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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2011/04/30(土)   CATEGORY: 未分類
ダライラマ法王震災法要
四月二十九日、護国寺においてダライラマ法王が導師をつとめた東日本大震災物故者四十九日法要が営まれた。

 今回の訪日は本当に突然決まったものであるにもかかわらず、たくさんの人が集まり(NHKが2000人、護国寺発表4000人 笑)、護国寺の本堂では収容しきれず、露天の境内にびっちりおかれた椅子でも収容しきれない人が集まったのであった。

 一時間ほど前に護国寺様につくと、ボランティアスタッフの方が「もうすぐ猊下がおつきになります。今いけば大本坊で法王様をお迎えできますよ」と教えてくださったので、大本坊に向かうとお坊さんたちが整列してまん中に猊下の通るみちが出来ていた。もう少し遅いと道が封鎖されて入れないところだった。

 行列のはじにもぐりこみ、法王様のお迎えに成功! 祝福を授かる。わー、心が清くなるう。
 
 境内いたるところに、見知った顔がおり、「シンガポールどうでした」とか声かけて戴いて、暖かい気持ちになる。ボランティアがみなオールスター・チベサポだー。

 チベットとダライラマをご縁にして集ったわれわれは、きっと、今生ばかりでなく来世でもご縁があることだろう。来世もよろしくね。

 司会は清風学園の校長の平岡さん。法要はチベット勢によるチベット文般若心経、普賢行願賛(華厳経の最終部分)と、あとは震災15日目の法要で読んだ四大を鎮める経典群など。

 般若心経はこの世界の究極のリアル「一切のものは空であり、永遠不変の実体なるものはない」を説く代表的経典であり、普賢行願賛は「だからエゴにとらわれるのでなく他者のために菩薩行やってみい」と説く経典である。

 大乗仏教メインストリームである。

 その後、日本の僧侶たちによって漢文の般若心経の読誦が三回なされ、光明真言、南無大師遍照金剛などが唱えられた。この漢文の般若心経のあたりで一天にわかにかき曇りかなり強い雨がふりだす。境内の参列者は露天なので、ヒサーン。


 法要の後、護国寺の御前様、鶴見の総持寺の管長さま、宗派を越えてチベットの平和を祈念する会の会長さんがご挨拶。そして、いよいよ法王講話。


 まずはチベット語で、
 今回の震災には同じ人間としてとても心を痛めている。また、日本には友人がたくさんいて、また仏教徒なので、心の底から悲しい。私にできることは祈り、被災者を追悼すること。仏教的には法要することでわたしたちの心をなぐさめることができる。三月にダラムサラでタイの仏教徒が施主となってくれて、すべての人に日本のために般若心経をよんでいただきたいと頼み、みなで十万回般若心経を唱えた。

 大変な時に、友人がきて大丈夫と言われたら安心する。自分はそう思うので、知人のために、心を慰めるために日本にきた。こうして日本の兄弟のもとにきて49日の法要することができてとても嬉しい。

 今回の自然災害は対処のしようのないものだ。シャーンティデーヴァはこういうておる。

「対処のしようがある問題なら、全力で問題解決にあたれ。何も手立てがないなら思い悩んでも仕方ない。前を向いて明日を考えよう」と、


でました必殺シャーンティデーヴァ攻撃。

 わたしは学校などを訪れて若者たちに英語を勉強をしなさいと説いてきた。気持ちを率直に伝えたいのでこれから英語で話す。へたくそな英語だけどね(笑)。
 これ以後法王は英語でしゃべりだし、同時に身振り手振りもアメリカンに豹変。就任演説の時のオバマ大統領をイメージしていただくと当たらずとも遠からじ。

 われわれは同じ人間である。チベット人は国を失ったが、その困難な時代によってかえって心を強くし、内なる力を高めることができた。悲劇にうちまかされるのでなく、ただしく現実を認識することによって、悲劇に対処し、内なる力を高めよ。

 日本は第二次世界大戦で破壊された。多くの日本人が死んだ。広島長崎に二個も核爆弾を落とされた。しかし、日本は諦めず、たちあがってきた。

 自信をうしなってはいけない。私はそういう日本人を称賛する。

 決して諦めるな。自信を失うな。

 過去の体験をいかして、悲劇にとらわれず、自信をとりもどせ。将来をみつめてすすんでいこう。災害はこれからもおこるだろう。それに備えよ。

 未来に保障はない。諸行無常である。新しい現実に直面してそれに備えよ。

 世界は貧しい人が一杯居る。地球温暖化など問題は山積している。
 あなたたちは世界に必要とされている。英語を学びなさい。
 日本は狭い土地を有効に利用している。環境を破壊せず、世界の土地をいかす知識がある。その知識をもって世界に貢献しなさい。


 この法王の演説は、先ほどの法要と対応している。まず般若心経でこの世の現れはグジクジとらわれるようなものでないとただしく認識し、エゴがもたらす苦しみから解放され、幸せになるためには「他者のために生きる」菩薩行が解決策であると説いているのである。

 うちひしがれた人間は一緒に泣いてくれる人が必要だろうし、自分のことしか考えられない時間が多くて当たり前だが、その状態を続けていても体に悪い。そしてそこから抜け出そうと思えば、逆説的であるようだが、自分のことをいったん忘れて他人のために生きるのが最上の処方箋なのだ。人は自分が他人に必要とされている、あるいは、自分が他人に貢献している、という感覚をもってはじめて生きる力がわいてくる。

