日本男子よ、大志を抱け
27日は『家庭画報』の発売日。
新春特大号にあわせてダライラマ法王インタビューが掲載される。私はこの雑誌じつは一度もてにとったことがない。なぜなら、『家庭~』という言葉から、良妻賢母を読者としたような、子供の弁当のレシピとか、家庭内の掃除の仕方のノウハウとか教える雑誌かと思っていたからである。
今回はじめて買ってみてぺらっとめくってみたら、航空機の機内誌のように豪華。で、フクロウのデザインの腕時計が目にとまったので、あらこれかわいいわね、おいくらかしら、と値段を見て目を疑う。
2551万5000円。
うわこりゃすごいわ。で、全ページマッダームのマダムによるマダムのための雑誌。
しかし、このような雑誌を手にする裕福な階級こそ、一番ダライ・ラマ法王のおっしゃることをよく理解できる人たちかもしれない。
貧しい人はお金持ちになれば幸せになれると思っているが、お金持ちはそれだけでは幸せになれないことを知っているからだ。お金持ちこそ、人間の価値とか、あり方とかそういう実はもっとも人間の基礎となるべき部分に目を向けるヨユウがある。
ダライ・ラマ法王は高級紙『ヴォーグ』のクリスマス特集号の編集長をつとめたこともあるんだから。
しかし、ホームレス問題を扱いホームレスがうる『ビッグ・イシュー』からオハイソなマダムが読む『家庭画報』まで、法王様の日本での雑誌のお仕事はじつによくバランスがとれている(笑)。
で、28日は年内最後の勉強会だった。
午後一時から五時半までひたすら18世紀の文献を読み、そのあと納会にいく。
例によって院生Mがボクが新大久保の良い店しっているのでいきましょうよというので、彼の案内で新大久保に行く。
じつは自分は東京生まれの東京育ちだが、新大久保にいくのはこれがはじめて。だって、この町って●×が多くて柄が悪いって評判だったから。
しかし、タクシーが新大久保の駅に近づくにつれ、なんか通りに面した店がつくりも色彩もカンバンも韓国か中国のようになってきて、歩道に流れているアナウンスも韓国語である。
雨後の竹の子のように寒流ショップが立ち並んでいることは聞いていたが、それどころじゃねえ。日本じゃねえ。居酒屋からカフェから食堂、そのオーナー、使用人にいたるまで、韓国人、あるいは、中国人である。
院生Mによると、駅の向こうにはリトル・インドもあり、その向こうにはリトル・ビルマもあるそうな。なんじゃそりゃ。
で、彼につれこまれた店は延辺料理(中国国内にある朝鮮族自治区の名称)の店。中国からきた朝鮮人が経営してるらしい。店は地階と二階に分かれていて(一階がテナント料高いので中抜けしている 笑)、メニューの内容と装丁はまったく中国。店員は金さんとナントカさんでもろ朝鮮系中国人。並ぶ華僑向けの漢字新聞。
私「別にいんだけど、このメンツでこんな店に入ると、日本ではなく中国にいるような気になって、まったく気分がくつろがないんだけど。」
院生M「でも先生、ここのカラオケ繁体字だし、この華僑向け新聞は法輪功の弾圧の記事とかのせてますから、店主は中国に批判的ですよ」と機嫌をとる。
するとKくんが「ボクの知り合いには中国の朝鮮族の人がいますが、彼らは中国にまったく批判的でないですよ。彼らは教育程度も高いし、高いポストについていたり、経済的に成功したりしていて、中国人とやっていく方がいいと思っている。」といい、さらに、店内のカラオケが 王力宏の「龍的伝人」を流し出した。これは海外に出た華僑が中国人の誇りをもつために歌う曲で、龍は中国で、その血をひく中国人である、という内容。
私の眉間のしわがマックスになったところで
院生M「センセー、コラーゲンとりましょうよー。スッポン鍋とかいかがですかー。あ、ニンニクの塊とかかじりませんかー」
私「いらんわ!!」
店内に入ってくる客はみな中国人。大きな声でケータイを話し、タバコをすい、中国の食堂そのままである。やけくそになってヒツジの串焼きを食べまくる。そもそもこれ新疆料理で朝鮮人関係ないわ。
で、そのあと院生Mが「じゃあぼくが新大久保、プチツアーにご案内いたしまーす。ここが中華の食材をうるスーパーでーす」からはじまり、
ビルマ人とバングラディシュ人とかの経営する店とかに案内され、さらに
院生M「ここは南インドの食材をうるお店でーす。冷やかしで入ると怒られるんですよね。」
みると、殺伐とした店内には背の高い彫りの深いあごひげを正統派ユダヤ教徒のようにはやしたむくつけき男たちが何人も立ち話をしている。
院生M「ほら、アルカイダみたいな人たちがなんかの相談してますね」
私「笑えん!」
で、院生M「ここはモスクでーす。雑居ビルの四階で畳なのにモスクですよ。カンバンはこんな立派なんですが。ブラタモリでも紹介されたんですよ」
みるとこの雑居ビル、ウリ美容室とか南国エステとか入ってて、もう九龍城(古っ)かと思うような世界である。
それから新大久保の駅前の店でK-POPの店をいくつかひやかす。店内ではポスターや向こうのテレビ番組をやいたDVDが一枚三百円くらいでやまほど売られている。これ絶対向こうのテレビ局には黙ってやっているよな。
それから新大久保から新宿の職安通りにぬける、院生Mいうところの「寒流オバハンの巡礼路」をいく。この通りはとにかくこゆい。どの店もどっからみても作りもなかみも韓国(or中国)。
昼間だとこの細い路地を寒流オバハンが大挙して移動するのだそうな。
そう、この町の繁栄を支えているのは移民ではなく、寒流ファンの日本の女性たちなのである。だって寒流がブームになる前はこの町、●×ホテル街しかなかったもん。
じゃあなぜ日本の女性が老いも若きも韓国に走るかといえば、何を考えているかもはっきりせず、決断力がなく、感情表現が苦手で、恥ずかしがり屋で甘えん坊で、年々バイタリティの低下していく日本人男性に対し、韓国人芸能人はそのマコトのほどはともかくとして「愛している」とはっきり言い、ずいずいとこうして新大久保まででてきて、とにもかくにも金をかせごうとしているバイタリティがあるからである。
新大久保にいくとあえる韓国人グループKINO(AKBみたいなの)はこういっていた、
「みなさんはファンじゃありません、ボクの恋人です」
ババアを相手にこんなこと言うヤツがおかしい、とばかにするのは簡単である。しかし、これを芸能人としての職業意識の現れとみた場合にはアッパレといえまいか。
悪口は言った方がまけ。学ぶこと、みならうことがあれば、それをすいとった方が建設的である。
言うまでもないが、日本人男性は十分ステキである。
猊下も『家庭画報』のインタビューの中でこういっている。「私は日本人を尊敬している。灰の中から国土を再建し、原爆を二発も落としたアメリカを恨むこともしない。アジアでもアメリカに敵意をもたない希有な国である」みたいな旨のことをおっしゃっている。
さらに「日本の若者は英語を勉強をして世界にでて、平和のために貢献してください。自分の中にひきこもって自殺をしないで、その精神を外国でいかしなさい」とも。
もう一度いう。日本の男性は十分ステキである。
そのやさしさ、バランス感覚、頭のよさ、人を責めずに自分を責める謙虚さは、いろいろな形で世界に良い影響を与えることができるはず。ひきこもってばかりいてはもったいない。
彼らのバイタリティは素直に評価して、でも彼らに欠けているものに気づけば、なすべきことがわかるはず。
新春特大号にあわせてダライラマ法王インタビューが掲載される。私はこの雑誌じつは一度もてにとったことがない。なぜなら、『家庭~』という言葉から、良妻賢母を読者としたような、子供の弁当のレシピとか、家庭内の掃除の仕方のノウハウとか教える雑誌かと思っていたからである。
今回はじめて買ってみてぺらっとめくってみたら、航空機の機内誌のように豪華。で、フクロウのデザインの腕時計が目にとまったので、あらこれかわいいわね、おいくらかしら、と値段を見て目を疑う。
2551万5000円。
うわこりゃすごいわ。で、全ページマッダームのマダムによるマダムのための雑誌。
しかし、このような雑誌を手にする裕福な階級こそ、一番ダライ・ラマ法王のおっしゃることをよく理解できる人たちかもしれない。
貧しい人はお金持ちになれば幸せになれると思っているが、お金持ちはそれだけでは幸せになれないことを知っているからだ。お金持ちこそ、人間の価値とか、あり方とかそういう実はもっとも人間の基礎となるべき部分に目を向けるヨユウがある。
ダライ・ラマ法王は高級紙『ヴォーグ』のクリスマス特集号の編集長をつとめたこともあるんだから。
しかし、ホームレス問題を扱いホームレスがうる『ビッグ・イシュー』からオハイソなマダムが読む『家庭画報』まで、法王様の日本での雑誌のお仕事はじつによくバランスがとれている(笑)。
で、28日は年内最後の勉強会だった。
午後一時から五時半までひたすら18世紀の文献を読み、そのあと納会にいく。
例によって院生Mがボクが新大久保の良い店しっているのでいきましょうよというので、彼の案内で新大久保に行く。
じつは自分は東京生まれの東京育ちだが、新大久保にいくのはこれがはじめて。だって、この町って●×が多くて柄が悪いって評判だったから。
しかし、タクシーが新大久保の駅に近づくにつれ、なんか通りに面した店がつくりも色彩もカンバンも韓国か中国のようになってきて、歩道に流れているアナウンスも韓国語である。
雨後の竹の子のように寒流ショップが立ち並んでいることは聞いていたが、それどころじゃねえ。日本じゃねえ。居酒屋からカフェから食堂、そのオーナー、使用人にいたるまで、韓国人、あるいは、中国人である。
院生Mによると、駅の向こうにはリトル・インドもあり、その向こうにはリトル・ビルマもあるそうな。なんじゃそりゃ。
で、彼につれこまれた店は延辺料理(中国国内にある朝鮮族自治区の名称)の店。中国からきた朝鮮人が経営してるらしい。店は地階と二階に分かれていて(一階がテナント料高いので中抜けしている 笑)、メニューの内容と装丁はまったく中国。店員は金さんとナントカさんでもろ朝鮮系中国人。並ぶ華僑向けの漢字新聞。
私「別にいんだけど、このメンツでこんな店に入ると、日本ではなく中国にいるような気になって、まったく気分がくつろがないんだけど。」
院生M「でも先生、ここのカラオケ繁体字だし、この華僑向け新聞は法輪功の弾圧の記事とかのせてますから、店主は中国に批判的ですよ」と機嫌をとる。
するとKくんが「ボクの知り合いには中国の朝鮮族の人がいますが、彼らは中国にまったく批判的でないですよ。彼らは教育程度も高いし、高いポストについていたり、経済的に成功したりしていて、中国人とやっていく方がいいと思っている。」といい、さらに、店内のカラオケが 王力宏の「龍的伝人」を流し出した。これは海外に出た華僑が中国人の誇りをもつために歌う曲で、龍は中国で、その血をひく中国人である、という内容。
私の眉間のしわがマックスになったところで
院生M「センセー、コラーゲンとりましょうよー。スッポン鍋とかいかがですかー。あ、ニンニクの塊とかかじりませんかー」
私「いらんわ!!」
店内に入ってくる客はみな中国人。大きな声でケータイを話し、タバコをすい、中国の食堂そのままである。やけくそになってヒツジの串焼きを食べまくる。そもそもこれ新疆料理で朝鮮人関係ないわ。
で、そのあと院生Mが「じゃあぼくが新大久保、プチツアーにご案内いたしまーす。ここが中華の食材をうるスーパーでーす」からはじまり、
ビルマ人とバングラディシュ人とかの経営する店とかに案内され、さらに
院生M「ここは南インドの食材をうるお店でーす。冷やかしで入ると怒られるんですよね。」
みると、殺伐とした店内には背の高い彫りの深いあごひげを正統派ユダヤ教徒のようにはやしたむくつけき男たちが何人も立ち話をしている。
院生M「ほら、アルカイダみたいな人たちがなんかの相談してますね」
私「笑えん!」
で、院生M「ここはモスクでーす。雑居ビルの四階で畳なのにモスクですよ。カンバンはこんな立派なんですが。ブラタモリでも紹介されたんですよ」
みるとこの雑居ビル、ウリ美容室とか南国エステとか入ってて、もう九龍城(古っ)かと思うような世界である。
それから新大久保の駅前の店でK-POPの店をいくつかひやかす。店内ではポスターや向こうのテレビ番組をやいたDVDが一枚三百円くらいでやまほど売られている。これ絶対向こうのテレビ局には黙ってやっているよな。
