灌頂の共通構造(メモ)
ロサン・テレ先生は22日に護国寺様で阿弥陀仏の長寿許可灌頂を行い、28日に東大寺で観音灌頂を授けられ、翌日インドに帰国された。わたしは、五月三日に出雲の峯寺でコバンザメ講演を行い、七日には某仏教徒の内輪の集まりでお話するため、パワーポイントとか、レジュメとかの準備もあり、かつパリ学会もせまってきたので英作文もせねばならず、無念にも東大寺の灌頂は見送った。聞けばあの灌頂、受けると悪趣(地獄・畜生・餓鬼)行きが一回休みになるというスグレモノであった。くくく。
峯寺の講座は「灌頂とは何か」というお題で語る。なので、今回のエントリーは21日の護国寺様の阿弥陀灌頂を例にとりつつ、峯寺の講座の下書きもつくっちゃおうということで灌頂の共通構造を整理してみた。
灌頂はチベットではワン(dbang)という。意味は「〔仏の〕力」である。この言葉が示すように、灌頂とは阿闍梨を通じて本尊の力を授かる儀式である。人類学的にいえば入門儀礼とかいうはずである。
灌頂を受けるとその本尊を主尊とした修行を始めることが許可される。俗なたとえで説明すれば、大学入試に合格して大学で勉強する権利を得た段階である。従って、入学後に授業にでないでさぼっていたら合格の意味がなくなるように、灌頂を授かっても心をただす修行を始めなかったら、灌頂を授かった意味はなくなる。しかし、合格しなければその大學の授業が受けられないように、灌頂を受けずに修行をはじめても効果はでない。
顕教では長大な時間がかかるという仏の境地に至るまでの修行過程を、密教は短い時間で実現できると説く。どうしてそれが可能かというと、凡夫の心に直接仏様の心(厳密に言えば仏様は体と言葉と心が一体化している)をなじませる実地修行を行うからである。しかし、凡夫が仏様の心を知るわけもないので、仏の境地は阿闍梨を通じて頂かねばならない。それか灌頂儀礼なのである。
灌頂は大きく言って、前行・本行に分けられる。
●前行(sngon 'gro = 受者の心構えを整える)
1. 阿闍梨(灌頂の導師)挨拶
ダライラマ法王も来られたこのすばらしいお寺(護国寺)で灌頂ができることは誠に喜ばしいことである。
2.釈迦牟尼を讃えるお経。
釈迦は「ただ偉い人がいったらそれを信じるというのはいけない。その内容を分析して納得したら信じなさい」といった。こんな人は他にいるだろうか。
3.阿闍梨のなすべきこと
阿闍梨は灌頂を授ける前から、阿弥陀仏を供養し、阿弥陀仏と身体・言語・心で一体化している。
阿弥陀仏のサマヤであり、灌頂の受者を清めるツールである瓶も、空にもどして生起した。
次に、この場にいる魔にでていってもらう。魔とは灌頂を受ける者をジャマするシチュエーションである。たとえば、灌頂の日に仕事が入ったり、会場に向かう最中に事故にあったりするのは魔が入っているのである。このトルマ(小麦バター細工の供物)につられて魔がこの会場をでて、海の果てまででていったと観想しなさい。
4.弟子のなすべきこと
弟子は体で三礼をし、口をゆすぎ、心で曼荼羅を供養する。
密教はイメージである。イメージを鮮明に保てる程功徳は大きい。阿闍梨を凡俗の僧ではなく、阿弥陀仏であるとみて、この建物も護国寺ではなく阿弥陀仏の浄土とみなして、阿弥陀曼荼羅の真ん中にいると思いなさい。
5.灌頂を受ける動機を正す。
人として生をうけ、仏法に出会い、阿闍梨と出会い、そして仏法を理解できる能力があることは素晴らしいことだ。しかし、仏法を実践しなければこのすべてがムダになる。死はいつやってくるか分からない。必ず全員死ぬ。死後、悪趣におちれば長く苦しみをうけ、善趣にいっても、一時楽しいだけで、その報いはやってくる。輪廻はあてにならないのである。
あらゆる有情は始まりのない昔から輪廻する中で自分の母だったことがあると思いなさい。母は自分が年とって体がつらくなっても子供が幸せであることを願っている。その恩は計り知れない。母であった有情を楽にする究極の解決は仏の境地に導くこと。そのために仏法を実践すると思いなさい。
仏法を実践するためには時間が必要。だから阿弥陀仏の灌頂を授かろう、と思う事。ただ長生きしたいというのではいけない。ろくなことしないヤツは短命の方がいい。人生が短ければ積む業も少ないからだ。阿弥陀仏は長寿儀礼の三大本尊の一つに数えられる。
6.法統解説
インド・チベットの聖者をへて阿闍梨にいたるまでの阿弥陀仏の法に関する、伝法の歴史が述べられる。
7.阿闍梨に説法をお願いする。
過去・現在・未来の仏の教えはただ阿闍梨を通じてのみ、われわれは知ることができる。だから、阿闍梨は仏と同じである。釈尊が覚りを開いた後、釈尊は法を説かずに涅槃に入ろうとした。しかし、梵天が釈尊に転法輪を請うたことによって、釈尊は暫時涅槃にはいることをやめ、仏教を説いてくださった。仏は請わないと法を説かない。だから、受者はここで阿闍梨=仏に説法を請う。
8.菩薩戒を受ける。
菩薩戒は何度とってもいい。この無数にいる人の群の中で自分が今日菩薩戒をとることができること、これがどれだけありがたいかを随喜しなさい。
三宝(仏・法・僧)に帰依する場面ではこう思いなさい。我々は病人のようなものであり、仏は医者であり、法は救済の手段すなわち薬であり、僧は看護師であると。良いことがあっても悪いことがあってもたよるべきは三宝のみである。
懺悔の場面では、自分のした悪いことを具体的に思い出して、それをもう二度とやらないと誓いなさい。何か悪いことをしても、言い訳をしてごまかしていると必ず同じ間違いを繰り返す。しかし、本当に悪いことをしたと思えば、二度と同じ過ちは犯さない。私は幼い頃、鷲をなぶり殺したことがあって、まだ幼くて力がないから鷲は苦しんで死んでいった。だから、自分は懺悔の時にそのことを思い出すようにしている。
随喜は誰かが良いことをしたら、その良いことを喜びなさい。そうするとその善業の功徳をまるまるいただくことができる。ただし、悪い行いを随喜したら、その悪業もまるまる頂いてしまうので、随喜の対象を見極める目をもつことが大切である。
菩薩戒をとれば実はこれ以外は何も必要ないのである。灌頂を受けなくてもこれだけで十分である。これから気持ちよく仏法を実践しなさい。気持ちよくしていれば頭もよくまわるし判断も正しくできる。
菩薩戒を受けると、はじめて受けた人は菩薩戒が授かり、すでに受けたけど菩薩としての修行を行わなかった人は新しくリセットされ、毎日菩薩戒をまもっていた人はさらにいっそう守れるようになる。どんな段階の人それぞれに功徳がある。
●本行(dngos = 灌頂本体)
ここからはすべての灌頂に共通する構造を簡単に述べる(個々の話をすると秘密に触れるので)。
・灌頂の場面においては本尊と一体となった阿闍梨から本尊の力を授かる。従って、受者は阿闍梨を仏とみなして、三礼し、マンダラを捧げ、灌頂を授けてくださいと請う。このあたりは前行の時と同じである。
・受者は、身体→言語→心→覚りの意識の順に体を清められていく。表層的なレヴェルから、深奥のレヴェルへと順次清められていくのである。
・清めにおいては、さまざまなツールが用いられるが、身体の浄化には水を用いることが多いので、それが「灌頂」と呼ばれるゆえんである。
・灌頂を授かった受者は阿闍梨から賛嘆を受ける。略式でない場合はここでお菓子やお茶をいただきながらの法宴が行われる。
・最後に、灌頂を授かったことによって受者に生じる義務について述べる。毎日唱えるお経の指示etc.。
●回向
自分が授かった善行を他人にまわすことを回向という。仏法が存続しますように、ダライ・ラマをはじめとする阿闍梨が元気でいますように、戦争などで苦しんでいる人が苦しまなくてすむようになりますように。命あるものが仏の位をえるようになどと他者に功徳をまわすのが回向である。
仏法は一人でも実践できるが、みなでこうして集まって実践するとさらにはずみがつく。仏教の教えは先人たちが大変な苦労をして今の時代にまで伝えてきたものだ。この教えを来世に伝えていけるかどうかが我々にかされた課題である。
以上、21日の護国寺様の灌頂を例にとって、禁忌に触れない程度に灌頂の構造を簡略化してみました。
下書きなのでまだぬけている部分があるかと思いますが、三日までにはつまっていくことでしょう。
峯寺の講座は「灌頂とは何か」というお題で語る。なので、今回のエントリーは21日の護国寺様の阿弥陀灌頂を例にとりつつ、峯寺の講座の下書きもつくっちゃおうということで灌頂の共通構造を整理してみた。
灌頂はチベットではワン(dbang)という。意味は「〔仏の〕力」である。この言葉が示すように、灌頂とは阿闍梨を通じて本尊の力を授かる儀式である。人類学的にいえば入門儀礼とかいうはずである。
灌頂を受けるとその本尊を主尊とした修行を始めることが許可される。俗なたとえで説明すれば、大学入試に合格して大学で勉強する権利を得た段階である。従って、入学後に授業にでないでさぼっていたら合格の意味がなくなるように、灌頂を授かっても心をただす修行を始めなかったら、灌頂を授かった意味はなくなる。しかし、合格しなければその大學の授業が受けられないように、灌頂を受けずに修行をはじめても効果はでない。
顕教では長大な時間がかかるという仏の境地に至るまでの修行過程を、密教は短い時間で実現できると説く。どうしてそれが可能かというと、凡夫の心に直接仏様の心(厳密に言えば仏様は体と言葉と心が一体化している)をなじませる実地修行を行うからである。しかし、凡夫が仏様の心を知るわけもないので、仏の境地は阿闍梨を通じて頂かねばならない。それか灌頂儀礼なのである。
灌頂は大きく言って、前行・本行に分けられる。
●前行(sngon 'gro = 受者の心構えを整える)
1. 阿闍梨(灌頂の導師)挨拶
ダライラマ法王も来られたこのすばらしいお寺(護国寺)で灌頂ができることは誠に喜ばしいことである。
2.釈迦牟尼を讃えるお経。
釈迦は「ただ偉い人がいったらそれを信じるというのはいけない。その内容を分析して納得したら信じなさい」といった。こんな人は他にいるだろうか。
3.阿闍梨のなすべきこと
阿闍梨は灌頂を授ける前から、阿弥陀仏を供養し、阿弥陀仏と身体・言語・心で一体化している。
阿弥陀仏のサマヤであり、灌頂の受者を清めるツールである瓶も、空にもどして生起した。
次に、この場にいる魔にでていってもらう。魔とは灌頂を受ける者をジャマするシチュエーションである。たとえば、灌頂の日に仕事が入ったり、会場に向かう最中に事故にあったりするのは魔が入っているのである。このトルマ(小麦バター細工の供物)につられて魔がこの会場をでて、海の果てまででていったと観想しなさい。
4.弟子のなすべきこと
弟子は体で三礼をし、口をゆすぎ、心で曼荼羅を供養する。
密教はイメージである。イメージを鮮明に保てる程功徳は大きい。阿闍梨を凡俗の僧ではなく、阿弥陀仏であるとみて、この建物も護国寺ではなく阿弥陀仏の浄土とみなして、阿弥陀曼荼羅の真ん中にいると思いなさい。
5.灌頂を受ける動機を正す。
人として生をうけ、仏法に出会い、阿闍梨と出会い、そして仏法を理解できる能力があることは素晴らしいことだ。しかし、仏法を実践しなければこのすべてがムダになる。死はいつやってくるか分からない。必ず全員死ぬ。死後、悪趣におちれば長く苦しみをうけ、善趣にいっても、一時楽しいだけで、その報いはやってくる。輪廻はあてにならないのである。
あらゆる有情は始まりのない昔から輪廻する中で自分の母だったことがあると思いなさい。母は自分が年とって体がつらくなっても子供が幸せであることを願っている。その恩は計り知れない。母であった有情を楽にする究極の解決は仏の境地に導くこと。そのために仏法を実践すると思いなさい。
仏法を実践するためには時間が必要。だから阿弥陀仏の灌頂を授かろう、と思う事。ただ長生きしたいというのではいけない。ろくなことしないヤツは短命の方がいい。人生が短ければ積む業も少ないからだ。阿弥陀仏は長寿儀礼の三大本尊の一つに数えられる。
6.法統解説
インド・チベットの聖者をへて阿闍梨にいたるまでの阿弥陀仏の法に関する、伝法の歴史が述べられる。
7.阿闍梨に説法をお願いする。
過去・現在・未来の仏の教えはただ阿闍梨を通じてのみ、われわれは知ることができる。だから、阿闍梨は仏と同じである。釈尊が覚りを開いた後、釈尊は法を説かずに涅槃に入ろうとした。しかし、梵天が釈尊に転法輪を請うたことによって、釈尊は暫時涅槃にはいることをやめ、仏教を説いてくださった。仏は請わないと法を説かない。だから、受者はここで阿闍梨=仏に説法を請う。
8.菩薩戒を受ける。
菩薩戒は何度とってもいい。この無数にいる人の群の中で自分が今日菩薩戒をとることができること、これがどれだけありがたいかを随喜しなさい。
三宝(仏・法・僧)に帰依する場面ではこう思いなさい。我々は病人のようなものであり、仏は医者であり、法は救済の手段すなわち薬であり、僧は看護師であると。良いことがあっても悪いことがあってもたよるべきは三宝のみである。
懺悔の場面では、自分のした悪いことを具体的に思い出して、それをもう二度とやらないと誓いなさい。何か悪いことをしても、言い訳をしてごまかしていると必ず同じ間違いを繰り返す。しかし、本当に悪いことをしたと思えば、二度と同じ過ちは犯さない。私は幼い頃、鷲をなぶり殺したことがあって、まだ幼くて力がないから鷲は苦しんで死んでいった。だから、自分は懺悔の時にそのことを思い出すようにしている。
随喜は誰かが良いことをしたら、その良いことを喜びなさい。そうするとその善業の功徳をまるまるいただくことができる。ただし、悪い行いを随喜したら、その悪業もまるまる頂いてしまうので、随喜の対象を見極める目をもつことが大切である。
菩薩戒をとれば実はこれ以外は何も必要ないのである。灌頂を受けなくてもこれだけで十分である。これから気持ちよく仏法を実践しなさい。気持ちよくしていれば頭もよくまわるし判断も正しくできる。
菩薩戒を受けると、はじめて受けた人は菩薩戒が授かり、すでに受けたけど菩薩としての修行を行わなかった人は新しくリセットされ、毎日菩薩戒をまもっていた人はさらにいっそう守れるようになる。どんな段階の人それぞれに功徳がある。
●本行(dngos = 灌頂本体)
ここからはすべての灌頂に共通する構造を簡単に述べる(個々の話をすると秘密に触れるので)。
・灌頂の場面においては本尊と一体となった阿闍梨から本尊の力を授かる。従って、受者は阿闍梨を仏とみなして、三礼し、マンダラを捧げ、灌頂を授けてくださいと請う。このあたりは前行の時と同じである。
・受者は、身体→言語→心→覚りの意識の順に体を清められていく。表層的なレヴェルから、深奥のレヴェルへと順次清められていくのである。
・清めにおいては、さまざまなツールが用いられるが、身体の浄化には水を用いることが多いので、それが「灌頂」と呼ばれるゆえんである。
・灌頂を授かった受者は阿闍梨から賛嘆を受ける。略式でない場合はここでお菓子やお茶をいただきながらの法宴が行われる。
・最後に、灌頂を授かったことによって受者に生じる義務について述べる。毎日唱えるお経の指示etc.。
●回向
自分が授かった善行を他人にまわすことを回向という。仏法が存続しますように、ダライ・ラマをはじめとする阿闍梨が元気でいますように、戦争などで苦しんでいる人が苦しまなくてすむようになりますように。命あるものが仏の位をえるようになどと他者に功徳をまわすのが回向である。
仏法は一人でも実践できるが、みなでこうして集まって実践するとさらにはずみがつく。仏教の教えは先人たちが大変な苦労をして今の時代にまで伝えてきたものだ。この教えを来世に伝えていけるかどうかが我々にかされた課題である。
以上、21日の護国寺様の灌頂を例にとって、禁忌に触れない程度に灌頂の構造を簡略化してみました。
下書きなのでまだぬけている部分があるかと思いますが、三日までにはつまっていくことでしょう。
『チベットの歴史と宗教』
チベット亡命政府の文部省(Department of Education Central Tibetan Adiministration of H.H. The Dalai Lama)が制定したチベット文化の教科書『チベットの歴史と宗教』(rgyal rabs chos 'byung dang rigs lam nang chos) の翻訳が出版された。本書のもつ意義について簡単に述べる。

