カオスの宴
金曜日は後期最後のゼミ。四年生にとって学生生活最後のゼミとなる。
事前連絡なしに突然06年卒の卒業生Yくんがひょっこり現れてびっくりする。五年ぶりに有給休暇がとれて明日からインドネシアに旅行にいくために上京してきたのだという。
そこで彼もまじえて最後の授業となる。恒例、学生から社会人への橋渡し授業、という位置づけで、ダライラマ法王のお言葉を典拠に、これからの人生の指針を与えることにしている。
ご存じの通りの就職氷河期。自殺は毎年三万人をこえ、日本は内向きになる一方。
ある学生がいうには「自分たちの世代は損している。前の世代は日本経済が上向きだったから才能がない人でも成功できた。今は違う」などと自分たちは不幸だ不幸だ、と考える。彼のみならず、マスコミ報道、就活学生の不安な言動などが学生全体に蔓延し、大学にはなんだか末期的な陰鬱さがただよっている。
こういう時にこういう学生に何いっても「精神論」とか一括される危険があるけど、私の精神論は具体例・事例つきのなのでひと味ちがう。
六十五年前、この早稲田界隈は空襲で丸焼けだった。日本は戦後、国際的な信用もインフラも何もかも失った超マイナスの状態で再出発したが、その頃、アル中はいてもウツはこれほどいなかった。
雇用機会均等法ができるまでは、女性が誇りをもって働ける場所といえば、公務員と教師と看護師くらいしかなかった時代もあったけど、その時代の若い女性たちはみな笑っていた。
大学に入れた人も入れない人も、希望の仕事につけた人もつけない人も、いろいろいたけど、みんな生きる力はあった。笑う力があった。
ダライラマ法王が1959年に亡命したときには、世界はほとんど彼のことを知らなかった。ても、52年たった今、彼の存在感はいやましている。
チベット人は着の身着のままでインドに亡命して、たくさんの人が中国の侵攻や亡命の過程、そしてインドの気候に会わずに死んでいったが、客観的にいってこれよりひどい状態はないといった状況下においても、心を病むものは少なく、高僧たちにいたってはその陽気さを全く失わなかった。
今の日本が焼け野原の頃の日本と比べてそんなに悪いとも思えないし、国を失ったチベット人より悪いという人はいないだろう。彼らの方がもっとキツイ時代を生きていた。でも多くはその事態を何とか乗り切っていた。
日本人が自信をなくし、無力感にさいなまれているのは、何か客観的な事実があってそうなっているものではなく、しょせん「気分」レベルのものなのである。
日本人の特徴として、現実・事実を直視し分析して、それに対処して行動するという論理的思考がないこと、とにかく現実・事実よりも「今の気分」を世界に投影してそれを「客観的な事実」と錯覚する情緒的な部分がある。
観念が指し示すもの自体をつきつめていくのではなく、観念そのものをもてあそんで、うだうだうだうだループにはまっていくのだ。
こんな状態では他人はおろか自分一人幸せにすることはできない。
これから社会にでたら、もはや「お客様」ではなく、自分がものを作り・提供する側になる。毎日毎日、現実の中で人と関わっていくことになるんだから、その1つ1つをきちんと認識し、分析し、自分がいかにふるまうべきかを考えなさい。
もちろん、社会人一年生はもちろんすぐに仕事できるようになるわけではないから、まずはこうしなさい。
自分より能力があり、よく働く人間がいた場合、「こいつがいるから自分が怠け者に見える。」と思ってその人の陰口たたくのではなく、自分より能力のある人間はとにかくほめなさい。そしたらその人はあなたが困った時に助けてくれる。かりにその人が助けてくれなかったとしても、悪口を言わなかったことにより少なくとも自分の品性は下げなくてすむ。
そして、将来自分より若い人が入ってきた時、その若い子が失敗した時、「お前の失敗でうちのチームの業績があがらん」とかいって責めるのではなく、「今回は始末をつけるが、次回からはこういうことがないように」ととりあえずの愛情を示してごらん。そしたら、その若い子も、次は失敗すまいと気をつけるから。もちろんまったく行いを改めない子もいるだろうけど、その場合はその人の資質の問題であり、先輩であるあなたたちが責めを負うことはない。
とにかく随喜すること。これはチベットのお坊さんの言ったことなので、確かなかこと。
というと、卒業生のYくんも職場の人間関係のあり方についていろいろアドバイスをしてくれる。気のせいか私が話す時よりも、Yくんの話す時の方がみなちゃんと耳を傾けて聞いている。
しかし、いろいろ話しているうちに驚愕の事実に気づく。
今年卒業するのって十人中、四人だけ。あと六人は留年である。
Yくん「負け越しですね」
Nくん「魁皇が調子悪い時の星みたいですね」
K太「卒業式の記念撮影、正装が四人であとは平服というすごい絵面になりますね」
留年の理由は留学、病気、単位の不足、就活の不調、主義(笑)などさまざまである。カオスである。
そのあと三年のKくんのおうちでたこ焼きパーティをやるというので、十人でおしかける。もともといった四人をくわえ十四人となり、明らかにワンルームにははいりきれず、玄関にいたるまですわりこんでたこやきを食べる。
難民キャンプである。つかなぜ私がここにいる。
そして、そのあと同じ日に閉店する印度料理屋に行こうとしたのだが、満員で入れず。仕方ないので、向かいのビルの地下にある中国料理屋に入る。そしたら
K山くんが感慨ふかげに「ここ、三年で最初のゼミ飲みの時にはいった店だ。」。そしたら
kちゃんが「私達ここで始まってここで終わるんですね。あー、学生生活が終わっちゃう」
と言われて私もなんとなく思い出してきた。もうあれから、二年たって、みんな卒業なんだ・・・。何もかも懐かしい・・・(沖田艦長風)。
って、半分以上留年するがな!