それから新大久保から新宿の職安通りにぬける、院生Mいうところの「寒流オバハンの巡礼路」をいく。この通りはとにかくこゆい。どの店もどっからみても作りもなかみも韓国(or中国)。
昼間だとこの細い路地を寒流オバハンが大挙して移動するのだそうな。
そう、この町の繁栄を支えているのは移民ではなく、寒流ファンの日本の女性たちなのである。だって寒流がブームになる前はこの町、●×ホテル街しかなかったもん。
じゃあなぜ日本の女性が老いも若きも韓国に走るかといえば、何を考えているかもはっきりせず、決断力がなく、感情表現が苦手で、恥ずかしがり屋で甘えん坊で、年々バイタリティの低下していく日本人男性に対し、韓国人芸能人はそのマコトのほどはともかくとして「愛している」とはっきり言い、ずいずいとこうして新大久保まででてきて、とにもかくにも金をかせごうとしているバイタリティがあるからである。
新大久保にいくとあえる韓国人グループKINO(AKBみたいなの)はこういっていた、
「みなさんはファンじゃありません、ボクの恋人です」
ババアを相手にこんなこと言うヤツがおかしい、とばかにするのは簡単である。しかし、これを芸能人としての職業意識の現れとみた場合にはアッパレといえまいか。
悪口は言った方がまけ。学ぶこと、みならうことがあれば、それをすいとった方が建設的である。
言うまでもないが、日本人男性は十分ステキである。
猊下も『家庭画報』のインタビューの中でこういっている。「私は日本人を尊敬している。灰の中から国土を再建し、原爆を二発も落としたアメリカを恨むこともしない。アジアでもアメリカに敵意をもたない希有な国である」みたいな旨のことをおっしゃっている。
さらに「日本の若者は英語を勉強をして世界にでて、平和のために貢献してください。自分の中にひきこもって自殺をしないで、その精神を外国でいかしなさい」とも。
もう一度いう。日本の男性は十分ステキである。
そのやさしさ、バランス感覚、頭のよさ、人を責めずに自分を責める謙虚さは、いろいろな形で世界に良い影響を与えることができるはず。ひきこもってばかりいてはもったいない。
彼らのバイタリティは素直に評価して、でも彼らに欠けているものに気づけば、なすべきことがわかるはず。
ミスターの無量寿灌頂
22日は新宿常圓寺様においてミスター『入中論』による密教入門の講義が、翌日はミスターを導師に迎えた阿弥陀仏(無量寿仏)の灌頂が行われた。
ミスターはゲルク派の教学・実践のトップがつとめるギュメの101代目僧院長。短命家系のサラブレットである私は目の色変えて「長寿灌頂」授与に走ったことは言うまでもない。
初日は顕教にはない密教の特質についてお話があり、密教の修業は金剛阿闍梨についてやらねばならないので、まず日本ではむりというお話がある。密教はトレーナーが選手を鍛え上げていく関係にもにて、阿闍梨が一人一人の心と体の状態をチェックしながら行うものなので、日本ではそもそも本格的な実践を行うことはムリだし、またその必要はない。
心の病を解決するために密教を志したいという人もいるかもしれないが、それは違う。密教の修業とはすでに自分が理解した人としての理想的なあり方を、自分の上に実現していくテクニックなのであり、ヒーリングではないのだ。
だからといって「自分の心の病に対して何も力がないなら、密教なんて仏教なんて役立たず」と思うのはとても寂しいこと。
チベット人は密教修業までいっていない、普通の一般人でも、敬虔な仏教徒ほど心は安定している。チベット難民でももっとも地獄をみた第一世代に心の病が少ないことが、仏教の力をよく物語っている。
魔法の一言、魔法の一撫でで、状況が一変するようなことはないけど、まずできる前行からはじめたら、今の状況を変えていく一歩にはなる。実際自分も本当に毎年ちょっとずつ何かが変わっていくみたいなカンジでやってきて、十年前と比べるとずいぶん変わっていることに気づくみたいなカンジだし。
23日の灌頂について、本体儀式の解説はヒ・ミ・ツなので、前行の部分のミスターの説法を以下に公開。
お釈迦様は法を盲信するのではなく、論理によって分析して納得しなさいといった。こういう宗教は他にないのではないか。
今、みなが唱えた般若心経は大乗仏教の心髄だ。この般若心経が日本に伝わっており、みなが唱える習慣があるだけでもすばらしい。しかし、その内容を理解するともっとよいだろう。
今からあなた方は長寿の灌頂を授かる。その動機がただ「自分が長生きしたいから、健康になりたいから」というのではいけない。ろくでもない人生が長くても仕方ない。灌頂を受けるための動機とは「仏法を学び実践するために、長寿と健康を得よう」と思う事である。
悪いことばかりする人が長い人生を生きると、悪いことをたくさんしてしまうのでよくない。ネパールに動物をたくさん殺す人がいて、その人が短命であるように祈ったという話しがあるが、それはその罪深い人が長く生きれば生きるほど悪行を積んでしまうからである。悪いことする人が長寿と健康を得ても仕方ない。だから正しい法を求めるために長寿を得ようという動機をもってこの灌頂を受けねばならない。
そして、金剛阿闍梨(密教の先生)に「灌頂を授けて下さい」とマンダラを捧げてお願いするのだ。
マンダラを奉献する際には自分の財産、善行、などすべてのよいもの、それから自分のものでなくとも、たとえば昨日東京の夜景がとても美しいと感動したが、その感動でもいい、自分のもっているもっともよいものをマンダラの形に観想して阿闍梨に捧げるのだ。
そして、輪廻の中で動物や地獄に生まれず、人の体(人身)を得たことを感謝する。
そして、仏法にこうして出会えた事を感謝する。
そして、阿闍梨にであえたことに感謝する。
さらに、仏法の理解力がるあことを感謝する。
我々の生きるこの贍部州(世界)はいつ死が訪れるかわからない世界。だから、仏法の実践をはじめることを「明日」にまわしてはいけない。
こんな話しがある。ある人がお金を借り「明日返す」といった。しかし次の日になっても返さないので催促すると「明日返す」という。しかし、いつになっても返さないので、とうとう役所に訴えると、その法廷の席でまたこの男「明日返す」といったので、差し戻しになったとな。「明日~する」というのは結局やらないことと同じ。
仏法の実践は「明日」にまわしてはいけない。今すぐにやらねばならない。
命あるものは死ねば善趣(天・人・阿修羅)か悪趣(地獄・餓鬼・畜生)に生まれ変わるが、輪廻の中にいる限り生は苦しい。だからこの輪廻から脱出(解脱)したくなるが、すべての命あるものは無限回の輪廻転生の中で、母であったことがある。お母さんをほったらかして輪廻からでるわけにいかない。
人は自分の好きな人、嫌いな人をわけて偏った感情を持つが、そんなことは意味はない。
こんな話しがある。
ある女が赤子を抱いて、家の裏手にある池からつった魚を食べていた。そして、近づいてくる犬を石を持って追っていた。それをみていたラマが
「ああ、あさましいことよ。あの女が食べている魚は前世の彼女の父だ。彼女が追い払っている犬は彼女の前世の母だ。そして、彼女が慈しんでいる赤子は前世に彼女を殺した男だ」
とかくも輪廻はお笑いぐさなのである。だから、一切の命あるものをかつての自分の母として慈しまねばならない。しかし、一切の命あるものを慈しむにはこの自分さえちゃんとできない凡夫の身ではどうにもらない、そこで一切の命あるものを救うことのできる仏になろうと決心するのだ(発心)。
菩薩戒をとる時は、左膝をついて合掌して、とても美しい姿勢になる。この時の阿闍梨のお言葉。
懺悔は三人で間違って毒のあるものを食べていて、一人が死に、一人が死にかけていて、三人目が自分だったら、何をおいてもその毒をはきだそうとするだろう。その勢いで今まで犯した罪をはき出して二度と食べないと誓う。
そして随喜とは、人のした良いことをほめること。
自分より偉い人をほめるのは簡単だろうが、自分と同等、もしくは目下をほめる功徳はさらに大きい。これは嫉妬と慢心を押さえてくれる。多くのマチガイは嫉妬と慢心から起きるので、これを押さえるのはいいことだ。
菩薩戒をはじめて受けた人、すでに受けたけどほってあった人、毎日まもっていた人、それぞれに功徳がある。
そして、灌頂がさずけられ、最後に今行ったこの善行を他人にまわす回向の儀式が行われる。
この時、自分のつんだ前行を以下のように他の人々にまわしなさい。
(1) 仏法が存続しますように
(2) ダライ・ラマをはじめとする高僧たちが元気でいますように
(3) 戦争などで苦しんでいる人が苦しまなくて住むようになりますように
(4) 命あるものが仏の位をえるように
人格を変える力をもつのは仏法だけである。権力や金の力では人格を変えることはできない。かくも仏教は素晴らしいけど、他宗教を非難するのはいかん。なぜならその宗教で救われ・善行をしている人がいるからである。みな日本の仏教の存続のためにがんばりなさい(チベット仏教を護れといわないところがすごい)。
なんかジョン・レノンのハッピークリスマス~あなたがのぞめば戦争は終わる~が流れてきたラストであった(この曲はここでどうぞhttp://www.youtube.com/watch?v=s8jw-ifqwkM)。
このあと、元ゼミ生四人が来ていたので、灌頂の解説をすべくカフェにはいる。千年かわらぬ仏教儀礼が彼らにちゃんと理解できたかはわからんが、何らかの形では心の片隅にのこるだろう。話しが終わる頃に日が完全に沈み、カフェからみる外の景色はクリスマス・イルミ一色になった。
それを見ているうちに、どんなに長い時がながれてもこの瞬間を思い出すのじゃないかな、と思える不思議な気持ちになった。あるいはずっと前にもこれと似たことがあったのではないか、みたいなかんじ。
そこで、こういった。
私「これで我々も金剛兄弟だ。戒によると、金剛阿闍梨の悪口と金剛兄弟の悪口は禁止されている。従ってこれから、先生の悪口は言わないように」
学生たち「じゃあ先生もぼくたちとのことを悪く言わないで下さいね」
私「くっ・・・」
金剛兄弟の道は険しい。
※ 灌頂の最後に突然のご指名で話しをさせられることになり、東京で無上ヨーガが行われるのは始めてと申しましたが、ポタラカレッジでナムゲル僧院などの阿闍梨様がお見えになって灌頂を行われていたとのこと。ここに訂正します。
※この他阿闍梨様の冗談はこのサイトのトップ、その日の院生Mのオワライ発言はツイッターで公開しています。
ミスターはゲルク派の教学・実践のトップがつとめるギュメの101代目僧院長。短命家系のサラブレットである私は目の色変えて「長寿灌頂」授与に走ったことは言うまでもない。
初日は顕教にはない密教の特質についてお話があり、密教の修業は金剛阿闍梨についてやらねばならないので、まず日本ではむりというお話がある。密教はトレーナーが選手を鍛え上げていく関係にもにて、阿闍梨が一人一人の心と体の状態をチェックしながら行うものなので、日本ではそもそも本格的な実践を行うことはムリだし、またその必要はない。
心の病を解決するために密教を志したいという人もいるかもしれないが、それは違う。密教の修業とはすでに自分が理解した人としての理想的なあり方を、自分の上に実現していくテクニックなのであり、ヒーリングではないのだ。
だからといって「自分の心の病に対して何も力がないなら、密教なんて仏教なんて役立たず」と思うのはとても寂しいこと。
チベット人は密教修業までいっていない、普通の一般人でも、敬虔な仏教徒ほど心は安定している。チベット難民でももっとも地獄をみた第一世代に心の病が少ないことが、仏教の力をよく物語っている。
魔法の一言、魔法の一撫でで、状況が一変するようなことはないけど、まずできる前行からはじめたら、今の状況を変えていく一歩にはなる。実際自分も本当に毎年ちょっとずつ何かが変わっていくみたいなカンジでやってきて、十年前と比べるとずいぶん変わっていることに気づくみたいなカンジだし。
23日の灌頂について、本体儀式の解説はヒ・ミ・ツなので、前行の部分のミスターの説法を以下に公開。
お釈迦様は法を盲信するのではなく、論理によって分析して納得しなさいといった。こういう宗教は他にないのではないか。
