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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2013/06/26(水)   CATEGORY: 未分類
定食屋の魯山人
 実はアキャリンポチェを授業におよびした。レポートを期待されている方もいらっしゃると思うが、次のエントリーで。その理由は、いつもは主催者が別にいて、私はただそこに出向いてノートをとっていればいよかったが、今回は私がリンポチェのお迎え、司会、史料準備、通訳手配などなどを全部やらねばならず、ノートをとる暇がなかったから。録音機を再生して文字に起こすのは、実はノート取りよりはるかに精神的なハードルが高い。

 で、ツナギというのもなんですが、ちょっとした小話を一つ。

 とある夜、私は夕食をするために某定食屋のカウンターに座っておりました。私の右隣には、年の頃は二十代後半から三十代前半、ややチャパツ、既婚、スーツではないラフな格好の男が座っていた。その男の頼んだ料理は豚の生姜焼きであったが、その男、箸を付けてまもなく、店員を呼び止めてこういった。

「あのまずくて食べられないんですが。焦げていて苦いです」

 私の見る限り、豚の生姜焼きは普通の焦げ茶色の焼き目で、黒くもなっていなかった。苦いというからには黒焼きになっているはずだが、みたとこ普通。
店員は恐縮して、代わりをお持ちしますので四分お時間をいただけますか?といって彼のお盆を下げた。

 周りの人は私も含めて、その男にドンビキした。高級料亭で北大路魯山人が料理にケチをつけたのならまだしも、ここは定食屋である。さらにこの男、どうみても魯山人ではない。

 その男はお盆を下げられたあと、しばらくケータイをいじっていたが、おもむろに立ち上がって、カバンもって、会計をしないまま、外にでていってしまった。トイレなら店の中だし、誰かとの待ち合わせに遅れるならケータイでメッセージを送ればいい。かなりの可能性でこの男は再注文しておきながら無断で退店したのだ。

 ここで二度目のドンビキ。

 お店側からみたらこの男のせいで二食つくって一銭もとれないことになる。そして何より頭にくるのはこの二食は廃棄されること。世の中には飢えている人もいるというのに。チベットで弁当食べると貧しい子供が弁当のぞき込んでくるというのに。このマナーの悪い男は、来世必ずやこの報いで餓鬼道に落ちるであろう。

 このモンスターなカスタマーを見ている内に、過去にあったいろいろなイヤなことを思い出した(病んでますな 笑)。

 その昔、学生たちと某中華料理屋にはいった所、ビールやハイボールがサービスで150円くらいになっていた。すると、某学生(留年生)が、「こんな水っぽいハイボール、~だったら作り直しだよ」とケチをつけた。

 私はどんな料理を出されても、美味しくいただく人が好きである。たべっぷりのいい人に悪い人はいない。なので、この発言にはカチンときた。

「高級店で高価な値段をはらって、水っぽいハイボールがきたのなら、批判する気持ちも分からないでもないが(高級店でハイボールは出ない 笑)、飲み放題の宴会を3000円でうけてる中華料理屋で、水っぽいハイボールがでてきても、文句は言えないだろが。偉そうなクチ聞くな」。

 その同じ学生はその後、ステーキ食べ放題の店にいったときも、やはり「こんな〔まずい〕肉食えない」といって箸を付けなかった。雰囲気壊れるのがいやだったので、その時は何もいわなかった。しかし今考えると、彼は内輪で文句いっていただけで、お店に作り直しを要求しなかったこと、お会計はしたことなどから、あの定食屋のチャパツよりはましである。

