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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2012/11/27(火)   CATEGORY: 未分類
トンドゥプジャとツェリンウーセル
 最近、チベット人作家の本を相次いで寄贈していただいた。1冊はチベット現代文学の創始者トンドゥプジャ(don grub rgyal, 1953-85)の『ここにも激しく躍動する生きた心臓がある』(勉誠出版)。もう1冊は、チベット人反体制作家ツェリン・ウーセル (tshe ring 'od zer, 1966-)さんのエッセイ集『チベットの秘密』(集広舎)である。

 前者は青海を舞台にした小説や詩で、記された時期は文革直後、後者は中国人に抑圧されるチベット人のここ10年の姿を告発するエッセイである。つまり、両書は著作年代も異なり創作と実話の違いがあるのだが、共通点もある。支配された民族がもつ情感──自分が何者かわからないものになっていく苛立ち、不条理に対する怒り、そしてわずかな希望──である。

●●●『ここにも激しく躍動する生きた心臓がある』●●●

 トンドゥプジャの選集には、訳者の一人大川謙作氏によって現代チベット文学の歴史を解説した一文が寄せられている。また、ペマブム(NYのラツェ図書館館長)によるトンドゥプジャの伝記が付録に和訳されており、両方ともに非常に勉強になる。にしても、伝記にみるトンドゥプジャの人生はあまりに無頼。そこで、みなさんにもお裾分け。

 トンドゥプジャは16才(1968年)で青海のラジオ局に就職し、18才で再開された北京の中央民族学院(今は大学)に入学し、大学者ドゥンカル・ロサン・ティンレー(dung dkar blo bzang phrin las)についてチベットの歴史を学んだ。23才で民族学院を卒業し、青海のラジオ局に戻り、文筆活動を始める。

 時は文化大革命が終わった後の雪解けの時代。旧来の知識人たちがうちのめされてなかなか再起動ができなかったのに、トンドゥプジャはいちはやく現代チベット語で自由詩や小説を発表し始めた。そして、28才で中央民族学院、31才で海南チベット族自治州民族師範学校の教職をえた。

 彼の作品は人気を博したが、魯迅のように伝統的な社会の価値観に対して批判的であったため旧来の知識人層からは嫌われ、しかして、チベット人の誇りには満ちていたことから共産党からも危険視され、さらに言えば、「オレの文学は最高だ」的な高慢な性格で、上にかみつき、下をバカにしたため、孤独になっていき、かつ酒に溺れていたためあちこちで暴力事件を起こし、教員の職を失った。

 さらに言えば、女癖も悪く妻には手を挙げるというていたらくであったため、最初の妻は自分が愛人を作って離婚し、次の妻(モンゴル人)には逃げられた。妻と娘がさって数日後、トンドゥプジャは部屋で死んでいるのを発見された。煙突のない熱いストーブが側にあり、一酸化炭素中毒になったと見られている。享年32才。遺体の手はやけどしていたので、ストーブは自分で部屋に持ち込んだもので、自死と見られている。

 そして早すぎる死は彼を神話的存在におしあげていく。

 どうです、アプレゲールでしょう。

 さて彼の作品を読んでみよう。ふむふむチベット人としての誇り、郷土に対する愛とかは明かに見て取れる。それに当時のアムドの普通のチベット人の生活が描かれていて面白い。また、仏典を典拠とする修辞や言い回しも豊富なので、チベット人文学の特徴も意外とちゃんとでている。

 しかし、彼は伝統的な社会、とくに仏教的な価値観はあまり重視していないようで、作中にでてくる僧侶はインチキだったり、仕方がないから出家したような尼さんだったりで、きちんと修行した人格者の僧はでてこない。また、伝統文化は話の筋に肯定的には絡んでこない。

 一方、共産党に対しての目立った批判はない。たとえば、「ペンツォ」や「ドゥクツォ」などの作品で、主人公が「チベット人がチベット語で教育を受けられるようにしなければならない」と自分の考えを述べる際に、「我々は中華民族の一部なのであるから、〔チベット人の〕教育の遅れがこのまま続くなら、中華民族の体面を損なう」という共産党の論理をもってきたりする。

 チベット語が重要だと主張する際、ダライラマ法王は「チベット語はチベットの仏教文化を伝えるためにもっとも適した言語である」とチベット語の普遍的な価値を理由にあげる。 実際、チベットの論理学や中観哲学は、チベット語から他の言語に翻訳することは難しく、かつてチベット仏教を学ぼうとしたモンゴル人や漢人の僧侶たちは、みなチベット語を学ばざるを得なかった。モンゴル地域の僧院では学僧たちはチベット語で著作をしていたことはよく知られている。

 であるから、トンドゥプジャもチベット語に誇りを持っているのなら、「中華民族の体面」なんてプロパガンダをもちださず、チベット語・チベット文化自体に価値があることを主張した方がよほどすっきりすると思うのだが、それをしていない。それは彼が仏教をチベット文化の重要な構成要素とは認識していなかったからかもしれない。

 彼の作品の中で、チベットの伝統的な価値を象徴する僧侶や老人たちに存在感がないのとは対照的に、圧倒的な存在感と共感をもって描かれているのは、トンドゥプジャ自身をモデルにしたと思われる、若くて教育があり女にもてるチベット青年である(笑)。

 トンドゥプジャがチベット人として誇りを持ちつつも、具体的な誇りの内容を示せず、ただ「自尊」したことは、時代の趨勢として仕方なかった面もある。彼が人格を形成したのは文革期である。この期間、チベット文化の根本であり社会の要であった僧院はすべて破壊され、経典も歴史資料も文書類も多くが廃棄された。ラサの中心にあるトゥルナン寺(チョカン)ですら例外でなかったことは、ウーセルさんの出版したチベットの文革の写真集『殺劫』(集広舎)によっても証明されている。

 トンドゥプジャが世に出た時代は、ちょうど日本の終戦直後のような状態。伝統的な権威は失墜し、政府や親や教師はすっかり力を失い、歴史的な建造物は廃墟となっていた。目の前で多くのものを失って茫然自失していた老人たちとは違い、子供は何も失っていないから喪失感はない。このような状況で、無頼な若者たちがあらゆる価値観を否定して新しい文学を始めるのは当然のなりゆきだろう。

 というわけで、わたしは彼に「怒れるティーンエージャー」を見いだした。

 でも表題にもなっている、詩「ここにも激しく躍動する生きた心臓がある」には、心が揺さぶられた。これは死の二か月前に記されたもので、彼にしてはめずらしくインドの難民社会に、仏法に希望を求めている。この詩の末尾部分を転載しよう。

 ・・・前略・・・
 それでも
 民族の希望という熱気は確実に空にのぼり
 チベットの誇りという青雲も、南の地(インド)から確かにたちのぼってくる。
 亡命した者も、留まった者たちも立ち上がるだろう。
 絶望しないでほしい
 若人たちよ。
 「世の人の声には智慧の目がある」とはいうが
 われらにはいにしえより真実の仏法があるのだから
 落胆には及ばない
 傷つかないでほしい
     ああ、友よ
     雪の国(チベット)の若人たちよ
     新たなものを創り出す力がないのなら
     公正や真理など戯れ言
     因果の法則など空理空論
だが、
ぼくの目に映るのは
         幸福の甘露
ぼくの耳に今なお響き渡っているのは
         未来の生活
それは、ぼくの胸で激しく躍動する生きた心臓であり
それは、おそらく君たちの胸の中でも
         激しく躍動する
         生きた心臓
         であるに違いない。

