この人生をムダにするな
土曜日は護国寺さまでbTibet秋講座があった。講演者は去年、早大生をして「僧兵のような」と言わしめた威厳あふれるゲン・ロサン先生。そのあと、ダライラマ法王事務所から、ルントクさんの講演があり、さらに、ゴマン学堂のアボ(ロサン・プンツォ師)による砂マンダラワークショップも開かれた。
ゲン・ロサン先生はフレーズごとのお話が長いので、通訳の方はメモがおいつかず大変。前回通訳をつとめた野村くんは途中から体が傾いて死兆星が見えているようだった。彼が何かの発作を起こさなかったのは奇跡である。今回の通訳は根本くん。やはりゲン・ロサン先生の長いフレーズにメモが追いつかず苦労されていた。
以下、書記によるbTibetの報告ですが長いので、ゲン・ロサン先生の講義と、ルントクさんのお話と砂マンダラの話を、二回にわけてアップすることとします。
では、ゲン・ロサン先生のお話内容。
●人間の身は得難い
生は一度きりではない。生は始まりのない昔から無限回の転生を続けている(無始輪廻)。悪い転生先としては地獄・餓鬼・畜生、比較的良い転生先としては阿修羅・人・天などがある。生き物はこの6つの生存領域(六道)を無限回転生をづつけており、これからも続けていく。
この六道の中で、考察力をもち、煩悩を滅ぼすことが可能なのは唯一人間だけである。ところが、この輪廻の生において、人身を得ることは極めて稀なことである。
依怙尊龍樹(ナーガールジュナ)は『王への手紙』(bshes sprin)という著作の中で、「広い海の中に穴の開いた木片をおとして、その穴にたまたま浮上してきた魚の首がひっかかる」くらい、人間に生まれる確率は低いと王様に説いている。
このような得難い人の身を得たのは、あなたたちが前世において数々の善行を行った結果である。
チャンドラキールティは『入中論』の中で、「人に生まれるためには最低でも十善戒を守って、自分の心を律することが必要である。そうでなければ人間として生まれることはできない。」と説いている。
十善戒(十の良い行い)とはあまり詳しく説明しないが、体と言葉と心を通じて行う十種類の行いを律することである。
身体を通じて行う3つの行いは、命を奪わないこと(不殺生)。他人のものをとらないこと(不偸盗)。邪な性行為を行わないこと(不邪淫)。
言葉を通じて行う4つの行いは、嘘をつかないこと(不妄語)。不和を招くような発言をしないこと(不両舌)、意味のある言葉をいうこと(不綺語)、人を傷つける言葉を言わないこと(不悪口)。
心を通じて行う3つの行いとは、怒らない、貪らない、邪見(来世がないとか、仏法が間違っているなどの間違った思想)をもたないこと。
以上の十種類について、体・言葉・心を律して行動することが人間として生まれる元となるのである。
ナーガールジュナは、『ラトナーヴァリー』で、「宝は何によって得られるか、それは布施によって得られる。」と説いている。これは六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智恵)という究極の行いが良い結果をもたらすことを述べているのである。
まず、自分が与えることができるものを、他者に与えたいという気持ち(布施)を持てばそれによって自然と宝が自分自身にまわってくる。
戒律によって自分の心を律すれば、安楽が得られる。
怒りに身を任せず、忍耐をすれば、美しい容姿に生まれることができる。
さらに善行にいそしみ(精進)、瞑想(禅定)によって、心の安定をつくりだすことを通じて、人ははじめて考察力をもつことができる。
その結果、人間は空を理解する智慧をもつことができる。人はこの智慧をもって真実を見抜き、何が正しいのか、何が本質的なのかを、常に考えることができる。
●すぐに失われるこの生
こうしてやっと人の身を得ても、その身は簡単に失われる。
シャーンティデーヴァは『入菩提行論』で、「空にきらめく稲妻のように、人生は一瞬に過ぎ去っていく」と述べている。それほど人間の人生は短く、〔病気や事故などの〕様々な原因によって失われやすいと説いている。
●人生の目的は仏(人格者)になること
輪廻は海に、生の目的はこの海原をわたりきって彼岸にいたることに例えられる。人生の目的とは、煩悩を滅っして人格者となって、この輪廻の世から解脱することである。それが行えるのは人の身だけである。
自分が今得難いチャンスを手にしていることを自覚しなければならない。
人間のみが何が大事かを論理的に考察することができる。
シャーンティデーヴァは『入菩提行論』において、「今人間に生まれたことがどんなに素晴らしいことなのか、今何ができるのか、とんな能力があるのか考えなさい。」と言っている。
人間の価値と人生の意味を考えなさい。何が本当にあなたにとって得なことなのか、何が損なのかを考えなさい。あなたは善行を自分にとって意味のないこと、難しいことと思うかもしれない。だけど、よく考察すれば、慈悲の心をもって善行にはげむことは、自分にとっても他者にとっても究極的な利益であることがわかるはずである。
究極的にいって何がいちばん自分のためになるのか、何が損なのかを考えなさい。
●仏もかつては凡夫であった
わたしたちは始まりのない昔から、自我意識に囚われて生きてきた。わたしたちはこの愚かさ(無明)によって、自我意識に囚われた結果、数々の苦しみを得ている。しかし自分は愚かだ、この人生は苦しみだ、と嘆いていてはいけない。
マイトレーヤの『究竟一乗宝性論』には「わたしたちはすべて仏になる可能性(如来蔵・佛性)が備わっている」と説かれている。
仏には無限の活動力が備わっている。それはすべての衆生に働きかけている。したがって、すでに覚りを開いた仏の能力、活動力の助けをえて、誰もがいつかは仏の境地に至ることができるのである。
心は空(実体をもたない)である。仏には一切を知る智慧が備わっている。仏の一切智は空である。そしてわれわれの心も空である。普通の人間(凡夫)の心と仏の心は別々のものであるが、同じ本質をもっている。つまり、わたしたちは今の心を糧としていつかは仏になる可能性を秘めているのだ。
よく考えてみると、過去・現在・未来(三世)の諸佛は最初から仏であったわけではない。最初は普通の人間であり、それが長大な時間をかけた(三阿僧祇劫)修行の結果、覚りを得たのだ。
インドの学者ディグナーガはその著作『プラマーナ・サムッチャヤ』の冒頭で
「量(欺かない人)となられた釈尊に私は敬礼します。」と述べているが、この一文は仏は最初から覚っていたのではなく、ある特定の瞬間に仏となったことを示している。仏になるための原因はわたしたちにも備わっているのである。
われわれは仏の家系(種姓)に属し、仏になる可能性(如来蔵)が備わっているのである。
●自分の幸せは自分で作れ
人生は短く、失うと再び得難いものである。だから今のこの短い人生に執着して怠けたりして悪業を積むのではなく、来世のことを考えて行動する必要がある。
誰の助けもない。一人一人が努力しなければならない。来世も人と生まれ、仏教にめぐりあい、幸せになるためにはたくさんの善行を積まなければならない。
死ぬ時には財産はすべて手放していかねばならない。家族も財産も来世にもっていくことはできない。来世にもってくことができるのは、自分が今までに行った行為の結果(業)だけである。自分の行った良い行い(白業)、悪い行い(黒業)、その行いの結果だけをもっていくことになる。
インドの学者シャーンティデーヴァはこういっている。
「生きている内は医者や兄弟や友達が助けてくれるが、死神がわたしたちの前に現れた時には誰一人として救ってくれるものはいない。」
死に瀕して、わたしたちはどこに救いを求めればいいか。それは自分自身の心である。自分がそれまでに行なってきた行為である。たくさんの福徳(善行の結果)をつみ、良い心がけをもつことが死に際してあなたを救ってくれる。
シャーンティデーヴァは「この短い人生をあてにしてはいけない。富や尊敬を得るために悪行に励んではいけない。」といっている。来世のことを考えて行動しなさい。目にも見えず、耳に聞こえない、推理するしかない対象である来世をあてにすることは難しいかもしれないが、よい行いをしなさい。人生は夢のように儚いもの。その時に救いになるのは仏の教えだけである。
●仏教の修行法
仏教の学習は3つの段階をへて深化していく。まず、今生きているこの世界を苦しみであると正しく理解し、この輪廻から解脱したいという出離の心をもつ。次に、この苦しみの世から一切の生き物を救おうと菩提心(自分の幸せではなく、一切の生き物の幸せのために仏の境地にいたろうとする心)を起こす。そして最後に、正しい見解(智慧)を得る。
菩提心こそがありとあらゆる人生の不幸せを取り除く最も重要なものである。人生の苦しみ・孤独・惨めさはすべて菩提心が取り除いてくれる。菩提心という馬にのって幸せから幸せに渡り歩きなさい。菩提心こそがわれわれを価値ある者にする力である。人生がつまらないと絶望せずに、希望をもっていきなさい
仏の教えは聞・思・修3つの段階を経て見に付けていくものである。
「聞」は仏の教えを聞くこと、「思」はその聞いた内容を自分の頭で考えること、「修」はその内容を何度も自分の心になじませて(修習して)、自分のものにしていくことである。これを繰り返すと、一度得た見解は仮のものではなく、確信へと変わっていく。
仏教徒は三宝(仏と仏の教えと仏の教えを奉じるもの)に帰依した者をさすが、仏に単純にすがりつくのではなく、それぞれの内容を考察し、理解し、その効能を考えながら帰依をすることが重要である。このように帰依を行うことができるようになった時、本当の意味で仏教徒になったといえる。何もしないでただ単に仏教徒と称する資格はない。
人の身は得難く、人生は短い。この輪廻を正しく苦しみと認識し、良い動機をもって仏の教えを実践し、智慧を育んでください。
以上です。
*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜
私的にまとめますと、「覚りの境地(究極の幸せ)は仏様に与えてもらうものではない、自分で自分の心を律することを通じて得られるものだ。そしてそれができるのは人間だけである。だから、人に生まれたあなたは今、類まれなるチャンスを手にしている。その幸せを自覚しなさい。無駄につかってはなりませぬよ。
人生は短いのだから、今すぐに人格者となるべく心を律する修行をはじめなさい。誰しも仏になる可能性は備わっている。だから、前向きに取り組んでいけば来世はオッケー!」とこのようなところでしょうか。
先生が引用されている『入菩提行論』『ラトナーヴァリー』などは非常に有名な大乗仏教の聖典です。ただし、引用元にまでもどって確認しておりませんので、ひょっとしていろいろ間違いがあるかもしれません。その際は許してたもれ。
ゲン・ロサン先生はフレーズごとのお話が長いので、通訳の方はメモがおいつかず大変。前回通訳をつとめた野村くんは途中から体が傾いて死兆星が見えているようだった。彼が何かの発作を起こさなかったのは奇跡である。今回の通訳は根本くん。やはりゲン・ロサン先生の長いフレーズにメモが追いつかず苦労されていた。
以下、書記によるbTibetの報告ですが長いので、ゲン・ロサン先生の講義と、ルントクさんのお話と砂マンダラの話を、二回にわけてアップすることとします。
では、ゲン・ロサン先生のお話内容。
●人間の身は得難い
生は一度きりではない。生は始まりのない昔から無限回の転生を続けている(無始輪廻)。悪い転生先としては地獄・餓鬼・畜生、比較的良い転生先としては阿修羅・人・天などがある。生き物はこの6つの生存領域(六道)を無限回転生をづつけており、これからも続けていく。
この六道の中で、考察力をもち、煩悩を滅ぼすことが可能なのは唯一人間だけである。ところが、この輪廻の生において、人身を得ることは極めて稀なことである。
依怙尊龍樹(ナーガールジュナ)は『王への手紙』(bshes sprin)という著作の中で、「広い海の中に穴の開いた木片をおとして、その穴にたまたま浮上してきた魚の首がひっかかる」くらい、人間に生まれる確率は低いと王様に説いている。
このような得難い人の身を得たのは、あなたたちが前世において数々の善行を行った結果である。
チャンドラキールティは『入中論』の中で、「人に生まれるためには最低でも十善戒を守って、自分の心を律することが必要である。そうでなければ人間として生まれることはできない。」と説いている。
十善戒(十の良い行い)とはあまり詳しく説明しないが、体と言葉と心を通じて行う十種類の行いを律することである。
身体を通じて行う3つの行いは、命を奪わないこと(不殺生)。他人のものをとらないこと(不偸盗)。邪な性行為を行わないこと(不邪淫)。
言葉を通じて行う4つの行いは、嘘をつかないこと(不妄語)。不和を招くような発言をしないこと(不両舌)、意味のある言葉をいうこと(不綺語)、人を傷つける言葉を言わないこと(不悪口)。
心を通じて行う3つの行いとは、怒らない、貪らない、邪見(来世がないとか、仏法が間違っているなどの間違った思想)をもたないこと。
以上の十種類について、体・言葉・心を律して行動することが人間として生まれる元となるのである。
ナーガールジュナは、『ラトナーヴァリー』で、「宝は何によって得られるか、それは布施によって得られる。」と説いている。これは六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智恵)という究極の行いが良い結果をもたらすことを述べているのである。
まず、自分が与えることができるものを、他者に与えたいという気持ち(布施)を持てばそれによって自然と宝が自分自身にまわってくる。
戒律によって自分の心を律すれば、安楽が得られる。
怒りに身を任せず、忍耐をすれば、美しい容姿に生まれることができる。
さらに善行にいそしみ(精進)、瞑想(禅定)によって、心の安定をつくりだすことを通じて、人ははじめて考察力をもつことができる。
その結果、人間は空を理解する智慧をもつことができる。人はこの智慧をもって真実を見抜き、何が正しいのか、何が本質的なのかを、常に考えることができる。
●すぐに失われるこの生
こうしてやっと人の身を得ても、その身は簡単に失われる。
シャーンティデーヴァは『入菩提行論』で、「空にきらめく稲妻のように、人生は一瞬に過ぎ去っていく」と述べている。それほど人間の人生は短く、〔病気や事故などの〕様々な原因によって失われやすいと説いている。
●人生の目的は仏(人格者)になること
輪廻は海に、生の目的はこの海原をわたりきって彼岸にいたることに例えられる。人生の目的とは、煩悩を滅っして人格者となって、この輪廻の世から解脱することである。それが行えるのは人の身だけである。