で、難民たちはみなで餃子を百四十個以上はたべた。
その日のKくんの日記
「一番最初のゼミ飲みで使った場所が最後の飲み会の場所になるってところが最高だった。あの頃コイツとはあわないなと思っていた御仁と今は親しいんだから月日って凄い。
泣きそう」
みんな良い子。
事前連絡なしに突然06年卒の卒業生Yくんがひょっこり現れてびっくりする。五年ぶりに有給休暇がとれて明日からインドネシアに旅行にいくために上京してきたのだという。
そこで彼もまじえて最後の授業となる。恒例、学生から社会人への橋渡し授業、という位置づけで、ダライラマ法王のお言葉を典拠に、これからの人生の指針を与えることにしている。
ご存じの通りの就職氷河期。自殺は毎年三万人をこえ、日本は内向きになる一方。
ある学生がいうには「自分たちの世代は損している。前の世代は日本経済が上向きだったから才能がない人でも成功できた。今は違う」などと自分たちは不幸だ不幸だ、と考える。彼のみならず、マスコミ報道、就活学生の不安な言動などが学生全体に蔓延し、大学にはなんだか末期的な陰鬱さがただよっている。
こういう時にこういう学生に何いっても「精神論」とか一括される危険があるけど、私の精神論は具体例・事例つきのなのでひと味ちがう。
六十五年前、この早稲田界隈は空襲で丸焼けだった。日本は戦後、国際的な信用もインフラも何もかも失った超マイナスの状態で再出発したが、その頃、アル中はいてもウツはこれほどいなかった。
雇用機会均等法ができるまでは、女性が誇りをもって働ける場所といえば、公務員と教師と看護師くらいしかなかった時代もあったけど、その時代の若い女性たちはみな笑っていた。
大学に入れた人も入れない人も、希望の仕事につけた人もつけない人も、いろいろいたけど、みんな生きる力はあった。笑う力があった。
ダライラマ法王が1959年に亡命したときには、世界はほとんど彼のことを知らなかった。ても、52年たった今、彼の存在感はいやましている。
チベット人は着の身着のままでインドに亡命して、たくさんの人が中国の侵攻や亡命の過程、そしてインドの気候に会わずに死んでいったが、客観的にいってこれよりひどい状態はないといった状況下においても、心を病むものは少なく、高僧たちにいたってはその陽気さを全く失わなかった。
今の日本が焼け野原の頃の日本と比べてそんなに悪いとも思えないし、国を失ったチベット人より悪いという人はいないだろう。彼らの方がもっとキツイ時代を生きていた。でも多くはその事態を何とか乗り切っていた。
日本人が自信をなくし、無力感にさいなまれているのは、何か客観的な事実があってそうなっているものではなく、しょせん「気分」レベルのものなのである。
日本人の特徴として、現実・事実を直視し分析して、それに対処して行動するという論理的思考がないこと、とにかく現実・事実よりも「今の気分」を世界に投影してそれを「客観的な事実」と錯覚する情緒的な部分がある。
観念が指し示すもの自体をつきつめていくのではなく、観念そのものをもてあそんで、うだうだうだうだループにはまっていくのだ。
こんな状態では他人はおろか自分一人幸せにすることはできない。
これから社会にでたら、もはや「お客様」ではなく、自分がものを作り・提供する側になる。毎日毎日、現実の中で人と関わっていくことになるんだから、その1つ1つをきちんと認識し、分析し、自分がいかにふるまうべきかを考えなさい。
もちろん、社会人一年生はもちろんすぐに仕事できるようになるわけではないから、まずはこうしなさい。
自分より能力があり、よく働く人間がいた場合、「こいつがいるから自分が怠け者に見える。」と思ってその人の陰口たたくのではなく、自分より能力のある人間はとにかくほめなさい。そしたらその人はあなたが困った時に助けてくれる。かりにその人が助けてくれなかったとしても、悪口を言わなかったことにより少なくとも自分の品性は下げなくてすむ。
そして、将来自分より若い人が入ってきた時、その若い子が失敗した時、「お前の失敗でうちのチームの業績があがらん」とかいって責めるのではなく、「今回は始末をつけるが、次回からはこういうことがないように」ととりあえずの愛情を示してごらん。そしたら、その若い子も、次は失敗すまいと気をつけるから。もちろんまったく行いを改めない子もいるだろうけど、その場合はその人の資質の問題であり、先輩であるあなたたちが責めを負うことはない。
とにかく随喜すること。これはチベットのお坊さんの言ったことなので、確かなかこと。
というと、卒業生のYくんも職場の人間関係のあり方についていろいろアドバイスをしてくれる。気のせいか私が話す時よりも、Yくんの話す時の方がみなちゃんと耳を傾けて聞いている。
しかし、いろいろ話しているうちに驚愕の事実に気づく。
今年卒業するのって十人中、四人だけ。あと六人は留年である。
Yくん「負け越しですね」
Nくん「魁皇が調子悪い時の星みたいですね」
K太「卒業式の記念撮影、正装が四人であとは平服というすごい絵面になりますね」
留年の理由は留学、病気、単位の不足、就活の不調、主義(笑)などさまざまである。カオスである。
そのあと三年のKくんのおうちでたこ焼きパーティをやるというので、十人でおしかける。もともといった四人をくわえ十四人となり、明らかにワンルームにははいりきれず、玄関にいたるまですわりこんでたこやきを食べる。
難民キャンプである。つかなぜ私がここにいる。
そして、そのあと同じ日に閉店する印度料理屋に行こうとしたのだが、満員で入れず。仕方ないので、向かいのビルの地下にある中国料理屋に入る。そしたら
K山くんが感慨ふかげに「ここ、三年で最初のゼミ飲みの時にはいった店だ。」。そしたら
kちゃんが「私達ここで始まってここで終わるんですね。あー、学生生活が終わっちゃう」
と言われて私もなんとなく思い出してきた。もうあれから、二年たって、みんな卒業なんだ・・・。何もかも懐かしい・・・(沖田艦長風)。
って、半分以上留年するがな!
で、難民たちはみなで餃子を百四十個以上はたべた。
その日のKくんの日記
「一番最初のゼミ飲みで使った場所が最後の飲み会の場所になるってところが最高だった。あの頃コイツとはあわないなと思っていた御仁と今は親しいんだから月日って凄い。
泣きそう」
みんな良い子。
香港・台湾・日本リーグ
テレビつけたら日曜洋画劇場でレッド・クリフパート2をやっていた。カタカナ題名であるが、ひらたくいえば三国志にでてくる赤壁(レッドクリフ)の戦いの実写版である。これは香港・中国合作映画であり、キャストは本土中国、台湾、香港、日本と国際的であった。
ここから読み取れる寓意が実にオモシロかった。
日本人の大半は台湾も香港も本土中国もごっちゃに考えている人が多いだろう。事実チベットに対する認識は三者いずれも、中国の一部と考えるなど、共通する〔ひどい〕部分もあるが、前二者は民主主義政権、後一者は独裁政権という違いがある。
香港・台湾は独裁政権の中国に飲まれる恐怖と危機感と常に戦ってきた。それがここにも反映しているのである。
赤壁の戦いがなぜ有名かというと、軍事的に圧倒的に優勢な曹操軍(魏)を、小国連合軍(呉・蜀)が打ち破ったことにある(いずれ併合されるけど 笑)。で、『レッド・クリフ』は呉が舞台であるため、呉の軍師周瑜が主人公であり、そこに孔明、曹操がからむ。つまり、三国志の本来の主人公である蜀は、孔明以外は刺身のつまの扱いをうけている。
で、キャストの出身国をみてみると、これが大笑い。
・孫権(後の呉)陣営
周瑜(トニー・レオン 香港) 主人公
孫権(張震 台湾)
尚香(ヴィッキー・チャオ 本土出身ながら台湾で活躍)
甘興(中村獅童 日本)
小喬(林志玲 台湾その上民進党笑)
・劉備(後の蜀)陣営
孔明(金城武 台湾と日本のハーフ):
趙雲(胡軍 本土中国)
劉備(尤勇 本土中国)
関羽(巴森扎布 本土中国だけどモンゴル人)
張飛(臧金生 本土中国)
文字色
・曹操陣営(のちの魏)
曹操 (張豊毅 本土中国)
ついでに主題歌はアランちゃんがうたってまーす。この人は国籍は中国本土だけど、チベット人(笑)。メッセージがてんこもりの映画です。
強いけど大義のない曹操は大陸中国俳優で、
弱いけど義と郷土愛の周瑜と孫権と孔明は、香港、台湾、日本俳優がしめている。
まあなんてわっかりやすいんでしょう。
つけくわえると、主人公の妻で、曹操に懸想される絶世の美女小喬を演じた林志玲は、お母さんが民進党の支援団体の夫人部長をやっていたことから、本土中国の愛国主義者より、彼女がキャンペーンガールをやった商品を不買運動おこされたという、可哀想な経歴をもつ人である。
曹操が小喬にむかって「おれはすべてを手に入れる」というとき、「台湾も香港も手に入れる」という寓意があり、
