長野のフリチベ奥深し
日曜日は長野の善光寺の寺子屋講座でお話させていただく。わたしは駅からお寺まで循環バスでいきますと、いったのに、わざわざお迎えのお坊さんがきてくださっていた。ありがたすぎる。
行きのタクシーの中で、私が「開帳年が終わって、今年は参拝客の数はへりましたか」と伺うと、「昨今のパワースポット・ブームで近くの戸隠が人気になって、そのため善光寺への訪問客も例年よりはあります」とのこと。
善光寺様につき、事務方のトップのWさんがご挨拶にきてくださる。今年六月ダライ・ラマ法王が善光寺様にいらした時、今私のいる応接室でお会いしたそうで、法王はその時Wさんに旧知の仲のようににこにこしながら話しかけてこられて、Wさんは「今までいろいろな方とお会いしてきたけど、ダライ・ラマは他とは違う圧倒的にひきつけられるものがありました」ときさくにお話してくださる。
ダライラマ・マジック健在。
私の前に講演をされている柳沢正志先生もしばらくして講演をおえて顔をみせてくださる。しかし、かつてワセダで自分の授業をとっていた学生であると知り、愕然とする。そりりゃそのくらいの年月はたっているよな。ははは。
気を取り直して、現場、もとい、会場にいく。スタッフの方がたくさんいてスムーズな会場運営である。普段、ボランティアが走り回って構成される、時間も段取りもゆるゆるなチベット的な会合になれている自分にはまぶしすぎる(笑)。
いつもなら、紹介の途中で「ここにいらっしゃる方はみなさんご存じですよねー」とかいうところであるが、今日はちゃんと紹介が終わるまでおとなしくしていた (当たり前だ 笑)。
聴衆は年配の方が多い。私の前の柳沢先生は念仏のお話で、漢字がいっぱいのテキストを用意しているのに、自分のテクストはひらがなばかり。砂マンダラの解説をテーマに頂戴していたのだが、チベットでは密教のお話は顕教を行ってからでないと許されないので、帰依からはじまり、六波羅蜜の智慧の説明まで簡単にしてそれから密教の話しをした。
途中黒板を使おうとしたら、お坊様たちが、わたしのために黒板を移動させようと数人がざざっときてくれそうになったので、「大丈夫です。今の内閣みたいに浮き足立たないでください。」といってとどめる。お坊さんには常に堂々としていてほしい。
そして、終了後、善光寺事務局さまの好意でサイン会をやらしていただくこととなる。開口一番「あらかじめ言っておきますが、わたしの字は汚いです」。すると、先頭にいた女性が「わかってます」(笑)。
この方はランツェンワンモさんで (笑)、善光寺大門町の八幡屋さんのマカロンをおみやにくださった。ありがとうございます。先頭の三~四人はおそらくはフリチベさんと思われる。なんでわかるかというと、若いということと、わたしごとき一般人に握手をもとめたり、「妻もきたがっていたのに子育てがあってむりでした」とかいうコメントからそれかなにげに伝わってくるのである。
長野のフリチベさんたちに幸いあれ。
善光寺のお坊さんたちは私の話をちゃんと聞いてくれて、最後にお寺用に、と拙著をお買い上げくださった。ので、「善光寺のお坊様たちへ」ときったない字でサインした(はは)。
それにお土産に昨年のご開帳のうちあげの際に用いられた成滿記念の散華を頂戴する。匣からしてありがたい、中身は一流の日本画家中島千波の描くサクラ絵である。暖かいおもてなしに本当に痛み入った。

そのあと、あの若麻績さんのご案内で、善光寺の門前にある浄土宗の大寺、西方寺さまにチベット大仏を拝観する。住職の金子栄一先生はチベット学者で、今年六月法王が長野にいらした折にこの西方寺にもお出ましになられ、このチベット大仏の落慶供養を行った。
ご住職はお通夜で不在であったが、内弟子の方が説明してくださる。彼によると、チベット大仏をまつるこのお堂は、浄土三部経の一つである観無量寿経に説かれる極楽をうつしたものである。だから、この仏は阿弥陀仏であり、まわりには善光寺様のご本尊同様、観音・勢至の二菩薩の絵をかけている。しかし、この二菩薩以外にも複数の菩薩がいるのでそれを聞いてみると、いずれチベットの八大菩薩が揃うという。
この中尊を最初お写真で拝見した時、お釈迦様の像かと思っていたのだが、説明では釈迦・阿弥陀同体であるという。そういえば、この仏様説法印を結んでいるが、この仏様のモデルとなった觀無量寿に基づく当麻マンダラの阿弥陀様も説法印を結んでいる。
内弟子の方のお話によると、もう一つ日蔵折衷の部分があるそうで、観音様の絵を指さされた。観音様の頭には日本でもチベットでも必ず小さな阿弥陀仏をのせ、観音は阿弥陀様の化身であることを示す。この場合、阿弥陀様は、チベットでは生首状でのるが、ジャパンの観無量寿経では立像である。なので、この西方寺の観音様の画像は、チベット風とジャパン風両者を尊重して、生首と立像の両方がついている(笑)。