自分が今得難いチャンスを手にしていることを自覚しなければならない。
人間のみが何が大事かを論理的に考察することができる。
シャーンティデーヴァは『入菩提行論』において、「今人間に生まれたことがどんなに素晴らしいことなのか、今何ができるのか、とんな能力があるのか考えなさい。」と言っている。
人間の価値と人生の意味を考えなさい。何が本当にあなたにとって得なことなのか、何が損なのかを考えなさい。あなたは善行を自分にとって意味のないこと、難しいことと思うかもしれない。だけど、よく考察すれば、慈悲の心をもって善行にはげむことは、自分にとっても他者にとっても究極的な利益であることがわかるはずである。
究極的にいって何がいちばん自分のためになるのか、何が損なのかを考えなさい。
●仏もかつては凡夫であった
わたしたちは始まりのない昔から、自我意識に囚われて生きてきた。わたしたちはこの愚かさ(無明)によって、自我意識に囚われた結果、数々の苦しみを得ている。しかし自分は愚かだ、この人生は苦しみだ、と嘆いていてはいけない。
マイトレーヤの『究竟一乗宝性論』には「わたしたちはすべて仏になる可能性(如来蔵・佛性)が備わっている」と説かれている。
仏には無限の活動力が備わっている。それはすべての衆生に働きかけている。したがって、すでに覚りを開いた仏の能力、活動力の助けをえて、誰もがいつかは仏の境地に至ることができるのである。
心は空(実体をもたない)である。仏には一切を知る智慧が備わっている。仏の一切智は空である。そしてわれわれの心も空である。普通の人間(凡夫)の心と仏の心は別々のものであるが、同じ本質をもっている。つまり、わたしたちは今の心を糧としていつかは仏になる可能性を秘めているのだ。
よく考えてみると、過去・現在・未来(三世)の諸佛は最初から仏であったわけではない。最初は普通の人間であり、それが長大な時間をかけた(三阿僧祇劫)修行の結果、覚りを得たのだ。
インドの学者ディグナーガはその著作『プラマーナ・サムッチャヤ』の冒頭で
「量(欺かない人)となられた釈尊に私は敬礼します。」と述べているが、この一文は仏は最初から覚っていたのではなく、ある特定の瞬間に仏となったことを示している。仏になるための原因はわたしたちにも備わっているのである。
われわれは仏の家系(種姓)に属し、仏になる可能性(如来蔵)が備わっているのである。
●自分の幸せは自分で作れ
人生は短く、失うと再び得難いものである。だから今のこの短い人生に執着して怠けたりして悪業を積むのではなく、来世のことを考えて行動する必要がある。
誰の助けもない。一人一人が努力しなければならない。来世も人と生まれ、仏教にめぐりあい、幸せになるためにはたくさんの善行を積まなければならない。
死ぬ時には財産はすべて手放していかねばならない。家族も財産も来世にもっていくことはできない。来世にもってくことができるのは、自分が今までに行った行為の結果(業)だけである。自分の行った良い行い(白業)、悪い行い(黒業)、その行いの結果だけをもっていくことになる。
インドの学者シャーンティデーヴァはこういっている。
「生きている内は医者や兄弟や友達が助けてくれるが、死神がわたしたちの前に現れた時には誰一人として救ってくれるものはいない。」
死に瀕して、わたしたちはどこに救いを求めればいいか。それは自分自身の心である。自分がそれまでに行なってきた行為である。たくさんの福徳(善行の結果)をつみ、良い心がけをもつことが死に際してあなたを救ってくれる。
シャーンティデーヴァは「この短い人生をあてにしてはいけない。富や尊敬を得るために悪行に励んではいけない。」といっている。来世のことを考えて行動しなさい。目にも見えず、耳に聞こえない、推理するしかない対象である来世をあてにすることは難しいかもしれないが、よい行いをしなさい。人生は夢のように儚いもの。その時に救いになるのは仏の教えだけである。
●仏教の修行法
仏教の学習は3つの段階をへて深化していく。まず、今生きているこの世界を苦しみであると正しく理解し、この輪廻から解脱したいという出離の心をもつ。次に、この苦しみの世から一切の生き物を救おうと菩提心(自分の幸せではなく、一切の生き物の幸せのために仏の境地にいたろうとする心)を起こす。そして最後に、正しい見解(智慧)を得る。
菩提心こそがありとあらゆる人生の不幸せを取り除く最も重要なものである。人生の苦しみ・孤独・惨めさはすべて菩提心が取り除いてくれる。菩提心という馬にのって幸せから幸せに渡り歩きなさい。菩提心こそがわれわれを価値ある者にする力である。人生がつまらないと絶望せずに、希望をもっていきなさい
仏の教えは聞・思・修3つの段階を経て見に付けていくものである。
「聞」は仏の教えを聞くこと、「思」はその聞いた内容を自分の頭で考えること、「修」はその内容を何度も自分の心になじませて(修習して)、自分のものにしていくことである。これを繰り返すと、一度得た見解は仮のものではなく、確信へと変わっていく。
仏教徒は三宝(仏と仏の教えと仏の教えを奉じるもの)に帰依した者をさすが、仏に単純にすがりつくのではなく、それぞれの内容を考察し、理解し、その効能を考えながら帰依をすることが重要である。このように帰依を行うことができるようになった時、本当の意味で仏教徒になったといえる。何もしないでただ単に仏教徒と称する資格はない。
人の身は得難く、人生は短い。この輪廻を正しく苦しみと認識し、良い動機をもって仏の教えを実践し、智慧を育んでください。
以上です。
*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜
私的にまとめますと、「覚りの境地(究極の幸せ)は仏様に与えてもらうものではない、自分で自分の心を律することを通じて得られるものだ。そしてそれができるのは人間だけである。だから、人に生まれたあなたは今、類まれなるチャンスを手にしている。その幸せを自覚しなさい。無駄につかってはなりませぬよ。
人生は短いのだから、今すぐに人格者となるべく心を律する修行をはじめなさい。誰しも仏になる可能性は備わっている。だから、前向きに取り組んでいけば来世はオッケー!」とこのようなところでしょうか。
先生が引用されている『入菩提行論』『ラトナーヴァリー』などは非常に有名な大乗仏教の聖典です。ただし、引用元にまでもどって確認しておりませんので、ひょっとしていろいろ間違いがあるかもしれません。その際は許してたもれ。
人格者の国・ブータンとチベット
ダライラマ法王と入れ違いに来日したブータン国王は、連日メディアで大きく取り上げられ、日本中の人がこのヒマラヤの小さな国について知ることとなった。
ブータンの国教はチベット仏教の一派ドゥクパ・カギュ派であり、17世紀に中央チベットでの政争に敗れたガワンナムゲル(1594-1651)がブータンに根拠地をうつして、僧王を戴く政教一致の体制を作り上げ、現在に続くブータンが始まった。中央チベットに政教一致のダライラマ政権がうまれるほんの少し前のことである。
つまり、ブータンとチベットは政治的に対立することはあっても、文化は同じチベット仏教圏なのである。
今のブータン王家は約百年前に、ブータンのダライラマに当たるシャブドゥン猊下から政治権力を委譲されて生まれたもので、それでも国王はチベット仏教の信徒であり、チベット仏教はブータン人の精神性の形成に非常に大きな役割を担っている。
あのブータン国王の強さ、明るさ、イヤミのないさわやかさ、伝統を大事にする姿勢、高貴な立場にありながらも自ら民主化を主導する開明的なところを見て、ダライラマ法王と共通する点を見出した人も多いと思う。
要はチベット仏教の伝統が生きている社会では、チベット難民社会であれ、ブータンであれ、それを体現するような立場にある人は、あのような幸福感あふれる人格になるのである。
ブータンは国策で、経済の発展を追求するよりも、国民が幸せに生きる満足度をはかるGNH(国民幸福度指数)に則った政策をとっており、観光客の数を制限し、森林の伐採も制限し小欲知足の生活を尊しとしつつも、教育も医療もタダ(ただしほとんどが伝統医療)、国民のほとんどは英語ぺらぺらの教育国家であることはよく知られている。そして今回あのいかにもお人柄のいい国王が日本に来たことを契機に、理想郷ブータンのイメージは一気に広がった。
こうなると、必ず出てくるのが、社会主義思想が全盛の時代に人格形成をした方々の放つ「ブータンはネパール人を追い出して難民化させている、理想郷じゃない」という批判である。
社会主義思想は貧しいものを思いやるというヒューマニズムはあるものの、人間の精神性に対する洞察に著しくかけるという欠点がある。社会主義思想の信奉者たちの多くは、王制=封建制、すなわち打倒すべきもの、仏教=民衆を搾取する道具と直結する思考パターンがあるため、ダライラマやブータン国王のお人柄をみても「わたしは信者じゃないので、あれのどこがいいのか分からない」などと斜に構えた態度をとる。
ダライラマやブータン国王が愛されるのは、みなが「信者」になるからではない。彼らの歩んできた道、振る舞い、言動のすべてが真実であり、尊敬されるべきものであるからである。
ダライラマは国を奪われても、民を殺されても、それでも非暴力を堅持してきた。それどころか、世界中の人々に、「敵を外に見いだすな。敵は自分の中にある煩悩(怒りetc.)である。人格を陶冶することが、ひいては世の中の争いをなくし、人を幸福にする」という、究極の教えを説き続けてきた。想像を絶した体験をしながらも、人を思いやるその姿に人々は感銘を受けているのである。
ブータン国王が被災地を訪れた時、ある人が「新婚の国王を被災地につれていくなんて、今の政府はブータン国王まで政治利用するのか」とブータン国王の被災地訪問まで政府批判の具にしていた。放射能を畏れる人には理解不能であろうが、ブータンの国王は自ら望んで被災地に足を運んでいるのである。
また、彼が被災地である相馬市の小学校でしたスピーチは圧巻であった。
国王「みなさんは龍(ブータンの国旗についているブータンの象徴)を見たことがありますか」
子供達が「ないよね」とざわめく。すると国王は毅然と
「私はあります。みなさんの中には人格という龍がいます。年をとって経験を積むほど大きく強くなっていきます。」と「人格を養いなさい」というお話をされた。
今の日本にこのような子供たちの心に残るスピーチができる人がどれほどいるだろうか。ダライラマもブータン国王も言っていることは同じ。人の幸福は経済指標からではなく、良い人格を形成することを通じて、自分もひいては社会も幸せになっていくということである。伝統を失い、人格者を作る能力を失った日本社会は、聖職者であれ、教師であれ、政治家であれ、人のお手本となるような存在感のある人は久しく出ていない。
ダライラマもブータンの国王も専制君主ではない。彼らは民を愛し、民に愛されており、社会のお手本であり、民主化のリーダーである。このような人たちを素直な目でみることなく、「オリエンタリズムだ、実は人権抑圧国家だ」などと言う人は寂しい人である。人間の心構えは不問に付して、経済や政治を変えれば楽園がくると考える社会主義思想の方が、余程ぶっとんだ理想郷伝説である。
ブータンについてしっかりした知識を持ちたい方は今枝由郎先生の書いた本がおすすめである。彼はフランスの国立科学研究センターの研究員であり、ブータンの国家図書館に出向して十年をかの地で過ごした方だ。専門は17世紀に成立したシャブドゥン政権の歴史である。先ほどの「ブータンの民族問題」なるものを考える上で参考に今枝先生の著作の引用を以下にした。
そしてブータンには、決してその二の舞になりたくない身近な例がある。それは、ブータンの西隣り、ネパールとの中間に位置するシッキムである。シッキムは1971年代中頃までは、ブータンと同じくチペット系の仏教王国であった。ところが、1970年代中頃にはネパール系移民の方が過半数を占めるようになり、かれらが反政府運動を起こし、その結果王制は倒され、シッキムはインドに併合されてしまった。ブータンは、隣りの仏教王国の悲しい終焉を、こうして目のあたりにしているのである。現在シッキムは人口の絶対多数がネパール系で、元来の住民であるレプチャ族などは完全に少数民族として、その言語も宗教も"ネパール州"の中では市民権が認められていない状態である。ブータン人は、これ以上ネパール人の移入を認めたら、自分の国が、そして自分たちの言葉が宗教がどういう末路をたどるかは、この隣国の悲劇的経験から百も承知である。ブータンのとった一連の措置は、こうした危惧感からの、小国の自己防衛措置に他ならないであろう。
ここで、シッキムに関する筆者の個人的な思い出を記しておきたい。それは、現在ブータンが置かれている状況の悲劇性を理解していただく一助になると思うからである。
1973年春、当時外国人の入国にはかなりの制限があったが、筆者には一週間の滞在許可がおりた。フランス留学から日本への帰国途中で、ヒッピー同然の貧乏学生であった筆者は、シッキムの首都ガントックで一泊五ルピーの安宿に泊った。翌日知人から託された国王宛の本を王宮に届け、一日街をぶらついて夕方宿に戻った。昨夜は無愛想だった宿の女将が、部屋は本当に今のでいいのか、と心配気に聞く。もちろん、とこたえて部屋に入った。
女将の質問の理由は後で分かったのだが、日中私の留守に国王の秘書官が私の居所を探し当てて、宿に訪ねて来ていたのだ。夜になって再び秘書官が現われて、「これから王宮に行くから着替えろ」と言う。背広もネクタイも持ち合わせていない旨を告げると、秘書官は呆れ返った顔をして、私はまず彼の家に連れて行かれた。そこで、彼のシッキム服を着付けてもらい、そのまま国王の前に導かれた。それからはほぼ毎夜国王と夕食を一緒にすることになったが、何よりも嬉しかったのは、こんなヒマラヤの山奥に来てまさに夢想だにしなかったフランスのブドウ酒を飲めることだった。一週間の滞在許可も延長できたし、さらには将来二年ほど留学してもいいとの約束まで貰った。ところが、ある朝早くなんの予告もなく出国を勧められ、バスまで秘書官が同行してくれた。
インドのカリンポンに向かうバスは、陸続と北上してくるインド軍の卜ラック隊と出くわし、待機させられることしばしばで、カリンポンに着いたのは予定に遅れること数時間、日はすでにとっぷりと暮れていた。翌朝の新聞に「シッキム国境封鎖」の大見出しを目にして、自分が生きた昨日がどんな意味を持っていたのかに、はじめて気がついた次第である。
チベット学専攻で、チペット圏を旅行しながら、何も分かっていなかった学生であった。いずれにせよ、チペット文化圏の王国のシッキムは、こうして終焉を迎えたわけである。この同じ悲劇を、チペット文化圏最後の王国であるブータンには辿って欲しくない、というのはチベット研究者の個人的な感傷に過ぎないのであろうか。
