噴水口中国に帰る
昨日、中国を訪問中のフランス・オランド大統領、「円明園の噴水口を中国に寄付する」と表明した。この噴水口については、2009年2月27日の拙ブログで扱った。
経緯を簡単に整理するとこう。
2008年にかのイブ・サンローランがなくなった。共同経営者のピエールベルジェ氏がサンローラン氏の遺品を競売にかけ、その中には1860年にフランス軍によって略奪された円明園の噴水口もあった(サンローラン氏は合法的にこの骨董品を買った)。
噴水口は匿名の参加者によって競り落とされたが、この落札者は中国政府の関係者で、「略奪品だからタダで中国に返還さるべき」と主張し料金を支払わなかった。そして、例によって中国人によるナショナリスティックな大騒ぎがはじまった。その時、業を煮やしたピエール・ベルジェ氏はこういった(以下当時のロイター)。
わたしはこれを正当な対価をはらって手に入れていますし、完璧に法律によって護られています。ですから、中国人たちの言うことはちょっとおかしいですね。でも、中国人たちにこのブロンズ像をすぐにでも返す準備がありますよ。彼らが人権を守ることを宣言し、チベット人に自由を返し、チベット領にダライラマが帰ることを受け入れさえすればね。
ふいた。
たしかに、かつて中国は自国の文化のみならず、チベットの文化を破壊し、その国を所有しているわけだから、「自分を棚に上げるな」いいたくなる気持ちは分かる。多くのチベット人はこのピエール氏の啖呵に喝采したことだろう。
しかし、昨晩このニュースである。
■略奪の十二支像、中国に返還=ウサギとネズミ、仏企業が表明
時事通信 4月26日(金)20時0分配信
【北京時事】1860年のアロー戦争で英仏連合軍によって北京市郊外の清朝離宮「円明園」が破壊された際に略奪された十二支のウサギとネズミの首銅像が中国に返還されることになった。高級品ブランド「グッチ」や「イブ・サンローラン」などを傘下に置くフランス小売り大手「PPR」首脳が26日、北京で中国政府幹部に表明した。
中国メディアによると、同社のフランソワ・アンリ・ピノー会長兼最高経営責任者(CEO)が同日、国家文物局の宋新潮副局長らと会談し、ピノー家を代表して「寄贈」すると述べた。
十二支のウサギとネズミ像をめぐっては2009年2月、パリで開催された仏デザイナー、故イブ・サンローラン氏の遺品オークションで、計3149万ユーロ(約40億円)の高値で落札。戦争の混乱で略奪された文化財の返還を求める中国政府は強く反発した。
25日に訪中したオランド仏大統領が習近平国家主席と会談し、中国側はエアバスの航空機60機の購入で合意するなどする中、円明園から流出した文化財の象徴である十二支像の返還が決まった。
十二支像のうち12年までに牛、虎、馬、猿、イノシシの像は中国に返還。竜は台湾にあり、ヘビ、羊、鶏、犬は行方不明となっている。
で、関連するフランス語の記事(以下にURLをはる)を検索してgoogle翻訳で英訳してみた。
http://www.rue89.com/2013/04/26/mystere-cadeau-bronzes-pierre-berge-a-chine-241845
http://www.francetv.fr/culturebox/deux-bronzes-rares-de-pierre-berge-bientot-restitues-a-la-chine-135363
これら記事によると、ピエール・ベルジェ氏はそれが何のために用いられるか知らないまま、億万長者のピノー氏に噴水口を売ったという。記事は、「ピエール氏がチベットをめぐる問題について行った発言は正しいが、19世紀にフランス軍が円明園から噴水口を略奪したことは威張れたことではない。」といい、ピエール氏は「彼が返還するというならいいんじゃない」と皮肉ったことを伝える。
この記事を読んで、連休の初めから実に複雑な気持ちになった。
韓国の窃盗団が対馬から盗み出した仏像の場合とは異なり(この仏像はおそらく略奪でわたってきたのではないと言われている。窃盗団の方がむしろ略奪W)、この噴水口はアロー号戦争の時にフランス軍が略奪したのははっきりしている。なので、150年前であれば、フランスは道徳的に正しい行いをした言えないこともない。しかし、現代はその略奪から150年たっており、当時の政府とは体制も内容もかわっている。また過去の話を現代にもちこんで自分の都合のいい主張を述べだしたら、領土紛争と同じく、そこには無限の争いが始まるという問題もある。
ピノー氏は中国から利益をあげている人で、オランド大統領は今回、このサプライズの噴水口と交換に、60機のエアバスを中国にうる商談をまとめた。無私の行動なら返還は美談といえないこともないが、この二人の立場をみると、客観的にいって今回の出来事は、自分の利益のために、チベット(今の時点ではこの噴水口はチベット問題のイメージがついている)を見捨てたことになり、これは別の道徳的な罪をおかしたことになる。
チベット人は難民であるため、肩身の狭い思いをして生きている。それでも、ダライラマは海外にでていくチベット人に「どの国に住んでもその国に貢献する人間になりなさい。その国のよき市民になりなさい」といって送り出す。そのようなチベット人たちが、「あなたの国の利益を犠牲にして、チベットのために何かしてください」とは言うはずもない。だから今回のフランス政府の行動に表だって反対するチベット人はいないだろう。でも、逆にいえばフランス政府は「世界とは金さえあれば、道徳だろうが事実であろうが、まげることができる」と中国政府に思わせる今回の決定に問題は感じないのだろうか。腐ってもヨーロッパの大国だろう?
