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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2011/04/08(金)   CATEGORY: 未分類
ブッダ生誕
 四月八日にあと30分でならんとする四月七日の深夜十一時三十五分、311の余震と思われる地震が宮城県を襲った。

 直前に、緊急地震速報がなったので、あらかじめ心の準備はしていたが、東京も結構ゆれて愛息子(オカメインコ)のパニックがまた起きてしまったのであった。

 東京人ですら「またかよ!もうええかげんにせい」という気分になったのだから、震源地の仙台の方たちの怒りを通り越した脱力感は想像を超える。

 なにしろ、その直前に仙台のチベサポの方が「ガス、キターーーーーー!」と震災以来はじめて通じたガスに喜んでいたのを、みなで「おめでとう」「よかったね」「ゆっくりお風呂入ってね」とかいっていた一時間後である。

 この地震で再び、ガスはおろか、電気も水道もまたとまって「一から被災者のやりなおし」だという。

 関東は東北と同じプレートにのっているので、東北がゆれると東京もゆれる。そして震災がおきてからまだ一ヶ月たってないのに、この間、通常の三年分の地震が東北におきた。震度五を越えると、東京もゆれる。東京は幸いにしてライフラインがとまらないので、被災地の方よりは遙かに楽しているが、精神的に参ってきている人が多い。

たしかに、今までも世界的な事件っていろいろあったけど、ベルリンの壁が崩壊しても、天安門事件があっても、チェルノブイリが爆発しても、ムバラクがいなくなっても、それは遠い国の出来事であった。

 しかし、今回は違う。

 疑いなく世界史に残るこの大災害(しかもまだ収束してねえ!)に関東以北の人々は現在進行形で強制参加させられているわけで、こと自分については歴史家なので、この体験を貴重となすべきだろうが、全く嬉しくねえ。

 大体、地震、津波、原発事故、余震がセットって間違いなく災害史の金字塔だよ。そういえばオ●ム事件も世界の犯罪の歴史を塗り変えたんだよね。日本って災害とか犯罪とかしょうもない分野でなにげに世界史をリードしているね。

 大体、余震でM7.1て、何それ。この間のニュージーランド「揺れた揺れた」いうたってM6.5じゃん。それなのにあれだけ死人だしているって、どれだけ建築基準がいい加減なんだよ。

こっちは余震でM7.1だよ。で、女川原発の三系統ある電源が二系統とまって一系統って、普段だったらそれだけでも大ニュースなのに、すでに福島が暴走しているから、みな「ああ、よかった。」で、NHKで「この余震で福島原発に異常はありません」とかいってるけど

最初から異常だらけだろ!

 くしくも仙台nhkの屋上の地震カメラは、地震発生当時、地平線に強烈な発光体が現れ、何度か光った後に、消え、そのあと仙台市内の電気が落ちていく映像を捉えていた。

 普通に考えたら仙台変電所の高圧線が切れたのだろうが、これまでさんざん海に高濃度の放射能を流したあとなので

「ゴジラかっ!」
また、日が日なので
「釈尊誕生の六種震動では?」
と自虐的なネタがとびかった。

 そう、日が改まった八日は日本仏教で釈尊の生まれた日とされる通称お花まつりの日。

 毎年満開の花の下、天上天下唯我独尊のポーズをとる釈尊像に、甘茶でかっぽれではなく、甘茶をかけてその誕生を祝うのである。

 思えばお釈迦様は正しかった。彼の仰る通り、この世は苦しみである。

生まれる。老いる。病む。死ぬという、四つの苦しみ。
愛するものと分かれる苦しみ、嫌いな人と会わねばならない苦しみ、求めるものが得られない苦しみ、精神と肉体はすべて苦しみの四つと合わせて、四苦八苦。

この苦しみから逃れるためには、自分の心を苦しめている原因、煩悩(心の悪い性質)を消さねばならない。煩悩とは自分と自分の延長にあるものに対する執着から生まれてくるものである。

 煩悩とその潜在的影響力を心からなくした人格を、人は仏陀(目覚めたもの)という。

 青年期のお釈迦様はウツで不安定だったけど、35歳で覚りを開いた後は、威風堂々としたオーラをみにまとい、大変に幸せそうであったそうな。また、仏典の中でお釈迦様はじつによくお笑いになる。うふっ、とか笑って、眉間から光を放ったりするのである。

 現実は常にあてにならない。釈尊も自分の生まれた国が滅びるのを見ているし、いとこのデーバダッタに中傷されたり、へんな女に絡まれたりとかして、いろいろ苦労している。つまり、善人に不幸が襲うことなんてのはザラなのである。現実が苦しみの連続なのは当たり前なので、そのこと自体は考えても仕方のないこと。

 釈尊はこのような現実を前にしても、自分のことを思い煩うことがないから明るく幸せなのである。それは一難民として辛酸をなめてきたダライラマ法王が、豊かな国にくらす我々よりも遙かに幸せそうにみえるのと重なる。

これが示していることは、仏教をちゃんと修行すれば、現実がどんなに四苦八苦であろうが、心は穏やかなままであり周りも幸せにできるということ。

 思えば、今までの日本は六道輪廻でいえば天人の生活であった。天人の生は快楽に充ちているので、人生を四苦八苦であると気づかず、仏縁をもつことがないといわれている。

 一方、六道輪廻の中でも「人」の生は四苦八苦に充ちているため、人生の本質が苦であることに気づくことができ、そこから逃れようとして仏縁が生まれる。

 つまり、この不幸は捉えようによっては、自らの心をみつめ、鍛え直すチャンスともいえる。

 というわけで、今年のお花まつりです。やはり震災色が強いですねー。このお寺のご住職のお弟子さんも仙台で被災されたそうです。

 クリックして写真大きくしてみてね。
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