チベット文化を構成する様々な諸側面は、多かれ少なかれどこかで仏教の影響を受けている(ポン教も体系化する際に、その始祖伝説から教義に至るまで仏教の影響を受けた)。チベットの歴史書の大半は仏教の興亡という視点で記され、チベット人の多くに見られる、殺生を嫌い慈悲を尊ぶ思想も、仏教の影響を抜きにしては語れない。このチベットの仏教文化は、チベット文字によって記録された仏典・聖典類を核に発展してきた。
周知の通り、このチベット語とチベット仏教文化の伝統は今歴史的な消滅の危機にある。
1959年、ダライラマ14世はインドに亡命した後、全チベットは中国の支配下に入った。24才のダライラマはまずチベット文化の維持に必要な僧院文化の維持、さらに、異国の地にあってチベット人がチベット人として育つことができる環境を考えねばならなかった。また、数万に及ぶチベット難民の生活を考えねばならなかった。
その当時、チベットを占領した中国はインドにまで攻め込んできたため、インド政府はヒマラヤ地域に軍を送らねばならなくなった。そのための道路建設の労働者として、高地に強いチベット人が選ばれた。ダライラマ14世とインド政府が話合った結果、難民たちはヒマラヤの軍用道路建設に雇い上げられ、工事現場で、たくさんのチベット難民が命を落とした。難民の子供達も劣悪な環境で弱っていった。
このような状況を受けてダライラマは、難民の子供たちをダラムサラに集めて育てる決断をした。1960年5月、最初の50人の子供達が道路工事現場からダラムサラへと到着した。子供達はいくつかの建物に分散して住まわされ、ダライラマの姉ツェリン・ドルマが先頭に立って子供達の世話をした。子供達は体力のない乳幼児から亡くなっていたものの、世界中の援助団体の力もあり、死者の数は徐々に減っていった。これが有名なチベット子供村(TCV)の始まりである。
チベット子供村はドイツの援助団体などの支援を受けて運営されるいわば私立学校である。この他にも、各地のチベット難民コミュニティに、難民政府の文部省が直接運営する学校(Central School for Tibetans)が建てられていった(政府直営の学校のリストは→ http://www.sherig.org/schools/CTSA.htm ※MMBAの野村くんのご教示による)。
一方、中国支配下の東チベットにおいては、ダライラマが亡命する以前の1957年頃から人民解放軍によって僧院は破壊され、僧侶は還俗を強制されていた。文化大革命の開始と同時にそれは全チベットに及び、さらに中国政府は仏教のみならずチベット語の使用を禁じ、チベット文化全体を否定した。チベット人が歴史の中でつみあげてきた仏教文化の精髄である、経典、仏像、仏塔類は廃棄され、廃棄された経典は道路にあいた穴の穴埋めなどに用いられたため、経典を踏めないチベット人は外を歩くこともままならなくなった。
つまり、チベットの伝統文化はこの時点でインドの難民社会とインド領内の伝統的なチベット人地域にしか存在しないものとなったのである。
文革大革命が終わると、状況は若干改善した。しかし、中国政府の下で経営される学校においては、漢化は避けられないため、チベット人の親たちは子供達をダライラマの下に送り出した。中国軍による国境の監視のゆるくなる冬季に雪深いヒマラヤの峠を越えるため、多くの子供が命を落としたり重い凍傷にかかって足の指を失ったりした。それでも親は子供達がチベット人として育つことを希望して子供たちを送りだし続けた。
2008年の北京オリンピックの年、チベット人の蜂起が起きると、中国政府はネパール政府と協力して国境の監視を強め、チベットからの亡命者の数は激減した。チベット人学校の定員にも空きがでてきたため、現在はヒマラヤ地域の子供達を積極的に受けいれているという(ダラムサラのtonbaniさん情報による)。
今回翻訳された『チベットの歴史と宗教』は、このようなチベット難民社会の学校で、チベットの文化を教えるために用いられている教科書である。
本書は日本では中学生にあたる年齢の、六年生、七年生、八年生用の三冊を一冊にまとめたものである(チベットの文字や文学を教える教科書はまた別にある)。内容は「王統史」「インド仏教」「論理学」「仏教」の四部構成である。それぞれの部の記述内容は、伝統的なチベットの文献群からの忠実な要約・抜粋で構成されており、たとえば、「王統史」はチベットの年代記文献(チュージュン)によっており、「インド仏教史」は『プトン仏教史』、『ターラナータの仏教史』からの引用が多く見られる。また、「論理学」は僧院内で用いられている伝統的な論理学の入門書(ドゥラ文献群)によっており、「仏教」は、ゲルク派の開祖ツォンカパの主著『ラムリム』中の「小人物の修行」が典拠となっている。また、インドの四大学派、チベットの四大学派についての記述は宗義書文献(ドゥプタ)に拠っている。
この内容を一見すれば、チベット亡命政府は、子供を教育するにあたり、仏教に非常に重要な役割を担わせていることが分かるであろう。TCVの寮を訪れたことがあるが、学校にも寮の共有スペースにも仏画やダライラマ法王の写真が飾られていた。一日は読経で始まり、チベット子供村のモットーである「自分より他者のことを思いなさい」(Other before self)も、仏教の利他の精神に基づいている。
ちなみに、このモットーの下で、教師と生徒、生徒同士の間には家族のような雰囲気が醸成されている。生徒たちは卒業後も失業した人に仕事を融通する、病気になった人の面倒をみる、後輩の里親になるなどの助け合いを続けることとなる。
つまり、、チベット社会の子供の教育の目的は、チベット文化の心髄である仏教を通じて、子供たちを円満な人格に育て上げることにあるのである。道徳教育をフルシカトした日本の教育とはまったく逆である。
本書と同じ「世界の教科書シリーズ」には『中国の歴史教科書』『韓国の歴史教科書』なども和訳されている。これら二冊をチベットの教科書と比べて頂くとその差がよく分かる。
中・韓の教科書を素直に読めば、無意識の内に自国を絶対とし、他国、とくに日本を敵視するように、一言で言えば愛国心が喚起されるようになる。一方このチベットの教科書は仏教徒の教養が身につくこととなる。誰を憎むことも憎ませることもしていない。国を失うという究極の状況の下でも偏狭なナショナリズムに陥いっていないのである。
難民社会の教科書の方が、「大国」中国の教科書よりもよほど品がある。なにしろチベットの教科書は、釈尊伝やインドの聖人たちの伝記に気合いが入り、チベット史よりは余程長いページが割かれている。
現在、中国の支配下にあるチベットにおいては、チベット語教育は制限を受け、チベット語の読本においても、仏教色のある話がとりあげられることはない。このようなチベット語教育に対する制限と僧院における研究や修行の妨害が、あいつぐ焼身抗議の理由の一つにもなっている。
平和を愛し人格者を育てるチベットの教育は世界標準からみて尊敬されるべきものである。チベット人は、祖先以来の地で、自分たちの子供を自分たちの文化によって育てていくことを願っている。この当たり前の希望すらつぶしている中国が、多民族国家を標榜しているのはまったくもって欺瞞としかいいようがない。

※ 本写真は訳者二人が出版を記念して食事をした、浜松町のTsuki Surです。窓の外がすぐに海で、ゆりかもめをウォッチングしながら食事ができる鳥好きにとっては素晴らしいロケーションです。あ、ベイブリッジ・お台場もきれいにみえます。

チベット文化を構成する様々な諸側面は、多かれ少なかれどこかで仏教の影響を受けている(ポン教も体系化する際に、その始祖伝説から教義に至るまで仏教の影響を受けた)。チベットの歴史書の大半は仏教の興亡という視点で記され、チベット人の多くに見られる、殺生を嫌い慈悲を尊ぶ思想も、仏教の影響を抜きにしては語れない。このチベットの仏教文化は、チベット文字によって記録された仏典・聖典類を核に発展してきた。
周知の通り、このチベット語とチベット仏教文化の伝統は今歴史的な消滅の危機にある。
1959年、ダライラマ14世はインドに亡命した後、全チベットは中国の支配下に入った。24才のダライラマはまずチベット文化の維持に必要な僧院文化の維持、さらに、異国の地にあってチベット人がチベット人として育つことができる環境を考えねばならなかった。また、数万に及ぶチベット難民の生活を考えねばならなかった。
その当時、チベットを占領した中国はインドにまで攻め込んできたため、インド政府はヒマラヤ地域に軍を送らねばならなくなった。そのための道路建設の労働者として、高地に強いチベット人が選ばれた。ダライラマ14世とインド政府が話合った結果、難民たちはヒマラヤの軍用道路建設に雇い上げられ、工事現場で、たくさんのチベット難民が命を落とした。難民の子供達も劣悪な環境で弱っていった。
このような状況を受けてダライラマは、難民の子供たちをダラムサラに集めて育てる決断をした。1960年5月、最初の50人の子供達が道路工事現場からダラムサラへと到着した。子供達はいくつかの建物に分散して住まわされ、ダライラマの姉ツェリン・ドルマが先頭に立って子供達の世話をした。子供達は体力のない乳幼児から亡くなっていたものの、世界中の援助団体の力もあり、死者の数は徐々に減っていった。これが有名なチベット子供村(TCV)の始まりである。
チベット子供村はドイツの援助団体などの支援を受けて運営されるいわば私立学校である。この他にも、各地のチベット難民コミュニティに、難民政府の文部省が直接運営する学校(Central School for Tibetans)が建てられていった(政府直営の学校のリストは→ http://www.sherig.org/schools/CTSA.htm ※MMBAの野村くんのご教示による)。
一方、中国支配下の東チベットにおいては、ダライラマが亡命する以前の1957年頃から人民解放軍によって僧院は破壊され、僧侶は還俗を強制されていた。文化大革命の開始と同時にそれは全チベットに及び、さらに中国政府は仏教のみならずチベット語の使用を禁じ、チベット文化全体を否定した。チベット人が歴史の中でつみあげてきた仏教文化の精髄である、経典、仏像、仏塔類は廃棄され、廃棄された経典は道路にあいた穴の穴埋めなどに用いられたため、経典を踏めないチベット人は外を歩くこともままならなくなった。
つまり、チベットの伝統文化はこの時点でインドの難民社会とインド領内の伝統的なチベット人地域にしか存在しないものとなったのである。
文革大革命が終わると、状況は若干改善した。しかし、中国政府の下で経営される学校においては、漢化は避けられないため、チベット人の親たちは子供達をダライラマの下に送り出した。中国軍による国境の監視のゆるくなる冬季に雪深いヒマラヤの峠を越えるため、多くの子供が命を落としたり重い凍傷にかかって足の指を失ったりした。それでも親は子供達がチベット人として育つことを希望して子供たちを送りだし続けた。
2008年の北京オリンピックの年、チベット人の蜂起が起きると、中国政府はネパール政府と協力して国境の監視を強め、チベットからの亡命者の数は激減した。チベット人学校の定員にも空きがでてきたため、現在はヒマラヤ地域の子供達を積極的に受けいれているという(ダラムサラのtonbaniさん情報による)。
今回翻訳された『チベットの歴史と宗教』は、このようなチベット難民社会の学校で、チベットの文化を教えるために用いられている教科書である。
本書は日本では中学生にあたる年齢の、六年生、七年生、八年生用の三冊を一冊にまとめたものである(チベットの文字や文学を教える教科書はまた別にある)。内容は「王統史」「インド仏教」「論理学」「仏教」の四部構成である。それぞれの部の記述内容は、伝統的なチベットの文献群からの忠実な要約・抜粋で構成されており、たとえば、「王統史」はチベットの年代記文献(チュージュン)によっており、「インド仏教史」は『プトン仏教史』、『ターラナータの仏教史』からの引用が多く見られる。また、「論理学」は僧院内で用いられている伝統的な論理学の入門書(ドゥラ文献群)によっており、「仏教」は、ゲルク派の開祖ツォンカパの主著『ラムリム』中の「小人物の修行」が典拠となっている。また、インドの四大学派、チベットの四大学派についての記述は宗義書文献(ドゥプタ)に拠っている。
この内容を一見すれば、チベット亡命政府は、子供を教育するにあたり、仏教に非常に重要な役割を担わせていることが分かるであろう。TCVの寮を訪れたことがあるが、学校にも寮の共有スペースにも仏画やダライラマ法王の写真が飾られていた。一日は読経で始まり、チベット子供村のモットーである「自分より他者のことを思いなさい」(Other before self)も、仏教の利他の精神に基づいている。
ちなみに、このモットーの下で、教師と生徒、生徒同士の間には家族のような雰囲気が醸成されている。生徒たちは卒業後も失業した人に仕事を融通する、病気になった人の面倒をみる、後輩の里親になるなどの助け合いを続けることとなる。
つまり、、チベット社会の子供の教育の目的は、チベット文化の心髄である仏教を通じて、子供たちを円満な人格に育て上げることにあるのである。道徳教育をフルシカトした日本の教育とはまったく逆である。
本書と同じ「世界の教科書シリーズ」には『中国の歴史教科書』『韓国の歴史教科書』なども和訳されている。これら二冊をチベットの教科書と比べて頂くとその差がよく分かる。
中・韓の教科書を素直に読めば、無意識の内に自国を絶対とし、他国、とくに日本を敵視するように、一言で言えば愛国心が喚起されるようになる。一方このチベットの教科書は仏教徒の教養が身につくこととなる。誰を憎むことも憎ませることもしていない。国を失うという究極の状況の下でも偏狭なナショナリズムに陥いっていないのである。
難民社会の教科書の方が、「大国」中国の教科書よりもよほど品がある。なにしろチベットの教科書は、釈尊伝やインドの聖人たちの伝記に気合いが入り、チベット史よりは余程長いページが割かれている。
現在、中国の支配下にあるチベットにおいては、チベット語教育は制限を受け、チベット語の読本においても、仏教色のある話がとりあげられることはない。このようなチベット語教育に対する制限と僧院における研究や修行の妨害が、あいつぐ焼身抗議の理由の一つにもなっている。
平和を愛し人格者を育てるチベットの教育は世界標準からみて尊敬されるべきものである。チベット人は、祖先以来の地で、自分たちの子供を自分たちの文化によって育てていくことを願っている。この当たり前の希望すらつぶしている中国が、多民族国家を標榜しているのはまったくもって欺瞞としかいいようがない。

※ 本写真は訳者二人が出版を記念して食事をした、浜松町のTsuki Surです。窓の外がすぐに海で、ゆりかもめをウォッチングしながら食事ができる鳥好きにとっては素晴らしいロケーションです。あ、ベイブリッジ・お台場もきれいにみえます。
嫉妬と随喜(釈迦灌頂報告)
先週の日曜日は釈尊の誕生日であるお花祭りであった。この日、来日中のロサン・テレ先生(元ギュメ座主・次期セラ大僧院管長)が釈迦許可灌頂を授けられた。本エントリーはその実況。
灌頂 (dbang) と許可灌頂 (rjes gnang) の違いは、灌頂が仏の力すべてを授かるのに対して、許可灌頂は仏の功徳の一部を頂くもの。本灌頂の起源は古くアティシャからダライラマ法王をへてロサン・テレ先生に伝わったという。
ロサン・テレ先生「本日は日本ではお釈迦様の生まれになった日であり、チベット暦でも釈尊の生誕日とされる二月十日から一週間ほどたっていない、とても縁起のいい日です」。 ※以下、お釈迦様、釈尊、仏、はみな同じことを指しています。
▽
須弥山(仏教の世界観によると世界の中心にある超高山。実在の世界ではチベット高原が反映している)の四方には、四つの大陸(四大部洲)があり、南方にある大陸がわれわれの住む閻浮提(インド大陸)である。閻浮提は煩悩まみれであるため、誰も教化しようという人が現れなかったが、兜率天にいたお釈迦さまは、あえて我々のためにこの閻浮提に降誕してくださった。