(『ブータン・変貌するヒマラヤの仏教王国』より)
ブータンの無防備な南国境をこえて違法に流入してくるネパール人の数はどんどん増えてくる。しかもネパール人たちはブータン社会にまったくなじもうとせず、言葉も文化もそのまま。そのため、ブータン政府ははじめネパール人にブータン国籍をとるように働きかけていたが、その人口があまりにも増えたため、自らの社会の伝統をまもるため、究極的にはインドに併合されることを防ぐために行ったことである。
日本のような「守るべきものが何なのか」すら分からなくなった社会に住んでいると理解は難しいであろうが、ブータンやチベット難民社会にかろうじて残されている「良い人間をつくる文化」は、ブータン人のみならず人類にとっても必要不可欠なものである。これを守ることは既得権益をまもるというような薄汚いレベルの話ではない。
ブータンの図書館につとめていたのは、今枝先生ばかりではない。ビルマの民主化のリーダーアウンサン・スーチーさんのダンナ、故マイケル・アリス氏(イギリスのチベット学者)も六年間、ブータンの図書館に教師として赴任していた。
アウンサン・スーチーさんはご存じビルマ独立の父、ビルマ国軍の父の娘である。彼女が幼い頃父親は暗殺され、彼女の母親は長く駐インド、ビルマ大使をつとめ、彼女はインドで人格形成をし、ガンディーの偉業に影響をうけた。それからイギリスのオックスフォードに留学し、そこで、チベット学者マイケル・アリスとであう。
マイケル・アリスはその頃、ブータンで研究していたため、スーチーさんは、1971年、彼にあうためにブータンにとんで、そこでマイケルのプロポーズを受けた。二人は翌年結婚して、スーチーさんはロンドンで二人の息子を授かった。その後、軍事政権に軟禁されていたスーチーさんは、一度出国するとビルマに戻れない公算が高かったため、マイケル・アリスの死に目にも会えなかった。
こうしてみると、今枝先生といい、マイケル・アリスといいブータン系チベット学者はみな歴史の生き証人のような方たちばかり。
ブータンに興味をもった方は是非今枝先生とマイケル・アリスの著作を読むことをお薦めします。
ブータンの国教はチベット仏教の一派ドゥクパ・カギュ派であり、17世紀に中央チベットでの政争に敗れたガワンナムゲル(1594-1651)がブータンに根拠地をうつして、僧王を戴く政教一致の体制を作り上げ、現在に続くブータンが始まった。中央チベットに政教一致のダライラマ政権がうまれるほんの少し前のことである。
つまり、ブータンとチベットは政治的に対立することはあっても、文化は同じチベット仏教圏なのである。
今のブータン王家は約百年前に、ブータンのダライラマに当たるシャブドゥン猊下から政治権力を委譲されて生まれたもので、それでも国王はチベット仏教の信徒であり、チベット仏教はブータン人の精神性の形成に非常に大きな役割を担っている。
あのブータン国王の強さ、明るさ、イヤミのないさわやかさ、伝統を大事にする姿勢、高貴な立場にありながらも自ら民主化を主導する開明的なところを見て、ダライラマ法王と共通する点を見出した人も多いと思う。
要はチベット仏教の伝統が生きている社会では、チベット難民社会であれ、ブータンであれ、それを体現するような立場にある人は、あのような幸福感あふれる人格になるのである。
ブータンは国策で、経済の発展を追求するよりも、国民が幸せに生きる満足度をはかるGNH(国民幸福度指数)に則った政策をとっており、観光客の数を制限し、森林の伐採も制限し小欲知足の生活を尊しとしつつも、教育も医療もタダ(ただしほとんどが伝統医療)、国民のほとんどは英語ぺらぺらの教育国家であることはよく知られている。そして今回あのいかにもお人柄のいい国王が日本に来たことを契機に、理想郷ブータンのイメージは一気に広がった。
こうなると、必ず出てくるのが、社会主義思想が全盛の時代に人格形成をした方々の放つ「ブータンはネパール人を追い出して難民化させている、理想郷じゃない」という批判である。
社会主義思想は貧しいものを思いやるというヒューマニズムはあるものの、人間の精神性に対する洞察に著しくかけるという欠点がある。社会主義思想の信奉者たちの多くは、王制=封建制、すなわち打倒すべきもの、仏教=民衆を搾取する道具と直結する思考パターンがあるため、ダライラマやブータン国王のお人柄をみても「わたしは信者じゃないので、あれのどこがいいのか分からない」などと斜に構えた態度をとる。
ダライラマやブータン国王が愛されるのは、みなが「信者」になるからではない。彼らの歩んできた道、振る舞い、言動のすべてが真実であり、尊敬されるべきものであるからである。
ダライラマは国を奪われても、民を殺されても、それでも非暴力を堅持してきた。それどころか、世界中の人々に、「敵を外に見いだすな。敵は自分の中にある煩悩(怒りetc.)である。人格を陶冶することが、ひいては世の中の争いをなくし、人を幸福にする」という、究極の教えを説き続けてきた。想像を絶した体験をしながらも、人を思いやるその姿に人々は感銘を受けているのである。
ブータン国王が被災地を訪れた時、ある人が「新婚の国王を被災地につれていくなんて、今の政府はブータン国王まで政治利用するのか」とブータン国王の被災地訪問まで政府批判の具にしていた。放射能を畏れる人には理解不能であろうが、ブータンの国王は自ら望んで被災地に足を運んでいるのである。
また、彼が被災地である相馬市の小学校でしたスピーチは圧巻であった。
国王「みなさんは龍(ブータンの国旗についているブータンの象徴)を見たことがありますか」
子供達が「ないよね」とざわめく。すると国王は毅然と
「私はあります。みなさんの中には人格という龍がいます。年をとって経験を積むほど大きく強くなっていきます。」と「人格を養いなさい」というお話をされた。
今の日本にこのような子供たちの心に残るスピーチができる人がどれほどいるだろうか。ダライラマもブータン国王も言っていることは同じ。人の幸福は経済指標からではなく、良い人格を形成することを通じて、自分もひいては社会も幸せになっていくということである。伝統を失い、人格者を作る能力を失った日本社会は、聖職者であれ、教師であれ、政治家であれ、人のお手本となるような存在感のある人は久しく出ていない。
ダライラマもブータンの国王も専制君主ではない。彼らは民を愛し、民に愛されており、社会のお手本であり、民主化のリーダーである。このような人たちを素直な目でみることなく、「オリエンタリズムだ、実は人権抑圧国家だ」などと言う人は寂しい人である。人間の心構えは不問に付して、経済や政治を変えれば楽園がくると考える社会主義思想の方が、余程ぶっとんだ理想郷伝説である。
ブータンについてしっかりした知識を持ちたい方は今枝由郎先生の書いた本がおすすめである。彼はフランスの国立科学研究センターの研究員であり、ブータンの国家図書館に出向して十年をかの地で過ごした方だ。専門は17世紀に成立したシャブドゥン政権の歴史である。先ほどの「ブータンの民族問題」なるものを考える上で参考に今枝先生の著作の引用を以下にした。
そしてブータンには、決してその二の舞になりたくない身近な例がある。それは、ブータンの西隣り、ネパールとの中間に位置するシッキムである。シッキムは1971年代中頃までは、ブータンと同じくチペット系の仏教王国であった。ところが、1970年代中頃にはネパール系移民の方が過半数を占めるようになり、かれらが反政府運動を起こし、その結果王制は倒され、シッキムはインドに併合されてしまった。ブータンは、隣りの仏教王国の悲しい終焉を、こうして目のあたりにしているのである。現在シッキムは人口の絶対多数がネパール系で、元来の住民であるレプチャ族などは完全に少数民族として、その言語も宗教も"ネパール州"の中では市民権が認められていない状態である。ブータン人は、これ以上ネパール人の移入を認めたら、自分の国が、そして自分たちの言葉が宗教がどういう末路をたどるかは、この隣国の悲劇的経験から百も承知である。ブータンのとった一連の措置は、こうした危惧感からの、小国の自己防衛措置に他ならないであろう。
ここで、シッキムに関する筆者の個人的な思い出を記しておきたい。それは、現在ブータンが置かれている状況の悲劇性を理解していただく一助になると思うからである。
1973年春、当時外国人の入国にはかなりの制限があったが、筆者には一週間の滞在許可がおりた。フランス留学から日本への帰国途中で、ヒッピー同然の貧乏学生であった筆者は、シッキムの首都ガントックで一泊五ルピーの安宿に泊った。翌日知人から託された国王宛の本を王宮に届け、一日街をぶらついて夕方宿に戻った。昨夜は無愛想だった宿の女将が、部屋は本当に今のでいいのか、と心配気に聞く。もちろん、とこたえて部屋に入った。
女将の質問の理由は後で分かったのだが、日中私の留守に国王の秘書官が私の居所を探し当てて、宿に訪ねて来ていたのだ。夜になって再び秘書官が現われて、「これから王宮に行くから着替えろ」と言う。背広もネクタイも持ち合わせていない旨を告げると、秘書官は呆れ返った顔をして、私はまず彼の家に連れて行かれた。そこで、彼のシッキム服を着付けてもらい、そのまま国王の前に導かれた。それからはほぼ毎夜国王と夕食を一緒にすることになったが、何よりも嬉しかったのは、こんなヒマラヤの山奥に来てまさに夢想だにしなかったフランスのブドウ酒を飲めることだった。一週間の滞在許可も延長できたし、さらには将来二年ほど留学してもいいとの約束まで貰った。ところが、ある朝早くなんの予告もなく出国を勧められ、バスまで秘書官が同行してくれた。
インドのカリンポンに向かうバスは、陸続と北上してくるインド軍の卜ラック隊と出くわし、待機させられることしばしばで、カリンポンに着いたのは予定に遅れること数時間、日はすでにとっぷりと暮れていた。翌朝の新聞に「シッキム国境封鎖」の大見出しを目にして、自分が生きた昨日がどんな意味を持っていたのかに、はじめて気がついた次第である。
チベット学専攻で、チペット圏を旅行しながら、何も分かっていなかった学生であった。いずれにせよ、チペット文化圏の王国のシッキムは、こうして終焉を迎えたわけである。この同じ悲劇を、チペット文化圏最後の王国であるブータンには辿って欲しくない、というのはチベット研究者の個人的な感傷に過ぎないのであろうか。
(『ブータン・変貌するヒマラヤの仏教王国』より)
ブータンの無防備な南国境をこえて違法に流入してくるネパール人の数はどんどん増えてくる。しかもネパール人たちはブータン社会にまったくなじもうとせず、言葉も文化もそのまま。そのため、ブータン政府ははじめネパール人にブータン国籍をとるように働きかけていたが、その人口があまりにも増えたため、自らの社会の伝統をまもるため、究極的にはインドに併合されることを防ぐために行ったことである。
日本のような「守るべきものが何なのか」すら分からなくなった社会に住んでいると理解は難しいであろうが、ブータンやチベット難民社会にかろうじて残されている「良い人間をつくる文化」は、ブータン人のみならず人類にとっても必要不可欠なものである。これを守ることは既得権益をまもるというような薄汚いレベルの話ではない。
ブータンの図書館につとめていたのは、今枝先生ばかりではない。ビルマの民主化のリーダーアウンサン・スーチーさんのダンナ、故マイケル・アリス氏(イギリスのチベット学者)も六年間、ブータンの図書館に教師として赴任していた。
アウンサン・スーチーさんはご存じビルマ独立の父、ビルマ国軍の父の娘である。彼女が幼い頃父親は暗殺され、彼女の母親は長く駐インド、ビルマ大使をつとめ、彼女はインドで人格形成をし、ガンディーの偉業に影響をうけた。それからイギリスのオックスフォードに留学し、そこで、チベット学者マイケル・アリスとであう。
マイケル・アリスはその頃、ブータンで研究していたため、スーチーさんは、1971年、彼にあうためにブータンにとんで、そこでマイケルのプロポーズを受けた。二人は翌年結婚して、スーチーさんはロンドンで二人の息子を授かった。その後、軍事政権に軟禁されていたスーチーさんは、一度出国するとビルマに戻れない公算が高かったため、マイケル・アリスの死に目にも会えなかった。
こうしてみると、今枝先生といい、マイケル・アリスといいブータン系チベット学者はみな歴史の生き証人のような方たちばかり。
ブータンに興味をもった方は是非今枝先生とマイケル・アリスの著作を読むことをお薦めします。
実録:白雪姫の金曜日
卒論の提出期限が近づく11月、ゼミのある金曜日はカオスとなる。学生は「今時の学生はゆとり」というと怒るけど、以下の私の数時間をみて反論できる人がいたらしてほしい。ちなみに大学は天下の東京人民大学である(ヒント: 京都の人民大学は立命館)。
四年ゼミは後期になると、卒論の中間報告をしてもらうことにしている。しかし、報告者二人の内、一人は姿すらみせない。授業が終わって何時間もした後に「風邪薬飲んだら寝てしまいました。すみません」というメールが入る。
そして、もう一人は明らかに手抜きな何もできていないレジメをだして五分で話を終える。
この二人のできそうな内容を「最低でもこれやってきてね」というラインを示して、かなり具体的な指示をだしているにも関わらず、それすらやってこないのである。
ちなみに、後者の学生Sに「あんたこのレジュメには十分もかけていないと思うけど、この一週間のモンハンにかけた時間は何時間?」と聞くと、
Sくん「25時間です」しかも、そのオンライン・ゲームの対戦相手Nくんもゼミ生だが、この子はまったくゼミにでてこない。Sによると、「バトルの仕方は教えてくれるのだけど、ゼミにこいよ、という話になるとシカトする」のだそうな。ひきこもりかよ。
そしてゼミが終わると、Tちゃんが「先生、反則点がつきすぎて図書館の貸し出し停止されました。先生が一筆かくと解除になるそうなので、書いてくださいませんか」とメモ用紙みたいな白紙のきれっぱしをわたしてくる。
いくらなんでも便せんとかに書いた方がいいと研究室にこいという。
また、来週発表予定のTくんが「先生、テーマについてお話が」という。そこで、来週のもう一人の発表者もつれて研究室にいく。
まずTちゃんの貸し出し停止処分、解除お願い書類を書き、そのあとTくんの話をきく。この子は文化大革命を卒論のテーマに選ぶというのだが、中国語も英語も使いたくないというので、日本語でできることとして、1964-1974年までのあいだの朝日新聞の過去記事を検索して、そこにてでくる社説や文化人の文化大革命に対する評価を調べてきて、そのうち何人かはその後の言論の変化のあるなしもチェックするようにいっておいた。
朝日新聞の記事はウチの大学生であれば、オンラインで無料で検索できるようになっている。にもかかわらず
