回向院の出開帳
チベットは今、聖なるサカダワ (sa ga zla ba) 月である。仏様が生まれ、悟りを開き、なくなった月なので、この月に行う善行はポイントがついて何万倍にもなるという。そのため、チベット人はサカダワ期間、聖地を巡礼して必死に貧者に施し仏様を供養する。Kくんによると、インド中の乞食会社がサカダワになると乞食をダラムサラにバスで送り込んでくるという。本土チベットのラサでも中国を含めたあらゆる地域から乞食が集まってくる。職業乞食たちは、チベット人がこの月に施しをするのを知っているからである(でも彼らは仏教が何かは知らない 笑)。
私も良いことをしようと思うのだが、そこは凡夫。意に反して、一昨日も五分でキれて一時間怒鳴ってしまったので、この悪行を精算するべく、土曜日は両国の回向院で行われている善光寺の出開帳に行く。
出開帳とは、普段は長野に行かなければ拝めない仏様が、本拠地をでて各地に出向いてくださること。今回は東日本大震災復興支援の資金集めのために、江戸にお出ましになられた。江戸時代、回向院の出開帳といえば空前の人出を誇り、江戸の風物詩として知られた。
初めて自分の意志で買った大人の本は興津要編『古典落語』であるくらい私は古典落語歴が長い。この中に「開帳の雪隠」という噺があるのだが、これは回向院の開帳が舞台で、人でがたくさんでトイレ(雪隠)がたりないことに目を付けたくまさんとはっつぁんが仮設トイレを作って金儲けする話である。この噺を通じて私は幼少のみぎりより開帳という言葉に接していたが、まさか21世紀にホンモノの回向院の出開帳に参加できるとは思わなんだ。
出開帳の阿弥陀様を供養すれば、被災地支援にもなり、その善行はサカダワ月の力で百万倍になり、私の来世も安泰となる。是非行かねばなるまい。ちなみに、このような自利の思考法はチベット仏教では小士といい、威張れたものではない。
ここで、知らない方が幸せかもしれない、開帳豆知識。
善光寺の本尊の阿弥陀様は実は絶対秘仏。だあれも見たことがないミステリーな仏様。なのでこの本尊様が来るわけではない。では、秘仏の本尊をおさめた厨子の前にたつ本尊の姿をうつした前立本尊がくるのか? これも今回の本尊ではない。では、回向院にお出ましになった阿弥陀様は何? 何なの?
答えは、出開帳専用に作られた出開帳仏。もちろん本尊の分身である。開帳自体がずっと行われていなかったため、この出開帳仏が人前にでるのはじつに192年?ぶり。なので、7年に一度の開帳となる前立本尊よりは希少性のあるご開帳といえる。
社会人向けチベット講座のあとに有志をつのったので、私を含めて五人のクルーはすべてチベットマニアとなった。そのため信仰の力かシンクロの力か分からんが、濃い参拝となった。
まず、回向院に到着したほぼその時間に大本願の上人様(善光寺の浄土宗のトップ。天皇家の血筋をひく尼僧がつく位)が導師となる本尊前での法要が始まった。本堂は人の波だったが、通路に人がいないのでズイズイ前にいって覗いてみると、うわ、徳行坊のW住職 (2008年、北京オリンピックの年、善光寺がチベット問題を理由にあげて聖火リレー出発地点を辞退した際に善光寺の顔となってテレビにでた方)に、寺務総長のW住職のお二方も着座していらっしゃる。
南無阿弥陀仏を唱え散華すると法要は終わり、上人様をはじめとするご住職たちは退場されたので、W住職を呼び止めてみなで立ち話。W住職によると、本堂二階で講演が行われており、講演者はグリーフケア(大切な方を亡くして悲嘆にくれている人を立ち直らせるプログラム)に取り組んでいらっゃる尾角光美さんという。彼女は関西でプレイヤー・フォー・チベット(チベットのための祈り)という会を主催しているという。
