ダライラマ、パリのテロについて語る
13日の金曜日というキリスト教徒にとってそうでなくとも縁起の悪い日に、最悪のイスラム・テロがパリをおそった。カラシニコフ銃を乱射する犯人は、劇場やカフエにいる一般市民を無差別に殺戮し120人以上の人が命をおとした。フランスはただちにISISに報復攻撃を加え、現在もテロリストの仲間を摘発中である。
このような状況を受けて、「怒りに身を任せたらテロリストと同じになってしまう」と「人の心を保とう」と、亡くなられた方の冥福を祈り、残された人々が絶望から暴力に走らないように、「連帯」を呼びかける人々、その逆に「移民・難民すべて排斥じゃあ」と怒り狂う人々、それぞれの抱えている理想や問題に応じて、様々な反応がみられた。
ちなみにフランスによるISIS空爆を批判する人もいるが、内戦している当事者に戦争をとめる能力が皆無な場合、短期的な暴力をとめるには現実的には武力を使うしかないという説は平和学の内部にもある。ボスニア内戦がこじれたのも、ルワンダ虐殺がおきたのも、国連があれでこれだったからというのはよく言われる話で、シリアの内戦は放置していたからここまで大きくなった感がある。現場を知らない人間が、武力介入の是非をいうのは危険なので私は沈黙する。
ここはチベットブログなので、ダライラマのコメントを以下に紹介します。 ダライラマの「問題を作り出しているのは人間であり、人間が心を改めない限り、神に祈ろうが、政府をののしろうが問題は解決しない」というのは究極の真理であろう。
ダライラマ、襲われたパリについて語る「神や政府に期待せず、平和のために動きなさい」)
ソースは →ここ
パリが無残に襲われたことに続いて、チベット人の精神的な指導者はDW(ドイッチェ・ヴェレ:ドイツ連邦共和国の国際放送事業体。VOAのドイツ版のようなもの)に対して「人々は人間が自ら作り出した問題を神に頼んで解決しようと思ってはならない。また、人間の価値を陶冶するためにも体系的なアプローチが必要だ」と語った。
世界中の数百万の信者にとって、ダライラマは「人間性」と「思いやり」の象徴である。ダライラマ、その名はテンジンギャムツォは1989年のノーベル平和賞受賞者であり、チベットの自治を求めて何十年もの間、戦っていることで知られている。
チベットの精神的な指導者は中道のアプローチ(植民地と独立の中間の自治)こそがチベット問題を平和的に解決し、チベット人と中国人の共存を推進する、最上の道だと信じている。ダライラマは1959年にインドに亡命し、以来インドのヒマーチャラプラデーシュ洲のダラムサラで亡命生活を送っている。
DWのインタビューの中で、80才になった精神的な指導者はダライラマとしての役割、チベット問題、地球規模の暴力の蔓延について語った
●「パリのテロについてどのようにご覧になりますか」
ダライラマ「20世紀は暴力の世紀だった。そして2億人が戦争や紛争で命をおとした。私たちが今目にしてるものは、前世紀の流血の名残だ。もし我々が非暴力と調和についてもっと力をいれなければ、我々はまた新たなる流血の世紀を迎えることになる。もし我々がまじめに平和を達成する努力を怠れば、我々は20世紀に体験した人間性の崩壊を繰り返すことになるでしょう。
人々は平和に生活することを望んでいます。テロリストは近視眼です。これが蔓延する自爆テロの原因の一つです。ただ祈っていても問題を解決することはできません。私は仏教徒です。もちろん祈りの力を信じています。しかし、この問題は我々が作り出したものです。だから神様に向かって「この問題を解決してください」と頼むのは筋違いなのです。神様はこういうでしょう「あなたたちで解決しなさい。なぜなら、そもそも、あなたたちがこの問題を作ったのだから。」とね。
我々は「人間の価値」、「みなが一つになること」「みなが調和すること」これらにむけて心を陶冶するためにも体系的なアプローチが必要です。もし私たちがそれを「今」はじめるならば、今世紀は、流血の前世紀とは異なったものになる希望が生まれます。みんなの利益となるのです。だからまず我々の家族、社会の中で平和のために動きましょう。そして、神や政府に助けを求めてはなりません。
●あなたの主なメッセージはいつも、平和、思いやり、忍耐です。しかし、世界はいつも逆の方向に向いているようです。あなたのメッセージは人々の共感を得ていないのではないですか?」
ダライラマ「そうは思いません。ほんのわずかのパーセンテージの人々が暴力的な話をしているのです。私たちは人間です。他人を殺すことには何の正当化できませんし、根拠もありません。もしあなたが他人を兄弟姉妹と考え、彼らの権利を考慮すれば、暴力に身を任せる余地はありません。」
さらに、我々が今日直面している問題は宗教の違いや国籍の違いなどの非常に表層的な違いから生まれたものです。我々は人間であるという点では同じなのです。
●世界の指導者たちは、経済的な発展にばかりとりつかれており、道徳に関心を持ちません。この傾向を憂慮されますか?