 15歳で政治のトップにたち、24歳で十万人の難民にすがりつれても、何とかチベット人を護り続け、それどころか世界中の人々に世界平和を説いている法王が口にすると言葉に重みがあるう。法王のアドバイスの通りに立ち直れる人から立ち直って、気を取り直して前を向いて歩きだした方が自分も他人も幸せである。 

 法王様のお話の終わる頃には雨がなぜか上がり(さすが)、法王様の移動とともに押し寄せる人なみが雨ですべって大惨事にならないように、ボランティアの方々が体をはってくださった。よくこの短時間にこのだけの数のボランティアが集まったものである。何事もなく終わったのはみなさんのおかげです。


 そして、その後平岡さんとYさんと東京駅までいってカフェで、今朝の謁見のお話を伺う。

 平岡センセによると、法王は28日にお一人で護国寺を訪れ、一人ヤマーンタカの十忿怒尊の瞑想をされたという。

 法王がおっしゃるには、 この国は今自然災害のただ中にあるが、それを絶つにはヤマーンタカの瞑想が有効である。
 しかし、私の瞑想はこれから何も起きないという保障にはならない。
 1950年代、チベットの高僧たちが国を挙げて祈ったが、中国軍は侵略してきたからね。
 はっはっはっ。でも、やるだけのことはやった。

 日本には知り合いも多いし、今回の悲劇を聞いて本当に心が痛んだ。大変なことが起きた時に、友人が訪ねてくると自分は嬉しい。だから、私もうまくアメリカ行きの最中に時間がとれたので、慰霊と激励のために日本にきたのだ。

 日本人は廃墟に中からたちあがって経済大国になって素晴らしい。
 仏教徒としての習気も残っている(仏教徒だといいきってくれないところが悲しい 笑。)。
 だから、こういう逆境にあっては〔チベット人と同じく〕内なる力を覚醒する力がある。

 私は占星術は信じない(星の運行が人の運命を決めることはない)。すべては人の心のありようからくる。

 法王は自分が長生きするという夢を見たそうで(具体的な年もおっしゃっていたが、ヒミツ)、三百年前の予言書を見たら、自分のことを指しているような人がでてきて、それが丁度自分で夢でみた年まで生きると書いてあった。自分は中国共産党の体制よりは長生きするよ。はっはっはっ。

 とのこと。

 外国人が逃げ出したこの日本におこしくださり、さらには日本のためにお祈りしてくださり、
 本当にありがとうございました。

 法王猊下も日本の宗派の管長さんのように末長く生きられることを心の底よりお祈りいたします。
以下、私のとった法要写真。一枚目は講話の際、二枚目は横綱、三枚目は法要の席におかれた位牌。
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DATE: 2011/04/27(水)   CATEGORY: 未分類
シンガポールで学会
 震災の衝撃によって脳内の知的活動領域が著しく損傷したのか、はたまた、ただの怠け病か、最近高度な思考ができない。文作もだるい。しかし、シンガポール学会旅行の記録くらいはあげとこう。

 羽田が国際化してくれたおかげでこの前の台湾旅行も、今回のシンガポールも羽田を使うことができた。シンガポールまでの飛行時間は約七時間、時差は一時間であるため、普通の海外旅行に比べれば体に負担はかからない。

 しかし、羽田発、シンガポール行きの飛行機が夜の23時50分発て遅くない?しかも帰りは向こうを22時くらいにでて、翌朝5時50分に羽田着。これ早くない?
 羽田の国際線出発ロビーはご時世ゆえに暗い。ついこの前学生とここを利用したが、今回は一人。しかも深夜。しかも暗い。何かもの悲しい。

 とりあえず、海外旅行保険にでも入るかと保険売りの機械の前にたつ。入力すると五千円になった。それはなぜかというと初日はたった10分しか日本にいないし、帰りは早朝羽田着であるにもかかわらず、初日と最終日がばっちり旅行日程にはいるため。釈然としないものを感じたので、機械の横についている電話でオペーレーターにつなぎ、二日間ひいて申請してもいいかと聞くと、「お客様の申請通りに保険金がおりないことがあります(直訳ダメ)」。

 そこで、熟慮の末、無保険で海外に行くこととする。ダンナにその旨を電話すると、私がいままで世界中至る所で忘れ物をしていることをしっているダンナは限りなく不安そう。しかし、日程の大半は学会に拘束されるわけだから、大丈夫!と説得する。

 出発時間が近づくとロビーがしんしんと冷えてくる。羽田空港、暖房きったな。ついたら赤道直下のシンガポールであるため限りなく薄着をしてきた自分はだんだん寒い気分になってくる。

 搭乗すると案の定ガラガラ。従って、三席を占領して気持ちよくねる。JALは昔はシートベルトしめろとかうるさかったのに、今は静か。一度つぶれたので体質が変わったのだろうか。そしてシンガポールついたけど、まっくら。そりゃそうだよ。七時間も西に飛んで時差一時間って少なすぎ。心配していた放射能スクリーニングもなく、たいした差別もなく市内に入る。

 到着日の夜はみなの投宿するホテルのカフェでジョイント夕食会。この学会は今回でもう六回目で、すでに三~四冊の本を出しているため、メンバー同士は顔なじみが多いよう。

 会場はナーランダ・シュリビジャヤ・センターで、好き放題放言できるように、会議自体はクローズド(聴講者なし)である。全員が平等に発言者ということで、円卓会議(round table)と銘打っているのだが、会場のテーブルは普通にロの字型に並べられている・・・・。「アーサー王と円卓の騎士」を妄想していたので、普通さにちょっとがっかり。