法王が開眼供養の際に導師としてお座りになられた座、法王が呪物(スンシュク)をいれた仏様の背中の穴などを拝見する。ありがたや。そしてこの仏像の製作過程と、法王をお招きしての落慶式をおさめたDVDを頂戴した。

それから、善光寺のお坊さんお三方ならびデザインをお仕事とされているAさんとともにお食事。知っている方は知っていると思うが、今年六月、法王事務所は亡命生活50周年のチベット社会の歴史を知ってもらうべく『希望』という本をだした。
なかみはチベットの写真を多用して歴史、文化、それから、難民社会の生活、本土における弾圧の歴史などをまとめたものである。この小冊子を手にした時、そのセンスのいいスタイリッシュな編集に、「法王事務所もやるじゃん」と思ったたものだが、この編集はAさんが手がけていた。


今年六月に法王長野講演のパンフレットもAさんのデザインである。パンフレットの表紙には善光寺様のシンボルマーク、タチアオイ紋の上に、チベットの吉祥紋があしらわれており、チベットと善光寺の出会いが象徴されている。そしてパンフの中にはチベットスタイルで描かれたうつくしい観音菩薩の散華が入っていた。
いつも感心するのは、チベットのまわりには損得ぬきで、才能と誠実さを捧げる優れた女性・男性がじつにたくさんいる。お金にもならず、地位も名誉も何も期待できないのに、でもみな心を込めて一期一会の集まりのために美しいパンフやウェッブや本をつくってくれている。世の中には半端な仕事しかせずとも、対価や評価を求める人があふれているのに、チベット・コミニュティの周囲には、ちょっと普段はお目にかかれないような奇特な立派な方ばかり。
お坊様たちからは善光寺の伝統にまつわる様々なお話、聖火リレー辞退の時のお話などを伺う。面白かった。
長野駅に帰り際、事務所にたちよったAさんから、最新号の『コンパッション No.3 特集ダライ・ラマ法王』(智山派青年僧侶有志の会発行)を頂戴する。法王来日記念号なので、そうそうたるメンバーがダライ・ラマ法王について書いている。
また、チベット人歌手シェルテンのCDを「応援しているんです」と私にくださった。『コンパッション』をめくっていると、この中にもシェルテンの歌が掲載されていた。
外大の浅井さんが和訳されているシェルテンの詩は寓意的。「善なる父」はダライ・ラマ法王のことを指しているようにもとれるし、「母」はチベットの大地を指しているようにも聞こえる。もう一つの曲は父母をおいて家をでる若者の歌で、これはインドへの亡命とも、仕事や進学で中国の内地にいかざるをえない人々の声を代表しているともいえる。
人のたくさん集まる大都市ならまだしも、この静かで美しい長野の地のどこから、老・若、僧・俗、学者・非学者の別をこえて、様々な形でチベットの文化や今を発信する力が生まれてくるのか、本当に不思議であった。
長野のフリチベ奥深し。
行きのタクシーの中で、私が「開帳年が終わって、今年は参拝客の数はへりましたか」と伺うと、「昨今のパワースポット・ブームで近くの戸隠が人気になって、そのため善光寺への訪問客も例年よりはあります」とのこと。
善光寺様につき、事務方のトップのWさんがご挨拶にきてくださる。今年六月ダライ・ラマ法王が善光寺様にいらした時、今私のいる応接室でお会いしたそうで、法王はその時Wさんに旧知の仲のようににこにこしながら話しかけてこられて、Wさんは「今までいろいろな方とお会いしてきたけど、ダライ・ラマは他とは違う圧倒的にひきつけられるものがありました」ときさくにお話してくださる。
ダライラマ・マジック健在。
私の前に講演をされている柳沢正志先生もしばらくして講演をおえて顔をみせてくださる。しかし、かつてワセダで自分の授業をとっていた学生であると知り、愕然とする。そりりゃそのくらいの年月はたっているよな。ははは。
気を取り直して、現場、もとい、会場にいく。スタッフの方がたくさんいてスムーズな会場運営である。普段、ボランティアが走り回って構成される、時間も段取りもゆるゆるなチベット的な会合になれている自分にはまぶしすぎる(笑)。
いつもなら、紹介の途中で「ここにいらっしゃる方はみなさんご存じですよねー」とかいうところであるが、今日はちゃんと紹介が終わるまでおとなしくしていた (当たり前だ 笑)。
聴衆は年配の方が多い。私の前の柳沢先生は念仏のお話で、漢字がいっぱいのテキストを用意しているのに、自分のテクストはひらがなばかり。砂マンダラの解説をテーマに頂戴していたのだが、チベットでは密教のお話は顕教を行ってからでないと許されないので、帰依からはじまり、六波羅蜜の智慧の説明まで簡単にしてそれから密教の話しをした。
