅威』
日時 :平成28年1月9日(土) 15:30~16:30
会場:大本山護国寺(有楽町線護国寺駅下車0分)
詳細はここクリック
今年も、ゆるゆるご覧いただければ幸いです。
さて、チベット新年のイベントの詳細が決まりましたので、以下にお知らせします。
それと、今週末と急ですがチベット亡命政府のロプサン・センゲ首相が来日されます。
2011年にダライラマが政界を引退されたあと、チベットの難民社会の首相をつとめている方です。
●チベット亡命政権主席大臣ロブサン・センゲ来日講演
演題『融けゆくチベット氷河、アジアの新たな脅威』
日時 :平成28年1月9日(土) 15:30~16:30
会場:大本山護国寺(有楽町線護国寺駅下車0分)
詳細はここクリック
●ダライラマ即位の映像を見ながら、チベット新年を祝う夕べ
◇日時: 2016年2月11日(木) 17:00〜21:00
◇会場: チベットレストラン&カフェ「タシデレ」(東京都新宿区坂町26-21)
◇会費:3000 講演、食事、資料附き。
◇内容
・ダライラマ14世の即位とチベットの正月の映像を、解説付きで。映像は即位時の1940年にイギリスによって撮影されたもので、解説は私です。
・即位式に出席したイギリス人グールドの見聞記から、トピックを紹介。トークは、この史料の講読会で見聞記を翻訳した研究者たちです。
・現代の高僧即位式、ロプサン・ガワン先生(1937-2008)の生まれ変わりの2014年の即位式の映像もあわせておみせします。基本的な構造はダララマと同じです。
・チベットの年越しの料理の軽食がでます。
・グールドの見聞記の翻訳(小冊子)をお土産にどうぞ。
◇ご予約
・本ページ(←ここクリック)からお申し込みください。
・申し込みは会場「タシデレ」でも受け付けています (03-6457-7255 営業時間11~22時 / 水曜日定休日)。人出がありませんので営業時間内にご連絡ください。
◇日時: 2016年2月11日(木) 17:00〜21:00
◇会場: チベットレストラン&カフェ「タシデレ」(東京都新宿区坂町26-21)
◇会費:3000 講演、食事、資料附き。
◇内容
・ダライラマ14世の即位とチベットの正月の映像を、解説付きで。映像は即位時の1940年にイギリスによって撮影されたもので、解説は私です。
・即位式に出席したイギリス人グールドの見聞記から、トピックを紹介。トークは、この史料の講読会で見聞記を翻訳した研究者たちです。
・現代の高僧即位式、ロプサン・ガワン先生(1937-2008)の生まれ変わりの2014年の即位式の映像もあわせておみせします。基本的な構造はダララマと同じです。
・チベットの年越しの料理の軽食がでます。
・グールドの見聞記の翻訳(小冊子)をお土産にどうぞ。
◇ご予約
・本ページ(←ここクリック)からお申し込みください。
・申し込みは会場「タシデレ」でも受け付けています (03-6457-7255 営業時間11~22時 / 水曜日定休日)。人出がありませんので営業時間内にご連絡ください。
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