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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2012/05/05(土)   CATEGORY: 未分類
チューロ・リンポチェの阿闍梨デビュー
 以下は出雲を舞台にした心温まる兄弟弟子の物語である。

 チューロ・リンポチェはガワン先生のお伴で何度も日本に来ていた。ガワン先生の最晩年にガン治療のために日本を頻繁に訪れるようになると、その傍らでかいがいしく先生のお世話をするチューロ・リンポチェの姿は多くの人の眼にとまっていた。

 その彼がガワン先生なきあと、阿闍梨デビューということになり、関係者一同は異様に盛り上がった(笑)。九州からは峯寺とチベットに浅からぬ因縁をもつW氏が、東京から法王事務所のルントクさんが、東京からもフリチベさんたちが応援にかけつけた。通訳はむろん清風学園校長の平岡センセである。

 平岡先生は彼が二十代にギュメに留学して以来、ガワン先生を師と仰ぎ、先生がガンになった際にもご自宅にとめてその闘病生活を支えられた。それと同時に秘密集会タントラの講義も受けていたので、ガワン先生のお世話をしていたチューロ・リンポチェと平岡センセは兄弟弟子のような関係である。

 灌頂の始まる直前、わたしは平岡センセとともにリンポチェのお部屋を訊ねた。お部屋にいく途中で平岡先生は
 
 平岡センセ 「私はね、リンポチェに、『灌頂やるだけじゃなくて法話せにゃいかんよ』といってるんですわ。儀式だけで法話しなきゃ意味が無いとね。」したらリンポチェ、『おまえが勝手に話しつくってしゃべってくれ』ていうから、私は『あんた(リンポチェ)の言うたこと以外は訳さんからな』ときつくいったんですわ」とのこと。

 灌頂の所作とかは儀軌を見ながらであれば間違えずにできるだろうけど、人の心を捉えて仏教に向けるような法話が、若い彼にできるかどうかは、私もちょっと心配していたので、平岡センセがリンポチェにそういう気持ちはよくわかった。

 そして私の講演、ルントクさんのお話と続いて、いよいよリンポチェの灌頂が始まった。

 阿闍梨が入堂し、着席。ここで、峯寺の住職が三礼をするのだが、ご高齢で足腰が弱っていらっしゃるとのことで三礼を省いたため、私が右代表して三礼をする。

 そして、道場から魔を祓う、ゲクトルの儀が始まった。トルマ(小麦粉で円錐形につくった供物)に悪い物をつけて、場外に追い出す儀礼である。この際、アシスト僧がつり香炉をふりながら道場を清め、その後、悪い物のついたトルマを捧げて場外にでていくという場面がある。

 ガワン先生が灌頂を行われていた際には、このアシスト僧の役目はリンポチェがやっていた。今回このアシスト僧の役割を見事ゲットしたのは、峯寺の副住職であった(笑)。副住職は平岡センセから「ここでトルマを崩したりしたら、台無しやからな」と脅されていたため、ものすごくびびりながら、トルマを捧げ持っていた(笑)。

以下、リンポチェの法話部分を青色で引用します。

 「灌頂を受ける動機を正す」。

 有暇具足の人の身を得たことはすばらしい。如意宝珠(望めば何でも願いを叶えてくれる宝石)も仏の境地を与えることはできない。だから人の身は如意宝珠よりも貴いのだ。その人の体も人のために生きねば意味のないものとなる。すべての有情は無限の輪廻の中では、必ずや一度は私の母であったことがあるのである。私の母でなかったことのない有情はいない。一切の有情を救うことができるのは仏様だけ。だから有情のために仏の境地を志しなさい。

 「法統解説」
 ターラー尊は仏の救済活動を人格化したものである。アティシャがインドからチベットにいく際にターラーが「私はあなたの後についていって、仏法を実践する人を応援する」といって、チベットに来て、アティシャの弟子ドムトンを守った。(以下、リンポチェに至るまでの法統の解説)・・・
 この法がダライラマ十四世からガワン先生に受け継がれ、自分のところまできた。この伝統の力、長く続いてきた力がこの灌頂を授かるものに加持力を与える。