小喬が曹操に「あなたはこのお茶と同じ。野心があふれかえっている。誰かにこの茶碗をひっくり返されるかも」と言う時「あんたがあくなき領土拡張を続けると、日本・台湾・香港どこかがきれるかも」という寓意があるのだ。
香港・中国合作映画の大作といえば、思い出すのが2002年のジェット・リー主演の『英雄HERO』。この時の朝日の記事を以下にはります。
「英雄」と統一(特派員メモ 台北) (2003年09月19日 朝日朝刊)
中国の張芸謀(チャンイーモウ)監督の大作「HERO」。・・・映画は後に始皇帝になる秦王と刺客たちのドラマだ。秦王に迫った刺客は「統一」と「平和」のために王を殺さない。最後には「始皇帝は長城を築き、国と民をまもった」という字幕が流れる。
当然のように、焚書坑儒などで、毛沢東とも重ねられて「暴君」のイメージが強い中国では「始皇帝を英雄に持ち上げるなど、歴史とかけ離れている」という批判が出た。
これに加えて台湾では「秦王は天下や統一、平和を掲げて小国をのみ込む。中国の台湾統一工作の映画だ」と、かみつく声が新聞や雑誌に登場した。ハリウッドの向こうを張って、武侠と特殊撮影を駆使した中国版のイデオロギー映画というわけだ。
宣伝のために台北を訪れた張監督は「映画は秦王が中国を統一する前の話だ。暴君になったという後の歴史から物語を見ることはできない」と、批判をかわしていた。
さて、台湾は「英雄の天下」を受け入れるのか。暴君に向けて「刺客」を放つのか。(田村宏嗣)
この時も、後の秦の始皇帝は大陸中国の役者がやり、主人公の刺客三人は全員香港俳優であり、わかりやすい構図であった。
しかし、監督は香港系ではなく、本土中国の張芸謀監督。彼は後に批判をうけることになる北京オリンピックの開幕式/閉幕式の総監督制作指揮を担当した人であり、この映画でも、戦乱の世をおさめるためには始皇帝(中国共産党)の非情(独裁政治)が必要なのだ、というメッセージをおくりまくっていた(今は戦乱の世でないから批判あびてんですが 笑)。
この2つの大作にいずれも主役級で登場したのがトニー・レオン。その北京オリンピックの年に長年のパートナー、カリーナ・ラウとチベット仏教の国ブータンで挙式した。結婚式の会場をブータンにしたのは、カルマパ17世のアドバイスにそってである。香港・台湾・日本はいまや台頭する独裁中国におされっぱである。
ちなみに、同じ香港俳優でもジャッキー・チェンは何の疑問ももたず中国政府のプロパガンダに協力している。
大義ではなく経済力・軍事力を是とする国を甘やかしてホンマにいいんか。『レッドクリフ』は、われわれにそのような問いを投げかけているのだ。
ここから読み取れる寓意が実にオモシロかった。
日本人の大半は台湾も香港も本土中国もごっちゃに考えている人が多いだろう。事実チベットに対する認識は三者いずれも、中国の一部と考えるなど、共通する〔ひどい〕部分もあるが、前二者は民主主義政権、後一者は独裁政権という違いがある。
香港・台湾は独裁政権の中国に飲まれる恐怖と危機感と常に戦ってきた。それがここにも反映しているのである。
赤壁の戦いがなぜ有名かというと、軍事的に圧倒的に優勢な曹操軍(魏)を、小国連合軍(呉・蜀)が打ち破ったことにある(いずれ併合されるけど 笑)。で、『レッド・クリフ』は呉が舞台であるため、呉の軍師周瑜が主人公であり、そこに孔明、曹操がからむ。つまり、三国志の本来の主人公である蜀は、孔明以外は刺身のつまの扱いをうけている。
で、キャストの出身国をみてみると、これが大笑い。
・孫権(後の呉)陣営
周瑜(トニー・レオン 香港) 主人公
孫権(張震 台湾)
尚香(ヴィッキー・チャオ 本土出身ながら台湾で活躍)
甘興(中村獅童 日本)
小喬(林志玲 台湾その上民進党笑)
・劉備(後の蜀)陣営
孔明(金城武 台湾と日本のハーフ):
趙雲(胡軍 本土中国)
劉備(尤勇 本土中国)
関羽(巴森扎布 本土中国だけどモンゴル人)
張飛(臧金生 本土中国)
文字色
・曹操陣営(のちの魏)
曹操 (張豊毅 本土中国)
ついでに主題歌はアランちゃんがうたってまーす。この人は国籍は中国本土だけど、チベット人(笑)。メッセージがてんこもりの映画です。
強いけど大義のない曹操は大陸中国俳優で、
弱いけど義と郷土愛の周瑜と孫権と孔明は、香港、台湾、日本俳優がしめている。
まあなんてわっかりやすいんでしょう。
つけくわえると、主人公の妻で、曹操に懸想される絶世の美女小喬を演じた林志玲は、お母さんが民進党の支援団体の夫人部長をやっていたことから、本土中国の愛国主義者より、彼女がキャンペーンガールをやった商品を不買運動おこされたという、可哀想な経歴をもつ人である。
曹操が小喬にむかって「おれはすべてを手に入れる」というとき、「台湾も香港も手に入れる」という寓意があり、
小喬が曹操に「あなたはこのお茶と同じ。野心があふれかえっている。誰かにこの茶碗をひっくり返されるかも」と言う時「あんたがあくなき領土拡張を続けると、日本・台湾・香港どこかがきれるかも」という寓意があるのだ。
香港・中国合作映画の大作といえば、思い出すのが2002年のジェット・リー主演の『英雄HERO』。この時の朝日の記事を以下にはります。
「英雄」と統一(特派員メモ 台北) (2003年09月19日 朝日朝刊)
中国の張芸謀(チャンイーモウ)監督の大作「HERO」。・・・映画は後に始皇帝になる秦王と刺客たちのドラマだ。秦王に迫った刺客は「統一」と「平和」のために王を殺さない。最後には「始皇帝は長城を築き、国と民をまもった」という字幕が流れる。
当然のように、焚書坑儒などで、毛沢東とも重ねられて「暴君」のイメージが強い中国では「始皇帝を英雄に持ち上げるなど、歴史とかけ離れている」という批判が出た。
これに加えて台湾では「秦王は天下や統一、平和を掲げて小国をのみ込む。中国の台湾統一工作の映画だ」と、かみつく声が新聞や雑誌に登場した。ハリウッドの向こうを張って、武侠と特殊撮影を駆使した中国版のイデオロギー映画というわけだ。
宣伝のために台北を訪れた張監督は「映画は秦王が中国を統一する前の話だ。暴君になったという後の歴史から物語を見ることはできない」と、批判をかわしていた。
さて、台湾は「英雄の天下」を受け入れるのか。暴君に向けて「刺客」を放つのか。(田村宏嗣)
この時も、後の秦の始皇帝は大陸中国の役者がやり、主人公の刺客三人は全員香港俳優であり、わかりやすい構図であった。
しかし、監督は香港系ではなく、本土中国の張芸謀監督。彼は後に批判をうけることになる北京オリンピックの開幕式/閉幕式の総監督制作指揮を担当した人であり、この映画でも、戦乱の世をおさめるためには始皇帝(中国共産党)の非情(独裁政治)が必要なのだ、というメッセージをおくりまくっていた(今は戦乱の世でないから批判あびてんですが 笑)。
この2つの大作にいずれも主役級で登場したのがトニー・レオン。その北京オリンピックの年に長年のパートナー、カリーナ・ラウとチベット仏教の国ブータンで挙式した。結婚式の会場をブータンにしたのは、カルマパ17世のアドバイスにそってである。香港・台湾・日本はいまや台頭する独裁中国におされっぱである。
ちなみに、同じ香港俳優でもジャッキー・チェンは何の疑問ももたず中国政府のプロパガンダに協力している。
大義ではなく経済力・軍事力を是とする国を甘やかしてホンマにいいんか。『レッドクリフ』は、われわれにそのような問いを投げかけているのだ。
チベタン・キッチン
英語論文は日本語から丸投げすることはやめて、一応英訳した上で、英語校正にだすことにした。
知り合いの研究者から聞いたサイトで見積もりをとり、ここで頼むかどうか迷ったので、とりあえず、「ウチの会社でわからないことがあったら何でも聞いて」と書いてある都内の電話番号にかけてみた。
すると、日本語の怪しい女の人がでる。あとで東京オフィスのメールの名前をみたらShraddha(浄信)さん。
インド人だよ!
インドはかつてイギリスの植民地であったために英語が堪能な人がおおい。おそらくはこの会社、日本で注文受けてインドにいるさまざまな分野の人にふりわけて英文校正させるのだろう。
ちなみに、自分の英文はサイトによる分類にある、機械工学でも、、物理でも、化学でもなく、
歴史。しかしてその内容は、乾隆帝とチャンキャの転生譜。
転生とか、前世とかとびかう文章はインド人なら抵抗なくうけいれられよう(そうかあ?)。
しかし、素人のインド人の英語力に頼る日本人の教授って、日本人の国際性のなさ丸出し。
しかし、英語はツールだ!
いや、英語はあくまでツールだ!
アメリカ人に生まれりゃ餓鬼でも英語はしゃべる。
問題はそれをつかって何を発信するかだ!
内容を見ろ!
文法や文章のへたさは広い心で受け入れるんだ!