途中黒板を使おうとしたら、お坊様たちが、わたしのために黒板を移動させようと数人がざざっときてくれそうになったので、「大丈夫です。今の内閣みたいに浮き足立たないでください。」といってとどめる。お坊さんには常に堂々としていてほしい。
そして、終了後、善光寺事務局さまの好意でサイン会をやらしていただくこととなる。開口一番「あらかじめ言っておきますが、わたしの字は汚いです」。すると、先頭にいた女性が「わかってます」(笑)。
この方はランツェンワンモさんで (笑)、善光寺大門町の八幡屋さんのマカロンをおみやにくださった。ありがとうございます。先頭の三~四人はおそらくはフリチベさんと思われる。なんでわかるかというと、若いということと、わたしごとき一般人に握手をもとめたり、「妻もきたがっていたのに子育てがあってむりでした」とかいうコメントからそれかなにげに伝わってくるのである。
長野のフリチベさんたちに幸いあれ。
善光寺のお坊さんたちは私の話をちゃんと聞いてくれて、最後にお寺用に、と拙著をお買い上げくださった。ので、「善光寺のお坊様たちへ」ときったない字でサインした(はは)。
それにお土産に昨年のご開帳のうちあげの際に用いられた成滿記念の散華を頂戴する。匣からしてありがたい、中身は一流の日本画家中島千波の描くサクラ絵である。暖かいおもてなしに本当に痛み入った。

そのあと、あの若麻績さんのご案内で、善光寺の門前にある浄土宗の大寺、西方寺さまにチベット大仏を拝観する。住職の金子栄一先生はチベット学者で、今年六月法王が長野にいらした折にこの西方寺にもお出ましになられ、このチベット大仏の落慶供養を行った。
ご住職はお通夜で不在であったが、内弟子の方が説明してくださる。彼によると、チベット大仏をまつるこのお堂は、浄土三部経の一つである観無量寿経に説かれる極楽をうつしたものである。だから、この仏は阿弥陀仏であり、まわりには善光寺様のご本尊同様、観音・勢至の二菩薩の絵をかけている。しかし、この二菩薩以外にも複数の菩薩がいるのでそれを聞いてみると、いずれチベットの八大菩薩が揃うという。
この中尊を最初お写真で拝見した時、お釈迦様の像かと思っていたのだが、説明では釈迦・阿弥陀同体であるという。そういえば、この仏様説法印を結んでいるが、この仏様のモデルとなった觀無量寿に基づく当麻マンダラの阿弥陀様も説法印を結んでいる。
内弟子の方のお話によると、もう一つ日蔵折衷の部分があるそうで、観音様の絵を指さされた。観音様の頭には日本でもチベットでも必ず小さな阿弥陀仏をのせ、観音は阿弥陀様の化身であることを示す。この場合、阿弥陀様は、チベットでは生首状でのるが、ジャパンの観無量寿経では立像である。なので、この西方寺の観音様の画像は、チベット風とジャパン風両者を尊重して、生首と立像の両方がついている(笑)。
法王が開眼供養の際に導師としてお座りになられた座、法王が呪物(スンシュク)をいれた仏様の背中の穴などを拝見する。ありがたや。そしてこの仏像の製作過程と、法王をお招きしての落慶式をおさめたDVDを頂戴した。

それから、善光寺のお坊さんお三方ならびデザインをお仕事とされているAさんとともにお食事。知っている方は知っていると思うが、今年六月、法王事務所は亡命生活50周年のチベット社会の歴史を知ってもらうべく『希望』という本をだした。
なかみはチベットの写真を多用して歴史、文化、それから、難民社会の生活、本土における弾圧の歴史などをまとめたものである。この小冊子を手にした時、そのセンスのいいスタイリッシュな編集に、「法王事務所もやるじゃん」と思ったたものだが、この編集はAさんが手がけていた。


今年六月に法王長野講演のパンフレットもAさんのデザインである。パンフレットの表紙には善光寺様のシンボルマーク、タチアオイ紋の上に、チベットの吉祥紋があしらわれており、チベットと善光寺の出会いが象徴されている。そしてパンフの中にはチベットスタイルで描かれたうつくしい観音菩薩の散華が入っていた。
いつも感心するのは、チベットのまわりには損得ぬきで、才能と誠実さを捧げる優れた女性・男性がじつにたくさんいる。お金にもならず、地位も名誉も何も期待できないのに、でもみな心を込めて一期一会の集まりのために美しいパンフやウェッブや本をつくってくれている。世の中には半端な仕事しかせずとも、対価や評価を求める人があふれているのに、チベット・コミニュティの周囲には、ちょっと普段はお目にかかれないような奇特な立派な方ばかり。