 さらに走馬燈は回る。

 一昨日。私は某フレンチレストランでダンナと食事をしていた。夜遅かったこともあり、お客は私たちだけだったので、お店の奥さんと私はぶっちゃけた話をはじめた。

 奥さんの発言を要約すると、「最近、予約をいれた人が予約時間過ぎてから取り消しをいってきたりとマナーが悪い。食事中もケータイをいじって、どうかするとパソコンをあける。ケータイは料理の写真をその場でとってツイッターやFBにアップすることもあるので、我慢できないこともないけれど、パソコンを開けるのはお店の雰囲気が壊れるのでやめてほしい。ケータイを取り落としてグラス割ったりとか、食事が出るのが遅いとか、もうお客さんがラーメン屋の客化している。みんなが批評家になってしまった。」

 予約取り消しをキーワードにさらに走馬燈がまわる。

 二週間ほど前、某クンが結婚の挨拶にきたいというので、研究室で待った。しかし来ない。実はその日ケータイを家に忘れており、そのケータイには予定時間の七分前に「嫁の実家にいくことになり、今日は行けません」とのメッセージが入っていた。ケータイ・メール一本で、先生との約束を反故できると考えている時点でアウト。しかもこれすでに式の一月前。

 定食屋の魯山人のおかげでいらんことを沢山思い出した。

とりあえずまとめ。

 「オレ様は一流だから / 頭がいいから、一流の味/ 価値が分かるから、オレ様を満足させるために周りの者は努力せよ」という人は、誰からも共感をもたれることはない。自分の感情に支配されていて、他人との共感がまったくない人格だからだ。批判していいのは批判対象より、よいものを作れる能力がある人だけ。自分では何も生み出せないくせに、人様がつくったものに対してあれこれケチをつけるような人は、そもそも当人が思っているような「一流」の人間ではない。「一流」の人間はそういうことをする人ではないからね。
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DATE: 2013/06/10(月)   CATEGORY: 未分類
ナーランダの17人の賢者たち
土曜日(6月8日)は護国寺大師堂にて、来日されているゲン・ロサン先生の法話に参加した。テーマはダライラマ14世が著された「聖ナーランダ大僧院の17人の賢者に捧げる祈願文」0の解説である。これが面白かった!

この17人の賢者たちをセットで観想することは、ダライラマ14世猊下が新たに始めた伝統である。
17Nalanda.jpg

 チベット仏教ではもともと仏教の大成者達八人を「六飾・二勝」(rgyan drug mchog gnyis)と尊称していた (その内訳は「閻浮提の六つの飾り」と尊称されるナーガールジュナ、アーリヤデーヴァ、アサンガ、バスバンドゥ、ダルマキールティ、ディグナーガの六人と律を極めたことにより「最勝のお二方」と尊称されるグナブラバーとシャーキャブラパーである)。ダライラマ14世はこの八人に加えて、空の哲学とその実践者の伝統の中から、代表的な聖者9人を加えて、17人となし、祈願文を記し、グル・ヨーガの形式で描かせた。それが上記の写真である。

「グル(先生)・ヨーガ」とは一言でいうと、自分が今学んでいる仏教の伝統が、お釈迦様からはじまって、インドの哲学者(賢者)や修業者(成就者)たちによって研究され、また実践にうつされてきた歴史をたどり、その二つの伝統が、アティシャに至って一つになり、チベットにもたらされ、現在の自分にまでやってきたことを観想するものである。要は、長い仏教の伝統の末端に今の自分がいることを自覚し、その伝統の祝福をうけやすくするという修行である。

 グル・ヨーガの絵においては、通常、釈尊や開祖となる人物(ゲルク派の場合はツォンカパ) を真ん中に主尊として描き、その回りにインドの哲学者や修行者たちを配置する。今回の法話の場に掲げられた絵画「ナーランダの17人の賢者たち」は、2007年にダライラマ法王が護国寺に寄贈された由緒あるものであり、二日目の法話の後にゲン・ロサン先生がこの絵画をカラーコピーを、その場で落慶(rab gnas)されて、参加者一人一人に配られた。

 私はこの手の仏教絵画で論文書いたこともあり、かつ歴史家なので、今回の法話は実に興味ふかかった。授業の後で疲れていたので、参加を迷っていたが、結果としてはよかった。誘ってくれたKさんありがとう。

