ハベル大統領(追悼)
シャレにならないことがいろいろあった今年も、残すところあとわずか。このページを愛読してくださっているみなさんに、元気のでる映像プレゼント。長野のリンゴ農家さんから送っていただいたフリチベリンゴです。

今年は、昭和が終わり、東欧革命のおきた1989年を思い起こさせる出来事が多かった。
エジプト、チュニジアなどで長年にわたり続いた独裁体制がドミノで倒れたことは東欧革命を想起させた。また、良い意味でも悪い意味でも大物が他界したこともあの1989年と通い合う。
悪い意味の大物としてはビンラディン、北の将軍様など自分が是とする目的のためには人の命を何とも思わない人たち、良い意味の大物としては、スティーブ・ジョブスやハベル大統領など自らの命を賭して人々に自由と希望を与えた人たちなどである。前者は自分のために他人を犠牲にするが、後者は他人のために自分を犠牲にしている。
ジョブスについては前のエントリーでふれたので、ここではチェコの元大統領ハベル氏を追悼したい。
ハベル氏は文学者で、1977年に民主主義と人権をうたう77憲章を起草し、長年にわたり投獄されていた。この77憲章にならって、後に劉暁波氏が中国に民主主義と三権分立と連邦制を導入することを唱える「08憲章」起草し、2010年のノーベル平和賞受賞者となった(こちらは現在も投獄中)。
1989年にポーランドにはじまった東欧の民主革命は、東ドイツからチェコにとび、ハベルは政治犯から大統領へと押し上げられた。チェコといえば、日本ではスメタナの「モルダウ」でよく知られるが、ハベルは共産党政権を嫌って1948年にイギリスに亡命した指揮者ラファエル・クーベリック(1914-1996)を呼び戻し、プラハでこの「モルダウ」を含むスメタナの連作交響詩「我が祖国」の指揮をふらせた。
そして、あの1989年、ノーベル平和賞の受賞者はダライラマ14世であった。
ダライラマ14世はベルリンの壁が崩れると一月もしないうちに壁の跡地を訪問し、翌年にはこの東欧革命をインスパイアした、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世やハベル大統領と相次いで会見をした。とくにハベル大統領はチベット難民の置かれている立場を非常によく理解し、ダライラマ法王を国賓としてチェコに迎えた最初の国家元首であった。
そこで、2011年の最後はハベル大統領の死を悼むチベットの声を紹介して彼を追悼したいと思います。
チベットは真の友を亡くした。ヴァーツラフ・ハヴェルは75歳で他界
Tibet loses a true friend: Vaclav Havel passes away at 75
:ソースパユルPhayul[2011年12月18日]
DHARAMSHALA, December 18: Vaclav Havel, a close friend of the Dalai Lama and a longtime supporter of the Tibetan people, died earlier today at his home in the northern Czech Republic after a prolonged illness. He was 75.
ダライラマの親友であり、チベットの長年にわたる支援者であったヴァーツラフ・ハヴェルは今朝早く既往症によりチェコ共和国で逝去した。享年七十五歳。
Born in 1936, Vaclav Havel rose to prominence as a dissident playwright in the 1970s through his involvement with the human rights manifesto Charter 77 demanding democratic changes.
ハベルは1936年に生まれ、1970年代に民主化を要求した人権白書「77憲章」の発表を通じて反体制の劇作家として名をなした。
In 1989, the year of Czechoslovakia's Velvet Revolution, Havel led the extraordinary display of people power which toppled the ruling communist regime. The world watched with astonishment as, within weeks, the dissident playwright became president.
1989年、チェコにヴィロード革命がおきると、ハヴェルは人々の力を驚くべき手際で結集し、共産党体制を倒した。そして数週間の内に、反体制の劇作家が大統領になるのを世界は驚きをもって目撃することとなった。
As president, he presided over Czechoslovakia's transition to democracy and a free-market economy and oversaw its peaceful 1993 split into the Czech Republic and Slovakia.
大統領として、ハベルはチェコスロヴァキアの民主体制と自由貿易体制への移行を監督し、1993年にチェコとスロヴァキアの平和裡の分裂もみまもった。
He was elected first president of the Czech Republic in January 1993, serving until 2003 when he resigned as his health deteriorated.
ハベルは1993年にチェコ共和国の初代大統領に選出され、健康問題で辞任する2003年まで大統領位にあった。
Havel became the first world leader to invite His Holiness the Dalai Lama to his nation and receive him as a visiting Head of Nation soon after he became President in 1990. Since then, the Dalai Lama has visited Czech Republic nine times and met Havel on numerous occasions.
ハベルは1990年に大統領に就任するとまもなく、世界のリーダーとしてはじめてダライラマ猊下を国賓として自国に迎えた。以来、ダライラマは様々な機会を通じてチェコ共和国に九回訪問した。
The Dalai Lama traveled to Prague earlier this month to meet an ailing Havel. Arriving straight from the airport, the Dalai Lama spent over an hour, interacting with his close friend. Following the meeting, the Tibetan spiritual leader called Havel “a source of inspiration” for his firm stance on the principles of democracy and human rights.
ダライラマは今月初め病にふせったハベルに逢うために、プラハを訪れた。法王は空港からハベルの元に直行し、親友ハベルと一時間語り合った。その会合の後、チベットの精神的指導者(ダライラマ)は、ハベルを民主主義と人権主義についてのぶれない姿勢についての「インスピレーションの源」であるとした。
Havel was awarded the Light of Truth Award in 2004 by the Dalai Lama for his outstanding contribution to public understanding of Tibet and its current plight.
ハベルは2004年に、チベット問題の理解に際だった貢献をなした人に贈られる「真実の光賞」を授与されている。
Reacting to the news of his death, Miroslava Nemcova, speaker of the Czech lower house, said her country had "lost its moral authority." Similar tributes have been pouring in from all over the world.
ハベルの死去の報に接して、チェコの下院の議長ミロスラヴァ=ネムロヴァMiroslava Nemcovaは「我が国は道徳的な権威を失った」と語り、これと同様の賛辞は世界中から降り注いでいる。
German Chancellor Angela Merkel hailed Havel as a "great European" in a letter of condolence to Czech President Vaclav Klaus. "His fight for freedom and democracy was as unforgettable as his great humanity," wrote Mrs Merkel, who grew up in communist East Germany.
ドイツのメルケル首相は、チェコ大統領ヴァーツラフ・クラウスへのお悔やみの手紙の中で、ハベルを「偉大なるヨーロッパ人」とたたえた。東ドイツの共産党体制の中で育ったメルケル氏は「ハベルの自由と民主主義に対する戦いは、彼の偉大なる人間性とともに、忘れがたいものである」と記した。
British Prime Minister David Cameron said he was "deeply saddened" and that Europe owed Havel a "profound debt".
ディヴイッド・キャメロンイギリス首相は「深い悲しみに包まれている」といい、「ヨーロッパはハベルに深淵な借りがある」と言った。
"Havel devoted his life to the cause of human freedom. For years, Communism tried to crush him, and to extinguish his voice. But Havel could not be silenced.”
ハベルはその生涯を人間自由の問題に捧げた。多年にわたり共産主義はハベルをつぶし、その声をもみ消そうとしてきた。しかし、ハベルは沈黙することはなかった。
Within hours of the announcement of his death people began lighting candles and laying flowers at the statue of St Wenceslas on Wenceslas Square, where Havel addressed huge crowds of demonstrators in November 1989.
ハベルの氏が発表されてから数時間の間に、人々はハベルが1989年11月にデモに集まった民主を前に演説したWenceslas広場の聖Wenceslasの像の前において、キャンドルを点し、献花を行い始めている。
では、みなさんよいお年を。きっと来年はよくなっていきます!

今年は、昭和が終わり、東欧革命のおきた1989年を思い起こさせる出来事が多かった。
エジプト、チュニジアなどで長年にわたり続いた独裁体制がドミノで倒れたことは東欧革命を想起させた。また、良い意味でも悪い意味でも大物が他界したこともあの1989年と通い合う。
悪い意味の大物としてはビンラディン、北の将軍様など自分が是とする目的のためには人の命を何とも思わない人たち、良い意味の大物としては、スティーブ・ジョブスやハベル大統領など自らの命を賭して人々に自由と希望を与えた人たちなどである。前者は自分のために他人を犠牲にするが、後者は他人のために自分を犠牲にしている。
ジョブスについては前のエントリーでふれたので、ここではチェコの元大統領ハベル氏を追悼したい。
ハベル氏は文学者で、1977年に民主主義と人権をうたう77憲章を起草し、長年にわたり投獄されていた。この77憲章にならって、後に劉暁波氏が中国に民主主義と三権分立と連邦制を導入することを唱える「08憲章」起草し、2010年のノーベル平和賞受賞者となった(こちらは現在も投獄中)。
1989年にポーランドにはじまった東欧の民主革命は、東ドイツからチェコにとび、ハベルは政治犯から大統領へと押し上げられた。チェコといえば、日本ではスメタナの「モルダウ」でよく知られるが、ハベルは共産党政権を嫌って1948年にイギリスに亡命した指揮者ラファエル・クーベリック(1914-1996)を呼び戻し、プラハでこの「モルダウ」を含むスメタナの連作交響詩「我が祖国」の指揮をふらせた。
そして、あの1989年、ノーベル平和賞の受賞者はダライラマ14世であった。
ダライラマ14世はベルリンの壁が崩れると一月もしないうちに壁の跡地を訪問し、翌年にはこの東欧革命をインスパイアした、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世やハベル大統領と相次いで会見をした。とくにハベル大統領はチベット難民の置かれている立場を非常によく理解し、ダライラマ法王を国賓としてチェコに迎えた最初の国家元首であった。
そこで、2011年の最後はハベル大統領の死を悼むチベットの声を紹介して彼を追悼したいと思います。
チベットは真の友を亡くした。ヴァーツラフ・ハヴェルは75歳で他界
Tibet loses a true friend: Vaclav Havel passes away at 75
:ソースパユルPhayul[2011年12月18日]
DHARAMSHALA, December 18: Vaclav Havel, a close friend of the Dalai Lama and a longtime supporter of the Tibetan people, died earlier today at his home in the northern Czech Republic after a prolonged illness. He was 75.
ダライラマの親友であり、チベットの長年にわたる支援者であったヴァーツラフ・ハヴェルは今朝早く既往症によりチェコ共和国で逝去した。享年七十五歳。
Born in 1936, Vaclav Havel rose to prominence as a dissident playwright in the 1970s through his involvement with the human rights manifesto Charter 77 demanding democratic changes.
ハベルは1936年に生まれ、1970年代に民主化を要求した人権白書「77憲章」の発表を通じて反体制の劇作家として名をなした。
In 1989, the year of Czechoslovakia's Velvet Revolution, Havel led the extraordinary display of people power which toppled the ruling communist regime. The world watched with astonishment as, within weeks, the dissident playwright became president.