フランス大統領は記者会見で、習近平との会談の中で、「チベット問題と人権問題について、あらゆるテーマについて、率直かつ丁寧な形で議論されるように」と述べたというが、これだって、「チベット問題を忘れたわけでないよ」というアリバイ作りをしたようにしか見えない。イタい。
今回のフランスのこの行動に、中国人が「さすがはフランス人。自分のもっているものを自分から手放すなんて。自分たちにはできないわあ」と思い、自らのチベットに対する態度を道徳的に反省して、チベットを手放そうと思うだろうか。私は仏教徒なのでレッテルをはりたくない。また、中国人が自らの行動を自ら正すことができる日が来ることも信じたい。しかし、今の中国を見ているとその道は遼遠であると思わざるを得ない。
経緯を簡単に整理するとこう。
2008年にかのイブ・サンローランがなくなった。共同経営者のピエールベルジェ氏がサンローラン氏の遺品を競売にかけ、その中には1860年にフランス軍によって略奪された円明園の噴水口もあった(サンローラン氏は合法的にこの骨董品を買った)。
噴水口は匿名の参加者によって競り落とされたが、この落札者は中国政府の関係者で、「略奪品だからタダで中国に返還さるべき」と主張し料金を支払わなかった。そして、例によって中国人によるナショナリスティックな大騒ぎがはじまった。その時、業を煮やしたピエール・ベルジェ氏はこういった(以下当時のロイター)。
わたしはこれを正当な対価をはらって手に入れていますし、完璧に法律によって護られています。ですから、中国人たちの言うことはちょっとおかしいですね。でも、中国人たちにこのブロンズ像をすぐにでも返す準備がありますよ。彼らが人権を守ることを宣言し、チベット人に自由を返し、チベット領にダライラマが帰ることを受け入れさえすればね。
ふいた。
たしかに、かつて中国は自国の文化のみならず、チベットの文化を破壊し、その国を所有しているわけだから、「自分を棚に上げるな」いいたくなる気持ちは分かる。多くのチベット人はこのピエール氏の啖呵に喝采したことだろう。
しかし、昨晩このニュースである。
■略奪の十二支像、中国に返還=ウサギとネズミ、仏企業が表明
時事通信 4月26日(金)20時0分配信
【北京時事】1860年のアロー戦争で英仏連合軍によって北京市郊外の清朝離宮「円明園」が破壊された際に略奪された十二支のウサギとネズミの首銅像が中国に返還されることになった。高級品ブランド「グッチ」や「イブ・サンローラン」などを傘下に置くフランス小売り大手「PPR」首脳が26日、北京で中国政府幹部に表明した。
中国メディアによると、同社のフランソワ・アンリ・ピノー会長兼最高経営責任者(CEO)が同日、国家文物局の宋新潮副局長らと会談し、ピノー家を代表して「寄贈」すると述べた。
十二支のウサギとネズミ像をめぐっては2009年2月、パリで開催された仏デザイナー、故イブ・サンローラン氏の遺品オークションで、計3149万ユーロ(約40億円)の高値で落札。戦争の混乱で略奪された文化財の返還を求める中国政府は強く反発した。
25日に訪中したオランド仏大統領が習近平国家主席と会談し、中国側はエアバスの航空機60機の購入で合意するなどする中、円明園から流出した文化財の象徴である十二支像の返還が決まった。
十二支像のうち12年までに牛、虎、馬、猿、イノシシの像は中国に返還。竜は台湾にあり、ヘビ、羊、鶏、犬は行方不明となっている。
で、関連するフランス語の記事(以下にURLをはる)を検索してgoogle翻訳で英訳してみた。
http://www.rue89.com/2013/04/26/mystere-cadeau-bronzes-pierre-berge-a-chine-241845
http://www.francetv.fr/culturebox/deux-bronzes-rares-de-pierre-berge-bientot-restitues-a-la-chine-135363
これら記事によると、ピエール・ベルジェ氏はそれが何のために用いられるか知らないまま、億万長者のピノー氏に噴水口を売ったという。記事は、「ピエール氏がチベットをめぐる問題について行った発言は正しいが、19世紀にフランス軍が円明園から噴水口を略奪したことは威張れたことではない。」といい、ピエール氏は「彼が返還するというならいいんじゃない」と皮肉ったことを伝える。
この記事を読んで、連休の初めから実に複雑な気持ちになった。
韓国の窃盗団が対馬から盗み出した仏像の場合とは異なり(この仏像はおそらく略奪でわたってきたのではないと言われている。窃盗団の方がむしろ略奪W)、この噴水口はアロー号戦争の時にフランス軍が略奪したのははっきりしている。なので、150年前であれば、フランスは道徳的に正しい行いをした言えないこともない。しかし、現代はその略奪から150年たっており、当時の政府とは体制も内容もかわっている。また過去の話を現代にもちこんで自分の都合のいい主張を述べだしたら、領土紛争と同じく、そこには無限の争いが始まるという問題もある。
ピノー氏は中国から利益をあげている人で、オランド大統領は今回、このサプライズの噴水口と交換に、60機のエアバスを中国にうる商談をまとめた。無私の行動なら返還は美談といえないこともないが、この二人の立場をみると、客観的にいって今回の出来事は、自分の利益のために、チベット(今の時点ではこの噴水口はチベット問題のイメージがついている)を見捨てたことになり、これは別の道徳的な罪をおかしたことになる。
チベット人は難民であるため、肩身の狭い思いをして生きている。それでも、ダライラマは海外にでていくチベット人に「どの国に住んでもその国に貢献する人間になりなさい。その国のよき市民になりなさい」といって送り出す。そのようなチベット人たちが、「あなたの国の利益を犠牲にして、チベットのために何かしてください」とは言うはずもない。だから今回のフランス政府の行動に表だって反対するチベット人はいないだろう。でも、逆にいえばフランス政府は「世界とは金さえあれば、道徳だろうが事実であろうが、まげることができる」と中国政府に思わせる今回の決定に問題は感じないのだろうか。腐ってもヨーロッパの大国だろう?