もし我々がお金について道徳的な原則をもっていなければ、問題は増えるばかりです。道徳は誰にとっても、宗教的な人にとっても、政治家にとっても、とても重要なことです。
●あなたは中道のアプローチがチベット問題を解決する最上の道たとおっしゃいますが、この戦略は最終的に成功するでしょうか?
これがベストであることを私は信じています。インド、アメリカ、ヨーロッパの指導者達、中国の知識人、中国の学生たちもみな支持してくれています。
私が中国人の学生たちとあった時、私は彼らに「私たちは中国からの独立をもとめていない」と言うと、彼らは我々のアプローチを理解し、我々の問題に親身になって考えるようになりました。これはチベットだけの問題ではありません。我々は21世紀を生きています。あらゆる対立は暴力ではなく対話を通じて解決されねばなりません。
●誰がダライラマとしてあなたの地位を継承しますか?
それは私には関係ありません。2011年私は公的にこの問題はチベット人にまかせると宣言しました。もし彼らがダライラマ制を維持したいのなら、そうすればいいし、もはや意味が無いと思ったなら廃止されるでしょう。私はもはや政治的な問題には関与していません。私はただチベットの幸福についてのみ関心があります。
●インドには宗教的な非寛容が台頭しつつあります。これについてはどう思われますか?
それはインドの実態ではありません。ほんのわずかの人々が問題を起こしているだけです。ビハール州での選挙はインド人の大半は調和と共存を望んでいることを証明しました。
(インタビューはMurali KrishnanによってインドのJalandharにおいて行われた)
このような状況を受けて、「怒りに身を任せたらテロリストと同じになってしまう」と「人の心を保とう」と、亡くなられた方の冥福を祈り、残された人々が絶望から暴力に走らないように、「連帯」を呼びかける人々、その逆に「移民・難民すべて排斥じゃあ」と怒り狂う人々、それぞれの抱えている理想や問題に応じて、様々な反応がみられた。
ちなみにフランスによるISIS空爆を批判する人もいるが、内戦している当事者に戦争をとめる能力が皆無な場合、短期的な暴力をとめるには現実的には武力を使うしかないという説は平和学の内部にもある。ボスニア内戦がこじれたのも、ルワンダ虐殺がおきたのも、国連があれでこれだったからというのはよく言われる話で、シリアの内戦は放置していたからここまで大きくなった感がある。現場を知らない人間が、武力介入の是非をいうのは危険なので私は沈黙する。
ここはチベットブログなので、ダライラマのコメントを以下に紹介します。 ダライラマの「問題を作り出しているのは人間であり、人間が心を改めない限り、神に祈ろうが、政府をののしろうが問題は解決しない」というのは究極の真理であろう。
ダライラマ、襲われたパリについて語る「神や政府に期待せず、平和のために動きなさい」)
ソースは →ここ
パリが無残に襲われたことに続いて、チベット人の精神的な指導者はDW(ドイッチェ・ヴェレ:ドイツ連邦共和国の国際放送事業体。VOAのドイツ版のようなもの)に対して「人々は人間が自ら作り出した問題を神に頼んで解決しようと思ってはならない。また、人間の価値を陶冶するためにも体系的なアプローチが必要だ」と語った。
世界中の数百万の信者にとって、ダライラマは「人間性」と「思いやり」の象徴である。ダライラマ、その名はテンジンギャムツォは1989年のノーベル平和賞受賞者であり、チベットの自治を求めて何十年もの間、戦っていることで知られている。
チベットの精神的な指導者は中道のアプローチ(植民地と独立の中間の自治)こそがチベット問題を平和的に解決し、チベット人と中国人の共存を推進する、最上の道だと信じている。ダライラマは1959年にインドに亡命し、以来インドのヒマーチャラプラデーシュ洲のダラムサラで亡命生活を送っている。
DWのインタビューの中で、80才になった精神的な指導者はダライラマとしての役割、チベット問題、地球規模の暴力の蔓延について語った