何を言っても言い訳(笑)。
前回のエントリーでチベット・カフェをつくりませんかあ?と呼びかけたら、みなのイメージがバラバラで笑った。
で、思ったのが、チベットの高僧にひかれてチベット仏教入った人は、ニューヨークのオリエンタル・カフェ風の静かな内省的な空間をイメージし、バックパッカーとかで本土チベット旅行しているうちに普通のチベット人と仲良くなったた人は、ヤン・リーピンが舞い踊る賑やかなレストランになるのではないか(北京のマキアミ的な)。
そこで逃避のためにニューヨークのチベット・カフェとレストランを簡単に調べて見ました(結局英語にとらわれている 笑)。
出典は「ニューヨークのチベット」(http://gridskipper.com/archives/entries/65939/65939.php#pointmap)
以下のレストラン名とNew Yorkを検索欄にいれて画像検索してみてください。
(1) Yeti of Hiezan Restaurant(比叡山の雪男レストラン)
(2) Tibetan Yak(チベットのヤク)
(3) Himalaya Teahouse(ヒマラヤ茶館 閉店しかし画像検索はできる)
(4) Tibet House (ご存じリチャギとサーマンとフィリップグラスがつくったチベット総合カルチャーセンター)
(5) Tsampa(ツァンパ)
(6) Tibetan Kitchen (チベットの台所)
(7) Cafe Himalaya(カフェ・ヒマラヤ)
それぞれのお店の外観については、英語をコピーして画像検索してみてください。一番笑ったのが、(1)の「比叡山の雪男」。カンバンにはネパール・日本料理とあり、チベットですらない(笑)。

このタイプはニューデリーのチベット・キッチンに通じるものがある。写真を見てもらうとわかるが、カンバンに「チベット・中国料理」と書いてあるのに、店の中には日本語の「ラーメン」提灯に「ラムネ」旗がはためく。かろうじてチベット国旗がチベットを思い出させてくれる。

同名のチベット・キッチンでもニューヨークの方はステキ。ちょーちんとかない。
私はここの内装が一番気に入ったので、この写真をあげておきます。


ニューヨークいったら、このチベタン・キッチンで食事をして、ルービン美術館(サイトはここ)でマンダラをみて、チベット・ハウス(サイトはここ)でチベット学の講義を聞きたいな。
やっぱチベットマニアの聖地はニューヨークだな。
知り合いの研究者から聞いたサイトで見積もりをとり、ここで頼むかどうか迷ったので、とりあえず、「ウチの会社でわからないことがあったら何でも聞いて」と書いてある都内の電話番号にかけてみた。
すると、日本語の怪しい女の人がでる。あとで東京オフィスのメールの名前をみたらShraddha(浄信)さん。
インド人だよ!
インドはかつてイギリスの植民地であったために英語が堪能な人がおおい。おそらくはこの会社、日本で注文受けてインドにいるさまざまな分野の人にふりわけて英文校正させるのだろう。
ちなみに、自分の英文はサイトによる分類にある、機械工学でも、、物理でも、化学でもなく、
歴史。しかしてその内容は、乾隆帝とチャンキャの転生譜。
転生とか、前世とかとびかう文章はインド人なら抵抗なくうけいれられよう(そうかあ?)。
しかし、素人のインド人の英語力に頼る日本人の教授って、日本人の国際性のなさ丸出し。
しかし、英語はツールだ!
いや、英語はあくまでツールだ!
アメリカ人に生まれりゃ餓鬼でも英語はしゃべる。
問題はそれをつかって何を発信するかだ!
内容を見ろ!
文法や文章のへたさは広い心で受け入れるんだ!
何を言っても言い訳(笑)。
前回のエントリーでチベット・カフェをつくりませんかあ?と呼びかけたら、みなのイメージがバラバラで笑った。
で、思ったのが、チベットの高僧にひかれてチベット仏教入った人は、ニューヨークのオリエンタル・カフェ風の静かな内省的な空間をイメージし、バックパッカーとかで本土チベット旅行しているうちに普通のチベット人と仲良くなったた人は、ヤン・リーピンが舞い踊る賑やかなレストランになるのではないか(北京のマキアミ的な)。
そこで逃避のためにニューヨークのチベット・カフェとレストランを簡単に調べて見ました(結局英語にとらわれている 笑)。
出典は「ニューヨークのチベット」(http://gridskipper.com/archives/entries/65939/65939.php#pointmap)
以下のレストラン名とNew Yorkを検索欄にいれて画像検索してみてください。
(1) Yeti of Hiezan Restaurant(比叡山の雪男レストラン)
(2) Tibetan Yak(チベットのヤク)
(3) Himalaya Teahouse(ヒマラヤ茶館 閉店しかし画像検索はできる)
(4) Tibet House (ご存じリチャギとサーマンとフィリップグラスがつくったチベット総合カルチャーセンター)
(5) Tsampa(ツァンパ)
(6) Tibetan Kitchen (チベットの台所)
(7) Cafe Himalaya(カフェ・ヒマラヤ)
それぞれのお店の外観については、英語をコピーして画像検索してみてください。一番笑ったのが、(1)の「比叡山の雪男」。カンバンにはネパール・日本料理とあり、チベットですらない(笑)。

このタイプはニューデリーのチベット・キッチンに通じるものがある。写真を見てもらうとわかるが、カンバンに「チベット・中国料理」と書いてあるのに、店の中には日本語の「ラーメン」提灯に「ラムネ」旗がはためく。かろうじてチベット国旗がチベットを思い出させてくれる。

同名のチベット・キッチンでもニューヨークの方はステキ。ちょーちんとかない。
私はここの内装が一番気に入ったので、この写真をあげておきます。


ニューヨークいったら、このチベタン・キッチンで食事をして、ルービン美術館(サイトはここ)でマンダラをみて、チベット・ハウス(サイトはここ)でチベット学の講義を聞きたいな。
やっぱチベットマニアの聖地はニューヨークだな。
2011年初妄想
今日は自由ヶ丘のチベット・ショップマニマニの最後の日。お花をかってお店を訪問する。
お店について記録のために撮影とデジカメをだすと、カメラうんともすんともたちあがらない。
充電切れ?
なぜこんな肝腎な時に!!
そこで十年前の調度今頃にフラッシュバックした。
あの時わたしはラサのポタラ宮の赤宮広間にいた。ごっつ寒い季節だってので観光客もあまりおらず、警備の人も寒いせいか見あたらない。
ラッキー、写真取り放題じゃん!!(よい子はまねしないでください)
ところが、カメラうんともすんともたちあがらず・・・・。どうも寒さにあたってバッテリーが死んでいたみたい。なぜこんなカンジンな時に!!!!
まあ、人生なんてそんなもの。
仕方ないのでマニマニのスタッフの方にケータイでお店の写真をとってもらい後でおくっていただくことにする。充電切れの話しをすると「先生らしい」と笑われ。
「私らしいって何?」とふと思うが、たぶん追求しない方が幸せであろう。
今の店長さんはなくなった前店長さんの一番スタッフさんである。マニマニの前店長を愛し、このお店でであう人々を愛し、だから、本当に閉店が残念である、とのこと。わたしも残念である。チベット自体は年年認知度が高まっているので、この時期の閉店はとてももったいない話ではある。
私個人としては、東横線の電車の中から、マニマニの窓にかかるチベット国旗を見るのが好きだった。
本当に長い間ありがとうございました。マニマニ。
どなたか奇特な方、チベット・カフェとか始めませんか。理由は私が嬉しいから。
お茶はバター茶、カフェめしはトゥクパにモモ、チベタン・コスプレのおねえちゃん、おにいちゃんたちが、フロアで動き、CDはお経。壁にはポップでキュートなマンダラ、もちろん仏壇もあり。ニューヨークではなりたってるんだから、日本でもなりたつはずだ!!!