フランス大統領は記者会見で、習近平との会談の中で、「チベット問題と人権問題について、あらゆるテーマについて、率直かつ丁寧な形で議論されるように」と述べたというが、これだって、「チベット問題を忘れたわけでないよ」というアリバイ作りをしたようにしか見えない。イタい。
今回のフランスのこの行動に、中国人が「さすがはフランス人。自分のもっているものを自分から手放すなんて。自分たちにはできないわあ」と思い、自らのチベットに対する態度を道徳的に反省して、チベットを手放そうと思うだろうか。私は仏教徒なのでレッテルをはりたくない。また、中国人が自らの行動を自ら正すことができる日が来ることも信じたい。しかし、今の中国を見ているとその道は遼遠であると思わざるを得ない。
もっと知りたいチベット
護国寺のチベフェスが近づき、渋谷・東京などの各駅にチベフェスのポスターが貼られ始めた。主催者の方は準備その他で今一番大変な時期と思う。
このギリギリ切羽詰まった時期に、突然SFTがお寺に隣接する会館でチベット・イベントをやることを決めた。
その泥縄というか修羅場な話は私にとってはこんなカンジで始まった。
Uさん「チベフェスに連動して、護国寺に隣接する天風会館でチベットをよりよく知ってもらうためのイベント"もっと知りたいチベット"をやることになりました。先生、私が見てみたいので、Aさんと女傑対談とかいかがですか」
しかし、何日かたって。
Uさん「先生、Aさんはその時期日本にいないそうで、Bさんと美女対談ってのはどうですか? あと、この際なんでTibet in Song ("歌に溶けていくチベット")の上映会も次の日やります。お金ないけど監督もインドから招聘します」
で、またまた、何日かして
Uさん「先生、Bさんは三日は仕事が入っていて都合がつきませんでした。で、美女と野獣対談ってことで、麻生晴一郎さんはいかがですか。北京芸術村の取材とか、劉暁波論とか、現代中国の民間の視点から本を書いているかたです。東大出ていますよ。男気のある方で先生同様、タダで・・・」
私「待て待て待て待て、私現代中国事情とか知らないし、知らないことは話しようもないし。キャスターの立ち位置しかできないわよ。大体あなたねえ。女傑とか、野獣とか一体私をなんだと思っているわけ?」
Uさん「毒舌?。大丈夫です。司会者がチベットの焼身抗議の話とかをして、それについてお二人に話をふりますから。」
というわけで、当事者があずかりしらぬうちに、このようなカンジで対談が決まってしまったのであった。
■□対談「チベットの眼 中国の眼」(仮)
石濱裕美子教授×ライター麻生晴一郞さん
【日時】2013年5月3日(祝): 13時開場/13時30分開演
【会場】護国寺 隣「天風会館」参加費:500円 (会場賃料)
このテキトーな会話にもでてきたように、五月四日と五日はドキュメンタリー映画チベット・イン・ソング (2009) の監督挨拶つき自主上映会がある。映画ははじめて日本語字幕ががつき、監督も初来日である。
■ 映画「チベット・イン・ソング」映画上映
+ンガワン・チュンペー監督トークイン
【日時】2013年5月4(祝)〜5日(祝):毎日13時開場/13時30分開演
【会場】護国寺 隣「天風会館」
チケット:1500円
このドキュメンタリーは表題の通り、チベットが現在おかれている状況を、チベットの伝統歌謡、中国がもたらした革命歌、ポップスの影響を受けた若者の音楽、良心の囚人たちの抵抗歌など、歌を通じて綴ったもの。
監督のガワンチュンペー氏は二歳でインドへ亡命。ダラムサラの芸術学院(TIPA)を卒業して、フルブライト奨学金をうけてアメリカにわたった。本土チベットにおける民謡の変容をみたいと、危険をおかして本土に入り、ラサから田舎を旅する。監督は旅しながらこう思う。
昔、チベット人は生活の中に歌があった。家畜の乳を搾るとき、チーズをつくるためミルクを撹拌する時、脱穀する時、屋根を版築で固める時、ヤクを放牧する時、それぞれのシーンに歌があった。歌を通じてチベット人は生活や習慣を受け継いでいく。
しかし、1951年に中国人がやってきた。彼らは、チベット語の歌を禁止し、革命歌を歌うように強制した。毛沢東は「プロパガンダ歌手は千人の兵隊にも勝る」といったそうな。
文革終わった後に、今度は改革開放制作によってポップスが怒濤の勢いで入ってきた。もうチベット人でも若者は民歌を歌わない。
そして今。ラサでは地方からでてきたチベット人が観光客目当てに民謡を歌ったり踊ったりすることで小銭を得ている。そして警察に追い立てられている。
チベットの伝統的な歌謡にはもはや居場所はない。
てな激ウツな彼の旅は、わずか一か月で終わった。監督は西チベットで逮捕され、投獄され、18年の刑を宣告される(歌や踊りを録画していただけなのに)。
監督は監獄の中でもチベット人の囚人から民謡を採譜し続ける。三年後、やっと外部との接触が許され、自分の居場所を伝えることができるようになると、国際的な釈放運動が始まった。そして中国政府は監督を釈放する。
という監督の半生がチベット人の生歌と証言の中で綴られるのである。
□■ 五月六日には前三日と同時間始まり、同じ場所で、写真家野田雅也氏のスライド・トークショー「TIBET MOTHERLAND」もあります。
今回の四日と五日のイベントでは、このような体験をされた監督の謦咳に直接せっすることができます。護国寺様で、砂マンダラを見て、チベット料理食べたあと、敷地となりの天風会館へお越しくださいませ。チベットがざっくりあなたの心をつかむために、お待ちしております。
このギリギリ切羽詰まった時期に、突然SFTがお寺に隣接する会館でチベット・イベントをやることを決めた。
その泥縄というか修羅場な話は私にとってはこんなカンジで始まった。
Uさん「チベフェスに連動して、護国寺に隣接する天風会館でチベットをよりよく知ってもらうためのイベント"もっと知りたいチベット"をやることになりました。先生、私が見てみたいので、Aさんと女傑対談とかいかがですか」
しかし、何日かたって。
Uさん「先生、Aさんはその時期日本にいないそうで、Bさんと美女対談ってのはどうですか? あと、この際なんでTibet in Song ("歌に溶けていくチベット")の上映会も次の日やります。お金ないけど監督もインドから招聘します」
で、またまた、何日かして
Uさん「先生、Bさんは三日は仕事が入っていて都合がつきませんでした。で、美女と野獣対談ってことで、麻生晴一郎さんはいかがですか。北京芸術村の取材とか、劉暁波論とか、現代中国の民間の視点から本を書いているかたです。東大出ていますよ。男気のある方で先生同様、タダで・・・」
私「待て待て待て待て、私現代中国事情とか知らないし、知らないことは話しようもないし。キャスターの立ち位置しかできないわよ。大体あなたねえ。女傑とか、野獣とか一体私をなんだと思っているわけ?」