なのでみなで尾角さんの講演を聞く。内容はいわゆる"傾聴"の話。悲嘆にくれている人の話をツッコミをいれずにただ相手の心によりそって「ままに」話を聞くように、とのこと。尾角さん自身、18才の時にお母様を自殺で、兄上も去年アルコール依存症でなくしているとのことで、体験に根ざしたお話であった。尾角さんの率いる社団法人リブオン(生きる)は主にお寺などで講演活動をしているとのこと。終演後はチベット交流会(笑)。
次に、本堂の上階で、被災地陸前高田からやってきた金剛寺の如意輪観音様と要害観音堂の聖観音様を拝む。この観音様は津波に流された後、瓦礫の下から奇跡的に発見されたとのこと。要害観音堂は跡形もないというから、すごいご本尊である。
また三階には、善光寺の文化財として、五羽の鳩が隠れている善光寺の扁額、和宮様のお手回り品、善光寺の創健者である本田善光と妻子の三人の座像が展示されていた。
中でも面白かったのが、善光寺縁起絵巻とその絵解きであった。若いお坊さんがこの絵の解説をするのだが、いわゆる講談調の語りではなく、今時の普通の説明。彼もあらかじめ予防線をはって「たどたどしい説明ですが、暖かく見守ってください」という。でも、年配の方から「立像(りつぞう)言うな、りゅうぞうと言え」とつっこまれていた(笑)。
この絵巻の説明のどこが面白かったかというと、一人の人間の転生が仏教の伝播に連動しているという説話の構図が、チベットの仏教史の説話構造と同じであったこと。
善光寺縁起の詳細はhttp://www.zenkoji.jp/about/index3.htmlにある。
これを要約するとこうなる。
インドの月蓋長者が、阿弥陀様に帰依して、娘如是姫の病が治ったため、阿弥陀様の姿を仏像にして祀り、仏教を広めた。やがて、月蓋長者は百済の聖明王に生まれ変わったが、前世を忘れて悪行三昧であった。そこで本尊の仏はインドから空間移動して百済に出現し、聖明王に過去世を語りきかせ、改心するようにさせた。聖明王は百済で仏教を広め、やがて日本に仏教を伝えるべく、本尊を船にのせて日本に送り出した。そして、次は貧しい人に生まれたいと誓いを立てた。時に欽明天皇の時代であった。
その頃、日本では蘇我と物部が仏教を導入するかしないかでもめていた。折しも流行病で人がしにだすと、物部は「異国の仏を祀ったから、日本の神が怒ったのだ」といい、寺をぶちこわし、百済からの仏像を難波の江にぺいっと捨ててしまった。
歴史が語るように、結局は蘇我氏が勝利し、仏教の日本導入は決まったのだが、難波の江に捨てられた阿弥陀様は、聖徳太子様に「別の人が拾いにくるから、それまでここにいる」といって難波の江からお出ましにならなかった。
しばらくして、この近くを本田善光が歩いていると、ご本尊は本田さんの背中にぴたっと張り付いて、「わたしを信州につれていって祀れ」というので、本田さんは阿弥陀様を背負って赴任地の信州にいき、貧しかったので寺がつくれず、ひっくり返した臼の上に阿弥陀様を安置して拝み続けた。そう、百済の聖明王は今は日本の貧しき本田善光に生まれ変わったのである。
しばらくすると、本田善光の息子が前世の業により親より先に死んで地獄におちた。善光は悲しんで阿弥陀様にせがれを助けてくださいと一心にお願いした。
その頃、善光の息子は地獄で皇極天皇にあっていた。父善光の力によってこの世に蘇ることができることをしった子息は、阿弥陀様にこういいました。
「私一人が蘇っても父が喜ぶだけ。私の代わりに皇極天皇を蘇らせてください」
阿弥陀様「よういった。その自己犠牲の心に免じて、両者ともに蘇らせたるわーい」と二人は同時に蘇ったのだそうな。
蘇った皇極天皇は重祚して斉明天皇となり、天皇のお布施で阿弥陀様には伽藍が建てられ、善光寺の歴史が始まりましたとさ。