 無職となり、親しいものが去りゆく孤独の中で、彼の耳になお響き渡っていたのは、チベット人が立ち上がり、結果もたらされる「未来の生活」だったのだ。

 哀しい・・・

●●●『チベットの秘密』●●●

 チベット語による表現を追求したトンドゥプジャとは異なり、ウーセルさんはチベット人の両親の元に生まれたものの(ただし父親は漢人とチベット人のハーフ)、中国語で教育を受けたたために、漢語で創作している。しかし、トンドゥプジャよりもはるかにはっきりと共産党を批判し、行動もしている。具体的には、漢人がチベット人を差別・弾圧・抑圧している現場の証言を集め、記録し、ネットを通じて積極的に海外へと発信している。むろん、ダライラマに対する尊敬の念も公言して憚らない。
 
 彼女の思想は1989年に東欧の共産党独裁を倒したあの市民的不服従・非暴力思想に則っており、夫は中国の民主化を唱える漢人の反体制派作家王力雄である。彼女がここまではっきりと共産党を批判しても生きていられるのは、この王力雄の母親が江沢民のダチだったため(Uさん談)、有名すぎて手が出せないからだという(あのアイウェイウェイも両親のご威光があるから無事らしい。血によって護られるとは中国らしい 笑)。

 2008年のチベット蜂起までのウーセルさんの詩には、植民者中国に対して召使いのように従う、ものいはぬ同胞に対するいらだちが感じられる。
 以下の詩なんかはわかりやすい例。

3.末日(この世の終わり)

 チベット人にとって世界の終わりはあらゆる恐ろしい大預言が現実となる日ではなく、 まさに今日なのです。つまり、表面では同情して金を与えて公平にみせ、そして多少の仁慈を帯びた専制政治というこの時代です。

 すでに「解放」が半世紀も続き、百万の「翻身農奴」が主人公となるという名目の下で、実際は緩慢に死へと導く毒薬が、少しずつ無数のチベット人の毛穴から肺腑へと深くしみこんで来ました。

 アルコールに似て、快楽の幻覚が引き起こされ、日に日に酔いしれ、日に日に自分を失い、日に日に我を忘れてきました。

 こうして、遙か遠くに自分にとって精神的に最も近しい者(ダライラマ)が自分の今生と来世の幸福のために、たくさんの年月を費やして奔走し、年を取り衰え、気も心も疲れ果てているのに、そのお方には無関心で、忘れてしまっています。

 実際、事実今日の無数のチベット人にとって、末日はすでに今日となっていて、まさに毎日毎日が末日なのです。チベット人は末日の中に暮らしていながら、それを知らず、末日を末日とも思いません。

 それは自分自身が常に既に末日の一部になってしまったからです!

 4.声

 そうです。私たちは自分の声を出すと、いつでも叱責されます。その叱責の中で、最も筋が通って説得力があるように聞こえるのは、"お前たちは、食べるものも飲むものも、みんなおれたちから提供されているのに、おれたちを攻撃する。お前たちの心は本当に陰険だ" という声です。

 さらに甚だしい場合は、"非常時になったら、さっさと逃げたらいいぞ。さもないと、やられるぞ" と威嚇します。明らかに植民者の口ぶりで、典型的なディスクールの暴力です。

 私たちは自分たちの土地で暮らしているのに、このように叱責されるのは、何を物語っているのでしょうか? 

  悠久の歴史や伝統のあるわが民族が、昔から他人の恩賜をいただいてやっと生き延びてきたというのでしょうか?

 事実がそうでないとすれば、一体いつから、隣に住む他人が家に入り、部屋に居すわり、主人へと変わり、叱責して教え諭す権力を握るようになったのでしょうか?

 "お前たちは、食べるものも飲むものもみんな、おれたちから提供されている" というのはいい加減な嘘です。しかし一方で、この論調は植民者に蠱惑された民衆には効果的です。・・・利益集団に吸収される人はみな、その生存形態が依存どころか、従属、さらには寄生になってます。そのためか細い声しか発していないのに、ご主人から厳しく譴責されると、ただただ赤面して恥じ入り、声をのむ以外、何もできないのです。


 この他にもダム建設のために遠い酒泉に強制移住させられたチベット人が、「ゴンパ(僧院)がなくなって、山の神様がいない所では、・・・私たちは次第に滅んで、最後は漢族に変わってしまう(pp.159-168)という証言。
 
 このようなウーセルさんのいらだちは、2008年を境に劇的に変わる。同年のチベット人蜂起を境に漢人によるチベット人への弾圧は急加速し、多くの人が逮捕され、殺された。チベット人社会にはその死を悼み、不当逮捕に抗議するため、自然と市民的不服従が広がりはじめたという。その内容とは、たとえば、当局が命令しても正月を祝わなかったり、種をまかなかったりである。これに対する当局のさらなる弾圧が今に至るまで続いている究極の非暴力運動、焼身抗議につながっていくのである(今日の時点で焼身抗議者は86人にのぼる)。

 チベットに山ほどいる中国の警察は、漢人のヤクザや無法者は取り締まらないのに、誰も傷つけずただ自分の身に火を放つチベット人は殴り倒して、袋だたきにしてひっぱっていく。
 
 チベット人が「ある言葉」(チベットに自由を! ダライラマのご帰還を!)を叫ばずとも、チベット人だというだけで逮捕されることもある。2008年には、夜踏み込んできた警官が背が高い(カムバの特徴)、坊主頭(僧侶の特徴)というだけで、何もしていないチベット人を拉致っていった。漢人の商人から不良品の圧力鍋を買ったチベット人が返金をせまると、金を返したくない漢人の商店主が一言「こいつは独立分子だ」と叫べば、そのチベット人は逮捕される。

 これらのウーセルさんの記録は、中国における「民族の平等」が国家レベルはもとより、民間レベルでも全く実現していないことを明らかにしている。
 
 本書は歴史学者の目からみるともったいないと思う点が多々ある。

 それは、文学という形をとっているため、ある出来事について、それがいつ(あるいはいつからいつまで)、どこで、誰が、どのような理由で、行ったのかという情報、また、それを裏付ける証拠が、そろって提示されることがほとんどないことである。こうなると正式な歴史資料として用いることも、ここから具体的な情報をくみあげることも難しい。
 
 たとえば、チベット人が秘かに流行らせていた抵抗歌について記した「反動的な歌とはどういう意味ですか」というエッセイ。ここでいう抵抗歌とはダライラマを慕ったり、チベットの現状を嘆いたりといったおとなしいものであるが、当局は片っ端から発禁処分にしていくという話。きわめて面白い話だと思うが、どの歌が大体いつ頃流行って、いつ禁止されたのか、また、その歌のチベット語の原題、あるいはネットで検索する際のキーワードのようなものが提示されていないため、歌の詳細が分からない。この抵抗歌などは、証言者が逮捕されるというような内容のものではないから、もう少し細かい注記があってもよいと思う。

 しかし、夫君の王力雄も言うように、これらの事件がウーセルさんによって文学にされたことによって普遍を手に入れたという側面もある。具体的に証明された事件を羅列するよりも、純化された一片の詩の方がより多くを人に伝える場合があることを考えると、これはこれでいいのかもしれない。

 ウーセルさんは証言を集める際に、デマの介在を防ぐため本人が見聞きしたものを意識して集めているし、当局によって作成された報告書なども用いていることから、不完全ながらも本書の原書(ブログ)はある種の現代史史料たりうるであろう(和訳本は文学作品として読みやすくするために、いろいろな情報がぬかれている)。