Uさん「毒舌?。大丈夫です。司会者がチベットの焼身抗議の話とかをして、それについてお二人に話をふりますから。」
というわけで、当事者があずかりしらぬうちに、このようなカンジで対談が決まってしまったのであった。
■□対談「チベットの眼 中国の眼」(仮)
石濱裕美子教授×ライター麻生晴一郞さん
【日時】2013年5月3日(祝): 13時開場/13時30分開演
【会場】護国寺 隣「天風会館」参加費:500円 (会場賃料)
このテキトーな会話にもでてきたように、五月四日と五日はドキュメンタリー映画チベット・イン・ソング (2009) の監督挨拶つき自主上映会がある。映画ははじめて日本語字幕ががつき、監督も初来日である。
■ 映画「チベット・イン・ソング」映画上映
+ンガワン・チュンペー監督トークイン
【日時】2013年5月4(祝)〜5日(祝):毎日13時開場/13時30分開演
【会場】護国寺 隣「天風会館」
チケット:1500円
このドキュメンタリーは表題の通り、チベットが現在おかれている状況を、チベットの伝統歌謡、中国がもたらした革命歌、ポップスの影響を受けた若者の音楽、良心の囚人たちの抵抗歌など、歌を通じて綴ったもの。
監督のガワンチュンペー氏は二歳でインドへ亡命。ダラムサラの芸術学院(TIPA)を卒業して、フルブライト奨学金をうけてアメリカにわたった。本土チベットにおける民謡の変容をみたいと、危険をおかして本土に入り、ラサから田舎を旅する。監督は旅しながらこう思う。
昔、チベット人は生活の中に歌があった。家畜の乳を搾るとき、チーズをつくるためミルクを撹拌する時、脱穀する時、屋根を版築で固める時、ヤクを放牧する時、それぞれのシーンに歌があった。歌を通じてチベット人は生活や習慣を受け継いでいく。
しかし、1951年に中国人がやってきた。彼らは、チベット語の歌を禁止し、革命歌を歌うように強制した。毛沢東は「プロパガンダ歌手は千人の兵隊にも勝る」といったそうな。
文革終わった後に、今度は改革開放制作によってポップスが怒濤の勢いで入ってきた。もうチベット人でも若者は民歌を歌わない。
そして今。ラサでは地方からでてきたチベット人が観光客目当てに民謡を歌ったり踊ったりすることで小銭を得ている。そして警察に追い立てられている。
チベットの伝統的な歌謡にはもはや居場所はない。
てな激ウツな彼の旅は、わずか一か月で終わった。監督は西チベットで逮捕され、投獄され、18年の刑を宣告される(歌や踊りを録画していただけなのに)。
監督は監獄の中でもチベット人の囚人から民謡を採譜し続ける。三年後、やっと外部との接触が許され、自分の居場所を伝えることができるようになると、国際的な釈放運動が始まった。そして中国政府は監督を釈放する。
という監督の半生がチベット人の生歌と証言の中で綴られるのである。
□■ 五月六日には前三日と同時間始まり、同じ場所で、写真家野田雅也氏のスライド・トークショー「TIBET MOTHERLAND」もあります。
今回の四日と五日のイベントでは、このような体験をされた監督の謦咳に直接せっすることができます。護国寺様で、砂マンダラを見て、チベット料理食べたあと、敷地となりの天風会館へお越しくださいませ。チベットがざっくりあなたの心をつかむために、お待ちしております。
オンラインで手にできるチベット情報
新学期も始まり、ひょっとしてチベット学に興味をもつ奇特な人が現れないとも限らないので、オンラインで手に入るチベット学関連データベースについて一部なりとも紹介したいと思う(全体像はムリ)。
いきなり専門的な話をするとひかれるので、専門家でなくても軽く楽しめるサイトから。1959年前のダライラマが君臨していた時代のチベットの古写真はピット・リバー博物館と大英博物館プレゼンツチベット・アルバム (Tibet album→ここクリック)で楽しめる。撮影者(photographer)や、撮影場所(place)、撮影時代 (dates)などから写真をソートすることもできる。
さらに現代チベットの映像資料や音声資料を手に入れたい人は、アメリカのヴァージニア大学の提供するチベト・ヒマラヤ・ライブラリー(Tibetan Himalayan Library=THL→ここクリック)がおすすめ。
表紙のページにいくと、collections(コレクション)Reference(参考資料) Places (地名)Literature (文学)などのタブが並び、それぞれのタブをクリックすると、以下のような項目が下位項目として展開する。
まずcollections(コレクション) タブを押すと、Audio & Video Archive(チベットの民謡・祭り・法話などのAV資料)、Images(同じく寺や祭りや地域などの写真)、Maps(地図)などの項目ででてくる。キーワードはダンスだったらmask dance(仮面舞踊)やどこの土地の土地のダンスがみたいか特定しているなら、その地名を入力するなどして映像をソートすることができる。
Reference(参考資料) タブをおすと、 Bibliographies(文献目録)、 Dictionaries(オンライン辞書)、Place Dictionary(地名辞典)、Research Finding Aids(検索の助け)や、チベット文字からローマナイズ、ローマナイズチベットからチベット文字へのコンバーターなどが手に入る。
Places (地)タブの下位項目には、Cultural Geography(文化地理)、Place Dictionary(地名辞典)、Interactive Map(対話型地図)、Maps(実用地図)、Map Collections(地図コレクション、Monasteries(僧院)、Sera Monastery(セラ大僧院)、Drepung Monastery(デプン大僧院)、Meru Nyingpa Monastery(メル・ニンバ僧院)などが並ぶ。とくにセラ大僧院はセラの諸堂の平面図があり、みたいお堂の番号をクリックすると、グーグルのストリートビューさながらにセラの内部をパノラマでみることができる。
そして、チベット文字をマスターした人で、チベット語のテクストを手に入れたい、今自分が読んでいるテクストにでているチベットの人名のプロフィールが欲しいという方はボストンにあるチベット仏教資料センター(Tibetan Buddhist Rescorces Cente=TBRCで検索→ここクリック)のサイトへ。このTBRCの画面の入力欄に、たとえばチベット語の人名を入力すると、その人物の称号、異名、生没年、また、父母、師匠、弟子たち、縁のある僧院の情報、その人の著作などの情報が表示される。
このTBRCが所蔵するチベット語文献は、チベット本土以外で最大の規模をもち、その収集の歴史には、三年前に他界したチベット仏教研究者のジーン・スミス(Gene Smith 1936-2010)が大きく貢献している。なので、彼の人生を簡単に紹介しよう。