と妄想が暴走した時点で、とあるOくんの日記とそれに対するわたくしのコメントを思い出した。チベットマニアの妄想が炸裂する空間をお楽しみください。
以下転載。
「お寺をつくりたいなあ」作 じゆうな人
建物はインドのチベット寺院みたいなコンクリートでペンキを塗るタイプではなくて、図面はチベット風で建てるのはあくまで日本の宮大工。
裏には小高い山があり、ストゥーパがあり、コルラできるような散歩コースをいつくり、年寄りがうろちょろできるようにする。
学問棟の他にもちろん行をする施設も併設。(オタクな行でもなんでもこい。)
常にお坊様や大学の先生がたの講義が聴ける。
売店には高僧のプロマイドやキーホルダー、ステッカーなどがびっしりとある。ガンディーやマンデラ、オバマもいれちゃおう。
売店で販売する為の工房も併設。
CDもプロデュース。ややこしくて覚えにくいお経やマントラをのりの良いラップで繰り返し聴ける。(売店では家電量販店の音楽のようにしつこく流し続ける)
レジデンスラマを招聘するとともに日本におとづれた先生がたの宿泊施設あり。
インド、チベットの聖者の他に日本の祖師もおく。アマテラスがいてもいい。イエスがいてもいい。
いり口には朝から晩まで年寄りがたむろして歩行者を眺めている寺。
私「売店がアナーキーですね。」
じゆうな人「メーツィンカン(医学・暦学センター)も併設しましょう!お香やオイルがいつでも手に入ります。そこでは占星術の研究も兼ねます。タンカ(チベット仏画)工房も併設し、絵師が常駐し朝から晩まで好きなだけ描いている。それから鳥葬場を裏山に。。 売店の店長は譲れませんが賛同いただけないでしょうか。」
私「では、わたしは裏山の鳥葬場で奪衣婆をやります。
この座はゆずりません。」
Kさん「では、わたしはコルラ・ダイエットに励みます!」
さいごにマニマニさんから一言(例によってコメント欄にあるのをあけただけ 笑)
マニマニ | URL | 2011/01/16(日) 21:31 [EDIT]
先生、本日はあんなに素敵なお花をありがとうございます。
本当に思っても見なかった事で、大変に嬉しい驚きと感謝で一杯です!
その後も沢山のお客様にご来店いただき、中にはやはりお花やお菓子をくださる方がいて、
なんとマニマニは幸せな店か、と改めて実感いたしました。
現在の私に悔いはないです。
こんなに皆様に愛されたお店で働けた事は私の宝です。
先生のブログの場をお借りして、取り急ぎ皆様に御礼申し上げます。
ありがとうございます!!
FERR TIBET !
お店について記録のために撮影とデジカメをだすと、カメラうんともすんともたちあがらない。
充電切れ?
なぜこんな肝腎な時に!!
そこで十年前の調度今頃にフラッシュバックした。
あの時わたしはラサのポタラ宮の赤宮広間にいた。ごっつ寒い季節だってので観光客もあまりおらず、警備の人も寒いせいか見あたらない。
ラッキー、写真取り放題じゃん!!(よい子はまねしないでください)
ところが、カメラうんともすんともたちあがらず・・・・。どうも寒さにあたってバッテリーが死んでいたみたい。なぜこんなカンジンな時に!!!!
まあ、人生なんてそんなもの。
仕方ないのでマニマニのスタッフの方にケータイでお店の写真をとってもらい後でおくっていただくことにする。充電切れの話しをすると「先生らしい」と笑われ。
「私らしいって何?」とふと思うが、たぶん追求しない方が幸せであろう。
今の店長さんはなくなった前店長さんの一番スタッフさんである。マニマニの前店長を愛し、このお店でであう人々を愛し、だから、本当に閉店が残念である、とのこと。わたしも残念である。チベット自体は年年認知度が高まっているので、この時期の閉店はとてももったいない話ではある。
私個人としては、東横線の電車の中から、マニマニの窓にかかるチベット国旗を見るのが好きだった。
本当に長い間ありがとうございました。マニマニ。
どなたか奇特な方、チベット・カフェとか始めませんか。理由は私が嬉しいから。
お茶はバター茶、カフェめしはトゥクパにモモ、チベタン・コスプレのおねえちゃん、おにいちゃんたちが、フロアで動き、CDはお経。壁にはポップでキュートなマンダラ、もちろん仏壇もあり。ニューヨークではなりたってるんだから、日本でもなりたつはずだ!!!
と妄想が暴走した時点で、とあるOくんの日記とそれに対するわたくしのコメントを思い出した。チベットマニアの妄想が炸裂する空間をお楽しみください。
以下転載。
「お寺をつくりたいなあ」作 じゆうな人
建物はインドのチベット寺院みたいなコンクリートでペンキを塗るタイプではなくて、図面はチベット風で建てるのはあくまで日本の宮大工。
裏には小高い山があり、ストゥーパがあり、コルラできるような散歩コースをいつくり、年寄りがうろちょろできるようにする。
学問棟の他にもちろん行をする施設も併設。(オタクな行でもなんでもこい。)
常にお坊様や大学の先生がたの講義が聴ける。
売店には高僧のプロマイドやキーホルダー、ステッカーなどがびっしりとある。ガンディーやマンデラ、オバマもいれちゃおう。
売店で販売する為の工房も併設。
CDもプロデュース。ややこしくて覚えにくいお経やマントラをのりの良いラップで繰り返し聴ける。(売店では家電量販店の音楽のようにしつこく流し続ける)
レジデンスラマを招聘するとともに日本におとづれた先生がたの宿泊施設あり。
インド、チベットの聖者の他に日本の祖師もおく。アマテラスがいてもいい。イエスがいてもいい。
いり口には朝から晩まで年寄りがたむろして歩行者を眺めている寺。
私「売店がアナーキーですね。」
じゆうな人「メーツィンカン(医学・暦学センター)も併設しましょう!お香やオイルがいつでも手に入ります。そこでは占星術の研究も兼ねます。タンカ(チベット仏画)工房も併設し、絵師が常駐し朝から晩まで好きなだけ描いている。それから鳥葬場を裏山に。。 売店の店長は譲れませんが賛同いただけないでしょうか。」
私「では、わたしは裏山の鳥葬場で奪衣婆をやります。
この座はゆずりません。」
Kさん「では、わたしはコルラ・ダイエットに励みます!」
さいごにマニマニさんから一言(例によってコメント欄にあるのをあけただけ 笑)
マニマニ | URL | 2011/01/16(日) 21:31 [EDIT]
先生、本日はあんなに素敵なお花をありがとうございます。
本当に思っても見なかった事で、大変に嬉しい驚きと感謝で一杯です!
その後も沢山のお客様にご来店いただき、中にはやはりお花やお菓子をくださる方がいて、
なんとマニマニは幸せな店か、と改めて実感いたしました。
現在の私に悔いはないです。
こんなに皆様に愛されたお店で働けた事は私の宝です。
先生のブログの場をお借りして、取り急ぎ皆様に御礼申し上げます。
ありがとうございます!!
FERR TIBET !