 しかし回りくどいことを言わずとも、本書に書かれていることが、現実からそれほど離れた姿ではないことは、チベットを旅したものならすぐに分かるであろう。

 チベット人の住む場所には至る所に監視カメラが設置され、至る所に検問があり、配備された軍人も内地の警官と立ち姿からして違って緊張感にあふれている。ちょっと田舎に遊びにいくと、対向車線に延々とつらなる軍事車両の車列があらわれ、すれ違うのに十分はかかる。さらに、三月十日前後なら、どの僧院も武装警察祭りである。渡辺一枝さんも、15才くらいのお坊さんが理由なく漢人に殴られるのを目撃している。本書に書かれていることが、チベット人の被害妄想でデマと思う人がいるなら、それを口にする前に、チベット行って、チベット人に聞いてみてください。

 もうひとつ面白かったのは、本書の翻訳者である劉燕子さんの、チベットとの関わりの始まりについて述べた第四章「雪の花蕊」である。

 「漢人はチベット人を解放してやった、チベット人はそれを喜んでいる」と教えられてきた彼女が、チベット人の歴史をそして難民たちが置かれている苦境を知ったのは、2005年の夏、ストックホルムで天安門事件で亡命した傳正明が消息不明のチベット人の詩を朗読するのを聞いた時である。

 雪山(チベット)よ。
 もし君が人間のように立ち上がらなければ
 たとえ世界の最高峰でも
 ただその醜さをはっきりとさらすだけだ
 最高峰として寝ているよりも
 むしろ最底辺ですっくと立つべきだ
 兵士よ
 もしどうしてもぼくを撃たなければならないのなら
 ぼくの頭を撃ってくれ
 ぼくの心臓は撃たないでくれ
 ぼくの心には愛する人がいるから

 この詩を聞いた劉燕子さんは衝撃を受け、1959年以後、流浪の民となった亡命チベット人の悲劇を知る。そして彼女は

 「チベット人の苦境を知れば知るほど、私は悲しみで心が痛むとともに義憤を覚え、漢人の一人として良心の呵責に苛まれ、道義的な責任を感じた」

 多くの中国の民主活動家たちが、漢人の自由は説いても、チベット問題には沈黙するダブルスタンダードをとっていることに比して、劉燕子さんの言葉には際だった真実と良識がある。彼女が共産党の教育を抜け出して広い視野を持てたのは、地下文学や亡命文学の研究を通じてであろうか。ウーセルさんともども劉燕子さんも尊敬に値する方である。

 というわけで、本書は歴史資料でもあり、文学でもあるため、中国共産党の民族政策の成果を確認したい研究者やジャーナリストの方、また、抵抗文学の読者ならびに研究者の方、多くの方にこの『チベットの秘密』は参考になると思う。漢語を解すなら、漢語の原書・原ブログでこれらの事件の細かい時日を確認すること、ウーセルさんのツイッターをフォローすることをオススメする。
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DATE: 2012/11/17(土)   CATEGORY: 未分類
法王の非公開トーク&法話
 14日、ダライラマ法王は来日日程を終えて離日された。招聘主の方、関係者各位、そして何より数多くのボランティアのみなさまのお力により、今年もまた多くの人がダライラマのお話を聞き、その謦咳に接することができた。とくに会場係や受付などを担当するボランティアの方々は法王のお話をほとんど聞けないことを考えると、彼らは本当に来世に宝を積んでいる。

 私事であるが、今回の来日中、施主のご厚意で非公開の昼食会とその後の法話の席に連なることができた。その席で法王がお話になられたことは、チベットの歴史を学ぶもの、研究する者たちへのメッセージたりうるので、以下文字におこしてみた。

 続いての小さな法話会は、「一切のものは縁起しているが故に空である」との思想を説く『縁起賛』をテクストにしたものであった。この法話も簡単に梗概をあげておきたい。
 
 法王の歴史に関するコメントにふれる前に、なぜ会話がこのように進むのかを理解するために、外国人が法王に謁見する際の不文律について述べたい。

 ダライラマ法王は公的な空間では普通に握手をし対話を楽しんで、欧米的な気さくな振る舞いをされる。しかし、チベット人、チベット事情に通じた外人、あるいはその両方のまじったチベット的な空間に入ると、法王を第一と考える聴衆のかもしだす空気により、法王は王様へと変身する。これは、法王ご自身というより、眷属が作りだした場といえようか。

 このモードに入ると、自分から法王に話しかけることはできず、基本的に法王のお声がかりを待たねばならない(公的な空間でもチベット人かチベット事情に通じた外人の通訳が入ることから、この「法王に直接ものをいう」ことは実はうまく回避されている)。また、法王にお渡ししたいものがあったとしても、直接手わたしすることも御法度である。横にいるお付きの僧にわたしてから法王へという手続きを踏まねばならない。

 さらにこのモードにおいては「法王に意見する」「法王のアドバイスに反論する」などはまずできない。そのような蛮勇をふるう者は、眷属たちが醸し出す絶対零度の冷気に震え上がるからである。しかし、法王を護衛し、法王の健康のために日常的に気を配り、その教えを継承しているのは眷属の人々たちなので、場の空気はやはり尊重すべきものである。

 前置きが長くなったが、以下はこのような空間で行われた会話です。

●●●歴史を学ぶ人たちへ●●●

法王「わたしはチベットの〔独立ではなく〕自治といっているが、それはチベットの歴史がどうでもいいということではない。チベットの歴史はそれはそれとしてある。研究対象にすべきである。

 ソ連の時代、昔の資料や歴史書をみんな捨ててしまって、ソ連が崩壊してロシアになって、さあ歴史を教えようと思っても昔の資料がないから歴史が教えられないという話を聞いた。政治が歴史的事実をゆがめてはいけない。


私「わたしは満洲語・モンゴル語・チベット語の資料がよめます(文語のみ)。で、確信したことは、満洲人皇帝はチベット政府の意向を尊重し、チベットも独立して動いていたということです。」

法王「歴史家からみて政教一致のわが国の体制には何か問題があったか。

私「かつて、カロン(チベットの首相)が交代する時、チベット側がカロン候補者のリストをだして、清朝がその中からカロンを選ぶことになっていました。〔これをチベットが清朝の支配下にあったという証拠と中国は主張する〕。しかし、実際の歴史文書を見てみると、清朝皇帝はリストの一番上の人に○をつけており、つまりチベット側のだした候補を追認し、結果として、首相は父から子へと父子相続していました。つまり、チベットの意見が通っていたわけです。しかし、形だけでも中国をたて〔選ばせるという形式をとった〕のはよくないと思います。」

すると間に入った通訳の方が、後半の意見の部分だけ訳していなかったような(笑)。法王に意見したように聞こえたからかな、自分の所感を述べただけなのだが(てかそれが無礼なのか?)。

法王「ラサン・ハンが1705年にダライラマ六世を廃して、新六世ペカルジンパを立てて、清朝はその新六世を承認したが、結局は1720年に自分が廃したダライラマ六世の生まれ代わりを承認せざるを得なくなった。清朝にはダライラマを決めるイニシアチブはなかった。グルカ戦争の時も・・・・」

とチベット政府が清朝の政策を無視して行動していた史実を挙げられた。法王がチベット史を詳しくかつ雄弁に語るのを見て、なんとなく「たぶん天皇陛下も日本の歴史にお詳しいんだろうな」と思った。

そこで私が乾隆帝が文殊菩薩として描かれる仏画三種類(カラープリンターのうちだし。すいません)をおみせすると(直接お渡ししようと思ったら、場の空気が冷気をかもしたので、おつきの僧に渡した 笑)、