ジーン・スミスは1936年、アメリカのユタのモルモン教徒の家庭に生を受け、ユタ大学とシアトルのワシントン大学で高等教育を受けた。シアトルには当時ロックフェラー財団が極東ロシア研究所への助成金により、サキャ派のセンターが設立されていたが、ジーン・スミスはそこに招聘されていたデシュン・リンポチェとサキャの座主を輩出するプンツォク宮の家系の人からチベット文化を教わった。1962年には他のチベット人の学者たちを訪ねてヨーロッパのロックフェラーセンターを旅した。
1965年、ジーン・スミスはフォード財団の外国地域特別研究プログラムの助成金を受けてインドにわたり、ゲルク派のガンデン大僧院北学堂のゲシェ=ロプサンルントク、ドゥクパ=カギュ派のトーセイ・リンポチェとケンポ・ノルヤン、ニンマ派のデルゴ・ケンツェ・リンポチェに学ぶうちにインドに留まる決心をする。
1968年、アメリカ議会図書館のニューデリー支所に加わり、それから四半世紀に及ぶ亡命チベット社会、シッキム、ブータン、インド、ネパールのチベッタン・コミュニティに残る典籍の復刻事業を開始した。
私が駆け出しの学者だったころ、東洋文庫の書庫からかり出して読んでいたチベット語の写本類は、このジーン・スミスの手によって影印出版されたもので、出版地がレーとかティンプーとかニューデリーで、序文や解説の多くは彼の手によるものだった。
ジーン・スミスの出版活動はPL480というアメリカの法律に基づいた途上国援助の一環でなされたものであり、この時出版されたチベット語文献は印刷部数500冊のうち半分をアメリカが買い取っていた。その後、アメリカの世界宗教高等研究所(Institute for Advanced Studies of World Religions)は、チベット語文献をマイクロフィッシュ化し、1977年から販売を始めた。
従って、私にとってPL480(ピーエルフォーエーティ)とは長くチベット語文献と同義であったが、後に知ったことであるが、日本の反米サヨクの方々はこのPL480をアメリカによる日本支配の象徴みたいなかんじでやり玉にあげていた(笑)。日本にとってこの法律がどう作用していたのかは知らないが、少なくとも、インドで行われたプログラムは、チベットの僧院奥深くの棚にねむっていた多くのチベット語文献を、誰でも安価に手に取ることができるものとした意義深いものであった。
1997年、ジーン・スミスは議会図書館を退き、1999年には友人のレオナルド・ファン・デル・カイプ教授らとともにかの「チベット・仏教史料センター」(Tibetan Buddhist Resources Center =TBRC)を立ち上げた。TBRCは、チベット語文献を収集し、保存し、分類し、テクストの著者のプロフィールをデータベース化し、デジタル化の時代に合わせてテクストのpdf化を行っており、TBRC所蔵のチベット文献はチベットの外にある世界最大のチベット語テクスト群である。
pdf化されたチベット語文献は、著作権に問題のないものから一般に配布している(全pdfを収録したハードディスクを、チベット人の僧院には無料で、機関には一千万で提供している。個別のテクストの購入も可能)。
ちなみに、難民社会の影印出版物はほぼダウンロードできるが、中国で出版されたチベット語の本はほぼすべて使用不可である。中国様は津々浦々海賊版をつくって世界のヒンシュクをかっているのに、他人が自分たちの作った本を二次使用するのは、学術目的であっても許さないのである。こういう図々しさは私たちにはちょっとマネができない。
次に、チベット語文献のデータベース化にもっとも古く組織的にとりくんでいるのが、アジア古典入力プロジェクト(ACIP=Asian Classic Input Project、ここクリック)である。ACIPは宝石商として財をなしたマイケルローチ(Michael Roach 1952-)が、1988年に設立した機関で、チベット難民社会の僧院にコンピューターを送り、チベット僧たちにチベット仏教で用いられる基本的なテクストを全文入力させることによって難民社会への貢献と古典の保存の一石二鳥を狙ったプログラムである。入力したテクストは原則無料で頒布されている(ただし、密教経典は必要な灌頂を授かった者であることが条件となっている)。
あと、チベット・ジャスティス・センター(Tibet Legal Justice Center)は古から現代にいたるまでのチベットが条約締結主体になった、あるいはチベットが関係した、国際条約の原文(原文が漢字の場合は英訳)を一覧で提示している (ここクリック)。
チベット・ジャスティス・センターの表紙ページに「チベットの人たちに人権と自決権を!」と書いてあるように、チベットに関連するサイトの多くは、中国とは別個の歴史・文化をもつチベットの自治・自決権の復活、あるいは中国の同化政策によって失われていくチベットの文化に共感をもち、保存したいとの強い意志が感じられる。
私が東洋史の大学院に入った時は、モンゴル語であれ、チベット語であれ、まず紙媒体の高価な辞書を買い、たっかい複写費を払ってやっとチベット語テクストを手にしたものだが、 最近は、辞書はオンラインでタダで引けるわ、主要なテクストについては入力データがオンラインにあるわ、わずかな金額でTBRCから古い写本から最近でたブックスタイル本にまでpdfが手に入るわ、TBRCが実装されている機関にコネがあれば、それすらタダになるわで、初期投資なしにチベット語のテクストを収集し、読むことができる。
思えば、1959年にチベットが中国に侵略されて滅びてから、チベット文化は恐ろしい早さで消滅しつつある。しかし、中国の破壊をかろうじてまぬかれた文献は、デジタル化されることによって消滅の危機を回避した。しかし、これらの文献を読んで理解する人がいなければ、この膨大なデータも無用の長物となる。
なので、これらのデータを有効活用できる、多くのチベット仏教や歴史の研究者、そして実践者がでてきますように。
いきなり専門的な話をするとひかれるので、専門家でなくても軽く楽しめるサイトから。1959年前のダライラマが君臨していた時代のチベットの古写真はピット・リバー博物館と大英博物館プレゼンツチベット・アルバム (Tibet album→ここクリック)で楽しめる。撮影者(photographer)や、撮影場所(place)、撮影時代 (dates)などから写真をソートすることもできる。
さらに現代チベットの映像資料や音声資料を手に入れたい人は、アメリカのヴァージニア大学の提供するチベト・ヒマラヤ・ライブラリー(Tibetan Himalayan Library=THL→ここクリック)がおすすめ。