お坊様たちからは善光寺の伝統にまつわる様々なお話、聖火リレー辞退の時のお話などを伺う。面白かった。
長野駅に帰り際、事務所にたちよったAさんから、最新号の『コンパッション No.3 特集ダライ・ラマ法王』(智山派青年僧侶有志の会発行)を頂戴する。法王来日記念号なので、そうそうたるメンバーがダライ・ラマ法王について書いている。
また、チベット人歌手シェルテンのCDを「応援しているんです」と私にくださった。『コンパッション』をめくっていると、この中にもシェルテンの歌が掲載されていた。
外大の浅井さんが和訳されているシェルテンの詩は寓意的。「善なる父」はダライ・ラマ法王のことを指しているようにもとれるし、「母」はチベットの大地を指しているようにも聞こえる。もう一つの曲は父母をおいて家をでる若者の歌で、これはインドへの亡命とも、仕事や進学で中国の内地にいかざるをえない人々の声を代表しているともいえる。
人のたくさん集まる大都市ならまだしも、この静かで美しい長野の地のどこから、老・若、僧・俗、学者・非学者の別をこえて、様々な形でチベットの文化や今を発信する力が生まれてくるのか、本当に不思議であった。
長野のフリチベ奥深し。
ミスター『入中論』
ゲン・ロサン先生のジャパン・ツアーが終わると、ミスター『入中論』のツァーが始まる。
ミスター『入中論』、本名ロサン・テレ先生は、今はなきガワン先生の葬儀を主宰された方である。これがチベット的に何を意味するかというと、ガワン先生のやり残されたお仕事はミスター『入中論』が継ぐことを意味する。
というわけで、生前、ガワン先生が大阪の平岡センセに『グヒヤサマージャ・タントラ』の伝授を行っていたように、今、ミスター『入中論』も来阪されて平岡センセに、同タントラの灌頂の注釈書の伝授を行われている。
『入中論』という聖典の名前があだなになっていることから分かるように、ロサン・テレ先生は中観思想の名著『入中論』のプロである。
ロサン・テレ先生は1957年にラサ三大僧院の一つセラ大僧院で出家し(この僧院河口慧海のいたことで日本人にはわりと有名)、その二年後にダライ・ラマの後を追ってインドへと亡命した。難民生活の中でも研鑽を続け、1987年には、博士の最高学位ゲシェー・ララムパ号を獲得した。
ミスターがいかに有名な学僧であったかについてはこんなエピソードがある。
ダラムサラにあるダライ・ラマおつきのナムゲル僧院が、南インドのセラ大僧院に対して、指導僧をだすようにとの要請を行った。本来ならミスター『入中論』が右代表でナムゲル僧院に出向すべきところを、ミスター『入中論』をとられるとセラの教育が手薄になるとのことで、次点のお坊さんがナムゲル僧院に出向した。
ある日ダライラマ法王がナムゲル僧院にこられて「セラからきた僧侶は誰か」と聞くので、「私です」と件の次点僧が答えると、法王「じゃあオマエがミスター『入中論』か」とおっしゃられたので、「いえ違います」というしかなく、結局ミスター『入中論』はナムゲル僧院に出向したという。つまり、ミスター『入中論』の名は法王の耳に届くほど有名だったのである。
ミスター『入中論』は顕教の哲学を一通り終えたあと、1988年には密教の学堂ギュメにも入り、ここでも位人臣を極め2005年にはギュメの管長にまで上りつめた。つまり顕教を極めただけでなく密教の実践をも極めたのである。ガンデン大僧院の出で、ゲシェ・ララムパ号を獲得し、さらにギュメの管長にまでなったというガワン先生と、キャリア的にはほぼ互角である。
チベットと言えば、ラマ語りである。ダライ・ラマ法王も自分のラマの話しをする時は、必ず涙ぐむ。幼い頃に出家するチベットでは子供の頃から自分の精神と肉体の成長をみまもってくれるラマは親でもあり、教師でもあり、仏でもあるという超重い存在なのだ。
なのでここで秀才ミスター『入中論』のラマ、ロサン・ワンチュク師についてエピソードを一つ。
ロサン・ワンチュク師は1975年くらいにいろいろな僧院に供養を行いだした。このことを聞きつけたダライ・ラマ法王はロサン・ワンチュク師にこういった。
「お前もうすぐ死ぬ気だろう。今チベットがどういう状態か分かっているのか。お前のような高僧に死なれては仏教界にとって痛手である。もう少しこの世にとどまれ。」とおっしゃった。
ロサン・ワンチュク先生は「自分の意志で寿命を伸ばせるほどの力がありません」と答えた。しかし、ダライ・ラマは「できるかできないかは聞いてない。もうしばらくこの世にとどまれ」とおっしゃった。するとロサン・ワンチュク先生はその時は死ななかった。