 いろいろな地域の歴史学や歴史学の研究者を集めて、それぞれの地域の世界観、歴史観を発表させて、それぞれの世界にそれぞれの世界観があることを互いが自覚することにより、ナショナリズム=被害者意識(笑) を超克し、自分の考え方を他者におしつける愚をおかさないようにさせ、さりとて、「それぞれの文化は独自の考え方があるんだから他人は口をだしちゃいけないんだよ」という文化相対主義は思考停止だからやめよう、みたいなことを発展的に話し合う場。主催者はチベット問題を中心的に扱ってきた人であるため、チベット史研究者が他の研究者に比して若干多い。

 学会はもう朝から晩までばっちり拘束されて、朝昼晩の食事は一緒だし、研究発表はまちろん円卓会議だから全員対面で一緒。その中間にある午前・午後の30分のコーヒーブレイクは、いろいろなところからきた参加者が、出発国との時差で眠くなるのを防ぐためにあるのだが、私は英語を聞いていると普通に眠くなるため、コーヒーのみまくっていたら胃が痛くなった。

 で、学会で知り合った参加者の中でもっとも興味深かったのは日中関係を専門にした某国の研究者。

 この人、日本語が堪能であるため、日本人の書いた日中関係の論文を西洋に紹介しているのだが、彼の発表はものの見事に「アジアの一等国」。あのデモをうけまくったNHKのジャパンデビューそのままである(笑)。西洋的な文明史観をふりかざした日本がアジアを野蛮視して植民地化していった歴史を語り、西洋の考え方を東洋におしつける愚をとく。

 彼の考えを聞いてみると、「今西洋が中国に対して行っていることは日本が昔アジアに対してやったことと同じである。今は人権のある国=善、人権のない国=悪とし、中国を必要以上に悪くいっている。」

 また「中国が入る前のチベットが桃源郷だったみたいにいうのはばかげている。中国の土地改革のおかげでチベットはよくなった」みたいなことを真顔でいう。

 そこで、チベットについてどのくらいしっているのか聞いてみるとチベットの歴史に関する知識はゼロ。チベット人の友達もいない。チベットハウスもダライラマも難民社会もなーにんもしらない。

 日本にはこの手の中国学者一杯いるけど、外国で見たのははじめてだったのですごく新鮮だった。たぶん彼も私みたいな〔彼からみたら西洋的なものの考え方をする〕日本人を見たのははじめてだろう。互いに貴重生物を見るような目でみるのであった。

 彼がチベットのことを何も知らないのに、チベットについてなぜかくも断定的に語れるのか永遠の謎であったため、聞いてみると、冗談めかして「チベットは中国の一部だから」と応えた。つまり、中国について自分はよくしっているから、チベットのことも分かっている、と思っていたらしい。

 彼は日本の学者とまったく同じく「中国はいまによくなるから、頭ごなしに責めてはいけない。見守っていかねばならない。ぼくたちは飢えたことがないんだから、飢えた経験のある人たちの文化にあれこれいってはいけない」とかいう。

 私が「中国人もう飢えていないでしょう。それに今中国がチベットに対して行っていることはあなたが批判しているかつての日本が植民地に対してやったことと同じでしょう。チベットでは今日もお坊さんが抗議の焼身自殺したりとか、坊さんをかばったチベット人の老人が殴り殺されたりしているんですが、今目の前でこうしてい死んでいく人を見ても、貧しい人を救った共産党は多めにみるべきとか、いえますかねー」と聞いたら

彼曰く「自分がナチス政権下のドイツにあって、知り合いのユダヤ人をかくまうか否かで迷った時は、匿ったら家族ともども政治犯で収容所に送られますから、匿いません。極限状態にある人のとった行動は誰も責めることはできません」とな。

私曰く「もう一度いいますが、中国人はもう飢えていません。今彼らがやっていることはまったく正当化できないと思うのですが」

応えなし。 いや、でも彼はいい人だと思うよ。うん。

 彼の教えてくれた小話は面白かったし。それはね、1989年の天安門事件の前夜、小平は学生たちを武力鎮圧することを決意して、それを先輩たちに報告すべく、天国の周恩来と地獄の毛沢東に電話を入れた。そして、月末、遠距離電話かけたからずいぶん料金がかかっているだろうな、と料金通知を見たら、周恩来にかけた通話は高額であったにもかかわらず、毛沢東にかけた地獄への電話はタダであった。そこで不思議に思った小平が、なぜこんなに安いのかと聞いてみると、

「市内通話ですから」

どははははは。

 話変わって、この学会、震災前に出張届けを出していて、チケットも買っていたので仕方なく参加したけれど、本当は日本を離れたくなかった。理由はもちろん、いつ最大余震がくるか分からない状態で愛鳥の側を離れるのが不安だったからである。日本にいれば自分の足の下が揺れればすぐに家に飛んで帰ればいいが、シンガポールだと日本の地震は体感できないし、すぐに家に帰れない。

 というわけで、朝晩はかならずダンナのスカイプでiPhoneに電話をかけ、暇さえあれば、会場のパソコンで日本の地震情報と、ヤフーニュースと今日の天気とメールチェックをした。とにかく落ち着かなかった。

 東京は余震続きで毎日揺れていたので、シンガポールにきて何日も揺れない状態が続くと、それはそれでおかしいと思い、日本に帰って震度三の地震があった時には「ああ、これこれ」とかえって安心した。不思議な話だ。中国人は日本を嫌って雪崩を打って自国に戻っていったけど、私はやはり日本がいい。英語しゃべらなくても生きていけるし、私の愛するものの多くはこの国の上にある。