Tくん「昔の新聞記事はつぶれて読みにくくて、一時間以上は見られません。なので、テーマをかえようと思います」
私「簡単に簡単にテーマ変えるなんていうな。大体記事がどこにあるかを検索したら縮刷版をみるという手もあるじゃない。じゃあ仕方ないので岩波書店がだしている『文学』『思想』『理想』とかの記事において文革がどのように評価されているかのまず記事リストつくってきなさい。これなら雑誌室にいけば現物があるし、等倍だから目も疲れないでしょう。はい次Nちゃん、あなたは来週どうゆう発表をやるの。」
Nちゃん「私カフェが好きでカフェでバイトとかしているので、香港のお茶文化やりたいです。お茶っていったら、イギリスがアヘン戦争をおこしたりしているので東洋史ですよね」
私「じゃあ来週までにかくかくしかじかの本をよんでイギリスの茶貿易について調べてきなさい。」
そしてSちゃん「某大学院を受けたいのですが、その内部情報などを知っている人を紹介していただけませんか」
私「ほいわかった。オタクでよければたぶん知っている人がいる」
そうしている内に6年生のOが入ってくる。この子はクラブ通いばかりしていて授業にこず、去年も卒論を書くといって書き上げることができなかった。そこで一ヶ月か前に、とにかく「何でもいいから興味を持てることは何ないか」と聞くと「ソ連はチェルノブイリ事故の後、村ごと人々を避難させたのに、日本政府は情報を隠して、人々に放射能を浴びせつづけている」「昨日、カダフィが死んだのに、ツイッターとかではすぐに情報がでまわったのに、NHKはすごくたってからしか報道せず、日本の報道はおかしいですよ」とのたまう。そこで
私「じゃあ聞くけど、あなたリビアの位置を正確に黒板にかける? それからカダフィがどういう人で、今まで何をしていたか説明して」というと
O「わかりません」
私「ほとんどの日本人もそうだからNHKの報道も遅いんじゃないの。あと、放射能云々の話だけど、あなたこの事故がおきるまえに放射能に興味あった?そしてあなたがそのような考え方を持つようになったのは、何をみて? 」と聞くと、Oは言葉を濁す。
私「わかった、O。最近はツイッターやフェイスブックで革命が起きるくらいだから、インターネットを介した政治行動というテーマで卒論書きなさい。であなたのクラブ友達に政治行動のアンケート調査かけてみなさい」と指示した。
そして、先週。彼がアンケートの質問条項の素案をもってきたので、項目をもっと整理するようにいい、それをもってくるのが今日であった。しかし、O「すみません。やってません」
私「先週私が話したことをつけくわえるなんて、五分もあれば清書できたでしょう。その五分がなぜつくれないわけ」
O「それはひとえに私の至らなさ・・・」
私「そらぞらし」
そうしている内に院生のM子ちゃんまでやってくる。そして、
M子ちゃん「センセー、今院生の研究発表会でこんなツッコミをされたんですが、すごいへこみました」
私「ピントがずれた指摘なので気にする必要なし。質問者が前提にしている時代とあなたのやっている時代ではまったく事情が違う」。
とかいっているうちに真打ち院生M登場。院生Mは今修論の執筆中であり、何か面白いことを見つけると深夜でも電話がかかってきて、考えをまとめるため私を話相手にする。
ちなみに昨日、私が研究室のある階にいくと、自分の研究室前の暗い廊下の地べたにすわこんで、パソコン(Mac)をうつ院生Mがいた。廊下は暗いのでパソコンの液晶画面の明かりが彼の顔を下からてらしだしており、笑いがとまらなかった。地べたでパソコンうっている人なんて、日本じゃそうそうお目にかかれない。
ちなみに、彼は長年にわたるゲストハウス生活を脱し、今年の三月とある古い建物に定住した。ただし来年の三月にとりこわされるので、定住といってもまだ遊牧きみである。院生Mには家具を買うという概念がないため、パソコンは地べたでやるのだ。そして、寝具も毛布しかないので、昨今急に冷え込んだため夜が寒くて眠れないという。。
私「布団買いなさいよ」
院生M「思い出しました。毎年この時期になると、外出する時の格好で夜寝ていたんですよ。引っ越ししたんでリセットされて、この時期の過ごし方を忘れていました」
ちなみにこのM、パソコンにあらゆる資料・メモ・情報をつめているのにバックアップを一切していない。修論の内容云々以前に、書いても、パソコンおとしてデータ回収不能、修論提出不可能状態になる可能性大あり。
このM、私が何か彼の役にたつ情報を仕入れて電話をしても「今カフェで友達といるんで、後で」とか電話をブチ切る。この男の脳内は徹頭徹尾自分中心にできており、もはやこの子に礼儀を説くことも、「人の立場にたってものを考えなさい」「まず人になれ」とかの説教も、最近は疲れすぎて言う気もおきない。
人としてのあり方から、布団の心配からバックアップの心配までせねばならないとは、何かがおかしい。
まあ院生Mはそれでも研究をやろうとしているので、まだ、何もやる気のない連中、あるいは、現実から逃避している連中よりはましかも。ゆとり教育の一番の弊害は、学力低下よりも、オンリーワン感覚に基づく自己絶対肯定による努力の不在かも。
ちなみに、もちろんマジメで頭の良いマトモな学生もいます。今回登場したのはごく一部です。
四年ゼミは後期になると、卒論の中間報告をしてもらうことにしている。しかし、報告者二人の内、一人は姿すらみせない。授業が終わって何時間もした後に「風邪薬飲んだら寝てしまいました。すみません」というメールが入る。
そして、もう一人は明らかに手抜きな何もできていないレジメをだして五分で話を終える。
この二人のできそうな内容を「最低でもこれやってきてね」というラインを示して、かなり具体的な指示をだしているにも関わらず、それすらやってこないのである。
ちなみに、後者の学生Sに「あんたこのレジュメには十分もかけていないと思うけど、この一週間のモンハンにかけた時間は何時間?」と聞くと、
Sくん「25時間です」しかも、そのオンライン・ゲームの対戦相手Nくんもゼミ生だが、この子はまったくゼミにでてこない。Sによると、「バトルの仕方は教えてくれるのだけど、ゼミにこいよ、という話になるとシカトする」のだそうな。ひきこもりかよ。
そしてゼミが終わると、Tちゃんが「先生、反則点がつきすぎて図書館の貸し出し停止されました。先生が一筆かくと解除になるそうなので、書いてくださいませんか」とメモ用紙みたいな白紙のきれっぱしをわたしてくる。
いくらなんでも便せんとかに書いた方がいいと研究室にこいという。
また、来週発表予定のTくんが「先生、テーマについてお話が」という。そこで、来週のもう一人の発表者もつれて研究室にいく。
まずTちゃんの貸し出し停止処分、解除お願い書類を書き、そのあとTくんの話をきく。この子は文化大革命を卒論のテーマに選ぶというのだが、中国語も英語も使いたくないというので、日本語でできることとして、1964-1974年までのあいだの朝日新聞の過去記事を検索して、そこにてでくる社説や文化人の文化大革命に対する評価を調べてきて、そのうち何人かはその後の言論の変化のあるなしもチェックするようにいっておいた。
朝日新聞の記事はウチの大学生であれば、オンラインで無料で検索できるようになっている。にもかかわらず
Tくん「昔の新聞記事はつぶれて読みにくくて、一時間以上は見られません。なので、テーマをかえようと思います」
私「簡単に簡単にテーマ変えるなんていうな。大体記事がどこにあるかを検索したら縮刷版をみるという手もあるじゃない。じゃあ仕方ないので岩波書店がだしている『文学』『思想』『理想』とかの記事において文革がどのように評価されているかのまず記事リストつくってきなさい。これなら雑誌室にいけば現物があるし、等倍だから目も疲れないでしょう。はい次Nちゃん、あなたは来週どうゆう発表をやるの。」
Nちゃん「私カフェが好きでカフェでバイトとかしているので、香港のお茶文化やりたいです。お茶っていったら、イギリスがアヘン戦争をおこしたりしているので東洋史ですよね」
私「じゃあ来週までにかくかくしかじかの本をよんでイギリスの茶貿易について調べてきなさい。」
そしてSちゃん「某大学院を受けたいのですが、その内部情報などを知っている人を紹介していただけませんか」
私「ほいわかった。オタクでよければたぶん知っている人がいる」
そうしている内に6年生のOが入ってくる。この子はクラブ通いばかりしていて授業にこず、去年も卒論を書くといって書き上げることができなかった。そこで一ヶ月か前に、とにかく「何でもいいから興味を持てることは何ないか」と聞くと「ソ連はチェルノブイリ事故の後、村ごと人々を避難させたのに、日本政府は情報を隠して、人々に放射能を浴びせつづけている」「昨日、カダフィが死んだのに、ツイッターとかではすぐに情報がでまわったのに、NHKはすごくたってからしか報道せず、日本の報道はおかしいですよ」とのたまう。そこで
私「じゃあ聞くけど、あなたリビアの位置を正確に黒板にかける? それからカダフィがどういう人で、今まで何をしていたか説明して」というと
O「わかりません」
私「ほとんどの日本人もそうだからNHKの報道も遅いんじゃないの。あと、放射能云々の話だけど、あなたこの事故がおきるまえに放射能に興味あった?そしてあなたがそのような考え方を持つようになったのは、何をみて? 」と聞くと、Oは言葉を濁す。
私「わかった、O。最近はツイッターやフェイスブックで革命が起きるくらいだから、インターネットを介した政治行動というテーマで卒論書きなさい。であなたのクラブ友達に政治行動のアンケート調査かけてみなさい」と指示した。
そして、先週。彼がアンケートの質問条項の素案をもってきたので、項目をもっと整理するようにいい、それをもってくるのが今日であった。しかし、O「すみません。やってません」
私「先週私が話したことをつけくわえるなんて、五分もあれば清書できたでしょう。その五分がなぜつくれないわけ」
O「それはひとえに私の至らなさ・・・」
私「そらぞらし」
そうしている内に院生のM子ちゃんまでやってくる。そして、
M子ちゃん「センセー、今院生の研究発表会でこんなツッコミをされたんですが、すごいへこみました」
私「ピントがずれた指摘なので気にする必要なし。質問者が前提にしている時代とあなたのやっている時代ではまったく事情が違う」。
とかいっているうちに真打ち院生M登場。院生Mは今修論の執筆中であり、何か面白いことを見つけると深夜でも電話がかかってきて、考えをまとめるため私を話相手にする。
ちなみに昨日、私が研究室のある階にいくと、自分の研究室前の暗い廊下の地べたにすわこんで、パソコン(Mac)をうつ院生Mがいた。廊下は暗いのでパソコンの液晶画面の明かりが彼の顔を下からてらしだしており、笑いがとまらなかった。地べたでパソコンうっている人なんて、日本じゃそうそうお目にかかれない。
ちなみに、彼は長年にわたるゲストハウス生活を脱し、今年の三月とある古い建物に定住した。ただし来年の三月にとりこわされるので、定住といってもまだ遊牧きみである。院生Mには家具を買うという概念がないため、パソコンは地べたでやるのだ。そして、寝具も毛布しかないので、昨今急に冷え込んだため夜が寒くて眠れないという。。
私「布団買いなさいよ」
院生M「思い出しました。毎年この時期になると、外出する時の格好で夜寝ていたんですよ。引っ越ししたんでリセットされて、この時期の過ごし方を忘れていました」
ちなみにこのM、パソコンにあらゆる資料・メモ・情報をつめているのにバックアップを一切していない。修論の内容云々以前に、書いても、パソコンおとしてデータ回収不能、修論提出不可能状態になる可能性大あり。
このM、私が何か彼の役にたつ情報を仕入れて電話をしても「今カフェで友達といるんで、後で」とか電話をブチ切る。この男の脳内は徹頭徹尾自分中心にできており、もはやこの子に礼儀を説くことも、「人の立場にたってものを考えなさい」「まず人になれ」とかの説教も、最近は疲れすぎて言う気もおきない。
人としてのあり方から、布団の心配からバックアップの心配までせねばならないとは、何かがおかしい。
まあ院生Mはそれでも研究をやろうとしているので、まだ、何もやる気のない連中、あるいは、現実から逃避している連中よりはましかも。ゆとり教育の一番の弊害は、学力低下よりも、オンリーワン感覚に基づく自己絶対肯定による努力の不在かも。
ちなみに、もちろんマジメで頭の良いマトモな学生もいます。今回登場したのはごく一部です。
法王会見の質問内容に脱力
被災地での法要を終えたダライラマは7日に離日し、次の滞在地であるモンゴルに向かった。
最終日、ダライラマ法王は自由報道協会という会(記者クラブに反対するフリー・ジャーナリストが立ち上げた会)の主催で記者会見を行った。その模様はニコニコ動画やユーストリームで誰でも見られる形でリアルタイムに公開されたので、多くの人の目に触れることとなった。
わたしは最初ニコ動で見ようとしたら視聴者が多すぎてはじかれ、プレミアム会員にならないとダメと言われたので、ユーストリームの方で見た。ちょうど、日本赤軍の重信房子の娘さんとかがパレスチナ問題について法王に質問するところから見だした。後ですべての内容がネットにアップされたので、最初の方も知ることができた。
まず、最初法王から今回の来日の目的が高野山大学における灌頂であること、また、震災49日法要の時と同じく、津波・地震の被災者にメッセージを送るためであることが述べられ、
そのあと質問を受ける段になり、イタリア人のジャーナリスト、ビオ・デミリア氏が、原発事故の話をし、取り残された動物たちの遺体写真などをダライラマにみせて、直訳「法王は原発に賛成だというが、仏教では動物も大切な命だろう。その命がこのような悲惨なことになっているのに、平気なのか」という質問をした。
すると法王は「ものごとは全体的(holistic)に見ねばならない。自然エネルギーといっても、ダムを作れば自然を破壊するし、火力発電は二酸化炭素を増やす。代案があれば原発を廃するのもいい。一つのものが使いようによって利器にも凶器にもなるように、原子力も十分な安全策を講じれば発展途上国の人に安価なエネルギーをもたらす利器となり、悪用されれば広島の原爆のような凶器にもなる。ただし、あなたたちが話し合ってもう原発はいらないということになったら、それでいい」という旨の答え。
そして、次が日本赤軍の兵士の娘重信メイによる「パレスチナ人はチベット人同様、国を奪われて悲惨な状態であり、国連への加盟もままならない。そのことについてどう思うか」という質問。古くから法王がPLOなどと距離をおいて、イスラエルの背後にあるアメリカと仲良くしていることに対する、おそらくは不満があってこのような質問をしたのだろう。
これに対して法王は「あまりに複雑な問題で、大きな力が加わっていて、コメントできない」