 今回はテクスト(ダライラマ14世作ナーランダ17人の聖者に捧げる祈願文)が短かったこともあり、全部を読み終わるという、今までにない珍しい経験もした。通常一般向けの法話は、仏教を志す際の動機について詳しく語るので、帰敬偈のところで多くの時間が費やされ、ヘタすると本文に入らないうちに終わるのがあったりマエダのクラッカーなのだ (笑)。

 テクストとなった猊下御製の祈願文のチベット語と英訳はこのサイトhttp://www.lotsawahouse.org/tibetan-masters/dalai-lama/seventeen-great-panditas-nalandaにある。N君が作った和訳が会場では頒布されたので、希望者はMMBAに聞いてみてください。

 ゲン・ロサン先生はこの絵画に描かれる17人のプロフィールを説明された。この人たちの著作は、チベットの僧院で日々研究され、修行の対象となっている基本的なテクスト群である。この17人のプロフィールを見ていくうちに、空(くう) の哲学とその実践の流れが自分の頭の中でずいぶん整理できた。

〔ナーランダ僧院の17人の聖者プロフィール〕※(サンスクリット名 チベット名 漢名)

1.ナーガールジュナ(Nagarjuna / klu sgrub / 龍樹)
チベットでは「第二の仏」と云われる程すごい人。『解深密教』によると、釈尊が生涯に説いた三種類の教え(三転法輪)のうち、二番目に説かれた般若系経典群について、『中論』(rtsa shes) という名著を記した。般若系経典群の心髄は、すべては名前しか存在せず、実体がないという空(くう)思想である。中観派の伝統の開祖として「大馬車」と尊称される。なぜなら、彼のつけた轍あとを後世の人がみなたどったからである。

2.アーリヤデーヴァ(Aryadeva / 'phags pa lha / 聖提婆)
龍樹の一番弟子であり、セットで「聖父子」とも称される(現実の父子ではなく密接な師弟関係を指す)。空思想についての名著『四百論』(bzhi brgya pa)を著す。

3.ブッダパーリタ (Buddhapalita / sangs rgyas bskyang / 仏護)
中観帰謬論証派の伝統を開いた人。『中論』の註釈を書いた。

4.バーヴィヴェーカ (Bhaviveka / legs ldan byed / 正弁)
中観自立論証派の伝統を開いた。『中観心論』(dbu ma snying po) および『中論』の注釈書『般若灯論』(shes rab sgron me) の著者。空の論証に、ディグナーガの論理学を用いたので、自立論証派と呼ばれる。「世俗の中のものは、それ自身の性質によって成り立っている」と主張した。


5.チャンドラ・キールティ (Chandrakirti / zla ba grags pa / 月称)

中観についての著作『入中論』(dbu ma 'jug pa)を記し、自著に自分で注をつけ(これを自注という)、また『中論』に対する注釈書『プラサンナパダー(明句論)』 (tshig gsal)も著す。

6.シャーンティデーヴァ (Shantideva / zhi ba lha / 寂天)
菩薩の生き方を示した『入菩提行論』(spyod 'jug)、『大乗集菩薩学論』(bslab btus)を著した。

7.シャーンタラクシタ (Shantarakshita / zhi ba 'tsho / 寂護)
サムエ寺創建のために、古代チベットのティソンデツェン王に招かれてチベットに渡った。貴族の子供が七人選ばれて、シャーンタラクシタから具足戒を授けり (試みの七人)、チベットの出家の伝統(僧伽)がはじまった。『中観荘厳論』(dbu ma rgyan)と、仏教の立場から外道の哲学を批判した『摂真実論』 (tattvasamgraha / de kho na nyid bsdus pa)を著した。