インフォーマントが師に
ご報告が遅くなりましたが、ミスター『入中論』は五日にインドに向けてお帰りになられました。
ミスターが帰国した晩、平岡さんにお疲れ様の電話をすると、平岡さん「ちょっとええ話しがあるんですよ」とのこと。
ミスターはアメリカとかシンガポールとか臺灣では法を説かれたことがあるが、日本は今回の来日が初めて。ミスターがインドを離れる時にはダライラマ法王の許可がいる。そこでミスターが「外国いってええですか」とお伺いをたてると、
ダライラマ法王「外国人の聴衆であっても、あなたの説法を聞けば、前世からの業と〔ミスターに会うという〕機根という福分(幸運)によって、眠っている仏性(意識の中にある人格者の成分)が目覚める者がいるはず。行ってこい」と許しがでた。
で、ミスターが日本を離れる際に二人の女性がお見送りにこられた。一人は由緒あるお家のお嬢さんAさんで、もう一人は研究者Bさん。
いずれもいろいろと悩みを抱えていたのだが、ミスターの法話と灌頂会にはすべて参加され、その結果自分の中で納得するところがあったのか、ずいぶんと症状が改善されたのだという。ミスターの灌頂会は大阪ばかりではなく、出雲から東京まで各地で行われたのにその全部に参加されたそう。
平岡さんも、「会がはじまる時に毎回見知った顔をみつけると、『ここまでこられはったのか』となんとも感慨深ったですわ」といっていたが、なんとなく分かるその気持ち。
授業でも、一番前で欠席しないでキラキラした目で話しを聞いてくれる学生がいると、講義に気合いが入るんだよね。法話会だっていくら優れた導師がいても、弟子がだめだともりあがらない。AさんBさんの熱心さのおかげでミスターの法話会ももりあがったとのこと。
このお二人はまさにダライラマがおっしゃった「あなたが行くことによって、外国人であっても仏性が覚醒するものもおるだろう」というその通りになったわけである。
で、その由緒あるお家のAさんはダライラマ法王の講演にも、ミスターの法話にもいたく感動されて、これからもチベット支援をしてくれそうな感じらしい。梵天勧請以来、チベット仏教は弟子が自発的に「法を説いてくれ」とアクションをかけないと法話ができないため、こうして篤志家がでてくるのは喜ばしい兆し。
ミスターは一月二日には高野山、三日には四天王寺を表敬訪問された。平岡さんの力もあるのだろうが、いずれも下にもおかぬおもてなしだったそうな。
平岡さんは「最近、灌頂だけ受けて、そのあと密教の修行をはじめない人は地獄におちる。昔は灌頂をしなかった、今は金儲けのためにやっているのだ」などという人がいるので、ミスターにその件を聞いてみたそうな。
すると、ミスターは、シェーラプギャムツォ(shes rab rgya mtsho)が書いたグヒヤサマージャ・タントラの究竟次第の注釈書に答えがあるという。
パンチェン・バンデンイェーシェ(パンチェンラマ三世)とロンドルラマなどがこうおっしゃっている。
「灌頂を受けて、14の誓い(根本堕罪)を破って死ぬならば、一番ひどい地獄(無間地獄)に堕ちることは明らかだ。しかし始まりのない遠い昔(無始)よりなんども地獄におちていても、それは灌頂を得た縁でなったのではない。仏陀よりもまれ(希有)なる密教(金剛乗)と、たった一回出会えたこの時に、どうして灌頂を受けないということがあるだろうか。」
簡単にいうと、
「どうせはるか昔から何度も地獄におちてるんだから、地獄に落ちるくらいでびびるな。灌頂を受けて地獄に落ちるなんてことはない。密教に出会えるチャンスがあるなら、灌頂を受けなさい」てなかんじ。
で、灌頂を受けないデメリットの方が大きいとした上で、「灌頂を受けない人が、密教を学ぶことは法を盗む泥棒とおなじである。灌頂受けずに密教を勉強するなら、勉強をすればするほど悪業をつむことになる。」
とのことです。
研究者である私に関して言えば、高僧はいわずもがな、俗人の伝記を読んでいても、無上ヨーガの法を受けたり実践したりする話が普通にでてくるので、それについて解釈するにせよ、翻訳するにせよ、できる限りチベット世界の価値観の中で理解した方が絶対その史料の作者の意図したことに近い解釈ができると思うので、チベット世界に近づくために灌頂を授かっている。
あとは、やはりチベット仏教という優れた知的遺産をバックアップしなければという使命感かな。欧米のチベット学者たちも多かれ少なかれ、自分が最初インフォーマントと思っていたラマたちを最後は師と仰ぐようになっている。
すごい昔、ディヴィッド・ジャクソン博士(ルービン美術館)が日本に滞在していた時、私以外にも何人かいた日本人の若い研究者を前にして「さあ、きみたちがチベット研究を志すことになった、その感動体験を聞きたい」といわれたことがある。
私を含めて日本の研究者はチベットの高僧との交流から、チベット文化の価値に気づくという「パウロの改心」をへていなかったので、いまいちピンとこなかったが、いまなら分かる。
チベットの知的体系って、うすっぺらな教育しか受けてない日本の大学院生が「研究対象」にして「理解」できるようなシロモノでないんだよね。
われわれは頭下げて、弟子入りをこうて、何年かかっても、その足元にも及ばないものなのだ。したがって、オノレの卑小さを理解し、同時にこの滅び行く文化を何とかささえなければあかん、という気持ちになった瞬間が、真の意味でチベット研究者になることなのだ。
というわけで、今、本土では自由に研究できないチベット史を日本で研究しつつ、英語論文を書いてます。これ終わるまで、まとまった思考ができないので、ブログの内容がオワライ中心になるかも。ユルして。
とりあえず、一席。
ミスターがアメリカに滞在されていた時、
弟子「ミスター、大変です。マイケル・ジャクソンがなくなりました!!!」
ミスター「ナムカーゲルツェン(よくあるチベット名)なんて高僧がアメリカにいたか?_」
ミスターが帰国した晩、平岡さんにお疲れ様の電話をすると、平岡さん「ちょっとええ話しがあるんですよ」とのこと。
ミスターはアメリカとかシンガポールとか臺灣では法を説かれたことがあるが、日本は今回の来日が初めて。ミスターがインドを離れる時にはダライラマ法王の許可がいる。そこでミスターが「外国いってええですか」とお伺いをたてると、
ダライラマ法王「外国人の聴衆であっても、あなたの説法を聞けば、前世からの業と〔ミスターに会うという〕機根という福分(幸運)によって、眠っている仏性(意識の中にある人格者の成分)が目覚める者がいるはず。行ってこい」と許しがでた。
で、ミスターが日本を離れる際に二人の女性がお見送りにこられた。一人は由緒あるお家のお嬢さんAさんで、もう一人は研究者Bさん。
いずれもいろいろと悩みを抱えていたのだが、ミスターの法話と灌頂会にはすべて参加され、その結果自分の中で納得するところがあったのか、ずいぶんと症状が改善されたのだという。ミスターの灌頂会は大阪ばかりではなく、出雲から東京まで各地で行われたのにその全部に参加されたそう。
平岡さんも、「会がはじまる時に毎回見知った顔をみつけると、『ここまでこられはったのか』となんとも感慨深ったですわ」といっていたが、なんとなく分かるその気持ち。
授業でも、一番前で欠席しないでキラキラした目で話しを聞いてくれる学生がいると、講義に気合いが入るんだよね。法話会だっていくら優れた導師がいても、弟子がだめだともりあがらない。AさんBさんの熱心さのおかげでミスターの法話会ももりあがったとのこと。
このお二人はまさにダライラマがおっしゃった「あなたが行くことによって、外国人であっても仏性が覚醒するものもおるだろう」というその通りになったわけである。
で、その由緒あるお家のAさんはダライラマ法王の講演にも、ミスターの法話にもいたく感動されて、これからもチベット支援をしてくれそうな感じらしい。梵天勧請以来、チベット仏教は弟子が自発的に「法を説いてくれ」とアクションをかけないと法話ができないため、こうして篤志家がでてくるのは喜ばしい兆し。
ミスターは一月二日には高野山、三日には四天王寺を表敬訪問された。平岡さんの力もあるのだろうが、いずれも下にもおかぬおもてなしだったそうな。
平岡さんは「最近、灌頂だけ受けて、そのあと密教の修行をはじめない人は地獄におちる。昔は灌頂をしなかった、今は金儲けのためにやっているのだ」などという人がいるので、ミスターにその件を聞いてみたそうな。
すると、ミスターは、シェーラプギャムツォ(shes rab rgya mtsho)が書いたグヒヤサマージャ・タントラの究竟次第の注釈書に答えがあるという。
パンチェン・バンデンイェーシェ(パンチェンラマ三世)とロンドルラマなどがこうおっしゃっている。