1989年、チェコにヴィロード革命がおきると、ハヴェルは人々の力を驚くべき手際で結集し、共産党体制を倒した。そして数週間の内に、反体制の劇作家が大統領になるのを世界は驚きをもって目撃することとなった。
As president, he presided over Czechoslovakia's transition to democracy and a free-market economy and oversaw its peaceful 1993 split into the Czech Republic and Slovakia.
大統領として、ハベルはチェコスロヴァキアの民主体制と自由貿易体制への移行を監督し、1993年にチェコとスロヴァキアの平和裡の分裂もみまもった。
He was elected first president of the Czech Republic in January 1993, serving until 2003 when he resigned as his health deteriorated.
ハベルは1993年にチェコ共和国の初代大統領に選出され、健康問題で辞任する2003年まで大統領位にあった。
Havel became the first world leader to invite His Holiness the Dalai Lama to his nation and receive him as a visiting Head of Nation soon after he became President in 1990. Since then, the Dalai Lama has visited Czech Republic nine times and met Havel on numerous occasions.
ハベルは1990年に大統領に就任するとまもなく、世界のリーダーとしてはじめてダライラマ猊下を国賓として自国に迎えた。以来、ダライラマは様々な機会を通じてチェコ共和国に九回訪問した。
The Dalai Lama traveled to Prague earlier this month to meet an ailing Havel. Arriving straight from the airport, the Dalai Lama spent over an hour, interacting with his close friend. Following the meeting, the Tibetan spiritual leader called Havel “a source of inspiration” for his firm stance on the principles of democracy and human rights.
ダライラマは今月初め病にふせったハベルに逢うために、プラハを訪れた。法王は空港からハベルの元に直行し、親友ハベルと一時間語り合った。その会合の後、チベットの精神的指導者(ダライラマ)は、ハベルを民主主義と人権主義についてのぶれない姿勢についての「インスピレーションの源」であるとした。
Havel was awarded the Light of Truth Award in 2004 by the Dalai Lama for his outstanding contribution to public understanding of Tibet and its current plight.
ハベルは2004年に、チベット問題の理解に際だった貢献をなした人に贈られる「真実の光賞」を授与されている。
Reacting to the news of his death, Miroslava Nemcova, speaker of the Czech lower house, said her country had "lost its moral authority." Similar tributes have been pouring in from all over the world.
ハベルの死去の報に接して、チェコの下院の議長ミロスラヴァ=ネムロヴァMiroslava Nemcovaは「我が国は道徳的な権威を失った」と語り、これと同様の賛辞は世界中から降り注いでいる。
German Chancellor Angela Merkel hailed Havel as a "great European" in a letter of condolence to Czech President Vaclav Klaus. "His fight for freedom and democracy was as unforgettable as his great humanity," wrote Mrs Merkel, who grew up in communist East Germany.
ドイツのメルケル首相は、チェコ大統領ヴァーツラフ・クラウスへのお悔やみの手紙の中で、ハベルを「偉大なるヨーロッパ人」とたたえた。東ドイツの共産党体制の中で育ったメルケル氏は「ハベルの自由と民主主義に対する戦いは、彼の偉大なる人間性とともに、忘れがたいものである」と記した。
British Prime Minister David Cameron said he was "deeply saddened" and that Europe owed Havel a "profound debt".
ディヴイッド・キャメロンイギリス首相は「深い悲しみに包まれている」といい、「ヨーロッパはハベルに深淵な借りがある」と言った。
"Havel devoted his life to the cause of human freedom. For years, Communism tried to crush him, and to extinguish his voice. But Havel could not be silenced.”
ハベルはその生涯を人間自由の問題に捧げた。多年にわたり共産主義はハベルをつぶし、その声をもみ消そうとしてきた。しかし、ハベルは沈黙することはなかった。
Within hours of the announcement of his death people began lighting candles and laying flowers at the statue of St Wenceslas on Wenceslas Square, where Havel addressed huge crowds of demonstrators in November 1989.
ハベルの氏が発表されてから数時間の間に、人々はハベルが1989年11月にデモに集まった民主を前に演説したWenceslas広場の聖Wenceslasの像の前において、キャンドルを点し、献花を行い始めている。
では、みなさんよいお年を。きっと来年はよくなっていきます!
チベットマニアが選ぶ今年の五大ニュース
突然ですが、SFT(Student for Free Tibet)プレゼンツの2012年用の卓上カレンダーについて宣伝させていただきます。
SFTは世界に展開するフリー・チベットのヴォランティア組織で、法王来日の際のヴォランティアやチベット・イベントのお手伝いをしてくれる、非常に穏健かつまじめな人たちです(みな手弁当でやってます)。
このカレンダーはSFT日本の企画になるもので、去年の卓上カレンダーはおかげ様で無事完売いたしました。今年は去年よりさらに豪華に、日本フリチベ界を代表する三人のセレブにお写真を提供していただきました。キャリアの厚みに比例するということで、年齢順に解説をさせていただきます。
トップバーターは中原一博さん。ご存じ、ダラムサラ居住歴30年。子供三人をダラムサラで育て上げた猛者。ノルブリンカ、TCV講堂などの設計者であると同時に、日本の報道がダラムサラ取材を行う際のコーディネーターとしても知られる。写真の腕はブログにアップされる月食写真、また、ダラムサラの野鳥写真などでも証明されています。
次いで、アルピニストの野口健さん。世界最年少で五大陸の最高峰を踏破した。2008年のチベット蜂起の際には、おおくの著名人が中国にびびって発言を自主規制する中(ヘタレ!)、積極的にチベット問題を発信してくれ、SFTのためにボランティアで講演もしてくださった。彼はまたチョモランマの清掃登山でも名高い(チョモランマのゴミの大半は民度の低い日本隊と韓国隊の残したものである)。
最後が、JVJA所属のジャーナリスト野田雅也さん。2008年のチベット蜂起の際には東チベットに潜入取材もしてくださいました。チベット関連イベントで、ある時は写真家、またある時はバーテンダー、別の時には売り子さんになりーの、キューティーハニーのような七変化をしてます(笑)。躍動感あふれる美しい写真には定評あります。
というわけで、このお三方が提供してくださった写真により構成されるSFTジャパンカレンダー、キャッチコピーは「チベットを一年あなたのお側に」。
チベットの休日も一覧となっていますし、最後のページは例年通りフリー・チベット旗です。私も研究室において、訪れる人にコレコレつんつんとチベット旗を見せるのに用いています。
ご注文はこちらから。チベットを愛してくださっている皆様、メリークリスマス、アンド、ハッピーニューイヤー!
さて、毎年恒例の独断と偏見で選ぶチベットオタクの2011年の五大ニュース
1 四月 東日本大震災とダライラマ法王の鎮魂
何の因果か千年に一度の大震災に東日本は襲われ、二万人近い方がなくなられ、十万人近い人が避難を余儀なくされた。その時のブログ記事にも書いたが、法王はいち早く日本の総理に哀悼の意を表し、さらに、三大寺の僧侶に読経を命じ、アメリカにいく途上日本に立ち寄り、4月29日には震災の物故者の49日法要を護国寺様にて行ってくださった。
今でも不思議に思うのだが、この49日法要のあと、目立った余震がおこらなくなった。法王が「できる限り祈った。でも万全ではない。中国に侵略された時にチベットは国を挙げて祈ったがだめだったからね。」とおっしゃっていたが、本当に不思議なくらいあのあと余震がなくなった。法王は4月の時点で被災地に飛ぶことを所望されたが調整がつかず、11月に高野山で金剛界曼荼羅灌頂をお授けするために再来日された際に、東北に足を運んでくださった。
2 八月ダライラマ政界引退。チベット難民社会の民主化完成
この時のブログ記事はここから飛べます。一言で言うと、法王がここ50年間めざしてきた難民社会の民主化が完成し、政教一致のガンデンポタン政庁の歴史が終わった。これは長い目で見たチベットの存続のための布石を打ったものである。、難民社会が法王のカリスマ性にたよっていては、きたるべきXデーにチベットは終わってしまう。そうならないために、自らの社会を自決できるようにチベット社会を整え終わったのである。
3 九月 拙著『清朝とチベット仏教』発刊!
これは私にとって十年ぶり、二冊目の専門書。その時のブログのエントリーはこちらです。本書は、チベット仏教世界の一員としての清朝皇帝、とくに最盛期の皇帝乾隆帝を扱ったものであり、非常に新しい歴史観を提示しています。これまでの中国研究者が提示してきた「中華世界としての清朝」、あるいはNew Qing Historyの人たちの提示する「満洲王朝としての清朝」とは全く異なったもので、これらのように中華なり満洲なりの一ネイションからみた世界ではなく、チベット人も満洲人ももんごる人もそれぞれ納得して共有していた世界観について扱っています。まだ読んでいない人は欄外の本書をくりっく! アマゾンに飛びます。
4 スティーブ・ジョブスの死去
言うまでもなくアップルの創業者。ジョブスの人生は神にも喩えられる。彼が20歳の時、自宅ガレージでアップルを創業したことは天地創造にたとえられ、1985年にジョブスがアップル社から首を切られた時は、ゴルゴダの丘におけるイエスの刑死にたとえられ、その後NeXTをつくったものの鳴かず飛ばず、でもまた傾きかかったアップルに呼び戻され、iMacをつくったことにより復活。このスケスケパソコンは、パソコンを事務機械からスタイリッシュな家具に変えた。そしてこの後、あらゆるものがスケだした。その後、iPod、iPhone、iPadとヒット商品を連発し、いまや世界一の資産をもつ会社に成長したところでなくなった。これはイエスの復活(Resureection)と、天における永遠の生に喩えられる。
マックの革命性はThink Differentのシリーズにおいて、ジョン・レノン、ガンディーなどとならんでダライラマをとりあげたことにも現れている。あれはパソコンの宣伝ではなかった。生き方の提示であった。ジョブスが死んだ日の授業はもちろんThink Differentを授業でやった。
クレージーな人たちがいる
反逆者、厄介者と呼ばれる人たち
四角い穴に 丸い杭を打ちこむように
物事をまるで違う目で見る人たち
彼らは規則を嫌う 彼らは現状を肯定しない
彼らの言葉に心をうたれる人がいる
反対する人も 賞賛する人も けなす人もいる
しかし 彼らを無視することは誰もできない
なぜなら、彼らは物事を変えたからだ
彼らは人間を前進させた
彼らはクレージーと言われるが 私たちは天才だと思う
自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが
本当に世界を変えているのだから
Think different.
