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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2014/01/12(日)   CATEGORY: 未分類
女性誌とダライラマ法王
 ダライラマ法王は西暦の新年を南インドのセラ大僧院で迎えられた。
 中原氏のブログより法王の新年のお言葉を引用。

「新年が幸せな年となるか、苦しみの年になるかは自分たちにかかっている。新年の決意としてこう考えるといいだろう。2014年の元日に、今年一年、自分は最上の心と共に、愛情と慈悲のある人になろう、と。まず最初に自分自身の心を平安にすることに努め、その次に他の人々の心を平安にすることに努めるなら、今年はその人にとって良い年になるであろう」(引用元)

 占いやおみくじの吉凶をみて、幸せや不幸がくると一喜一憂する新年のダメな私どもに、「自分の心を強くすれば、運勢とか環境とかに関係なく心の平安が得られる」との教えを説かれているのである。あははは。
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 この新年、私の気づいた限りでは、『婦人公論』と『an an』の新年特集にダライラマ法王の言葉が掲載された。『an an』 は私が若い頃はファッション雑誌であったが、最近はキャリア・ウーマンの生活情報誌みたいになっていて(読者層の成長に合わせているのか?)、ファッションはかなり後景に押しやられている。

 実は一昨年の暮れの『an an』に、やはり法王の言葉が紹介された。法王が『an an』 に登場するのはまあ画期的なことであるため、このブログで紹介しようかな~と一瞬思ったのものの、広末涼子に法王を紹介させていたり、その同じ特集の別のセクションで「美坊主図鑑」とかがあったため、「仏教をファッションにしたら、あかんやろ」と紹介を自粛。

 その時の記事に比べれば今回の『an an』の特集は進化している。
感心したのは女性誌のメインテーマの一つである「外見の美しさ」に対して、心の美しさを提言される法王の言葉を引用したこと。それに「美坊主図鑑」もない(笑)。

 「メイクやファッション、恋愛にしか関心がないという自己中心的な考えでは幸せになれませんよ。・・・東日本大震災の時に助け合う人々の姿を見て、日本人の素晴らしい行動は世界を変えてくれると確信しました。・・・21世紀を平和にするには、対話の世紀にしなくてはなりません。武力ではなく対話で問題を解決するのです。・・
 「整形で美貌を維持している女性もいますが、真の美とは美しい心に宿ります」

 実は、女性の厚化粧に対して法王は厳しい。
 一昨年の来日時、「科学者との対話」のコーディネーターの某S村M子氏に対して、
「あなた、そのメイクに時間どれほど時間かけているの? 外見を飾ることは意味ないですよ」と突っ込んでいた。
 その時、ノーメークの私は、「いや、自分偉すぎるだろ」と思ったが、顔がくどいこととメンドー臭いことからノーメークで通し、さらに心の美しさも実現できていない私が本当に偉いかどうかは定かではない。

 一方、より上の年齢層をターゲットにした『婦人公論』も新年にあたり、五木寛之(81)や、坂東玉三郎(63)と並んで、法王の言葉をとりあげた。

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 ちなみに、五木寛之は「老人があふれる社会になり、若者には嫌老感がひろがっている。老人は弱者だといって若者に頼るのではなく、選挙権を辞退し、裕福な老人は年金を辞退し、老人同士共助せよ」と説いていた(笑)。ごもっともだ。単に年とっただけではない、本物の大人の姿を私たちに見せてくれい。
 坂東玉三郎は、一昨年、去年と多くの役者を失った歌舞伎界にあってウツっぽい言葉を連ねていた。
 で、ダライラマ法王はと言えば「他人は自分の一部とおもえば、この世が意味あるものに変わる」というタイトルで要約すると、

「不幸をグチっても仕方ない。現実を受け入れて、次のステップにうつれ。・・・自己中心的で狭量な考え方を捨て、人の幸せ望む心を養えば、心に自信と強さが生まれてくる。人生に目的感が生じ、この世が意味あるものに思え、自身の心の痛みを減らしていくのです。そのような「賢い利己主義」を実践しなさい」
 
 以上の内容はデジャブ感があるので、たぶん昨年の国技館講演を再構成したものだろう。

 法王は昔からずっとこのように平易な言葉で人々へと語りかけていたが、それは日本において広く知られることはなかった。知っているのは「もともとダライラマのことを知っている人」---ダライラマの講演会に直接足を運んだ人、その著書を買った人---に限られていた。多くの人は法王のことを知らないか、知っていても、「宗教」「封建領主」などのレッテルをはり、近づかない人が多かった。

 しかし近年、ムック本『ダライ・ラマと日本人』、池上彰氏のダライラマ本、今回のような女性誌の特集などを通じて、ダライラマの言葉は偏見ない形で人々に伝わる機会が増えている。その結果、ダライラマのイメージは「世界平和のリーダー」「言行一致の聖者」という世界標準の内容に着地しつつある。