今、みなが唱えた般若心経は大乗仏教の心髄だ。この般若心経が日本に伝わっており、みなが唱える習慣があるだけでもすばらしい。しかし、その内容を理解するともっとよいだろう。
今からあなた方は長寿の灌頂を授かる。その動機がただ「自分が長生きしたいから、健康になりたいから」というのではいけない。ろくでもない人生が長くても仕方ない。灌頂を受けるための動機とは「仏法を学び実践するために、長寿と健康を得よう」と思う事である。
悪いことばかりする人が長い人生を生きると、悪いことをたくさんしてしまうのでよくない。ネパールに動物をたくさん殺す人がいて、その人が短命であるように祈ったという話しがあるが、それはその罪深い人が長く生きれば生きるほど悪行を積んでしまうからである。悪いことする人が長寿と健康を得ても仕方ない。だから正しい法を求めるために長寿を得ようという動機をもってこの灌頂を受けねばならない。
そして、金剛阿闍梨(密教の先生)に「灌頂を授けて下さい」とマンダラを捧げてお願いするのだ。
マンダラを奉献する際には自分の財産、善行、などすべてのよいもの、それから自分のものでなくとも、たとえば昨日東京の夜景がとても美しいと感動したが、その感動でもいい、自分のもっているもっともよいものをマンダラの形に観想して阿闍梨に捧げるのだ。
そして、輪廻の中で動物や地獄に生まれず、人の体(人身)を得たことを感謝する。
そして、仏法にこうして出会えた事を感謝する。
そして、阿闍梨にであえたことに感謝する。
さらに、仏法の理解力がるあことを感謝する。
我々の生きるこの贍部州(世界)はいつ死が訪れるかわからない世界。だから、仏法の実践をはじめることを「明日」にまわしてはいけない。
こんな話しがある。ある人がお金を借り「明日返す」といった。しかし次の日になっても返さないので催促すると「明日返す」という。しかし、いつになっても返さないので、とうとう役所に訴えると、その法廷の席でまたこの男「明日返す」といったので、差し戻しになったとな。「明日~する」というのは結局やらないことと同じ。
仏法の実践は「明日」にまわしてはいけない。今すぐにやらねばならない。
命あるものは死ねば善趣(天・人・阿修羅)か悪趣(地獄・餓鬼・畜生)に生まれ変わるが、輪廻の中にいる限り生は苦しい。だからこの輪廻から脱出(解脱)したくなるが、すべての命あるものは無限回の輪廻転生の中で、母であったことがある。お母さんをほったらかして輪廻からでるわけにいかない。
人は自分の好きな人、嫌いな人をわけて偏った感情を持つが、そんなことは意味はない。
こんな話しがある。
ある女が赤子を抱いて、家の裏手にある池からつった魚を食べていた。そして、近づいてくる犬を石を持って追っていた。それをみていたラマが
「ああ、あさましいことよ。あの女が食べている魚は前世の彼女の父だ。彼女が追い払っている犬は彼女の前世の母だ。そして、彼女が慈しんでいる赤子は前世に彼女を殺した男だ」
とかくも輪廻はお笑いぐさなのである。だから、一切の命あるものをかつての自分の母として慈しまねばならない。しかし、一切の命あるものを慈しむにはこの自分さえちゃんとできない凡夫の身ではどうにもらない、そこで一切の命あるものを救うことのできる仏になろうと決心するのだ(発心)。
菩薩戒をとる時は、左膝をついて合掌して、とても美しい姿勢になる。この時の阿闍梨のお言葉。
懺悔は三人で間違って毒のあるものを食べていて、一人が死に、一人が死にかけていて、三人目が自分だったら、何をおいてもその毒をはきだそうとするだろう。その勢いで今まで犯した罪をはき出して二度と食べないと誓う。
そして随喜とは、人のした良いことをほめること。
自分より偉い人をほめるのは簡単だろうが、自分と同等、もしくは目下をほめる功徳はさらに大きい。これは嫉妬と慢心を押さえてくれる。多くのマチガイは嫉妬と慢心から起きるので、これを押さえるのはいいことだ。
菩薩戒をはじめて受けた人、すでに受けたけどほってあった人、毎日まもっていた人、それぞれに功徳がある。
そして、灌頂がさずけられ、最後に今行ったこの善行を他人にまわす回向の儀式が行われる。
この時、自分のつんだ前行を以下のように他の人々にまわしなさい。
(1) 仏法が存続しますように
(2) ダライ・ラマをはじめとする高僧たちが元気でいますように
(3) 戦争などで苦しんでいる人が苦しまなくて住むようになりますように
(4) 命あるものが仏の位をえるように
人格を変える力をもつのは仏法だけである。権力や金の力では人格を変えることはできない。かくも仏教は素晴らしいけど、他宗教を非難するのはいかん。なぜならその宗教で救われ・善行をしている人がいるからである。みな日本の仏教の存続のためにがんばりなさい(チベット仏教を護れといわないところがすごい)。
なんかジョン・レノンのハッピークリスマス~あなたがのぞめば戦争は終わる~が流れてきたラストであった(この曲はここでどうぞhttp://www.youtube.com/watch?v=s8jw-ifqwkM)。
このあと、元ゼミ生四人が来ていたので、灌頂の解説をすべくカフェにはいる。千年かわらぬ仏教儀礼が彼らにちゃんと理解できたかはわからんが、何らかの形では心の片隅にのこるだろう。話しが終わる頃に日が完全に沈み、カフェからみる外の景色はクリスマス・イルミ一色になった。
それを見ているうちに、どんなに長い時がながれてもこの瞬間を思い出すのじゃないかな、と思える不思議な気持ちになった。あるいはずっと前にもこれと似たことがあったのではないか、みたいなかんじ。
そこで、こういった。
私「これで我々も金剛兄弟だ。戒によると、金剛阿闍梨の悪口と金剛兄弟の悪口は禁止されている。従ってこれから、先生の悪口は言わないように」
学生たち「じゃあ先生もぼくたちとのことを悪く言わないで下さいね」
私「くっ・・・」
金剛兄弟の道は険しい。
※ 灌頂の最後に突然のご指名で話しをさせられることになり、東京で無上ヨーガが行われるのは始めてと申しましたが、ポタラカレッジでナムゲル僧院などの阿闍梨様がお見えになって灌頂を行われていたとのこと。ここに訂正します。
※この他阿闍梨様の冗談はこのサイトのトップ、その日の院生Mのオワライ発言はツイッターで公開しています。
チベットオタクのみた今年の十大事件
今年もあと十日ほどで終わり。毎年恒例(だったっけ?)、「チベット・オタクのみた2010年」ちなみに、このうち五つは極私的五大事件です。
ちなみに、歴史学者なのでランキングは事の軽重ではなく時系列で並べています。
(1) 21世紀の万里の長城に引きこもる中国
1/13にグーグル、中国当局が中国民主活動家に対するサイバー攻撃を行っていたことを理由に中国から事業の撤退を表明。この時、グーグルはイタチの最後っ屁のように中国が検索不能にしていた(ネット内に万里の長城を築いて自分にとって都合の悪い情報をブロックしていた 笑)、ダライ・ラマ、天安門事件などの検索ができるようにした。グーグルの創業者はこの時「汚い金は稼がない」といって本当にかっこよかったです。
後にウィキリークスによって、この時の攻撃はグーグルが言う通りに中国政府主導なことが明らかにされた。国を挙げてハッカー攻撃とはかの国の闇は深い。
結局グーグルは経営陣の意見が通り中国市場に残った。
(2) チベットをおそう大災害(ギグド大地震 ラダック大水害)
4/14 ギグド(ジェクンド)を大地震がおそい町は瓦礫とかわった。ギグドはカム(東チベット)の町であり、歴史的にはチベット人、あるいは中央ユーラシアからながれこんだ諸民族が、交易によって暮らしていた町であり、人口希薄なチベットの基準から言えば大都市だった。ご当地のギグド寺(サキャ派)の僧侶たちが大量の犠牲者の遺体を火葬にする悲惨な写真がネットで出回った。今、中国は急ピッチでこの町の「再建」を行っており、いずれ中国風アパートのたち並ぶどこにでもある中国の地方都市に生まれ変わる予定。
ラダック大水害は、下流ではパキスタン大洪水となった。地球温暖化の一環の異常気象と言われ、ウィキリークスによると、ダライ・ラマ法王も気候変動の影響を受けやすいチベット本土のことをとても心配されている模様。
(3) 泰平の眠りをさます特攻漁船
9/7午前、尖閣諸島近くの日本領海内で中国漁船が海上保安庁に特攻。海上保安庁が船長と船員を逮捕したら、中国政府は駐中丹羽大使を深夜に呼びつけるわ、フジタの社員は明らかにいやがらせで拘束されるわ、日本への中国人観光客を禁足するわ、レアアースは禁輸されるわ、それでびびった日本政府は9/24日に船長を解放した。
しかし、これがいかに外交術として下の下かはその後ロシアの大統領が北方四島(ロシアが実効支配しているが日本が返還をせまっている地)におりたち、暗に返す気がないよ、といったことからも明らか。
この件で唯一良かったことといえば、中国がこういう国(ヤ×ザ)だということが、日本人にも広く知れ渡ったこと。チベット人は六十年前から知っていましたが。
「泰平の眠りをさます特攻漁船、たった一隻に夜も眠れず」
(4) 空の椅子の置かれたノーベル平和賞授賞式
10/8 劉暁波ノーベル平和賞受賞が決まった。中国がまちこがれていたノーベル賞が、中国政府を批判する活動家に授けられたことにより、ただでもオトナとは言い難い中国政府は幼児化が急速に進行した。
まず、外国の衛星放送をまっくろにして情報を遮断。劉さんの家族を軟禁し、支援者を監視し、授賞式の会場には代理人すら出席できない状態にした。さらに、各国大使に圧力をかけて式典に参加しないように運動。こんなことやる方がメンツがつぶれるだろうが。
受賞者なしのノーベル平和賞は、ナチスの批判をして獄中にあったオシエツキー以来であるため、「中国はナチスなみ」という空気が世に漂い、会場に置かれた空の椅子が中国の横暴を雄弁に物語った。
しかし、ここで終わらないのが中国のすごいところ。いい年をした中国のオッサン学者たちが、孔子平和賞なる賞を勝手につくり、臺灣の蓮戦元副総統に授与した。蓮戦は「シラン」といったため、関係のない少女が迷惑そうに賞をうけとった。これはお笑いニュースとして世界をかけめぐり、劉さんの不在にしゅんとなっていた世界を笑いの渦に包んだ。
(5) チベット語をまもるため子供がデモ
10/19 アムド(東北チベット)のレコンで漢語教育の強制に反対してチベット人の学生たちがデモを行った。このデモは青海全体に広がり、中国政府の同化政策が行くところまでいったことを印象づけた。
文化大革命の時代、チベットの言葉はもちろん、チベット文化はすべて禁止された。しかし、文革が否定されると同時にチベット語の使用も再開されていたが、89年のチベット人蜂起以後、ふたたび同化政策が復活。
中国政府「中国語がしゃべれたら、就職もできて、チベットの若者も不満をもたなくなるだろう」って、それ、中国が批判してきた帝国主義の論理ですから。チベット語でも就職できる場をつくり、チベット文化を尊重してこそ、中国がこの六十年間チベットに対して行ってきた罪を償い、世界に貢献できる唯一の道なのですが。
チベット文化を理解し護っているのが海外の人間である時点で、中国政府にチベットを支配する能力も正当性もないことが証明されている。
以上が、チベット五大事件。以下に備忘として極私的五大事件をあげます。
(1) 『世界を魅了するチベット』を発刊
3月、三和書籍より『世界を魅了するチベット』を発刊。元ゼミ生のO君との約束も果たせ、かつ、チベット文化のために多少のお役にもたて、コバンザメサイン会(笑)も実現し、なかなかステキなお仕事となった。
(2) はじめての「教育」
4月に某大学院にはいった院生Mがチベット史をやりたい、というので、はじめて院生の指導らしきことをはじめた。「自分の研究のノウハウを誰かに伝授し、あわよくばその一部でも受け継いでもらう」という作業は新鮮だった。まだ、院生Mがものになるかどうかは未知数だが、今生でだめでも、来世に大成するかもしれないし、何もムダになることはあるまい。
(3) チッタマニ行者になる
6月、出雲の峯寺でチッタマニの行を授かり、それから毎朝チッタマニの行をやることに。毎日人格者になるシュミレートを行っているうちに、なんかもう一人善人の自分がつくられていくような気がする。このままこれを続けたら、ひょっとしたら遠い未来に善人になれるかも?