↓スティーブがナレーションをしているThink Different(ダライラマはこの動画に入ってませんがポスターには入っています)。
当然、フリチベには圧倒的にマック使いが多い。今マックに搭載されているチベット語のフォントはMMBAの野村君がデザインしたものである。また、中国人大半がウインドウズ使っていて、中国からイヤガラセに送られてくるウイルスはほぼウインドウズ対応なので、マック使いはへっちゃらさ。

5 ブータン国王来日
これはまだ記憶に新しいので、説明はいらないでしょう。その時のブログ記事はここから飛べます。欧米諸国ではダライラマの方がはるかに知名度が高く、影響力も大きいので、ダライラマがある国を訪れると、国賓のようなおもてなしを受け、今回日本にブータン国王がきた時のような感じで盛り上がる。だから、日本がダライラマに対して抑制的な報道しか行わず(今中国はバブル崩壊の方が焦眉の急だから別に日本の報道なんて気にしてないよ。日本人自意識過剰)、それを補償するかのようにブータン国王について盛り上がるのは何か複雑な気持ちになる。
まあでも、ブータンを通じてチベット仏教文化が知られるならそれはそれでいいかとも思う。チベット仏教圏最後の独立国家だし、ブータンには伝統を大事にして独立を堅持してもらいたい。
SFTは世界に展開するフリー・チベットのヴォランティア組織で、法王来日の際のヴォランティアやチベット・イベントのお手伝いをしてくれる、非常に穏健かつまじめな人たちです(みな手弁当でやってます)。
このカレンダーはSFT日本の企画になるもので、去年の卓上カレンダーはおかげ様で無事完売いたしました。今年は去年よりさらに豪華に、日本フリチベ界を代表する三人のセレブにお写真を提供していただきました。キャリアの厚みに比例するということで、年齢順に解説をさせていただきます。
トップバーターは中原一博さん。ご存じ、ダラムサラ居住歴30年。子供三人をダラムサラで育て上げた猛者。ノルブリンカ、TCV講堂などの設計者であると同時に、日本の報道がダラムサラ取材を行う際のコーディネーターとしても知られる。写真の腕はブログにアップされる月食写真、また、ダラムサラの野鳥写真などでも証明されています。
次いで、アルピニストの野口健さん。世界最年少で五大陸の最高峰を踏破した。2008年のチベット蜂起の際には、おおくの著名人が中国にびびって発言を自主規制する中(ヘタレ!)、積極的にチベット問題を発信してくれ、SFTのためにボランティアで講演もしてくださった。彼はまたチョモランマの清掃登山でも名高い(チョモランマのゴミの大半は民度の低い日本隊と韓国隊の残したものである)。
最後が、JVJA所属のジャーナリスト野田雅也さん。2008年のチベット蜂起の際には東チベットに潜入取材もしてくださいました。チベット関連イベントで、ある時は写真家、またある時はバーテンダー、別の時には売り子さんになりーの、キューティーハニーのような七変化をしてます(笑)。躍動感あふれる美しい写真には定評あります。
というわけで、このお三方が提供してくださった写真により構成されるSFTジャパンカレンダー、キャッチコピーは「チベットを一年あなたのお側に」。
チベットの休日も一覧となっていますし、最後のページは例年通りフリー・チベット旗です。私も研究室において、訪れる人にコレコレつんつんとチベット旗を見せるのに用いています。
ご注文はこちらから。チベットを愛してくださっている皆様、メリークリスマス、アンド、ハッピーニューイヤー!
さて、毎年恒例の独断と偏見で選ぶチベットオタクの2011年の五大ニュース
1 四月 東日本大震災とダライラマ法王の鎮魂
何の因果か千年に一度の大震災に東日本は襲われ、二万人近い方がなくなられ、十万人近い人が避難を余儀なくされた。その時のブログ記事にも書いたが、法王はいち早く日本の総理に哀悼の意を表し、さらに、三大寺の僧侶に読経を命じ、アメリカにいく途上日本に立ち寄り、4月29日には震災の物故者の49日法要を護国寺様にて行ってくださった。
今でも不思議に思うのだが、この49日法要のあと、目立った余震がおこらなくなった。法王が「できる限り祈った。でも万全ではない。中国に侵略された時にチベットは国を挙げて祈ったがだめだったからね。」とおっしゃっていたが、本当に不思議なくらいあのあと余震がなくなった。法王は4月の時点で被災地に飛ぶことを所望されたが調整がつかず、11月に高野山で金剛界曼荼羅灌頂をお授けするために再来日された際に、東北に足を運んでくださった。
2 八月ダライラマ政界引退。チベット難民社会の民主化完成
この時のブログ記事はここから飛べます。一言で言うと、法王がここ50年間めざしてきた難民社会の民主化が完成し、政教一致のガンデンポタン政庁の歴史が終わった。これは長い目で見たチベットの存続のための布石を打ったものである。、難民社会が法王のカリスマ性にたよっていては、きたるべきXデーにチベットは終わってしまう。そうならないために、自らの社会を自決できるようにチベット社会を整え終わったのである。
3 九月 拙著『清朝とチベット仏教』発刊!
これは私にとって十年ぶり、二冊目の専門書。その時のブログのエントリーはこちらです。本書は、チベット仏教世界の一員としての清朝皇帝、とくに最盛期の皇帝乾隆帝を扱ったものであり、非常に新しい歴史観を提示しています。これまでの中国研究者が提示してきた「中華世界としての清朝」、あるいはNew Qing Historyの人たちの提示する「満洲王朝としての清朝」とは全く異なったもので、これらのように中華なり満洲なりの一ネイションからみた世界ではなく、チベット人も満洲人ももんごる人もそれぞれ納得して共有していた世界観について扱っています。まだ読んでいない人は欄外の本書をくりっく! アマゾンに飛びます。
4 スティーブ・ジョブスの死去
言うまでもなくアップルの創業者。ジョブスの人生は神にも喩えられる。彼が20歳の時、自宅ガレージでアップルを創業したことは天地創造にたとえられ、1985年にジョブスがアップル社から首を切られた時は、ゴルゴダの丘におけるイエスの刑死にたとえられ、その後NeXTをつくったものの鳴かず飛ばず、でもまた傾きかかったアップルに呼び戻され、iMacをつくったことにより復活。このスケスケパソコンは、パソコンを事務機械からスタイリッシュな家具に変えた。そしてこの後、あらゆるものがスケだした。その後、iPod、iPhone、iPadとヒット商品を連発し、いまや世界一の資産をもつ会社に成長したところでなくなった。これはイエスの復活(Resureection)と、天における永遠の生に喩えられる。
マックの革命性はThink Differentのシリーズにおいて、ジョン・レノン、ガンディーなどとならんでダライラマをとりあげたことにも現れている。あれはパソコンの宣伝ではなかった。生き方の提示であった。ジョブスが死んだ日の授業はもちろんThink Differentを授業でやった。
クレージーな人たちがいる
反逆者、厄介者と呼ばれる人たち
四角い穴に 丸い杭を打ちこむように
物事をまるで違う目で見る人たち
彼らは規則を嫌う 彼らは現状を肯定しない
彼らの言葉に心をうたれる人がいる
反対する人も 賞賛する人も けなす人もいる
しかし 彼らを無視することは誰もできない
なぜなら、彼らは物事を変えたからだ
彼らは人間を前進させた
彼らはクレージーと言われるが 私たちは天才だと思う
自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが
本当に世界を変えているのだから
Think different.
↓スティーブがナレーションをしているThink Different(ダライラマはこの動画に入ってませんがポスターには入っています)。
当然、フリチベには圧倒的にマック使いが多い。今マックに搭載されているチベット語のフォントはMMBAの野村君がデザインしたものである。また、中国人大半がウインドウズ使っていて、中国からイヤガラセに送られてくるウイルスはほぼウインドウズ対応なので、マック使いはへっちゃらさ。

5 ブータン国王来日
これはまだ記憶に新しいので、説明はいらないでしょう。その時のブログ記事はここから飛べます。欧米諸国ではダライラマの方がはるかに知名度が高く、影響力も大きいので、ダライラマがある国を訪れると、国賓のようなおもてなしを受け、今回日本にブータン国王がきた時のような感じで盛り上がる。だから、日本がダライラマに対して抑制的な報道しか行わず(今中国はバブル崩壊の方が焦眉の急だから別に日本の報道なんて気にしてないよ。日本人自意識過剰)、それを補償するかのようにブータン国王について盛り上がるのは何か複雑な気持ちになる。
まあでも、ブータンを通じてチベット仏教文化が知られるならそれはそれでいいかとも思う。チベット仏教圏最後の独立国家だし、ブータンには伝統を大事にして独立を堅持してもらいたい。
ケサル大王伝
ドキュメンタリー「ケサル大王」(大谷寿一監督)を見た。
映像人類学的にいって非常におもしろい内容であった。東チベットの各地をまわり、チベットの英雄叙事詩ケサルに関する、様々な事象を探っていく。ただし、まだ編集途上といった感じで、内容が整理されておらず、また音がうまくつながっておらず(音を入れた後で映像を編集したのか?)、同じ映像がかぶったりしていて、そこが残念。しかし、1つ1つの素材は非常にいいので、以下に見た方のガイドをするために、構造的に内容を整理して示す。
私の見たところではこのドキュメンタリーには以下の3つの柱があり、それを根拠として、チベット人がケサルにかける隠された思いを明らかにしていく。
1つ1つの柱の下に、ドキュメンタリーで用いられたエピソードの塊を●で記した。2と3は作品内では分かちがたくくっついているが、分離して考えるとすっきり理解できる。
1. ケサル伝のあらすじ
●リタンの競馬 ●カム(東チベット)の美しい草原 ●ケサルの魂を宿すアムニェマチン峰 ●東チベットの男女の伝統的な生活
2. 現在のケサルの受容形態
●ケサルの語り部たち ●ケサルに関連した史跡 ●町の中心や岡の上に次々築かれるケサルの銅像 ●ゾクチェン寺のケサル仮面舞踏 ●ケサルの30人の将軍の一人の生まれ変わりとされるルクジャリンポチェの活動
3. 中国によるチベットの弾圧
●1956年のリタン空爆 ●文化大革命によるゾクチェン寺の徹底破壊 ●地球温暖化の草原に対する影響 ●遊牧民の強制定住
4.チベットの人々がケサルに託す思い
以下、ツッコミをいれながら各部分の詳しい説明。

1. ケサル伝のあらすじ
ケサル伝とは、チベットが群雄割拠の時代にあった10世紀の東チベットを舞台にした、英雄叙事詩である。地上の争いを収めるために天は一人の子供を地上に遣わす。その子ケサルは叔父にいじめられたりしながらも無事に成長し、12歳の時に乗馬の長距離レースに勝利して王位につき、周囲の国々を支配下に入れ、そこに仏教を広めて世界を平和にしていく。
話の見所は、ケサルの酒好き女好きなところ、また、天から遣わされた英雄であるため、単純に武力ではなく、知力を尽くして敵を倒すところにある。
ケサルが競馬で勝利した部分を紹介する際、現代のリタンの競馬の映像が流れた。伝統的な衣装に身を包み、宝石を全身につけたカムの女たち。その女の子たちの気を引こうと曲乗りをする男たち。
1kmの長距離馬レースは、先頭をきって走る馬のまわりに、ジープやバイクにのった青年がもりあがって併走するため、初日の出走行をする暴走族を想起させる、そこはかとないガラの悪さが・・・。
2. 現在のケサルの受容形態
● ケサルには全部あつめると100とも言われるさまざまなエピソードがある。今はこのエピソードは文字におこされて、叢書として出版されているが、本来は語り部と呼ばれる人が口承で伝えてきたものだ。しかも、このような語り部は、もともと教育を受けていない文字も読めない・かけない人が多く、ある日突然天の啓示を受けてしゃべりだす。洋の東西を問わず詩人・文学者の才能は天からくるものなのである。
興味深かったのは、ウーセルという名の医者であり、彼の下には今日も新しいケサルの物語が降りてきている。もずダイク(brda yig)と呼ばれる象徴的な一連の文字が頭に浮かび、それにともなって物語があふれでて、一気に書き上げていくのだという。モーツァルトか。
●東チベットにおいてケサルは絶大な人気を誇るため、リタンやギグドなどの大きな町にはケサルの像がたつ。興味深かったのは、ケサルの仮面舞踏を伝えるゾクチェン寺の話。ゾクチェン五世の頃、彼が夢で感得した内容に基づいて、ケサル伝に登場する様々なキャラクターの仮面が作られ、以来寺ではケサルの仮面舞踏を受け継いできた。そして2011年のゾクチェン寺のケサル舞踊の映像が映し出される。
カラフルな仮面と衣装がとても美しい。中でも笑ったのは、ケサルの誕生とともに、世の中は生命力にあふれたため、動物の子供たちがたくさん生まれたという件で、鳥や獣やはてはヘビのきぐるみをきた人間が本堂の階段を駆け下りてくる。
ケサルもケサルの30人の将軍も巨大な仮面をかぶるので、視界が狭そう。その狭い視界で、ゾクチェン寺の凍り付いた階段をかけおりてくるのだから、いつ、誰かが転んでもおかしくはない。私だったらあの階段をあの早さであの仮面をつけて走り降りたら、三段で転ぶ。
この仮面舞踊は本当にすばらしかった。awesome!