しかし、1979年にダライ・ラマ法王がヨーロッパ訪問中にロサン・ワンチュク先生は突然、遷化された。それに先立つこと少し前、いやな予感のしたダライ・ラマ法王はヨーロッパから国際電話をかけてロサン・ワンチュク先生の様子を聞かれた。しかし周りが、「説法会をやっているから大丈夫です」と答えたので、安心した。しかし、ワンチュク先生は説法会が終わると同時に急逝された。
それを聞いたダライ・ラマ法王は「しまった、油断した。あの時、この世にとどまれといったら、あと一年くらいはこの世にいたのに」と悔やまれたという。
このラマ語りの背後にはむろん仏伝の有名な釈尊とアーナンダの会話が存在している。80才になった釈尊は、ヴァイシャーリーにいる際に「私はそろそろこの世を去ろうと思う」とおっしゃられた。しかし、アーナンダは沈黙して、これに答えなかったため、釈尊は生命力を大地に放って、三ヶ月後の入寂を予言した。
この場所にたったのが八大仏塔の一つ尊勝塔である。
この時、アーナンダが釈尊に対して「お師匠様、この世にとどまってください」といえば、釈尊はもう少しこの世にいた。そのためアーナンダは血の巡りの悪い弟子の例として後世に語り継がれることになる。
この仏伝の記事を踏まえてチベットでは、ラマがごふ例ともなると、弟子一同でこの世にとどまってくださいという儀礼、テンシュクを行うこととなったのである。
このロサン・ワンチュク先生はミスター『入中論』に「〔早く覚りをひらくために〕洞窟にこもって自分だけの修業(密教)をするでない。我々の生きたかは仏になるまで三阿僧祇かかる生き方でいい(顕教による修行で覚りにいたるには天文学的な時間がかかる)。〔仏法存亡の折ゆえ〕たくさんの僧を指導しなければならない。」とおっしゃっていたという。
このような師匠のお言葉によって、ミスター『入中論』は日本にまできてくれているのである。そこでミスター『入中論』の公開灌頂のお知らせ。
一つは前のエントリーでもご紹介させていただいた、週末土曜日に行われる大覚寺のヤマーンタカ尊の灌頂、十二月は私立の名門清風学園を会場に行われるチッタマニ・ターラー尊の灌頂、三つ目は出雲の峯寺を舞台に行われるヤマーンタカ尊の灌頂である。
チベットでは正統な阿闍梨から、準備のできた弟子が、正しく密教の灌頂を授かると、今まで積んできた悪行がとりあえず浄化されるという。しかし、ガワン先生が最後に灌頂されてよりすでにほぼ二年近い日々が過ぎ、自分の意識には何か煩悩がたまりまくっている。今回は最低でもチッタマニの灌頂にはちゃんと参列して、この二年の煩悩障を雪がなきゃ。
●チッタマニターラー灌頂
日時 平成22年12月12日(日)午後一時から午後五時(予定)※途中入場は不可
場所 清風学園(大阪市天王寺区石ヶ辻町12-16)南館七階大ホール
問い合わせ先 06-6771-5757(担当 山本・梅野)
●ヤマーンタカ灌頂
日時 12月18日(土)午後5時半~午後8時~19日(日)正午~午後4時まで。
途中入場は不可。19日のみの参加はできません。途中退出は可。18日のみはOK。
場所 出雲峯寺(島根県雲南市三刀屋町給下1381)
問い合わせ先 0854-45-2245
詳しくは → http://mineji.jp/blog/?page_id=363
※施主平岡先生からメッセージ(コメント欄にあったのをそのままあげただけ 笑)
ダライ・ラマ法王様と奈良で謁見させて頂いた時、「最近、海外ではチベット僧侶というだけの偽物が跋扈していることは嘆かわしい」と仰いましたが、そのあと、ミスター入中論を指して、「彼は、本物だから」と付け加えられました。
ミスター入中論は、セラ・ガンデン・デプンの三大寺に名声をとどろかせた、ラサの気質を今も残す本物の僧侶です。
密教は灌頂を受けなければ、学ぶことが出来ません。
私はガンワン先生に師事して以来20数年、密教を学んで参りましたが、自分の学んできたものの集大成のつもりで、出来るだけわかりやすく通訳を務める所存ですので、密教を学んでみたいと志す方は是非ご参加ください。
ミスター『入中論』、本名ロサン・テレ先生は、今はなきガワン先生の葬儀を主宰された方である。これがチベット的に何を意味するかというと、ガワン先生のやり残されたお仕事はミスター『入中論』が継ぐことを意味する。
というわけで、生前、ガワン先生が大阪の平岡センセに『グヒヤサマージャ・タントラ』の伝授を行っていたように、今、ミスター『入中論』も来阪されて平岡センセに、同タントラの灌頂の注釈書の伝授を行われている。
『入中論』という聖典の名前があだなになっていることから分かるように、ロサン・テレ先生は中観思想の名著『入中論』のプロである。