(4) 朝日新聞をやめる
11月、祖父母の代よりとっていた朝日新聞を毎日新聞にかえる。わたしは保守的なので新聞のチェンジにはなかなか勇気がいったが、変えてみたらこれが結果オーライ。毎日新聞はルポが良質で、普通にジャーナリスティックだ。今思うと朝日新聞て、文学青年崩れが作っているし、読んでる新聞なんだよね。私は歴史を学んでいるので、「物語」「ブンガク」とかよりも、「事実の力」の方が性にあっている。変えて良かった。
(5) チベットの高僧来日ラッシュ
今年はダライ・ラマ法王が六月と十一月の二回来日され、さらにゴマン学堂の大学僧、早大生をびびらせたゲン・ロサン先生が初来日。また、ガワン先生の後をつがれたミスター『入中論』が初来日された。12月17日に清風学園で行われた、ミスターを導師とするチッタマニ灌頂儀礼において、なんと私のカパーラを使っていただき、さらには、清風学園の理事長が高野山の法要にお出かけされて留守だったので棚ぼたで、マンダラ奉献を初めてやらせていただいた。
チベットの高僧たちが島国日本にまででむくのは、仏法を広めるという大義に加え、仏法を学び実践する数千人のチベット僧の生活を支える運営費を集めるためである。インドにいるチベットの僧侶の大半は妻帯せず、生涯を僧院の中で修行と勉強をして過ごす。上座部仏教なんかと僧院生活は近いかな。チベットが中国に奪われた後、大量の僧侶たちはインドに難民となって逃れたが、荘園も政府も施主もいなくなったため、にっちもさっちもいかなくなった。
しかし、ダライ・ラマを初めとするスターな御坊さまたちはあきらめなかった。世界中をまわって仏教を説き、その結果、多くの人々がチベット文化の価値を知り、チベット仏教を支えようと決心した。その結果、今やチベットの本山級の僧院はぼぼ全部南インドに再建された。
しかし、その経営は有力な施主に恵まれた一部の僧院以外は火の車である。
今、日本の社会では鬱とか自殺とかが社会問題となっているが、チベット仏教の高僧は日本人の悩みを笑い飛ばしてくれる。彼ら高僧たちは現代社会には希少となってしまった「人格者」。自己啓発本とか読んでいて「頭ではわかっていても、実際にやるとなると」という人は、それを達成した人を直に目で拝むといい。百聞は一見にしかず。
日本人がもっとチベットの高僧のことをしれば、日本人は幸せになり、人が幸せになる技術「仏教」は存続しよう。
というわけで、来年もチベットをよろしくお願いします。
ちなみに、歴史学者なのでランキングは事の軽重ではなく時系列で並べています。
(1) 21世紀の万里の長城に引きこもる中国
1/13にグーグル、中国当局が中国民主活動家に対するサイバー攻撃を行っていたことを理由に中国から事業の撤退を表明。この時、グーグルはイタチの最後っ屁のように中国が検索不能にしていた(ネット内に万里の長城を築いて自分にとって都合の悪い情報をブロックしていた 笑)、ダライ・ラマ、天安門事件などの検索ができるようにした。グーグルの創業者はこの時「汚い金は稼がない」といって本当にかっこよかったです。
後にウィキリークスによって、この時の攻撃はグーグルが言う通りに中国政府主導なことが明らかにされた。国を挙げてハッカー攻撃とはかの国の闇は深い。
結局グーグルは経営陣の意見が通り中国市場に残った。
(2) チベットをおそう大災害(ギグド大地震 ラダック大水害)
4/14 ギグド(ジェクンド)を大地震がおそい町は瓦礫とかわった。ギグドはカム(東チベット)の町であり、歴史的にはチベット人、あるいは中央ユーラシアからながれこんだ諸民族が、交易によって暮らしていた町であり、人口希薄なチベットの基準から言えば大都市だった。ご当地のギグド寺(サキャ派)の僧侶たちが大量の犠牲者の遺体を火葬にする悲惨な写真がネットで出回った。今、中国は急ピッチでこの町の「再建」を行っており、いずれ中国風アパートのたち並ぶどこにでもある中国の地方都市に生まれ変わる予定。
ラダック大水害は、下流ではパキスタン大洪水となった。地球温暖化の一環の異常気象と言われ、ウィキリークスによると、ダライ・ラマ法王も気候変動の影響を受けやすいチベット本土のことをとても心配されている模様。
(3) 泰平の眠りをさます特攻漁船
9/7午前、尖閣諸島近くの日本領海内で中国漁船が海上保安庁に特攻。海上保安庁が船長と船員を逮捕したら、中国政府は駐中丹羽大使を深夜に呼びつけるわ、フジタの社員は明らかにいやがらせで拘束されるわ、日本への中国人観光客を禁足するわ、レアアースは禁輸されるわ、それでびびった日本政府は9/24日に船長を解放した。
しかし、これがいかに外交術として下の下かはその後ロシアの大統領が北方四島(ロシアが実効支配しているが日本が返還をせまっている地)におりたち、暗に返す気がないよ、といったことからも明らか。
この件で唯一良かったことといえば、中国がこういう国(ヤ×ザ)だということが、日本人にも広く知れ渡ったこと。チベット人は六十年前から知っていましたが。
「泰平の眠りをさます特攻漁船、たった一隻に夜も眠れず」
(4) 空の椅子の置かれたノーベル平和賞授賞式
10/8 劉暁波ノーベル平和賞受賞が決まった。中国がまちこがれていたノーベル賞が、中国政府を批判する活動家に授けられたことにより、ただでもオトナとは言い難い中国政府は幼児化が急速に進行した。
まず、外国の衛星放送をまっくろにして情報を遮断。劉さんの家族を軟禁し、支援者を監視し、授賞式の会場には代理人すら出席できない状態にした。さらに、各国大使に圧力をかけて式典に参加しないように運動。こんなことやる方がメンツがつぶれるだろうが。
受賞者なしのノーベル平和賞は、ナチスの批判をして獄中にあったオシエツキー以来であるため、「中国はナチスなみ」という空気が世に漂い、会場に置かれた空の椅子が中国の横暴を雄弁に物語った。
しかし、ここで終わらないのが中国のすごいところ。いい年をした中国のオッサン学者たちが、孔子平和賞なる賞を勝手につくり、臺灣の蓮戦元副総統に授与した。蓮戦は「シラン」といったため、関係のない少女が迷惑そうに賞をうけとった。これはお笑いニュースとして世界をかけめぐり、劉さんの不在にしゅんとなっていた世界を笑いの渦に包んだ。
(5) チベット語をまもるため子供がデモ
10/19 アムド(東北チベット)のレコンで漢語教育の強制に反対してチベット人の学生たちがデモを行った。このデモは青海全体に広がり、中国政府の同化政策が行くところまでいったことを印象づけた。
文化大革命の時代、チベットの言葉はもちろん、チベット文化はすべて禁止された。しかし、文革が否定されると同時にチベット語の使用も再開されていたが、89年のチベット人蜂起以後、ふたたび同化政策が復活。
中国政府「中国語がしゃべれたら、就職もできて、チベットの若者も不満をもたなくなるだろう」って、それ、中国が批判してきた帝国主義の論理ですから。チベット語でも就職できる場をつくり、チベット文化を尊重してこそ、中国がこの六十年間チベットに対して行ってきた罪を償い、世界に貢献できる唯一の道なのですが。
チベット文化を理解し護っているのが海外の人間である時点で、中国政府にチベットを支配する能力も正当性もないことが証明されている。
以上が、チベット五大事件。以下に備忘として極私的五大事件をあげます。
(1) 『世界を魅了するチベット』を発刊
3月、三和書籍より『世界を魅了するチベット』を発刊。元ゼミ生のO君との約束も果たせ、かつ、チベット文化のために多少のお役にもたて、コバンザメサイン会(笑)も実現し、なかなかステキなお仕事となった。
(2) はじめての「教育」
4月に某大学院にはいった院生Mがチベット史をやりたい、というので、はじめて院生の指導らしきことをはじめた。「自分の研究のノウハウを誰かに伝授し、あわよくばその一部でも受け継いでもらう」という作業は新鮮だった。まだ、院生Mがものになるかどうかは未知数だが、今生でだめでも、来世に大成するかもしれないし、何もムダになることはあるまい。
(3) チッタマニ行者になる
6月、出雲の峯寺でチッタマニの行を授かり、それから毎朝チッタマニの行をやることに。毎日人格者になるシュミレートを行っているうちに、なんかもう一人善人の自分がつくられていくような気がする。このままこれを続けたら、ひょっとしたら遠い未来に善人になれるかも?