●次に印象深かったエピソードは、ケサルの30将軍の一人の生まれ変わりと言われるルクジャ・リンポチェ。この方は棒につるしたナイロンの布を用いて、岡の上に仮設の仏塔の姿を作り出す運動を行っている。この仏塔が完成すると、その仏塔の扉部分にあたるところに、教典や五穀などをつめた壺を埋蔵していく。チベットのニンマ派には開祖パドマサンバヴァが、来るべき仏教弾圧の時代に備えて、チベット各地に教典や法具を埋蔵したという伝説があるため、それにちなんで、行っている儀式である。ニンマ派の伝統が東チベットには今も力強く生きていて、コミニュティをまとめていることに感心した。
3. 中国によるチベットの弾圧
東チベットはどこよりも早く人民解放軍の蹂躙を受けて、大きな被害を出した。東チベットの中核都市リタンも、中核となる僧院は空爆を受けて破壊され、多数の僧侶が犠牲になった(しかも、中国共産党はこれを隠している)。また、今は再建されたゾクチェン寺も文革によって一度廃墟となっている。ハコモノとしての寺が再建された後も長い間座主は空席であり、七年前、北京の高級仏教学院卒のゾクチェン10世が座主になったという。つまり、今目の前にしているゾクチェン寺の本堂も、ケサルの像も仮面もみな三十年前に作り直したものなのである。
また、2008年オリンピックの年のチベット人蜂起のあと、あらゆる「チベット人の集まる催し」は中止された。なので、ドキュメンタリーで流れた2011年のゾクチェン寺の仮面舞踏も、三年ぶりに再開されたものであった。ルクジャ・リンポチェの埋蔵儀礼も当日になって予定が発表するなど、当局の圧力が随所に垣間見えている。
また、ケサルの魂を宿すという霊峰アムニェ・マチンも、中国人による鉱山開発で荒らされている。また、何より悲しむべきは、中国政府は「遊牧民たちが過放牧をすることによって草原を荒らしている」と主張し、彼らに遊牧地を放棄させ、町のはずれの団地に強制移住させる政策をとっていることだ。
草原があれる理由は地球温暖化や西部大開発(はい日本がお金だしてます)にも原因があるにもかかわらずである。
近代教育を受けていない遊牧民たちは当然のことながら、その時点から日本でいえば生活保護者のようになり、誇りももてない未来のない人生が始まる。ケサルを語り継いできた自給自足の誇り高い草原の民が、中国支配下のチベットではみじめな生活保護者になっていく。目も当てられない。
そこで、これらを受けて、最後の部分がでてくるのである。
4. チベット人がケサルに託す思い
ケサルは強くかつ慈悲深いの王として描かれている。監督は、ケサルの慈悲の面については、中国支配下のチベットにおいて慈悲の化身であるダライラマ14世をおおっぴらに信仰できないチベット人にとって、ダライラマにかわる機能を果たしている、とする。
さらに、ケサルの武の面に対する崇拝は、中国にここまで蹂躙されても押さえられないチベット人の民族再興の思いが託されている、と結ぶ。
監督は最後にこのような言葉でしめくくった。
2009年、ケサル語りは世界遺産無形文化財に登録された。それとともに漢語でのアニメ化、映画化が始まっている。ケサルが漢族の英雄になっていくことを危惧する。
パンダのように。
とこういったカンジです。
全体に非常にいい素材なので、整理すればかなりよくなると思います。
最後に独断と偏見に基づいて私の希望を一言。
作中に英語の通訳として登場する20代前半のツェリンくんが影のあるイケメンで、一緒にこのドキュメンタリーを見ていた女性陣のハートをわしづかみにしていた。ツイッターでツイートしても彼がイケメンであるという点はみなが一致していたので、以下提案。
都会のチベット人であるツェリン君が、ケサルについてしらべていく内に自らの文化を再発見していくという構成で全体をまとめたら、少なくとも日本女性はDVDをまとめ買いすることと思います(笑)。
次のエントリーで今年の五大ニュースならびにSFTの新作カレンダーの紹介します。期待してね!
映像人類学的にいって非常におもしろい内容であった。東チベットの各地をまわり、チベットの英雄叙事詩ケサルに関する、様々な事象を探っていく。ただし、まだ編集途上といった感じで、内容が整理されておらず、また音がうまくつながっておらず(音を入れた後で映像を編集したのか?)、同じ映像がかぶったりしていて、そこが残念。しかし、1つ1つの素材は非常にいいので、以下に見た方のガイドをするために、構造的に内容を整理して示す。
私の見たところではこのドキュメンタリーには以下の3つの柱があり、それを根拠として、チベット人がケサルにかける隠された思いを明らかにしていく。
1つ1つの柱の下に、ドキュメンタリーで用いられたエピソードの塊を●で記した。2と3は作品内では分かちがたくくっついているが、分離して考えるとすっきり理解できる。
1. ケサル伝のあらすじ
●リタンの競馬 ●カム(東チベット)の美しい草原 ●ケサルの魂を宿すアムニェマチン峰 ●東チベットの男女の伝統的な生活
2. 現在のケサルの受容形態
●ケサルの語り部たち ●ケサルに関連した史跡 ●町の中心や岡の上に次々築かれるケサルの銅像 ●ゾクチェン寺のケサル仮面舞踏 ●ケサルの30人の将軍の一人の生まれ変わりとされるルクジャリンポチェの活動
3. 中国によるチベットの弾圧
●1956年のリタン空爆 ●文化大革命によるゾクチェン寺の徹底破壊 ●地球温暖化の草原に対する影響 ●遊牧民の強制定住
4.チベットの人々がケサルに託す思い
以下、ツッコミをいれながら各部分の詳しい説明。

1. ケサル伝のあらすじ
ケサル伝とは、チベットが群雄割拠の時代にあった10世紀の東チベットを舞台にした、英雄叙事詩である。地上の争いを収めるために天は一人の子供を地上に遣わす。その子ケサルは叔父にいじめられたりしながらも無事に成長し、12歳の時に乗馬の長距離レースに勝利して王位につき、周囲の国々を支配下に入れ、そこに仏教を広めて世界を平和にしていく。
話の見所は、ケサルの酒好き女好きなところ、また、天から遣わされた英雄であるため、単純に武力ではなく、知力を尽くして敵を倒すところにある。
ケサルが競馬で勝利した部分を紹介する際、現代のリタンの競馬の映像が流れた。伝統的な衣装に身を包み、宝石を全身につけたカムの女たち。その女の子たちの気を引こうと曲乗りをする男たち。
1kmの長距離馬レースは、先頭をきって走る馬のまわりに、ジープやバイクにのった青年がもりあがって併走するため、初日の出走行をする暴走族を想起させる、そこはかとないガラの悪さが・・・。
2. 現在のケサルの受容形態
● ケサルには全部あつめると100とも言われるさまざまなエピソードがある。今はこのエピソードは文字におこされて、叢書として出版されているが、本来は語り部と呼ばれる人が口承で伝えてきたものだ。しかも、このような語り部は、もともと教育を受けていない文字も読めない・かけない人が多く、ある日突然天の啓示を受けてしゃべりだす。洋の東西を問わず詩人・文学者の才能は天からくるものなのである。
興味深かったのは、ウーセルという名の医者であり、彼の下には今日も新しいケサルの物語が降りてきている。もずダイク(brda yig)と呼ばれる象徴的な一連の文字が頭に浮かび、それにともなって物語があふれでて、一気に書き上げていくのだという。モーツァルトか。
●東チベットにおいてケサルは絶大な人気を誇るため、リタンやギグドなどの大きな町にはケサルの像がたつ。興味深かったのは、ケサルの仮面舞踏を伝えるゾクチェン寺の話。ゾクチェン五世の頃、彼が夢で感得した内容に基づいて、ケサル伝に登場する様々なキャラクターの仮面が作られ、以来寺ではケサルの仮面舞踏を受け継いできた。そして2011年のゾクチェン寺のケサル舞踊の映像が映し出される。
カラフルな仮面と衣装がとても美しい。中でも笑ったのは、ケサルの誕生とともに、世の中は生命力にあふれたため、動物の子供たちがたくさん生まれたという件で、鳥や獣やはてはヘビのきぐるみをきた人間が本堂の階段を駆け下りてくる。
ケサルもケサルの30人の将軍も巨大な仮面をかぶるので、視界が狭そう。その狭い視界で、ゾクチェン寺の凍り付いた階段をかけおりてくるのだから、いつ、誰かが転んでもおかしくはない。私だったらあの階段をあの早さであの仮面をつけて走り降りたら、三段で転ぶ。
この仮面舞踊は本当にすばらしかった。awesome!