表紙のページにいくと、collections(コレクション)Reference(参考資料) Places (地名)Literature (文学)などのタブが並び、それぞれのタブをクリックすると、以下のような項目が下位項目として展開する。
まずcollections(コレクション) タブを押すと、Audio & Video Archive(チベットの民謡・祭り・法話などのAV資料)、Images(同じく寺や祭りや地域などの写真)、Maps(地図)などの項目ででてくる。キーワードはダンスだったらmask dance(仮面舞踊)やどこの土地の土地のダンスがみたいか特定しているなら、その地名を入力するなどして映像をソートすることができる。
Reference(参考資料) タブをおすと、 Bibliographies(文献目録)、 Dictionaries(オンライン辞書)、Place Dictionary(地名辞典)、Research Finding Aids(検索の助け)や、チベット文字からローマナイズ、ローマナイズチベットからチベット文字へのコンバーターなどが手に入る。
Places (地)タブの下位項目には、Cultural Geography(文化地理)、Place Dictionary(地名辞典)、Interactive Map(対話型地図)、Maps(実用地図)、Map Collections(地図コレクション、Monasteries(僧院)、Sera Monastery(セラ大僧院)、Drepung Monastery(デプン大僧院)、Meru Nyingpa Monastery(メル・ニンバ僧院)などが並ぶ。とくにセラ大僧院はセラの諸堂の平面図があり、みたいお堂の番号をクリックすると、グーグルのストリートビューさながらにセラの内部をパノラマでみることができる。
そして、チベット文字をマスターした人で、チベット語のテクストを手に入れたい、今自分が読んでいるテクストにでているチベットの人名のプロフィールが欲しいという方はボストンにあるチベット仏教資料センター(Tibetan Buddhist Rescorces Cente=TBRCで検索→ここクリック)のサイトへ。このTBRCの画面の入力欄に、たとえばチベット語の人名を入力すると、その人物の称号、異名、生没年、また、父母、師匠、弟子たち、縁のある僧院の情報、その人の著作などの情報が表示される。
このTBRCが所蔵するチベット語文献は、チベット本土以外で最大の規模をもち、その収集の歴史には、三年前に他界したチベット仏教研究者のジーン・スミス(Gene Smith 1936-2010)が大きく貢献している。なので、彼の人生を簡単に紹介しよう。
ジーン・スミスは1936年、アメリカのユタのモルモン教徒の家庭に生を受け、ユタ大学とシアトルのワシントン大学で高等教育を受けた。シアトルには当時ロックフェラー財団が極東ロシア研究所への助成金により、サキャ派のセンターが設立されていたが、ジーン・スミスはそこに招聘されていたデシュン・リンポチェとサキャの座主を輩出するプンツォク宮の家系の人からチベット文化を教わった。1962年には他のチベット人の学者たちを訪ねてヨーロッパのロックフェラーセンターを旅した。
1965年、ジーン・スミスはフォード財団の外国地域特別研究プログラムの助成金を受けてインドにわたり、ゲルク派のガンデン大僧院北学堂のゲシェ=ロプサンルントク、ドゥクパ=カギュ派のトーセイ・リンポチェとケンポ・ノルヤン、ニンマ派のデルゴ・ケンツェ・リンポチェに学ぶうちにインドに留まる決心をする。
1968年、アメリカ議会図書館のニューデリー支所に加わり、それから四半世紀に及ぶ亡命チベット社会、シッキム、ブータン、インド、ネパールのチベッタン・コミュニティに残る典籍の復刻事業を開始した。
私が駆け出しの学者だったころ、東洋文庫の書庫からかり出して読んでいたチベット語の写本類は、このジーン・スミスの手によって影印出版されたもので、出版地がレーとかティンプーとかニューデリーで、序文や解説の多くは彼の手によるものだった。
ジーン・スミスの出版活動はPL480というアメリカの法律に基づいた途上国援助の一環でなされたものであり、この時出版されたチベット語文献は印刷部数500冊のうち半分をアメリカが買い取っていた。その後、アメリカの世界宗教高等研究所(Institute for Advanced Studies of World Religions)は、チベット語文献をマイクロフィッシュ化し、1977年から販売を始めた。
従って、私にとってPL480(ピーエルフォーエーティ)とは長くチベット語文献と同義であったが、後に知ったことであるが、日本の反米サヨクの方々はこのPL480をアメリカによる日本支配の象徴みたいなかんじでやり玉にあげていた(笑)。日本にとってこの法律がどう作用していたのかは知らないが、少なくとも、インドで行われたプログラムは、チベットの僧院奥深くの棚にねむっていた多くのチベット語文献を、誰でも安価に手に取ることができるものとした意義深いものであった。
1997年、ジーン・スミスは議会図書館を退き、1999年には友人のレオナルド・ファン・デル・カイプ教授らとともにかの「チベット・仏教史料センター」(Tibetan Buddhist Resources Center =TBRC)を立ち上げた。TBRCは、チベット語文献を収集し、保存し、分類し、テクストの著者のプロフィールをデータベース化し、デジタル化の時代に合わせてテクストのpdf化を行っており、TBRC所蔵のチベット文献はチベットの外にある世界最大のチベット語テクスト群である。
pdf化されたチベット語文献は、著作権に問題のないものから一般に配布している(全pdfを収録したハードディスクを、チベット人の僧院には無料で、機関には一千万で提供している。個別のテクストの購入も可能)。
ちなみに、難民社会の影印出版物はほぼダウンロードできるが、中国で出版されたチベット語の本はほぼすべて使用不可である。中国様は津々浦々海賊版をつくって世界のヒンシュクをかっているのに、他人が自分たちの作った本を二次使用するのは、学術目的であっても許さないのである。こういう図々しさは私たちにはちょっとマネができない。
次に、チベット語文献のデータベース化にもっとも古く組織的にとりくんでいるのが、アジア古典入力プロジェクト(ACIP=Asian Classic Input Project、ここクリック)である。ACIPは宝石商として財をなしたマイケルローチ(Michael Roach 1952-)が、1988年に設立した機関で、チベット難民社会の僧院にコンピューターを送り、チベット僧たちにチベット仏教で用いられる基本的なテクストを全文入力させることによって難民社会への貢献と古典の保存の一石二鳥を狙ったプログラムである。入力したテクストは原則無料で頒布されている(ただし、密教経典は必要な灌頂を授かった者であることが条件となっている)。