法王「昔はチベット人は満洲人の皇帝を文殊菩薩の化身として信仰していた。13世ダライラマが〔1908年に〕北京を訪れて光緒帝とあった時、大臣をつとめていたツァロンが、会食の席で清朝皇帝が食べ残した蒸しパンをひそかに懐にいれてもって帰り、「菩薩の食べ残しだから、お加持の力がある」とみなにちょっとずつ配っていた。それくらいチベット人は満洲皇帝を信仰していた。」

法王「満洲という言葉が文殊菩薩からきているという説はどうか?」


私「もちろんそういう人もいますが、地名から来ているという説もあります。わたしはつきつめたことがありません。」

法王「1983年頃、ハーバート大学で講義した時、一人の中国人の考古学者が密かに面会にきた。彼は発掘品の写真をもっていて、これはチベットの中で文明が独自に始まった証拠だといった。しかし、その人は公の席では、「チベット文明は中国の影響で始まった」といっていた。政治の都合で歴史を変えるのはよくない。

聞いた話だが、江沢民が、チベットの展覧会をみていて、七世紀から十世紀チベットは軍事大国で中国と争い、13世紀はモンゴルの支配下に入り、モンゴルのあと独立していたが、18世紀に満洲人の支配下に入った、という展示の内容を見て、『いろいろあると面倒臭いから、チベットが昔から中国の一部だといったらすっきりするんじゃいか』といったという。本当かどうか知らないが 笑


法王「中国に行ったことがあるか?

私「何回か」

法王「学会には行くか?」

私「国際学会には行きますが、中国の学会には〔ここのところ〕いってません」

法王「今は〔日中関係が厳しいから〕難しいだろうが、可能になったら中国の学者と一緒に仕事をしなさい。〔たぶん政治の世界同様、学問の世界も対話が重要とおっしゃっているのだと思う〕」

私「仰せのままに」。

 本音では「ちょっとムリ」と思ったけど、正論だし、この場ではそう言うしかないのは前に述べた通り。ここでしみじみ思ったのだが、理想というものがあって、それを実現するためには能力とチャンスとさまざまなものが必要で、つまりはなかなか実現は困難である。しかし、能力やチャンスに限界があっても、限界があるからこそそれを超えようと努力するという側面もある。法王に「~しなさい」と言われ「やります」といえば努力をしなければいけない状況に自分を置いたことになり、そうさせてしまうシチュエーションがあることが希有なことだと思った。

 戦後民主(社会)主義の進展とともに、神様も仏様も親も先生も政治家も聖職者も哲学者も金持ちも医者も弁護士も、かつて権威があった者すべてが力を失った。それは人が大いなる自由を得ることを意味すると同時に、律するものの無くなったエゴが暴走する時代の幕開けでもあった。

 そのような世にあって、法王をとりまく伝統的な空間にだけは、奇跡的に道徳者が権威をもつ古きよき時代の空気がある。ここに身を置くと、「少しでも善い人間になっていこう」という、普段だと絶対に思いつかないことを素直に考えるようになるから、本当にすごいことだと思う。

 また、忘れてはならないのは、われわれ日本人は自由の国にいるからこうやって法王のお話も聞くことができるが、本土のチベット人たちは法王のお話を聞きたくても聞けないということ。また、いつも考えるのは、私よりももっと経済力や政治力のある人がここにいた方が、はるかにチベットにとってよいのではないか、ということ。だがそう言っていても建設的でないので、せめて私が理解した範囲内で、法王の言葉や法を日本に伝えようというのが、このエントリーの目的である。

●●●『縁起賛』講義●●●

 そして、午後は小さな法話会が行われた。最初は『般若心経』をテクストとするとのことだったが、法王は突然

「『縁起賛』をやる!」と宣言。

もちろん誰も異論を唱えるものはなく、担当者はテクストをコピーしに走る。
『縁起賛』はダライラマの属するゲルク派(中観帰謬論証派)の特徴的な教えである「すべてのものは依存関係(縁起)にあるが故に、実体はない(空)」を、ゲルク派の開祖ツォンカパが、それを感得した直後の感動の中でつくった韻文である。

 『縁起賛』は適当な長さのテクストであるため、講義に用いられることも多く、2007年のアマラーヴァテイの大灌頂でも法王は『縁起賛』を講義している。

 幸いなことに、根本裕史先生が、解説・原文つきで訳注を行っており、以下のサイトでダウンロードできる。原文もついているので、毎朝唱えれば半年くらいで全文覚えられそう。

http://dl.dropbox.com/u/32123650/articles/Nemoto_2008a.pdf
http://dl.dropbox.com/u/32123650/articles/Nemoto_2009b.pdf
http://dl.dropbox.com/u/32123650/articles/Nemoto_2010a.pdf

 以下が法王の解説である。論理学の公式のような形で発言されている部分はまったく理解できなかったので(いやそれ以外の点についても怪しいが 笑)、その点ご寛恕いただければと思う。

 縁起思想は、釈尊の教えの心髄であり、〔日本でも広く知られている〕『般若心経』とも関係がある。この縁起はナーガルジュナ(龍樹)の説く空の思想とも関係している。

 仏教修行には理論(lta)と実践(spyod)の二つの側面がある。

 実践修行については「他人を害さない」「人の役に立つ」という非暴力の思想がある。パーリ仏教の戒律は、命あるものを殺めないようにと定められたものである。また、仏教に限らずキリスト教も、他者を害さない、他人に貢献するなどの実践を行っている。ヒンドゥー教の実践にもイスラーム教の実践にも「他者を害さない、他者に貢献する」という非暴力思想は共通しているだろう。

〔実践からみると、仏教とそれ以外の宗教は非暴力という共通の教えがあるが、理論の面から見ると異なる。〕

 キリスト教は造物主の存在を受けいれ、神の作ったこの世界を愛するようにと説く。

 一方仏教はこの世界は「神が作ったもの」とは考えず、ただ因果の法則を説く。原因があるから結果がある、という因果にねざした非暴力を説くのである。

 我々が感じている幸福も不幸も、原因があって生じたものである。この因果の法則、すなわち、縁起思想という理論は、仏教のみに見られる特徴的な思想である。すべてのものは無常であり、原因と条件によって生じているだけである。〔生じたものは必ず滅する。原因によって生じ滅して、留まることがないのがこの世界である。〕

 幸せも不幸せも安楽も苦しみも、みな生じ滅している。しかしこれは感覚(意識内の出来事)であって、ものによって作り出されているのではない。科学者は「脳細胞が意識をつくる」というが、モノが心をつくることはできない。

 一方、心理作用が肉体に影響を与えることはよく知られている。

 種が発芽する場合、発芽の直接的な原因は種であり、発芽を促す間接的な原因は、水や太陽の光などである。たとえばカラシナの種からはカラシナの芽しか生えないように、直接的な原因は結果と同じ性質のものとなる。

 心にも、肉体や物質にも、それが生まれるにあたっては結果と同じ性質を持つ直接的な原因がある。たとえば、物質はどうして生まれたか。エネルギーの塊からビッグバンがおこり、物質が生まれた。ものが存在するためには必ず、その直接的な原因があるため〔キリスト教の説く天地創造のような〕はじまりは存在しない。心をもたない物質も心にも始まりはない(昔から存在している)。

 アーリヤデーヴァの著した『四百論』には、「物質には始まりはないが、終わりはある」と説かれている。、だから、命あるものには前世も来世もある。

 突然この世に出現するものがあるなんて、受け入れられるか。
 金沢のこの天気が突然現れたものですか、何もないところからビッグバンが突然現れるか?
 〔何もないところから〕神がこの世界を作ったという思想を受け入れられるか? 
 もし神に自由意志があるとするなら、なぜこの世界に苦しみまで作ったのか?