というものです。インド→朝鮮 (百済)→日本と仏教が伝播していく中で、本尊はこの長大な空間を移動し、施主も月蓋長者→聖明王→本田善光と転生していくが、これと同じようにチベットではインドで釈尊の施主をしていたプラセーナジット王が生まれ変わって、チベットの古代の王たちになり、さらに、生まれ変わってモンゴル帝国五代目フビライになってモンゴル(元朝)に仏教をひろめ、とどめに乾隆帝に生まれ変わって満洲(清朝)において仏教を広めたという壮大な転生物語がある。
つまり、一人の人間が悠久の歴史と空間を転生によってこえて仏教を異なる地域に伝播させていくのだ。
こうして、みながよく知る歴史の大事件、百済の聖明王が日本に仏像を送って日本へ仏教が伝来したこと、難波の江に仏像が捨てられたこと、また、チベットの場合は、古代チベットのティソンデツェンがチベットにおいて仏教を国教としたこと、フビライがモンゴルに仏教を国家レベルで導入したこと、乾隆帝が満洲人王朝清においてチベット仏教をもっとも熱烈に信仰していたことなど、空間的にも時間的にもバラバラの事件が、一人の人間の転生と本尊の移動によってつながっていくのである。
また、本田さんが通りがかるまで本尊が難波の江に沈んでいたのは、チベットにおいても運命の時と人を待って現れるテルマ(埋蔵宝典)という概念と同じである。、
ちなみに、チベットの部分については私は直前の授業で話していたので、善光寺絵巻の話を聞いているうちに不思議な気持ちになった。
帰り道Kさんが「やっぱ天皇陛下とかお金持っている人でないとお寺は建てられないんですね」というので、
私「今は民主主義で国王がいなくなったからね~。誰かあの世にいって、スティーブジョブスみたいな金持ちを蘇らせてくれないかな」と答える。
そして、最後なので本尊とつながる回向柱に頭をつけ、ご本尊の加持をいただく。この柱は映画「先祖になる」の主人公である佐藤直志さんが切り出したものである。常々思うのだが、善光寺さんはこういういい意味での演出がとても上手だ。今回のご開帳が少しでも被災地の復活につながればいいと思う。
陸前高田に佐藤さんが再建した家からは今どのような景色が見えているのだろうか。
私も良いことをしようと思うのだが、そこは凡夫。意に反して、一昨日も五分でキれて一時間怒鳴ってしまったので、この悪行を精算するべく、土曜日は両国の回向院で行われている善光寺の出開帳に行く。
出開帳とは、普段は長野に行かなければ拝めない仏様が、本拠地をでて各地に出向いてくださること。今回は東日本大震災復興支援の資金集めのために、江戸にお出ましになられた。江戸時代、回向院の出開帳といえば空前の人出を誇り、江戸の風物詩として知られた。
初めて自分の意志で買った大人の本は興津要編『古典落語』であるくらい私は古典落語歴が長い。この中に「開帳の雪隠」という噺があるのだが、これは回向院の開帳が舞台で、人でがたくさんでトイレ(雪隠)がたりないことに目を付けたくまさんとはっつぁんが仮設トイレを作って金儲けする話である。この噺を通じて私は幼少のみぎりより開帳という言葉に接していたが、まさか21世紀にホンモノの回向院の出開帳に参加できるとは思わなんだ。
出開帳の阿弥陀様を供養すれば、被災地支援にもなり、その善行はサカダワ月の力で百万倍になり、私の来世も安泰となる。是非行かねばなるまい。ちなみに、このような自利の思考法はチベット仏教では小士といい、威張れたものではない。
ここで、知らない方が幸せかもしれない、開帳豆知識。
善光寺の本尊の阿弥陀様は実は絶対秘仏。だあれも見たことがないミステリーな仏様。なのでこの本尊様が来るわけではない。では、秘仏の本尊をおさめた厨子の前にたつ本尊の姿をうつした前立本尊がくるのか? これも今回の本尊ではない。では、回向院にお出ましになった阿弥陀様は何? 何なの?