8.カマラシーラ (Kamalashila / pad ma'i ngang tshul /蓮華戒)
シャーンタラクシタの後チベットには中国禅が流入し、禅の「何も考えないことが悟りの境地」という考え方が広まった。そのため、サムエ大僧院(チベット初の僧院)において、インド由来の仏教と中国仏教のどちらが正しいかをディベートで決することとなった。この時、インド仏教の立場を主張したのがシャーンタラクシタの弟子、カマラシーラである。三回にわたる論争の結果、カマラシーラが勝利し、チベット王はインド仏教を規範とするようにと命令を下した。論争内容を記した『修習次第』 (sgom rim)と『中観光明』(dbu ma snang ba)の著者。

9.アサンガ (Asanga / thogs med / 無着)
『文殊師利根本名経』に「仏滅後600年に現れる」と予言されている。アサンガは兜率天にのぼって、弥勒から『現観荘厳論』(mngon rtogs rgyan)、『大乗荘厳経論』(mdo sde rgyan)、『中辺分別論』(dbus mtha' rnam 'byed)、『法法性分別論』(chos chos nyid rnam 'byed)、『究竟一乗宝性論』(rgyud bla ma) 通称「弥勒の五法」(byams chos sde lnga)の教えを聞いた。さらに、『大乗阿毘達磨集論』、『摂大乗論』、『瑜伽師地論』などの唯識の大著の著者であり、唯識派の開祖となった。

10.ヴァスバンドゥ (Vasubandhu / dbyig gnyen/ 世親)
『倶舎論』(mdzod)の作者。説一切有部・経量部・唯識の著作や注釈を書いた。アサンガとヴァスバンドゥは実の兄弟。彼らの母親(ターラーの化身)は、二人の息子に家業を継がさず、出家を推奨した。
 バスバンドゥの四大弟子としては、律のグナプラバー(15)、般若思想のアーリヤ・ヴィムクティセーナ(13)、論理学のディグナーガ(11)、唯識思想のステイラマティがいる。

11.ディグナーガ (Dignaga / phyogs kyi glang po / 陳那)
論理学の名著『プラマーナ・サムッチャヤ』(tshad ma kun btus)を記し、仏教論理学を創始した人。仏教論理学は他のインド哲学諸派にも大きな影響を与えた。

12.ダルマキールティ (Dharmakirti / chos kyi grags pa / 法称)
 『プラマーナ・サムッチャヤ』の注釈書『プラマーナ・ヴァールティカ』(tshad ma rnam 'grel)を記し、仏教論理学を大成した。「七部 (sde bdun)」と総称される著名な七冊の論理学書の著者。

13.アールヤヴィムクティセーナ (Arya Vimuktisena / 'phags pa grol sde / 解脱軍)
 『現観荘厳論』の注釈書を書いた。

14.ハリバドラ (Haribhadra / seng ge bzang po / 獅子賢)
般若経の要点をまとめた弥勒の『現観荘厳論』に対する注釈『現観荘厳論光明』と、『八千頌般若経』と『現観荘厳論』を関連された注釈『現観荘厳論複註』を書いた。

15.グナ=プラバー (Gunaprabha / yon tan 'od / 德光)
律(僧院内の規律)の大成者。『律経』('dul ba'i mdo)と『百一作法』(las brgya rtsa gcig pa)の著者。

16.シャーキャ=ブラバー (Shakyaprabha / sh'a kya 'od / 釈迦光)
グナプラバーと並ぶ律の大成者。『三百頌律』を記し、それに対して自分で注をつけた('od ldan)。

17.アティシャ (Atisha / jo bo a ti sh'a / 阿底峡)
 ベンガル地方に生まれ、ヴィクラマシーラ大僧院の僧院長となる。チベット王チャンチュプウーに招聘されて、チベットにおいて悟りに至る修道過程を記した『菩提道灯論』(lam sgron)を著す。本書はニンマ派以外のチベットの各宗派の修行カリキュラムの基礎となる。ゲルク派の開祖ツォンカパはこの『菩提道灯論』に対して大中小の『菩提道次第論』(lam rim)を記した。