●次に印象深かったエピソードは、ケサルの30将軍の一人の生まれ変わりと言われるルクジャ・リンポチェ。この方は棒につるしたナイロンの布を用いて、岡の上に仮設の仏塔の姿を作り出す運動を行っている。この仏塔が完成すると、その仏塔の扉部分にあたるところに、教典や五穀などをつめた壺を埋蔵していく。チベットのニンマ派には開祖パドマサンバヴァが、来るべき仏教弾圧の時代に備えて、チベット各地に教典や法具を埋蔵したという伝説があるため、それにちなんで、行っている儀式である。ニンマ派の伝統が東チベットには今も力強く生きていて、コミニュティをまとめていることに感心した。
3. 中国によるチベットの弾圧
東チベットはどこよりも早く人民解放軍の蹂躙を受けて、大きな被害を出した。東チベットの中核都市リタンも、中核となる僧院は空爆を受けて破壊され、多数の僧侶が犠牲になった(しかも、中国共産党はこれを隠している)。また、今は再建されたゾクチェン寺も文革によって一度廃墟となっている。ハコモノとしての寺が再建された後も長い間座主は空席であり、七年前、北京の高級仏教学院卒のゾクチェン10世が座主になったという。つまり、今目の前にしているゾクチェン寺の本堂も、ケサルの像も仮面もみな三十年前に作り直したものなのである。
また、2008年オリンピックの年のチベット人蜂起のあと、あらゆる「チベット人の集まる催し」は中止された。なので、ドキュメンタリーで流れた2011年のゾクチェン寺の仮面舞踏も、三年ぶりに再開されたものであった。ルクジャ・リンポチェの埋蔵儀礼も当日になって予定が発表するなど、当局の圧力が随所に垣間見えている。
また、ケサルの魂を宿すという霊峰アムニェ・マチンも、中国人による鉱山開発で荒らされている。また、何より悲しむべきは、中国政府は「遊牧民たちが過放牧をすることによって草原を荒らしている」と主張し、彼らに遊牧地を放棄させ、町のはずれの団地に強制移住させる政策をとっていることだ。
草原があれる理由は地球温暖化や西部大開発(はい日本がお金だしてます)にも原因があるにもかかわらずである。
近代教育を受けていない遊牧民たちは当然のことながら、その時点から日本でいえば生活保護者のようになり、誇りももてない未来のない人生が始まる。ケサルを語り継いできた自給自足の誇り高い草原の民が、中国支配下のチベットではみじめな生活保護者になっていく。目も当てられない。
そこで、これらを受けて、最後の部分がでてくるのである。
4. チベット人がケサルに託す思い
ケサルは強くかつ慈悲深いの王として描かれている。監督は、ケサルの慈悲の面については、中国支配下のチベットにおいて慈悲の化身であるダライラマ14世をおおっぴらに信仰できないチベット人にとって、ダライラマにかわる機能を果たしている、とする。
さらに、ケサルの武の面に対する崇拝は、中国にここまで蹂躙されても押さえられないチベット人の民族再興の思いが託されている、と結ぶ。
監督は最後にこのような言葉でしめくくった。
2009年、ケサル語りは世界遺産無形文化財に登録された。それとともに漢語でのアニメ化、映画化が始まっている。ケサルが漢族の英雄になっていくことを危惧する。
パンダのように。
とこういったカンジです。
全体に非常にいい素材なので、整理すればかなりよくなると思います。
最後に独断と偏見に基づいて私の希望を一言。
作中に英語の通訳として登場する20代前半のツェリンくんが影のあるイケメンで、一緒にこのドキュメンタリーを見ていた女性陣のハートをわしづかみにしていた。ツイッターでツイートしても彼がイケメンであるという点はみなが一致していたので、以下提案。
都会のチベット人であるツェリン君が、ケサルについてしらべていく内に自らの文化を再発見していくという構成で全体をまとめたら、少なくとも日本女性はDVDをまとめ買いすることと思います(笑)。
次のエントリーで今年の五大ニュースならびにSFTの新作カレンダーの紹介します。期待してね!
「日常」の奇跡
今年ももう一月をきった。とにかくいろいろあった一年だった。
たとえば親しいものをなくした時、人は世界が崩壊するような感覚を味わうが、ふと翻れば自分以外の人々は普通の日常を生きている。
「日常」が周囲にある限り、今はその世界が遠く感じられても、いつかはそこに戻れる予感がどこかにある。
しかし、今回の大災害は東日本の人々を多かれ少なかれすべて巻き込むハンパない規模であったため、東日本の「日常」は311から一月ほど麻痺状態に陥った。とくに最初の十日間はひどかった。
ほとんどの人が緊急地震速報を設定していたため、電車の中とかで速報がなると、みながどうしていいか分からず不安に目を泳がせた。また、最初の一週間はじつは原発どうなっていてもおかしくない状態であり、とくに15日には空間放射線量がどんどんあがっていき、それが翌日下がったのでちょと安心したら、21日の雨とともにしっかり地上に舞い降りた。
ついで、水道からはヨウ素が検出。
こんな状態だったので、最初の十日間は、毎日ネットで、空間放射線量、風向き、地震情報、水道水の中の放射性物質のチェックを行うなど、戦場かよ、という状態だった。
パニック映画の中にリアルで投げ込まれたものだから、あの頃はもう映画とか小説とか「つくりもの」は「もう沢山」という感じで、とにかく「事実」「本当のこと」「ホンモノの専門家は誰なのか」を追い求めた。
あれから、九ヶ月。東京にいる自分の周りにはとりあえず「日常」が戻ってきた(被災地の方はまだまだ日常にはもどっていないと思います。一日も早く日常が戻りますように)。
でも、何か前とまったく同じではないことに多くの人は気づいているのではないか。たとえば今、銀杏や桜の紅葉が美しいが、私は去年より数段美しく感じられる。また、晴れた日曜日の公園のグラウンドで子供たちがサッカーして遊んでいるのを見ると、また、お父さんに手を引かれた小さな子供が笑っているのをみると、本当に「ああ平和だなあ」と思える(311のあと公園は晴れても無人だった)。
失ってみてはじめて「日常」がいかに奇跡であったかが実感されたからである。これはよくガン・サバイバー、あるいは臨死体験をした人とかが言っていることだが、人は命が有限であることに気づいて初めて、今の自分の置かれている立場がいかに恵まれているか、いかに奇跡であるかに気づくことができる。
いずれ死によって終わる期限付きであるからこそ、日常が輝きだし、人は誰かのためになろう、あるいは、何かをなしとげよう、今のままではいかん、という気もおきてくる。過酷な体験を通じて、これらに気づいた人も多いのではないか。
以下は、ゲン・ロサン先生のご講話のアメリカン・ポップス版である。和むので聞いてね。
Ordinary Miracle Sarah McLachlan
日常の奇跡 サラ・マクラクラン
It's not that unusual When everything is beautiful
すべてのものが美しい時、それは何の不思議もないわ
It's just another Ordinairy miracle today
それもまた今日おきている、日常の奇跡
The sky knows when it's time to snow 空はいつ雪を降らすか知っている
Don't need to teach a seed to grow 種は教わらずとも育つ
It's just another それもまた今日起きている
Ordinairy miracle today 日常の奇跡
Life is like a gift, they say Wrapped up for you everyday
人生は天からのあなたのために毎日とどけられる贈り物。
Open up, and find a way To give some of your own
あなた自身の持てるものを〔世界に〕捧げるべく、それを開けて、道をみつけて
Isn't remarkable? すばらしいと思わない?
Like everytime a raindrop falls 雨は降ってくる
It's just another Ordinairy miracle todayこれもまた今日起きている日常の奇跡
The birds in winter have their fling 冬の鳥はいろいろなところに散っているけど
And always make it back by spring 春になったら故郷に戻る
It's just another Ordinary Miracle それもまた今日起きている、日常の奇跡
Ordinairy miracle today
When you wake up everyday あなたが毎日目を覚ます時
Please don't throw your dreams away 夢を捨てないで
Hold them close to your heart それを心臓の近くにしっかり抱いていて
'Cause we are all a part なぜならわれわれはつながっているから
Of the ordinairy miracle 日常の奇跡で
Ordinairy miracle 日常の奇跡で
Do you want to see a miracle あなたは奇跡が見たい?
It seems so exceptional That things just turn out after all物事はすべてなるようになる、それは特別なことじゃない
It's just another Ordinairy miracle today それもまたもう1つの日常の奇跡
The sun comes out and shines some bright 太陽が昇り、光があふれ
And disappears again at night その光もまた夜には消えていく
It's just another これもまたもう1つの
Ordinairy miracle today 今日起きている日常の奇跡
It's just another
Ordinairy miracle today
たとえば親しいものをなくした時、人は世界が崩壊するような感覚を味わうが、ふと翻れば自分以外の人々は普通の日常を生きている。
「日常」が周囲にある限り、今はその世界が遠く感じられても、いつかはそこに戻れる予感がどこかにある。
しかし、今回の大災害は東日本の人々を多かれ少なかれすべて巻き込むハンパない規模であったため、東日本の「日常」は311から一月ほど麻痺状態に陥った。とくに最初の十日間はひどかった。
ほとんどの人が緊急地震速報を設定していたため、電車の中とかで速報がなると、みながどうしていいか分からず不安に目を泳がせた。また、最初の一週間はじつは原発どうなっていてもおかしくない状態であり、とくに15日には空間放射線量がどんどんあがっていき、それが翌日下がったのでちょと安心したら、21日の雨とともにしっかり地上に舞い降りた。
ついで、水道からはヨウ素が検出。
こんな状態だったので、最初の十日間は、毎日ネットで、空間放射線量、風向き、地震情報、水道水の中の放射性物質のチェックを行うなど、戦場かよ、という状態だった。
パニック映画の中にリアルで投げ込まれたものだから、あの頃はもう映画とか小説とか「つくりもの」は「もう沢山」という感じで、とにかく「事実」「本当のこと」「ホンモノの専門家は誰なのか」を追い求めた。
あれから、九ヶ月。東京にいる自分の周りにはとりあえず「日常」が戻ってきた(被災地の方はまだまだ日常にはもどっていないと思います。一日も早く日常が戻りますように)。
でも、何か前とまったく同じではないことに多くの人は気づいているのではないか。たとえば今、銀杏や桜の紅葉が美しいが、私は去年より数段美しく感じられる。また、晴れた日曜日の公園のグラウンドで子供たちがサッカーして遊んでいるのを見ると、また、お父さんに手を引かれた小さな子供が笑っているのをみると、本当に「ああ平和だなあ」と思える(311のあと公園は晴れても無人だった)。
失ってみてはじめて「日常」がいかに奇跡であったかが実感されたからである。これはよくガン・サバイバー、あるいは臨死体験をした人とかが言っていることだが、人は命が有限であることに気づいて初めて、今の自分の置かれている立場がいかに恵まれているか、いかに奇跡であるかに気づくことができる。
いずれ死によって終わる期限付きであるからこそ、日常が輝きだし、人は誰かのためになろう、あるいは、何かをなしとげよう、今のままではいかん、という気もおきてくる。過酷な体験を通じて、これらに気づいた人も多いのではないか。
以下は、ゲン・ロサン先生のご講話のアメリカン・ポップス版である。和むので聞いてね。
Ordinary Miracle Sarah McLachlan
日常の奇跡 サラ・マクラクラン
It's not that unusual When everything is beautiful
すべてのものが美しい時、それは何の不思議もないわ
It's just another Ordinairy miracle today
それもまた今日おきている、日常の奇跡
The sky knows when it's time to snow 空はいつ雪を降らすか知っている
Don't need to teach a seed to grow 種は教わらずとも育つ
It's just another それもまた今日起きている
Ordinairy miracle today 日常の奇跡
Life is like a gift, they say Wrapped up for you everyday
人生は天からのあなたのために毎日とどけられる贈り物。
Open up, and find a way To give some of your own
あなた自身の持てるものを〔世界に〕捧げるべく、それを開けて、道をみつけて
Isn't remarkable? すばらしいと思わない?
