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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2011/05/05(木)   CATEGORY: 未分類
ビンラディン殺害を受けて
 2001年に911同時多発テロをおこしたオサマ・ビンラディンがアメリカの特殊部隊に射殺された。

 オバマ大統領は「今日はいい日だ。世界はよりよく、より安全になるだろう」と声明をだし、ホワイトハウスの前でアメリカの青年たちがUSAを連呼した。

 この報道に対して日本のメディアの反応、また、ツイッターでコメントした人の反応は否定的なものが多かった(とはいっても自分30人しかフォローしていないが 笑)。

 否定的なコメントをだす人の大半は、人を殺害して喜ぶことに対する抵抗感、新たなる報復の連鎖が始まるという不安感をのべていた。

 しかし911でアメリカ人が受けた傷を考えると、部外者が口をはさむのは何かはばかられる。

 旅客機をハイジャックし、無辜の旅客ともども、ニューヨークのシンボルであるWTOにつっこみ、WTOがそこにいる人ともども目の前で崩れ落ちていく、その圧倒的な悪意をテレビの前でみたアメリカ人はそれから世界の見方を変えた。

 それを部外者がどう非難できようか。それにあの時、イマジン歌いながらグラウンド・ゼロに集まったのもまたアメリカ人であった。アフガンやイラクに派兵するのを反対したのもまた同じアメリカ人だった。少なくとも私のしるアメリカのチベサポはみな派兵に反対していた。

「アメリカ」なんて単純にひとくくりにできないのである。

 それに、「怒ると何をするかわからない者に対しては、刺激しない方がいい。殴られても我慢しろ」という論理は、どこかの国に対処する際に、一部の日本人がよくもちだす論理と通い合っていて何かひっかかる。

「怒ると何をするか分からない相手」に対しては人は、礼儀正しくにこやかにふるまい、その人が通り過ぎるのを待つ。でも、その人が去ってくれなかったらどうする? その怒らすと何するかわからない危ない人が自分の家族の頭に銃を突きつけた時、それでもあなたは、黙ってみていられますか

 で、ダライラマ法王がアメリカでビンラディン殺害の件で質問を受けて、「どんな人でも赦しと慈悲は必要、だけど、起きたことは忘れてはならない。対抗措置をとる必要があるなら、とれ」とおっしゃっり、その発言にどん引いている人がいる。しかし、この発言は「非暴力で思考停止して、人が殺されるのを傍観しているのは、やりすぎ」とのニュアンスを法王特有のレトリックで伝えたもの。

 実は法王、何年か前にも「家族の頭に銃をつきつけられた時~」という話をされている。だから、これをもって単純に法王が殺害を肯定したみたいなことをいうたらあかんぜよ。

 では、以下にロサンジェルス・タイムズの記事をあげます。英語に自信がないので読める人は原文読んでね。
記事のタイトルはあくまでも記者のつけたものですからね。そこんとこを間違えないように。

ダライラマ、オサマビンラディンの死は正当化されると暗示
2011年5月4日

チベット佛教の指導者として、ダライラマ十四世はこういう。「私は慈悲行を実践しており、機嫌がよくてマラリアの危険がない時には、蚊を叩くことすら避けるほどである。時には蚊が自分の血を吸うのを興味深く見守っている」

しかし、火曜日のUSCにおける謁見において、ダライラマはオサマ・ビン・ラディン殺害についてアメリカは正当化される、とほのめかした。

アルカイダの暗殺について質問を受けたダライラマはそれに答えてこういった。「一人の人間として、ビンラディンは哀れみを受け、許される価値がある。」「しかし、許すことは起きたことを忘れることではない。もし深刻な状況があり、対抗措置をとることが必要なら、対抗措置をとる必要がある。」

たぶん、これはダライラマがわざと人の期待をはずしてみせる一つの例であり、何か楽しんでいるようにも見える。75才の指導者は、日本で病気になり、二日遅れで南カリフォルニアの四日間の旅にでる最初の日に語った。

側近によるとダライラマは、「健康が回復するまでは長いフライトは避けた方がいい」との医者のアドバイスに従い、日曜日のロング・ビーチと月曜日のUCLAでの謁見をキャンセルした。ダライラマは311の地震と津波で死んだ人の慰霊法要と日本の支援のために日本に滞在していた。

火曜日、ダライラマがUSCのガレン・センターのステージにたった時、病の影響は感じられなかった。頑健で上機嫌にみえ、聴衆に向かって「喉の痛みと気が遠くなる薬の副作用に苦しんだ」と語った。ダライラマは赤と金のUSCの野球帽(たまたま彼の着る伝統的な僧衣の色とよくあっていた)をかぶる前に「今日は絶好調だ」と言った。

今回はダライラマがチベット亡命政府の当座の政治的指導者の座をおりて最初のアメリカ訪問であった。彼の意識は精神的な事柄に主に向いていた。ダライラマは中国軍がチベット支配を一段と強化したことを理由に1959年にチベットから亡命し、以来インドに住み、しばしばチベット問題の啓蒙のために世界を旅している。

彼のUSCでの講演は「世俗の倫理、人間の価値、社会」と題され、動物の意識、インドの多文化共生社会、幸福の本質など多岐にわたる話題をカバーできる十分に広いテーマであった。ダライラマは宗教的な寛容の大切さ、主な宗教に共通する価値観について語った。しかしこうも言った。「人は祈るだけでは幸福になれない。この幸せな人生というのは宗教的な概念ではない。幸福は世俗的な概念だ。だから、私の〔この話の〕目的は世俗的なものである」「私は仏教徒だ。私は仏法を尊んでいる。しかし、私はいつも世俗について語っている。」

USCの学生を含む3000人の聴衆は恭しく彼のメッセージを受け取った。しかしその後、ある者がダライラマを理解しがたいと不平をいった。ダライラマは時にトゲのある思考法を癖のある英語で、時たま翻訳者に補ってもらいながら語った。

多くのものたちは啓発された。そしてある者は仏教の指導者について期待される、ある種謎めいた言葉でダライラマについて語った。
アフリカ・メソジスト聖公会の牧師、セシル・チップ・マレイ師は「私は真実は永遠であると思う。だから、新しい真実には期待しない。しかし、私はダライラマから真実をを読みとった。従って、真実は新しい意味を帯びた。彼は形而上であると同時に形而下の存在である」

水曜日、ダライラマはロング・ビーチでアムネスティ・インターナショナルから賞を受け、カリフォルニアをさる前にUCIrvineで講演をする。

原文はここ↓
http://www.latimes.com/news/local/la-me-0504-dalai-lama-20110504,0,7229481.story
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