 以上17人のうち、最初の八人が空の哲学の大成者たちであり、アサンガ以下17番目までが、この哲学を修行によって自分の意識に実現した成就者たちである。アティシャはこの哲学と修行の伝統を結び合わせて、チベットにもたらした。

 以下の図は私が人物をクラスタにわけ絵解きしたものである。会場の絵の仏の台座にある名前をよみとり、ネットで画像検索して確認したのでまあ正しいと思う。ちなみに、解説図の中で「師弟関係」とある場合、必ずしも同時代を生きた師弟ではない。前の人の教えを後代にでた人が大成し、それを後世の人がセットで言及した場合も含む。解説図はクリックすると大きくなる。
abr透視図

 さて、ゲン・ロサン先生の法話に戻る。先生は、哲学(顕教)の七人の先学のうち、六番目のシャーンティデーヴァの説明を一番長くされ、彼の著作である『入菩提行論』の最初の三つの章からたくさんの引用を行った。
 要約すると「他者を思う心こそが、あらゆる精神的な貧しさ、苦しみを取り除くものだ」

ダライラマ法王はこうおっしゃっている。『チベットはかつて独立国であったが、中国に侵略されて、以来、チベット人は云うに云われぬ辛酸をなめつくしてきた。しかし、我々には菩提心(自分以外のすべての他者のために生きる決意)がある。この菩提心があれば、何者をも乗り越えることができる。他人のために生きれば、チベットの苦しみはそんなには大きくない。』

確かに、苦しみの大半は自意識過剰から生まれてくるもの。自意識過剰で苦しんでいる方は、『入菩提行論』(ポタラカレッジから和訳がでている)を愛読し、他人のために生き自分を忘れることをおすすめする。

 また、17人目のアティシャについても詳しい説明をされた。


 「チベット仏教はナーランダの無垢の法統の伝統をうけついでいる。チベット仏教の四大宗派(ニンマ派・サキャ派・カギュ派・ゲルク派)は、実践(密教修行)についてはそれぞれの宗派で異なるものの、哲学(顕教)については共通の教えを持っている。

 アティシャはナーランダの哲学と修行の伝統を受け継ぎ、サキャ派・カギュ派・ゲルク派はアティシャの修道カリキュラムの影響を受けて教義を着くっているので、チベット仏教はナーランダ大僧院の法統を直接受け継いだものと言える。

 ゲルク派の開祖ツォンカパにはお二人の弟子がいるが、そのうちの一人が明日の法話で用いるテクストの作者ゲルツァプ=ダルマリンチェンである(つまり、みなはナーランダの僧院の伝統の末席につながることになる)。

 ダライラマ法王はこうおっしゃっている。『現在のチベットにおいて、仏教は成・住・壊・空の四段階でいえば、壊(滅亡)の時期にさしかかっている。こういう時代だからこそ仏教を大事にしなければならない。修行の自由があって、独立している国では仏教を維持することができる。最近はチベット仏教では、外人でかつ女性の人に対しても博士(ゲシェ)号を出すようになっている。ヨーロッパにも仏教に興味をもつ人は増えている。』日本のみなさんもよりいっそう仏教の伝統を守ることに努めなさい。

 最後の七偈は祈願文となっている。前述したナーランダの17人の賢者を目の前に観想しながら、祈願文を読むように。
 
 仏の境地には高い・低いの区別はない。〔しかし、仏を目指している修業者〕菩薩にはある。〔あなたたちは菩薩なので〕あらゆる無限の有情の役にたてるように日々精進なさい。


とゲン・ロサン師の法話が終わると、アボさんが以下のようにシメをされた。

ダライラマ法王はこうおっしゃっています。
「仏法をただ聞くだけで功徳があると思う人がいますが、尊敬する対象である仏様をよく知らないで拝んでいても功徳は小さいです。また、〔勉強しても〕哲学の言葉をメモしたり暗記したりしただけで、実践しないのではまだいけません。哲学で理解した内容をさらに自分の心の上に実現していかねばなりません。口だけで仏教を説いていても、考えていることや行いが教えと異なっていてはいけません。実践(修行)は大切です。仏教の勉強と実践をやらない理由として、老人だからとか子供だからとかは理由になりません。死はいつやってくるかわかりません。いますぐ仏教の勉強をやるのです。