ロサン・テレ先生は1957年にラサ三大僧院の一つセラ大僧院で出家し(この僧院河口慧海のいたことで日本人にはわりと有名)、その二年後にダライ・ラマの後を追ってインドへと亡命した。難民生活の中でも研鑽を続け、1987年には、博士の最高学位ゲシェー・ララムパ号を獲得した。
ミスターがいかに有名な学僧であったかについてはこんなエピソードがある。
ダラムサラにあるダライ・ラマおつきのナムゲル僧院が、南インドのセラ大僧院に対して、指導僧をだすようにとの要請を行った。本来ならミスター『入中論』が右代表でナムゲル僧院に出向すべきところを、ミスター『入中論』をとられるとセラの教育が手薄になるとのことで、次点のお坊さんがナムゲル僧院に出向した。
ある日ダライラマ法王がナムゲル僧院にこられて「セラからきた僧侶は誰か」と聞くので、「私です」と件の次点僧が答えると、法王「じゃあオマエがミスター『入中論』か」とおっしゃられたので、「いえ違います」というしかなく、結局ミスター『入中論』はナムゲル僧院に出向したという。つまり、ミスター『入中論』の名は法王の耳に届くほど有名だったのである。
ミスター『入中論』は顕教の哲学を一通り終えたあと、1988年には密教の学堂ギュメにも入り、ここでも位人臣を極め2005年にはギュメの管長にまで上りつめた。つまり顕教を極めただけでなく密教の実践をも極めたのである。ガンデン大僧院の出で、ゲシェ・ララムパ号を獲得し、さらにギュメの管長にまでなったというガワン先生と、キャリア的にはほぼ互角である。
チベットと言えば、ラマ語りである。ダライ・ラマ法王も自分のラマの話しをする時は、必ず涙ぐむ。幼い頃に出家するチベットでは子供の頃から自分の精神と肉体の成長をみまもってくれるラマは親でもあり、教師でもあり、仏でもあるという超重い存在なのだ。
なのでここで秀才ミスター『入中論』のラマ、ロサン・ワンチュク師についてエピソードを一つ。
ロサン・ワンチュク師は1975年くらいにいろいろな僧院に供養を行いだした。このことを聞きつけたダライ・ラマ法王はロサン・ワンチュク師にこういった。
「お前もうすぐ死ぬ気だろう。今チベットがどういう状態か分かっているのか。お前のような高僧に死なれては仏教界にとって痛手である。もう少しこの世にとどまれ。」とおっしゃった。
ロサン・ワンチュク先生は「自分の意志で寿命を伸ばせるほどの力がありません」と答えた。しかし、ダライ・ラマは「できるかできないかは聞いてない。もうしばらくこの世にとどまれ」とおっしゃった。するとロサン・ワンチュク先生はその時は死ななかった。
しかし、1979年にダライ・ラマ法王がヨーロッパ訪問中にロサン・ワンチュク先生は突然、遷化された。それに先立つこと少し前、いやな予感のしたダライ・ラマ法王はヨーロッパから国際電話をかけてロサン・ワンチュク先生の様子を聞かれた。しかし周りが、「説法会をやっているから大丈夫です」と答えたので、安心した。しかし、ワンチュク先生は説法会が終わると同時に急逝された。
それを聞いたダライ・ラマ法王は「しまった、油断した。あの時、この世にとどまれといったら、あと一年くらいはこの世にいたのに」と悔やまれたという。
このラマ語りの背後にはむろん仏伝の有名な釈尊とアーナンダの会話が存在している。80才になった釈尊は、ヴァイシャーリーにいる際に「私はそろそろこの世を去ろうと思う」とおっしゃられた。しかし、アーナンダは沈黙して、これに答えなかったため、釈尊は生命力を大地に放って、三ヶ月後の入寂を予言した。
この場所にたったのが八大仏塔の一つ尊勝塔である。
この時、アーナンダが釈尊に対して「お師匠様、この世にとどまってください」といえば、釈尊はもう少しこの世にいた。そのためアーナンダは血の巡りの悪い弟子の例として後世に語り継がれることになる。
この仏伝の記事を踏まえてチベットでは、ラマがごふ例ともなると、弟子一同でこの世にとどまってくださいという儀礼、テンシュクを行うこととなったのである。
このロサン・ワンチュク先生はミスター『入中論』に「〔早く覚りをひらくために〕洞窟にこもって自分だけの修業(密教)をするでない。我々の生きたかは仏になるまで三阿僧祇かかる生き方でいい(顕教による修行で覚りにいたるには天文学的な時間がかかる)。〔仏法存亡の折ゆえ〕たくさんの僧を指導しなければならない。」とおっしゃっていたという。
このような師匠のお言葉によって、ミスター『入中論』は日本にまできてくれているのである。そこでミスター『入中論』の公開灌頂のお知らせ。
一つは前のエントリーでもご紹介させていただいた、週末土曜日に行われる大覚寺のヤマーンタカ尊の灌頂、十二月は私立の名門清風学園を会場に行われるチッタマニ・ターラー尊の灌頂、三つ目は出雲の峯寺を舞台に行われるヤマーンタカ尊の灌頂である。