 かつて『人民日報』が、ダライラマ法王を「ナチス」に喩えた際(どこから出てくるんだろう。このぶっとんだ発想 笑)、ユダヤ人団体が猛反発し、「我々はダライラマ法王を非常に評価しており、ナチスと法王を同列に論じる事は許さない。謝罪と撤回を求める」という事件があった。今や、日本人はこのエピソードを見て、「何やってんだよ、中国」と思うくらいはプロパガンダから自由になった。それは前述したようにダライラマの実像が広く知られるようになったためである。
 次は、一人でも多くの人が、法王の言葉をただ聞くだけでなく、その示すところを少しでも実践し、実現していくことであろう。そうすれば今ある問題の多くは自ずと解決していくはずである。
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DATE: 2014/01/01(水)   CATEGORY: 未分類
ディズニー化したチベット
ワシントン・マンスリー2014年1月2月号より。元記事はココ

 観光が〔チベット〕占領の道具に
  Pearl Sydenstricker

 チベットにあふれる漢人観光客は、寺の中で写真をとり、聖なる仏壇をぽかんと眺め、チベット文化をバカにする

 東チベットの山の上高くに鳥葬場がある。日にさらされた祈りの旗が蜘蛛の巣状にはりめぐらされて頭上にはためき、斜面は草に覆われている。
 伝統的なチベットの鳥葬(中国語では天葬というsky burial) は人生の否定というよりも「人生の再生」を儀式化したものである。遺体をきれいに焼く代わりに、棺に収める代わりに、チベット人は死者を一口ずつ、ギャーギャー鳴くハゲタカに餌として差し出す。今や中国政府はこの聖なる儀式を、漢人観光客の見世物へと変えている。

 ハゲタカは僧侶や葬儀屋が来る前にやってくる。死体包みがほどかれると、鳥たちは目玉から始まり、食べやすい指、耳、かかとなどをついばみ始める。葬儀屋は木槌と手斧で死体を一口サイズに切り刻み、鳥たちが食べ残さないようにする。正視に耐えないし明らかに葬儀ではない。なぜなら、家族や友達が参加していないからだ。ただ経典を読む僧侶と葬儀屋と死体がある。

 しかし今やこの儀式を、二十数人の漢人の観光客が見物している。中国政府に促されて、彼らはオフロード・クラブの旗をたてた四輪駆動のりつける。鳥葬はこれら漢人観光客たちの不謹慎な笑い声、カメラのシャッター音、家に帰った時にシェアするためのiPHoneでの動画撮影の音の中で行われる。

 この見世物のための五ドルのチケットは鳥葬場までの地図つきである。このチケットを誰が販売しているのかと言えば、中国政府に降参した麓の僧院だ。現地の人はこの僧院の信者(土地の人たちは彼らを裏切り者と呼ぶ)たちと、ほんの僅かな独立性を保とうとした町中の別の僧院の信者との間に確執があったことを教えてくれた。政府に降参した僧院の屋根は金メッキの五つの屋根を持ち、僅かながらの独立性を主張した僧院の屋根は石で打ち壊された。

 何にせよ、今や両僧院は観光客であふれており、門前町はここ二年でサイズを広げ、中国政府が安いローンをくめるようにしたため、ホテル街が形成されつつある。これは非チベット人のホテル経営者が私に教えてくれたことである。

 これは政府の政策なのである。チベットでは観光が政府公認の「経済の柱」なのだ。政府の目標は2015年までに一年に150万人の観光客をいわゆる「チベット自治区」(ここで原文も〔〕つきなのは、自治なんかないから笑)誘致することである。ちなみに、「チベット自治区」のチベット人人口はたった300万人しかいない。2013年、官営メディアによると2013年の上半期、ラサへの観光客は36%急増したという。

 中国政府はチベットの僧侶を軍隊で脅すというより、むしろ多数のあつかましい観光客で圧倒している。チベットを訪れる漢人観光客は一様に〔軍人のような〕迷彩色のファッションを身にまとっている。迷彩色の帽子、迷彩色のフード付きセーター、迷彩色のゲートルを履くことすらある。彼らはみな民兵を演じているかのようである。

 中国のメディアは、チベット人は常に中国の援助をうける受益者であると印象つける。〔その結果、〕ある漢人観光客は私に「チベット人はおかしな服をきて、その信仰たるや絶望的に「後進的」」という。チベットから数千マイル離れた河北のある村人は自分払った税金がこのような遠い地域にいる人々に使われることに非常に不満であると述べていた。中国政府はチベット人を、ロナルド・レーガンいうところの「福祉女王」(ナマケモノの不正受給者)のような戯画化した存在に仕立てようとしているようだ。