 シンガポールがなんぼ綺麗でも南国の楽園でも、朝鮮人民共和国と同様、共和国という名の一党独裁国家である。例の彼によると、居酒屋で日本語で元首相の悪口をいった日本人が、国外退去処分になったそうな。つまり、秘密警察がバリバリそのあたりにいるのだ。同じ独裁国家でも北朝鮮があれこれ言われて、シンガポールがあまり非難されないのは、経済が成功しているから。先ほどの日中関係の彼も中国共産党を暖かく見守っている理由は経済が成功しているからである。

 でも、私は歴史学者なので、研究の自由がない、言論の自由がないような国ではやはり暮らせない。特定の政権なり思考法を維持するために歴史を書いたり、教えたりするのは無理。道徳的、倫理的以前に生理的に受け付けない。

 ま、話せば長くなる。最後にシンガポールのリトルインディアの写真何枚かあげときます。クリックすると写真大きくなります。
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DATE: 2011/04/22(金)   CATEGORY: 未分類
人工的な鳥天国ジュロン
 4/17-4/20日までシンガポールで仕事があったついでに鳥マニアの垂涎の地、ジュロンにいってきました。
私がつくったのでない誰かの動画がよくまとまっていたので、ここにおいときます(笑)。

 羽田空港からJAL使うと深夜にとびたちで早朝につく。放射能騒ぎのおかげでJALは限りなくすいていて、三席占領して気持ちよく寝る。

 シンガポールは国なのだが、広さは東京23区と同じくらい。ちっさい島からきた日本人にとってもまあちっさな島なわけである。
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 しかし、なめてはいけないのは、中国系、印度系、マレー系がまじりあっているため、公用語に英語を採用しているので、全員保育園から英語がしゃべれる。

 シンガポール英語シングリッシュである。ききとれねえ。

 で、移動の足ですが、シンガポールは建国以来、政権交代のない独裁国家なので、管理がすみずみまで行き届いている。渋滞がおこらないようにするために、車利用が制限されていて、そのかわり安い公共交通が完備している。
 もちろん空港から市内も電車(MRT)が走っている。
 だから、大概の場所は電車とバスでいける。タクシーも安い。

 ビジネスと観光の町なのでホテルは高いから、バックパッカーにとってはやな国かも。

 バードパークは東部の空港とは町の中心をはさんで西側にあり、緑色で表示される東西線のブーン・レイ駅からバスで20分のところにある。

 あらかじめバス電車共通のプリペイカードをかってくと便利(使わなかった分は払い戻せる)。いちいち切符をかう場合には、細かいお金を用意しておかないと、電車の券売機は4ドル札以上うけつけないし、バスの運ちゃんはおつりをもっていない。

 観光客が4ドル以上入らないのを知らずになんども10ドルいれて、後ろに行列を作っているのをみた。

 電車の場合、目的地についたら券売機に使い終わったチケットいれると、一ドルもどってくる。
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 ブーンレイからバードパークいきのシャトルバスは194。行きも帰りも同じバス停なので行きのバス停の場所をチェックしといて。

 園内の地図はここに画像でおきました。
ジュロン・バードパーク地図
 園内の構造はフラミンゴとかペリカンは露天につどっておりますが、それ以外の鳥は、基本的にエイビアリーという人間も中を散策できる巨大ケージか、動物園のようないわゆる鳥だけをみるケージに分かれています。
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 このページの読者は大半がインコマニアであると思われるためそのガイドに重点をおくと、まず世界最大のインコ、金剛インコは、ゲート前に露天でつどっています。

 そして、その横には誰も入っていない檻があり、そこに

「世界で最も凶悪な生き物
 ホモサピエンス(人)」


とあり、自分が中にはいって撮影するのですが、私は一人旅だったので自分を撮影できませんでした(笑)。

 
 かんじんのオカメインコですが、これは園内入場してまず西にいき、東南アジアの鳥とロリー・ロフトの間にオカメちゃんのケージがあります。

 そして、オカメの近くの会場西のロリー・ロフトではゴシキ・セイガイ・インコに直接、フルーツジュースをあげることができます。ゴシキ・セイガイ・インコは甘い物をくれる人にはどこまでもついてくる愛想のいいやつです。

 黒い舌でジュースをなめなめしている姿は本当に愛らしい。片手でカメラ、片手でジュースをもっていたのでいまいちなアングルですが、動画でごらんください。

 また、インコマニアはやはり会場北のオウム天国(パラダイス)に行かなければ。残念ながら、インコたちは個別のケージにいれられてふれあうことはできないのですが、インコの常としてみな人が好きで、キバタンや桃色インコが金網にはりついて「遊んで」アピールをしてくれます。

 それでは、パーク点描。最初の写真からすべてパークの写真です。よくある鳥映像だけでなく、雰囲気がつたわる写真を選びました。
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 朝がはやかったので、ブーゲンビリアの花咲く四阿の2階で、ペリカンの絶叫を聞きながら一時間ほど昼寝をしました。園内各所にベンチがあり、このようなだらけた至福の時間を過ごすのに最適です。

 私は開園と同時に入ったので、最初の内は人が少なくてよかったのですが、昼近くになるとだんだん人がふえ、インド人の大家族づれとかがどかどかやってきて、昼寝も中断を余儀なくされました。

 従って、できたら平日の午前いくのをおすすめします。

 また、私は興味ないので行きませんでしたが、園内何カ所かにペリカンのサカナとりとか、猛禽類の狩りをみせるショーを行う円形のスタジオがあります。それぞれのショーは時間が決まっているので、時間をこの公式ページでチェックして計画的にまわることをおすすめします。