チベットでは正統な阿闍梨から、準備のできた弟子が、正しく密教の灌頂を授かると、今まで積んできた悪行がとりあえず浄化されるという。しかし、ガワン先生が最後に灌頂されてよりすでにほぼ二年近い日々が過ぎ、自分の意識には何か煩悩がたまりまくっている。今回は最低でもチッタマニの灌頂にはちゃんと参列して、この二年の煩悩障を雪がなきゃ。
●チッタマニターラー灌頂
日時 平成22年12月12日(日)午後一時から午後五時(予定)※途中入場は不可
場所 清風学園(大阪市天王寺区石ヶ辻町12-16)南館七階大ホール
問い合わせ先 06-6771-5757(担当 山本・梅野)
●ヤマーンタカ灌頂
日時 12月18日(土)午後5時半~午後8時~19日(日)正午~午後4時まで。
途中入場は不可。19日のみの参加はできません。途中退出は可。18日のみはOK。
場所 出雲峯寺(島根県雲南市三刀屋町給下1381)
問い合わせ先 0854-45-2245
詳しくは → http://mineji.jp/blog/?page_id=363
※施主平岡先生からメッセージ(コメント欄にあったのをそのままあげただけ 笑)
ダライ・ラマ法王様と奈良で謁見させて頂いた時、「最近、海外ではチベット僧侶というだけの偽物が跋扈していることは嘆かわしい」と仰いましたが、そのあと、ミスター入中論を指して、「彼は、本物だから」と付け加えられました。
ミスター入中論は、セラ・ガンデン・デプンの三大寺に名声をとどろかせた、ラサの気質を今も残す本物の僧侶です。
密教は灌頂を受けなければ、学ぶことが出来ません。
私はガンワン先生に師事して以来20数年、密教を学んで参りましたが、自分の学んできたものの集大成のつもりで、出来るだけわかりやすく通訳を務める所存ですので、密教を学んでみたいと志す方は是非ご参加ください。
チベットの高僧、早稲田に降臨
金曜日、招聘講師として、デプン・ゴマン学堂のララムパ、ゲン・ロサン先生を早稲田にお招きする。ゲンギャウ、チャンパ、アボ、三先生もお伴してきたため、結果として四人のチベット僧(しかもそのうち三人が仏教博士)という、豪華なメンバーとなった。
午後一時からの授業なので十二時五十分くらいにお坊さんを率いているNくんに電話すると、
Nくん「今大隈講堂を見ています。大隈銅像の下で待ち合わせしましょう」
これを聞いて私は不安になった。チベット僧四人が早稲田の校内を闊歩していたら、目立つなんてもんじゃない。そのうえ、金曜日の午後一時の大隈銅像なんてわんさか人がいる。当然×国人留学生もわんさかいるだろう(なんせ早大は人民大学だから)。
もしお坊さんに失礼なことをする人がいたら、どうしよう。と。
大隈銅像前でできるだけ待たさないようにしないと、と急ぐと、向こうからサフラン色のチベット僧たちがやってくる。ラダック出身のゲン・ロサン先生は、ガタイがよく、顔もこく、比叡山の僧兵も裸足で逃げ出す迫力。大柄なゲンギャウが小柄にみえるもんね。チャンバ先生も、アボもみな体格がいい。さらに、みな物怖じしない荘厳なオーラをもっておる。しかもそれを率いているのが巨漢のNくん。
今時のボクちゃんたちではこの集団に勝てない。
このとき、「チベット僧がキャンパスにいる」「チベット僧、それも武僧みたいな人がいる」みたいなツイートが飛び交っていたそうな(笑)。
伝統ってすごいね。
学生の質問事項をグルーピングした結果おおまかにいって、(1) 僧院社会の生活がどんなものか (2) 中国人、日本人をどう思うか、 (3) 人生相談 だったので、とりあえず、この順序でお伺いしてみる。
まず、チベットの僧院生活。チベットでは子供のうちに出家して、僧院に入る。僧院には下部組織として複数の学堂があり、その下にさらに出身地域ごとの地域寮(khams tshan)がある。入門の前に自分がつくお師匠様(ラマ)を決める。ラマは以後、入門者の生活や学問一切の世話をすることになる。新入生は読み書きの修得からはじめ、基本的な仏教の学問を行った後、クラスに分かれて仏教哲学のカリキュラムをこなしていく。試験にパスして十七年くらいかけて一通りの勉強を終えると博士号(ゲシェ号)が得られる。
パワーポイントの写真には、デプン僧院内で行われる試験の様子がうつしだされる。そこでは学堂対抗のディベート大会が行われており、僧院の中庭は二手に分かれた群衆で埋め尽くされ、そのまん中に各学堂を代表する僧がたっている。
ほかにも写真は僧たちの日々の生活をうつしだしているが、どの顔もそこぬけに明るい。みな楽しそうにディベートして、カメラにむかってほほえんでいる。
暗い顔した人がいない!