兜率天にいたお釈迦様は閻浮提に降誕する際に、浄飯王を父に摩耶夫人を母に選び、六牙の白象の姿で母の胎内に入った。白の意味は、普通の母親の胎内は汚れているので前世の記憶を失うが、摩耶夫人の胎内は清らかなことを意味する。六牙の六は釈尊が悟りを開いた後に、教化する六派の異教徒たち(六師外道) を表している。
釈尊が生まれるとインド中の器がミルクで満たされた。この同じ日に釈迦族には500人の子がうまれ、釈尊に仇なすデーヴァダッタも生まれた。デーヴァダッタの母は器のミルクをみて、我が子を特別だと思い、そのようにふきこんで育てた。釈尊の手のひらには大人物の証である法輪相があったが、デーヴァダッタにはなかったので、母は金をとかして法輪形をデーヴァダッタの手のひらに書いた(後にデーヴァダッタは釈尊に様々な災いをなす)。
釈尊は生まれるやいなや四方に向かって歩き、天上天下唯我独尊といい、歩いた後には一足ごとにハスの花が咲いた。生まれてすぐに占い師にみせると、「在家では転輪聖王、出家では如来となる」と予言された。父は転輪聖王になってほしいので釈尊に楽しいことばかりをさせた。結婚もさせた。
しかしその父王の努力もむなしく、釈尊は29才になると俗世を厭い、出家しようとした。そこで父は「息子の剃髪をしたものはその手を切り落とす」と布告した。しかし釈尊の決意は固く、皆が寝静まった夜、従者を一人つれて馬にのって城をでて、自分で剃髪をした。そして6年の修行の後、時満ちて菩提樹の下で瞑想に入った。すると、釈尊が悟りに入るのを邪魔するためにインド中の悪魔がやってきて、釈尊に向かって弓や石をなげつけたが、それは空中で花にかわって釈尊を飾り立てた。
満月の晩、釈尊はついに悟りを開き仏(目覚めたもの)となった。その後49日の間、説法をせずにその境地を楽しんでした。しかし、梵天があらわれて、釈尊に説法をするように願ったため、釈尊は説法を開始した。
釈尊は「自分に文字を教え、数学を教えた先生はどこにいるか」と聞いた。
外道は「悟りを開いているなら、今先生方がどこにいるか分かるだろう」と陰口をきいた。そして釈尊が文字の先生と数学の先生を最前列に座らせると、外道は「自分に近いものをひいきするのは執着のある証拠だ」とまた陰口をたたいたが、釈尊はすべてを知っていたが、師を大切にして恩を忘れてはならないことを示すために行ったことであった。
△
興味深かったのは、仏伝が昔話のような身近な物語として語られていること。たとえば、お釈迦様に対して外道が陰口をたたいたり、お釈迦様に生涯にわたってつきまといいやがらせを行ったデーヴァダッタが、実は母親の育て方に原因があった、とそこいらの残念な人の人格形成を説明するように語られているところ。
次にロサン・テレ先生は仏の心と体と言葉の美質(功徳)について語る。
▽
仏に対してはあこがれの気持ちを持たねばならない。従って、仏の美質について知るべきである。
まず、仏の心は、すべてを知ることができる(一切知)。 この世の終わりに世界が劫火に焼き尽くされた後、そこに残った灰をみただけでも、それが何であったか分かる。そのくらい、すべてを知っている。
仏の言葉は不思議である。仏の言葉を聞く者は、すべて自分のことを言っているように聞こえる。シャーリプトラには「シャーリプトラよ」と呼びかけているように聞こえるし、マウドリガーヤには「マウドリガーヤよ」と呼びかけているように聞こえるし、アーナンダには「アーナンダよ」と呼びかけているように聞こえる。※先生の直接先生から聞いた話として、イギリス人には英語でしゃべっているように聞こえ、その国の言葉で説法しているように聞こえるという。
仏の言葉はどこにいても同じように聞こえる。最前列に座って仏の説法を聞いていたシャーリプトラが、「こんな小さな声では後ろの人は聞こえないだろう」と思って、最後列にいっても同じ大きさで聞こえた。そして、神通力で西牛貨州にとんでいくと、そこでも同じように聞こえた。
仏の言葉は正しい。仏は「私がしてはならないということでした方がいいものがあったか、私がしろといってしない方が良かったことがあるか。」といった通りである。
最後に仏の体は不思議である。仏の説法会では寝ているものがない。なぜなら聴衆すべてが仏が自分の方を向いて話をしているように見えるからだ。
△
今回の灌頂は実は四タントラのうちでも所作タントラという所作や儀式の手順を重視するタントラである。そのため、七支供養(yan lag bdun)の解説が詳しく行われた。よく考えたら所作タントラは今回がはじめてだったので、所作の解説がある今回の法話は非常に新鮮だった。
▽
七支供養の内訳は、(1) 礼拝、(2) 供養、(3) 懺悔、(4) 随喜、(5) 説法を請う*(釈尊伝の梵天勧請にあたる)、(6) 師に涅槃に入らないように頼む*(釈尊伝の釈尊が涅槃に入るといったことに対し、アーナンダがとめなかったため、釈尊が涅槃に入った故事にちなむ)、(7) 回向*(以上の善を一切有情に回向する)
この七つを行うことは五体満足に生まれることに等しい。五体満足に生まれるということは何でもできるということで、七支供養を行うことは今世と来世をよくすることができる。それでは一つずつ説明しよう。
(1) 礼拝
礼拝に際してはまず合掌する。その際、親指を外ではなく中に入れる。親指を外にだすのは外道の合掌である。合掌は仏の姿を表しており、中に入れた親指は、仏像や仏塔の中にいれる、おみたま(gzungs gzhug)を表している。
この合掌した手を頭のてっぺん、喉、胸につける。これはそれぞれ仏が悟りを開いた時に生ずる頂髻の習気をつくること、仏の言葉の習気をつくること、仏の心の習気を作ることを表す。礼拝の功徳ははかりしれない。
(2) 供養
仏様への供養は自分のもっているものだけでなく他人のものでもいい。私は東京にいった際、その夜景の美しさに感動したので、それを仏様に供養した。供養のやり方で重要なのは、「仏様が喜ばれた」と思う事である。供養には計り知れない功徳がある。
(3) 懺悔
自分の行ったかつての悪行を具体的に思い出して、「失敗した! これからはもう絶対このようなことはしない」と思う事である。どのくらい真剣に思わなければいけないかというと、三人で食事を食べていたら、その食事に毒が入っていて、一人が死んで、もう一人が死にかけていたとすると、あなたは何とかして今食べた毒をはいて、二度と食べまいと思うだろう、そのくらい真剣に「もう二度と過ちを繰り返さない」と誓いなさい。
(4) 随喜
自分のした良いこと、他人のした良いことを喜ぶこと。このような随喜は実は最も大切なことである。
昔プラセーナジット王が釈尊とその弟子衆に毎日供養を行っていた。そして釈尊に「ここに集まった人の中でもっとも徳を積んだものに回向してください」と言うと、釈尊は末席にいる貧しい一人のおばあさんに回向をした。それは毎日続いた。
すると王はだんだん痩せてきた。家臣が「病気ですか」と問うと、王は「私は病気ではない。私は毎日釈尊とその弟子たちに多大な供養を行い、その際もみじんもケチな心は起こさず、心からやっているのに、釈尊は毎度私よりもあの老婆を徳があるという。それが気になって食欲がないのだ」といった。
次の日、王がいつものように釈尊を供養すると、その日釈尊は王の名を呼んだ。家臣に聞くと「昨日老婆をボコボコにしました。」すると、釈尊は「王よ、おまえは供養を行っても慢心を起こすばかりで、随喜しなかった。あの老婆は『王様は仏様を供養して、いいことをしているなあ』とおまえの行動をいつも随喜していたから、彼女の徳がお前より大きかったのだ」と答えた。※つまり、その日王様の家臣にボコボコにされた老婆は、王を恨んで王の行いを随喜しなかったので、結果として王の名が呼ばれた(笑)。
ツォンカパも「随喜はすばらしい。金もかからんし体もつかわんでええ」というておる。随喜は慢心と嫉妬を抑制してくれる。謙虚にしてくれる。だから重要である。
(5) 師に説法 (転法輪) を請う
梵天が釈尊に金のマンダラを捧げて仏に法を説くように、と頼んだ故事にちなんで行う。説法があることによって、人は自分の間違っていることに気づき、煩悩に立ち向かおうとする。転法輪は人を成長させてくれる功徳をもつ。※これがあるので高僧は頼まれないと法を説かない。
(6) 師に涅槃に入らないように頼む
師が生きているから説法ができる。師の在世が永からんように、毎日お願いする。
(7) 回向
自他の功徳をもって一切の有情が仏の境地にいたるようにすること。
回向について示すものとしてこのような物語がある。
ある日貧乏な男が、豆の粉をもってきて、入れ物を貸してくれといってきた。聞かれた男はうちは貧乏くさい豆の粉を入れる器はない。大麦の粉の入った器ならある。というと、貧乏な男は大麦の粉が入った器に勝手に豆の粉を入れた。すると豆の粉と大麦の粉はまざってしまい、区別がつかなくなった。すると、その貧しい男は自分の豆を食べると称して、毎日大麦粉を食べにきた。回向もこのようなもので、善業は少ししかつめないが、それをより多くのものにまぜると多くなる。一杯の水も大海に入れば区別つかなくなる。そして多くを味わうことができるようになる。
△
つづいて優婆塞戒と、菩薩戒が授けられ、そして灌頂本体が始まる。
ここで優婆塞戒(dge bsnyen)が授けられる。以下の五つを守りなさい。全部はムリでも一つは守るようにしなさい。
1 人を殺さない
2 盗まない
3 邪な性行為をしない
4 悟っていないのに悟ったとうそをつかない
5 意識を失うほど酒をのまない
この五つを意識してまもれたら、人として生まれた意味がある。
優婆塞戒を授かったら、今度は三宝に帰依しなさい。
三宝のうち、
仏は俗な言い方をすれば医者であり、法はクスリであり救済そのものである。そして僧は看護師であり、法友 (Zla grogs)である。
三宝によって人は悪趣の痛み(gdung)から逃れ、速やかに善に向かい、魔によって害されず、三戒の基礎を得る。
●菩薩戒を授かる
菩薩戒は何回うけてもいい。カダム派のラマがこういっている。「財はつきないけど、法はつきる。」と。これは、財産はいくら積み上げてもまだ足りないと思うが、法は「これ前に聞いたわ」とか、「この灌頂前に受けたわ」とかいってすぐに飽きてしまうことを意味する。しかし、それは違う。法は同じものでも聞くたびに新たな気づきがある。だから法を聞くチャンスがあれば、行って聞くようにしなさい。ただ誰の話でもいいわけではない。
ダライラマ法王は「ある人をラマと仰ぐ前に、その人が正しい法を説いている人かどうかを見極めなさい。信頼にたる人の法を聞きなさい。」とおっしゃっている。
私は信頼できます(笑)。すぐにインドに帰りますからね。臺灣や日本には時々いいかげんなラマがくるので、ちゃんと見極めてから法を聞くようになさい。へんな人につくとろくな業をつまないよ。
随喜しなさい。そして
毎日釈尊のマントラを唱えなさい。
以上であるが、今回のお話は合掌の仕方とか、七支供養とか、具体的なお作法の話が多かった。この釈迦灌頂は所作タントラで、所作タントラって、その名の通り、儀式の所作をまずきちんとすることに眼目が置かれるので、法話もそうなるのだ、と当たり前のことながら感慨深かった。
また、今回のエピソードは、随喜(人や自分の良いところを喜ぶこと)と嫉妬(人を落とすこと)が隠れテーマであると思われた。たとえば、法話の前半部で釈尊伝を語る時は外道やデーヴァダッタなどの、お釈迦様の悪口をいったり、嫉妬をした人たちの話がなされた。そして、後半の七支供養のうち随喜の説明は詳しい。随喜とは一言でいうと、物事の善い面をとりあげて喜ぶこと。つまりは不平・不満・グチ、悪口などの逆である。
そこで思い出したのは、ターラー尊の生起法で、嫉妬は成所作智(仏の五智の一つ)の対極とされていることである。つまり、嫉妬によって人の悪口をいったり、やったりすることは、まっとうな所作・まっとうな言葉・全うな心をなくしてしまうということである。嫉妬にかられた人が、立派な行いを残したという話は聞かない。一方「ええことしはったなあ」といっている人の顔や口かゆがむことはない。
たしかに、随喜は先生もおっしゃるように「金も体も使わずに」もっとも簡単に、ものごとをネガティブからポジティブに変える魔法といえる。
自分がこの釈尊の生まれた日に、灌頂を授かり、チベットの高僧から仏伝を聞き、礼拝の所作の意味を聞き、随喜のありがたさを知り、それをここで書くことができている、これ自体、いろいろな意味で幸せなことだと思う。願わくば、これを読んだ方もこの文章を随喜して、その功徳をまるまる頂いてみてください。
※阿闍梨追伸: 「随喜と同じように嫉妬や慢心、怒りを治める功徳があるのは【慈しみ】。慈しみについても、随喜と同じように繰り返し考えてみるように。」
灌頂 (dbang) と許可灌頂 (rjes gnang) の違いは、灌頂が仏の力すべてを授かるのに対して、許可灌頂は仏の功徳の一部を頂くもの。本灌頂の起源は古くアティシャからダライラマ法王をへてロサン・テレ先生に伝わったという。
ロサン・テレ先生「本日は日本ではお釈迦様の生まれになった日であり、チベット暦でも釈尊の生誕日とされる二月十日から一週間ほどたっていない、とても縁起のいい日です」。 ※以下、お釈迦様、釈尊、仏、はみな同じことを指しています。
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須弥山(仏教の世界観によると世界の中心にある超高山。実在の世界ではチベット高原が反映している)の四方には、四つの大陸(四大部洲)があり、南方にある大陸がわれわれの住む閻浮提(インド大陸)である。閻浮提は煩悩まみれであるため、誰も教化しようという人が現れなかったが、兜率天にいたお釈迦さまは、あえて我々のためにこの閻浮提に降誕してくださった。
兜率天にいたお釈迦様は閻浮提に降誕する際に、浄飯王を父に摩耶夫人を母に選び、六牙の白象の姿で母の胎内に入った。白の意味は、普通の母親の胎内は汚れているので前世の記憶を失うが、摩耶夫人の胎内は清らかなことを意味する。六牙の六は釈尊が悟りを開いた後に、教化する六派の異教徒たち(六師外道) を表している。
釈尊が生まれるとインド中の器がミルクで満たされた。この同じ日に釈迦族には500人の子がうまれ、釈尊に仇なすデーヴァダッタも生まれた。デーヴァダッタの母は器のミルクをみて、我が子を特別だと思い、そのようにふきこんで育てた。釈尊の手のひらには大人物の証である法輪相があったが、デーヴァダッタにはなかったので、母は金をとかして法輪形をデーヴァダッタの手のひらに書いた(後にデーヴァダッタは釈尊に様々な災いをなす)。
釈尊は生まれるやいなや四方に向かって歩き、天上天下唯我独尊といい、歩いた後には一足ごとにハスの花が咲いた。生まれてすぐに占い師にみせると、「在家では転輪聖王、出家では如来となる」と予言された。父は転輪聖王になってほしいので釈尊に楽しいことばかりをさせた。結婚もさせた。
しかしその父王の努力もむなしく、釈尊は29才になると俗世を厭い、出家しようとした。そこで父は「息子の剃髪をしたものはその手を切り落とす」と布告した。しかし釈尊の決意は固く、皆が寝静まった夜、従者を一人つれて馬にのって城をでて、自分で剃髪をした。そして6年の修行の後、時満ちて菩提樹の下で瞑想に入った。すると、釈尊が悟りに入るのを邪魔するためにインド中の悪魔がやってきて、釈尊に向かって弓や石をなげつけたが、それは空中で花にかわって釈尊を飾り立てた。
満月の晩、釈尊はついに悟りを開き仏(目覚めたもの)となった。その後49日の間、説法をせずにその境地を楽しんでした。しかし、梵天があらわれて、釈尊に説法をするように願ったため、釈尊は説法を開始した。
釈尊は「自分に文字を教え、数学を教えた先生はどこにいるか」と聞いた。
外道は「悟りを開いているなら、今先生方がどこにいるか分かるだろう」と陰口をきいた。そして釈尊が文字の先生と数学の先生を最前列に座らせると、外道は「自分に近いものをひいきするのは執着のある証拠だ」とまた陰口をたたいたが、釈尊はすべてを知っていたが、師を大切にして恩を忘れてはならないことを示すために行ったことであった。