Like everytime a raindrop falls 雨は降ってくる
It's just another Ordinairy miracle todayこれもまた今日起きている日常の奇跡
The birds in winter have their fling 冬の鳥はいろいろなところに散っているけど
And always make it back by spring 春になったら故郷に戻る
It's just another Ordinary Miracle それもまた今日起きている、日常の奇跡
Ordinairy miracle today
When you wake up everyday あなたが毎日目を覚ます時
Please don't throw your dreams away 夢を捨てないで
Hold them close to your heart それを心臓の近くにしっかり抱いていて
'Cause we are all a part なぜならわれわれはつながっているから
Of the ordinairy miracle 日常の奇跡で
Ordinairy miracle 日常の奇跡で
Do you want to see a miracle あなたは奇跡が見たい?
It seems so exceptional That things just turn out after all物事はすべてなるようになる、それは特別なことじゃない
It's just another Ordinairy miracle today それもまたもう1つの日常の奇跡
The sun comes out and shines some bright 太陽が昇り、光があふれ
And disappears again at night その光もまた夜には消えていく
It's just another これもまたもう1つの
Ordinairy miracle today 今日起きている日常の奇跡
It's just another
Ordinairy miracle today
砂マンダラ・トークショー
bTibet完結編。第三部は砂マンダラワークショップ。
チベット仏教といえば、しぶい日本仏教とは対照的に、原色のカラフルなタンカ(仏画)や華やかな荘厳で知られる。なかでも灌頂儀礼の際に作られる砂マンダラの華やかで精緻な美しさは日本人に人気で、儀式と切り離してこのマンダラだけをほしがる人も多く、かつては現代美術のワタリウムとか、池袋のオリエント博物館とかにおいて、儀式ぬきで砂マンダラだけを作るイベントがあった。
本格嗜好のbTibetでマンダラかいたら儀礼をしなければいけないので、今回はアボ(mmba)が皆の前でマンダラのなかに描かれる白傘盖(gdugs)を実演で描き、その間みなの質問を野村君が受け付けるというゆるいカタチで進行した。
野村君「宮島でダライラマ法王が金剛界と胎蔵界の灌頂を行われた際に描かれた砂マンダラは、固めて保存してあります。これをアウトソーシングでかためると500万かかると言われたので、専用の接着剤を手に入れて、アボと二人で試行錯誤して固めました。ちょっとの砂をいろいろな濃さの接着剤でかためてみて、何日で固まるかどれくらいのかたさになるか、がんばって調べました。そうして固めた砂マンダラは、今は宮島の大聖院のチベット堂の中に立てかけてあります。」
真言宗のお寺ではたしかに本尊をはさんで両側に両界マンダラをたてるが、砂マンダラを垂直に立ててしまうとは、まさに接着剤の驚異!
野村君「砂マンダラを描くさいの砂は、昔は宝石の粉を用いていましたが、今は岩石の粉にアクリル絵の具で色づけしたものを用いています。」
砂で精密な模様をかくためには、細い管から数粒ずつの砂をおとしていくような繊細なワザが必要となる。その細い管はチベット語でツァプル(tsabs ru)といい、この管の側面についた刻みを別のツァプルで細かくこすって震動をつくることにより、砂を数粒ずつだすのだ。
「絵柄をしくじった時、あるいは、こぼれた砂を回収する時にはこのツァプルの入り口にガーゼをあてて吸い込んで砂を集めます。」
「こうして時間をかけて作り上げた砂マンダラも儀式が終わると壊されます。これを日本人はよく『無常を示すため』と解説しますがあれはガセです」(もう少し品のいい表現はないものか)
「ジャマだから壊すのです。チベットではいろいろな本尊で儀式をやりますから、そのたびに固定した材料でマンダラを作ってそれが残ったらジャマだから、すぐ壊せるように砂で作るのです」
そこで私、質問者のマイクを奪って質問「ええ、でも野村君、去年胎蔵界の砂マンダラを作った際に、その解説で、マンダラを砂で作るのは、マンダラの構造は部外者に対してはヒミツなので、侵入者がきた時にすぐ壊せるように砂で描くって書いてなかった?」
野村君「それもそうです。すぐ壊せるという意味で同じことです。」(でもジャマだからとヒミツを守るではずいぶんニュアンスが違うよ!)
というところで、清風学園校長先生平岡センセから一言
「昔、ギュメで砂マンダラを作った僧侶に、マンダラを壊す時の気持ちを聴いた時、悔しさなど、複雑な感情が湧いてくる、と言っていました。作った者にとっては無常を観想する大切な機会として伝承されていることは事実です。」
私「儀式が終わって砂マンダラを壊した後、砂を川とか湖とかに流しにいきますよね。あれは水の生き物に対する供養だと聞きましたが、あれもガセですか」(←コラコラ)
野村君「それは本当です。」
私「でも儀式の終わりに、砂マンダラの砂からは本尊の智サッタは抜きますよね。ただの岩石の粉が水の生き物の供養になるんですか」
野村君「お加持の力は残っているからなります」
ここで護国寺のIさん、護国寺で砂マンダラ作った際の写真をみなさんに披露。写真はiPadに入っている。作務衣姿のIさんがiPadを操っている姿をみているうちに、これは禅が好きだったというジョブスの供養になるなと思ったが、ちょと違うか(笑)。
護国寺で砂マンダラをつくった際には近い川ということで、神田川に流しにいった。この時のトルマ(供養のはったい粉とバターをこねてつくる供養の品)には、ヘビがまきついたカタチになっている。不思議なことにこの日、大雨がふったそうである。
私「龍神様が感応してますねー。さすがチベット。日本の神様まで動くなんてすごいっすねー。ところで、砂マンダラをつくっているさなかにくしゃみしたりとかして砂がふきとんだら、それってやはり『魔が入った』とか言うんですか」
野村君「そういうかどうか知りませんが、折角作ったものが壊れるとみな疲れます。広島で砂マンダラを作った時には、夏で虫が多くて、ある朝、砂曼荼羅の上を虫が歩いた後があり、脱力したことがありました。完成したところをロープを落として壊したこともあり、その時も全員脱力しました」
男性A「砂マンダラを作る時お坊さんはマントラを唱えながら、作るのですか」
野村君「それは日本にゲイシャさんがいるといった類の話ですね。外人はそういうところ(神秘的・敬虔な側面)ばかり取り上げたがりますが、そればかりではないです。」
これに対しても平岡センセからメッセージ
「灌頂の際に、弟子や阿闍梨が普通の姿でマンダラに入ることが無いように、砂マンダラを描く者も、灌頂を授ける阿闍梨の観想内容と同じことをしてマンダラ作成を行うことになっています。この観想無しに砂マンダラを描くなら密教の戒律違反となります。 」
そして、アボに話かけるが、白傘盖を描くのに集中していてアボは答えない。すると野村君は「お坊さんは砂マンダラを作り始めると何時間でも集中して、周りの雑音は耳に入らなくなります。アボはこうやって砂マンダラをつくるのがうまいですが、ゲンギャウはいくら練習してもうまくできないと言っていました。やはり向き不向きはあるみたいです。」
ふむふむ。やはり最後は職人芸というわけね。
このあと希望者がお坊さんと同じ道具をつかって砂で絵を描いたりする体験もさせてもらえた。なかなかおもしろかった。
最後にお知らせです。『旅行人チベット』『知識ゼロからのダライラマ入門』(幻冬社)など、チベット関連の啓蒙書の数多い出版で知られる長田幸康さんが、『心の安らぎに出会える仏教の教え』という新刊を出されました。
長年にわたるチベット人とのおつきあいの中で得た仏教の実践の仕方を、長田さんのわかりやすい文体で説いてくれます。軽い読み物のようでいて、「四聖諦」「縁起と空」「六波羅蜜」「六道輪廻」など基本的な思想はすべて押さえた、伝統を大事にした構成になっています。
「チベット語の辞書には「頑張る」という言葉はない。」
「日本人が頑張るのは自分のため。チベット人が頑張るとしたら一切の他の生き物のため。」
とかいったなかなか示唆にとんだエピソードがてんこもりです。
東日本大震災・原発事故などで不安にかられる人に特化して書かれたものであることは文章のの端々から明らかで、どの説明にも一貫して、必殺シャーンティデーヴァの
「対処のしようがあるのなら全力で対処せよ。対処のしようがないのならくよくよ思い悩むな」あるいは
「足の裏が傷つかないように世界中に虎の皮をしきつめることができないのなら、靴を履いた方がはやい」→「不幸は起きるのだから、不幸を避ける努力よりも、自分の心を強くする方が手っ取り早い」などのチベット仏教の精神が貫かれております。
こういう手頃な仏教書って本当に少ないのでみなさん手にとってみてください
チベット仏教といえば、しぶい日本仏教とは対照的に、原色のカラフルなタンカ(仏画)や華やかな荘厳で知られる。なかでも灌頂儀礼の際に作られる砂マンダラの華やかで精緻な美しさは日本人に人気で、儀式と切り離してこのマンダラだけをほしがる人も多く、かつては現代美術のワタリウムとか、池袋のオリエント博物館とかにおいて、儀式ぬきで砂マンダラだけを作るイベントがあった。
本格嗜好のbTibetでマンダラかいたら儀礼をしなければいけないので、今回はアボ(mmba)が皆の前でマンダラのなかに描かれる白傘盖(gdugs)を実演で描き、その間みなの質問を野村君が受け付けるというゆるいカタチで進行した。
野村君「宮島でダライラマ法王が金剛界と胎蔵界の灌頂を行われた際に描かれた砂マンダラは、固めて保存してあります。これをアウトソーシングでかためると500万かかると言われたので、専用の接着剤を手に入れて、アボと二人で試行錯誤して固めました。ちょっとの砂をいろいろな濃さの接着剤でかためてみて、何日で固まるかどれくらいのかたさになるか、がんばって調べました。そうして固めた砂マンダラは、今は宮島の大聖院のチベット堂の中に立てかけてあります。」
真言宗のお寺ではたしかに本尊をはさんで両側に両界マンダラをたてるが、砂マンダラを垂直に立ててしまうとは、まさに接着剤の驚異!
