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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2011/03/29(火)   CATEGORY: 未分類
真理はいつも当たり前
ブログの更新が震災にかこつけて週一なってしまった。そろそろ平常に復さねばと思いつつも、一度覚えてしまった怠惰の味は忘れられん。

 26日はダライラマ法王事務所主催で東日本大震災の犠牲者の追悼供養ならびに鎮護国家の祈りが護国寺様で行われた。護国寺様のあの広い本堂を埋め尽くす人達が集まった。

 チベット勢は広島の龍蔵院からアボとゲンギャウの両名が参加、日本勢からは宗派を超えてチベットの平和を祈念する会が参加し、聴衆はオールスター、チベサポ。まずラクパさんが全体の挨拶をして、それから護国寺の御前様が今回の震災の犠牲者に対する哀悼の意と般若心経の説く智慧の重要性を説く。

 バリー・カーズィン博士(アメリカ人のチベット僧)が般若心経の意味を解説。般若心経のマントラ、「ギャーテー・ギャーテー・ハーラー・ギャーテー・ハラソウギャーテー・ボーディーソーハー。」の一節一節を覚りにいたる5つの道(五道)に関係づける解説をし、全てのものは依存性の中で存在するように見えているだけで、不変の本質のようなものはない、ということが智慧であり、しかし、それは「何もない」ということではない。この震災はリアルである。そのような意味では世の中は存在するが、そこに何か不変の実体のよなものを見いだしてはいけない、と説かれ、何度も「これは智慧についてのお経であるが、智慧と対になる慈悲ももって唱えるべし。ダライラマ法王と倶に唱えていると思いなさい」みたいな話をされる。

 それから、チベット語の般若心経・障害消除の経典(bar chad lam sel)・グルリンポチェのマントラ・ダライラマ法王の長寿祈願文や四大にお静まりいただく以下の文が読まれた。配布された読誦経典では和訳がなかったので、とりあえずつけてみました。

地神と四大(この世界を構成する4つの元素)の女神に対する供養文
(sa bdag 'byung bzhi'i lha mor gsol mchod)

金色の大地の主よ。堅固なる大地の女神よ。
東方の木、南方の火。西方の金(鉄)、北方の水。
四維の大地の女神達よ。お聞き下さい、黄金の飲み物(酒)などの
供養の品をお取りになって、寺の建つこの地などに
憎しみや嫉妬なさらずに、幸せになるようにお守りください。
不快に感じられず喜んでください。災いをなさず愛してください。
傷つけても我慢してください。不祥な地震などの
四大による災いを鎮め、吉祥安楽にして下さるように。


グルリンポチェは八世紀に飛来した密教行者で、チベットの山や湖にやどる土地神様を次々と調伏して護法神へと変えていった方なので、このような現世の大災害についてはグルリンポチェへのお経がよく読まれる。

 護国寺様はご存じ将軍綱吉の母によって建立された名刹で、その本堂は明治元年の騒動も、関東大震災も東京大空襲も逃れてきた、何かに護られてきたかのような希有な建造物である。「護国」という名前のお寺において行われた祈りはこの雑音おおき日本においてもかなりピュアだと思うので、突然の死に襲われた震災の犠牲者や地の神に届いてほしい。

 私事になるが、その前日くらいから風邪の症状が出始めていたので、暖房のない護国寺本堂の読経はちょとつらかったが、それもまたよし。人は生命にさしせまった危険を感じている時は免疫力満開になるのでそうそう病気にはならない。風邪ひくくらいのヨユウが自分の中に生まれたのかと思えば平和である。

 今現在、人々の恐怖は水道水からでてくる放射能とかに移っているようであるが、それにびびってウツになったりしては放射能で死ぬ前に、社会的に死んでしまう。自分はもともと両親ガンで死んでいて、ガン化するかもしれない恐怖は人一倍よく知っているので、その対処法についてもエキスパートである。
ガン死の恐怖との戦い方を伝授しよう。えっへん。

 たとえ八十年生き続けることができても、その毎日が鳥インフルエンザを気にして野鳥を毛嫌いし、インフルエンザの予防注射をうち、家の中を消毒しまくって、あらゆる健康食品を食べ、放射能のない水を求めてさまようことに時間の大部分を費やしていたならば、客観的にいってその人は「ただ長生きすること」を目的に生きることになる。少なくとも私はそのような人生は送りたくないし、そのような人生を幸せとも思えない。

 そこでこう思った。「仮に短くとも、納得のいく人生が送れれば、ただ長生きを目的とした人生よりは楽しく充実したものになるではないか。どんな人だって遅かれ早かれ必ず死ぬ。だったら、死を避けようとする努力に時間をつかのうはムダ。それよりゃ、いつ死んでも悔いのないように、いますぐ、本質的なことだけを考えて、自分のできることやろう。そうして死に備えれば、結果として死が怖くなくなる」とふっきれた。

 自分は何のために生きているのか、それを考えてみるといい。自分の体にばかり注意を向けることが、本当に幸せなことなのか。自分のことばかり考えている人生はじつは煉獄ではないか。

孔子はこうのたまった。
「朝に道をきかば夕べに死すとも可なり。」

 津波でなくなった方たちは、親しい人に「ありがとう」も「さようなら」もいうヒマもなく流されていった。私たちは少なくとも愛する人たちに、自分の気持ちを伝える時間がある。そしてそれぞれ何かをなしとげる時間も余命に応じてあるはずである。

 最後にツイッターで流れていた笑える話し。

rogcig「原発問題で、いらいらしてなにもできません。ラマに占ってもらって
ください」とチベット人の知人にメールしたら、返事がかえってきて「『般若心経』を一万回となえてください、だそうです」「私が一万回唱えても原発が鎮まると思えないけど」「いや鎮まるのはあなたの心です」あたりまえすぎてワラタ


 真理はいつも当たり前。
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