あと、チベット・ジャスティス・センター(Tibet Legal Justice Center)は古から現代にいたるまでのチベットが条約締結主体になった、あるいはチベットが関係した、国際条約の原文(原文が漢字の場合は英訳)を一覧で提示している (ここクリック)。
チベット・ジャスティス・センターの表紙ページに「チベットの人たちに人権と自決権を!」と書いてあるように、チベットに関連するサイトの多くは、中国とは別個の歴史・文化をもつチベットの自治・自決権の復活、あるいは中国の同化政策によって失われていくチベットの文化に共感をもち、保存したいとの強い意志が感じられる。
私が東洋史の大学院に入った時は、モンゴル語であれ、チベット語であれ、まず紙媒体の高価な辞書を買い、たっかい複写費を払ってやっとチベット語テクストを手にしたものだが、 最近は、辞書はオンラインでタダで引けるわ、主要なテクストについては入力データがオンラインにあるわ、わずかな金額でTBRCから古い写本から最近でたブックスタイル本にまでpdfが手に入るわ、TBRCが実装されている機関にコネがあれば、それすらタダになるわで、初期投資なしにチベット語のテクストを収集し、読むことができる。
思えば、1959年にチベットが中国に侵略されて滅びてから、チベット文化は恐ろしい早さで消滅しつつある。しかし、中国の破壊をかろうじてまぬかれた文献は、デジタル化されることによって消滅の危機を回避した。しかし、これらの文献を読んで理解する人がいなければ、この膨大なデータも無用の長物となる。
なので、これらのデータを有効活用できる、多くのチベット仏教や歴史の研究者、そして実践者がでてきますように。
チベット・フェスティバル・東京 2013
ご報告です。早稲田大学で4/13日より行う、社会人向け講座「チベットの歴史と文化」は30名定員のところ、あと七名空きがあります。チベット・モンゴルの歴史と文化をこってりききたい方、私のこい授業を聞きたい方、どうぞ。詳細はこちらから
話変わって、ゴールデン・ウィークにチベットのお坊さんが大挙して護国寺にいらっしゃいます(主宰者のHPはこちら)。チベットの踊り、マンダラ、衣食住などさまざまな方面からチベットを楽しめます。本エントリーはチベフェスの主宰者の発表をはっております。
話変わって、ゴールデン・ウィークにチベットのお坊さんが大挙して護国寺にいらっしゃいます(主宰者のHPはこちら)。チベットの踊り、マンダラ、衣食住などさまざまな方面からチベットを楽しめます。本エントリーはチベフェスの主宰者の発表をはっております。
●TIBET FESTIVAL TOKYO 2013
チベットフェスティバル トウキョウ
ヒマラヤの華、チベット芸術。慈悲の国、チベットの心に染まる6日間。

日時:2013年5月1日(水)〜5月6日(月)
主催:ダライ・ラマ法王日本代表部事務所(チベットハウス・ジャパン)
場所:大本山 護国寺 (有楽町線「護国寺」駅1番出口すぐ)
入場無料 (舞踏チャム観覧は有料)
25名のチベット僧侶が命あるものの幸せと平和を願い、仏画(タンカ)絵師、仏師を伴って来日。砂曼荼羅を描き、仮面舞踏を行います。また、チベットの料理人や音楽家たちが仏の教えが根づいたチベット人の暮らしを再現します。チベット名物・チャン(ハダカ麦のどぶろく)を、日本の酒屋さんとの協力で製造・売り出します(税務署公認済)。
深く豊かなチベットの心に出会える貴重な機会を、どうぞお見逃しなく。
祈
◆美しい時を刻む「砂曼荼羅」
極彩色の砂曼荼羅は仏が住む宇宙。 僧侶たちが世界平和と東北の復興を願い、観音堂でふたつの砂曼荼羅を同時制作します。なお、僧侶たちがあなたのご祈祷をお受けします。
踊
◆命が躍動する僧侶の舞、「仮面舞踏(チャム)」
タシルンポ僧院はチベット六大寺のひとつ。修行を積んだタシルンポの僧侶たちが厄除けと幸せを願い、仮面舞踏(ルビ:チャム)を踊ります。舞踏公演は毎日行なわれます。(有料:3000円)
美
◆世界の至宝「チベット仏教美術展」
貴重なチベットの仏画(タンカ)を数多く公開。会場では僧侶が砂曼荼羅を、絵師が仏画を描きます。見るほどに引きこまれる繊細なチベット仏教美術をご堪能ください。
衣
◆チベットというブランドを身にまとう
美しい民族ドレスを展示するファションミュージアムとブティックもオープン。お気に召したら、オーダーメードを承ります。ドレスを仕立て、気高いチベットのスピリットをワードローブに加えてみてはいかがでしょう。
住
◆暮らしを高める洗練されたインテリア
チベット独特のモチーフをあしらったベッドカバーやクッション、ラグやランプなどを揃えたモダンなインテリアショップを初公開。洗練されたアイテムがあなたの暮らしを豊かに高めます。
知
◆”知の宝庫”チベットを学ぶ
多くのチベット関連書籍が集結する他、チベットの専門家たちによる美術・文化・歴史のトークショーも開催。チベットの叡智をお学びいただけます。
知
◆日本初!チベット流のおもてなし
チベットの有名シェフが僧院料理「テントゥク(すいとん)」や晴れの日の「モモ(蒸し餃子)」、「カプセ(揚げ菓子)」などをご提供。日常食の「ツァンパ(麦焦がし)」の食べ方講座の他、 本格的なバター茶作りを実演します。チベットのお酒「チャン」も登場!日本に初めて上陸するチベットの食文化をお楽しみください。
音
◆ヒマラヤの風の歌を聴く
チベットは音楽を文化として大切に継承してきた国。数世紀前の歌が今に生きています。時を超えて歌い継がれるチベットの歌と伝統楽器ダムニェンの調べに耳を澄ませば、心は遥かなヒマラヤへ。
他
◆思い出を写真にこめて
チベット式テント内のフォトスタジオで、チベット人とツーショット撮影を!オリジナルのフォトフレームに入れてお持ち帰りいただけます。
<スケジュール>
・砂曼荼羅(観音堂) 10:00〜16:00
・仮面舞踏(境内) 16:00〜17:30
・美術展(桂昌殿) 10:00〜16:00
・チベットキッチン 10:00〜19:00
●仮面舞踏「チャム」拝観料:一般 3000円 チベットハウス会員 2500円
*一般チケット売場:護国寺本坊 9:00〜19:00/お問合せ:TEL 090・1200・5592
*チベットハウス会員の方はチベットハウスでご予約を承ります。
(ただ今、チベットハウス会員申込受付中/お問合せ:TEL 03-3353-4094)
【主催】ダライ・ラマ法王日本代表部事務所(チベットハウス・ジャパン)
〒160-0022 東京都新宿区新宿5-11-30 第五葉山ビル5階
TEL:03-3353-4094 FAX:03-3225-8013
http://www.tibethouse.jp(詳細はホームページをご覧ください)
【特別協力】大本山 護国寺
GWは、リトル・チベットを楽しみに護国寺に行こう!