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興味深かったのは、仏伝が昔話のような身近な物語として語られていること。たとえば、お釈迦様に対して外道が陰口をたたいたり、お釈迦様に生涯にわたってつきまといいやがらせを行ったデーヴァダッタが、実は母親の育て方に原因があった、とそこいらの残念な人の人格形成を説明するように語られているところ。
次にロサン・テレ先生は仏の心と体と言葉の美質(功徳)について語る。
▽
仏に対してはあこがれの気持ちを持たねばならない。従って、仏の美質について知るべきである。
まず、仏の心は、すべてを知ることができる(一切知)。 この世の終わりに世界が劫火に焼き尽くされた後、そこに残った灰をみただけでも、それが何であったか分かる。そのくらい、すべてを知っている。
仏の言葉は不思議である。仏の言葉を聞く者は、すべて自分のことを言っているように聞こえる。シャーリプトラには「シャーリプトラよ」と呼びかけているように聞こえるし、マウドリガーヤには「マウドリガーヤよ」と呼びかけているように聞こえるし、アーナンダには「アーナンダよ」と呼びかけているように聞こえる。※先生の直接先生から聞いた話として、イギリス人には英語でしゃべっているように聞こえ、その国の言葉で説法しているように聞こえるという。
仏の言葉はどこにいても同じように聞こえる。最前列に座って仏の説法を聞いていたシャーリプトラが、「こんな小さな声では後ろの人は聞こえないだろう」と思って、最後列にいっても同じ大きさで聞こえた。そして、神通力で西牛貨州にとんでいくと、そこでも同じように聞こえた。
仏の言葉は正しい。仏は「私がしてはならないということでした方がいいものがあったか、私がしろといってしない方が良かったことがあるか。」といった通りである。
最後に仏の体は不思議である。仏の説法会では寝ているものがない。なぜなら聴衆すべてが仏が自分の方を向いて話をしているように見えるからだ。
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今回の灌頂は実は四タントラのうちでも所作タントラという所作や儀式の手順を重視するタントラである。そのため、七支供養(yan lag bdun)の解説が詳しく行われた。よく考えたら所作タントラは今回がはじめてだったので、所作の解説がある今回の法話は非常に新鮮だった。
▽
七支供養の内訳は、(1) 礼拝、(2) 供養、(3) 懺悔、(4) 随喜、(5) 説法を請う*(釈尊伝の梵天勧請にあたる)、(6) 師に涅槃に入らないように頼む*(釈尊伝の釈尊が涅槃に入るといったことに対し、アーナンダがとめなかったため、釈尊が涅槃に入った故事にちなむ)、(7) 回向*(以上の善を一切有情に回向する)
この七つを行うことは五体満足に生まれることに等しい。五体満足に生まれるということは何でもできるということで、七支供養を行うことは今世と来世をよくすることができる。それでは一つずつ説明しよう。
(1) 礼拝
礼拝に際してはまず合掌する。その際、親指を外ではなく中に入れる。親指を外にだすのは外道の合掌である。合掌は仏の姿を表しており、中に入れた親指は、仏像や仏塔の中にいれる、おみたま(gzungs gzhug)を表している。
この合掌した手を頭のてっぺん、喉、胸につける。これはそれぞれ仏が悟りを開いた時に生ずる頂髻の習気をつくること、仏の言葉の習気をつくること、仏の心の習気を作ることを表す。礼拝の功徳ははかりしれない。
(2) 供養
仏様への供養は自分のもっているものだけでなく他人のものでもいい。私は東京にいった際、その夜景の美しさに感動したので、それを仏様に供養した。供養のやり方で重要なのは、「仏様が喜ばれた」と思う事である。供養には計り知れない功徳がある。
(3) 懺悔
自分の行ったかつての悪行を具体的に思い出して、「失敗した! これからはもう絶対このようなことはしない」と思う事である。どのくらい真剣に思わなければいけないかというと、三人で食事を食べていたら、その食事に毒が入っていて、一人が死んで、もう一人が死にかけていたとすると、あなたは何とかして今食べた毒をはいて、二度と食べまいと思うだろう、そのくらい真剣に「もう二度と過ちを繰り返さない」と誓いなさい。
(4) 随喜
自分のした良いこと、他人のした良いことを喜ぶこと。このような随喜は実は最も大切なことである。
昔プラセーナジット王が釈尊とその弟子衆に毎日供養を行っていた。そして釈尊に「ここに集まった人の中でもっとも徳を積んだものに回向してください」と言うと、釈尊は末席にいる貧しい一人のおばあさんに回向をした。それは毎日続いた。
すると王はだんだん痩せてきた。家臣が「病気ですか」と問うと、王は「私は病気ではない。私は毎日釈尊とその弟子たちに多大な供養を行い、その際もみじんもケチな心は起こさず、心からやっているのに、釈尊は毎度私よりもあの老婆を徳があるという。それが気になって食欲がないのだ」といった。
次の日、王がいつものように釈尊を供養すると、その日釈尊は王の名を呼んだ。家臣に聞くと「昨日老婆をボコボコにしました。」すると、釈尊は「王よ、おまえは供養を行っても慢心を起こすばかりで、随喜しなかった。あの老婆は『王様は仏様を供養して、いいことをしているなあ』とおまえの行動をいつも随喜していたから、彼女の徳がお前より大きかったのだ」と答えた。※つまり、その日王様の家臣にボコボコにされた老婆は、王を恨んで王の行いを随喜しなかったので、結果として王の名が呼ばれた(笑)。
ツォンカパも「随喜はすばらしい。金もかからんし体もつかわんでええ」というておる。随喜は慢心と嫉妬を抑制してくれる。謙虚にしてくれる。だから重要である。
(5) 師に説法 (転法輪) を請う
梵天が釈尊に金のマンダラを捧げて仏に法を説くように、と頼んだ故事にちなんで行う。説法があることによって、人は自分の間違っていることに気づき、煩悩に立ち向かおうとする。転法輪は人を成長させてくれる功徳をもつ。※これがあるので高僧は頼まれないと法を説かない。
(6) 師に涅槃に入らないように頼む
師が生きているから説法ができる。師の在世が永からんように、毎日お願いする。
(7) 回向
自他の功徳をもって一切の有情が仏の境地にいたるようにすること。
回向について示すものとしてこのような物語がある。
ある日貧乏な男が、豆の粉をもってきて、入れ物を貸してくれといってきた。聞かれた男はうちは貧乏くさい豆の粉を入れる器はない。大麦の粉の入った器ならある。というと、貧乏な男は大麦の粉が入った器に勝手に豆の粉を入れた。すると豆の粉と大麦の粉はまざってしまい、区別がつかなくなった。すると、その貧しい男は自分の豆を食べると称して、毎日大麦粉を食べにきた。回向もこのようなもので、善業は少ししかつめないが、それをより多くのものにまぜると多くなる。一杯の水も大海に入れば区別つかなくなる。そして多くを味わうことができるようになる。
△
つづいて優婆塞戒と、菩薩戒が授けられ、そして灌頂本体が始まる。
ここで優婆塞戒(dge bsnyen)が授けられる。以下の五つを守りなさい。全部はムリでも一つは守るようにしなさい。
1 人を殺さない
2 盗まない
3 邪な性行為をしない
4 悟っていないのに悟ったとうそをつかない
5 意識を失うほど酒をのまない
この五つを意識してまもれたら、人として生まれた意味がある。
優婆塞戒を授かったら、今度は三宝に帰依しなさい。
三宝のうち、
仏は俗な言い方をすれば医者であり、法はクスリであり救済そのものである。そして僧は看護師であり、法友 (Zla grogs)である。
三宝によって人は悪趣の痛み(gdung)から逃れ、速やかに善に向かい、魔によって害されず、三戒の基礎を得る。
●菩薩戒を授かる
菩薩戒は何回うけてもいい。カダム派のラマがこういっている。「財はつきないけど、法はつきる。」と。これは、財産はいくら積み上げてもまだ足りないと思うが、法は「これ前に聞いたわ」とか、「この灌頂前に受けたわ」とかいってすぐに飽きてしまうことを意味する。しかし、それは違う。法は同じものでも聞くたびに新たな気づきがある。だから法を聞くチャンスがあれば、行って聞くようにしなさい。ただ誰の話でもいいわけではない。
ダライラマ法王は「ある人をラマと仰ぐ前に、その人が正しい法を説いている人かどうかを見極めなさい。信頼にたる人の法を聞きなさい。」とおっしゃっている。
私は信頼できます(笑)。すぐにインドに帰りますからね。臺灣や日本には時々いいかげんなラマがくるので、ちゃんと見極めてから法を聞くようになさい。へんな人につくとろくな業をつまないよ。
随喜しなさい。そして
毎日釈尊のマントラを唱えなさい。
以上であるが、今回のお話は合掌の仕方とか、七支供養とか、具体的なお作法の話が多かった。この釈迦灌頂は所作タントラで、所作タントラって、その名の通り、儀式の所作をまずきちんとすることに眼目が置かれるので、法話もそうなるのだ、と当たり前のことながら感慨深かった。
また、今回のエピソードは、随喜(人や自分の良いところを喜ぶこと)と嫉妬(人を落とすこと)が隠れテーマであると思われた。たとえば、法話の前半部で釈尊伝を語る時は外道やデーヴァダッタなどの、お釈迦様の悪口をいったり、嫉妬をした人たちの話がなされた。そして、後半の七支供養のうち随喜の説明は詳しい。随喜とは一言でいうと、物事の善い面をとりあげて喜ぶこと。つまりは不平・不満・グチ、悪口などの逆である。
そこで思い出したのは、ターラー尊の生起法で、嫉妬は成所作智(仏の五智の一つ)の対極とされていることである。つまり、嫉妬によって人の悪口をいったり、やったりすることは、まっとうな所作・まっとうな言葉・全うな心をなくしてしまうということである。嫉妬にかられた人が、立派な行いを残したという話は聞かない。一方「ええことしはったなあ」といっている人の顔や口かゆがむことはない。
たしかに、随喜は先生もおっしゃるように「金も体も使わずに」もっとも簡単に、ものごとをネガティブからポジティブに変える魔法といえる。
自分がこの釈尊の生まれた日に、灌頂を授かり、チベットの高僧から仏伝を聞き、礼拝の所作の意味を聞き、随喜のありがたさを知り、それをここで書くことができている、これ自体、いろいろな意味で幸せなことだと思う。願わくば、これを読んだ方もこの文章を随喜して、その功徳をまるまる頂いてみてください。
※阿闍梨追伸: 「随喜と同じように嫉妬や慢心、怒りを治める功徳があるのは【慈しみ】。慈しみについても、随喜と同じように繰り返し考えてみるように。」
2012年春のチベット・イベント
センゲ首相来日の興奮もさめやらない中、四月・五月はミスター『入中論』とリンポチェの灌頂祭りがはじまる。
ミスター『入中論』は平岡先生の師僧である故ガワン先生のご友人で、ガワン先生の葬儀を主催された方。チベットでは高僧がなくなるとその弟子たちの世話は、通常その高僧の葬儀委員長を行った高僧が引き継ぐ。
ミスター『入中論』はその名の通り、『入中論』の博士として名高く、今回の帰国後、すぐにゲルク派の三大僧院の一つ、セラ大僧院の管長に就任する。あの河口慧海とかが滞在して有名な僧院である。
平岡先生曰く「管長先生になったらお忙しくなるから、そう日本にも来られなくなりますな~。センセもこの機会を逃したらあきまへんえ~」 この大阪弁にのせられて何度大阪に行ったことか(笑)。
護国寺様も清風学園も東大寺様もみなダライラマ14世の巡錫された地で、聖者が訪れた場所、すなわち「聖地」となっている。そこにミスター『入中論』というゲルク派屈指の学僧にして行者をお迎えするわけであるから、霊験もあらたか。ご縁のある方は是非ご参集の程を。
東大寺灌頂について平岡センセからコメントいただきました
本尊は馴染みの観音様に致しましたが、内容は悪趣から全て救済するという観音様の灌頂の中ではとても貴重なものです。ミスターは、1960年代にダライ・ラマ法王から授かったそうです。
お付きのテンダル師の父親は元セラの僧侶で、ミスターの友達でしたが、1959年の中国軍侵攻の中、僧侶を辞めて軍隊に入りました。「もし生きて帰って息子が出来たらミスターの弟子にして欲しい」という言葉通り生き残った父親は長男のテンダルをミスターの弟子にしました。
今は年老いたテンダルの父親のため、ミスターは初めてこの灌頂をしたそうです。二回目は海外で活躍する僧侶達の要請でセラ大僧院で、千人以上の僧侶達にこの灌頂を授けました。
今回は三回目です。私も噂に聞くこの灌頂を是非受けてみたいという、個人的思いでミスターにお願いしましたが、観音様にご縁ある方には是非受けて頂きたいと思います。
そしてゴールデンウィークには、ガワン先生縁の出雲の峰寺において、故ガワン先生の高弟チューロ・リンポチェによる白ターラー尊の長寿灌頂が行われる。
リンポチェは何と初灌頂。
タニマチ一同としては彼の初舞台をカンペキにプロモートすべく通訳は清風学園校長の平岡センセ、司会はキングオブ山男ペンパさん、前座の講演は私がつとめさせて頂き、法王事務所からはルントクさんがでてお話をされます。
チューロ・リンポチェは東チベットのバタン地域の出身で、10才でインドに亡命し、インドのガンデン大僧院のファラ・地域寮に入り、故ガワン先生に師事された。その後34才でリタンのネゴ僧院(gnas sgo dgon pa)のチューロ・リンポチェの転生僧と認定された。なので、リタンに帰ればネゴ僧院の管長である。35才でガンデン大僧院で博士号(ゲシェ)をとり、その後は密教修行のために、ギュメ大僧院へ。現在41才。
ギュメ大僧院でゲコ(規律僧)をつとめているとき、ダライラマ法王のギュメ来錫があり、法王をお部屋までお迎えするなどの大役をつとめた。というわけで、チューロ・リンポチェの阿闍梨デビューを、タニマチとしては平原綾香の「祝福Blessing」をバックにかけてムービー作りたいくらい(笑)。
峯寺におきましては、最新刊の『チベットの歴史と宗教』(チベット政府公認のチベット教科書) も二割引で販売しますので、中国地方の都合の付くチベット・ファンの方、ご参集お願いします。
主宰者の峯松さんから、コメントいただきました
奇しくもリンポチェが峯寺で初灌頂という御縁もあり、始まる前から何だか興奮しております。リンポチェが峯寺にいらっしゃるのは確か今回で6回目。ガンワン先生が亡くなられた後、家族で「馴染み深いリンポチェがまた峯寺に来て今度は彼が灌頂をしてくれたらいいのにね。」という話をしておりました。まさかこんなに早くそのチャンスが訪れるとは思いもよらなかったことです。
ミスター『入中論』は平岡先生の師僧である故ガワン先生のご友人で、ガワン先生の葬儀を主催された方。チベットでは高僧がなくなるとその弟子たちの世話は、通常その高僧の葬儀委員長を行った高僧が引き継ぐ。
ミスター『入中論』はその名の通り、『入中論』の博士として名高く、今回の帰国後、すぐにゲルク派の三大僧院の一つ、セラ大僧院の管長に就任する。あの河口慧海とかが滞在して有名な僧院である。
平岡先生曰く「管長先生になったらお忙しくなるから、そう日本にも来られなくなりますな~。センセもこの機会を逃したらあきまへんえ~」 この大阪弁にのせられて何度大阪に行ったことか(笑)。
ミスター『入中論』の灌頂日程
(1) 3月25日 ヤマーンタカ灌頂 於 清風学園 (終了)
(2) 4月8日 釈尊誕生のお花祭りを記念して釈迦許可灌頂 於 清風学園 (終了)
(3) 4月22日 阿弥陀仏灌頂 於 護国寺 主催 ダライラマ法王事務所 (詳細はこちらから)
(4) 4月28日 観音灌頂 於 東大寺 13:00-16:30 東大寺拝観 16:45-17:30
主催 Samaya プロジェクト (詳細はこちらから)
(1) 3月25日 ヤマーンタカ灌頂 於 清風学園 (終了)
(2) 4月8日 釈尊誕生のお花祭りを記念して釈迦許可灌頂 於 清風学園 (終了)