 オウムといっしょにランチがとれるオウム・レストランもありますよ。食べてないので味はわかりまへん。

 お土産は、ダンナと自分におそろいでジュロンバードパーク公式Tシャツを買う。愛らしい鳥たちが、リアル戦闘モード全開なガラ(笑)。

 あと、もちろん鳥のぬいぐるみが山ほどおいてありますが、オカメインコは残念ながらありませんでした。金剛インコ、セキセイインコ、ペンギンなどが多ぃかな。

 実はこのパーク、シンガポール軍の施設内にあり、ときたま戦闘機がうるさくとぶ。また、シンガポールの工業団地もこのジュロン地域にあるため、このパークの自然はすごく人工的な空間なのである。

 それにシンガポール自体が、自然豊かとは言い難い。私の宿泊したオーチャド大通り近くのトレイダーズホテルで、周辺には一応近所にボタニック・ガーデンもある緑なす地域であるが、ここでも見られた鳥はほぼ一種類。

 通りに猫とか犬もぜんぜんいなくて、生き物といえば、トカゲとゴキブリのみ。

 雀、キジバト、ワカケホンセイインコ、椋鳥、ヒヨドリ、猫がつどうわが家の庭の方がまだ生物多様性に満ちているというオチである。

 学会の内容についてはまた次のエントリーで。

 言い忘れましたが、写真はクリックすると大きくなりますよ!
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DATE: 2011/04/14(木)   CATEGORY: 未分類
動物たちの受難
 今回の地震と津波と原発事故は、多くの動物たちにとっても究極の災害だった。
 自然界においても途方もない被害がでている。

波などで海鳥のひな11万羽死ぬ、60歳の母鳥も不明
2011.03.21 Mon posted at: 12:08 JST
(CNN) 東日本大震災で発生した津波がハワイ西部のミッドウェー環礁にある海鳥1 件の繁殖地に到達し、巣の中にいたヒナが多数犠牲になっていたことが分かった。

ミッドウェー環礁の野生生物保護区は、野鳥の営巣する3つの島が環礁に守られる形になっていたが、11日の地震の影響で4度にわたって津波に襲われた。津波は大きいもので高さ約1.5メートルに達して環礁と島の1つを覆い尽くし、巣を押し流した。

保護区職員らが波をかぶったりがれきにはさまったりして動けなくなった野鳥1 件約300羽を救出したが、米魚類野生生物局(FWS)によると、この津波と今年に入って同環礁を襲った暴風雨の影響で、今年孵化したアホウドリのヒナのうち22%が犠牲になった。

コアホウドリとクロアシアホウドリはひな約11万羽と親鳥2000羽が死んだという。当初の推定では、被害に遭った野鳥はこの半分程度とみられていた。

60歳を超すとみられる高齢で子育てをしていた有名アホウドリの「ウィズダム」も行方不明になった。孵化したばかりのひなを育てる姿が2月に確認されていたが、津波の後、母子とも姿が見えないという。ウィズダムは世界最高齢の野鳥だった可能性もある。

また、保護区にいたシロハラミズナギドリも数千羽が死んだ可能性があるが、穴を掘って巣を作る性質のため、被害数は確認できていない。

同保護区は21種の海鳥300万羽が繁殖し、ハワイモンクアザラシなどの絶滅危惧種も生息する貴重な野生生物の宝庫だった。米当局はアザラシやカメの被害状況についても調べている。


電気の供給がたたれた水族館のサカナたちも窒息と凍死。震災の日、水族館の方が「こういう時なので人間の方が大事です。全滅ですが、仕方ありません」とおっしゃっていた。

東日本大震災:電源の燃料尽き魚類など絶望 福島の水族館


 東日本大震災で停電した福島県いわき市小名浜の水族館「アクアマリンふくしま」で、急場をしのいでいた電源の燃料が尽きた。海獣など一部は首都圏の水族館に運んだが、魚類、熱帯系植物など計22万点はこのまま死ぬ可能性が高い。県生涯学習課の吉田清一主幹は「かわいそうだが今は人命が大切。燃料調達は当分あきらめなければ」と話している。

 水族館は県教委が管理し、海の生物や環境を学ぶ施設として00年に開館、年間100万人の入館者がある。

 11日の津波で1階の電気施設が浸水して停電し、非常用電源も燃料の重油が16日なくなった。水槽への酸素供給や水温調節ができなくなり、餌を保管する冷蔵庫も使えなくなった。展示していたのは魚類約4万4000匹▽エビやクラゲなどの無脊椎(せきつい)動物約15万5000匹▽植物2万点▽両生類30匹▽爬虫(はちゅう)類23匹▽哺乳類18匹▽鳥類27羽--などで、職員2、3人が残っているが手の施しようがなく、魚は徐々に弱って死んでいるという。
 一方、トドやタイヘイヨウセイウチ、ゴマフアザラシなど海獣類計7頭、エトピリカとウミガラスの鳥類計13羽、ユーラシアカワウソ1匹は、鴨川シーワールド(千葉県)▽上野動物園(東京都)▽葛西臨海水族園(同)▽伊豆・三津(みと)シーパラダイス(静岡県)--の4施設に16日運んだ。【長田舞子】

 このうち、千葉のシーパラダイスに運ばれた身重のアザラシは4/7無事に身二つとなった。震災下の誕生アザラシ版である。

 あくあマリン福島の今はこの復興ブログをごらんください。
http://blogs.yahoo.co.jp/fukushimaaqua

 飼育員の方は避難所に肺魚をつれていったりして、できる限りのことをしようとしたのです。もしこの水族館か再開するなら、今回の件を教訓に冬の海に放しても大丈夫な種類のサカナだけにしましょう。殺生の罪を犯さなくてすみます。