(4) 朝日新聞をやめる
11月、祖父母の代よりとっていた朝日新聞を毎日新聞にかえる。わたしは保守的なので新聞のチェンジにはなかなか勇気がいったが、変えてみたらこれが結果オーライ。毎日新聞はルポが良質で、普通にジャーナリスティックだ。今思うと朝日新聞て、文学青年崩れが作っているし、読んでる新聞なんだよね。私は歴史を学んでいるので、「物語」「ブンガク」とかよりも、「事実の力」の方が性にあっている。変えて良かった。
(5) チベットの高僧来日ラッシュ
今年はダライ・ラマ法王が六月と十一月の二回来日され、さらにゴマン学堂の大学僧、早大生をびびらせたゲン・ロサン先生が初来日。また、ガワン先生の後をつがれたミスター『入中論』が初来日された。12月17日に清風学園で行われた、ミスターを導師とするチッタマニ灌頂儀礼において、なんと私のカパーラを使っていただき、さらには、清風学園の理事長が高野山の法要にお出かけされて留守だったので棚ぼたで、マンダラ奉献を初めてやらせていただいた。
チベットの高僧たちが島国日本にまででむくのは、仏法を広めるという大義に加え、仏法を学び実践する数千人のチベット僧の生活を支える運営費を集めるためである。インドにいるチベットの僧侶の大半は妻帯せず、生涯を僧院の中で修行と勉強をして過ごす。上座部仏教なんかと僧院生活は近いかな。チベットが中国に奪われた後、大量の僧侶たちはインドに難民となって逃れたが、荘園も政府も施主もいなくなったため、にっちもさっちもいかなくなった。
しかし、ダライ・ラマを初めとするスターな御坊さまたちはあきらめなかった。世界中をまわって仏教を説き、その結果、多くの人々がチベット文化の価値を知り、チベット仏教を支えようと決心した。その結果、今やチベットの本山級の僧院はぼぼ全部南インドに再建された。
しかし、その経営は有力な施主に恵まれた一部の僧院以外は火の車である。
今、日本の社会では鬱とか自殺とかが社会問題となっているが、チベット仏教の高僧は日本人の悩みを笑い飛ばしてくれる。彼ら高僧たちは現代社会には希少となってしまった「人格者」。自己啓発本とか読んでいて「頭ではわかっていても、実際にやるとなると」という人は、それを達成した人を直に目で拝むといい。百聞は一見にしかず。
日本人がもっとチベットの高僧のことをしれば、日本人は幸せになり、人が幸せになる技術「仏教」は存続しよう。
というわけで、来年もチベットをよろしくお願いします。
年内最後のゼミ
ゼミ恒例の「冬至のお祭り」(俗称クリパ)の日が今年もやってきた。
三年は就活のまっただ中、四年は卒論執筆のただ中であるが、太古の昔より人は冬至を「光が闇に打ち克つ日」として祝ってきたのだ。
キリスト教が救世主の誕生日をこの日に措定したのも、救世主の誕生がこの世に光りをもたらすという見立てからであろう。
木曜日の現代史では「自分のことのみを思い煩う気持ちこそが闇。他者を思う事心は光。この冬至の日をもって、他者を思うことがあらゆる自分の問題をも乗り越える究極の正解であることを思え」とありがたい説教をするクリスマス特番授業を行う。
そして金曜日、高田馬場駅前にたつホームレス販売員からダライ・ラマ法王表紙のビッグイシューを買う。と思ったら、すべて売り切れていた。ケビン・コスナー表紙のビッグ・イシューを勧められたが、断る。(て、これホームレス支援の雑誌なんだから買えよ 笑)。

高田馬場ではダライ・ラマ法王の需要が高い。なら、隣の新大久保駅ではヨン様を表紙にしてホームレスの方に売らせたら、楽勝で年越しのお金がたまるのではないか。韓国の芸能人は社会に貢献するという意識が非常に高いし、とくにヨン様はチャリティ・イベントを一杯やっているので、協力してくれるだろう。
そこで方針変更をして学生から買い上げることにする。案の定三年ゼミの時間、Kくんがビッグ・イシューを手にしているので、500円で買い取る。ホームレス支援にはまったくなっていない。
そして四年ゼミ。HちゃんとKくんが法王のビッグイシューをもっている。「あんたら、エライ!」なんて可愛いわたしの子供たち。
しかし今日はパーティなのにYくんが来ていない。するとNちゃんが「先生Yが大幅に遅刻するってメールきました。理由長いんで読んでくれませんか」とケータイ画面をみせてくれてそこには・・・
「教育図書館で×国の教科書を閲覧していたが、元寇も書いてあっておっかしいなー、と思いながらもせっせと筆写していたら、台湾の教科書でしたHAHAHA!」「で、その下にひっそりとめざす旧版の×国の教科書を見つけたので遅れます」
初心者が陥りやすい間違いだね! 奥付けが中華民国暦なことに最初に気づけばよかったね!
で、ウィキリークスのジュリアン・アサンジについて話題になり、自分は「この人の経歴(学校教育を拒否し通信教育・37回移転・その後ハッカー・18才でパパ・離婚子供とられる・現住所空港)と信念(個人vs公的機関)、をみていると、筋金入りのアナーキスト。歴史学者として一次史料がひろく閲覧できることは非常に喜ばしいが、このおそらくはいかなる地域も、人も、組織も愛したことのない人が重要な情報の出入り口にいるのは誰しも怖さを感じるだろう」という話しをする。
で、年内最後のゼミのあとは冬至のお祭り。
プレゼント交換(冬至のお祭りなのになぜプレゼント交換があるのか、というツッコミはなし)は、例年提出されたプレゼントにテキトーにポストイットで番号をはって、あとは籤にしていたのだが、幹事のTちゃんが「三年生は四年生の、四年生は三年生の名前をあまり覚えていないので、三年生は四年生の名、四年生は三年生の名前を五人以上かき、書き終わった順に好きなプレゼントを選ぶことになります。先生は、三年生、四年生、五年生以上全部を書いてもらいます。」
私「ちょっとまってそうしたら私絶対ビリになるじゃない書く人数一番多いんだから。そしたら間違いなくあのY(卒論をあのはさみチョキチョキで作ろうとしていたあのY)がそこの早稲田ショップでかってきた見るからチンケな包みが私にあたるだろ」
Tちゃん「先生、今日も私の名前を何回も間違えて呼びました。書いてください」
仕方ないので、速攻で書こうとするとボールペンがない。探していると、Yが勝手につかっている。Yぃぃぃぃぃ!
さあ、そしてドッキドキのプレゼント開封。500円のしばりがある中でどれだけ人を笑わせるかが腕のみせどころである。
去年ヤフオクで鰐の剥製を500円でせりおとそうとして、結局は独立時代のチベットのコインをもってきたHちゃんは、スッポンの甲羅。これもヤフオクで競り落としたのだそう。それがYにあたったので、少しは気が晴れる。自業自得だ。
で、SくんのプレゼントはMちゃんにあたったのだが、これが「オレとオヤジの好きなマンガ三冊いれました。「ゴルゴ13」と「魔太郎がいく」が入っている。みな、自分の家にあったのを入れてきただけじゃないか、とヤジがとぶ。

腐れ文学青年KにあたったNちゃんのプレゼントは毛沢東ノートに、上海万博のマスコットキャラ、パオなんとかのシール。Kは「嬉しいなあ」とかいって毛沢東の表紙をなでている。
幹事のTちゃんはOが「ひらめいた」とかいってブックオフで買ってきた『聖なる予言』があたった。一昔前のベストセラースピリチュアル小説。でも、中古の本プレゼントってどうよ。
パーティの最後に幹事のTちゃんには感謝の気持ちをこめて、フリチベリンゴを贈呈。そう、今年も長野のフリチベさんが、贈ってくださったのだ。今年はフリー・ウイグルも加わっている(笑)。Mさんありがとうございました。美味しく戴いています!
というわけで、すべてネタと思えば今年も楽しい一年だった。
みなさんに来年も平安あらんことを! て、まだ半月ある。
三年は就活のまっただ中、四年は卒論執筆のただ中であるが、太古の昔より人は冬至を「光が闇に打ち克つ日」として祝ってきたのだ。
キリスト教が救世主の誕生日をこの日に措定したのも、救世主の誕生がこの世に光りをもたらすという見立てからであろう。
木曜日の現代史では「自分のことのみを思い煩う気持ちこそが闇。他者を思う事心は光。この冬至の日をもって、他者を思うことがあらゆる自分の問題をも乗り越える究極の正解であることを思え」とありがたい説教をするクリスマス特番授業を行う。
そして金曜日、高田馬場駅前にたつホームレス販売員からダライ・ラマ法王表紙のビッグイシューを買う。と思ったら、すべて売り切れていた。ケビン・コスナー表紙のビッグ・イシューを勧められたが、断る。(て、これホームレス支援の雑誌なんだから買えよ 笑)。

高田馬場ではダライ・ラマ法王の需要が高い。なら、隣の新大久保駅ではヨン様を表紙にしてホームレスの方に売らせたら、楽勝で年越しのお金がたまるのではないか。韓国の芸能人は社会に貢献するという意識が非常に高いし、とくにヨン様はチャリティ・イベントを一杯やっているので、協力してくれるだろう。
そこで方針変更をして学生から買い上げることにする。案の定三年ゼミの時間、Kくんがビッグ・イシューを手にしているので、500円で買い取る。ホームレス支援にはまったくなっていない。
そして四年ゼミ。HちゃんとKくんが法王のビッグイシューをもっている。「あんたら、エライ!」なんて可愛いわたしの子供たち。
しかし今日はパーティなのにYくんが来ていない。するとNちゃんが「先生Yが大幅に遅刻するってメールきました。理由長いんで読んでくれませんか」とケータイ画面をみせてくれてそこには・・・
「教育図書館で×国の教科書を閲覧していたが、元寇も書いてあっておっかしいなー、と思いながらもせっせと筆写していたら、台湾の教科書でしたHAHAHA!」「で、その下にひっそりとめざす旧版の×国の教科書を見つけたので遅れます」
初心者が陥りやすい間違いだね! 奥付けが中華民国暦なことに最初に気づけばよかったね!
で、ウィキリークスのジュリアン・アサンジについて話題になり、自分は「この人の経歴(学校教育を拒否し通信教育・37回移転・その後ハッカー・18才でパパ・離婚子供とられる・現住所空港)と信念(個人vs公的機関)、をみていると、筋金入りのアナーキスト。歴史学者として一次史料がひろく閲覧できることは非常に喜ばしいが、このおそらくはいかなる地域も、人も、組織も愛したことのない人が重要な情報の出入り口にいるのは誰しも怖さを感じるだろう」という話しをする。
で、年内最後のゼミのあとは冬至のお祭り。
プレゼント交換(冬至のお祭りなのになぜプレゼント交換があるのか、というツッコミはなし)は、例年提出されたプレゼントにテキトーにポストイットで番号をはって、あとは籤にしていたのだが、幹事のTちゃんが「三年生は四年生の、四年生は三年生の名前をあまり覚えていないので、三年生は四年生の名、四年生は三年生の名前を五人以上かき、書き終わった順に好きなプレゼントを選ぶことになります。先生は、三年生、四年生、五年生以上全部を書いてもらいます。」
私「ちょっとまってそうしたら私絶対ビリになるじゃない書く人数一番多いんだから。そしたら間違いなくあのY(卒論をあのはさみチョキチョキで作ろうとしていたあのY)がそこの早稲田ショップでかってきた見るからチンケな包みが私にあたるだろ」
Tちゃん「先生、今日も私の名前を何回も間違えて呼びました。書いてください」
仕方ないので、速攻で書こうとするとボールペンがない。探していると、Yが勝手につかっている。Yぃぃぃぃぃ!
さあ、そしてドッキドキのプレゼント開封。500円のしばりがある中でどれだけ人を笑わせるかが腕のみせどころである。
去年ヤフオクで鰐の剥製を500円でせりおとそうとして、結局は独立時代のチベットのコインをもってきたHちゃんは、スッポンの甲羅。これもヤフオクで競り落としたのだそう。それがYにあたったので、少しは気が晴れる。自業自得だ。
で、SくんのプレゼントはMちゃんにあたったのだが、これが「オレとオヤジの好きなマンガ三冊いれました。「ゴルゴ13」と「魔太郎がいく」が入っている。みな、自分の家にあったのを入れてきただけじゃないか、とヤジがとぶ。

腐れ文学青年KにあたったNちゃんのプレゼントは毛沢東ノートに、上海万博のマスコットキャラ、パオなんとかのシール。Kは「嬉しいなあ」とかいって毛沢東の表紙をなでている。
幹事のTちゃんはOが「ひらめいた」とかいってブックオフで買ってきた『聖なる予言』があたった。一昔前のベストセラースピリチュアル小説。でも、中古の本プレゼントってどうよ。
パーティの最後に幹事のTちゃんには感謝の気持ちをこめて、フリチベリンゴを贈呈。そう、今年も長野のフリチベさんが、贈ってくださったのだ。今年はフリー・ウイグルも加わっている(笑)。Mさんありがとうございました。美味しく戴いています!
というわけで、すべてネタと思えば今年も楽しい一年だった。
みなさんに来年も平安あらんことを! て、まだ半月ある。
ミスターの説法
日曜日はミスター『入中論』を導師に迎えてのチッタマニターラー尊の灌頂を授かりにいく。今はなきガワン先生の最後の灌頂を受けたのが2008年の11月。清風学園に行くのも二年ぶり。二年もたっているのにあまり時間の流れを感じないのは、年をとったせい?
