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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2010/11/16(火)   CATEGORY: 未分類
APECにできなくて平和サミットのできること
冷えるが秋晴れの本日、ダライラマ法王は成田からインドに向かった。今回の来日のメイン・イベントは前エントリーで記した広島平和サミットであり、同サミットは地雷禁止条約を策定した時のような核削減目標を掲げて閉幕した。

 このような非核や軍縮について、「隣にアブナイ国がいるのに丸腰でいるのはムリ」という人がいるかもしれない。法王はそれもちゃんと理解している。昨年沖縄にお見えになった際に、沖縄の米軍基地の存在の可否について質問された時、「軍隊は理想的にはないにこしたことはないし、いずれなくなるべきであろうが、今はあった方がいい。民主主義の軍隊だ。何に問題がある」と発言されたという(又聞きなので一言一句同じではないかも)。

 つまり法王は現実を踏まえた上で、でも理想にむけて努力を続けようとおっしゃっているのである。何のビジョンもないくせにただ平和と九条を連呼している日本のど左とは格が違う。

 つまりこんなカンジ。我々のようなど凡夫が一足飛びに人格者になることはできないけど、「どーせオレはこういう人間さ」と問題を直視せず、自堕落に生きて、回りに迷惑をかけ、残念な人生を送る人になるか、たとえば、ダライ・ラマのような人格者を目指して、少しずつでもいいから、善い人間になっていきたい、と常に思って生きくかを問うているのである。

 この場合、すぐに分かることは、前者のような人が集まった社会は明らかに残念な未来がまっているが、後者のような人が多い社会は芯から腐ることはない(最近芯から腐るという言葉よく使うけど、表面が腐りきっていることを前提としているところが言ってて空しい)。

 で、こういう個人の集まりである平和会議は、APECのような国の名前をしょった人々の集まりよりも、自由に、より大局的な見方からいろいろな提言ができる。本当の意味で国際的な集まりとなりうるのだ。

 法王の平和に関するスタンスを知りたい方は、法王が21世紀のはじめに発表した『新世紀のための倫理』(邦題『ダライ・ラマの幸福論』)の十四章をごらんいただきたい。今回のような平和会議のもつ意義がよく述べられている。以下にハイライトを転載。


 今の国連には問題点があります。・・一人ひとりの市民はそこに声を届かせられないことです。自国の暴政を訴えたい市民がいても、そのための場所がないのです。さらに不幸なことに、国連には拒否権を行使するシステムがありますが、今のところこの拒否権は一部の有力な国にしか与えられていません。これらは重大な欠陥でしょう。

 市民一人ひとリの声を届かせられない点については、もっと思いきった方法を考えなければならないかもしれません。司法、行政、立法の三権分立で民主主義が成り立っているように、完全に独立した機関を国際レベルで設ける必要があります。ただし国連はおそらくこれにはふさわしくないでしょう。

 ブラジルで行われた地球サミットなど、いくつかの国際会議に参加して気づいたのですが、各国を代表してやってくる人は、国境を超えた問題について話しあっているにもかかわらず、どうしても白国の利益を優先して発言しがちです。しかし、純粋な個人が集まっての話しあいであれば、人類全体についての配慮がなされる可能性はずっと高いでしょう。

 核戦争防止国際医師会議のような例もあります。わたしの参加しているノーベル平和賞受賞者による兵器売買についての発案会議もそうです。こうした集まりの精神は、ほんとうの意味で国際的であり、分け隔てもまったくありません。したがって、人間の営為を道徳的な見地から監視することを第一の目的とする機関は、ぜひとも設ける価値があると思います。

 言わば「人びとによる人びとのための世界評議会」とでも名づけられる組織です(もちろん、もっとよい名称が見つかることは疑いないでしょうが)。

 この組織はそれこそさまざまな背景をもった人びとで構成されるといいでしょう。芸術家もいれば銀行家もいます。環境保護論者も、弁護士も、詩人も、大学教授も、宗教人も、作家も、そしてもちろん一股市民もいます。道徳的、人問的に信頼できる誠実な人だと周囲から認められていれば、だれでも参加する資格があります。

 この組織に政治権力は投資をしないでしょうから、組織がどんな発言をしても、法的な拘束力はないでしょう。でも幸いなことに、これは完全に独立した組織であり、いかなる国家やイデオロギーとも無縁ですから、そこでの審議は世界の良心を映し出したものになるはずです。したがって、これは倫理的な権威になれるのです。

 もちろん、この提案に賛成しない人はたくさんいるでしょう。前に述べた軍備の撤廃、非武装化、国連の改革についての提案と同様、非現実的だ、あまりに単純すぎると批判する人は大勢いるでしょう。そんなものは「現実の世界」では機能しないと言う人だっているかもしれません。人はえてして他人の考えを、うまくいくはずがないと批判し、文句をつけるだけで満足してしまいます

 しかし、結果は別として、せめて建設的な考えを提案してみなければものごとは進みません。それに、少なくともひとつは確実なことがあります。人間は真実を、正義を、平和を、白由を愛するものだと考えれば、もっとよい、もっと思いやりのある世界を築くことは決して夢ではありません。そこには可能性があります。



で、このような大枠を提示することを行いながら、たとえば軍備を地域軍にして、それぞれの軍を解体していく、大国の間には平和地帯をつくりそこは武装解除する、何より、自分さえよけりゃいい、自分の国さえよけりゃいいなどという民度の低い国民をつくらないような倫理教育を行い、段階的でいいので、対立する人々の心から猜疑心・憎しみなどを取り除いていく努力を行うようにとのことなのである。

 おそらくは世界最後の日でも笑っているであろう法王のこの考え方を、シニシズムにとどまっている多くの人々に届けたい。
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