 だから、漢人観光客が祈りの場で大声で携帯電話をかけていようが、チベット人の迷信を故意に邪魔するために、時計回りでまわるべき環状巡礼路を、逆回りをしようが、驚くには当たらないのだ。

 全てのチベット人にとって最も聖なる場で、一番の観光地でもあるラサの旧市街、パルコルを歩くと、装甲車が土産物売り場の前をガラガラと音をたてて通っていく、
数えると47の警察署が半平方マイルの中にあった。全部町の中に立てられた観光客用の地図に書き込まれている。ディズニーランドのようだ。

 漢人観光客はソフトパワーの民兵の役割を果たしている。しかし、本物の軍隊がいることも周知の事実だ。どこにいこうとも、学校ではなく、掩蔽壕がある。暴動鎮圧用の盾をもった警察は町を行進している。軍事教練の声が日の出とともに響き渡る。ある若者ですら(バックパッカーのように見えた)、実際北京の公安本部からきた士官であることを自ら告げた。

「安全第一」は至る所で目につくスローガンである。道路脇の看板、人民解放軍のメロドラマを大音響で流す大型テレビスクリーン、いたるところにこのスローガンが掲げられている。学校の制服にも記されている。ラサの周囲にある大量の新しい警察署ときらめく政府の機関にも掲げられている。あるチベット人の若い友人の女性は、私に「安全第一」のスローガンは「地元ではジョーク」になっているという。

 漢人が旅行の自由を享受している反面、チベット人は強制的に定住させられている。監視とコントロールのため、遊牧民は低所得者向け住宅に住むことを強要され、その住宅にはすべての屋根に中国国旗がはためいている。すべてのチベット人の家では中国の過去の四人の指導者の額入り肖像画を掲げることが要求されている。この指導者たちの画は、天安門広場で幸福そうに踊るチベット人の上の雲の中に描かれている。漢人はヤクすら一カ所に定住させようとする。(ラサから車で57時間の甘粛省の地方で、私はヤクのために作られた畜産場を目撃した。看板はあったが、ヤクはいなかった。)

 チベット人が移動するのはより困難となっている。ましてや国を離れることはもっと難しい。チベット人の民族区分は身分証に記されており、警察はラサの外やチベット自治区の国境にある検問所で、必ず身分証を調べる。従って、チベット人がラサに入るのは困難であり、特に五体投地しながらラサに向かう巡礼は難しくなっている。チベット人はラサですら少数派になることを恐れている。なぜなら中国政府は漢人がラサに定住することを奨励し、移住したものには官僚制の中での昇進、新しいポストが提供されるから。それはむろん漢人だけに適用されている。

 中国政府はチベットに金をつぎ込むことを奨励している。しかし現地のチベット人はその多くは収賄に消えるという。(建設計画が大きければ大きいほど、キックバックの余地も大きくなる)。中国政府は最近パルコルを「一新」した。中国国営テレビのキャスターは外国人向けの番組の中で
「パルコルはかつて・・・雑然とした商取引が行われていましたが、今や、面目を一新しました。露天商人は近所に移動させられ、巡礼や観光客のための歩道がより広くなりました。」キャスターは地を掃き清めるような仕草をして、

「この計画はパルコルを高額所得者の旅行客の目的地へと変えるでしょう」

 ある夜、私が高齢の巡礼とパルコルを回り、二三人の若者が五体投地を行っていると、警察官が素手で格闘するための訓練で発する非常に暴力的なうめき声が聞こえ始めた。チベットで最も聖なる寺の一つである寺の隣の角を曲がると、我々は全身黒ずくめの警察官が見えない敵に向かってパンチをくりだし、銃剣をつきだしているのを見た。学校の制服をきた小さな男の子は我々の前でびっくりして立ち止まっていた。警察車両が彼の後ろでタイヤを鳴らせて止まると、彼は歩き去った。 一人の漢人バックパッカーもこれを目撃していたが、彼の友人が「お前はこれをみることを許可されていない」と言うと見るのをやめた。

 列車の中で、私は26才の済南からきたサラという英語名でとおっている漢人バックパッカーとの会話でドンビキした。私が「ラサはぴりぴりしている」というと彼女は「それは警察や軍隊がいるから?」といって笑い声をあげると私に子供を諭すような口調でこういった。

「私たちはラサでリラックスできるわ。とっても安全な町よ。もし私たちがチベット人の商人に騙されても、電話一本で味方ができるわ」

 サラはチベット柄のデザインのついたピンクのスカーフを身にまとい、手首には数珠を巻いていた。「私は仏教徒よ。」彼女は誇らしげにいった。「仏教は心の中にあるの」
 彼女は軍隊のいる理由をこう説明した。「チベット独立について聞いたことない? 母国の統一に反対して国を割ろうとしている人々がいるの。本当に嫌だわ。」彼女は一週間のチベット滞在中、漢人が経営するホテルに滞在し二食を除いて中国飯を食べていた。