 知り合いのインド人はこう言っていた。「神がこの世界を作ったとするなら、なぜあまりにもひどい人がいるんでしょう」。

 神が智慧と慈悲と力を備えた全能の存在であるなら、なぜこの世の苦しみを作ったのか。神の本質が慈悲であるなら、その結果できあがった世界に慈悲がないのはなぜなのか。

 神の存在を受け入れないサーンキャなどの学派は以上のように言う。この点についてみなさんと話し合いたい。

 この世にはさまざまな性質の人がいるため、それにあわせて釈尊も様々な教えを説かれた。声聞・独覚・菩薩の三乗が説かれ、顕教・密教(四タントラ)も説かれ、インドにも説一切有部・経量部・唯識・中観の四大学派がある。すべての流派は誰かの役に立っている。すべての宗教はむろん尊重されねばならない。

 アサンガ(無着)は『阿毘達磨集論』で、三縁(rkyen gsum)を説き、異教徒の説く創造神ブラフマン、サーンキヤの説く根本原質、順世外道の説く因果律の否定などを退けた。

 「どのような原因にもよらず自分の力でなりたつ絶対的な存在」、すなわち、「神」のようなものは論理的に存在しえない。この世に存在する苦しみは神ではなく、苦しみを味わっている本人が作り出したものだ。無明が作り出したものだ。全体をみずに目先にとらわれるから戦争が始まる。苦しみは自然現象ではない。五蘊に対する執着から生まれるのだ。

 ナーガルージュナは『七十頌如理論』において無明を二様に説く。一つは「単なる無知」、もう一つは「まちがったもものの見方」すなわち、「知覚に現れているものを実体視すること」である。

 無明を退けることができるのはその反対(対治)にある正知である。無知は病院では治すことは出来ない。正知によってのみ治すことができる。

 「存在するものはすべて依存関係にある」という縁起思想には二つのレベルがある。
 一つはあらゆるものは原因によって生じているという因果の法であり、
 もう一つは、すべてのものが名前を与えられることによって存在するようになる、という縁起である。

 あるものと、それでないものとは同時に存在できるか。
 人でないものと、人であるものは同時に存在できるか。〔できないだろう?〕
 お互いに矛盾する存在は同時に存在できない。
 「何かに依存して存在しているもの」と、その反対の「それ自身の力で存在しているもの」(神=造物主)は同時に存在できるか? 〔できないだろう?〕

 『般若心経』の説く「空即是色」「色(五蘊)即是空」の意味について考えてみよう。

 ナーガルジュナの著した『中論』の第24章第18、19偈にこれとまったく同じ「私は縁起を空であると説く。縁起しているから空である」という一文がある。

 実在論者(モノが実体として存在すると考える人々。説一切有部・経量部・唯識・中観も自立論証派がこれに含まれる)は、モノの存在を実体的にとらえているが、モノは〔実体的に〕見えているようには〔実体的には〕存在していない。

 モノの存在のし方をつきつめてみると、そこには二つの真実(二諦)があることがわかる。一つは世俗的な現れ方(世俗諦。いわば普通に「ある」という場合のあり方)、一つは究極的な現れ方(勝義諦)である。この二つのあり方は実際は一体のものであり、切り離すことはできいない。

 『縁起賛』が称える中観帰謬論証派の思想では、「世俗の存在の仕方と究極の存在の仕方は、本当のところ、一つのものか、別のものかといえば、一つものである」と考える。

 世俗諦と勝義諦も、縁起と空も、別々のものではなく一つの存在の二つのあり方であり、切り離すことができないのである。

 『般若心経』で言えば、色が世俗諦であり、空が勝義諦を指している。「空即是色」「色即是空」とはその二つが一体のものであり、切り離すことができないことを示していよう。

 すべてのモノは縁起したものに名が与えられただけの存在なのである。

 さあ、今から、みなで『縁起賛』を声にだして読みなさい。そのあと分からないことを質問しなさい


 わたしは『縁起賛』の第五偈

  およそ「条件に依存するもの」(縁起するもの)は
  それ自身の力でなりたっていない(空である)。
  この教え以上に希有なる
  どんな正しい教えがあろうか」

という有名な偈の、最初の一行目が世俗諦で、二行目が勝義諦を指すのですか、と質問させて頂いた。

 すると、法王はその解釈でよい、と詳しく説明をしていただいた。音源が手に入らないので詳細がかけないのが悲しい。

 最後に『入中論』は七つの観点から無我(=空)をを説いていること、ナーガールジュナ、『四百論』、『入中論』(第六160偈)の三つを読むこと、ラムツォナムスムに修行の順序がのっているので、それを参考にしなさい、とみなに勧められた。

 以上の法話が終わると、法王はご機嫌も麗しく、「明日も九時半から法話会をやる」と突然おっしゃられ、その日のうちに帰らなければいけない人は、涙を流したのであった。
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DATE: 2012/11/09(金)   CATEGORY: 未分類
ダライラマ法王と科学者との対話 
11月7日は、「ダライラマ法王と科学者との対話」を聞きに行った。

 ダライラマは非常に合理的な思考の持ち主で、科学と仏典の記述が齟齬する場合は、科学をとれ、という方である。また、客観的な手法で現実を観察する科学は、分析的瞑想を重んじる仏教にも通じるところがあること、また、科学は人間の苦しみを減らす技術として活かせることなどから、科学に対して非常に好意的である。

 今回はまず科学者の方が最先端の知見をダライラマにご進講し、それに対してダライラマがコメントをするという形式が取られた。以下がその要旨である。長くなるので科学者の先生たちの講演は要旨にした。詳しいノートがほしい方は個別に連絡してください(しかし省略したところは科学者の先生たちのプレゼンで、わたしがそれを正確に理解できているかは謎である。それをいうなら法王様の話もだか。)。

●●●セッション3 『生命科学・医学と仏教』●●●

● 柳澤正史先生「睡眠・覚醒の謎にいどむ」(院生の頃からノーベル賞級の研究をしている方で、アメリカと日本の両方に研究室をもつスゴイ方)。

講演要旨:睡眠がなぜ起きるのかは仮説すらたてられないブラックボックスである。脳内物質オレキシンをつくれないネズミは、ナルコレプシー(緊張するとパタッと寝てしまう病)と同じ症状を呈する。オレキシンはナルコレプシー治療の鍵となる。
 
DL.「フフフ・・・化学物質の話だな。花は眠るのか」

柳澤先生「眠りません。睡眠には定義があり、神経の発達したものが動かなくなる、感覚が鈍くなるなどの条件を満たした時睡眠といいます。」

DL「睡眠には化学物質だけでなく心も関わっている。物理的なものばかりではない。

 私はよくアメリカにいく。インドからアメリカにいくと九時間の時差があるが、わたしは現地の時間にあわせようとするので時差ぼけをしない。しかし、大腸は別でゆうことをきかず、いつも決まった時間に排泄する。しかし、睡眠は意図してコントロールできている。従って、睡眠には心が関わっている。意識すればその時間に起きられることなどは、睡眠には心が関わっていることを意味している。