(3) 4月22日 阿弥陀仏灌頂 於 護国寺 主催 ダライラマ法王事務所 (詳細はこちらから)
(4) 4月28日 観音灌頂 於 東大寺 13:00-16:30 東大寺拝観 16:45-17:30
主催 Samaya プロジェクト (詳細はこちらから)
護国寺様も清風学園も東大寺様もみなダライラマ14世の巡錫された地で、聖者が訪れた場所、すなわち「聖地」となっている。そこにミスター『入中論』というゲルク派屈指の学僧にして行者をお迎えするわけであるから、霊験もあらたか。ご縁のある方は是非ご参集の程を。
東大寺灌頂について平岡センセからコメントいただきました
本尊は馴染みの観音様に致しましたが、内容は悪趣から全て救済するという観音様の灌頂の中ではとても貴重なものです。ミスターは、1960年代にダライ・ラマ法王から授かったそうです。
お付きのテンダル師の父親は元セラの僧侶で、ミスターの友達でしたが、1959年の中国軍侵攻の中、僧侶を辞めて軍隊に入りました。「もし生きて帰って息子が出来たらミスターの弟子にして欲しい」という言葉通り生き残った父親は長男のテンダルをミスターの弟子にしました。
今は年老いたテンダルの父親のため、ミスターは初めてこの灌頂をしたそうです。二回目は海外で活躍する僧侶達の要請でセラ大僧院で、千人以上の僧侶達にこの灌頂を授けました。
今回は三回目です。私も噂に聞くこの灌頂を是非受けてみたいという、個人的思いでミスターにお願いしましたが、観音様にご縁ある方には是非受けて頂きたいと思います。
そしてゴールデンウィークには、ガワン先生縁の出雲の峰寺において、故ガワン先生の高弟チューロ・リンポチェによる白ターラー尊の長寿灌頂が行われる。
チューロ・リンポチェ・デビュー灌頂
◎ 日時 5月3日(木休)
◎ 場所 出雲の峯寺 〒690-2402 島根県雲南市三刀屋町給下1381
◎ プログラム
○午後1時~2時 特別講演会「チベットについての基礎講座」
講師 ダライラマ法王事務所、ルントック氏
○午後2時~午後3時 講演会「仏になるための入門儀礼~灌頂」
講師 早稲田大学教育・総合科学学術院教授 石濱裕美子
○チャイ休憩(インドのミルクティー)
○午後3時半~6時半(予定) ターラー尊長寿の灌頂
◎ 参加費 5,000円
◎ 申込先・お問合せ先 峯寺 電話0854-45-2245 FAX 0854-45-5105 メール mine-tem@bs.kkm.ne.jp
◎ 締め切り 平成24年4月21日(土)
◎ 日時 5月3日(木休)
◎ 場所 出雲の峯寺 〒690-2402 島根県雲南市三刀屋町給下1381
◎ プログラム
○午後1時~2時 特別講演会「チベットについての基礎講座」
講師 ダライラマ法王事務所、ルントック氏
○午後2時~午後3時 講演会「仏になるための入門儀礼~灌頂」
講師 早稲田大学教育・総合科学学術院教授 石濱裕美子
○チャイ休憩(インドのミルクティー)
○午後3時半~6時半(予定) ターラー尊長寿の灌頂
◎ 参加費 5,000円
◎ 申込先・お問合せ先 峯寺 電話0854-45-2245 FAX 0854-45-5105 メール mine-tem@bs.kkm.ne.jp
◎ 締め切り 平成24年4月21日(土)
リンポチェは何と初灌頂。
タニマチ一同としては彼の初舞台をカンペキにプロモートすべく通訳は清風学園校長の平岡センセ、司会はキングオブ山男ペンパさん、前座の講演は私がつとめさせて頂き、法王事務所からはルントクさんがでてお話をされます。
チューロ・リンポチェは東チベットのバタン地域の出身で、10才でインドに亡命し、インドのガンデン大僧院のファラ・地域寮に入り、故ガワン先生に師事された。その後34才でリタンのネゴ僧院(gnas sgo dgon pa)のチューロ・リンポチェの転生僧と認定された。なので、リタンに帰ればネゴ僧院の管長である。35才でガンデン大僧院で博士号(ゲシェ)をとり、その後は密教修行のために、ギュメ大僧院へ。現在41才。
ギュメ大僧院でゲコ(規律僧)をつとめているとき、ダライラマ法王のギュメ来錫があり、法王をお部屋までお迎えするなどの大役をつとめた。というわけで、チューロ・リンポチェの阿闍梨デビューを、タニマチとしては平原綾香の「祝福Blessing」をバックにかけてムービー作りたいくらい(笑)。
峯寺におきましては、最新刊の『チベットの歴史と宗教』(チベット政府公認のチベット教科書) も二割引で販売しますので、中国地方の都合の付くチベット・ファンの方、ご参集お願いします。
主宰者の峯松さんから、コメントいただきました
奇しくもリンポチェが峯寺で初灌頂という御縁もあり、始まる前から何だか興奮しております。リンポチェが峯寺にいらっしゃるのは確か今回で6回目。ガンワン先生が亡くなられた後、家族で「馴染み深いリンポチェがまた峯寺に来て今度は彼が灌頂をしてくれたらいいのにね。」という話をしておりました。まさかこんなに早くそのチャンスが訪れるとは思いもよらなかったことです。
センゲ首相講演
異常に長く続いた冬もやっと終わりいきなり暖かくなった。今年は季節の変わり目が突然きたので梅も桜もボケも沈丁花も一度に咲き出し、季語の世界観は現実によって意味をなくし俳句界はピンチである。
そいえば、去年11月、近所の桜が狂い咲いて、いつ散るのかと観察していたら、極寒の中、ドライフラワーになった(笑)。この桜、今年はどうするつもりなのか観察してみると、ドライフラワーの根本には新芽? 蕾?がある。とにかく何とかするつもりではあるらしい。植物がこんなだと花の蕾をゴハンにする野鳥たちが飢えるんじゃないかと不安。
冬が長い年は春の嵐がしゃれにならないのは気象学の常識。その極めつけの爆弾低気圧が4月3日、関東を襲った。昭和29年同じ形の天気図が日本を襲った時は350人の死者がでた。このようなことにならないように、早いうちから外出を控えるように、会社は三時頃には社員を帰宅させるようにとの呼びかけが行われた。
よりにもよってまさにその暴風直撃の時間帯に、チベット亡命政府の首相センゲ氏の講演会が開かれた。センゲ首相の招聘元は桜井よしこ氏率いる国家基本問題研究所。桜井氏といえば保守のオピニオン・リーダーとして知られている。
永田町の駅を降りて記念館の方に歩き出すと、チベット人Aさんと一緒になった。彼によると今回のセンゲ首相の日本における待遇は非常にいいという(ボディガードがたくさんつくetc.)。それに今回の講演会場も憲政記念館と格式のある場。翌4/4は議員60人との懇談会もあり、首相を一国の長としてお迎えしようとする招聘元の心配りが随所に感じられる。
今回の私の興味は、保守の論客たちがセンゲ首相をまたチベットをどのように理解し、どのような発言をするのか、そしてそれに対してセンゲ首相はどう答えるのかという点であった。
保守がチベットに興味をもつ場合のよくあるパターンとして、チベット問題を、反中国包囲網をつくるためのコマの一つ(その他の想定されるコマとしてはモンゴル、ウイグルなど)とみなすものがある。この場合、彼らはチベット人に対して「中国に対して非暴力ではなく、より過激な行動をとれ」みたいな「ご意見」を行うことが多い。あと、もう一つのパターンとしては、「日本にたよらないで自分たちのことは自分で解決しろ」といったたぐいのもの。
まず、前者のパターンの問題点について述べる。チベット人は自分たちの文化と歴史を守ることを最重要と位置づけており、「国は取り戻したけど、気づいたら伝統を捨てて修羅の道にいました」では意味がないと考え、チベットの文化の根本である仏教にのっとって非暴力で戦っている。そして、扱い難い現実の中国を目の前にしながら、いつもぎりぎりの選択を行ってきた。重要なのはこのチベットの行ってきた選択は、常に当事者中国を除く国際社会の共感を得てきたことである。
このような状況の下で、あえてチベット人の頭越しに何かを「ご意見」するというなら、それは発言者の希望の発露ということになり、発言者が自分では「日本の国益という公益を考えている」と思っていても、外部者の共感を得ない国益の追求は、国家の品格を損なうため、結果としては国益を損なうことになる。なりふり構わず自国の利益を追求した結果、世界中から白眼視されている今の中国などはいい見本例である。
また、二つ目のパターンである、自分の国の問題は自分で解決しろ、という「意見」がいかに国際的にみて恥ずかしいか主張であるかについては、チベット人が求める「自由」「信教の自由」「民主主義」などは人類が普遍的に希求するものであることを考えると理解できるのではないか。
平和的な手段で問題を解決しようとしているチベット人を国際社会が見捨てれば、同じようにひどい状態にある他のマイノリティたちは、絶望して武力闘争に走るだろう。しかし、非暴力で戦うチベットが支援を受けられれば、他のマイノリティたちも平和的な手段で問題を解決しようとするだろう。
というわけで、この二つのパターンの「ご意見」がでるかどうか興味津々だったのだが、結論から先に述べれば、第一パターンのご意見が会場の二人くらいからでたが、それに対して桜井氏が間にはいり、センゲ首相の立場をおもんぱかり、チベット人の立場を理解した上で、日本にどのようなサポートができるか、という方向に話を進めていたので、じつに普通であった。以下、会の要約を行う。
●チベット亡命政府ロプサン・センゲ首相初来日記念シンポジウム
アジアの自由と民主化のうねり 日本は何をなすべきか
第一部(14:00-17:00)のパネリストは、桜井よしこ・亡命政府首相ロプサンセンゲ・田久保忠衛(国家基本問題研究所理事長)
第二部(17:30-19:30)のパネリストは、オルホノド・ダイチン(モンゴル自由連盟党幹事長)、ドルクン・エイサ(世界ウイグル会議事務総長)
平日の昼間ということもあり、聴衆の大半は60-80代のおじいさま。ここならたぶん私は「若い女性」と自称しても石は飛んでこない(笑)。最前列にはたぶんメイン・・オーディエンスの阿部元首相、平沼元経産相、石平(評論家)、劉燕子(小説家)などが並ぶ。
以下、講演内容は要約である。嵐でカバンがぬれてメモの水性ペンが溶け判読不能となった箇所があったので、ここは正確ではないという部分もあると思うが、内容は変わっていないつもりである。第二部については、嵐の最高点で帰宅するのを避けるため第一部の後に会場を出たので記録していません。
桜井よしこ氏「中華人民共和国は建国後、チベットに進駐し、人口600万人の歴史あるチベットを、「国」(nation)と認めず「民族」(ethnic group)と矮小化して、他の54の少数民族と同等に扱った。以来、中国の支配に対するチベット人の抗議はずっと続いている。去年から今年にかけてあいついでおきているチベット人の焼身自殺は、絶望した人が自殺しているのではなく、中国がチベットで行っていることを国際社会に訴えるために行われている。
今日はモンゴルとウイグルからも代表の方をお迎えしているが、両者をセンゲ首相と同じ場で語る場を設けなかったのは、それぞれの民族には異なる事情があり、日本人がそこに介入すべきではないから。まず日本が行うべきことは、チベットの置かれている状況を理解し、その上で何が協力できるかを考えること。日本はふたたび世界の手本となるようにならなればならない。
次に、センゲ首相のハーバートで学び、アジアのヤング・リーダー20人にも選ばれたという国際派であるというプロフィールが紹介される。
そして国家基本問題研究所の副理事で田久保さんが「ジェネラリスト」の立場から、現在のチベット情勢を説明。彼は(1) 中東からはじまった民主化のうねりは、ユーラシアにも到達していること。(2) インターネットという新しい通信技術を通じて民主・人権・法治という西洋の価値官を多くの人が共有できるようになり、民主化にはずみがついていること、この二つの要素を中心に話した。
田久保「でジャスミン革命に端を発した民主化のうねりにより、この1年で中東から四人の独裁者(チュニジア、エジプト、リビア、スーダン)が消えた。この流れはユーラシアにも及んでいる。中国はジャスミン革命の波及を力で押さえ込んでいるものの、じつはすでに中国に到達している証がある。実例を挙げると、香港で今年一月、香港最大の民主派団体の初代首席・司徒華の追悼集会が行われた際、2000人が集まって、「ジャスミンの花開く」という江蘇省の民謡を歌った。もちろん中国の民主化を期待するが故の行動である。中国ではジャスミンという言葉は検閲対象になっているが、江沢民の故郷の歌なので、この歌までは規制できなかった。
またもう一つの例としては広東省の烏炊村という村で自由選挙が実現したことがあげられる。この村では地方政府が開発業者とともに村民の土地を強制収用していたが、村民が頑強に抵抗し続けた結果、自由選挙が実現した。
また、去年の11月から急速に進んだビルマの民主化もジャスミン革命の影響である。中国政府がビルマ(ミャンマー)の軍事政権に働きかけて始まったミッソン・ダム、プロジェクトについて「ダムが建設されれば環境破壊となり、ダムが作る電気は90%中国に送られる」とビルマの国民が反対したため、テイン・セイン大統領は去年9月、一転してこのダム建設事業を白紙に戻した(関連記事はここにリンク)。
その後のビルマの中国離れ、国際社会への歩み寄りは急で、スーチーさんの政治参加を認め、11月末にはクリントン国務省がビルマを訪問し、政治犯の釈放も行われた。このような急激な変化は事前には予想されていなかった。
ロシアでおきた反プーチンデモもジャスミン革命の影響。臺灣については大丈夫。民主臺灣の本質は簡単にはゆらがない。
このように続く流れの中で、中国の側についているのは今や北朝鮮だけ。北朝鮮が韓国の哨戒艇を撃沈し延坪島砲撃した際、国連が非難決議をだそうとしても中国の反対で、北朝鮮を名指しすることができなかった。
アメリカには二つの政策があり、まず、手をさしのべる政策であり、中国を国際社会の土俵にあげることによって世界のルールを学ばせ、守らせ、両国関係を軟着陸させるというもの。もう一つの政策はその逆のヘッジングすなわち、軍備を増強し、同盟を強化し、備えること。今は後者に力点が置かれている。
このように、ジャスミン革命の影響は確実にユーラシアに及んでおり、民主化を求める人々の願いに火がつくようなことがあれば、一気に燃え上がり、状況は変わるはず、と希望的観測も含めて言っておきたい。
続いてセンゲ首相の講演。
センゲ首相「今日は嵐の中お集まり頂きありがとうございました。このような天候をおして来られた方は〔中途半端な興味ではなく〕決意をもって参加された方々ということでしょう。桜井よしこ氏がダラムサラを訪問された時も、悪天候でフライトがキャンセルされましたが、車でダラムサラまで来てくれました。決意をもっておられたため来られたのだと思います。
自由は普遍的です。民主主義も普遍的なものです。キリスト教世界にも仏教世界にも神道にも民主主義は含まれています。イスラーム世界でジャスミン革命が起きたことをみれば、イスラーム教にも民主主義が存在することは分かります。〔無宗教という宗教を奉じる〕中国人だって毎日ジャスミン茶を飲んでいるのだから、民主主義を内包しています(笑)。
ですから、「アジアは特殊である〔注: 民主主義は欧米の論理であり、それをアジアの独裁国家におしつけるのは欧米の独善だという考え方〕」という論法は間違っています。
ダライラマ法王は世界中で「中国は聞く耳をもたないのだから、対話はムリだ、もっと現実的になれ」と言われます。そのとき法王は「世界にとって中国は新しい脅威だろうが、チベットはずっと隣国にあって彼らをみてきた。ダライラマ13世は1913年に亡命先のシッキムからチベットに戻り、中国人をチベットから追放し、チベットの独立を宣言した。ダライラマ14世にだって同じことはありえる。中国人との接し方は我々の遺伝子に組み込まれている。
わたしはハーバート大をでましたが、アメリカで学んだことをもって、チベットの役に立ちたいとチベットに戻ってきました。
私は1968年にチベット本土からインドに亡命したチベット人両親の間に生まれました。