野村君「砂マンダラを描くさいの砂は、昔は宝石の粉を用いていましたが、今は岩石の粉にアクリル絵の具で色づけしたものを用いています。」
砂で精密な模様をかくためには、細い管から数粒ずつの砂をおとしていくような繊細なワザが必要となる。その細い管はチベット語でツァプル(tsabs ru)といい、この管の側面についた刻みを別のツァプルで細かくこすって震動をつくることにより、砂を数粒ずつだすのだ。
「絵柄をしくじった時、あるいは、こぼれた砂を回収する時にはこのツァプルの入り口にガーゼをあてて吸い込んで砂を集めます。」
「こうして時間をかけて作り上げた砂マンダラも儀式が終わると壊されます。これを日本人はよく『無常を示すため』と解説しますがあれはガセです」(もう少し品のいい表現はないものか)
「ジャマだから壊すのです。チベットではいろいろな本尊で儀式をやりますから、そのたびに固定した材料でマンダラを作ってそれが残ったらジャマだから、すぐ壊せるように砂で作るのです」
そこで私、質問者のマイクを奪って質問「ええ、でも野村君、去年胎蔵界の砂マンダラを作った際に、その解説で、マンダラを砂で作るのは、マンダラの構造は部外者に対してはヒミツなので、侵入者がきた時にすぐ壊せるように砂で描くって書いてなかった?」
野村君「それもそうです。すぐ壊せるという意味で同じことです。」(でもジャマだからとヒミツを守るではずいぶんニュアンスが違うよ!)
というところで、清風学園校長先生平岡センセから一言
「昔、ギュメで砂マンダラを作った僧侶に、マンダラを壊す時の気持ちを聴いた時、悔しさなど、複雑な感情が湧いてくる、と言っていました。作った者にとっては無常を観想する大切な機会として伝承されていることは事実です。」
私「儀式が終わって砂マンダラを壊した後、砂を川とか湖とかに流しにいきますよね。あれは水の生き物に対する供養だと聞きましたが、あれもガセですか」(←コラコラ)
野村君「それは本当です。」
私「でも儀式の終わりに、砂マンダラの砂からは本尊の智サッタは抜きますよね。ただの岩石の粉が水の生き物の供養になるんですか」
野村君「お加持の力は残っているからなります」
ここで護国寺のIさん、護国寺で砂マンダラ作った際の写真をみなさんに披露。写真はiPadに入っている。作務衣姿のIさんがiPadを操っている姿をみているうちに、これは禅が好きだったというジョブスの供養になるなと思ったが、ちょと違うか(笑)。
護国寺で砂マンダラをつくった際には近い川ということで、神田川に流しにいった。この時のトルマ(供養のはったい粉とバターをこねてつくる供養の品)には、ヘビがまきついたカタチになっている。不思議なことにこの日、大雨がふったそうである。
私「龍神様が感応してますねー。さすがチベット。日本の神様まで動くなんてすごいっすねー。ところで、砂マンダラをつくっているさなかにくしゃみしたりとかして砂がふきとんだら、それってやはり『魔が入った』とか言うんですか」
野村君「そういうかどうか知りませんが、折角作ったものが壊れるとみな疲れます。広島で砂マンダラを作った時には、夏で虫が多くて、ある朝、砂曼荼羅の上を虫が歩いた後があり、脱力したことがありました。完成したところをロープを落として壊したこともあり、その時も全員脱力しました」
男性A「砂マンダラを作る時お坊さんはマントラを唱えながら、作るのですか」
野村君「それは日本にゲイシャさんがいるといった類の話ですね。外人はそういうところ(神秘的・敬虔な側面)ばかり取り上げたがりますが、そればかりではないです。」
これに対しても平岡センセからメッセージ
「灌頂の際に、弟子や阿闍梨が普通の姿でマンダラに入ることが無いように、砂マンダラを描く者も、灌頂を授ける阿闍梨の観想内容と同じことをしてマンダラ作成を行うことになっています。この観想無しに砂マンダラを描くなら密教の戒律違反となります。 」
そして、アボに話かけるが、白傘盖を描くのに集中していてアボは答えない。すると野村君は「お坊さんは砂マンダラを作り始めると何時間でも集中して、周りの雑音は耳に入らなくなります。アボはこうやって砂マンダラをつくるのがうまいですが、ゲンギャウはいくら練習してもうまくできないと言っていました。やはり向き不向きはあるみたいです。」
ふむふむ。やはり最後は職人芸というわけね。
このあと希望者がお坊さんと同じ道具をつかって砂で絵を描いたりする体験もさせてもらえた。なかなかおもしろかった。
最後にお知らせです。『旅行人チベット』『知識ゼロからのダライラマ入門』(幻冬社)など、チベット関連の啓蒙書の数多い出版で知られる長田幸康さんが、『心の安らぎに出会える仏教の教え』という新刊を出されました。
長年にわたるチベット人とのおつきあいの中で得た仏教の実践の仕方を、長田さんのわかりやすい文体で説いてくれます。軽い読み物のようでいて、「四聖諦」「縁起と空」「六波羅蜜」「六道輪廻」など基本的な思想はすべて押さえた、伝統を大事にした構成になっています。
「チベット語の辞書には「頑張る」という言葉はない。」
「日本人が頑張るのは自分のため。チベット人が頑張るとしたら一切の他の生き物のため。」
とかいったなかなか示唆にとんだエピソードがてんこもりです。
東日本大震災・原発事故などで不安にかられる人に特化して書かれたものであることは文章のの端々から明らかで、どの説明にも一貫して、必殺シャーンティデーヴァの
「対処のしようがあるのなら全力で対処せよ。対処のしようがないのならくよくよ思い悩むな」あるいは
「足の裏が傷つかないように世界中に虎の皮をしきつめることができないのなら、靴を履いた方がはやい」→「不幸は起きるのだから、不幸を避ける努力よりも、自分の心を強くする方が手っ取り早い」などのチベット仏教の精神が貫かれております。
こういう手頃な仏教書って本当に少ないのでみなさん手にとってみてください
ルントクさんの人生
●映画「ケサル大王伝」
チベットを代表する英雄叙事詩ケサル縁の地をめぐるドキュメンタリーです。
12月 3日(土) 浜松町南口・金杉口 カラバッシュ 午後3時半開映 1000円
12月10日(土) 三鷹駅南口 沙羅舎 午後4時半開映 1500円
(第三回三鷹いのちと平和映画祭で「反原発」映画と併映) 要予約
12月17日(土) 東中野駅西口 ポレポレ坐 午後2時半開映 1500円
12月10日以外の会は当日券のみ
チベットを代表する英雄叙事詩ケサル縁の地をめぐるドキュメンタリーです。
12月 3日(土) 浜松町南口・金杉口 カラバッシュ 午後3時半開映 1000円
12月10日(土) 三鷹駅南口 沙羅舎 午後4時半開映 1500円
(第三回三鷹いのちと平和映画祭で「反原発」映画と併映) 要予約
12月17日(土) 東中野駅西口 ポレポレ坐 午後2時半開映 1500円
12月10日以外の会は当日券のみ
遅くなってすみません。bTibet講座後半戦、法王事務所のルントクさん(ダライラマ法王が来日された折、法王のお側で膝つきで通訳しているお坊さんのような頭をされた背広きた方 笑)のこれまでの人生とロサン・プンツォ師の砂マンダラワークショップの報告です。赤字の部分は私の雑感です。
ゲン・ロサン先生のお話のあと、ルントクさんのお話が始まるまでの間、短い休憩時間があった。そこでYさんとかNくんとかが、「ルントクさんの黒帯しめた秘蔵映像がありますよ」と煽る煽る。
でルントクのお話がはじまると、「私の人生なんて話すことそんなにないですから、昔の映像をおみせします。あとは質問形式ということにさせていただきます」といい、「ある無国籍者の帰国」という1996年のNNNの特集が30分?くらい流れた。
ある無国籍者とはルントクさんのことで、チベット難民が日本においては「中国人」と登録されることを拒否すると、「チベット人」としてではなく「無国籍者」と記録されることを意味する。以下は映像の内容ですが、ルントクさんがフリートークで話した内容で多少情報を補いました。
ルントクさんはインド・ムズリーのチベット中央学校卒業後、日本で農業を学ぶ若者を募集していることを知り、それに応募して1980年の5月29日に来日した。
ルントクさん曰く「その時わたしの日本に関する知識は着物をきた女の人と国際大会で活躍する柔道家でした。だから、農業を学べば、おいしい果物とか食べられるかと思い、また、日本で柔道を学んで中国人と戦う力をつけようと思いました」
そしてナレーターの説明。ルントクさんのお父上は中国人に牢屋に入れられて殺された。だから、ルントクさんは柔道によって中国人を腕力でねじふせようと思った。肉親を殺され、ふるさとを破壊されたら誰だってそう思うだろう。
そして、映像は17歳?で日本に来たばかりのルントクのさんの証明写真をうつしだす。
髪の毛がフッサフサ!!