 精神を集中すると夢がやってくる。夢を見ている時、幽体離脱するという現象はよく報告されている。夢に意識を集中させると夢の体 (dream body) が他の場所にいく。心には微細なレベルがある。この微細なレベルの心が夢で離脱するのだ。草花には命はあっても心も感情もない。科学者は物質や知覚できるものばかりを扱うが心を扱わない。知覚は現在しか認識できない。しかし現在はすぐに過去のものとなってしまう。心の概念化作用についても扱わねばならない。」


●矢作直樹先生「病は気から」(東大救急医療の教授で『人は死なない』の著者の方)

講演要旨:自分がこれから述べることは科学的でないと前置きされてから、ご自身の体験や見聞した例も挙げて、霊的治療(Spiritual healing)が有効であることを発表。

DL 「〔医者から見放された病が治るなど〕神秘的なことは確かにある。それはしかし普遍的なレベルでは適応できないものだ。イギリスのRoyal Albert Hallで講演した時、私に奇跡的な癒しの力があるのではないかとみなが期待していた。しかし、私は癒しの力には懐疑的だ。もちろん特別なケースはあるだろう。その時私はこういった。「もし真のヒーラーがいるなら、今私は首の具合が悪いからなおしてくれ」と。そうしたら翌日軟膏を持ってきてくれた人がいて、それをぬったらなおった。今は膝の具合が悪いので、膝を治してくれる人がいたら嬉しい。しかし、癒しの力というのは一般化はできない。」

村上和雄先生「矢作先生はこのプレゼンを最初から科学的でないとお断りされている。これはいいことだ。一番いけないのは、科学と称して偽科学をやることである。」

DL「今までの科学は計量できるもの、物質的なものを対象としてきた。私にとって科学は現実を調べることだ。21世紀の科学は霊性と科学が一体化したものになる。科学は物質だけではなく心も含めた現実の全体を扱わねばならない。

 仏教の教えでは、〔実体的な〕魂は存在しない。神もいない。ただ因果の法則があるだけ。始まりも終わりもない。

 肉体にも心にも粗大なレベルと微細なレベルがある。粗大な肉体が滅びると粗大な心もなくなるが、微細なレベルの体と心は存在しつづける。このレベルになると、始まりも終わりもない。これは釈迦牟尼の教えに説かれていることである。

 意識は物によって作ることはできない。スピリチュアル・ヒーリングが成り立つためには受け手の側の性質や前世の因縁などの特別な条件があってはじめて可能になることだ(つまり前世の因縁でおきている病は治せない)。再現性はない。」


●河合徳枝先生「幸福感の脳機能を測ることは可能か」

講演要旨:バリ島の祝祭において、トランスに入った人の脳波を12年かけて計測し、トランスに入った脳は多幸感にあふれていることを計測した。それは耳に聞こえない高周波の鈴の音やガムランによってひきおこされていると思われる。

DL「チベットには神託官がいるので子供の頃からこういうトランスを見てきた。この現象はモンゴルにも、パキスタンにもその他の地方にもあり、世界中に広く見られるものだ。なので、どうしてトランスが起きるのか知りたいと思っていた。トランスに入った人には記憶がないと言ったな?

 仏教では命は様々な形態をとると説く。このトランスに入った人をみると、本人の意識はどこかに押さえこまれており、何か別のものに憑依されたように見える。こういう状態の生理学を研究するのは面白い。

 チベットでは神託官に憑依するのは精霊=神(sprit)であると考える。精霊には良い物もいれば悪い物もいる。この精霊自体は特別な意味はない。餓鬼(日本でいう不成仏霊のようなもの)は微細なレベルの存在ではあるが、物質でもある。したがっていろいろなところにいってスパイのようにのぞき込んでいるので情報をもっている。従って、それらの精霊を神託官におろして世俗の事柄を相談するのだ。

 しかし、精霊はせいぜいが友達で、世俗の話にすぎない。精霊をヘンに重視してはいけない。真の帰依の対象 (refugee) は仏・法・僧の三宝であり、精霊ではない。」


 村上先生「私の意見ですが、本人の意識がどこかにいったトランス状態で幸福を得るよりも、覚醒した意識で幸せになった方がいい。」(ドラックなどもそうだが、現世を忘れて得られる多幸感に意味がないことをいっているのだろう)

 河合先生「バリ島の人はドラッグを用いずにトランスに入っている。トランスを文化の中で生かして幸せになっている。日本の社会はストレス一杯で多幸感のあふれる脳内物資はでにくい状況である。なので、日本の社会にも祭りをとりいれて幸せになれるような試みはできないかと思う。」

DL「精霊が天から降りてくるなんていってはいけない。〔精霊がもたらすものは、せいぜい感覚の幸せだ。〕感覚の幸せは永続する幸せではない。本当の幸せは心の修練を通じて得られる。努力をしてはじめて得られるものだ。トランスで得られるものではない。苦しみを押さえ、環境に振り回されない心を作ってはじめて多幸感は得られる。

 情緒には自然発生的なものと訓練によって得られるものの二つがある。〔後者がもちろん大切で〕瞑想の目的は精神力を高め、感覚に支配されるのではなく、どんないやな音をきいても、いやな物を見ても、いやなことがあっても乱されない心の平安を作ることだ。」


●●●セッション4 クロージング・セッション『新たな科学の創造への挑戦 〜日本からの発信〜』●●●

●安田喜憲先生

「私は花粉の化石をつくって、森と文明の関係について研究してきました。森は大切です。今はじめて法王様と異なった意見を述べます。森がないと人は生きていけません。あの中国でも昔は深い森がありました。しかし、文明の発展とともに森はなくなってきました。ヨーロッパにも森がありましたが、動物を狩る民族が文明をつくった結果、森はなくなっていきました。その中で日本は唯一森を保ってきました。法王様は森のないチベットに暮らしてきたから、動物のみに心があり、植物には心はないとおっしゃいます。しかし、日本では最澄が「山川草木悉皆仏性」といったように、植物にも心があると考えます。法王様は動物のたくさんいる地で育ったから動物的な仏教を提唱されますが、日本は植物的な仏教なのです(ここで会場内に拍手がわいたのにはびっくりした)。

DL「フッフッフッ・・・。

 森の大事さについては、もちろんよく分かっている。コンクリートの建物の中に暮らしていても、人は花を活けたがるのは、先祖の遠い記憶かもしれない。お釈迦様はルンピニーの花園で木の下でお生まれになった。悟りを開かれたのも、亡くなられたのも、木の下であった。律 (Vinaya) においても、「僧侶は木を植えなさい、前の僧侶の植えた木を次にきた僧侶が世話しなさい」という規定がある。

 また、仏教は〔人以外にも〕鳥・昆虫を含めたあらゆる生き物(有情)をリスペクトする。これらの生き物たちのふるさとは森だから、森が大切だということには同意する。

 私の属する仏教の流派が植物に心を認めないということだ。仏教には三つの流派がある。一つは東南アジアにつたわったパーリ仏典の上座部仏教、二つ目は中国・朝鮮・日本に伝わったサンスクリット仏典に基づく大乗仏教、それから三つ目がチベットに起こり、モンゴル(今は中国領内・ロシア領内・モンゴル共和国に三分割)に伝わったチベット仏教である。

 このうち一番深淵な仏教はチベット仏教であると思う。チベット仏教はナーガールジュナが学んだナーランダ大僧院の伝統を引くもので、僧侶としての行いを重視する。〔日本では僧侶は妻帯し、俗人と同じ生活を送って僧団の活動がなくなっていることを間接的に言及〕中国も台湾も僧伽(戒律をまもる僧侶たちの集団生活)を大切にしている。