私が育ったのはダージリン近郊の小さな村です。二年前に里帰りしましたが、今もあまり大きくなっていませんでした。子供の頃は本当に質素な生活で、三ヶ月間毎日イモカレーとか、次の三ヶ月は大根カレーとか同じものを食べつづけていましたが、飢えることはありませんでした。亡命政府が難民の世話をしていたからです。それからフルブライト奨学金をもらってハーバートへいきました。
私のような普通のチベット人が〔難民社会の〕選挙で首相に選ばれたのは、チベットの選挙が民主的に行われたものであることを示しています。
私の名前が候補者リストに登録されたのは友達がふざけてやったものです。選挙が進むにつれて私なんかが候補者になっていいものかと何度も辞退を考えました。しかし、自由を求める戦いであるため、簡単に辞退はできませんでした。それに聞いてみると「あなたに投票する人はあまりいないから、名前を残していても大丈夫だ」と言われたので、名前を残しました。
他の候補者とは選挙戦の中で13回討論しましたがよい友人です。世界中に分散した難民居留地をまわるため、時には〔町外れの難民居留地を訪れるため〕同じタクシーに同乗したこともありますし、いっしょに食事もしました。
チベット難民の居留地は四千メートルの高地から、マイナス四十度からプラス四十度の地までそれは多様でした。それでもチベット人は自分たちの指導者を自分で選ぶために、投票所に足を運びました。
選挙戦が終わる10日前にダライラマ猊下が「自らの政治権力を新しい首相にゆずる」といった際にも、あまりの責任の重さに辞退も考えました。しかしやはり自由のための戦いということで身を引くことはできず、これは私のカルマだと思うことにしました。
なぜ私が選ばれたのか今も分かりません。
※ ダライラマ法王をたてていること、さらに、自分が選ばれたことについてもカルマ(業)だといっていることなどから、チベット社会の謙譲の美徳の伝統をきちんと踏まえている。
亡命政権は〔小さいながら〕国家としての機能を有しています。三権は分立しており、省庁を有し、世界の主要都市に代表部をおき、各国にちらばるチベット人学校を運営し、奨学金制度も有しています。
私の仕事は非常に難しいものです。私がどこかの国を訪れるとその地の中国大使館は忙しくなります(会場爆笑)。私が会いたいといった人には、中国大使館からの圧力が加えられます。日本はアジアで初の私の寄港先です。
今までにチベットでは33人の方が焼身しました。生命が貴重なものであることはみなが知っています。誰だって生きるチャンスがあれば生きたいと思うでしょう。ではなぜ33人は自らに火をつけたのでしょうか。それは状況が耐え難かったからです。彼らは命を投げだして、世界にメッセージを送り続けているのです。「チベットに支援を」と。
チュニジアの革命は世界が支援しました。チベットにもこれまで多くの支援がなされてきており、それには心の底から本当に感謝しています。しかし、効果的な支援という意味ではどうでしょう。北京政府が心を入れ替えるまで何人のチベット人が死ななければならないのでしょうか。
焼身抗議が起きることについて、中国は「ダライラマが悪い」といいますが、北京政府がチベットの弾圧をやめれば焼身は止まります。北京は「焼身は仏教の教えに悖る」といいますが、仏教を信じない共産党が我々に仏教を説教するというのもおかしな話しです。
文革では7000の僧院(チベット文化の根幹)が壊されました。今も弾圧は続いています。インドの難民社会では毎日祈り、本土との連帯を示しています。焼身した人は「ダライラマのチベットへの帰還を」と叫んでいます。日本には去年も、そして今年もダライラマ法王が来られているそうですね、日本人はダライラマにお会いしたいと思えばお会いすることができますが、本土のチベット人はダライラマにあうことができません。
自由を求める運動の重要な一部分を日本人は担っています。日本は伝統的な社会と民主主義が共存した社会です。チベット問題への日本の支援をお願いしたいと思います。
以下、桜井氏との対談。
桜井「このてづまりの状況をどう打開しますか」
センゲ首相「本当の自治を求めていきます。国際社会をまきこんだ形で北京政府との対話を再開したいと思います。」
桜井 「中国政府が行っている同化政策をどう思いますか。」
センゲ首相「チベットは近代化を否定しないが、伝統と近代は両方重視されなくてはなりません。亡命政府には2200万ドルの慎ましい額の予算があり、ここから伝統の維持をするための費用をまかなっています。難民の医療、チベット語教育を行う学校の運営、奨学金などを出しています。亡命政権の予算はワシントンの日本大使館の予算と同じ規模だと聞いています。私は亡命政権でもっとも給料を頂いておりますが、ハーバート大学で研究員をやっていた時はもっともらっていました(笑)。
みな、チベットのためにがんばっています。この会場はエアコンがきいていて、外の嵐の影響を受けていませんが、ダラムサラの議場にはエアコンがないので、冬はあまりに寒く、外の方が暖かいので、体を温めるために外にでてひなたぼっこしてから議事に戻るなどをしています。
桜井 「次のダライラマ法王について」
センゲ首相「次のダライラマを中国政府は自ら選ぶといっていますが、今、中国政府はダライラマを悪魔と罵っています。悪魔を再び選ぶというのもおかしな話です。また、共産主義は転生を信じておりません。もし信じているのなら毛沢東の転生者でも選んでいるでしょう。転生を信じていないものがダライラマを選ぶことはできません。昨年九月、次代のダライラマの選定法についてはダライラマ14世が詔勅をだしています。それをご参照ください。
次代のダライラマについて、法王は「九十才になってから考える」とおっしゃっていますが、90という年齢にはあまり意味がないと思いますよ。あまりにも世界各地で同じ質問をされるのでとりあえず90という年齢をあげているだけだと思います。
私は次のダライラマが選定されるまでの代理ステップです。このシステムがうまくいったことを示すべく私はここにいます。
桜井氏「実は、ここには中国の方も来ています。石平さんと劉燕子さんです」と紹介すると、センゲ首相は「日本人がたくさんいるここでは、あなたたち中国人も少数民族ですね」とジョーク。
※全体にこのセンゲ首相のユーモアはダライラマ法王同様、ブラックでなく洗練されている。
石平氏「中国人としてこの場にいるのがいたたまれません。この場を借りてお詫びしたいと思います。チベットがいくら対話をといっても中国は話し合いに応じないでしょう。独立を求めてもいいのではないでしょうか」
劉燕子さん「広東省の烏炊村で自由選挙が行われたように、まずチベットでも村レベルから自分たちの長を選ぶことからできればいいと思います」などと発言。
センゲ首相「チベットはアジアのあらゆる大河の水源です。これからは水を奪い合う世紀となるので、水は白い金とも呼ばれています。そのため、中国はなかなかチベットを手放しません。だからといって、チベットは非暴力を捨てません。仏教を護持することがわれわれのなすべきことです。仏教は慈悲と平和を説きます。非暴力はこの仏の教えに則っています。国際社会の支援が得られようが得られまいが、非暴力でいきます。
「なぜ中国に対話を求めるのか」といえば、チベット・中国両者がWin Winの関係にならないと状況は動かないからです。中国の憲法の第四条に特別行政区を認める件があり、この条文の範囲内でチベットに真の自治を行うことは可能です。
しかし、中国は香港や台湾や烏炊村にはみとめた自治をチベット人に決して認めようとはしません。それは、香港や烏炊村や臺灣の人たちは北京政府の目から見ると「中国人」ですが、チベット人は中国人ではないからです。烏炊村の人たちは抗議をすれば、自由選挙が認められますが、チベット人は平和的なデモを行っても、射殺されます。これは人種問題でもあります。
チベット人は二等市民扱いなのです。
劉暁波は08憲章で中国に連邦制を施行せよと書いただけで投獄されました。他に方法がないからチベット人は焼身を行っているのです。
状況は確かに厳しく、中国と対話を行うことは難しいです。
しかし、マハトマ・ガンディーはイギリス政府と、ネルソン・マンデラは南アの大統領と、アウンサン・スーチー氏はテイン・セイン大統領と対話して状況を打開しました。
チベット問題を中国にとって不利益だと思わせないといけません。
もし平和的な手法で自らの文化を守ろうとしているチベットを国際社会が支援すれば、同じような立場にある他の少数者もそれにならいます。しかし、もし国際社会がチベットを無視すれば、同じような立場にある人たちも、「平和的な手段では自分たちの権利は得られない、暴力的な手法に訴えよう」と考えるようになるでしょう。
聴衆A「インドと中国の関係をどう思うか」
センゲ首相「1959年に中印国境紛争がおきて中国とインドの間には、国境線をめぐる長い対立の歴史があります。インドは本当に暖かくチベット人を受け入れてくれています。これは変わらないと信じています。
聴衆B「モンゴル人が相撲界に入って横綱などになることによって、日本人の中ではモンゴルに対する知名度が抜群にあがった。チベット人も日本に留学させてはどうか」
センゲ首相「もちろんそうしたいのですが、亡命政府の予算も限られておりますので。」
聴衆C「北朝鮮、イランの人々も、個人のレベルでは家族の幸せを考えていて、平和を望んでいます。しかし、この上に宗教とか国家とかが関わると争いになります。宗教とかやめて、スポーツとか音楽とかで人と人が交流することが大切なのではないか。」
桜井氏「中国においては無宗教がむしろ、道徳観のなさにつながっているという面もあります。」
ようゆった。聴衆C、チベット仏教をなめるな。800年前からモンゴル人、満洲人を信徒にしてアジアの平和に貢献してきたのだ。
翌四日、センゲ首相は超党派の国会議員60人と懇談。1997年に設立された「チベット問題を考える議員連盟」が、中国の工作を避けるため秘密結社化しているなか(笑)、ひさびさに顔の見える形でチベット支援の国会議員が表舞台に出てきた。以下それを伝える新聞記事とその時行われた決議文を備忘のためにあげておく。
チベット首相招き中国非難決議採択 超党派議連
産経新聞2012.4.4 19:54
民主、自民両党などの超党派議員約60人が4日、チベット亡命政府のロブサン・センゲ首相との会合を国会内で開き、中国政府に亡命政権との直接対話の再開を求め、中国によるチベット人弾圧を非難する決議を採択。センゲ首相は「チベットは中国の侵攻後、ずっと苦しんできた。抗議の焼身自殺を図るチベット人が選んだ悲劇的な死を無駄にしない」と述べた。
日本国国会議員有志によるチベット人弾圧に関する決議
Resolution on repression against Tibetans by willing members of the Diet in Japan (Draft)
ロブサン・センゲ首相からチベットの実情を聞く議員有志の会
The group of willing members of the Diet to learn the situation in Tibet from Tibetan Prime Minister Lobsang Sangay who is the political leader after the devolution of power by his authority his holiness the Dalai Lama
2012/04/04
真の友好的日中関係は、中国政府はもとより中国国民との間に築かれるべきものである。よって、すべての中国国民の人権と尊厳の尊重及び真の友好的日中関係の構築を目指し、本日、ここに参集した有志国会議員一同は、以下決議する。
The true bond of friendship between China and Japan should be built with the Chinese government as well as Chinese people. Therefore, for the realization of the human rights and dignity of all the Chinese people and to build a true bond of friendship between China and Japan, we, the willing members of the Diet who gather here today, pass a resolution as follows;
1.2011年3月以来チベット人による抗議の焼身自殺が相次いでいる事態に深い憂慮の念を示すと共に、中国政府に対し、基本的自由の制限、仏僧院に対する懲罰的な治安措置、「愛国教育」の強制など、抗議の焼身自殺の原因となっているチベット人居住地域の人権問題を包括的に検証し、これを解決するために抜本的な政策の見直しを行うよう求める。
1. We express our deep concern regarding continuing self-immolations of Tibetans since March 2011 and call on the Chinese government to carry out a comprehensive review of the human rights situation which is the cause of protests that have led Tibetans to set themselves on fire across the Tibetan plateau, including restrictions on basic freedoms, punitive security measures imposed on a number of monasteries in the area and government-enforced “patriotic education”, and to fundamentally rethink its approach to address this situation;
2.中国政府に対し、焼身自殺を図った後現場から連行された僧侶や一般のチベット人の身柄や遺体、その他拘束された僧侶の所在を含む安否情報及び拘束の根拠を開示することを求める。
2. We call on the Chinese government to provide information about monks and lay Tibetans detained following the self-immolations or who have died by self-immolation, including their current whereabouts and well-being, and the reason for detention;
3.2008年のチベット一斉蜂起以来、チベット人居住地域へのジャーナリストや外国人のアクセスが引き続き厳しく制限され、中国政府の政治・宗教・文化・経済政策に異議を唱えたとみなされたチベット人に過酷な処罰が科される強行策が継続している事態に抗議し、中国政府に対し、チベット人居住地域における自由な移動や自由な表現・報道を許可するよう求める。
3. We protest the continuing situation that journalists and foreigners have been banned from visiting the Tibetan plateau since the protests of 2008 and Tibetans suspected of being critical of political, religious, cultural, or economic state policies are targets of severe persecution. We call on the Chinese government to permit free expression, free press, and freedom of movement within the Tibetan plateau;