答えは、出開帳専用に作られた出開帳仏。もちろん本尊の分身である。開帳自体がずっと行われていなかったため、この出開帳仏が人前にでるのはじつに192年?ぶり。なので、7年に一度の開帳となる前立本尊よりは希少性のあるご開帳といえる。
社会人向けチベット講座のあとに有志をつのったので、私を含めて五人のクルーはすべてチベットマニアとなった。そのため信仰の力かシンクロの力か分からんが、濃い参拝となった。
まず、回向院に到着したほぼその時間に大本願の上人様(善光寺の浄土宗のトップ。天皇家の血筋をひく尼僧がつく位)が導師となる本尊前での法要が始まった。本堂は人の波だったが、通路に人がいないのでズイズイ前にいって覗いてみると、うわ、徳行坊のW住職 (2008年、北京オリンピックの年、善光寺がチベット問題を理由にあげて聖火リレー出発地点を辞退した際に善光寺の顔となってテレビにでた方)に、寺務総長のW住職のお二方も着座していらっしゃる。
南無阿弥陀仏を唱え散華すると法要は終わり、上人様をはじめとするご住職たちは退場されたので、W住職を呼び止めてみなで立ち話。W住職によると、本堂二階で講演が行われており、講演者はグリーフケア(大切な方を亡くして悲嘆にくれている人を立ち直らせるプログラム)に取り組んでいらっゃる尾角光美さんという。彼女は関西でプレイヤー・フォー・チベット(チベットのための祈り)という会を主催しているという。
なのでみなで尾角さんの講演を聞く。内容はいわゆる"傾聴"の話。悲嘆にくれている人の話をツッコミをいれずにただ相手の心によりそって「ままに」話を聞くように、とのこと。尾角さん自身、18才の時にお母様を自殺で、兄上も去年アルコール依存症でなくしているとのことで、体験に根ざしたお話であった。尾角さんの率いる社団法人リブオン(生きる)は主にお寺などで講演活動をしているとのこと。終演後はチベット交流会(笑)。
次に、本堂の上階で、被災地陸前高田からやってきた金剛寺の如意輪観音様と要害観音堂の聖観音様を拝む。この観音様は津波に流された後、瓦礫の下から奇跡的に発見されたとのこと。要害観音堂は跡形もないというから、すごいご本尊である。
また三階には、善光寺の文化財として、五羽の鳩が隠れている善光寺の扁額、和宮様のお手回り品、善光寺の創健者である本田善光と妻子の三人の座像が展示されていた。
中でも面白かったのが、善光寺縁起絵巻とその絵解きであった。若いお坊さんがこの絵の解説をするのだが、いわゆる講談調の語りではなく、今時の普通の説明。彼もあらかじめ予防線をはって「たどたどしい説明ですが、暖かく見守ってください」という。でも、年配の方から「立像(りつぞう)言うな、りゅうぞうと言え」とつっこまれていた(笑)。
この絵巻の説明のどこが面白かったかというと、一人の人間の転生が仏教の伝播に連動しているという説話の構図が、チベットの仏教史の説話構造と同じであったこと。
善光寺縁起の詳細はhttp://www.zenkoji.jp/about/index3.htmlにある。
これを要約するとこうなる。
インドの月蓋長者が、阿弥陀様に帰依して、娘如是姫の病が治ったため、阿弥陀様の姿を仏像にして祀り、仏教を広めた。やがて、月蓋長者は百済の聖明王に生まれ変わったが、前世を忘れて悪行三昧であった。そこで本尊の仏はインドから空間移動して百済に出現し、聖明王に過去世を語りきかせ、改心するようにさせた。聖明王は百済で仏教を広め、やがて日本に仏教を伝えるべく、本尊を船にのせて日本に送り出した。そして、次は貧しい人に生まれたいと誓いを立てた。時に欽明天皇の時代であった。
その頃、日本では蘇我と物部が仏教を導入するかしないかでもめていた。折しも流行病で人がしにだすと、物部は「異国の仏を祀ったから、日本の神が怒ったのだ」といい、寺をぶちこわし、百済からの仏像を難波の江にぺいっと捨ててしまった。