チベット本土には今、仏教を修行する自由がありません。今までチベットが護ってきた仏教の伝統も、危機的な状況です。他国の仏教徒にも仏教を維持する責任があります。信仰だけ、ただ寺にお参りしているだけでは、仏教を維持したことにはなりません。仏の教えの内容を理解し、さらに毎日実践を行うことによって仏教は維持できます。

 
 私は以上のゲン・ロサン先生とアボさんの法話によって、ダライラマ法王がことあるごとに「チベット仏教の僧院文化が、インドの僧院大学ナーランダの伝統をひくものである」と言及される意味をやっと理解することができた。今まで私はこのお言葉をチベット仏教を喇嘛教というような、偏見をもった人々に対して「チベット仏教はインド由来の正当な仏教の伝統の継承者である」と主張する言説かと思っていた。

 しかし、この理解は本当に浅かった。

 12世紀に、インドに流入したイスラーム勢力がナーランダ大僧院を破壊し、インドにおいて僧団の伝統は終わった。この時、荒廃したインドの仏教界からは、多数の賢者や行者がチベットに亡命して、チベット仏教は飛躍的に発展した。そして、チベットにおいてナーランダ大僧院の哲学と実践が維持されてきたのである。しかし、1950年にはじまる中国の侵略によって、そのチベットから仏教の伝統は消えようとしている。

 ゲン・ロサン師やアボ師が強調されるように、仏教の伝統はそれを研究し、実践する僧侶の集団の存在があって初めて可能となる。チベット仏教が死滅に瀕している今、その伝統を維持できるのは、思想・信教の自由のあるヨーロッパやアジアの仏教徒達である。

 なので、法王が「チベットはナーランダの伝統を引く」と云われる際には、その伝統を消したくない、何とか維持せねばという気持ちがこめられており、仏教国の日本人にとっても無縁のことではないのだ。護国寺様にこの17人の賢者の絵がプレゼントされたのも、日本において大乗仏教の伝統の復興を願われてのことであろう。

 法王が来日されるごとに、空についての哲学を小さな集団の中でお話したがるのも、このナーランダの伝統を繋んとの思いからなのだ。いろいろ思い当たる節があり、本当に今回の法話は実り豊だった。
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DATE: 2013/06/06(木)   CATEGORY: 未分類
法王誕生日の謎
六月六日は私の誕生日。

普段からみなさまによくして頂いているので (具体的にはインコ・グッズを見つけるとプレゼントしてくださる方に囲まれているので)、毎日が誕生日なようなものです。なので、この場を借りて、いつもお世話になっている方々のご健勝とご多幸を心よりお祈りします。ただの祈りではありません、チベット仏教の瞑想を日々行いながらも、つい怒ってしまってそれを台無しにする賽の河原のような修行者の祈りです。効くか効かないか分からないところがスリリングです。

 さて、学者が単純にお誕生日を祝うのも芸がないので、ちょっとしたミステリーを。
 話は先月の勉強会(仮称お菓子食べ放題勉強会)のことであった。我々は、1940年に記された Basil Gould卿が時のイギリス・インド政庁に出した、「現ダライラマ猊下が、三歳の時に見つけ出され、認定され、即位したことについて」の報告書の、チベット語訳を読んでいた。↓のチベット版である。

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 Gould卿は時のシッキム行政官でダライラマ14世の即位式にも出席しているてので、この報告書はいわば、ダライラマ14世猊下についてもっとも初期にでた情報と言える。