参列者のほとんどは関西圏の方であるが、このブログで書いたことが多少は影響しているのか、東京からの参加者の顔もみえる。灌頂儀礼は密教の修行をはじめるための入門儀礼であるため、チベットでも高僧が地域にこられて灌頂を行うと周辺の農民や遊牧民が雲集してくる。
伝統的な世界では施主がドバーンとお金を払って主宰して、貧しい人々は無料参加することができるが、貧富の差がなくなった現代日本においては、大金持ちの施主が何から何まで持つなんて非現実的なので、参加費にして広く薄く集めることになる。主催者に伺ってみると学園の先生方も含めて250人の参加者だそうである。ぶっちゃけ参加費はギュメの僧侶たちの生活費になるので、仏法存続のためにも参加者は一人でも多い方がいい。
平岡さんは出不精の私を巣からおびきだすために、いろいろな策をとるが、今回はすごかった。私のカパーラ(髑髏杯といっても金属製)をこの式典でミスター『入中論』に使ってもらってはどうかというのである。私は最初何を彼がいっているのか分からなかったのだが、よく聞いてみると、カパーラの中にあるお供えもののお酒が正統な阿闍梨の力で形式的でない本格的な甘露水となるらしい。
式が終わった後、甘露水入りカパーラを返してくださったので、私が「こぼさないようにこれずっと手に捧げ持って帰るんですか」と聞いたら、「口をつけていないきれいなペットボトルのなかみを開けてそこに入れていけ」というので、わたしは甘露水いりのエビアンとともに帰宅することとなった(笑)。
私は今回はじめてミスターにお目もじしたのだが、ずっと末期がんのガワン先生を見ていたので、第一印象は「元気なラマ」。アシスタントに任せずに200人全員に甘露水を配っている。あと、威厳はあるのに、不思議に軽いお話がうまい。
たとえば、「三宝(仏・法・僧)に帰依すると人や魔が自ずとジャマをしなくなる」という例にこんな話しをされた。
ある農民が収穫物を泥棒にとられて困っていた。ある日、その農民は泥棒を捕まえて「おれも鬼じゃないので、お前がくださいと言えばやらないことはない」というと、泥棒は「じゃあ、収穫物をください」とお願いすると、農民は「お願いするならそれなりの格好というものがあるだろう、合掌しろ」というので、泥棒が合掌すると、農民はその手をぐるぐるにしばって泥棒をとらえ、「仏に帰依するか、法に帰依するか、僧伽に帰依するかと三度どなって、こらしめのために三度、泥棒をひっぱたいた。
泥棒はほうほうの体で逃げて、オバケのでる橋の上にきた。泥棒はそこで「三つ以上に帰依させられたら〔三回以上殴られるから〕体がもたないところだった」といった。つまりこの泥棒は結果として「仏教徒(三帰依すると仏教徒)以外にならない」ことを口にしたことになるので、その橋のオバケは泥棒を襲わなかったという。
かくも三帰依の威力はすごいのである(笑)。
また、懺悔によって過去に自分のおかした罪をはきだしなさい、というたとえもケッサクだった。三人で食事をしていて知らずにうっかり毒のるものを口にしてしまった。一人死に、二人目が死に、そしたら残る一人は口に入っているものも胃に入っているものも何とかして外にだし、助かった後は二度と口にすまいと思うだろう。そのくらい真剣に今までの悪行の罪を全力で外に出し、二度としないと誓いなさい、とのこと(笑)。
そして、随喜についての説明もわかりやすかった。「人のやった良いことを顕彰すること(随喜)はじつはもっとも簡単にできる修行である。」そりゃそうだ。善行を率先してやるのは難しいけど、それをやった人をほめるのは簡単だもの。で、この随喜をやると嫉妬や慢心といった自分の中にある煩悩を鎮めることができるという。
誰かが良いことをしても、「オレならもっとすばらしいことができる」「あいつなんてたいしたことなんかない」なんていう人の気持ちのウラには、嫉妬や慢心がこもっている。口にすれば悪業となろう。しかし、誰かの良いことをほめたら、それだけで嫉妬や慢心が乗り越えられる。
しかも、ミスターがいうには「自分よりクラスの上の人が行った善行をほめるとその半分の徳が得られる」という。ええええ、だとするとダライ・ラマ法王をほめると法王の半分の徳が・・・・。と、慢心と嫉妬は鎮まっても貪欲が刺激されるのであったった(笑)。
そして、ミスターは最後に、あなた方はここで仏法に出会い、チッタマニの法を授かった。チッタマニは仏の救済活動の象徴なので、まわりの人を救済せよ。いくら良いものを得た後も、そのあとほったらかしていたら、悪行である。仏教を学び実践できる人間の身を得て、さらに仏教に出会っても何もしなかったら、畜生と同じだとツォンカパはいうておる。
みな三四年先を考えて仕事や生活をしているだろうが、来世の用意もせなあかん。だって死はすぐ明日にもきて三~四年先はないかもしれない。目先のことばかりに気をとられるな。自分のなすべきことをなせ。死が迫った時、財産もこの体も来世にはもっていけないが、修行の結果はもっていける。
日本は古くから仏教のある国。この仏教をここで終わらせず次の世代に受け渡してつないで行かなあかん。今日得たものを意味のあるものにするか否かはあなたたちの心がけ次第や。
そして最後に行う「回向」(自分の善行を善行を行う能力のない人に回すこと。大乗仏教の大きな特徴)についてのお話も秀逸であった。自分の善行を他人にまわすことは他人のためじやない、自分にとってもいい結果がでるのだ。自分のところにためこんでいても、ちょっとの悪行とかで瞬滅するが、他人にまわしておけば、それはムダにならない。
この時思った。自分の手元にあるお金をお寺にお布施したら、その場で確実に何人かのお坊さんが何日かお茶が飲める。しかし、そのお金を自分の手元において株とか債権に投資しても、サブプライム・ショックとかあったら一瞬のうちに消えてしまう。消えたお金は誰の何の役に立つこともない。
だから善行はただちに今他人にむけて行うのがいいのである。ある意味合理的思考。というわけで、ミスターはお話が上手な方でした。
参列者のほとんどは関西圏の方であるが、このブログで書いたことが多少は影響しているのか、東京からの参加者の顔もみえる。灌頂儀礼は密教の修行をはじめるための入門儀礼であるため、チベットでも高僧が地域にこられて灌頂を行うと周辺の農民や遊牧民が雲集してくる。
伝統的な世界では施主がドバーンとお金を払って主宰して、貧しい人々は無料参加することができるが、貧富の差がなくなった現代日本においては、大金持ちの施主が何から何まで持つなんて非現実的なので、参加費にして広く薄く集めることになる。主催者に伺ってみると学園の先生方も含めて250人の参加者だそうである。ぶっちゃけ参加費はギュメの僧侶たちの生活費になるので、仏法存続のためにも参加者は一人でも多い方がいい。
平岡さんは出不精の私を巣からおびきだすために、いろいろな策をとるが、今回はすごかった。私のカパーラ(髑髏杯といっても金属製)をこの式典でミスター『入中論』に使ってもらってはどうかというのである。私は最初何を彼がいっているのか分からなかったのだが、よく聞いてみると、カパーラの中にあるお供えもののお酒が正統な阿闍梨の力で形式的でない本格的な甘露水となるらしい。
式が終わった後、甘露水入りカパーラを返してくださったので、私が「こぼさないようにこれずっと手に捧げ持って帰るんですか」と聞いたら、「口をつけていないきれいなペットボトルのなかみを開けてそこに入れていけ」というので、わたしは甘露水いりのエビアンとともに帰宅することとなった(笑)。
私は今回はじめてミスターにお目もじしたのだが、ずっと末期がんのガワン先生を見ていたので、第一印象は「元気なラマ」。アシスタントに任せずに200人全員に甘露水を配っている。あと、威厳はあるのに、不思議に軽いお話がうまい。
たとえば、「三宝(仏・法・僧)に帰依すると人や魔が自ずとジャマをしなくなる」という例にこんな話しをされた。
ある農民が収穫物を泥棒にとられて困っていた。ある日、その農民は泥棒を捕まえて「おれも鬼じゃないので、お前がくださいと言えばやらないことはない」というと、泥棒は「じゃあ、収穫物をください」とお願いすると、農民は「お願いするならそれなりの格好というものがあるだろう、合掌しろ」というので、泥棒が合掌すると、農民はその手をぐるぐるにしばって泥棒をとらえ、「仏に帰依するか、法に帰依するか、僧伽に帰依するかと三度どなって、こらしめのために三度、泥棒をひっぱたいた。
泥棒はほうほうの体で逃げて、オバケのでる橋の上にきた。泥棒はそこで「三つ以上に帰依させられたら〔三回以上殴られるから〕体がもたないところだった」といった。つまりこの泥棒は結果として「仏教徒(三帰依すると仏教徒)以外にならない」ことを口にしたことになるので、その橋のオバケは泥棒を襲わなかったという。
かくも三帰依の威力はすごいのである(笑)。
また、懺悔によって過去に自分のおかした罪をはきだしなさい、というたとえもケッサクだった。三人で食事をしていて知らずにうっかり毒のるものを口にしてしまった。一人死に、二人目が死に、そしたら残る一人は口に入っているものも胃に入っているものも何とかして外にだし、助かった後は二度と口にすまいと思うだろう。そのくらい真剣に今までの悪行の罪を全力で外に出し、二度としないと誓いなさい、とのこと(笑)。
そして、随喜についての説明もわかりやすかった。「人のやった良いことを顕彰すること(随喜)はじつはもっとも簡単にできる修行である。」そりゃそうだ。善行を率先してやるのは難しいけど、それをやった人をほめるのは簡単だもの。で、この随喜をやると嫉妬や慢心といった自分の中にある煩悩を鎮めることができるという。
誰かが良いことをしても、「オレならもっとすばらしいことができる」「あいつなんてたいしたことなんかない」なんていう人の気持ちのウラには、嫉妬や慢心がこもっている。口にすれば悪業となろう。しかし、誰かの良いことをほめたら、それだけで嫉妬や慢心が乗り越えられる。
しかも、ミスターがいうには「自分よりクラスの上の人が行った善行をほめるとその半分の徳が得られる」という。ええええ、だとするとダライ・ラマ法王をほめると法王の半分の徳が・・・・。と、慢心と嫉妬は鎮まっても貪欲が刺激されるのであったった(笑)。
そして、ミスターは最後に、あなた方はここで仏法に出会い、チッタマニの法を授かった。チッタマニは仏の救済活動の象徴なので、まわりの人を救済せよ。いくら良いものを得た後も、そのあとほったらかしていたら、悪行である。仏教を学び実践できる人間の身を得て、さらに仏教に出会っても何もしなかったら、畜生と同じだとツォンカパはいうておる。
みな三四年先を考えて仕事や生活をしているだろうが、来世の用意もせなあかん。だって死はすぐ明日にもきて三~四年先はないかもしれない。目先のことばかりに気をとられるな。自分のなすべきことをなせ。死が迫った時、財産もこの体も来世にはもっていけないが、修行の結果はもっていける。
日本は古くから仏教のある国。この仏教をここで終わらせず次の世代に受け渡してつないで行かなあかん。今日得たものを意味のあるものにするか否かはあなたたちの心がけ次第や。
そして最後に行う「回向」(自分の善行を善行を行う能力のない人に回すこと。大乗仏教の大きな特徴)についてのお話も秀逸であった。自分の善行を他人にまわすことは他人のためじやない、自分にとってもいい結果がでるのだ。自分のところにためこんでいても、ちょっとの悪行とかで瞬滅するが、他人にまわしておけば、それはムダにならない。
この時思った。自分の手元にあるお金をお寺にお布施したら、その場で確実に何人かのお坊さんが何日かお茶が飲める。しかし、そのお金を自分の手元において株とか債権に投資しても、サブプライム・ショックとかあったら一瞬のうちに消えてしまう。消えたお金は誰の何の役に立つこともない。