「灌頂を受けて、14の誓い(根本堕罪)を破って死ぬならば、一番ひどい地獄(無間地獄)に堕ちることは明らかだ。しかし始まりのない遠い昔(無始)よりなんども地獄におちていても、それは灌頂を得た縁でなったのではない。仏陀よりもまれ(希有)なる密教(金剛乗)と、たった一回出会えたこの時に、どうして灌頂を受けないということがあるだろうか。」
簡単にいうと、
「どうせはるか昔から何度も地獄におちてるんだから、地獄に落ちるくらいでびびるな。灌頂を受けて地獄に落ちるなんてことはない。密教に出会えるチャンスがあるなら、灌頂を受けなさい」てなかんじ。
で、灌頂を受けないデメリットの方が大きいとした上で、「灌頂を受けない人が、密教を学ぶことは法を盗む泥棒とおなじである。灌頂受けずに密教を勉強するなら、勉強をすればするほど悪業をつむことになる。」
とのことです。
研究者である私に関して言えば、高僧はいわずもがな、俗人の伝記を読んでいても、無上ヨーガの法を受けたり実践したりする話が普通にでてくるので、それについて解釈するにせよ、翻訳するにせよ、できる限りチベット世界の価値観の中で理解した方が絶対その史料の作者の意図したことに近い解釈ができると思うので、チベット世界に近づくために灌頂を授かっている。
あとは、やはりチベット仏教という優れた知的遺産をバックアップしなければという使命感かな。欧米のチベット学者たちも多かれ少なかれ、自分が最初インフォーマントと思っていたラマたちを最後は師と仰ぐようになっている。
すごい昔、ディヴィッド・ジャクソン博士(ルービン美術館)が日本に滞在していた時、私以外にも何人かいた日本人の若い研究者を前にして「さあ、きみたちがチベット研究を志すことになった、その感動体験を聞きたい」といわれたことがある。
私を含めて日本の研究者はチベットの高僧との交流から、チベット文化の価値に気づくという「パウロの改心」をへていなかったので、いまいちピンとこなかったが、いまなら分かる。
チベットの知的体系って、うすっぺらな教育しか受けてない日本の大学院生が「研究対象」にして「理解」できるようなシロモノでないんだよね。
われわれは頭下げて、弟子入りをこうて、何年かかっても、その足元にも及ばないものなのだ。したがって、オノレの卑小さを理解し、同時にこの滅び行く文化を何とかささえなければあかん、という気持ちになった瞬間が、真の意味でチベット研究者になることなのだ。
というわけで、今、本土では自由に研究できないチベット史を日本で研究しつつ、英語論文を書いてます。これ終わるまで、まとまった思考ができないので、ブログの内容がオワライ中心になるかも。ユルして。
とりあえず、一席。
ミスターがアメリカに滞在されていた時、
弟子「ミスター、大変です。マイケル・ジャクソンがなくなりました!!!」
ミスター「ナムカーゲルツェン(よくあるチベット名)なんて高僧がアメリカにいたか?_」
2011初ゼミ初笑
六日に新年初登校。メールボックスに大学の住所宛にきた何枚かの年賀状と、SFT(チベット学生組織)からのお年賀が届いている。開封してみるとチベット国旗がでてきて、中身は卓上カレンダーであった。とりあえず鞄にいれて、現代史研究の授業に向かう。
この日の講義内容は、1994年のルワンダ虐殺をとりあげて、修羅場における国連とか人道団体の無力・無能な側面を語るものであった。
具体的には「国連は、修羅場においては自衛のための武器しか持たないため、紛争を止められず、結果、被害者を放置せざるをえず、平和になったら今度は加害者を保護する」みたいな話しね。
私「2004年前後に、ルワンダ虐殺をテーマにした、実話に基づいて作られた2つの映画があります。『ホテル・ルワンダ』と『ルワンダの涙』です。生き残った人々の証言によって再構成されたどんぐらい内容です。新年早早見るようなものではありませんが」とカバンから『ルワンダの涙』のDVDケースを取り出したつもりだが、Sくんが笑っている。
よく手元をみると「チベット国旗」じゃん。
間違えてSFTの卓上カレンダーをもってました(笑)。
後に、SFTのうらるんたさんに「カレンダーありがとう。SFTもしゃれたことするじゃない」というと「私はその製作にかかわっていないのですが、売れなくて赤字だそうです」というので、ここで宣伝します。
この卓上カレンダー、チョカンの五体投地、サムエ空撮、マニ車、再建サムエ寺の壁画にこっそり描かれたダライラマ14世そっくりの文殊像とか、お好きな方にはたまらないラインナップとなっております。
日付が小さくてよみづらいですが、アイドルカレンダーと同じで写真を飾ることをメインと思えばこれでいいのはないでしょうか。ここで買えるので、ツイッターとかでどんどんリツイートしていただけると嬉しいです。
て、書いたら翌日曜日には完売。リツイートしてくださったみなさま、お買い上げくださったみなさま、ありがとうございました。そして幸あらんことを。いや、すごいですね、ツイッターとブログの威力って。
で、その日、少年Hくんが冬休みを利用して家康の居城めぐりの旅をしていたとかで、お土産をもってきてくれる。それは岡崎でかった葵の御紋クリアファイルに、葵の御紋さくらんぼ飴である。このクリアファイルの表は徳川家康が三方原の戦いにまけて、目をむいた家康像である。


少年Hくんとは長いつきあいなので、わたしの好みをよくわかっている。ええ子や。
で、翌七日は初ゼミ。ゼミ教室の前になぜか院生のMがいる。
院生M「せんせーい。これから授業なんで急いでいるんですが、これ田舎のお土産です。それとこれ年賀状。」と銘菓ぴよ子とお茶と、これをわたしてくれた。

そう、この写真は円明園の噴水口の兎とネズミである。
2009年、イブ・サンローランの遺品がサザビーズの競売で売りに出された。その時この遺品の中にこの兎と鼠がいるのをみて、愛国中国美術コレクターたちは、「西洋帝国主義が中国から奪ったものだ。返せ」と運動をはじめた。
したら、イブ・サンローランのビジネスパートナーでこの競売をしきっていたピエール・ベルジェ氏は「中国が人権を守ると約束し、ダライラマが自由なチベットに帰ることを許すなら、私もこれを円明園まで返しに行きますよ」という、世にも男前な発言をしたので、中国人、ムキーと怒った。でオチは、これを落札したのが中国人コレクターで、「金は払わん」といったので、この噴水口はいまもピエール氏のもとにある。
私はこの事件がおきた時、愛国中国人はこの美術品を「中国のもの」というが、円明園って満洲皇帝のお庭なんだから、満洲皇族アイシン・ギョロ家のもちもんじゃないの?とコメントした。詳しくはこのエントリーをみてね。
で、この年賀状の中央をみて。
まん中の新年の言祝ぎ「ice aniya urgun ungikini」(新年の慶びを届けます)が満洲語で書かれている。さすがにつきあいが長いので、院生Mは何をすれば私にうけるかのツボをしっている。しかし、兎はまだしもネズミは2011年と何の関係があるの。
四年ゼミでは、臺灣映画の悲情城市をみる。教室のAV設備が貧困なので、設定に三十分かかり、二時間半以上の大作を一時間でみるはめになる。
この映画は1945年の日本の敗戦をつげる八月十五日の玉音放送から始まる。この日まで臺灣は日本の植民地として日本語と臺灣語が普通に使われる社会であったが、日本の撤退とともに、大陸から粗野で教育のない国民党の兵士たちが流れ込んできて、もとから臺灣にいた本省人たちはえらい目にあう。これは本省人の外省人に対するふるぼっこ228蜂起へとつながり、本省人は返り討ちにあい虐殺された。
国民党支配下の臺灣にあってこの事件は長く国民等恥部の歴史として語ることが許されなかったが、臺灣で民主化がすすんだ1989年よりやっと自由に口にできる空気が生まれた。それで作られたのが、この本省人のための映画、悲情城市である。なにげに「大陸からきた乱暴者たちより、日本の支配の方がまだましだった」というメッセージがもりこまれるため、例によって日本の知識人・マスコミにほとんどスルーされた。
しかし、二時間半以上の大作を中抜きで一時間でみたので、何がどーなっているのかさっぱりわからん。仕方ないので、唯一この映画をみている院生のMを呼び出して解説してもらう。
教室にはいってくるなり「この映画くそつまらなかったでしょう(*注中国映画の名作として知られております)。見所は途中の葬式と臺灣の田舎町の風景ですよ。台北にはこの228事件の犠牲者をいたむ228公園があるのですが、今はゲイの出会いの場となっています」といってみんなを脱力させる。