 チベット人のガイドは「漢人旅行客は漢人ガイドを雇う。国家主導の観光産業の発展はチベット人よりも漢人を潤している。そしてそれはプロパガンダとともにやってくる。実は、政府主導の観光産業が盛んになればなるほど、チベット人のホテル経営者は仕事を失う。なぜなら彼らのベースは〔漢人ではなく〕外国人旅行客だからだ。今年のラサの最新の観光客向けアトラクションはチベット開国の王ソンツェンガムポに嫁いだ文成公主の物語だ。2008年の北京オリンピックの開会式と同じスタイルで、チャンイーモウ監督が演出を担当している。

 中国のプロパガンダはチベット人を、三月二十八日の「農奴解放記念日」に感謝の念から永遠にほがらかに喜びで歌い踊るイメージで描き出す。ラサ、北京を含めて中国の至る所で、お下げ髪で伝統的な頭飾りをつけたチベット女性が跪いてほほえんでいる新しいポスターがある。そこに添えられた文句は「共産党が聞いてくれるように、山の歌を歌いましょう」このポスターの中で「共産党」の文字は赤字で強調されている。、

 大半のチベット人は政治囚のように扱われ、合法的に国を離れるためのパスポート発給も拒否される。十年前はチベット人はとにかく逃げることはできた。若く強壮なものは通常冬期、雪が根雪となった時、徒歩でヒマラヤを越えた。今や、それをあえて行うものはいない。国境警備隊は発砲を許可されており、中国の影響力が増すにつれ、ネパール経由でチベットから逃げようとしたものは時に捕まり、中国の警察に引き渡されるからだ。

 状況を説明するために、あるチベットの商人は自分の掌を指さした。「掌は中国で周辺国は指のようなものだ。指は掌のコントロール下にある。」90年代にチベットを離れたチベット人は帰国を後悔している。今や、もう逃げることは不可能だからだ。あるチベット人は私にこう聞く

「プロパガンダが言うように、『中国は一つの大きな家族である』というのなら、全ての部屋に監視カメラをしかける父親なんていますか。軍事基地の外にはマシンガンで武装した哨兵が防弾ガラス入りの詰め所にたっています。脅迫花盛りですよ。旧市街の警察署ではこれみよがし武器を並べて窓辺に展示してあります。テーサー銃、警棒、様々な形の棒などです。」

ある漢人旅行者は列車の中でこういった。 「警官は必要だ。なぜならダライラマが問題を起こし続けているからだ」

過去一年半で120人以上のチベット人が中国政府に抗議して、自らの身に火を付けて死んだ。四川では、若い僧侶が二人の友人の写真を見せてくれた。二人はフードつきセーターを着てヨーロッパ風の建物の前でポーズをとり、アメリカのバスケットボールのスター選手の切り抜き写真の傍らにいた。この前の冬、その友人たちはガソリンを飲んで、ともに吹き飛んだ。吹き上がった黒煙は谷の向こうからも見えたと遊牧民が教えてくれた。
私は彼に聞いてみた。「彼らはなぜこんなことをしたのですか」
若い僧侶は「中国語では表現できない。」彼はチベット語でメモしてくれた。

「言うまでもなく、疑いもなく、この二人の友人、クンチョクウーセルとロプサンダワは心の底から、ダライラマ猊下とキルティ・リンポチェ猊下が大チベット(東チベットを含むチベット人の居住域) のリーダーシップをとることを希望したのです。チベットの宗教と文化が栄え、言葉だけではなく実質的な自由に至ることを希望したのです。」

漢人観光客にはチベット人に対する共感が欠けているように思われた。
北京からきた62才の学校教師はこういった「チベット人は人の命を尊重しない。」私はこの女性と甘粛省にあるラブラン僧院のビジターセンターと新しく舗装された駐車場であった。彼女は迷彩色の帽子をかぶり、「中国文化の多様性」の証拠としてヤクバターを指さした。我々がラブラン僧院のしっくいをぬったラブラン僧院の建物の間の迷路のような道を歩いている時、この女性は祈りを捧げている僧侶をひっぱって自分の写真のために十分間ポーズをとることを強要した。彼女は頭の後ろに手を置いて、肘を突き出した。

「彼らは中国政府が彼らに与えたものに感謝しないのよ」「そして私たちは今彼らにお金を払っている」(実は、共産党の官僚はラブランのような僧院内に住み着いていて,彼らの財政を握っている)彼女は集会殿の祈りの声よりも声高に私に説教し始めた。ついに、怒った僧侶が静かにしろと彼女をつまみだした。彼女は振り返ってその僧侶の写真をとった。
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