だから善行はただちに今他人にむけて行うのがいいのである。ある意味合理的思考。というわけで、ミスターはお話が上手な方でした。
聖徳太子とソンツェンガムポ王
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ネットショップは現在休止中ですが、再開は2月ごろを目指しております。
皆様のご来店を心より、お待ちいたしております。ありがとうございます。
チベットショップ マニマニ
わけあって最近日本仏教の勉強をすることとなり、仏教青年会の元幹事長Hくんがもってきてくれた浄土思想と聖徳太子の関係を扱う文章を読む。すると、古代チベットと日本の間に不思議な類似点があることに気づいたので、備忘。
今はなき東京大学名誉教授の中村元先生はチベット開国の王ソンツェンガムポ王と日本の聖徳太子をとりあげ、その事績や歴史の中における位置づけが驚くほどにていることを指摘し、その勢いで比較思想学会とかまでつくったことはチベットオタクの間では超有名である。
で、中村元先生の書いた内容はとうに忘れてしまったが、とりあえず、自分が今感じている類似点について以下に挙げる。まず、ソンツェンガムポ王と聖徳太子の事績について。
H君がもってきた『日本往生極楽記』(10世紀)の聖徳太子伝によると、聖徳太子は幼い頃、「自分の前世は南嶽慧思(天台宗の祖智の先生)とかである」といったそうで、百済からやってきた日羅は幼い太子をみて「救世観世音」であると伏し拝んだ。すると太子も日羅もピカーッと発光し聖徳太子は「あなたは過去世で私の弟子だった」と前世の記憶を述べたという。
で、推古天皇が即位して聖徳太子は政治をとり、憲法十七条を制して、まるで僧のように勝鬘経を講義し、法隆寺とかをたてた。で、聖徳太子は片岡山で飢えて死にかけている人をみてその人を哀れんで自分の衣をぬいでかけてやった。この飢人は死後遺体が消えたという(この飢人の前世は中国で禅宗を開いた達磨太子の生まれ変わりと言われるようになる)。
聖徳太子は後になり阿弥陀仏を奉じる念仏集団によっても崇拝されるところとなり、真宗の開祖親鸞は夢枕にたった聖徳太子のお告げにより妻帯した。また、聖徳太子は日本の最初期にあたり寺などをたてたことから、今も職人たちに工芸の神として祀られている。
聖徳太子の転生ストーリーは、一見して天台思想の唐土から日本への伝播を、唐の南嶽慧思から日本の聖徳太子への転生という形で表したものである。聖徳太子が観音の化身とされるのも、天台思想の重視する法華経を説いたのが観音菩薩だからであろう。
以上の聖徳太子伝に対し、一方のソンツェンガムポ王は聖徳太子とほぼ同時代の人で、チベットに初の統一をもたらし、仏教をはじめとする文化を大陸から取り入れ、古代国家を成立させ、多くの寺をたて、二十一箇条の憲法を制定したという。そして十一世紀くらいになると観音菩薩の化身と言われるようになったのも同じである。
死後も後世の人に影響を与えた点も似ていて、多くのチベットの聖者の夢枕や瞑想に現れてチベット史を牽引してきた。
ソンツェンガムポ王の転生のストーリーも、お釈迦様の時代はインドでローケーシュヴァラという王子で、古代チベットではソンツェンガムポ王になり、17世紀チベットでは、そう、政教一致のトップにたつダライ・ラマとして生まれるというように、聖徳太子と同様、インド、チベットと仏教が伝播する移動経路にそって転生し、その時その時にもっともふさわしい姿に生まれてチベット人を導いてきたとされる。
どう二人の事績、そっくりでしょう。
次に、聖徳太子にまつわる二つの仏像と同様のものがチベットにもある不思議。
日本においては、死後の平安を約束してくれる阿弥陀仏の信仰が盛んになると、阿弥陀仏の化身である観音菩薩として、聖徳太子信仰ももりあがっていく。
阿弥陀様はもう輪廻を卒業して仏になってしまっているので、輪廻の中にいる人々を救う際には菩薩を派遣せねばならない。こうして派遣されるのが観音菩薩であり、両者の関係を示すべく、観音像の頭にはチベットでも日本でも阿弥陀様の化仏がつけられている。
で、H君がもってきたもう一つの文章、嶋口儀秋史の「聖徳太子信仰と善光寺」によると、阿弥陀仏を祀る善光寺と聖徳太子ゆかりの四天王寺が、死後の平安を祈る阿弥陀仏信仰のもりあがりとともに、観音と阿弥陀の連携プレイを行う。
ご存じ、善光寺のご本尊といえば、一つの光背の中に阿弥陀様を中心に観音・勢至を従えた、一光三尊の仏様である(秘仏)。善光寺の縁起(平安末期~鎌倉初期)によると、この一光三尊のご本尊は我が国最初の渡来仏であり、聖徳太子幼少のみぎり物部守屋が滅ぼされた後、守屋が難波に投棄したこの仏と聖徳太子様は対面した。四天王寺の聖徳太子(観音菩薩)と善光寺のご本尊の阿弥陀様との間には往復書簡も交わされている(笑)。
そして四天王寺(聖徳太子がかかわって建立された日本最初の官寺)の西門は、阿弥陀様の極楽浄土、すなわち善光寺の東門につながっているという信仰が生まれ、お彼岸の御中日になると善男善女は四天王寺に集まって西門のまん中に沈む夕日にむかい手を合わせ極楽往生を願うようになる。
で、法隆寺に聖徳太子をうつしたといわれる等身大の観音像があるように、チベットの観音の化身ソンツェンガムポ王にも、ソンツェンガムポ王が死後溶け込んでいったといわれる十一面観音像がある。
また、善光寺の一光三尊の阿弥陀如来が、日本最古の渡来仏と言われるように、チベットの都ラサのチョカン(トゥルナン寺)にも、ソンツェンガムポの中国からめとった后が、輿入れの際にもたらした釈迦牟尼像が祀られている。
不思議な話がある。
先日長野を訪問した際にいただいた長野のダライ・ラマ法王講演パンフレットを見ると、四月二十三日づけのダライ・ラマ法王のメッセージが掲載されていた。その内容とは、善光寺のご本尊一光三尊像が、日本最古の渡来仏であり、それを祀る寺として善光寺ができたことは、チベットの都ラサの中心にある寺院トゥルナン(チョカン)がチベット初の渡来仏を祀っているのと同じと、その親近感を述べている。
また、つい先頃ミスター『入中論』が奈良で講演された際、法隆寺の夢殿の救世観音のご開帳にいきあわせた。この救世観音とは言うまでもなく聖徳太子さま等身大の像と呼ばれるもので、明治になってフェノロサが「だせ」言うまで秘仏であった仏様である。
私はこの話を平岡センセから聞いた時、こう聞いてみた。
「夢殿の救世観音が千年以上にわたり秘仏だったのは、法隆寺においてこの仏様を大気にさらすと大災害がおきる、という口伝があったからですよね。こんな口伝があるから、某西洋哲学者が、この像は聖徳太子の怨霊封じの像であるとか言い出したんですよね。ミスター『入中論』はこの仏様から何を感じとられていましたか」
平岡センセ「ミスターはお寺関係者のご厚意で、内陣で参拝しました。長いお経を読んで、そのあと、こうおっしゃいました。私は観音の祝福する地(チベット)からきて、また、この遠い日本で観音様にであって、とても感慨深い。とても力ある観音像である」
何と、ミスターはこの観音様から、聖徳太子ののろいでも怨霊でもなく(笑)、チベットとの共通点を感じ取っていたのである。
ダライ・ラマ法王もミスターも中村元先生の本を読まずとも、直感的に信仰の中において、ソンツェンガンポ王と聖徳太子が構造的に同じ位置にいることを感じ取っていらしたのか。一切を知るお方たち、おそるべし。
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今はなき東京大学名誉教授の中村元先生はチベット開国の王ソンツェンガムポ王と日本の聖徳太子をとりあげ、その事績や歴史の中における位置づけが驚くほどにていることを指摘し、その勢いで比較思想学会とかまでつくったことはチベットオタクの間では超有名である。
で、中村元先生の書いた内容はとうに忘れてしまったが、とりあえず、自分が今感じている類似点について以下に挙げる。まず、ソンツェンガムポ王と聖徳太子の事績について。
H君がもってきた『日本往生極楽記』(10世紀)の聖徳太子伝によると、聖徳太子は幼い頃、「自分の前世は南嶽慧思(天台宗の祖智の先生)とかである」といったそうで、百済からやってきた日羅は幼い太子をみて「救世観世音」であると伏し拝んだ。すると太子も日羅もピカーッと発光し聖徳太子は「あなたは過去世で私の弟子だった」と前世の記憶を述べたという。
で、推古天皇が即位して聖徳太子は政治をとり、憲法十七条を制して、まるで僧のように勝鬘経を講義し、法隆寺とかをたてた。で、聖徳太子は片岡山で飢えて死にかけている人をみてその人を哀れんで自分の衣をぬいでかけてやった。この飢人は死後遺体が消えたという(この飢人の前世は中国で禅宗を開いた達磨太子の生まれ変わりと言われるようになる)。
聖徳太子は後になり阿弥陀仏を奉じる念仏集団によっても崇拝されるところとなり、真宗の開祖親鸞は夢枕にたった聖徳太子のお告げにより妻帯した。また、聖徳太子は日本の最初期にあたり寺などをたてたことから、今も職人たちに工芸の神として祀られている。
聖徳太子の転生ストーリーは、一見して天台思想の唐土から日本への伝播を、唐の南嶽慧思から日本の聖徳太子への転生という形で表したものである。聖徳太子が観音の化身とされるのも、天台思想の重視する法華経を説いたのが観音菩薩だからであろう。
以上の聖徳太子伝に対し、一方のソンツェンガムポ王は聖徳太子とほぼ同時代の人で、チベットに初の統一をもたらし、仏教をはじめとする文化を大陸から取り入れ、古代国家を成立させ、多くの寺をたて、二十一箇条の憲法を制定したという。そして十一世紀くらいになると観音菩薩の化身と言われるようになったのも同じである。
死後も後世の人に影響を与えた点も似ていて、多くのチベットの聖者の夢枕や瞑想に現れてチベット史を牽引してきた。
ソンツェンガムポ王の転生のストーリーも、お釈迦様の時代はインドでローケーシュヴァラという王子で、古代チベットではソンツェンガムポ王になり、17世紀チベットでは、そう、政教一致のトップにたつダライ・ラマとして生まれるというように、聖徳太子と同様、インド、チベットと仏教が伝播する移動経路にそって転生し、その時その時にもっともふさわしい姿に生まれてチベット人を導いてきたとされる。
どう二人の事績、そっくりでしょう。
次に、聖徳太子にまつわる二つの仏像と同様のものがチベットにもある不思議。
日本においては、死後の平安を約束してくれる阿弥陀仏の信仰が盛んになると、阿弥陀仏の化身である観音菩薩として、聖徳太子信仰ももりあがっていく。
阿弥陀様はもう輪廻を卒業して仏になってしまっているので、輪廻の中にいる人々を救う際には菩薩を派遣せねばならない。こうして派遣されるのが観音菩薩であり、両者の関係を示すべく、観音像の頭にはチベットでも日本でも阿弥陀様の化仏がつけられている。
で、H君がもってきたもう一つの文章、嶋口儀秋史の「聖徳太子信仰と善光寺」によると、阿弥陀仏を祀る善光寺と聖徳太子ゆかりの四天王寺が、死後の平安を祈る阿弥陀仏信仰のもりあがりとともに、観音と阿弥陀の連携プレイを行う。
ご存じ、善光寺のご本尊といえば、一つの光背の中に阿弥陀様を中心に観音・勢至を従えた、一光三尊の仏様である(秘仏)。善光寺の縁起(平安末期~鎌倉初期)によると、この一光三尊のご本尊は我が国最初の渡来仏であり、聖徳太子幼少のみぎり物部守屋が滅ぼされた後、守屋が難波に投棄したこの仏と聖徳太子様は対面した。四天王寺の聖徳太子(観音菩薩)と善光寺のご本尊の阿弥陀様との間には往復書簡も交わされている(笑)。
そして四天王寺(聖徳太子がかかわって建立された日本最初の官寺)の西門は、阿弥陀様の極楽浄土、すなわち善光寺の東門につながっているという信仰が生まれ、お彼岸の御中日になると善男善女は四天王寺に集まって西門のまん中に沈む夕日にむかい手を合わせ極楽往生を願うようになる。