ちなみに、法王はアメリカに対してもブッシュがアフガン戦やイラク戦をはじめるときには公開書簡や声明文のような形で反対しているし、アメリカの格差社会にたいしても物申している。日本政府よりゃよほどはっきりアメリカにものを言っているよ。
そのあとも「世界中で格差を反対する若者の反政府デモが起きています。これからどうなるのでしょう」
法王「為政者が道徳的に政治を行えば、国民との間に信頼関係が生まれる。しかし、責任ある立場にいる人が腐敗していると、不信感、猜疑心から反政府的な動きもでてくる。指導的立場にある人の倫理観が重要だ」という旨のお答え。
また、「TPPに参加したら日本はどうなるんでしょう。日本はアメリカ帝国主義にも中国帝国主義にも与したくありません」みたいな質問に、法王「TPP、よく知らん。」と一蹴。
また、元NHKとかいう人が「去年尖閣沖で日本の海上保安庁の船が中国の漁船にぶつけられて、その映像を政府が隠し、それを一海保職員がYoutubeに流した。この事件をどう思うか」(暗に、中国ひどいよね、それをかばった政府もひどいよね、と同意を求めているような。)
法王「そりゃ日本の問題でしょ」(爆笑)
ちなみに、よい質問としてはチベットで中国政府に抗議して僧侶の焼身自殺が続いていることに対する質問。これはルンタが翻訳しているのでここごらんください。
あとは、スピリチュアルテレビの「法王のおっしゃるようにすべての人が悟りを開けば世の中は平和になるんですよね、具体的には何からはじめればいいですか」という質問もまあましだった。
何にしてもこの二つ以外の質問には情けなーい気持ちになった。
まず、 TPPに参加したら将来どうなるか、とか、世界中の格差デモがこれからどうなるのか、ってダライラマに未来を予言してもらいたいタイプの質問は完全に無意味。
このジャーナリストに限らずわれわれは、自分の感じている不幸・不安を、すべて外部からくるものと考えがちである。自分の能力・努力の不在は棚に上げ、親のせいから始まって、学校のせい、社会のせい、政治のせい、国のせい、と、問題はすべて外にあり、外部要因が自分たちに何をもたらすか、という視点からしかものを考えない。だから、TPPが日本人に何をもたらすか、原発が何をもたらすか、という問い方になる。
しかし、仏教ではそもそもすべての問題は外からくるものではなく、自分の内側(心のあり方)からくるものであると考える。
つまり、どんなすばらしいチャンスでも利己的な動機からそれをはじめれば客観的に成功しても人間の価値が下がるので成功とはいえず、仮に利他的な動機でそれに取り組んでいれば、客観的に何も得ることがなかったしても、人間の価値は損なわれていないので成功といえる。
つまり、ある一つの事を倫理的・道徳的・利他的な動機をもってはじめ、努力を続けてあたっていけば、どう転ぼうがそれは正解であり勝利なのである。だから、自分がどのような姿勢でものごとに関わるかという視点なしで、ただ、原発ひどいでしょ、格差でもはどうなるの、TPPに入ったらどうなるのかしら、などと聞いても意味ないのである。
しかし、ここでジャーナリストを少しフォローすれば、日本には神様にお伺いをたてて、吉凶を占ったりする文化があるので、ダライラマという聖なるものを前にして、つい自分たちの悩みを語ってしまったのかもしれない。まあそれだったら、法王に聞く前に亀の甲羅でも焼いてヒビでも見てろと。
それであるのに、原発に関するダライラマの答えをかってに「原発推進」だととらえて、「法王は勉強がたりない」「失望した」とかツイッターで騒ぐひとたちを見て、「うわ、これがまさに衆愚」とあきれた。チベットに侵入してきた解放軍が、世界最高レベルの論理学を身につけたお坊さんたちを「勉強がたりない」といって社会主義教育をさせた、あれと同じ滑稽な図式である。
お坊さんは知識ではなく智慧を育てる人たちである。そして、智慧はあんたたちの言うこじゃれた知識(勉強)よりもはるかに人類の幸せに寄与してきた(笑)。彼は倫理と道徳をもってより大きな視点からわれわれに道を示しているのである。そこんとこがわかんない人は法王リテラシーがまだまだ。
今回の記者会見に限らず、法王の講演会ででる質問もその多くは実にとほほなものである。
原発、パレスチナ質問のように自分の考え方の枠組みを法王におしつけて、それへの賛否をとうタイプ、また、「頭ではわかっていてもどうしても法王のいうようにできないんです」という、こまったちゃん質問。サポーターから見ると「アンタのその質問、たぶん猊下の人生でそれに答えるの五万回目よ」というくらい、もう同じことの繰り返し(まあ、質問は同じでも質問する人は毎回別の人なので、仕方ないとこもあるけど 笑)。
実は、ダライラマの人生を、その考え方をよく知る人ほど、質問なんてする気はおきなくなるのである。それは、法王の考えは「おのれの人格を向上させよ、さすればあなたは幸せになる」ということであるから、それを理解した瞬間に、わたしたちが法王に話すことがあるとすれば、「私はこうがんばっています」ということしかなくなり、なかなか威張っていう程の成果が出せないから何も言うことができなくなるから(笑)。
こういう人たちの発言を見るに付けても、「いい加減、無制限に人から質問受けるのやめてよー」と端から見ていて思うのだが、法王は毎回、実に淡々と誰からの質問もうけつけ、あれれな質問にもとほほな質問にも答え続けている。なので、最近では私はそれが法王のすごさの証明だと思うことにして、質問者に腹を立てないようにしている(ホントよ)。
では、どのような質問がベストであるのか。それは、法王の今まで人生、人柄、業績をそれを知らない一般の人にも分かるような形で引き出すようなものである。
1951年、ダライラマはチベットに中国軍が侵攻する中15才で即位した。そして24才でチベットからインドに亡命し(この年は大躍進政策の失敗で中国は餓死者るいるい。ダライラマはよくこの年まで我慢したよ)、そのあと、10万人のチベット人を抱えて、その生活を支え、チベット人のアイデンティティである仏教文化を護り続けてきた。ダライラマは、自らがこれらの苦難によってかえって自分の人間の価値(ゆるすこと、他者を思いやること、自己を節制すること)を育てられたことをことあるごとに述べている。
ダライラマはこう言いにきたのである。チベット人は国を奪われさすらいの身になっても、絶望や不安に負けずに人間の価値を護ってきた。だから、あなたたちもウツや絶望にまけるな。神でも仏でもない、人の自分ができたことだから、あなたたちにもできる。
あなたたちも再び立ち上がることができる、そう伝えにきたのである。だから、記者会見でもジャーナリストは法王のそのような強さとすごさを引き出すような質問をすれば、日本人の多くを励まし、多くの人が自らの心のありようを問い直すチャンスを作ることができたはず。
外部要因に対する不安や不満を口にしながら、絶望と無気力にひたっていても、本人に良い結果がでないだけでなく、周りも巻き込んで不幸になっていく。法王が言うように、今は道徳的・倫理的・前向きになること、そのように心をもっていけるように、少しずつでもできることを今から積み上げはじめること、これしかないのである。
最終日、ダライラマ法王は自由報道協会という会(記者クラブに反対するフリー・ジャーナリストが立ち上げた会)の主催で記者会見を行った。その模様はニコニコ動画やユーストリームで誰でも見られる形でリアルタイムに公開されたので、多くの人の目に触れることとなった。
わたしは最初ニコ動で見ようとしたら視聴者が多すぎてはじかれ、プレミアム会員にならないとダメと言われたので、ユーストリームの方で見た。ちょうど、日本赤軍の重信房子の娘さんとかがパレスチナ問題について法王に質問するところから見だした。後ですべての内容がネットにアップされたので、最初の方も知ることができた。
まず、最初法王から今回の来日の目的が高野山大学における灌頂であること、また、震災49日法要の時と同じく、津波・地震の被災者にメッセージを送るためであることが述べられ、
日本は数々の悲劇を乗り越えてきた国だから、今度もできるはずだ。起きてしまったことにとらわれず、ネガティブにならず、前向きになれ。人間の価値に必要不可欠なことは、〔敵をも〕許すこと、他者を愛すること、自分を律することである。この美徳は宗教も説くが、倫理・道徳も説くところである。この人間の価値を十分に発揮しながら、今こそ〔天災で失った〕家を建て直すときだ。という旨のお話があった。
ジャーナリストの使命は真実・事実を伝えることです。チベットで起きたことを、「帝国主義や封建社会から解放してやった」という人もいれば、「チベット人の文化的な虐殺」であるという人もいます。いろいろな意見がありますが、ジャーナリスの方はぜひチベットにいって事実を見てきてください。解放なのか、虐殺なのか、その事実を調べてきてください。また、世の中で宗教・見解の相違で争いが起きないように、倫理観をもった報道をしてください。
そのあと質問を受ける段になり、イタリア人のジャーナリスト、ビオ・デミリア氏が、原発事故の話をし、取り残された動物たちの遺体写真などをダライラマにみせて、直訳「法王は原発に賛成だというが、仏教では動物も大切な命だろう。その命がこのような悲惨なことになっているのに、平気なのか」という質問をした。
すると法王は「ものごとは全体的(holistic)に見ねばならない。自然エネルギーといっても、ダムを作れば自然を破壊するし、火力発電は二酸化炭素を増やす。代案があれば原発を廃するのもいい。一つのものが使いようによって利器にも凶器にもなるように、原子力も十分な安全策を講じれば発展途上国の人に安価なエネルギーをもたらす利器となり、悪用されれば広島の原爆のような凶器にもなる。ただし、あなたたちが話し合ってもう原発はいらないということになったら、それでいい」という旨の答え。
そして、次が日本赤軍の兵士の娘重信メイによる「パレスチナ人はチベット人同様、国を奪われて悲惨な状態であり、国連への加盟もままならない。そのことについてどう思うか」という質問。古くから法王がPLOなどと距離をおいて、イスラエルの背後にあるアメリカと仲良くしていることに対する、おそらくは不満があってこのような質問をしたのだろう。
これに対して法王は「あまりに複雑な問題で、大きな力が加わっていて、コメントできない」
ちなみに、法王はアメリカに対してもブッシュがアフガン戦やイラク戦をはじめるときには公開書簡や声明文のような形で反対しているし、アメリカの格差社会にたいしても物申している。日本政府よりゃよほどはっきりアメリカにものを言っているよ。
そのあとも「世界中で格差を反対する若者の反政府デモが起きています。これからどうなるのでしょう」
法王「為政者が道徳的に政治を行えば、国民との間に信頼関係が生まれる。しかし、責任ある立場にいる人が腐敗していると、不信感、猜疑心から反政府的な動きもでてくる。指導的立場にある人の倫理観が重要だ」という旨のお答え。
また、「TPPに参加したら日本はどうなるんでしょう。日本はアメリカ帝国主義にも中国帝国主義にも与したくありません」みたいな質問に、法王「TPP、よく知らん。」と一蹴。
また、元NHKとかいう人が「去年尖閣沖で日本の海上保安庁の船が中国の漁船にぶつけられて、その映像を政府が隠し、それを一海保職員がYoutubeに流した。この事件をどう思うか」(暗に、中国ひどいよね、それをかばった政府もひどいよね、と同意を求めているような。)
法王「そりゃ日本の問題でしょ」(爆笑)
ちなみに、よい質問としてはチベットで中国政府に抗議して僧侶の焼身自殺が続いていることに対する質問。これはルンタが翻訳しているのでここごらんください。
あとは、スピリチュアルテレビの「法王のおっしゃるようにすべての人が悟りを開けば世の中は平和になるんですよね、具体的には何からはじめればいいですか」という質問もまあましだった。
何にしてもこの二つ以外の質問には情けなーい気持ちになった。
まず、 TPPに参加したら将来どうなるか、とか、世界中の格差デモがこれからどうなるのか、ってダライラマに未来を予言してもらいたいタイプの質問は完全に無意味。
このジャーナリストに限らずわれわれは、自分の感じている不幸・不安を、すべて外部からくるものと考えがちである。自分の能力・努力の不在は棚に上げ、親のせいから始まって、学校のせい、社会のせい、政治のせい、国のせい、と、問題はすべて外にあり、外部要因が自分たちに何をもたらすか、という視点からしかものを考えない。だから、TPPが日本人に何をもたらすか、原発が何をもたらすか、という問い方になる。
しかし、仏教ではそもそもすべての問題は外からくるものではなく、自分の内側(心のあり方)からくるものであると考える。
つまり、どんなすばらしいチャンスでも利己的な動機からそれをはじめれば客観的に成功しても人間の価値が下がるので成功とはいえず、仮に利他的な動機でそれに取り組んでいれば、客観的に何も得ることがなかったしても、人間の価値は損なわれていないので成功といえる。
つまり、ある一つの事を倫理的・道徳的・利他的な動機をもってはじめ、努力を続けてあたっていけば、どう転ぼうがそれは正解であり勝利なのである。だから、自分がどのような姿勢でものごとに関わるかという視点なしで、ただ、原発ひどいでしょ、格差でもはどうなるの、TPPに入ったらどうなるのかしら、などと聞いても意味ないのである。
しかし、ここでジャーナリストを少しフォローすれば、日本には神様にお伺いをたてて、吉凶を占ったりする文化があるので、ダライラマという聖なるものを前にして、つい自分たちの悩みを語ってしまったのかもしれない。まあそれだったら、法王に聞く前に亀の甲羅でも焼いてヒビでも見てろと。
それであるのに、原発に関するダライラマの答えをかってに「原発推進」だととらえて、「法王は勉強がたりない」「失望した」とかツイッターで騒ぐひとたちを見て、「うわ、これがまさに衆愚」とあきれた。チベットに侵入してきた解放軍が、世界最高レベルの論理学を身につけたお坊さんたちを「勉強がたりない」といって社会主義教育をさせた、あれと同じ滑稽な図式である。
お坊さんは知識ではなく智慧を育てる人たちである。そして、智慧はあんたたちの言うこじゃれた知識(勉強)よりもはるかに人類の幸せに寄与してきた(笑)。彼は倫理と道徳をもってより大きな視点からわれわれに道を示しているのである。そこんとこがわかんない人は法王リテラシーがまだまだ。
今回の記者会見に限らず、法王の講演会ででる質問もその多くは実にとほほなものである。