4.中国政府に対し、チベット亡命政権との直接かつ真摯な対話を早急に再開するよう求める。
4. We call on the Chinese government to promptly resume direct and meaningful dialogue with the Tibetan government in exile;
5.中国政府に対し、宗教と信仰の自由に関する国連特別報告者による国内訪問を早急に受け入れるとともに、人権弾圧を直ちに停止するよう強く求める。
5. We call on the Chinese government to respond positively to outstanding visit request from the Special Rapporteur on freedom of religion or belief and halt repression of human rights immediately;
長年にわたるチベット人の権利に対する制約こそが、抗議の焼身自殺の原因である。中国政府は、チベット人の抗議に対し真摯に耳を傾け、その政策を根本的に見直すべきである。チベット人の権利が尊重された真の「調和社会」中国こそが、日本が真摯な戦略的互恵関係を結ぶことのできる中国であると信じる。
Years of restrictions on Tibetans’ rights are the underlying causes of protests by way of self-immolations. It is clearly time for the Chinese government to fundamentally rethink its approach by listening to and addressing Tibetans’ grievances. We believe that if China realizes a truly “harmonious society” by respecting Tibetans’ rights, then Japan and China will be able to build a truly meaningful partnership of strategic benefit.
以上
そいえば、去年11月、近所の桜が狂い咲いて、いつ散るのかと観察していたら、極寒の中、ドライフラワーになった(笑)。この桜、今年はどうするつもりなのか観察してみると、ドライフラワーの根本には新芽? 蕾?がある。とにかく何とかするつもりではあるらしい。植物がこんなだと花の蕾をゴハンにする野鳥たちが飢えるんじゃないかと不安。
冬が長い年は春の嵐がしゃれにならないのは気象学の常識。その極めつけの爆弾低気圧が4月3日、関東を襲った。昭和29年同じ形の天気図が日本を襲った時は350人の死者がでた。このようなことにならないように、早いうちから外出を控えるように、会社は三時頃には社員を帰宅させるようにとの呼びかけが行われた。
よりにもよってまさにその暴風直撃の時間帯に、チベット亡命政府の首相センゲ氏の講演会が開かれた。センゲ首相の招聘元は桜井よしこ氏率いる国家基本問題研究所。桜井氏といえば保守のオピニオン・リーダーとして知られている。
永田町の駅を降りて記念館の方に歩き出すと、チベット人Aさんと一緒になった。彼によると今回のセンゲ首相の日本における待遇は非常にいいという(ボディガードがたくさんつくetc.)。それに今回の講演会場も憲政記念館と格式のある場。翌4/4は議員60人との懇談会もあり、首相を一国の長としてお迎えしようとする招聘元の心配りが随所に感じられる。
今回の私の興味は、保守の論客たちがセンゲ首相をまたチベットをどのように理解し、どのような発言をするのか、そしてそれに対してセンゲ首相はどう答えるのかという点であった。
保守がチベットに興味をもつ場合のよくあるパターンとして、チベット問題を、反中国包囲網をつくるためのコマの一つ(その他の想定されるコマとしてはモンゴル、ウイグルなど)とみなすものがある。この場合、彼らはチベット人に対して「中国に対して非暴力ではなく、より過激な行動をとれ」みたいな「ご意見」を行うことが多い。あと、もう一つのパターンとしては、「日本にたよらないで自分たちのことは自分で解決しろ」といったたぐいのもの。
まず、前者のパターンの問題点について述べる。チベット人は自分たちの文化と歴史を守ることを最重要と位置づけており、「国は取り戻したけど、気づいたら伝統を捨てて修羅の道にいました」では意味がないと考え、チベットの文化の根本である仏教にのっとって非暴力で戦っている。そして、扱い難い現実の中国を目の前にしながら、いつもぎりぎりの選択を行ってきた。重要なのはこのチベットの行ってきた選択は、常に当事者中国を除く国際社会の共感を得てきたことである。
このような状況の下で、あえてチベット人の頭越しに何かを「ご意見」するというなら、それは発言者の希望の発露ということになり、発言者が自分では「日本の国益という公益を考えている」と思っていても、外部者の共感を得ない国益の追求は、国家の品格を損なうため、結果としては国益を損なうことになる。なりふり構わず自国の利益を追求した結果、世界中から白眼視されている今の中国などはいい見本例である。
また、二つ目のパターンである、自分の国の問題は自分で解決しろ、という「意見」がいかに国際的にみて恥ずかしいか主張であるかについては、チベット人が求める「自由」「信教の自由」「民主主義」などは人類が普遍的に希求するものであることを考えると理解できるのではないか。
平和的な手段で問題を解決しようとしているチベット人を国際社会が見捨てれば、同じようにひどい状態にある他のマイノリティたちは、絶望して武力闘争に走るだろう。しかし、非暴力で戦うチベットが支援を受けられれば、他のマイノリティたちも平和的な手段で問題を解決しようとするだろう。
というわけで、この二つのパターンの「ご意見」がでるかどうか興味津々だったのだが、結論から先に述べれば、第一パターンのご意見が会場の二人くらいからでたが、それに対して桜井氏が間にはいり、センゲ首相の立場をおもんぱかり、チベット人の立場を理解した上で、日本にどのようなサポートができるか、という方向に話を進めていたので、じつに普通であった。以下、会の要約を行う。
●チベット亡命政府ロプサン・センゲ首相初来日記念シンポジウム
アジアの自由と民主化のうねり 日本は何をなすべきか
第一部(14:00-17:00)のパネリストは、桜井よしこ・亡命政府首相ロプサンセンゲ・田久保忠衛(国家基本問題研究所理事長)
第二部(17:30-19:30)のパネリストは、オルホノド・ダイチン(モンゴル自由連盟党幹事長)、ドルクン・エイサ(世界ウイグル会議事務総長)
平日の昼間ということもあり、聴衆の大半は60-80代のおじいさま。ここならたぶん私は「若い女性」と自称しても石は飛んでこない(笑)。最前列にはたぶんメイン・・オーディエンスの阿部元首相、平沼元経産相、石平(評論家)、劉燕子(小説家)などが並ぶ。
以下、講演内容は要約である。嵐でカバンがぬれてメモの水性ペンが溶け判読不能となった箇所があったので、ここは正確ではないという部分もあると思うが、内容は変わっていないつもりである。第二部については、嵐の最高点で帰宅するのを避けるため第一部の後に会場を出たので記録していません。
桜井よしこ氏「中華人民共和国は建国後、チベットに進駐し、人口600万人の歴史あるチベットを、「国」(nation)と認めず「民族」(ethnic group)と矮小化して、他の54の少数民族と同等に扱った。以来、中国の支配に対するチベット人の抗議はずっと続いている。去年から今年にかけてあいついでおきているチベット人の焼身自殺は、絶望した人が自殺しているのではなく、中国がチベットで行っていることを国際社会に訴えるために行われている。
今日はモンゴルとウイグルからも代表の方をお迎えしているが、両者をセンゲ首相と同じ場で語る場を設けなかったのは、それぞれの民族には異なる事情があり、日本人がそこに介入すべきではないから。まず日本が行うべきことは、チベットの置かれている状況を理解し、その上で何が協力できるかを考えること。日本はふたたび世界の手本となるようにならなればならない。
次に、センゲ首相のハーバートで学び、アジアのヤング・リーダー20人にも選ばれたという国際派であるというプロフィールが紹介される。
そして国家基本問題研究所の副理事で田久保さんが「ジェネラリスト」の立場から、現在のチベット情勢を説明。彼は(1) 中東からはじまった民主化のうねりは、ユーラシアにも到達していること。(2) インターネットという新しい通信技術を通じて民主・人権・法治という西洋の価値官を多くの人が共有できるようになり、民主化にはずみがついていること、この二つの要素を中心に話した。
田久保「でジャスミン革命に端を発した民主化のうねりにより、この1年で中東から四人の独裁者(チュニジア、エジプト、リビア、スーダン)が消えた。この流れはユーラシアにも及んでいる。中国はジャスミン革命の波及を力で押さえ込んでいるものの、じつはすでに中国に到達している証がある。実例を挙げると、香港で今年一月、香港最大の民主派団体の初代首席・司徒華の追悼集会が行われた際、2000人が集まって、「ジャスミンの花開く」という江蘇省の民謡を歌った。もちろん中国の民主化を期待するが故の行動である。中国ではジャスミンという言葉は検閲対象になっているが、江沢民の故郷の歌なので、この歌までは規制できなかった。
またもう一つの例としては広東省の烏炊村という村で自由選挙が実現したことがあげられる。この村では地方政府が開発業者とともに村民の土地を強制収用していたが、村民が頑強に抵抗し続けた結果、自由選挙が実現した。
また、去年の11月から急速に進んだビルマの民主化もジャスミン革命の影響である。中国政府がビルマ(ミャンマー)の軍事政権に働きかけて始まったミッソン・ダム、プロジェクトについて「ダムが建設されれば環境破壊となり、ダムが作る電気は90%中国に送られる」とビルマの国民が反対したため、テイン・セイン大統領は去年9月、一転してこのダム建設事業を白紙に戻した(関連記事はここにリンク)。
その後のビルマの中国離れ、国際社会への歩み寄りは急で、スーチーさんの政治参加を認め、11月末にはクリントン国務省がビルマを訪問し、政治犯の釈放も行われた。このような急激な変化は事前には予想されていなかった。
ロシアでおきた反プーチンデモもジャスミン革命の影響。臺灣については大丈夫。民主臺灣の本質は簡単にはゆらがない。
このように続く流れの中で、中国の側についているのは今や北朝鮮だけ。北朝鮮が韓国の哨戒艇を撃沈し延坪島砲撃した際、国連が非難決議をだそうとしても中国の反対で、北朝鮮を名指しすることができなかった。
アメリカには二つの政策があり、まず、手をさしのべる政策であり、中国を国際社会の土俵にあげることによって世界のルールを学ばせ、守らせ、両国関係を軟着陸させるというもの。もう一つの政策はその逆のヘッジングすなわち、軍備を増強し、同盟を強化し、備えること。今は後者に力点が置かれている。
このように、ジャスミン革命の影響は確実にユーラシアに及んでおり、民主化を求める人々の願いに火がつくようなことがあれば、一気に燃え上がり、状況は変わるはず、と希望的観測も含めて言っておきたい。
続いてセンゲ首相の講演。
センゲ首相「今日は嵐の中お集まり頂きありがとうございました。このような天候をおして来られた方は〔中途半端な興味ではなく〕決意をもって参加された方々ということでしょう。桜井よしこ氏がダラムサラを訪問された時も、悪天候でフライトがキャンセルされましたが、車でダラムサラまで来てくれました。決意をもっておられたため来られたのだと思います。
自由は普遍的です。民主主義も普遍的なものです。キリスト教世界にも仏教世界にも神道にも民主主義は含まれています。イスラーム世界でジャスミン革命が起きたことをみれば、イスラーム教にも民主主義が存在することは分かります。〔無宗教という宗教を奉じる〕中国人だって毎日ジャスミン茶を飲んでいるのだから、民主主義を内包しています(笑)。
ですから、「アジアは特殊である〔注: 民主主義は欧米の論理であり、それをアジアの独裁国家におしつけるのは欧米の独善だという考え方〕」という論法は間違っています。
ダライラマ法王は世界中で「中国は聞く耳をもたないのだから、対話はムリだ、もっと現実的になれ」と言われます。そのとき法王は「世界にとって中国は新しい脅威だろうが、チベットはずっと隣国にあって彼らをみてきた。ダライラマ13世は1913年に亡命先のシッキムからチベットに戻り、中国人をチベットから追放し、チベットの独立を宣言した。ダライラマ14世にだって同じことはありえる。中国人との接し方は我々の遺伝子に組み込まれている。
わたしはハーバート大をでましたが、アメリカで学んだことをもって、チベットの役に立ちたいとチベットに戻ってきました。
私は1968年にチベット本土からインドに亡命したチベット人両親の間に生まれました。
私が育ったのはダージリン近郊の小さな村です。二年前に里帰りしましたが、今もあまり大きくなっていませんでした。子供の頃は本当に質素な生活で、三ヶ月間毎日イモカレーとか、次の三ヶ月は大根カレーとか同じものを食べつづけていましたが、飢えることはありませんでした。亡命政府が難民の世話をしていたからです。それからフルブライト奨学金をもらってハーバートへいきました。
私のような普通のチベット人が〔難民社会の〕選挙で首相に選ばれたのは、チベットの選挙が民主的に行われたものであることを示しています。
私の名前が候補者リストに登録されたのは友達がふざけてやったものです。選挙が進むにつれて私なんかが候補者になっていいものかと何度も辞退を考えました。しかし、自由を求める戦いであるため、簡単に辞退はできませんでした。それに聞いてみると「あなたに投票する人はあまりいないから、名前を残していても大丈夫だ」と言われたので、名前を残しました。
他の候補者とは選挙戦の中で13回討論しましたがよい友人です。世界中に分散した難民居留地をまわるため、時には〔町外れの難民居留地を訪れるため〕同じタクシーに同乗したこともありますし、いっしょに食事もしました。
チベット難民の居留地は四千メートルの高地から、マイナス四十度からプラス四十度の地までそれは多様でした。それでもチベット人は自分たちの指導者を自分で選ぶために、投票所に足を運びました。
選挙戦が終わる10日前にダライラマ猊下が「自らの政治権力を新しい首相にゆずる」といった際にも、あまりの責任の重さに辞退も考えました。しかしやはり自由のための戦いということで身を引くことはできず、これは私のカルマだと思うことにしました。
なぜ私が選ばれたのか今も分かりません。
※ ダライラマ法王をたてていること、さらに、自分が選ばれたことについてもカルマ(業)だといっていることなどから、チベット社会の謙譲の美徳の伝統をきちんと踏まえている。
亡命政権は〔小さいながら〕国家としての機能を有しています。三権は分立しており、省庁を有し、世界の主要都市に代表部をおき、各国にちらばるチベット人学校を運営し、奨学金制度も有しています。
私の仕事は非常に難しいものです。私がどこかの国を訪れるとその地の中国大使館は忙しくなります(会場爆笑)。私が会いたいといった人には、中国大使館からの圧力が加えられます。日本はアジアで初の私の寄港先です。
今までにチベットでは33人の方が焼身しました。生命が貴重なものであることはみなが知っています。誰だって生きるチャンスがあれば生きたいと思うでしょう。ではなぜ33人は自らに火をつけたのでしょうか。それは状況が耐え難かったからです。彼らは命を投げだして、世界にメッセージを送り続けているのです。「チベットに支援を」と。