熱帯魚は沖縄の水族館でみりゃいんです。
パンダはチベットでみればいい。上野でみる必要はないんです。

 大体動物園とか水族館とか、命を預かっている場所も、原発なみに、多重防護システムつくっておくべきでしょう。人間のエゴで檻や水槽にいれている動物が、電気がきれたら、窒息、餓死って、これでは子供の教育によくありません。

 普段は人間に大事にされているペットもこのど修羅場ではえらいめに会いました。飼い主に抱きかかえられてかろうじて地震と津波を生き延びたペットたちも、避難所も仮設住宅はペット同伴不可。そのため、飼い主さんは愛するペットのために、ライフラインのきれた家屋でがんばったり、車で寝泊まりしたりしますが、それも限界ということで、みかねた日本動物愛護協会が

http://jspca.or.jp/cgi-bin/jspca/news_disp.cgi?52

緊急災害時動物救援本部をたちあげて、被災した動物を預かる活動をはじめた。

http://www.jpc.or.jp/saigai/

「必ず迎えにくるからね」と泣く泣く犬や猫を引き渡す飼い主さんの姿に目頭があつくなる。私だったら耐えられない。一緒にくらせるところに移り住む。

 さらに、深刻なのが、原発立ち入り禁止区域(10km)に取り残されたペット・家畜・競走馬たち。原発事故の際、「一時的な退避」と言われてペットをそのままにして逃げた飼い主も多く、原発問題が長期化する中「愛犬・愛猫が飢え死にしてしまう」と申し出ても、警察に封鎖されているので入れない。

 そこで、立ち上がったのが戦場ジャーナリストの山路徹さん(キャスター二人を二股かけた三角関係で一躍有名になった色男 笑)。
彼は取り残された競走馬や家畜やペットたちにエサをあげるためこの区域に何度もはいっている。

山路さんのツイッターアドレスです。
http://twitter.com/yamajitoru

この人、女癖はともかく、この行動はエライ!!

 有名人の中には被災地に乗り込んだり、街頭で募金を集めたりする人がいるが、これを「売名」とかくさしている人は、寂しい人。気にすることなく皆ができることをやればいい。

 お釈迦様もこうおっしゃっておられる。人は生まれによってでも、地位によってでも、お金によってでなく、その行いによって評価される、と。

うろ覚えでたぶんまちがっているけど、精神はあっていると思うよ!

百万大言やくたいなし。何をしたかが重要。

『南極物語』で、高倉健は、南極に心ならずもクサリに繋がれた犬たちをおいていった。自分を責めるが、氷がとけて昭和基地に戻った時、全滅したと思った犬たちの中でタロとジロだけは生きていた。
 ラストシーンで高倉健と犬たちが再会するシーンはあの名曲とともに泣ける。

しかし、当時も、まず犬を南極においていくというその前提にひっかかる。
しかも、今は南極じゃなくて日本でこの有様・・・・。

『原発物語』

福島第1原発:20キロ圏、ペットにも命 保護活動活発化
 福島第1原子力発電所の事故で避難指示が出ている福島県浜通り地方の半径20キロ圏内で、取り残された犬や猫を保護する動物愛護団体の活動が活発化している。「無事と分かって良かった」と住民から感謝の声が上がる一方、行政は団体のメンバーが20キロ圏内に立ち入ることに懸念を示している。【山下俊輔、袴田貴行】

 9日、NPO「アーク」(大阪府能勢町)の奥田昌寿さん(28)と東田晃信さん(26)は原発の西にある同県二本松市から20キロ圏内に入った。JR常磐線浪江駅近くだけで10匹の犬を見かけ、5匹を保護した。奥田さんは「無人の町に犬だけがいる恐ろしい光景だった」と振り返る。

 アークは90年、英国人のエリザベス・オリバーさん(70)が設立。阪神大震災でも被災者が飼えなくなった動物の世話を引き受けている。

 一方、栃木県の「動物友の会・みぶ里親の会」の塩野裕児代表ら6人は10日、原発の南側に位置する福島県いわき市から20キロ圏内に入り、富岡、楢葉両町で犬4匹、猫4匹、ウサギ1羽を保護した。ほとんどがやせ衰えていた。

 飼い主の依頼を受けて住宅内で保護した猫は、家中のビニール袋を破って食べ物を探していた。住宅の庭でつながれたまま死んでいる犬もいたという。

 猫の飼い主からは、「家族の一員だった。無事で良かった」と感謝の声が寄せられた。塩野代表は「2、3日で帰れると思って動物を置いてきた人がほとんど。行政は、犬や猫も人間と同じ『命』というくくりで見てほしい」と訴える。

 だが、福島県は動物愛護団体が20キロ圏内に入ることについて「放射線によるメンバーの健康被害や圏外に持ち出した動物が汚染拡大を招く可能性は否定できない」(食品生活衛生課)と懸念を示す。また、同県相双保健福祉事務所(南相馬市)によると、動物愛護団体の中には、個人宅から許可なく犬を連れ去り、一時帰宅して犬がいないことに気付いた住民とトラブルになったケースもあるという。同事務所も動物を保護しているが、屋内退避区域(20~30キロ)のみで20キロ圏内には入っていない。

 アーク、みぶ里親の会とも、動物を圏外に連れ出す際には放射線量を調べるスクリーニング検査を受けており、今のところ問題はないという。

 20キロ圏内に入る理由についてアークの奥田さんは「迷いはあったが、助けられるのは人間だけ。放っておけなかった」と話す。県は20キロ圏内について、立ち入りに罰則を科す「警戒区域」とするよう国に求めている。アークは、警戒区域が設定される前により多くの動物を救おうと、再び20キロ圏内に入る予定という。