じつは臺灣旅行は去年行くはずだったのだが、申し込みが遅すぎて安いツアーは一杯になっていて、急遽北京にかえた(北京ツアーは安いのがいっぱい余っていた 笑)。しかし、三月の北京はひたすら寒く観光は苦行に近かった。なので、今年は南国台湾でラリホーできるはずである。
今年は辛亥革命百年。
この日の講義内容は、1994年のルワンダ虐殺をとりあげて、修羅場における国連とか人道団体の無力・無能な側面を語るものであった。
具体的には「国連は、修羅場においては自衛のための武器しか持たないため、紛争を止められず、結果、被害者を放置せざるをえず、平和になったら今度は加害者を保護する」みたいな話しね。
私「2004年前後に、ルワンダ虐殺をテーマにした、実話に基づいて作られた2つの映画があります。『ホテル・ルワンダ』と『ルワンダの涙』です。生き残った人々の証言によって再構成されたどんぐらい内容です。新年早早見るようなものではありませんが」とカバンから『ルワンダの涙』のDVDケースを取り出したつもりだが、Sくんが笑っている。
よく手元をみると「チベット国旗」じゃん。
間違えてSFTの卓上カレンダーをもってました(笑)。
後に、SFTのうらるんたさんに「カレンダーありがとう。SFTもしゃれたことするじゃない」というと「私はその製作にかかわっていないのですが、売れなくて赤字だそうです」というので、ここで宣伝します。
この卓上カレンダー、チョカンの五体投地、サムエ空撮、マニ車、再建サムエ寺の壁画にこっそり描かれたダライラマ14世そっくりの文殊像とか、お好きな方にはたまらないラインナップとなっております。
日付が小さくてよみづらいですが、アイドルカレンダーと同じで写真を飾ることをメインと思えばこれでいいのはないでしょうか。ここで買えるので、ツイッターとかでどんどんリツイートしていただけると嬉しいです。
て、書いたら翌日曜日には完売。リツイートしてくださったみなさま、お買い上げくださったみなさま、ありがとうございました。そして幸あらんことを。いや、すごいですね、ツイッターとブログの威力って。
で、その日、少年Hくんが冬休みを利用して家康の居城めぐりの旅をしていたとかで、お土産をもってきてくれる。それは岡崎でかった葵の御紋クリアファイルに、葵の御紋さくらんぼ飴である。このクリアファイルの表は徳川家康が三方原の戦いにまけて、目をむいた家康像である。


少年Hくんとは長いつきあいなので、わたしの好みをよくわかっている。ええ子や。
で、翌七日は初ゼミ。ゼミ教室の前になぜか院生のMがいる。
院生M「せんせーい。これから授業なんで急いでいるんですが、これ田舎のお土産です。それとこれ年賀状。」と銘菓ぴよ子とお茶と、これをわたしてくれた。

そう、この写真は円明園の噴水口の兎とネズミである。
2009年、イブ・サンローランの遺品がサザビーズの競売で売りに出された。その時この遺品の中にこの兎と鼠がいるのをみて、愛国中国美術コレクターたちは、「西洋帝国主義が中国から奪ったものだ。返せ」と運動をはじめた。
したら、イブ・サンローランのビジネスパートナーでこの競売をしきっていたピエール・ベルジェ氏は「中国が人権を守ると約束し、ダライラマが自由なチベットに帰ることを許すなら、私もこれを円明園まで返しに行きますよ」という、世にも男前な発言をしたので、中国人、ムキーと怒った。でオチは、これを落札したのが中国人コレクターで、「金は払わん」といったので、この噴水口はいまもピエール氏のもとにある。
私はこの事件がおきた時、愛国中国人はこの美術品を「中国のもの」というが、円明園って満洲皇帝のお庭なんだから、満洲皇族アイシン・ギョロ家のもちもんじゃないの?とコメントした。詳しくはこのエントリーをみてね。
で、この年賀状の中央をみて。
まん中の新年の言祝ぎ「ice aniya urgun ungikini」(新年の慶びを届けます)が満洲語で書かれている。さすがにつきあいが長いので、院生Mは何をすれば私にうけるかのツボをしっている。しかし、兎はまだしもネズミは2011年と何の関係があるの。
四年ゼミでは、臺灣映画の悲情城市をみる。教室のAV設備が貧困なので、設定に三十分かかり、二時間半以上の大作を一時間でみるはめになる。
この映画は1945年の日本の敗戦をつげる八月十五日の玉音放送から始まる。この日まで臺灣は日本の植民地として日本語と臺灣語が普通に使われる社会であったが、日本の撤退とともに、大陸から粗野で教育のない国民党の兵士たちが流れ込んできて、もとから臺灣にいた本省人たちはえらい目にあう。これは本省人の外省人に対するふるぼっこ228蜂起へとつながり、本省人は返り討ちにあい虐殺された。
国民党支配下の臺灣にあってこの事件は長く国民等恥部の歴史として語ることが許されなかったが、臺灣で民主化がすすんだ1989年よりやっと自由に口にできる空気が生まれた。それで作られたのが、この本省人のための映画、悲情城市である。なにげに「大陸からきた乱暴者たちより、日本の支配の方がまだましだった」というメッセージがもりこまれるため、例によって日本の知識人・マスコミにほとんどスルーされた。
しかし、二時間半以上の大作を中抜きで一時間でみたので、何がどーなっているのかさっぱりわからん。仕方ないので、唯一この映画をみている院生のMを呼び出して解説してもらう。
教室にはいってくるなり「この映画くそつまらなかったでしょう(*注中国映画の名作として知られております)。見所は途中の葬式と臺灣の田舎町の風景ですよ。台北にはこの228事件の犠牲者をいたむ228公園があるのですが、今はゲイの出会いの場となっています」といってみんなを脱力させる。
じつは臺灣旅行は去年行くはずだったのだが、申し込みが遅すぎて安いツアーは一杯になっていて、急遽北京にかえた(北京ツアーは安いのがいっぱい余っていた 笑)。しかし、三月の北京はひたすら寒く観光は苦行に近かった。なので、今年は南国台湾でラリホーできるはずである。
今年は辛亥革命百年。
明けましておめでとう!
みなさんに今年もよいことがたくさんありますように!
お知らせ(1)
今年は七月九日から十五日にかけて、ワシントンでダライラマ法王のカーラチャクラの灌頂が行われます。
2006年のアマラーヴァティ以来四年ぶりです。参加される方は拙訳『ダライラマの密教入門』(仏教入門でなくて、密教です 要注意)がこの灌頂のテクストです。でもね、これいま絶版で古本が高騰しているのよ。ごめんなさい。
主宰者の公式サイトはここ→http://www.kalachakra2011.com/です。
法王事務所でツアーを組むみたいなので、興味ある方はお問い合わせをどうぞ。100名限定だそうなので、定員超えると自力で行くことになります(笑)。
自分法王のカーラチャクラはその昔、北インドのタボでうけました。キャンプみたいで疲れたけどたのしかったです。
お知らせ(2)
自由が丘のチベット・ショップのマニマニの閉店セールは最終日の16日まで続きます。
福袋とか「もってけドロボ-」状態になっていますので、近くの巨大阿弥陀仏の寺浄真寺の初詣もかねて、マニマニにいきましょう。
では、今年もよろしく!
このうさぎちゃんは近所のお年賀でもらった石けんです。

次は我が家のプリティたちがリアル人形でご挨拶(本体は正月休暇中 笑)。

お知らせ(1)
今年は七月九日から十五日にかけて、ワシントンでダライラマ法王のカーラチャクラの灌頂が行われます。
2006年のアマラーヴァティ以来四年ぶりです。参加される方は拙訳『ダライラマの密教入門』(仏教入門でなくて、密教です 要注意)がこの灌頂のテクストです。でもね、これいま絶版で古本が高騰しているのよ。ごめんなさい。
主宰者の公式サイトはここ→http://www.kalachakra2011.com/です。
法王事務所でツアーを組むみたいなので、興味ある方はお問い合わせをどうぞ。100名限定だそうなので、定員超えると自力で行くことになります(笑)。
自分法王のカーラチャクラはその昔、北インドのタボでうけました。キャンプみたいで疲れたけどたのしかったです。
お知らせ(2)
自由が丘のチベット・ショップのマニマニの閉店セールは最終日の16日まで続きます。
福袋とか「もってけドロボ-」状態になっていますので、近くの巨大阿弥陀仏の寺浄真寺の初詣もかねて、マニマニにいきましょう。
では、今年もよろしく!
このうさぎちゃんは近所のお年賀でもらった石けんです。

次は我が家のプリティたちがリアル人形でご挨拶(本体は正月休暇中 笑)。

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