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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2011/01/12(水)   CATEGORY: 未分類
インフォーマントが師に
 ご報告が遅くなりましたが、ミスター『入中論』は五日にインドに向けてお帰りになられました。

 ミスターが帰国した晩、平岡さんにお疲れ様の電話をすると、平岡さん「ちょっとええ話しがあるんですよ」とのこと。

 ミスターはアメリカとかシンガポールとか臺灣では法を説かれたことがあるが、日本は今回の来日が初めて。ミスターがインドを離れる時にはダライラマ法王の許可がいる。そこでミスターが「外国いってええですか」とお伺いをたてると、

 ダライラマ法王「外国人の聴衆であっても、あなたの説法を聞けば、前世からの業と〔ミスターに会うという〕機根という福分(幸運)によって、眠っている仏性(意識の中にある人格者の成分)が目覚める者がいるはず。行ってこい」と許しがでた。

 で、ミスターが日本を離れる際に二人の女性がお見送りにこられた。一人は由緒あるお家のお嬢さんAさんで、もう一人は研究者Bさん。

 いずれもいろいろと悩みを抱えていたのだが、ミスターの法話と灌頂会にはすべて参加され、その結果自分の中で納得するところがあったのか、ずいぶんと症状が改善されたのだという。ミスターの灌頂会は大阪ばかりではなく、出雲から東京まで各地で行われたのにその全部に参加されたそう。

 平岡さんも、「会がはじまる時に毎回見知った顔をみつけると、『ここまでこられはったのか』となんとも感慨深ったですわ」といっていたが、なんとなく分かるその気持ち。

 授業でも、一番前で欠席しないでキラキラした目で話しを聞いてくれる学生がいると、講義に気合いが入るんだよね。法話会だっていくら優れた導師がいても、弟子がだめだともりあがらない。AさんBさんの熱心さのおかげでミスターの法話会ももりあがったとのこと。

 このお二人はまさにダライラマがおっしゃった「あなたが行くことによって、外国人であっても仏性が覚醒するものもおるだろう」というその通りになったわけである。

 で、その由緒あるお家のAさんはダライラマ法王の講演にも、ミスターの法話にもいたく感動されて、これからもチベット支援をしてくれそうな感じらしい。梵天勧請以来、チベット仏教は弟子が自発的に「法を説いてくれ」とアクションをかけないと法話ができないため、こうして篤志家がでてくるのは喜ばしい兆し。

 ミスターは一月二日には高野山、三日には四天王寺を表敬訪問された。平岡さんの力もあるのだろうが、いずれも下にもおかぬおもてなしだったそうな。
 
 平岡さんは「最近、灌頂だけ受けて、そのあと密教の修行をはじめない人は地獄におちる。昔は灌頂をしなかった、今は金儲けのためにやっているのだ」などという人がいるので、ミスターにその件を聞いてみたそうな。

 すると、ミスターは、シェーラプギャムツォ(shes rab rgya mtsho)が書いたグヒヤサマージャ・タントラの究竟次第の注釈書に答えがあるという。

パンチェン・バンデンイェーシェ(パンチェンラマ三世)とロンドルラマなどがこうおっしゃっている。
「灌頂を受けて、14の誓い(根本堕罪)を破って死ぬならば、一番ひどい地獄(無間地獄)に堕ちることは明らかだ。しかし始まりのない遠い昔(無始)よりなんども地獄におちていても、それは灌頂を得た縁でなったのではない。仏陀よりもまれ(希有)なる密教(金剛乗)と、たった一回出会えたこの時に、どうして灌頂を受けないということがあるだろうか。」

 簡単にいうと、

「どうせはるか昔から何度も地獄におちてるんだから、地獄に落ちるくらいでびびるな。灌頂を受けて地獄に落ちるなんてことはない。密教に出会えるチャンスがあるなら、灌頂を受けなさい」てなかんじ。

で、灌頂を受けないデメリットの方が大きいとした上で、「灌頂を受けない人が、密教を学ぶことは法を盗む泥棒とおなじである。灌頂受けずに密教を勉強するなら、勉強をすればするほど悪業をつむことになる。」

 とのことです。

 研究者である私に関して言えば、高僧はいわずもがな、俗人の伝記を読んでいても、無上ヨーガの法を受けたり実践したりする話が普通にでてくるので、それについて解釈するにせよ、翻訳するにせよ、できる限りチベット世界の価値観の中で理解した方が絶対その史料の作者の意図したことに近い解釈ができると思うので、チベット世界に近づくために灌頂を授かっている。

 あとは、やはりチベット仏教という優れた知的遺産をバックアップしなければという使命感かな。欧米のチベット学者たちも多かれ少なかれ、自分が最初インフォーマントと思っていたラマたちを最後は師と仰ぐようになっている。

 すごい昔、ディヴィッド・ジャクソン博士(ルービン美術館)が日本に滞在していた時、私以外にも何人かいた日本人の若い研究者を前にして「さあ、きみたちがチベット研究を志すことになった、その感動体験を聞きたい」といわれたことがある。
 私を含めて日本の研究者はチベットの高僧との交流から、チベット文化の価値に気づくという「パウロの改心」をへていなかったので、いまいちピンとこなかったが、いまなら分かる。

 チベットの知的体系って、うすっぺらな教育しか受けてない日本の大学院生が「研究対象」にして「理解」できるようなシロモノでないんだよね。

 われわれは頭下げて、弟子入りをこうて、何年かかっても、その足元にも及ばないものなのだ。したがって、オノレの卑小さを理解し、同時にこの滅び行く文化を何とかささえなければあかん、という気持ちになった瞬間が、真の意味でチベット研究者になることなのだ。

 というわけで、今、本土では自由に研究できないチベット史を日本で研究しつつ、英語論文を書いてます。これ終わるまで、まとまった思考ができないので、ブログの内容がオワライ中心になるかも。ユルして。

 とりあえず、一席。

 ミスターがアメリカに滞在されていた時、

 弟子「ミスター、大変です。マイケル・ジャクソンがなくなりました!!!」

ミスター「ナムカーゲルツェン(よくあるチベット名)なんて高僧がアメリカにいたか?_」
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