で、法隆寺に聖徳太子をうつしたといわれる等身大の観音像があるように、チベットの観音の化身ソンツェンガムポ王にも、ソンツェンガムポ王が死後溶け込んでいったといわれる十一面観音像がある。
また、善光寺の一光三尊の阿弥陀如来が、日本最古の渡来仏と言われるように、チベットの都ラサのチョカン(トゥルナン寺)にも、ソンツェンガムポの中国からめとった后が、輿入れの際にもたらした釈迦牟尼像が祀られている。
不思議な話がある。
先日長野を訪問した際にいただいた長野のダライ・ラマ法王講演パンフレットを見ると、四月二十三日づけのダライ・ラマ法王のメッセージが掲載されていた。その内容とは、善光寺のご本尊一光三尊像が、日本最古の渡来仏であり、それを祀る寺として善光寺ができたことは、チベットの都ラサの中心にある寺院トゥルナン(チョカン)がチベット初の渡来仏を祀っているのと同じと、その親近感を述べている。
また、つい先頃ミスター『入中論』が奈良で講演された際、法隆寺の夢殿の救世観音のご開帳にいきあわせた。この救世観音とは言うまでもなく聖徳太子さま等身大の像と呼ばれるもので、明治になってフェノロサが「だせ」言うまで秘仏であった仏様である。
私はこの話を平岡センセから聞いた時、こう聞いてみた。
「夢殿の救世観音が千年以上にわたり秘仏だったのは、法隆寺においてこの仏様を大気にさらすと大災害がおきる、という口伝があったからですよね。こんな口伝があるから、某西洋哲学者が、この像は聖徳太子の怨霊封じの像であるとか言い出したんですよね。ミスター『入中論』はこの仏様から何を感じとられていましたか」
平岡センセ「ミスターはお寺関係者のご厚意で、内陣で参拝しました。長いお経を読んで、そのあと、こうおっしゃいました。私は観音の祝福する地(チベット)からきて、また、この遠い日本で観音様にであって、とても感慨深い。とても力ある観音像である」
何と、ミスターはこの観音様から、聖徳太子ののろいでも怨霊でもなく(笑)、チベットとの共通点を感じ取っていたのである。
ダライ・ラマ法王もミスターも中村元先生の本を読まずとも、直感的に信仰の中において、ソンツェンガンポ王と聖徳太子が構造的に同じ位置にいることを感じ取っていらしたのか。一切を知るお方たち、おそるべし。
師走の憂鬱
一年もこの時期となると、三年生は就活に浮き足立ち、四年生は残り少なくなった学生生活を実感し、やっぱ留年するかなどの危険な決意をするものも現れたりする。
それにしてもそれ以前の問題として、単位がたりなくて四年で(あるいは五年で)卒業できないかもなんてのもいる。そういう学生に限って、楽勝科目、すなわち、出席しているだけで単位がくる、ひどいばあいは、出席しなくとも単位がくるなどという評判の講義をとりまくっている。
ではなぜそのような楽勝科目ですら落とすのかというと、基本的にそのような科目を選ぶことが如実に示しているように勉強する気がまったくないからである。
ワセダには系列校という恐ろしいシステムがあり、ここに小中高のどこかの時点で入る大学まで無試験で上がれる。結果として、かつては神童だったのだが、無試験のぬるま湯の中でゲームだ旅行だ、クラブだと快楽に流され続け、年相応の基礎的な学力すらみにつかない人間が生まれ、そのまま大学卒業の時を迎えてしまう。
同様なできあがり例として、自己推薦で入学した学生も多かれ少なかれこんなカンジになることがある。
で、このような学生たちにとって卒論とはどういうものなのだろうか。Aはあと一ヶ月だというのに一文字も書いていない。しかも、問い詰めると、
A「〔既存の本を〕ハサミでチョキチョキしてつくるもんじゃないですか」と、しゃあしゃあという。
お前のいっていることは、犯罪だよ!
ゼミ生に対しては基本甘い私も、さすがに昨日はあきれ果てオヤジのように説教。
「Bは一回も授業にでなかったのに単位がきてラッキー」とかを公言しているが、アホすぎる。本来身につけるべきことがまったく身についていないのにそれで卒業することに、何も感じることがないのか? それは本当にラッキーなことなのか?
あなたは自分の幸せの基準を運においているのか。
しかし、よく考えてご覧。宝くじで生計たてている人がいるか? いないだろう?
自分の人生の行く末を運にたくしていいわけ?
人生はギャンブルじゃない。幸せな人生をおくる一番の早道は、抜け道を探すことでも、楽な道を探すことでもなく、与えられた課題を自分の力でといて前に進んでいくことなんだ。
Bよ、いつまでも子供でいたいだあ? 流れに入りたくないだあ?
いくつになっても子供でいる方が大人になるのの百倍エネルギーを使うんだよ。
楽な道を選んだつもりでも、結果としては一番つらい道になるんだよ。
もっと長い目で人生を見ろ、タコ」
しかし、私の筋の通った説教も、のれんに腕押し、糠に釘。
「ボクの卒論を落とすなんて非人道的なことを先生がするはずがない」と、とてもいやなカンジの信頼を私においている(笑)。
しかし、おそらくは本人はある程度は気づいていて、でも、努力も勉強も規則正しい生活もそれに入るにはリハビリが必要なのである。
こんな彼らも来年には社会人になる。社会人は学力だけではなくコミニュケーション能力その他いろいろあるのでいちがいに彼らが社会で困ることになるとは言えないが(彼らは人柄はいい)、努力を積み重ねることを覚えていくのは大変だろうな。
就活をはじめたばかりの学生が鬱になる契機として、会社の性格にあわせて服装メイク、立ち居振る舞い、志望動機のプレゼンの仕方が異なることから、なんでここまでしなければいけないのか、とかいう流れがある。
しかし、これは婚活なんかにも言えることで、「ありのままの自分を好きになってくれる人がでてくるまでまつわ」みたいなことをいっている人は永遠に結婚できない。だいたい「ありままの自分」ってそんな良いものだろうか。
人間って、いろいろな経験(失敗・成功両方)を通じて、または勉学を通じて、いろいろなことが見えてきたり、その結果問題に処理できる力が生まれてきたりするものである。
それは自分のことしか考えられない狭い視野を、よりワイドにひろげていく過程とも重なる。
「ありのままの自分のまま」では、根本的に問題解決を行うことは不可能なのである。だから、オトナはなった方が断然ラクなのである。
「何か(社会人、夫、親など)になること」は「ありのままの自分を失うこと」ではない。何かになることは人格成長の契機である。何にもなれないこのままって方がよほどまずい。
「子供を生んだら母親になれるかと思ったら、子供を愛せませんでした」とか、「社会人になったら責任感が生まれるかと思いましたが、生まれませんでした」とかいうのはまずいだろう? 何にもなれない方がよほどまずい。
「ありのままの自分」はただ、「誰かに何かをしてもらうことをまっているしかない不安定な存在」なのである。自分のことは自分で解決できる存在の方が遙かにラクな人生を送れるだろう。
本能に従って流されてラクに生きることは、ひいては自分の人生を自分の力で動かすこともできなくなる、情けない人生、地獄へと続く道なのだ。
それにしてもそれ以前の問題として、単位がたりなくて四年で(あるいは五年で)卒業できないかもなんてのもいる。そういう学生に限って、楽勝科目、すなわち、出席しているだけで単位がくる、ひどいばあいは、出席しなくとも単位がくるなどという評判の講義をとりまくっている。
ではなぜそのような楽勝科目ですら落とすのかというと、基本的にそのような科目を選ぶことが如実に示しているように勉強する気がまったくないからである。
ワセダには系列校という恐ろしいシステムがあり、ここに小中高のどこかの時点で入る大学まで無試験で上がれる。結果として、かつては神童だったのだが、無試験のぬるま湯の中でゲームだ旅行だ、クラブだと快楽に流され続け、年相応の基礎的な学力すらみにつかない人間が生まれ、そのまま大学卒業の時を迎えてしまう。
同様なできあがり例として、自己推薦で入学した学生も多かれ少なかれこんなカンジになることがある。
で、このような学生たちにとって卒論とはどういうものなのだろうか。Aはあと一ヶ月だというのに一文字も書いていない。しかも、問い詰めると、
A「〔既存の本を〕ハサミでチョキチョキしてつくるもんじゃないですか」と、しゃあしゃあという。
お前のいっていることは、犯罪だよ!
ゼミ生に対しては基本甘い私も、さすがに昨日はあきれ果てオヤジのように説教。
「Bは一回も授業にでなかったのに単位がきてラッキー」とかを公言しているが、アホすぎる。本来身につけるべきことがまったく身についていないのにそれで卒業することに、何も感じることがないのか? それは本当にラッキーなことなのか?
あなたは自分の幸せの基準を運においているのか。
しかし、よく考えてご覧。宝くじで生計たてている人がいるか? いないだろう?
自分の人生の行く末を運にたくしていいわけ?
人生はギャンブルじゃない。幸せな人生をおくる一番の早道は、抜け道を探すことでも、楽な道を探すことでもなく、与えられた課題を自分の力でといて前に進んでいくことなんだ。
Bよ、いつまでも子供でいたいだあ? 流れに入りたくないだあ?
いくつになっても子供でいる方が大人になるのの百倍エネルギーを使うんだよ。
楽な道を選んだつもりでも、結果としては一番つらい道になるんだよ。
もっと長い目で人生を見ろ、タコ」
しかし、私の筋の通った説教も、のれんに腕押し、糠に釘。
「ボクの卒論を落とすなんて非人道的なことを先生がするはずがない」と、とてもいやなカンジの信頼を私においている(笑)。
しかし、おそらくは本人はある程度は気づいていて、でも、努力も勉強も規則正しい生活もそれに入るにはリハビリが必要なのである。
こんな彼らも来年には社会人になる。社会人は学力だけではなくコミニュケーション能力その他いろいろあるのでいちがいに彼らが社会で困ることになるとは言えないが(彼らは人柄はいい)、努力を積み重ねることを覚えていくのは大変だろうな。
就活をはじめたばかりの学生が鬱になる契機として、会社の性格にあわせて服装メイク、立ち居振る舞い、志望動機のプレゼンの仕方が異なることから、なんでここまでしなければいけないのか、とかいう流れがある。
しかし、これは婚活なんかにも言えることで、「ありのままの自分を好きになってくれる人がでてくるまでまつわ」みたいなことをいっている人は永遠に結婚できない。だいたい「ありままの自分」ってそんな良いものだろうか。
人間って、いろいろな経験(失敗・成功両方)を通じて、または勉学を通じて、いろいろなことが見えてきたり、その結果問題に処理できる力が生まれてきたりするものである。
それは自分のことしか考えられない狭い視野を、よりワイドにひろげていく過程とも重なる。
「ありのままの自分のまま」では、根本的に問題解決を行うことは不可能なのである。だから、オトナはなった方が断然ラクなのである。
「何か(社会人、夫、親など)になること」は「ありのままの自分を失うこと」ではない。何かになることは人格成長の契機である。何にもなれないこのままって方がよほどまずい。
「子供を生んだら母親になれるかと思ったら、子供を愛せませんでした」とか、「社会人になったら責任感が生まれるかと思いましたが、生まれませんでした」とかいうのはまずいだろう? 何にもなれない方がよほどまずい。
「ありのままの自分」はただ、「誰かに何かをしてもらうことをまっているしかない不安定な存在」なのである。自分のことは自分で解決できる存在の方が遙かにラクな人生を送れるだろう。
本能に従って流されてラクに生きることは、ひいては自分の人生を自分の力で動かすこともできなくなる、情けない人生、地獄へと続く道なのだ。
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