原発、パレスチナ質問のように自分の考え方の枠組みを法王におしつけて、それへの賛否をとうタイプ、また、「頭ではわかっていてもどうしても法王のいうようにできないんです」という、こまったちゃん質問。サポーターから見ると「アンタのその質問、たぶん猊下の人生でそれに答えるの五万回目よ」というくらい、もう同じことの繰り返し(まあ、質問は同じでも質問する人は毎回別の人なので、仕方ないとこもあるけど 笑)。
実は、ダライラマの人生を、その考え方をよく知る人ほど、質問なんてする気はおきなくなるのである。それは、法王の考えは「おのれの人格を向上させよ、さすればあなたは幸せになる」ということであるから、それを理解した瞬間に、わたしたちが法王に話すことがあるとすれば、「私はこうがんばっています」ということしかなくなり、なかなか威張っていう程の成果が出せないから何も言うことができなくなるから(笑)。
こういう人たちの発言を見るに付けても、「いい加減、無制限に人から質問受けるのやめてよー」と端から見ていて思うのだが、法王は毎回、実に淡々と誰からの質問もうけつけ、あれれな質問にもとほほな質問にも答え続けている。なので、最近では私はそれが法王のすごさの証明だと思うことにして、質問者に腹を立てないようにしている(ホントよ)。
では、どのような質問がベストであるのか。それは、法王の今まで人生、人柄、業績をそれを知らない一般の人にも分かるような形で引き出すようなものである。
1951年、ダライラマはチベットに中国軍が侵攻する中15才で即位した。そして24才でチベットからインドに亡命し(この年は大躍進政策の失敗で中国は餓死者るいるい。ダライラマはよくこの年まで我慢したよ)、そのあと、10万人のチベット人を抱えて、その生活を支え、チベット人のアイデンティティである仏教文化を護り続けてきた。ダライラマは、自らがこれらの苦難によってかえって自分の人間の価値(ゆるすこと、他者を思いやること、自己を節制すること)を育てられたことをことあるごとに述べている。
ダライラマはこう言いにきたのである。チベット人は国を奪われさすらいの身になっても、絶望や不安に負けずに人間の価値を護ってきた。だから、あなたたちもウツや絶望にまけるな。神でも仏でもない、人の自分ができたことだから、あなたたちにもできる。
あなたたちも再び立ち上がることができる、そう伝えにきたのである。だから、記者会見でもジャーナリストは法王のそのような強さとすごさを引き出すような質問をすれば、日本人の多くを励まし、多くの人が自らの心のありようを問い直すチャンスを作ることができたはず。
外部要因に対する不安や不満を口にしながら、絶望と無気力にひたっていても、本人に良い結果がでないだけでなく、周りも巻き込んで不幸になっていく。法王が言うように、今は道徳的・倫理的・前向きになること、そのように心をもっていけるように、少しずつでもできることを今から積み上げはじめること、これしかないのである。
ダライラマ in 高野山
今回のダライラマ来日の主要目的は、高野山大学創立125周年を記念して金剛界曼荼羅の灌頂(入門儀礼)を主宰することであった。
メイン灌頂は11月1日から2日の二日間にわたって高野山において行われ、その前後にダライラマが若い僧侶と語り合う場や、高野山大学の管長との対談などが設定されていた。そして法王は4日に高野山を離れ被災地に向かった。
四日の晩、この灌頂儀礼の通訳をつとめたお馴染み清風学園校長平岡先生から、ダライラマin 高野山のお話を聞かせていただいた。
高野山大学は弘法大師空海の開いた金剛峯寺の境内、つまり紀伊半島の山の上にある。ダライラマ猊下の宿泊所として高野山は、皇族と座主以外泊まることのない、山内でもっとも格式の高い金剛峯寺を準備した(エライ!)。
格式が高い=古い。また、十一月の初めですでにお山の上は寒いので、ダライラマをお迎えするにあたり高野山は、この格式ある部屋に暖房を入れ、シャワーをつけたそうな(エライ!!)。
真言宗は『金剛頂経』(金剛界)と『大日経』(胎蔵界) の二つの経典を拠り所とする。今回ダライラマ法王の行った金剛界の灌頂は、前者の『金剛頂経』に説かれた修業を許可する儀礼である。
法王はこの金剛界灌頂をサキャ派の支派ツァル派(tshar)座主、チューゲイ・リンポチェ(1920-2007)から授かっており、今回も灌頂の儀軌もツァル派の伝統に属するものを用いている(ダライラマ五世の時代からツァル派の密教がゲルク派に入っている)。
高野山で法王が灌頂を行うに際しては「高野山には御大師(弘法大師)さまの金剛界灌頂があるのだから、ダライラマ法王に灌頂をしていだく必要はない。著名な科学者と対談してもらおう」などの意見を言う方もいたそうだが、
平岡センセ曰く「結果としてこれ(灌頂)をやってとても良かった」。
高野山大学の先生方はダライラマの灌頂に非常に感銘を受けられていたという。以下諸先生方の反応。
A先生は瓶の灌頂(第一灌頂)で金剛界37尊の仏の名を一つ一つ唱える際、一体一体につき、そのお姿を確認して合掌して受けられていたという。
B先生「密教の事相をやる人はチベットの灌頂を受けた方がいい。一つ一つの解釈が深い。チベット密教の実力をみせつれられました」
C先生「もっと勉強せねばならないことがわかった」
D先生「〔単なるイベントではなく〕灌頂をやってよかった。」
灌頂のしめに挨拶されたD先生にいたっては、感動の余り声を詰まらせていたという。
私もなんどか101代ギュメ寺座主ガワン先生が主宰する灌頂に参加させて頂いて強く感じたことは、灌頂の場には、釈尊とその眷属が霊鷲山に集っていた時代を彷彿とさせる、時空をこえた雰囲気がある。とくに何日もかけと行われる大灌頂の場合は、師匠と弟子の間は親子のように緊密となり、一緒に灌頂を受けたものどうしも「金剛兄弟」と呼びあう、不思議な雰囲気をかもし出す。
高野山大学の先生方もこの灌頂という儀礼の場において、ダライラマ法王と深い意味で近づくことができて、いろいろ感じ取られるところがあったのだと思う。
では以下に「法王in 高野山」エピソードのご紹介です。
◎エピソード1 高野山の奥の院には、今も弘法大師さまのご遺体が祀られている。御大師さまは今も瞑想にはいって一切衆生の救済を行っていると言われ、そのため高野山は真言宗の特別な聖地である。
法王による奥の院参拝は、滞在日程の最終日に予定されていたそうだが、法王はその話しを聞くや、灌頂の行われるその日の朝、管長松長先生の案内で奥の院を参拝されたという。そして、灌頂が始まって弟子に菩薩戒を授けるシーンにおいて、「お大師さまがここにいると思って誓いなさい」と言ったのだそうな。他宗教、他宗派の伝統を尊重する法王ならではである。
また、弘法大師の入定伝説についても、法王は「智慧法身でここ(奥の院)にいらっしゃるというのもありうる」とマニアなコメントをされたという。
◎エピソード2 ある塔頭のご住職が、「法王は科学的な思考を強調するが、宗教的な真理と科学的な真理は一致しなくてもいいのではないか。」と質問したところ、法王は
「造物主を肯定する宗教(イスラーム教・キリスト経)なら科学との共存は不可能だろうが、仏教は因果の教えを奉じる宗教なので、科学と共存できる。私が三十年前に、チベット仏教徒の科学者(マチウ・リカールか?)に対し『科学者と対話したい』と提案すると、彼は『科学者は宗教者を否定します。対話はなりたちません』と反対した。
しかし、いざ対話を初めて見るとこうだった。はじめてその会議に参加した女性科学者は最初は私のことを「お前は坊主だろ。アンタと話しても何も得ることがないわ」みたいな顔をしていたのが、対話が進むにつれ、身を乗り出して通訳を介してだが積極的に質問してきた。21世紀になり多くの科学者たちが『仏教から学びたい』と言い始めている。仏の教えですら金の真贋を確かめるように吟味して、しかる後に信ぜよという、仏教の姿勢は科学者の姿勢と通じる」とお答えになった。
◎エピソード3 今回、ダライラマ法王の姿をみて、四月にくらべておやせになったのではないか、と心配されている方も多いと思う。
ダライラマのお食事の世話をしていた方によると、ダライラマ法王はゴハンは3杯から4杯をおかわりして、そのあとうどんも食べていたので、大丈夫とのことです(笑)。ただし、通訳のマリアさんによるとヒザをちょっと痛められているそう。
◎エピソード4 宿泊所となった金剛峯寺を離れる際、ダライラマはこの宿泊施設のお守りをしている女性をわざわざ探しにいって見つけると〔お世話になりました〕ハグをしたという。また、食事の世話や身の回りの世話をしてくれた人たちすべてを最後に呼び集めて、一人一人の手を取ってねぎらわれたのだそう。とにかくその細かい気の配り方にみなは感動していたそうな。
平岡センセいはく「法王と接した人は感銘を受けて、変わろうとしはじめます。そういう人たちが回りを引っ張っていけばいいんです。結果として変わらない人もいるかもしれませんが、法王と接した方がみな。変わろうと思いはじめることがスゴイと思いませんか。」
というわけで、平岡先生、お疲れさまでした!
メイン灌頂は11月1日から2日の二日間にわたって高野山において行われ、その前後にダライラマが若い僧侶と語り合う場や、高野山大学の管長との対談などが設定されていた。そして法王は4日に高野山を離れ被災地に向かった。
四日の晩、この灌頂儀礼の通訳をつとめたお馴染み清風学園校長平岡先生から、ダライラマin 高野山のお話を聞かせていただいた。
高野山大学は弘法大師空海の開いた金剛峯寺の境内、つまり紀伊半島の山の上にある。ダライラマ猊下の宿泊所として高野山は、皇族と座主以外泊まることのない、山内でもっとも格式の高い金剛峯寺を準備した(エライ!)。
格式が高い=古い。また、十一月の初めですでにお山の上は寒いので、ダライラマをお迎えするにあたり高野山は、この格式ある部屋に暖房を入れ、シャワーをつけたそうな(エライ!!)。
真言宗は『金剛頂経』(金剛界)と『大日経』(胎蔵界) の二つの経典を拠り所とする。今回ダライラマ法王の行った金剛界の灌頂は、前者の『金剛頂経』に説かれた修業を許可する儀礼である。
法王はこの金剛界灌頂をサキャ派の支派ツァル派(tshar)座主、チューゲイ・リンポチェ(1920-2007)から授かっており、今回も灌頂の儀軌もツァル派の伝統に属するものを用いている(ダライラマ五世の時代からツァル派の密教がゲルク派に入っている)。
高野山で法王が灌頂を行うに際しては「高野山には御大師(弘法大師)さまの金剛界灌頂があるのだから、ダライラマ法王に灌頂をしていだく必要はない。著名な科学者と対談してもらおう」などの意見を言う方もいたそうだが、
平岡センセ曰く「結果としてこれ(灌頂)をやってとても良かった」。
高野山大学の先生方はダライラマの灌頂に非常に感銘を受けられていたという。以下諸先生方の反応。
A先生は瓶の灌頂(第一灌頂)で金剛界37尊の仏の名を一つ一つ唱える際、一体一体につき、そのお姿を確認して合掌して受けられていたという。
B先生「密教の事相をやる人はチベットの灌頂を受けた方がいい。一つ一つの解釈が深い。チベット密教の実力をみせつれられました」
C先生「もっと勉強せねばならないことがわかった」
D先生「〔単なるイベントではなく〕灌頂をやってよかった。」
灌頂のしめに挨拶されたD先生にいたっては、感動の余り声を詰まらせていたという。
私もなんどか101代ギュメ寺座主ガワン先生が主宰する灌頂に参加させて頂いて強く感じたことは、灌頂の場には、釈尊とその眷属が霊鷲山に集っていた時代を彷彿とさせる、時空をこえた雰囲気がある。とくに何日もかけと行われる大灌頂の場合は、師匠と弟子の間は親子のように緊密となり、一緒に灌頂を受けたものどうしも「金剛兄弟」と呼びあう、不思議な雰囲気をかもし出す。
高野山大学の先生方もこの灌頂という儀礼の場において、ダライラマ法王と深い意味で近づくことができて、いろいろ感じ取られるところがあったのだと思う。
では以下に「法王in 高野山」エピソードのご紹介です。
◎エピソード1 高野山の奥の院には、今も弘法大師さまのご遺体が祀られている。御大師さまは今も瞑想にはいって一切衆生の救済を行っていると言われ、そのため高野山は真言宗の特別な聖地である。
法王による奥の院参拝は、滞在日程の最終日に予定されていたそうだが、法王はその話しを聞くや、灌頂の行われるその日の朝、管長松長先生の案内で奥の院を参拝されたという。そして、灌頂が始まって弟子に菩薩戒を授けるシーンにおいて、「お大師さまがここにいると思って誓いなさい」と言ったのだそうな。他宗教、他宗派の伝統を尊重する法王ならではである。
また、弘法大師の入定伝説についても、法王は「智慧法身でここ(奥の院)にいらっしゃるというのもありうる」とマニアなコメントをされたという。
◎エピソード2 ある塔頭のご住職が、「法王は科学的な思考を強調するが、宗教的な真理と科学的な真理は一致しなくてもいいのではないか。」と質問したところ、法王は
「造物主を肯定する宗教(イスラーム教・キリスト経)なら科学との共存は不可能だろうが、仏教は因果の教えを奉じる宗教なので、科学と共存できる。私が三十年前に、チベット仏教徒の科学者(マチウ・リカールか?)に対し『科学者と対話したい』と提案すると、彼は『科学者は宗教者を否定します。対話はなりたちません』と反対した。
しかし、いざ対話を初めて見るとこうだった。はじめてその会議に参加した女性科学者は最初は私のことを「お前は坊主だろ。アンタと話しても何も得ることがないわ」みたいな顔をしていたのが、対話が進むにつれ、身を乗り出して通訳を介してだが積極的に質問してきた。21世紀になり多くの科学者たちが『仏教から学びたい』と言い始めている。仏の教えですら金の真贋を確かめるように吟味して、しかる後に信ぜよという、仏教の姿勢は科学者の姿勢と通じる」とお答えになった。
◎エピソード3 今回、ダライラマ法王の姿をみて、四月にくらべておやせになったのではないか、と心配されている方も多いと思う。
ダライラマのお食事の世話をしていた方によると、ダライラマ法王はゴハンは3杯から4杯をおかわりして、そのあとうどんも食べていたので、大丈夫とのことです(笑)。ただし、通訳のマリアさんによるとヒザをちょっと痛められているそう。
◎エピソード4 宿泊所となった金剛峯寺を離れる際、ダライラマはこの宿泊施設のお守りをしている女性をわざわざ探しにいって見つけると〔お世話になりました〕ハグをしたという。また、食事の世話や身の回りの世話をしてくれた人たちすべてを最後に呼び集めて、一人一人の手を取ってねぎらわれたのだそう。とにかくその細かい気の配り方にみなは感動していたそうな。
平岡センセいはく「法王と接した人は感銘を受けて、変わろうとしはじめます。そういう人たちが回りを引っ張っていけばいいんです。結果として変わらない人もいるかもしれませんが、法王と接した方がみな。変わろうと思いはじめることがスゴイと思いませんか。」
というわけで、平岡先生、お疲れさまでした!