 「菩薩戒をとる」

 菩提心(他者のために仏の境地をめざすこと)についてただ考えるだけでも計り知れない功徳がある。菩提心が無理だというのなら、せめて他人を害さないようにしなさい。安楽は他人を思うことによって生じる。他人の役に立つことを行うことは広大な徳になる。

 帰依をする時には、「輪廻の苦しみから解放してくれるのは、仏教しかない。煩悩にまみれた私たちは病人のようなもの。その病人であるわれわれを直してくれる医師が仏、法は薬、僧は看護師である。この仏・法・僧の三つの宝によってわれわれの煩悩は落とされる、と考えなさい。

 懺悔は自分のやった悪いことを反省して二度とやらないと誓う。
 随喜は自分や他人が行った良いことを喜ぶことである。もっとも大きな罪の浄化であり、簡単に善業を行うことができる。ツォンカパも随喜によって努力なくても徳を積むことができるというておる(これロサン・テレ先生がおっしゃっていた)。
 菩薩戒の最後の一行では、自分のためではなくすべての命あるもののために覚りの境地を目指すことを誓うこと。

 さていよいよ本行。しかし、ここはヒ・ミ・ツなのでとんで

 「弟子に生じる義務」

 本日私はあなたたちに間違いなくターラー尊の灌頂を授けました。
 これからはターラー尊を慕いなさい。戒律を守りなさい。阿闍梨の言うことを聞きなさい。利他の実践を行いなさい。
 すべての苦しみはみな目先のことに汲々とすることによっておきるものだ。しかし、すべての菩薩は人のために生きたことによって仏になった。このお寺のご本尊の大日如来もこうして仏になられた。

 苦しみはすべて自分のことを中心に考える時におきるものだ。他者にやさしくすれば苦しみは少なくなる。他者のお役に立とうと思うと、他者もやさしく接してくれる。この寺にはポチ(峯寺の代々の番犬はみなポチである 笑)がいるが、動物だってやさしくすればなつくし、殴れば怒る。

 人にやさしくすることによって、心を良い状態におきなさい。一日五分でよいから菩提心について考えなさい。

 瞑想が仏になるための唯一の行ではない。働きながらでも修行できる。看護師さんだったら 看護師の仕事をしながらも徳を積むことはできる。工場で何かを作るような仕事でも、その製品が『皆のお役にたつように』と思って作れば善行となる。

 朝おきて一番に「今日も菩提心に励もうと決意し、夜寝る前に今日一日の行いを反省する。」これを毎日繰り返すこと。

 今回の灌頂のようなイベントの時にだけに、仏法を実践するのではなく、日々仏法の実践はできる。衣食住のためだけに日々を送るのでは虫と同じで情けない生き方である。そのような生活をしていれば虫レベルの考え方しか一生できない。

 輪廻の中で人の身はめったなことでは得られないのだから、「朝には人のために生きようと決意し、夜寝る前は一日の行いを反省する。」するとそれは習慣になる。一日ではできないことでも、毎日続けていると自分の一部になっていく。白い紙に黒い小さな紙をはっていくと、一枚では隠れないけど、何枚もはり続ければ、いつかは白い紙が真っ黒になるように(この喩え逆の色にした方がよくないか 笑)。菩提心を修する人もそのように続けているので、そのような顔つきになってきて、一目で分かるようになる。

 みなさん、一日十分(朝五分・夜五分)でいいから菩提心のことを考えてください。

 ここでお話が終わり、阿闍梨に感謝のマンダラを奉献。足の悪いご住職に代わりわたくしめがまた三礼。いや光栄だわー。

 最後の回向において、阿闍梨曰く、
一杯の水はすぐひあがってしまうが、大海にいれると枯れることはない。自分が積んだ小さな徳を有情のためにまわせば、この世界に命あるものが存在する限り、その徳はつきることはない。