 日本ではどこのお寺にいっても、般若心経を読む。しかし、僧侶にその意味を聞いてもみな「知らない」と言う。内容も知らずにただ経典を読んでいても仕方ない。僧侶はもっと勉強しなさい。チベットでは般若経の内容をさまざまに研究し、たくさんの注釈書がつけられてきて、その内容を吟味してきたのだ。

 「どこにでも仏がいる」という日本的な仏教思想は、神道の影響を受けた結果生まれたもので、純粋な仏教ではないと思う。」


●唯一文系の宗教学者の棚次正和先生

 「私は祈りの研究をしています。私は人間は三階建てであると思います。一階は物質、二階は瞑想や夢などによって到達できる心の領域、三階は時間的には永遠、空間的には無限な絶対的なもの。前の二つはこれに比べると相対です。私はこの〔絶対的なもの〕を学生に教える時、それは円の中心のようなものだと説明します。円の中心は目に見えないけどすべての存在の生み出される真ん中です。

 法王は今、二階から一階におりてきて科学者たちと話しをしているけど、科学者は一階にいながら二階の様子を知ろうとしているのだと思います。「二階で音がするけど掃除機をかけているのかな?」とか。だから、科学者も二階に上がって従来の方法で科学的に二階を研究する態度が必要だと思います。
 
DL「あなたに全面的に同意します。仏教では存在を、知覚できるもの、隠れたもの(論理的な推論によって存在が確かめられるもの)、最も隠れたもの(経験や推理の対象にならないもの)の三種類に分類する。

 最も隠れたものは、それぞれの地域に特有の霊性(local sprituality)と混交することもある。チベットでもシャーマンや仮面舞踊や音楽には仏教以前に古くからある地域の霊性が残っている。だから、ナーランダの伝統(つまり真実を論理によって明らかにしていくこと)に戻らねばならない。

 本当の対話とは、「私たちはここまでは同じだけど、ここからは違っている」というそのラインを明確化することだ。そのことによってかえって互いの関係はしっかりしたものとなる。お互いに差違があろうとも、互いを尊重し、互いから学ぶことによって、調和と対話が生まれるのだ。

 今まで科学は外にある物質を研究対象としてきた。これからは心を含めて研究対象にせねばならない。欧米とインドではすでにその試みははじまっている。

 人間性を平和に変えて行くには、力でも国連決議でもなく(シリアをみていても分かるだろう。国連は無力だ)、人が心の中に平和をはぐくむことだ。一人一人が心に平和をはぐくめばそれが家族に及び、国と国との関係にも及んでいく。

 われわれ年寄りは二十世紀の遺物だ。もうすぐこの世からバイバイするだけだ。二十一世紀は一人一人が心に平和をはぐくむような世界にせねばならない。それはわれわれ老人ではなく、ここにいる若い人たちの責務だ。

 かつて広島で開催された平和集会に参加したとき、みな平和を祈っていた。祈っているだけでは平和はこない。実際行動する(自らの心を平安にする修練をはじめる)ことによってしか平和は実現しない。

 怒りや嫉妬や執着といった悪しき性質を我々の心から取り除くだけではまだ足りない。、智慧を働かせて、分析的な瞑想(観)を行い心を陶冶していくのだ。

 禅宗のようにただ座っているだけではいけない。ちゃんと〔論理的な推論によって〕認識対象を分析しなさい。

 科学者こそ、この分析ができるはずである。宗教は個々の文化に根ざして発達してきたので、人類共通の普遍たりえない。しかし、良識・道徳・科学には人類に普遍的に語りかけることができるのである。」


●安田先生

「私は東北大学で教えているのですが、震災以後、学生たちが授業中居眠りをしなくなりました。私の話を涙を流す者すらいます。そしてアンケートをとってみると、彼らの大多数は「震災以後、死を意識しながら生きねばならない。他者の幸せのために生きることがほんとうの幸せだ」と答えるようになりました。彼らはある意味、二万人という犠牲者がでたことにより心が変わったのです。」

DL「われわれの住む宇宙は衝突していずれ終わる。始めがあれば終わりがある。だから論理的に言えばすべては死ぬ。だから、生きている間に何をするかが重要だ。意味のある生を生きるのだ。

 わたしはトップの科学者たちと対話してきたが、彼らは「地球規模の問題、すなわち人口増加、温暖化、経済などは人類に責任があるので人類が解決しなければならない」と結論づけた。口だけで「〜しよう」といって何もしない者はニセモノだ。あなた方も人類の一部なのだから、この問題について行動しなければならない。

 あらゆる問題を解決するには、若い世代を金や権力に価値をおいて育むのではなく思いやりの心を育むようにさせること、これが我々の達した結論だった。日本は戦後灰の中から立ち上がって驚異的な経済成長を遂げた。先端技術もいいけど、内面を修練することをせよ。そうすればアジアに貢献できるし、世界に貢献することもできるだろう。」


●下村満子(司会)「法王は科学者との対話は今まで欧米で2-30回やってきました。日本でやるのは欧米でやる場合と何か違いはありますか?」

DL「西洋には仏教の伝統がないため、仏教を背景にしたことをしゃべるとき躊躇し、仏教は宗教ではなく科学と断ったりせねばならない。しかし、日本は古い仏教国なのでそのような気を遣う必要はない。その点は幸せだ。日本人は潜在的に仏教徒なのだから、ただお経を唱えるだけでなく、その内容を分析しなさい。

 あとはそうだな。日本語は難しい。欧米ではわたしのブロークンな英語でも通じるが日本の科学者には私のブロークンな英語では通じないみたいだ。わたしはMind & Life Conferenceを欧米で開催してきたが、来年は是非日本でやりたい。
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DATE: 2012/11/05(月)   CATEGORY: 未分類
文化と芸術の秋(但チベット絡み)
〔描かれた<滿・蒙〕

  土曜日に日大文理学部資料館「描かれた<滿・蒙--「帝国」創造の軌跡-->」(会期 10/1-11/4)にいってきた。毛沢東の破壊がはじまる前の、清朝の風俗が色濃く残る、つまりはチベット仏教の僧院がまだモンゴルや満洲のそこいらにあって、ラマとかがうろうろしていた時代の映像や写真が一杯あるのだ。

 入場料無料なのに、無料のパンフレットがついたりして「すごいサービス良い」と思ったら、なんか文部省のトクベツな科研をもらっているみたい。
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 まず目を引くのが、会場内で流れている1925年の記録映画「蒙古横断」。

 すべてを見たわけではないが、わたしがちょうど目にした場面はチベット仏教の僧院で僧侶が仮面舞踊を舞っているところ。それにその仮面舞踊を見物している聴衆は、男は弁髪、女もいわゆる清朝時代と同じチーパオ。あまりにも感動したので、受付の学生に頼んでこの企画の中心にいるM先生を呼んでもらう(実は昔からの知り合いなので、以下Mさんと表記)。

 Mさんによると、この「蒙古横断」は満鉄がとった最初の記録映画だったのだが、撮影者が満鉄と金額面でもめて、フィルム持って去っていったので幻のフィルムとなっていたそうな。ところがこれを名前忘れたナントカさんが発掘した。しかしフィルムは痛みが激しかったので、それを修復して今の120分の長さにまとめたのがこの資料館。復元ができなかった部分にはチベットの僧院とか仏教舞踊がうつっている部分が結構あるらしい。

 Mさん「日本が満洲国をたてた際、清朝の最後の皇帝溥儀を担ぎ出したことは一見唐突に見えますけど、こうして当時のフィルムみるとまだ庶民は清朝の風俗をこんなに残しているんですよね。この人たちにとっては〔溥儀の復辟は〕意外と抵抗なかったかもしれませんね。今、中国の国内のモンゴル人にこれをみせると、『文化大革命で壊れてなくなってしまった古いものが記録されている』とびっくりするんですよ」とのこと。