歴史が語るように、結局は蘇我氏が勝利し、仏教の日本導入は決まったのだが、難波の江に捨てられた阿弥陀様は、聖徳太子様に「別の人が拾いにくるから、それまでここにいる」といって難波の江からお出ましにならなかった。
しばらくして、この近くを本田善光が歩いていると、ご本尊は本田さんの背中にぴたっと張り付いて、「わたしを信州につれていって祀れ」というので、本田さんは阿弥陀様を背負って赴任地の信州にいき、貧しかったので寺がつくれず、ひっくり返した臼の上に阿弥陀様を安置して拝み続けた。そう、百済の聖明王は今は日本の貧しき本田善光に生まれ変わったのである。
しばらくすると、本田善光の息子が前世の業により親より先に死んで地獄におちた。善光は悲しんで阿弥陀様にせがれを助けてくださいと一心にお願いした。
その頃、善光の息子は地獄で皇極天皇にあっていた。父善光の力によってこの世に蘇ることができることをしった子息は、阿弥陀様にこういいました。
「私一人が蘇っても父が喜ぶだけ。私の代わりに皇極天皇を蘇らせてください」
阿弥陀様「よういった。その自己犠牲の心に免じて、両者ともに蘇らせたるわーい」と二人は同時に蘇ったのだそうな。
蘇った皇極天皇は重祚して斉明天皇となり、天皇のお布施で阿弥陀様には伽藍が建てられ、善光寺の歴史が始まりましたとさ。
というものです。インド→朝鮮 (百済)→日本と仏教が伝播していく中で、本尊はこの長大な空間を移動し、施主も月蓋長者→聖明王→本田善光と転生していくが、これと同じようにチベットではインドで釈尊の施主をしていたプラセーナジット王が生まれ変わって、チベットの古代の王たちになり、さらに、生まれ変わってモンゴル帝国五代目フビライになってモンゴル(元朝)に仏教をひろめ、とどめに乾隆帝に生まれ変わって満洲(清朝)において仏教を広めたという壮大な転生物語がある。
つまり、一人の人間が悠久の歴史と空間を転生によってこえて仏教を異なる地域に伝播させていくのだ。
こうして、みながよく知る歴史の大事件、百済の聖明王が日本に仏像を送って日本へ仏教が伝来したこと、難波の江に仏像が捨てられたこと、また、チベットの場合は、古代チベットのティソンデツェンがチベットにおいて仏教を国教としたこと、フビライがモンゴルに仏教を国家レベルで導入したこと、乾隆帝が満洲人王朝清においてチベット仏教をもっとも熱烈に信仰していたことなど、空間的にも時間的にもバラバラの事件が、一人の人間の転生と本尊の移動によってつながっていくのである。
また、本田さんが通りがかるまで本尊が難波の江に沈んでいたのは、チベットにおいても運命の時と人を待って現れるテルマ(埋蔵宝典)という概念と同じである。、
ちなみに、チベットの部分については私は直前の授業で話していたので、善光寺絵巻の話を聞いているうちに不思議な気持ちになった。
帰り道Kさんが「やっぱ天皇陛下とかお金持っている人でないとお寺は建てられないんですね」というので、
私「今は民主主義で国王がいなくなったからね~。誰かあの世にいって、スティーブジョブスみたいな金持ちを蘇らせてくれないかな」と答える。
そして、最後なので本尊とつながる回向柱に頭をつけ、ご本尊の加持をいただく。この柱は映画「先祖になる」の主人公である佐藤直志さんが切り出したものである。常々思うのだが、善光寺さんはこういういい意味での演出がとても上手だ。今回のご開帳が少しでも被災地の復活につながればいいと思う。
陸前高田に佐藤さんが再建した家からは今どのような景色が見えているのだろうか。
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