奇しくも来年動物保護法が改正される。詳しくはここみてね。人間のエゴによる動物の死を少しでも減らしていこうという試みが、細々と続けられている。動物も人間も同じ生き物である。人間だけが、この環境を作り替え、小さな命を我が物顔で「処分」するという状況は正常とは言えない。

また、原発20kmにいる動物たちを救いにいけるように、原子力保安院にメールを協力していただける方、ここクリック http://t.co/EYE7ToK

動物が幸せな社会は人も幸せな社会であることを忘れてはならない。

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DATE: 2011/04/08(金)   CATEGORY: 未分類
ブッダ生誕
 四月八日にあと30分でならんとする四月七日の深夜十一時三十五分、311の余震と思われる地震が宮城県を襲った。

 直前に、緊急地震速報がなったので、あらかじめ心の準備はしていたが、東京も結構ゆれて愛息子(オカメインコ)のパニックがまた起きてしまったのであった。

 東京人ですら「またかよ!もうええかげんにせい」という気分になったのだから、震源地の仙台の方たちの怒りを通り越した脱力感は想像を超える。

 なにしろ、その直前に仙台のチベサポの方が「ガス、キターーーーーー!」と震災以来はじめて通じたガスに喜んでいたのを、みなで「おめでとう」「よかったね」「ゆっくりお風呂入ってね」とかいっていた一時間後である。

 この地震で再び、ガスはおろか、電気も水道もまたとまって「一から被災者のやりなおし」だという。

 関東は東北と同じプレートにのっているので、東北がゆれると東京もゆれる。そして震災がおきてからまだ一ヶ月たってないのに、この間、通常の三年分の地震が東北におきた。震度五を越えると、東京もゆれる。東京は幸いにしてライフラインがとまらないので、被災地の方よりは遙かに楽しているが、精神的に参ってきている人が多い。

たしかに、今までも世界的な事件っていろいろあったけど、ベルリンの壁が崩壊しても、天安門事件があっても、チェルノブイリが爆発しても、ムバラクがいなくなっても、それは遠い国の出来事であった。

 しかし、今回は違う。

 疑いなく世界史に残るこの大災害(しかもまだ収束してねえ!)に関東以北の人々は現在進行形で強制参加させられているわけで、こと自分については歴史家なので、この体験を貴重となすべきだろうが、全く嬉しくねえ。

 大体、地震、津波、原発事故、余震がセットって間違いなく災害史の金字塔だよ。そういえばオ●ム事件も世界の犯罪の歴史を塗り変えたんだよね。日本って災害とか犯罪とかしょうもない分野でなにげに世界史をリードしているね。

 大体、余震でM7.1て、何それ。この間のニュージーランド「揺れた揺れた」いうたってM6.5じゃん。それなのにあれだけ死人だしているって、どれだけ建築基準がいい加減なんだよ。

こっちは余震でM7.1だよ。で、女川原発の三系統ある電源が二系統とまって一系統って、普段だったらそれだけでも大ニュースなのに、すでに福島が暴走しているから、みな「ああ、よかった。」で、NHKで「この余震で福島原発に異常はありません」とかいってるけど

最初から異常だらけだろ!

 くしくも仙台nhkの屋上の地震カメラは、地震発生当時、地平線に強烈な発光体が現れ、何度か光った後に、消え、そのあと仙台市内の電気が落ちていく映像を捉えていた。

 普通に考えたら仙台変電所の高圧線が切れたのだろうが、これまでさんざん海に高濃度の放射能を流したあとなので

「ゴジラかっ!」
また、日が日なので
「釈尊誕生の六種震動では?」
と自虐的なネタがとびかった。

 そう、日が改まった八日は日本仏教で釈尊の生まれた日とされる通称お花まつりの日。

 毎年満開の花の下、天上天下唯我独尊のポーズをとる釈尊像に、甘茶でかっぽれではなく、甘茶をかけてその誕生を祝うのである。

 思えばお釈迦様は正しかった。彼の仰る通り、この世は苦しみである。

生まれる。老いる。病む。死ぬという、四つの苦しみ。
愛するものと分かれる苦しみ、嫌いな人と会わねばならない苦しみ、求めるものが得られない苦しみ、精神と肉体はすべて苦しみの四つと合わせて、四苦八苦。

この苦しみから逃れるためには、自分の心を苦しめている原因、煩悩(心の悪い性質)を消さねばならない。煩悩とは自分と自分の延長にあるものに対する執着から生まれてくるものである。

 煩悩とその潜在的影響力を心からなくした人格を、人は仏陀(目覚めたもの)という。

 青年期のお釈迦様はウツで不安定だったけど、35歳で覚りを開いた後は、威風堂々としたオーラをみにまとい、大変に幸せそうであったそうな。また、仏典の中でお釈迦様はじつによくお笑いになる。うふっ、とか笑って、眉間から光を放ったりするのである。

 現実は常にあてにならない。釈尊も自分の生まれた国が滅びるのを見ているし、いとこのデーバダッタに中傷されたり、へんな女に絡まれたりとかして、いろいろ苦労している。つまり、善人に不幸が襲うことなんてのはザラなのである。現実が苦しみの連続なのは当たり前なので、そのこと自体は考えても仕方のないこと。

 釈尊はこのような現実を前にしても、自分のことを思い煩うことがないから明るく幸せなのである。それは一難民として辛酸をなめてきたダライラマ法王が、豊かな国にくらす我々よりも遙かに幸せそうにみえるのと重なる。