 すると勉強会メンバーのSくんが、「この英語版のここみてください。ダライラマ14世は1935年6月6日生まれって書いてますよ。センセーと誕生日同じじゃないですか」

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 対応するチベット語版も西暦表記をそのまま訳しているので1935年6月6日となっている。
 Wikipediaのダライラマの項目も1935年6月6日である。グールドが六年後にGeographical Magazineにだした文章(The Discovery of the Fらurteenth Dalai Lama)でもこのダライラマの生年は踏襲されている。

 しかし、周知の通り、ダライラマ法王事務所は例年西暦7月6日に法王の誕生日を祝っている。丁度一ヶ月後にあたる。

 そこで、1963年に法王が記した自伝『チベット、わが祖国』のチベット語原文を見てみた。木の猪年の第五月の五日と書いてある。チベット暦だと思われるため、1935年のメンツィーカンのカレンダーないと西暦との対応が分からない。これを単純に旧暦と考えて換算してみると(チベット暦と旧暦は閏月の挿入前後にすごくずれるが、一日二日しかずれない時期もある)、1935年6月5日となる・・・・。

 法王事務所に問い合わせみたが、「さあ昔から7月にお祝いしてますからねー」と当時のイギリス人記事についてもご存じないよう。

 1935年のメンツィーカンのカレンダーを見つければチベット暦と西暦の換算の仕方がわかりで答えがでようが、Gouldの駐留するシッキムはラサの目と鼻の先のチベット文化圏。彼はチベットのセレモニーにも参加しているため、チベット暦を西暦に換算する人は近くにいたのではないか。本当にグールドは間違えたのであろうか。

仮に、万が一だよ、Gouldの情報が正しかったら、猊下は私と同じ誕生日になる。てこれが言いたかっただけです。

すみません。みなさんありがとうございます。
 
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DATE: 2013/06/01(土)   CATEGORY: 未分類
水無月チベット祭り
 ゴールデンウイークのリンポチェ祭り(チベットの高僧の来日ラッシュを業界ではこういう 笑)が終わると、すぐに関係者はサカダワ(釈尊の生まれ、覚りを開き、涅槃に入った聖なる月)の斎戒をはじめ、功徳をつみまくり、その達成感もさめやらぬうちに、六月にリンポチェ祭り第二波! なんかこんな島国にいて、かつてのチベット人やモンゴル人みたいなスケジュールで高僧を拝めるのって、しみじみ現代はすごい。

 まずはゲルク派はゴマン学堂の系列から、チベットの織○無道もとい、ゲン・ロサン先生が来日されます。ゲン・ロサン先生はゴマンきっての学僧で、その法話と体格の迫力はハンパない! プロフィールについてはこちらを参照ください。
●ゲン・ロサン先生の法話ならびに灌頂スケジュール 

春季特別集中法話会 (もう終わっているぅぅぅぅ!)
日 時 2013年6月1日(土)13:30-16:30
 2013年6月2日(日) 10:00-12:00/13:30-15:30
内 容 ジェ・ツォンカパ・ロサンタクパ『入中論註・密意解明』
会 場 龍蔵院デプン・ゴマン学堂日本別院
会 費 一般:15,000円 会員:10,000円
資料代・昼食(2日のみ)代込

「チベット基礎講座 パート13」bTibet XIII

日 時 2013年6月8日(土) 13:00-17:00
内 容 基調講演
野村正次郎「チベット・日本の仏教世界における伝統と創造」
ゲン・ロサンによる法話
「インド・ナーランダー僧院の伝統仏教とは」
ロサン・プンツォ師による講演
「日本人に分かって欲しい仏教のポイント」
会 場 大本山護国寺
会 費 無 料

「チベット基礎講座 プラス」bTibet XIII+  仏教論理学特別講伝会

日 時 2013年6月9日(日) 10:00-17:00
内 容 ダルマキールティ『量評釈』量成就章
ゲルツァプジェ・ダルマリンチェン『量評釈解説・解脱道解明』
※翻訳資料は当日配布いたします
会 場 大本山護国寺
会 費 施主供養料5,000円(阿闍梨供養料・資料代込)