チュニジアの革命は世界が支援しました。チベットにもこれまで多くの支援がなされてきており、それには心の底から本当に感謝しています。しかし、効果的な支援という意味ではどうでしょう。北京政府が心を入れ替えるまで何人のチベット人が死ななければならないのでしょうか。
焼身抗議が起きることについて、中国は「ダライラマが悪い」といいますが、北京政府がチベットの弾圧をやめれば焼身は止まります。北京は「焼身は仏教の教えに悖る」といいますが、仏教を信じない共産党が我々に仏教を説教するというのもおかしな話しです。
文革では7000の僧院(チベット文化の根幹)が壊されました。今も弾圧は続いています。インドの難民社会では毎日祈り、本土との連帯を示しています。焼身した人は「ダライラマのチベットへの帰還を」と叫んでいます。日本には去年も、そして今年もダライラマ法王が来られているそうですね、日本人はダライラマにお会いしたいと思えばお会いすることができますが、本土のチベット人はダライラマにあうことができません。
自由を求める運動の重要な一部分を日本人は担っています。日本は伝統的な社会と民主主義が共存した社会です。チベット問題への日本の支援をお願いしたいと思います。
以下、桜井氏との対談。
桜井「このてづまりの状況をどう打開しますか」
センゲ首相「本当の自治を求めていきます。国際社会をまきこんだ形で北京政府との対話を再開したいと思います。」
桜井 「中国政府が行っている同化政策をどう思いますか。」
センゲ首相「チベットは近代化を否定しないが、伝統と近代は両方重視されなくてはなりません。亡命政府には2200万ドルの慎ましい額の予算があり、ここから伝統の維持をするための費用をまかなっています。難民の医療、チベット語教育を行う学校の運営、奨学金などを出しています。亡命政権の予算はワシントンの日本大使館の予算と同じ規模だと聞いています。私は亡命政権でもっとも給料を頂いておりますが、ハーバート大学で研究員をやっていた時はもっともらっていました(笑)。
みな、チベットのためにがんばっています。この会場はエアコンがきいていて、外の嵐の影響を受けていませんが、ダラムサラの議場にはエアコンがないので、冬はあまりに寒く、外の方が暖かいので、体を温めるために外にでてひなたぼっこしてから議事に戻るなどをしています。
桜井 「次のダライラマ法王について」
センゲ首相「次のダライラマを中国政府は自ら選ぶといっていますが、今、中国政府はダライラマを悪魔と罵っています。悪魔を再び選ぶというのもおかしな話です。また、共産主義は転生を信じておりません。もし信じているのなら毛沢東の転生者でも選んでいるでしょう。転生を信じていないものがダライラマを選ぶことはできません。昨年九月、次代のダライラマの選定法についてはダライラマ14世が詔勅をだしています。それをご参照ください。
次代のダライラマについて、法王は「九十才になってから考える」とおっしゃっていますが、90という年齢にはあまり意味がないと思いますよ。あまりにも世界各地で同じ質問をされるのでとりあえず90という年齢をあげているだけだと思います。
私は次のダライラマが選定されるまでの代理ステップです。このシステムがうまくいったことを示すべく私はここにいます。
桜井氏「実は、ここには中国の方も来ています。石平さんと劉燕子さんです」と紹介すると、センゲ首相は「日本人がたくさんいるここでは、あなたたち中国人も少数民族ですね」とジョーク。
※全体にこのセンゲ首相のユーモアはダライラマ法王同様、ブラックでなく洗練されている。
石平氏「中国人としてこの場にいるのがいたたまれません。この場を借りてお詫びしたいと思います。チベットがいくら対話をといっても中国は話し合いに応じないでしょう。独立を求めてもいいのではないでしょうか」
劉燕子さん「広東省の烏炊村で自由選挙が行われたように、まずチベットでも村レベルから自分たちの長を選ぶことからできればいいと思います」などと発言。
センゲ首相「チベットはアジアのあらゆる大河の水源です。これからは水を奪い合う世紀となるので、水は白い金とも呼ばれています。そのため、中国はなかなかチベットを手放しません。だからといって、チベットは非暴力を捨てません。仏教を護持することがわれわれのなすべきことです。仏教は慈悲と平和を説きます。非暴力はこの仏の教えに則っています。国際社会の支援が得られようが得られまいが、非暴力でいきます。
「なぜ中国に対話を求めるのか」といえば、チベット・中国両者がWin Winの関係にならないと状況は動かないからです。中国の憲法の第四条に特別行政区を認める件があり、この条文の範囲内でチベットに真の自治を行うことは可能です。
しかし、中国は香港や台湾や烏炊村にはみとめた自治をチベット人に決して認めようとはしません。それは、香港や烏炊村や臺灣の人たちは北京政府の目から見ると「中国人」ですが、チベット人は中国人ではないからです。烏炊村の人たちは抗議をすれば、自由選挙が認められますが、チベット人は平和的なデモを行っても、射殺されます。これは人種問題でもあります。
チベット人は二等市民扱いなのです。
劉暁波は08憲章で中国に連邦制を施行せよと書いただけで投獄されました。他に方法がないからチベット人は焼身を行っているのです。
状況は確かに厳しく、中国と対話を行うことは難しいです。
しかし、マハトマ・ガンディーはイギリス政府と、ネルソン・マンデラは南アの大統領と、アウンサン・スーチー氏はテイン・セイン大統領と対話して状況を打開しました。
チベット問題を中国にとって不利益だと思わせないといけません。
もし平和的な手法で自らの文化を守ろうとしているチベットを国際社会が支援すれば、同じような立場にある他の少数者もそれにならいます。しかし、もし国際社会がチベットを無視すれば、同じような立場にある人たちも、「平和的な手段では自分たちの権利は得られない、暴力的な手法に訴えよう」と考えるようになるでしょう。
聴衆A「インドと中国の関係をどう思うか」
センゲ首相「1959年に中印国境紛争がおきて中国とインドの間には、国境線をめぐる長い対立の歴史があります。インドは本当に暖かくチベット人を受け入れてくれています。これは変わらないと信じています。
聴衆B「モンゴル人が相撲界に入って横綱などになることによって、日本人の中ではモンゴルに対する知名度が抜群にあがった。チベット人も日本に留学させてはどうか」
センゲ首相「もちろんそうしたいのですが、亡命政府の予算も限られておりますので。」
聴衆C「北朝鮮、イランの人々も、個人のレベルでは家族の幸せを考えていて、平和を望んでいます。しかし、この上に宗教とか国家とかが関わると争いになります。宗教とかやめて、スポーツとか音楽とかで人と人が交流することが大切なのではないか。」
桜井氏「中国においては無宗教がむしろ、道徳観のなさにつながっているという面もあります。」
ようゆった。聴衆C、チベット仏教をなめるな。800年前からモンゴル人、満洲人を信徒にしてアジアの平和に貢献してきたのだ。
翌四日、センゲ首相は超党派の国会議員60人と懇談。1997年に設立された「チベット問題を考える議員連盟」が、中国の工作を避けるため秘密結社化しているなか(笑)、ひさびさに顔の見える形でチベット支援の国会議員が表舞台に出てきた。以下それを伝える新聞記事とその時行われた決議文を備忘のためにあげておく。
チベット首相招き中国非難決議採択 超党派議連
産経新聞2012.4.4 19:54
民主、自民両党などの超党派議員約60人が4日、チベット亡命政府のロブサン・センゲ首相との会合を国会内で開き、中国政府に亡命政権との直接対話の再開を求め、中国によるチベット人弾圧を非難する決議を採択。センゲ首相は「チベットは中国の侵攻後、ずっと苦しんできた。抗議の焼身自殺を図るチベット人が選んだ悲劇的な死を無駄にしない」と述べた。
日本国国会議員有志によるチベット人弾圧に関する決議
Resolution on repression against Tibetans by willing members of the Diet in Japan (Draft)
ロブサン・センゲ首相からチベットの実情を聞く議員有志の会
The group of willing members of the Diet to learn the situation in Tibet from Tibetan Prime Minister Lobsang Sangay who is the political leader after the devolution of power by his authority his holiness the Dalai Lama
2012/04/04
真の友好的日中関係は、中国政府はもとより中国国民との間に築かれるべきものである。よって、すべての中国国民の人権と尊厳の尊重及び真の友好的日中関係の構築を目指し、本日、ここに参集した有志国会議員一同は、以下決議する。
The true bond of friendship between China and Japan should be built with the Chinese government as well as Chinese people. Therefore, for the realization of the human rights and dignity of all the Chinese people and to build a true bond of friendship between China and Japan, we, the willing members of the Diet who gather here today, pass a resolution as follows;
1.2011年3月以来チベット人による抗議の焼身自殺が相次いでいる事態に深い憂慮の念を示すと共に、中国政府に対し、基本的自由の制限、仏僧院に対する懲罰的な治安措置、「愛国教育」の強制など、抗議の焼身自殺の原因となっているチベット人居住地域の人権問題を包括的に検証し、これを解決するために抜本的な政策の見直しを行うよう求める。
1. We express our deep concern regarding continuing self-immolations of Tibetans since March 2011 and call on the Chinese government to carry out a comprehensive review of the human rights situation which is the cause of protests that have led Tibetans to set themselves on fire across the Tibetan plateau, including restrictions on basic freedoms, punitive security measures imposed on a number of monasteries in the area and government-enforced “patriotic education”, and to fundamentally rethink its approach to address this situation;
2.中国政府に対し、焼身自殺を図った後現場から連行された僧侶や一般のチベット人の身柄や遺体、その他拘束された僧侶の所在を含む安否情報及び拘束の根拠を開示することを求める。
2. We call on the Chinese government to provide information about monks and lay Tibetans detained following the self-immolations or who have died by self-immolation, including their current whereabouts and well-being, and the reason for detention;
3.2008年のチベット一斉蜂起以来、チベット人居住地域へのジャーナリストや外国人のアクセスが引き続き厳しく制限され、中国政府の政治・宗教・文化・経済政策に異議を唱えたとみなされたチベット人に過酷な処罰が科される強行策が継続している事態に抗議し、中国政府に対し、チベット人居住地域における自由な移動や自由な表現・報道を許可するよう求める。
3. We protest the continuing situation that journalists and foreigners have been banned from visiting the Tibetan plateau since the protests of 2008 and Tibetans suspected of being critical of political, religious, cultural, or economic state policies are targets of severe persecution. We call on the Chinese government to permit free expression, free press, and freedom of movement within the Tibetan plateau;
4.中国政府に対し、チベット亡命政権との直接かつ真摯な対話を早急に再開するよう求める。
4. We call on the Chinese government to promptly resume direct and meaningful dialogue with the Tibetan government in exile;
5.中国政府に対し、宗教と信仰の自由に関する国連特別報告者による国内訪問を早急に受け入れるとともに、人権弾圧を直ちに停止するよう強く求める。
5. We call on the Chinese government to respond positively to outstanding visit request from the Special Rapporteur on freedom of religion or belief and halt repression of human rights immediately;
長年にわたるチベット人の権利に対する制約こそが、抗議の焼身自殺の原因である。中国政府は、チベット人の抗議に対し真摯に耳を傾け、その政策を根本的に見直すべきである。チベット人の権利が尊重された真の「調和社会」中国こそが、日本が真摯な戦略的互恵関係を結ぶことのできる中国であると信じる。
Years of restrictions on Tibetans’ rights are the underlying causes of protests by way of self-immolations. It is clearly time for the Chinese government to fundamentally rethink its approach by listening to and addressing Tibetans’ grievances. We believe that if China realizes a truly “harmonious society” by respecting Tibetans’ rights, then Japan and China will be able to build a truly meaningful partnership of strategic benefit.
以上
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