●「パリのテロについてどのようにご覧になりますか」
ダライラマ「20世紀は暴力の世紀だった。そして2億人が戦争や紛争で命をおとした。私たちが今目にしてるものは、前世紀の流血の名残だ。もし我々が非暴力と調和についてもっと力をいれなければ、我々はまた新たなる流血の世紀を迎えることになる。もし我々がまじめに平和を達成する努力を怠れば、我々は20世紀に体験した人間性の崩壊を繰り返すことになるでしょう。
人々は平和に生活することを望んでいます。テロリストは近視眼です。これが蔓延する自爆テロの原因の一つです。ただ祈っていても問題を解決することはできません。私は仏教徒です。もちろん祈りの力を信じています。しかし、この問題は我々が作り出したものです。だから神様に向かって「この問題を解決してください」と頼むのは筋違いなのです。神様はこういうでしょう「あなたたちで解決しなさい。なぜなら、そもそも、あなたたちがこの問題を作ったのだから。」とね。
我々は「人間の価値」、「みなが一つになること」「みなが調和すること」これらにむけて心を陶冶するためにも体系的なアプローチが必要です。もし私たちがそれを「今」はじめるならば、今世紀は、流血の前世紀とは異なったものになる希望が生まれます。みんなの利益となるのです。だからまず我々の家族、社会の中で平和のために動きましょう。そして、神や政府に助けを求めてはなりません。
●あなたの主なメッセージはいつも、平和、思いやり、忍耐です。しかし、世界はいつも逆の方向に向いているようです。あなたのメッセージは人々の共感を得ていないのではないですか?」
ダライラマ「そうは思いません。ほんのわずかのパーセンテージの人々が暴力的な話をしているのです。私たちは人間です。他人を殺すことには何の正当化できませんし、根拠もありません。もしあなたが他人を兄弟姉妹と考え、彼らの権利を考慮すれば、暴力に身を任せる余地はありません。」
さらに、我々が今日直面している問題は宗教の違いや国籍の違いなどの非常に表層的な違いから生まれたものです。我々は人間であるという点では同じなのです。
●世界の指導者たちは、経済的な発展にばかりとりつかれており、道徳に関心を持ちません。この傾向を憂慮されますか?
もし我々がお金について道徳的な原則をもっていなければ、問題は増えるばかりです。道徳は誰にとっても、宗教的な人にとっても、政治家にとっても、とても重要なことです。
●あなたは中道のアプローチがチベット問題を解決する最上の道たとおっしゃいますが、この戦略は最終的に成功するでしょうか?
これがベストであることを私は信じています。インド、アメリカ、ヨーロッパの指導者達、中国の知識人、中国の学生たちもみな支持してくれています。
私が中国人の学生たちとあった時、私は彼らに「私たちは中国からの独立をもとめていない」と言うと、彼らは我々のアプローチを理解し、我々の問題に親身になって考えるようになりました。これはチベットだけの問題ではありません。我々は21世紀を生きています。あらゆる対立は暴力ではなく対話を通じて解決されねばなりません。
●誰がダライラマとしてあなたの地位を継承しますか?
それは私には関係ありません。2011年私は公的にこの問題はチベット人にまかせると宣言しました。もし彼らがダライラマ制を維持したいのなら、そうすればいいし、もはや意味が無いと思ったなら廃止されるでしょう。私はもはや政治的な問題には関与していません。私はただチベットの幸福についてのみ関心があります。
●インドには宗教的な非寛容が台頭しつつあります。これについてはどう思われますか?
それはインドの実態ではありません。ほんのわずかの人々が問題を起こしているだけです。ビハール州での選挙はインド人の大半は調和と共存を望んでいることを証明しました。
(インタビューはMurali KrishnanによってインドのJalandharにおいて行われた)
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