11年ダライラマ法王大阪講演(後半)
遅くなりましたが、30日日曜日の午後の法輪の梗概をあげます。
午後の演題は「人生の困難を強く生きる」みたいな演題がついていたが、内容は『ダライ・ラマ幸福論』などで述べられている「利他の心を育む重要性」であった。
午前の部はダライラマは僧侶として仏教を説いたので、ソファには僧衣と同じ色のえんじ色のカバーがかけてあったが、午後は一人の人の立場から倫理を説くのでソファは白色になっている。ポタラ宮において赤宮と白宮がぬりわけられているのも、赤宮はダライラマを顕彰する諸堂すなわち宗教的な場であり、白宮は俗世の政務にかかわる部分だからである。
さて以下お話の内容。〔〕内は私の補足。※は私のコメントなので間違えないでね。
世俗の倫理と道徳において、他者に対する愛と思いやりの気持ちは尊ばれている。また、〔世俗と対照的な関係にある〕すべての宗教においても他者に対する愛と思いやりの気持ちは尊ばれている。
みなが素晴らしいというこの「他者に対する愛」を育むためには、以下の三種類の方法がある。
1 一神教(イスラーム教・キリスト教)の方法論
2 因果の法を尊ぶ教え(仏教・ジャイナ教・サーンキヤ学派)の方法論
3 世俗の倫理観に基づく方法論。
このうち三番の世俗の倫理感に基づいて行う実践が、一番重要である。なぜなら〔最初の二つは自分はその宗教の信者じゃないから知らん、と言われたらそれまでだが、世俗の倫理ならマルキシストなどの〕無神論者にも訴えかけることができるからである。
三番目の世俗の倫理・道徳・良識の立場から「他者を思いやる心」が必要な理由を三つ述べよう。
(1) 生き物は生まれたばかりの時は弱々しくて、母親の愛なくしては生きていけない。鳥であれば母親がせっせとごはんを運んできて育てるし、ほ乳類であれば母親は赤ん坊に乳を与えて育てる。このようにして生き物は人生の最初に母の愛を受けることによって生きることができる。
これは愛が生き物にとって生来必要なものであることを意味している。科学者によっても、母親の愛を十分に受けた子供は情緒が安定し、人を信じ、恐怖感や不安感も少ないが、母親の愛を十分に受けることができなかった人はその逆となる。このことも、「他者を思う愛」が生き物にとって不可欠であることを示している。
※この話を法王がすると必ず、「私は親の愛を受けなかった。どうすればいいのか」という質問がでるが、法王の答えはきまって同じ。「あなたが人を信じ愛することが自然にできるようになるのは時間がかかるだろうが、毎日その努力をしていればいつか自然にできるようになる」。
(2) 愛情溢れる環境は人を幸せにし、逆に不和が充ちた環境は人を不幸にする。心が不安であると、たとえ体は横になっていても、完全にリラックスすることはできず、寝ても寝返りばかりうって深く眠れない。自分から他人を愛さない人は、他人からも愛されない。動物だって、優しくする人には信頼をよせるけど、殴ったりけったりする人にはなつかない。良識の範囲内でも、愛情が生き物にとって必要不可欠なものであることは明らかだ。
(3) 最近科学者たちも他者を思いやる心が大切であることを認めはじめている。
わたしは過去三十年にわたり科学者たちと対話をしてきた。宇宙学・神経生物学・物理学・量子力学の科学者たちが仏教に興味をもってくれた。仏教には科学的な側面と哲学的な側面と実践修行の三つの側面がある。科学の「現象の本質を真理によって探求しようとする姿勢」は仏教にも共通するものだ。
仏教の修行において、他者を思いやる心を育む瞑想を行うと、脳細胞が実際に変化していくことはアメリカのウィスコンシン大学、エモリー大学、スタンフォード大学の科学者たちにによって確認されている。従来は脳細胞が意識に影響を与えるとされてきたのだが、意識が脳細胞を変えていくという研究が認められつつある。
現在の教育は知識や教養を増やすことばかりに重点をおくが、わたしは教育を通じて「他者を愛する心を育む訓練」を広めることが重要だと思っている。他者を思う気持ちをもつ者はよい人間関係を築くことができるし、何より一人一人の心の平安は世界平和へとつながっていく。学生たちに自らの心をみつめること、他者を思う気持ちを育むトレーニングを行わせ、それがどのような結果を生むかを実験してみてください。
お祈りするだけでは心はなかなか変わりません。また、技術の進歩だけでは世界平和は実現できません。日本は技術立国で体の中を透視するX線はあるが、心の中を透視する技術はないだろう。
〔先に述べたようにキリスト教や仏教などの〕宗教にも他者を思う気持ちを育む方法論はあるが、それらはその宗教の信徒以外には実践は難しいものだ。しかし、私が今述べているのは世俗の倫理なので、教育を通してこの心を広めることができる。
世界中で人の心は堕落し、貧富の差が広がり、腐敗が蔓延している。この背後に倫理観の欠如が根本にあるのではないか(ごもっとも)。
ここでダライラマのお話は終わり、質問を受け付けはじめる。質問時間は講演の前にもあったのですが、両方の質問ともにこっちにまとめました。
質問 今回の震災で多くのものが失われました。無常観(すべてのものは変化し、永遠のものはないこと)について語ってください。
答え 無常にも目に見えてはっきりわかる無常と、目に見えない微細な無常がある。人が死んでいなくなる、などの無常は。目に見えてはっきりわかる無常である。三苦のうち壊苦とは「変化によって生じる苦しみ」です(これ通訳のマリアさんがヘンゲといったもの。マリアさんインド生活が長いからか、漢字の読みが仏教漢字の読み方と時たま混在)。変化によって起きる苦にとらわれず、煩悩を断滅しなさい。〔そうすれば微細なレベルでの無常によって、心は徐々に平安に変化していきます。〕
質問 チベット語訳の般若心経の冒頭には、「女尊(仏母)の般若波羅蜜に帰命します」という言葉がありますが、なぜ女尊というのでしょうか。
答え 仏になるための二つの元手(二資糧)は、方便(愛や慈悲など他者を思う心)と智慧(空の理解)です。このうち方便は父にたとえられ、智慧は母に喩えられます。母に喩えられる理由は、この智慧から覚りの境地が生まれるからです。従って、般若波羅蜜(究極の智慧)は女尊(仏母)と表現されるのです。
質問 私は三人の子供を育てる母親です。やさくしありたいと思っていても、つい子供をしかってしまいます。家庭内で簡単にできる慈悲の実践法があるでしょうか。
答え 子供を叱る場合、その動機が何であるかが重要です。その子のためになるように、愛をもって叱ることはいいですが、怒りにまかせて叱ることはいけません。知性をはたらかせて、その場その場の状況を見て、子供にとって何か一番いいかを考えて子供と接しなさい。そのようなことをせずに我を忘れて怒れば、あなたは愚かな母親です(笑)。
質問 精神科医です。昨今いじめや自殺が社会問題になっているのは輪廻が日本人の心から失われたことが原因ではないでしょうか。
答え 前世を覚えている子供がいることは前世の存在を示しています。私は少なくとも十人のチベットの子供が自らの前世を覚えているのを知っています。また、すべてのものにはそれが生まれる原因があります。あるものが生まれるためには同じ種類のものがその前になくてはなりません。従って意識が生まれるには、同じ性質の意識がその前に存在しなければなりません。意識には粗いレベルと微細なレベルがあり、微細なレベルの意識は始まりのない昔からこの世にあり、終わりのない未来に輪廻して続いていきます。※ 輪廻の不在が社会問題の原因となっているという質問といまいちかみあっていない。
質問 業(カルマ)とは何か。体と言葉と心の三つの門を通じてなされる行為のことです。良い行いには良い報いがあり、悪い行いには悪い報いがあります。
※ここで次の質問者となる韓国人の女性がまとまらない話を長々と英語で質問。しかも質問内容は、法王の話しの中にすでに言われていたこと。彼女がダライラマと直接話しをしたかっただけに見えた。でもかつて宇宙人について質問した人がいたのであれに比べればましか。
で次の日本人女性の質問者も、これまた、前の韓国女性どうよう前置きが長い。一言でいえば「頭では怒りは悪いと思っていても、日常生活ではつい怒ってしまう。どうしたらいいのか」という簡単なことなのに。
答え シャーンティデーヴァを読みなさい。私は昔からこの書を座右の銘としている(会場失笑)。※通訳の方、せめてシャーンティデーヴァの日本語訳の存在くらい教えてあげたらいいのに。にしてもこの質問者二人、もう少し頭整理して質問してくれ。ちなみにシャーティデーヴァの本は『悟りへの道(入菩提行論)』です。ポタラカレッジから出ているものと、金倉円照訳の古い本(平楽寺書店のサイトの「目次I」のサーラ叢書にあります。)があります(手に入るかどうかは分からない。)。いずれもアマゾンでは出て来ません。
質問 また女性(笑)。法王の言葉の中に他人を許すことは自分を許すことだ、とありましたが、自分を許す許し方を教えてください。
答え ある人が悪行をなしたら、その人はゆるしても、悪行を許してはならない。人は許しても罪はゆるしてはならない。※この質問者がどの本で「自分をゆるす」という概念を得たのかわからんがおそらくは写真家の野町和嘉さんのベストセラー『ゆるす言葉』が典拠かと。しかし、この本読み直してみたけど、自分を許すってなかったような。法王の答えにあるように、チベットに悪行をなした人に対して、悪行自体が悪いことはおさえても、悪行を行った人に対して怒りを持つことはいかんと繰り返し述べている。しかし、「自分を許す」なんて話につながっただろうか。まあ自分を愛せる人は人にも寛容だ、くらいはおっしゃっているけど。
ところでこの質疑応答が始まると同時に多くの人が席を立って帰りはじめた。それらの人々は失礼な人たちというよりは、帰りのバスがめちゃめちゃにこむことを避けるために早く席を立ったように思われる。バラバラにあつまってくる開場時でもあの混乱であったわけだから、いっきに人が外にでる閉場時の混乱はそれに輪をかけると思ったのだろう。
この舞洲アリーナ交通の便が悪い上、トイレは行列、レストランはちっさいのが一個だけ。まさに陸の孤島。もう少し交通の便のよいところで行えば、聴衆も猊下の法話の途中で大量に帰りだすなんてしなかったと思う。借り賃の問題とかあるんだろうな。
法話が終わって外にでると土砂降り。わたしも合流したKさんも傘がなく、土砂降りの中いつくるか、いつ乗れるか分からないタクシーや路線バスを待つのかと困り果てる。Kさんはフードをかぶり、わたしは今朝ホテルでもらった朝刊で頭を覆い仕方なく外にでる。みるみるうちに新聞が雨をすって重くなっていく。
すると停留所でも何でもないところに一台バスがとまっていた。どこにいくか分からないバスだが、すくなともこの何もない埋め立て地で濡れ続けるよりは屋根があるだけいい。ここが始発なら終点はどこかの駅だろうと、考えた瞬間に、わたしは何も考えずにそのバスにむかって突進していた(またかよ 笑)。すると、運良く朝と同じ駅にもどる増発バスだった! 延髄反射またも勝利。そいえば崩壊直前のソ連では、行列があるととりあえずみな並んでいたというが、終了間際のソ連かよ。
ところで、このような途中退場者がたくさんいることにあきれ果てたのか、質問者がすべて終わった時点で法王は最後にしみじみと
ダライラマ「落ち着いた環境で時間を気にすることなく、二~三日かけて中観思想を講義したい。わたしは先月ダラムサラで25回目の科学者との対話を行った(mind and life conference)。日本でも同じような科学者との会議を行いたい。倫理的・道徳的な向上が人にどのようなよい影響を与えるのか、研究してほしい。
わたしは西洋に呼ばれて話しをするけど、彼らは仏教徒ではないのでわたしも話していてもどこか落ち着かない。日本人は仏教徒なので、やはり腰を据えてゆっくりと仏教のお話をしたい。日本仏教は坐禅で有名であり、坐禅では考えるよりも、ただ座れというが、仏の言葉を研究することは重要である。般若心経もただ唱えるだけでなく、この経典がとく空の意味について考えながら唱えなさい。」
法王の「時間を気にせずゆっくり法を説きたい」という言葉には本当に感情がこもっていた。
今までチベットの高僧のお話をいろいろなところで聞いてきたが、どの高僧も興がのってくる話がとまらない。
たとえば主宰者が「修道(『ラムリム』)について話してください。」とお願いしてテクストを準備すると、高僧はもちろんそのテクストにのっとって話すのだが、その場のノリでしゃべるのでテクストの最初の数行を解説して時間切れなんてザラ。
伝統的な社会であれば、高僧の法話は時間で区切られるなんてことはない。ある僧院で高僧が法話をするといえば、聴衆は何日もかけて徒歩で会場となる僧院に集結し、何日にもわたって高僧の講義を聴いた。もしテクストを全て解説してもらおうと思えば、それこそ高僧に弟子入りして何ヶ月にもわたりテクストの読み方を教わらねばならない。
しかし、現代の法話会と来た日には会場のホールが時間貸しで、会場設営会社との契約もあるため、無制限に話し続けることはできない。かのダライラマ法王ですら時間がくれば法話をやめなければならないのである。せちがらい時代である。
招請側は大体イベントの一環として法王をお呼びしているので、その後の交流につながらないのも残念な話。いままでたくさんの仏教集団が法王を日本にお呼びしたけど、そのあと、自派の僧侶をチベットの僧院に送ってチベット仏教を学ばせたとか、恒常的にチベットのお坊さんを日本に招いて講義してもらうなどの継続的な試みをした伝統宗派があるか少なくとも私は寡聞にして知らない。
ちなみに、みなさん気がついていると思いますが、今回の大阪講演は高野山で行われる金剛界灌頂の加行(準備行)です。だから、とくに午前の部はダライラマ法王が密教に意識して触れているのが分かりました。高野山大学の学長もおっしゃっていたように高野山大学は密教を教える大学で、チベット密教と共通する部分も多いので、今後大学にチベット仏教の講座とかが開かれるといいなあ。で、インドのチベット仏教界から直接お坊さんがてき授業をもたれるような時代がきたらいいなと思う。