無上瑜伽タントラ実践法特別伝授会(参加資格が限定されています)

日 時 2013年6月11日(火)〜12日(水)
両日とも11:00-12:00/14:00-16:00
内 容 ガワン・パルデン『四部タントラ地道次第』講伝
※翻訳資料は当日配布いたします
参加資格 瑜伽タントラ/無上瑜伽タントラの灌頂法灯保有者
・無上瑜伽の灌頂を受けている者
・我が国で両界曼荼羅の結縁灌頂以上の灌頂を受けている者
・06年もしくは本年2011年高野山にて法王より金剛界灌頂を受けている者
・その他のチベットのラマから瑜伽タントラ以上の灌頂を受けた者
会 場 龍蔵院デプン・ゴマン学堂日本別院
会 費 支具料15,000円(阿闍梨供養料・資料代)

白ターラー菩薩長寿灌頂

日 時 2013年6月15日(土)
前行法話会 11:00-12:00
長寿灌頂会 14:00-16:00
内 容 白ターラー菩薩の長寿灌頂ならびに前行法話会
会 場 龍蔵院デプン・ゴマン学堂日本別院
会 費 支具料5,000円(資料代)
前行法話会のみの参加者は支具料はいりません。

大乗仏教思想特別伝授会

日 時 2013年6月16日(日) 14:00-16:00
内 容 ナーガールジュナ『根本中論頌』『勧戒王頌』
※翻訳資料は当日配布いたします
会 場 龍蔵院デプン・ゴマン学堂日本別院
会 費 無 料

 はいお次は、昨秋につづいて同じくゲルク派のアジャ・リンポチェ(or アキャ=リンポチェ)来日です。青海クンブム大僧院の座主の転生僧の系譜につらなる方で、初代はゲルク派の開祖ツォンカパのお父さん! 17世紀のダライラマ五世の時代に制度としての転生が始まります。当代のリンポチェは文革の辛酸をなめた後、中国仏教界のナンバー2まで登り詰めますが、中国当局の選んだパンチェンラマの教育係にされることに耐えられず1998年に亡命された歴史的な経験をされた方です。

アジャ・リンポチェ 来日講演 
○ アジャ・リンポチェ 大谷大学真宗総合研究所公開講演会
会場: 大谷大学 響流館3F メディアホール (JR京都駅から地下鉄烏丸線で13分、北大路下車1分)
日時: 6月18日(火)16:20-18:20
演題: 「歴代アジャ・リンポチェの事績について」
参加費: 無料

○ 国際哲学研究センター第三ユニット国際シンポジウム
会場: 東洋大学125周年記念ホール (白山キャンパス8号館7階)
日時: 6月22日(土)13:30-17:00
主宰 東洋大学国際哲学研究センター第三ユニット(協力東洋大学仏教青年会)

そして、最後はディグン=カギュ派からラムキェン・ギャルポ・リンポチェの登場です。1939年に前にギグド大地震の震源地の玉樹に生をうけ、ディグン・カギュ派管長の右腕として宗派の歴史文書編纂などを行っているそうです。私はこの方、存じ上げなかったのですが、歴史資料の編纂中と聞いて聞きに行きたいと思ったのですが、思い切りエクステンションの授業とかぶっている...!

ラムキェン・ギャルポ・リンポチェ 来日講演 
○ 般若仏母灌頂と般若心経の解説(上)
会場: 大本山 護国寺 大師堂
日時: 6月15日(土)9:30開場 10:00-12:00
主宰 ラムキェン・ギャルポ・リンポチェ招聘委員会

○ 般若仏母灌頂と般若心経の解説(下)
会場: 大本山 護国寺 大師堂
日時: 6月22日(土)9:30開場 10:00-12:00
主宰 ラムキェン・ギャルポ・リンポチェ招聘委員会
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