 このフィルムを見れば、伝統文化の破壊は、清朝の崩壊でも、帝国主義でもなく、共産中国の成立とともに完遂したことがよく分かる。

 ちなみに会場にある1894年の「日・清・韓三国地図」を見ると、当然のことながら「清」の領域にチベットまったく入ってない。今の中国は日本が尖閣を日清戦争後のドサクサに紛れてとったというけど、なら世界が疲弊しまくっていた第二次大戦後、東西冷戦期のドサクサに紛れてダライラマ政権下のチベットを占領したことも、世界にも自国民にもちゃんと周知させてほしい。
 
「この1931年の満州鉄道概見図(第十七版)。いいですね」(2メーター×1.5メーターの巨大なもので、興安嶺以東の満洲鉄道の路線図。)というと、
満鉄路線図

Mさん「分かりますか。この地図は統廃合の決まった愛知の資料館から寄贈されたものです。市町村の統廃合が進んだ数年前、地域の資料館もそれにあわせて統廃合されて、未整理の収蔵品は規定で廃棄処分にされるところでした。なので、ボクはそのような機関に70通くらい手紙を書いて、「満・蒙関係資料をひきとります」と表明したら、結構な数のものが集まってきました。これもその一つです。」

「この東蒙古一覧図もイケてますね」
Mさん「これイイでしょう。古本市で700円ででていたのを、ここでクリーニングして綺麗にしたんです」
「まさに掘り出し物ですね」

 その他にも満鉄の「アジア号」つかった旅行勧誘ポスターや、満鉄かるた(「匪賊」とかでてきて爆笑)、モンゴルの貴婦人をアールヌーボー風に書いたポスターなど、かつての日本には日常的に大陸の情報が目に触れる状態であったことを示す品揃え。この頃、大陸のチベット仏教は今よりももっと身近にあった。モンゴル人や満洲人の祭りや動向はほぼ普通に日本の新聞にのるものだった。

 われわれの国には文化大革命はなかったが、敗戦を境に古いものは否定対象となり、かつての時代について自由に語れない空気が生まれた。そしてフランス思想・アメリカ大衆文化に育てられた戦後生まれが大勢を占めていく中、かつての世相は忘れ去られていった。大陸側の民族文化が共産党の破壊によって過去ときれたように、日本も敗戦によって過去との連続性がなくなったことをしみじみと思う。

 〔藤田理麻個展〕

 そのあと新宿にいき、藤田理麻さんの個展を見に行く。藤田さんはニューヨーク在住の画家で、インドやチベットの影響を感じさせるスピリチュアルな絵柄で国際的に人気を博している。サインに並んでいる客層をみると女性に人気があるようである。
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 彼女はチベット・サポーターとして知られており、2001年、恵まれない国の子供達に絵本を創り、寄贈する組織「ブックス・フォー・チルドレン」を設立した。私のしるところでは、かつてダライラマ法王が拾ったわんこをテーマにした『ワンダーガーデン』という絵本をだしており、最近はヒマラヤの兄弟を主人公にした『藤田理麻の不思議な冒険』を出してヒマラヤの自然保護を啓蒙している。本書の序文はダライラマ14世とリチャード・ギアである。

 会場でかった絵葉書には、ヒマラヤを背景にチベットの民族衣装をきた女の子が羊を放牧していたり、仏様の手のひらや、チベットの経文などがテーマとなっている。ガンジス河を流れていく死んだ?女性の絵には、「ガンジス川にはマリーゴールドを流してお供えします、この聖なる河を流れたらどんなに幸せでしょう」みたいな解説がついている。耽美や。

 そして絵の隙間隙間に書き込まれた小さな文字を読むと

貧しいものが富を見いだしますように
  may the poor find wealth 
悲しんでいるか弱き者が喜びを見いだしますように
  those weak with sorrow find joy 
絶望している人が希望を見いだしますように
  May the forlorn find new hope
永続する幸福と繁栄を
  Constant happainess and prosperity

恐れているものが、恐れることをやめますように
  May the frightened cese ti be afraid
囚われている者が自由になりますように
  And those boudn be free
かよわきものが力をみいだしますように
  May the weak find power
彼らの心がむつみあいますように
  And may their hearts join in the friendship

智慧と慈悲を動機として
  Enthused by weisdom and compassion
今日仏陀のみまえで
  Today in the Buddha's presence
わたしはあらゆる命あるもののために
  I generate the Mind for Full Awakening
完全なる悟りの境地を求める心をおこします。
  For the benefit of all sentient beings

虚空が存在する限り
  As long as space remains
命あるものが存在する限り
  as long as sentient beings remain
わたしはこの世にとどまって
  Until then, may Itoo remain
世間の苦しみを取り除きましょう
  And dispel the misteries of the world.

 これらはみなダライラマが頻繁に引用することで知られている八世紀のシャーンティデーヴァ著『悟りへの道』の回向文中の一文である。会場には彼女が祈りをこめてつくったインド土産っぽいラッキーチャームも売っている。絵のお値段はお高くて、三十万くらいする。でも、1階下でマックスマーラのコートが「いいな」と思って値札みたら二十三万していたから、最近の物価はこうなのかもしれない。

〔北大で学会〕

 翌日曜日は横浜パシフィコのダライラマ法王の講演に参加といいたいところであるが、北大の学会にちょっとはずせない用があったので、北大にいく。東京は秋晴れだったのに、サッポロにつくと氷雨がふっており、時折突風も吹く困った天気。駅で傘かって北大まで歩く道のりの最中、壊れた傘がゴミ箱につっこまれていた。
 発表を聞いている最中。突風で窓がバーンと二ヶ所あいた時は、ホラー映画かと思ったよ。
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 多田等観の評伝をだしたことでここでも紹介した高本康子さんの発表は、戦前・戦中の日本による満・蒙における『喇嘛教工作』をとりあげたものだった。具体的には1942年満洲国のハイラルにおいて、日本がモンゴル人を懐柔するためにたてた時輪金剛仏曼荼羅廟についての話。この廟の本尊はカーラチャクラの立体マンダラなのだが、その由来が悲しい。

 1896年頃(発注の時期には所説り)、とある転生僧が「強力な敵が外からやってきて教えが滅ぼされる。カーラチャクラの立体マンダラを作らなければ、教えが滅びてしまう」というので、ブリヤート人たちは南モンゴルのチベット仏教センター、ドロンノール(多倫諾爾)に立体マンダラの鋳造を発注した。しかし、完成を待たずしてブリヤートは予言の通りにソ連の支配下に入ってしまった。宙に浮いてしまったこの立体マンダラを、日本が対モンゴル懐柔工作に利用したというわけ。

 発表者は満洲国がこのカーラチャクラ廟の建立のためにどれだけお金を使ったか、人を集めるために無理をして現地の反感をかっていたことなどを資料をあげて明らかにしていた。資料にあげられた式次第を見る限りでは分からなかったのだが、この落慶式は誰が導師となって行い、施主が誰だったのかが知りたいところ。もし施主も導師もいないのであれば、まったく伝統に則った儀礼ではなく、日本がいかにチベット仏教の作法にうとかったのかが分かる。そしてこの廟がモンゴル人にまったくうけなかった理由もよりはっきりしてこよう。

 ダライラマ法王の講演は7日に参加予定なので、そのレポートはあげますね!
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