しかし、そんなルントクさんに転機が訪れる。病気をして日本の病院に入り、日本人の患者さんたちと仲良くなった。しかし日本人はみなチベットのことを何もしらない。日本人は「チベット? 高山ですよね。鳥葬するんですね」そんなイメージだけ。ルントクさん「私はチベットのことを日本人に伝える役目があるのではないかと思いました。」
しかし、ルントクさんはチベットの生活文化はみにつけていても、チベットの歴史や文化についての知識は乏しかった。そこで拓殖大学に入り、日本とアジアの歴史を勉強しはじめ、卒業生総代に選ばれるほど優秀な成績で卒業した。そして大学院に残り、拓殖大学海外事情研究所に所属し、中国とチベットの関係について研究し日本語の本『チベットと中国の建国とチベットの変化』も出版した。
そして、その合間に、チベットを知ってもらおうと、料理教室でチベット料理を教えたり、軽いエッセーも書いた。そこで、ルントクさんの厨房映像が流れる。ルントクさんの大根の切る手さばきはタタタタタと神のようにすばやい。賭けても良いが、私より料理はうまいな。
ナレーター「ルントクさんは生活費をすべてバイトでまかなっていたため、部屋代の安い北千住のアパートで質素な暮らしをしていた。そんな生活の中でも、ちゃんとバター茶だけは毎日つくって飲んでいた。「バター茶からは失われた祖国の香りがただよってくるから」」
ルントクさん談「わたしたちはどの国にいっても難民である。どの国も寛大にわたしたちを受け入れてくれるが、自分の国がないということは非常にみじめである。みな、自分の国があるから、人と対等に喧嘩もできるし、自分が正しいと主張できる。でも、自分たちには国がないので、そうできない。大学にはいって中国人の学生たちとであうと、中国人は無邪気に「あなたは中国人ですね」と言ってきたが、自分は頑として「チベット人です」と答えていた。日本の政治家はチベットの実情を知っているのに、中国のメンツを考えて、中国の言い分にのっとって中国によりの発言を繰り返している。これはよくない。」(すいません。この点は最近少し改善してきたと思います)
日本で外国人登録をしようと思うと、役所の窓口で中国籍にするようにいわれる。それを拒否すると無国籍とされる。役所にインタビューするとそれは「国の指導に基づいて」であるという。
画面切り替わって、日本のホテルで行われるダライラマ法王の誕生パーテイが映し出される。その時、ちょうど超党派の議員によって構成される「チベット問題を考える議員連盟」が結成された年だった(現在もあるのだけど、中国政府が議員の支援者の中国工場にいやがらせをしたりして露骨な切り崩し工作を行ったため、現在は多くの議員は名前を明らかにしていない。日本人ヘタレ!)。
そして、ルントクさんがダラムサラ(インドにある亡命チベット政府の所在地)に帰還することになり、埼玉にいる在日チベット人たちの間でお別れパーティが開かれる。彼らは成田山新勝寺の支援で日本にわたってきて、日本で医学を学び、お医者さんや看護師さんになった人達である。
看護師さん「〔ルントクさんの帰還は〕チベットの役に立つためのものなので、寂しいというよりは嬉しいことである。ダライラマ法王がアメリカに行く時には偉い人を迎え入れるようにしてくれるのに、日本はダライラマ法王をなかなかそのようにいれてくれない。日本の偉い人にもあわせてくれない」(はい、これは21世紀の今年になってもそうです。ごめんなさい。)
ダラムサラに戻ったルントクさんは、ダライラマの警護や日本語通訳の仕事を担当する。16年ぶりに歩くダラムサラの街はずいぶん整ってきていた。チベット青年会議の記念日の集まりに参加するが、チベット問題に対する国際的な関心がたかまっているのを感じた。
そこから、ダラムサラ紹介、引き続き、1989年のチベット蜂起の時に、中国の軍人がラサのチョカンに乱入してチベットのお坊さんをふるぼっこにして連行する映像が流れる(この映像は居合わせたイギリス人が靴底に隠して命がけで持ちだしたもの。YOUTUBEで検索できます)。
そしてダライラマのお話「簡単にいうと中国はチベットの宗教文化を破壊しているのです。」というわけで、ビデオ終了。mmba野村くんがルントクさんに質問するという形で議事進行。
●野村くん「何をきっかけにして法王事務所に入って今のような仕事を始められたのですか」
ルントクさん「チベット人なら誰でも法王のお側に一歩でも近づきたいと思っています。だから、法王警護の話がきた時、すぐに受けました。まず攻撃と防御の訓練をしました。そして七年間ダライラマ法王の警護としてつとめ、日本から畳48畳をもってきて、ダラムサラに道場もつくりました。七年間お勤めした後、日本代表事務所から日本語できる人が欲しいと言われ、その頃警備課には若い人も多かったので、自分が抜けても大丈夫だろうと、2003年に再び日本に戻り、法王事務所につとめるようになりました。
チベット政府内の官僚になると、何かあればダライラマ法王とチベットの精神に傷がつきますから、慎重の上にも慎重を期さなければなりません。誰に恥じることもないような行いをするようにしています。
●野村君「道場はいまもあるんですか」
ルントクさん「今もあります。週に二回はは空手、二回は柔道 二日は体操に使っています。日本から先生を呼んで稽古もつけてもらっています。」
●野村君「ダライラマ法王の生活について聞かせてください。」
ルントクさん「法王の生活は五十年間同じです。午前三時に起床して、修行を始めます。法王の日常生活を身近にみる機会のある警備の人は、インド人とチベット人がいますが、インド人の方がチベット人より法王を尊敬しているくらいです。ダライラマ法王とわれわれチベット人の関係は千年以上の歴史があり、チベット人は法王にこの上ない尊敬をもっています。簡単に述べられるようなものではありません。簡単にまとめることは失礼だと思います。」
●野村君「法王は今年に入って二回も来日され、震災の四十九日法要、石巻での法要を行ってくださいました。法王は、日本にたいして特別な思いがあるのでしょうか。」
ルントクさん「法王はすべての衆生を思っており、すべての生き物に同じ思いやりをもっていますが、とくに、日本に対する感情は特別であると思います。日本とチベットは河口慧海のチベット入り以来、百年以上の関係がありますし、文化の面で似ているところもあります。法王が亡命後、初の海外渡航先に選んだのも日本でした。」
今回の震災にあたり、法王は「最悪の事態だ、何とかしなければ」と思われ、4月に来日された時にもすぐに被災地に行きたいという希望を表明されましたが、手続きその他があってかなわず、今回秋の来日でその希望が実現されました。今回一番印象を受けたのは西方寺において法王を待ち受けていた人々が法王が現れると泣きながら法王の手を握り、法王も涙ぐんでいたことです」
●野村君「私は日本人はもう少しチベットの悲惨な状況に目を向けてほしいと思いますが、ルントクさんはどう思いますか」
ルントクさん「私が来日した当時にくらべると日本人のチベットに対する関心はずいぶん大きくなりました。今は講演会を開くと5-6千人もの人が集まるようになりました。もちろん、今チベットの状況はものすごく厳しいです。なにせ相手は中国ですから。中国人ですら自分の政府が批判できないのですから、チベット人にとってはもっと厳しいです。とくに、2008年のチベット蜂起から中国のチベットに対する締め付けは厳しくなり、今年の3/10以後はもっと厳しくなっています。今までは西蔵自治区以外のチベット人地域は比較的ゆるい扱いをうけていたものが、最近は青海、四川のチベット人地域の監視も厳しくなっています。
今年にはいって続発しているチベット人による抗議の焼身自殺はこの厳しい状況を反映しています。死んだ人は「チベット独立」「ダライラマ法王のご長寿を」「ダライラマのチベットへの帰還を」という声しか上げていません。この事実を事実として伝えてほしいと思います。政治家は立場がいろいろあって、チベットの立場に立つことは難しいとは思いますが、中国の言い分をそのままいうのはよくない。真実を伝えてほしいと思います」
●野村君「日本の仏教との関係はどうか」
ルントクさん「昔はチベット仏教をラマ教とかいって〔蔑んで〕いたが、最近はチベットのお寺にくる日本人も増えているし、日本人のお坊さんのチベット仏教に対する見方も変わってきました。チベット仏教がお釈迦様の教えを忠実に受け継いでいることをわかってきてくれているようです。昔は、鳥葬、一妻多夫とかチベットに関する日本人の知識は偏っていて、オ○ムとかへんな人ばかりが興味もっていましたけど、最近は、チベット仏教にまじめに関心をもつ人が増えました。チベット仏教の〔論理的な側面〕、空性、般若心経の理解とかをちゃんと聞いてくれるようになりました。ダライラマの講演にも若者がたくさんきてくれています。チベットでは生活の中に仏教が入っていますが、仏教の実践を行うのは年寄りばかりです。自分を客観的に見るのにチベット仏教を学ぶのはいいです。
●野村君「日本とチベット文化の大きな違いは何か」
ルントクさん「チベット人は子供の頃から親の態度から学んで、虫一匹すら命を取らないように気をつけるようになります。小さいものを気遣う者は、自然と大きいものの命も気づかうようになります。しかし、私の二人の子供は日本の保育園に通っているのですが、日本の子供たちと一緒に小さな生き物を平気で殺していました。小さな生き物の命を大切にすれば、残酷なことは起きません。日本の教育はすばらしいです。乗り物に乗るときは整列して秩序よく乗り降りするし、1つ1つまじめに努力することもできます。それに比べると、チベット人は全体にざっぱですね。だから、日本人がもしこのまじめさをもって子供にやさしさを教えるようになったら、日本は物質文化と並んで精神文化がよくなると思います。
日本は一糸乱れず秩序をまもって動く民族性があります。この回路を使って、精神の価値を子供たちに教えることができれば、虫を平気で殺す子供はいなくなるでしょう。思いやりは口でいっても伝わりません。態度で示さなければ伝わりません。」
日本は確かにすばらしいです。日本人はやさしいのですが、自分と関係ないものには冷たいところもあります。活き造りとかみると、わたしはたまりません。エビとかまだヒゲが動いていて、魚はまだ目が動いている。こんな〔かわいそうな状態にサカナやエビをしておいてそれをおいしいとたべる〕民族がどこにいますか(ルントクさんのキャラもあり会場爆笑)。
※わたしも小学生の頃、祖父の誕生日に親戚一同で活き作りをとった時は、あまりの残酷さに言葉をうしなった。その後、大学生の頃、生きたカニを母親がゆがこうとしたのを救出して三浦海岸にはなしにいったことがある。チベット人がこれをみていられないというのも分かる。苦しみながら死んでいく生き物を見ながらおいしく食事をできないのは私もおなじ。てか、私前世チベット人?
●野村君「日本人にお願いしたいことがありますか」
ルントクさん「海外に亡命したチベット人は自由に発言できますが、国内にいる人は思ったことを話すことできないし、行動にだすこともできません。毎日おびえて暮らしています。ダライラマ法王は休まずに世界中をかけまわって、その現状を訴えています。私たちから「〔西洋でやっているような中国に対する〕デモを起こしてください」とは言えませんが、せめて、チベットの仏教文化を大事にしてください。法王事務所のホームページをみてください。
チベットの現状をあなたたちの知人友人につたえてください。わたしたちチベット人にはダライラマという偉大な指導者がいますが、人口が少ないので中国に踏みにじられて十分に状況が世界に伝わっていません。ひとりでも多く日本人の支援者をつくるところからはじめたいと思います。
すいません、砂マンダラまでいきつきませんでした・・・
※ 高野山灌頂をいらっしゃった方にお知らせです。会場でわたされた毎日読むお経「六座ヨーガ」の現代語調の解説つき和訳がほしいという方、パソコンからメールください。添付してお送りします。わたくしのメアドはHPのインデックスページの最下段に入っています。あとチベット語原文がほしい方はその旨明記してください。すぐに反応しない場合も根気強くまってくださるとありがたいです。
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