以上でおわかりかと思うが、リンポチェの法話は実にどうどうとした魅力的なものであった。タニマチ心配するまでももなかった。

 最後の阿闍梨挨拶でリンポチェ「峯寺のような名刹において、灌頂ができて本当に良かった。」
 このあと平岡さんは苦笑しながらウニャウニャいって翻訳をやめた。なのにリンポチェはしゃべり続けている。それは、平岡さんを「このような密教に非常に深い理解のある方を通訳にできて・・・」とべた褒めをしていたたため、きまりが悪い平岡センセはリンポチェの言葉を通訳しなかったのである。するとリンポチェ

「お前、おれの言ったことしか訳さないいうたやないか。ちゃんと訳せ」と。

 リンポチェの方が一枚上手。いや、ほほえましい。私はあまりのほほえましさに、「先生、拍手していいですか?」と聞いたら、平岡先生が「ええ」というので一同拍手。

 そして楽屋裏で私と平岡先生のオタク興奮トーク。

私「センセ、リンポチェすごい立派。感動した。ガワン先生のおっしゃっていたこと、ロサン・テレ先生のおっしゃっていたこと、ダライラマ法王がおっしゃっていたことがあちこちに引用されていて、なおかつ何か勢いがある。昔、チベット仏教をみた日本人が『チベット仏教は師匠の教えをそのまま弟子が受け継いでいくので、新味にかけ、創意工夫がない』みたいなことをいってるけど、私は師弟二代の灌頂を見ていて、ここまでしっかり師匠の言うことが弟子につたわっているのなら、きっとインドからの教えがそのまま伝わっているんだろうって、安心した。伝言ゲームみたいに人から人に受け継がれていくうちにだんだん歪んでいく方がヤバイでしょ。」

 平岡センセ「リンポチェ、ガワン先生の法具をもってきていたんですよ。すごい情熱が感じられた。若い人が育っていく姿ってええですねえ。」

 で、その夜峯寺の厨房では、平岡ブラザーズと清風学園の先生ブラザーズの漫才を交えながら、みなで「リンポチェが立派だった」ことを言祝いだのであった。

  チベットの灌頂を分かりやすい例でたとえれば、灌頂本体はコンサート、阿闍梨は指揮者、本尊は演目にあたる。名指揮者が、ある曲目を、ある歴史的文脈の中で聞く耳をもつ聴衆の前で振ると、それは歴史に残る名演奏といわれる。

 白ターラーの灌頂はチベット人に人気の演目である。そして、チューロ・リンポチェの初灌頂は人生に一回しかない機会である。この初デビューを、ガワン先生ゆかりのこの峯寺で、先生の法具を用いて 兄弟弟子の平岡先生が通訳を行い、峯寺とチベットに浅からぬ因縁のにあるWさんが司会をし、清風ブラザーズがサポートをし、中国地方のみならず、遠くは群馬・九州などから集まってきたチベットオタクたちを聴衆とした。たしかに条件にも恵まれていたが、それだけでは名灌頂とはならない。

 リンポチェが実に堂々と伝統を踏まえ、かつ彼のカラーもだしての初舞台をつとめあげたのは、やはり伝統の力とそれを今に実現できる彼の能力であろう。彼にとっても思い出深い初舞台であろうが、我々も同じように感慨深い灌頂であった。私なんて、阿闍梨としてのリンポチェに最初に三礼した俗人である(例によってコバンザメだけど 笑)。

 リンポチェは立派なラマになっていくだろう。彼がネゴゴンパに戻って僧院長になる日まで、日本のタニマチはこれからも応援し続けるだろう。チベット仏教が民族をこえて伝播するシステムが体でわかったわい。
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