チベットフェスティバル トウキョウ
ヒマラヤの華、チベット芸術。慈悲の国、チベットの心に染まる6日間。

日時:2013年5月1日(水)〜5月6日(月)
主催:ダライ・ラマ法王日本代表部事務所(チベットハウス・ジャパン)
場所:大本山 護国寺 (有楽町線「護国寺」駅1番出口すぐ)
入場無料 (舞踏チャム観覧は有料)
25名のチベット僧侶が命あるものの幸せと平和を願い、仏画(タンカ)絵師、仏師を伴って来日。砂曼荼羅を描き、仮面舞踏を行います。また、チベットの料理人や音楽家たちが仏の教えが根づいたチベット人の暮らしを再現します。チベット名物・チャン(ハダカ麦のどぶろく)を、日本の酒屋さんとの協力で製造・売り出します(税務署公認済)。
深く豊かなチベットの心に出会える貴重な機会を、どうぞお見逃しなく。
祈
◆美しい時を刻む「砂曼荼羅」
極彩色の砂曼荼羅は仏が住む宇宙。 僧侶たちが世界平和と東北の復興を願い、観音堂でふたつの砂曼荼羅を同時制作します。なお、僧侶たちがあなたのご祈祷をお受けします。
踊
◆命が躍動する僧侶の舞、「仮面舞踏(チャム)」
タシルンポ僧院はチベット六大寺のひとつ。修行を積んだタシルンポの僧侶たちが厄除けと幸せを願い、仮面舞踏(ルビ:チャム)を踊ります。舞踏公演は毎日行なわれます。(有料:3000円)
美
◆世界の至宝「チベット仏教美術展」
貴重なチベットの仏画(タンカ)を数多く公開。会場では僧侶が砂曼荼羅を、絵師が仏画を描きます。見るほどに引きこまれる繊細なチベット仏教美術をご堪能ください。
衣
◆チベットというブランドを身にまとう
美しい民族ドレスを展示するファションミュージアムとブティックもオープン。お気に召したら、オーダーメードを承ります。ドレスを仕立て、気高いチベットのスピリットをワードローブに加えてみてはいかがでしょう。
住
◆暮らしを高める洗練されたインテリア
チベット独特のモチーフをあしらったベッドカバーやクッション、ラグやランプなどを揃えたモダンなインテリアショップを初公開。洗練されたアイテムがあなたの暮らしを豊かに高めます。
知
◆”知の宝庫”チベットを学ぶ
多くのチベット関連書籍が集結する他、チベットの専門家たちによる美術・文化・歴史のトークショーも開催。チベットの叡智をお学びいただけます。
知
◆日本初!チベット流のおもてなし
チベットの有名シェフが僧院料理「テントゥク(すいとん)」や晴れの日の「モモ(蒸し餃子)」、「カプセ(揚げ菓子)」などをご提供。日常食の「ツァンパ(麦焦がし)」の食べ方講座の他、 本格的なバター茶作りを実演します。チベットのお酒「チャン」も登場!日本に初めて上陸するチベットの食文化をお楽しみください。
音
◆ヒマラヤの風の歌を聴く
チベットは音楽を文化として大切に継承してきた国。数世紀前の歌が今に生きています。時を超えて歌い継がれるチベットの歌と伝統楽器ダムニェンの調べに耳を澄ませば、心は遥かなヒマラヤへ。
他
◆思い出を写真にこめて
チベット式テント内のフォトスタジオで、チベット人とツーショット撮影を!オリジナルのフォトフレームに入れてお持ち帰りいただけます。
<スケジュール>
・砂曼荼羅(観音堂) 10:00〜16:00
・仮面舞踏(境内) 16:00〜17:30
・美術展(桂昌殿) 10:00〜16:00
・チベットキッチン 10:00〜19:00
●仮面舞踏「チャム」拝観料:一般 3000円 チベットハウス会員 2500円
*一般チケット売場:護国寺本坊 9:00〜19:00/お問合せ:TEL 090・1200・5592
*チベットハウス会員の方はチベットハウスでご予約を承ります。
(ただ今、チベットハウス会員申込受付中/お問合せ:TEL 03-3353-4094)
【主催】ダライ・ラマ法王日本代表部事務所(チベットハウス・ジャパン)
〒160-0022 東京都新宿区新宿5-11-30 第五葉山ビル5階
TEL:03-3353-4094 FAX:03-3225-8013
http://www.tibethouse.jp(詳細はホームページをご覧ください)
【特別協力】大本山 護国寺
GWは、リトル・チベットを楽しみに護国寺に行こう!
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