午後の演題は「人生の困難を強く生きる」みたいな演題がついていたが、内容は『ダライ・ラマ幸福論』などで述べられている「利他の心を育む重要性」であった。
午前の部はダライラマは僧侶として仏教を説いたので、ソファには僧衣と同じ色のえんじ色のカバーがかけてあったが、午後は一人の人の立場から倫理を説くのでソファは白色になっている。ポタラ宮において赤宮と白宮がぬりわけられているのも、赤宮はダライラマを顕彰する諸堂すなわち宗教的な場であり、白宮は俗世の政務にかかわる部分だからである。
さて以下お話の内容。〔〕内は私の補足。※は私のコメントなので間違えないでね。
世俗の倫理と道徳において、他者に対する愛と思いやりの気持ちは尊ばれている。また、〔世俗と対照的な関係にある〕すべての宗教においても他者に対する愛と思いやりの気持ちは尊ばれている。
みなが素晴らしいというこの「他者に対する愛」を育むためには、以下の三種類の方法がある。
1 一神教(イスラーム教・キリスト教)の方法論
2 因果の法を尊ぶ教え(仏教・ジャイナ教・サーンキヤ学派)の方法論
3 世俗の倫理観に基づく方法論。
このうち三番の世俗の倫理感に基づいて行う実践が、一番重要である。なぜなら〔最初の二つは自分はその宗教の信者じゃないから知らん、と言われたらそれまでだが、世俗の倫理ならマルキシストなどの〕無神論者にも訴えかけることができるからである。
三番目の世俗の倫理・道徳・良識の立場から「他者を思いやる心」が必要な理由を三つ述べよう。
(1) 生き物は生まれたばかりの時は弱々しくて、母親の愛なくしては生きていけない。鳥であれば母親がせっせとごはんを運んできて育てるし、ほ乳類であれば母親は赤ん坊に乳を与えて育てる。このようにして生き物は人生の最初に母の愛を受けることによって生きることができる。
これは愛が生き物にとって生来必要なものであることを意味している。科学者によっても、母親の愛を十分に受けた子供は情緒が安定し、人を信じ、恐怖感や不安感も少ないが、母親の愛を十分に受けることができなかった人はその逆となる。このことも、「他者を思う愛」が生き物にとって不可欠であることを示している。
※この話を法王がすると必ず、「私は親の愛を受けなかった。どうすればいいのか」という質問がでるが、法王の答えはきまって同じ。「あなたが人を信じ愛することが自然にできるようになるのは時間がかかるだろうが、毎日その努力をしていればいつか自然にできるようになる」。
(2) 愛情溢れる環境は人を幸せにし、逆に不和が充ちた環境は人を不幸にする。心が不安であると、たとえ体は横になっていても、完全にリラックスすることはできず、寝ても寝返りばかりうって深く眠れない。自分から他人を愛さない人は、他人からも愛されない。動物だって、優しくする人には信頼をよせるけど、殴ったりけったりする人にはなつかない。良識の範囲内でも、愛情が生き物にとって必要不可欠なものであることは明らかだ。
(3) 最近科学者たちも他者を思いやる心が大切であることを認めはじめている。
わたしは過去三十年にわたり科学者たちと対話をしてきた。宇宙学・神経生物学・物理学・量子力学の科学者たちが仏教に興味をもってくれた。仏教には科学的な側面と哲学的な側面と実践修行の三つの側面がある。科学の「現象の本質を真理によって探求しようとする姿勢」は仏教にも共通するものだ。
仏教の修行において、他者を思いやる心を育む瞑想を行うと、脳細胞が実際に変化していくことはアメリカのウィスコンシン大学、エモリー大学、スタンフォード大学の科学者たちにによって確認されている。従来は脳細胞が意識に影響を与えるとされてきたのだが、意識が脳細胞を変えていくという研究が認められつつある。
現在の教育は知識や教養を増やすことばかりに重点をおくが、わたしは教育を通じて「他者を愛する心を育む訓練」を広めることが重要だと思っている。他者を思う気持ちをもつ者はよい人間関係を築くことができるし、何より一人一人の心の平安は世界平和へとつながっていく。学生たちに自らの心をみつめること、他者を思う気持ちを育むトレーニングを行わせ、それがどのような結果を生むかを実験してみてください。
お祈りするだけでは心はなかなか変わりません。また、技術の進歩だけでは世界平和は実現できません。日本は技術立国で体の中を透視するX線はあるが、心の中を透視する技術はないだろう。
〔先に述べたようにキリスト教や仏教などの〕宗教にも他者を思う気持ちを育む方法論はあるが、それらはその宗教の信徒以外には実践は難しいものだ。しかし、私が今述べているのは世俗の倫理なので、教育を通してこの心を広めることができる。
世界中で人の心は堕落し、貧富の差が広がり、腐敗が蔓延している。この背後に倫理観の欠如が根本にあるのではないか(ごもっとも)。
ここでダライラマのお話は終わり、質問を受け付けはじめる。質問時間は講演の前にもあったのですが、両方の質問ともにこっちにまとめました。
質問 今回の震災で多くのものが失われました。無常観(すべてのものは変化し、永遠のものはないこと)について語ってください。
答え 無常にも目に見えてはっきりわかる無常と、目に見えない微細な無常がある。人が死んでいなくなる、などの無常は。目に見えてはっきりわかる無常である。三苦のうち壊苦とは「変化によって生じる苦しみ」です(これ通訳のマリアさんがヘンゲといったもの。マリアさんインド生活が長いからか、漢字の読みが仏教漢字の読み方と時たま混在)。変化によって起きる苦にとらわれず、煩悩を断滅しなさい。〔そうすれば微細なレベルでの無常によって、心は徐々に平安に変化していきます。〕
質問 チベット語訳の般若心経の冒頭には、「女尊(仏母)の般若波羅蜜に帰命します」という言葉がありますが、なぜ女尊というのでしょうか。
答え 仏になるための二つの元手(二資糧)は、方便(愛や慈悲など他者を思う心)と智慧(空の理解)です。このうち方便は父にたとえられ、智慧は母に喩えられます。母に喩えられる理由は、この智慧から覚りの境地が生まれるからです。従って、般若波羅蜜(究極の智慧)は女尊(仏母)と表現されるのです。
質問 私は三人の子供を育てる母親です。やさくしありたいと思っていても、つい子供をしかってしまいます。家庭内で簡単にできる慈悲の実践法があるでしょうか。
答え 子供を叱る場合、その動機が何であるかが重要です。その子のためになるように、愛をもって叱ることはいいですが、怒りにまかせて叱ることはいけません。知性をはたらかせて、その場その場の状況を見て、子供にとって何か一番いいかを考えて子供と接しなさい。そのようなことをせずに我を忘れて怒れば、あなたは愚かな母親です(笑)。
質問 精神科医です。昨今いじめや自殺が社会問題になっているのは輪廻が日本人の心から失われたことが原因ではないでしょうか。
答え 前世を覚えている子供がいることは前世の存在を示しています。私は少なくとも十人のチベットの子供が自らの前世を覚えているのを知っています。また、すべてのものにはそれが生まれる原因があります。あるものが生まれるためには同じ種類のものがその前になくてはなりません。従って意識が生まれるには、同じ性質の意識がその前に存在しなければなりません。意識には粗いレベルと微細なレベルがあり、微細なレベルの意識は始まりのない昔からこの世にあり、終わりのない未来に輪廻して続いていきます。※ 輪廻の不在が社会問題の原因となっているという質問といまいちかみあっていない。
質問 業(カルマ)とは何か。体と言葉と心の三つの門を通じてなされる行為のことです。良い行いには良い報いがあり、悪い行いには悪い報いがあります。
※ここで次の質問者となる韓国人の女性がまとまらない話を長々と英語で質問。しかも質問内容は、法王の話しの中にすでに言われていたこと。彼女がダライラマと直接話しをしたかっただけに見えた。でもかつて宇宙人について質問した人がいたのであれに比べればましか。
で次の日本人女性の質問者も、これまた、前の韓国女性どうよう前置きが長い。一言でいえば「頭では怒りは悪いと思っていても、日常生活ではつい怒ってしまう。どうしたらいいのか」という簡単なことなのに。
答え シャーンティデーヴァを読みなさい。私は昔からこの書を座右の銘としている(会場失笑)。※通訳の方、せめてシャーンティデーヴァの日本語訳の存在くらい教えてあげたらいいのに。にしてもこの質問者二人、もう少し頭整理して質問してくれ。ちなみにシャーティデーヴァの本は『悟りへの道(入菩提行論)』です。ポタラカレッジから出ているものと、金倉円照訳の古い本(平楽寺書店のサイトの「目次I」のサーラ叢書にあります。)があります(手に入るかどうかは分からない。)。いずれもアマゾンでは出て来ません。
質問 また女性(笑)。法王の言葉の中に他人を許すことは自分を許すことだ、とありましたが、自分を許す許し方を教えてください。
答え ある人が悪行をなしたら、その人はゆるしても、悪行を許してはならない。人は許しても罪はゆるしてはならない。※この質問者がどの本で「自分をゆるす」という概念を得たのかわからんがおそらくは写真家の野町和嘉さんのベストセラー『ゆるす言葉』が典拠かと。しかし、この本読み直してみたけど、自分を許すってなかったような。法王の答えにあるように、チベットに悪行をなした人に対して、悪行自体が悪いことはおさえても、悪行を行った人に対して怒りを持つことはいかんと繰り返し述べている。しかし、「自分を許す」なんて話につながっただろうか。まあ自分を愛せる人は人にも寛容だ、くらいはおっしゃっているけど。
ところでこの質疑応答が始まると同時に多くの人が席を立って帰りはじめた。それらの人々は失礼な人たちというよりは、帰りのバスがめちゃめちゃにこむことを避けるために早く席を立ったように思われる。バラバラにあつまってくる開場時でもあの混乱であったわけだから、いっきに人が外にでる閉場時の混乱はそれに輪をかけると思ったのだろう。
この舞洲アリーナ交通の便が悪い上、トイレは行列、レストランはちっさいのが一個だけ。まさに陸の孤島。もう少し交通の便のよいところで行えば、聴衆も猊下の法話の途中で大量に帰りだすなんてしなかったと思う。借り賃の問題とかあるんだろうな。
法話が終わって外にでると土砂降り。わたしも合流したKさんも傘がなく、土砂降りの中いつくるか、いつ乗れるか分からないタクシーや路線バスを待つのかと困り果てる。Kさんはフードをかぶり、わたしは今朝ホテルでもらった朝刊で頭を覆い仕方なく外にでる。みるみるうちに新聞が雨をすって重くなっていく。
すると停留所でも何でもないところに一台バスがとまっていた。どこにいくか分からないバスだが、すくなともこの何もない埋め立て地で濡れ続けるよりは屋根があるだけいい。ここが始発なら終点はどこかの駅だろうと、考えた瞬間に、わたしは何も考えずにそのバスにむかって突進していた(またかよ 笑)。すると、運良く朝と同じ駅にもどる増発バスだった! 延髄反射またも勝利。そいえば崩壊直前のソ連では、行列があるととりあえずみな並んでいたというが、終了間際のソ連かよ。
ところで、このような途中退場者がたくさんいることにあきれ果てたのか、質問者がすべて終わった時点で法王は最後にしみじみと
ダライラマ「落ち着いた環境で時間を気にすることなく、二~三日かけて中観思想を講義したい。わたしは先月ダラムサラで25回目の科学者との対話を行った(mind and life conference)。日本でも同じような科学者との会議を行いたい。倫理的・道徳的な向上が人にどのようなよい影響を与えるのか、研究してほしい。
わたしは西洋に呼ばれて話しをするけど、彼らは仏教徒ではないのでわたしも話していてもどこか落ち着かない。日本人は仏教徒なので、やはり腰を据えてゆっくりと仏教のお話をしたい。日本仏教は坐禅で有名であり、坐禅では考えるよりも、ただ座れというが、仏の言葉を研究することは重要である。般若心経もただ唱えるだけでなく、この経典がとく空の意味について考えながら唱えなさい。」
法王の「時間を気にせずゆっくり法を説きたい」という言葉には本当に感情がこもっていた。
今までチベットの高僧のお話をいろいろなところで聞いてきたが、どの高僧も興がのってくる話がとまらない。
たとえば主宰者が「修道(『ラムリム』)について話してください。」とお願いしてテクストを準備すると、高僧はもちろんそのテクストにのっとって話すのだが、その場のノリでしゃべるのでテクストの最初の数行を解説して時間切れなんてザラ。
伝統的な社会であれば、高僧の法話は時間で区切られるなんてことはない。ある僧院で高僧が法話をするといえば、聴衆は何日もかけて徒歩で会場となる僧院に集結し、何日にもわたって高僧の講義を聴いた。もしテクストを全て解説してもらおうと思えば、それこそ高僧に弟子入りして何ヶ月にもわたりテクストの読み方を教わらねばならない。
しかし、現代の法話会と来た日には会場のホールが時間貸しで、会場設営会社との契約もあるため、無制限に話し続けることはできない。かのダライラマ法王ですら時間がくれば法話をやめなければならないのである。せちがらい時代である。
招請側は大体イベントの一環として法王をお呼びしているので、その後の交流につながらないのも残念な話。いままでたくさんの仏教集団が法王を日本にお呼びしたけど、そのあと、自派の僧侶をチベットの僧院に送ってチベット仏教を学ばせたとか、恒常的にチベットのお坊さんを日本に招いて講義してもらうなどの継続的な試みをした伝統宗派があるか少なくとも私は寡聞にして知らない。
ちなみに、みなさん気がついていると思いますが、今回の大阪講演は高野山で行われる金剛界灌頂の加行(準備行)です。だから、とくに午前の部はダライラマ法王が密教に意識して触れているのが分かりました。高野山大学の学長もおっしゃっていたように高野山大学は密教を教える大学で、チベット密教と共通する部分も多いので、今後大学にチベット仏教の講座とかが開かれるといいなあ。で、インドのチベット仏教界から直接お坊さんがてき授業をもたれるような時代がきたらいいなと思う。
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