これが示していることは、仏教をちゃんと修行すれば、現実がどんなに四苦八苦であろうが、心は穏やかなままであり周りも幸せにできるということ。

 思えば、今までの日本は六道輪廻でいえば天人の生活であった。天人の生は快楽に充ちているので、人生を四苦八苦であると気づかず、仏縁をもつことがないといわれている。

 一方、六道輪廻の中でも「人」の生は四苦八苦に充ちているため、人生の本質が苦であることに気づくことができ、そこから逃れようとして仏縁が生まれる。

 つまり、この不幸は捉えようによっては、自らの心をみつめ、鍛え直すチャンスともいえる。

 というわけで、今年のお花まつりです。やはり震災色が強いですねー。このお寺のご住職のお弟子さんも仙台で被災されたそうです。

 クリックして写真大きくしてみてね。
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DATE: 2011/04/02(土)   CATEGORY: 未分類
本土チベットの祈り
ダライラマを始めとするチベットの難民社会が、日本の震災のために迅速に動いて国をあげて祈って下さったという記事はチベットnowルンタの記事などでみなさんご存じかと思うが、ウランバートルや本土チベットのチベット仏教徒もみな日本のために祈ってくれています。

 とくに、アムドのロンポ寺(漢名 隆務寺)の祈りは、中国当局の干渉を受けその監視の下で行われており、本当にありがたいというか、何というか、感動しました。では二発続けて。

ウランバートル在住のIさんからの3/13日のメール

私の親も仙台にいて、連絡が取れませんので心配です(註 その後漂流中を無事救助されたとのこと)。

連日、モンゴルウランバートルのガンダン寺、バクラ=リンポチェのペトゥプ(Phetuv)寺などでは連日日本への祈祷と供養を行って下さっています。今朝はペトゥプ寺でターラー経を上げる会に参加してきました。

東北で被災し、逃げるに逃げられず苦しみながらなくなった人、特に小さな子供たちのことを考えると、涙が止まりません。

ジャド=リンポチェ(Jhado Rinpoche)からも、お見舞いの言葉をいただきました。マニをよく読むように、『普賢行願賛』(Sangcho Molam<おそらくbzang spyod smon lam)という経を上げるように、灯明をあげるように。とのことでした。『普賢行願賛』(SangchoMolam)はこちらのお寺でこれからしばらく上げてもらおうと思っています。


で、アムドからの便り。

 3月18日にアムド(東北チベット)レプゴン(同仁)県のロンウォ=ゴンパで日本の地震被災者の供養のためのムンラム(祈願)が行われました。
 開催までの経緯はというと、日本での大地震の報道を見たレプゴンの僧たちがお金を出し合って祈願会の開催を寺に願いでて、日本の「同胞」のためにムンラムを開催することになりました。
ロンポ4
ロンポ3
ロンポ1
ロンポ2

 しかし、当局から「日本人に対して『同胞』などというのはけしからん」、「雲南でも地震があったのに何故法要をしないのだ」とクレームつけられたため、そして後者については,寺側でも「確かにそれももっともだ」ということになり、結局「雲南と日本の地震被災者のため」ということで開催が許可され、3月18日に当局監視のもとムンラムが行われました。

 写真の横断幕には、雲南の地震が併記されているのはそういうわけです。できるだけ多くの日本人に伝えてください。こちらではホームページに掲載することはできません。


 モンゴル人や本土チベット人の僧侶たちの話を聞いて、「ああ日本人ってそんなに嫌われていないんだなあ」と、すごいなごんだ。

 ちなみに、某モンゴル人留学生も地震のあと某先生の研究室にきて、「中国人はみな自国に逃げ帰っていますが、どうかしています。私は日本に残ります」と所信表明したとのこと。ちなみに、モンゴル共和国はモンゴル人力士たちを帰国させるためのチャーター便を準備していたから、国家の意思として「退去」であった。

 某卒業生がつとめている超有名な外資系の会社からも、中国系が真っ先に逃げていったという。報道によると、横浜中華街は料理人が消えて店が開けられずシャッターしまったままの店が多いと。インド人も似たようなものらしく渋谷のインド料理屋が閉店とな。

 逃げた彼らは日本にお金儲けのためにきていただけで、日本に対するギリも愛着も全くないんだろう。そこで気づいた。アメリカは移民の国で、郷土や人に対する愛が国の統合力にならないから、自由・平等・民主主義などの普遍的な価値観を統合の核にしている。一方日本は、そんなものない。ただ、生まれ育った郷土に対する愛着とか人に対する愛でこの国にいるんだよね。

 かりに東京がラドン温泉なみのシーベルトになったとしても、たぶん都民の大半は「もうラドン温泉に入っていると思えばいーや」と開きなおるだろ。日本人の閉鎖性ってマイナス面ばかり論じられてきたけど、この閉鎖性で培われた均等な国民性は共感力がつよいため、自分だけ助かればいい、という行動にでにくいし、被害にあった人を「可哀想な人」として遠巻きにするのでなく、自分のこととして助ける力になる。この場合天災だから、被害者の責任がまったくないしね(原発の被害に関しては天災とは言い難いので微妙だけど)。

 ちなみに、そのほかの外国の方の動向は言えば、地震の時、日本の外にいた韓国人の友人によると、韓国の報道は「日本沈没!」「暗闇の東京」「人影の消えた町」とか、それはセンセーショナルだったそうな。でその友人が日本に帰ってきたら、普通に東京が動いているのをみて、びっくりしたとな。

 外国人にとっては、デザストラスな日本でも、すめば都。サイアクでもラドン温泉。
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