学生の質問には「修行で一番つらいことは何ですか」「やめたくなったことはありませんか」とかネガティブな言葉がたくさん並んでいたが、百聞は一見にしかず。聞くまでもなく、チベットの僧院がじつは結構楽しい世界なのである。勉強ができなければ、高僧のおつきになったり、僧院の管理の仕事にまわればいいし、勉強ができれば、最高学位(ゲシェ・ララムパ)をとった後に地元の寺にもどって僧院長をするもよし、今いる僧院に残って後進の指導にあたるもよし。とにかく楽しくやりがいのある毎日なので、やめたいなんて人はいない。僧院の仕事で俗世間と関わることになって女性と出会ってフラフラしない限り、僧院生活は十分楽しいのだ。永遠に続く(ちゃんと研究する)大学生活みたいなもの。
ここで、誰かが「授業にチベットの高僧がきている神聖な雰囲気なう」とかツイート。
大体四人くらいの学生が「将来の夢はなんですか」とか質問にあげていたけど、僧侶なんだから「仏(人格者)になること」にきまっとるがな。
で、(2) 中国人、日本人をどう思うか、について。25才の時に本土チベットからインドへと亡命したチャンパ先生とアボにお話してもらう(ゲン・ロサン先生とゲンギャウ先生はラダック出身)。チャンパ先生はカイラス経由で、何日も歩いて国境を越え、難民認定を受けてダラムサラにいった。はじめてダライ・ラマ法王とあえることとなった前の晩は嬉しくて眠れなかった。法王様はみなにどこからきたのか、これから何を勉強すればいいのかとかいろいろ言ってくださるのだが、みんな泣いて泣いて言葉にならなかった。
本土チベットにいる時は、中国人(ギャミ)というだけで、憎しみがわいたが、インドにきて法王の近くで仏教を学んでいるうちに、中国人も「安楽を求め、苦しみを避ける自分と同じ人間であることを一歩ひいて見ることができた。彼らは私が自分の権利を主張するように自分の権利を主張しているのだ。憎んでも意味はないと思うようになった」と。
そして、次にアボの亡命体験。アボの弟さんはリタンの化身僧だったので、このまま勉強しないまま年をとると、名前をついでも有名無実になる。インドにいってちゃんと教育を受けたい、と十二の時にインドに亡命した。そこで、アボも25の時にやはり徒歩でカトマンドゥへの道を徒歩でこえた。途中に人家があると物乞いをして食物を手に入れたが、人家が途絶えると食べない時もあった。昼は隠れて夜に移動した。寒い時期で、凍傷になるものもいたが、自分は厚手の服をきた。ネパールに入ってから厚手の服を食べ物にかえた。中国人については、チャンパ先生と同じく、本土にいた時は「ギャミでていけ」と思っていたが、インドに来てからは、嫌悪感の応酬は何も生み出さないと思うようになった。2008年にチベットが蜂起した時も暴力はいけない」と思った、と証言。
この時、どこぞの誰かが「個人的には面白いが、重い」とツイート。
日本人についてどう思うか、という質問に対して、
ゲン・ロサン先生のお答え。「日本は発展した国だが、自殺する人が多いと聞いている(アボは後にさらに子供が親を殺したり、親が子供を殺したりもびっくりといった)。不安や恐怖にもしさいなまれているのであれば、たとえば死を畏れているのなら、いまだかつて死ななかった人がいるかどうか考えてみることだ。みな死ぬのだ。畏れてもしかたない。
シャーンティデーヴァもこういっている「もし悩みがあるのなら、解決策があるのなら解決のために努力すればいい。解決策がないのなら悩んでも仕方ない」
ここで、どこぞの誰かが「真理だ。しかし身も蓋もない」とツイート。
じつはアボの亡命話しの途中くらいから時間切れして場所をかえる。今度はゼミ生中心の小規模な教室。
ゼミ生K「シャーンティ・デーヴァの言葉を引用されましたが、それはたしかにそうなのですが、解決策があってもそれを実行できないんです。一歩踏み出せないんです」
ロサン先生「仏(悩みのない存在)になりたいと口でいっているだけではいつまでもそのままだ。まず小さなことからでも行動しなさい。アメリカに行きたいと口でいっているだけでは、いつまでたってもアメリカに行くことはできない。アメリカにいくには飛行機のチケットを買わなければならない。チケットをかうためにはお金がいる。だからまず働くことからはじめる。そのように、そうなりたいと思うのならまず小さな事でも一歩踏み出して行動しなければだめだ。」
「あがらずに人とはなしたい」「死ぬのが怖い」「メンタルを強くしたい」などの質問に
ロサン先生「日本では歩いている人も電車に乗っている人もみなおしなべて表情が陰気である。チベットでは知らない人どうしでも笑顔で挨拶する。まず、周りの人に笑顔をみせなさい。そして電車の中でお年寄りに席をゆずるとかいいことをしなさい。周りの人を嬉しい気持ちにさせたらそれだけあなたは功徳を積むことになるし、相手がやわらげは話しやすくなります。笑顔がむりなら、小さくとも行動をすることからはじめなさい。思っているだけではだめです。」
教師をめざしている学生の質問。「日本の子供達にチベットをどう教えたらいいですか」
アボ先生「チベットで完全な自治が実現すれば、チベット人は納得して中国から不安定要因がなくなる。それは中国にとってもよいこと。中国が安定すればアジアも安定する。チベットにとっても中国にとってもどちらにとっても利益のあるウィンウィンの関係であると教えるように」とのこと。
いや、とにかくありがたい体験であった。
おまけ。授業の合間に一階から三階まで教室を移動する時、私が「エレベーターは小さいし、階段は学生であふれているし、お坊さんが不愉快に思わないかしら」と心配すると、ゼミ生のK太
「大丈夫ですよ。先生があの四人のチベットのお坊さんつれて前を歩いたら、モーゼ〔が紅海わった〕ように学生が割れますよ」
午後一時からの授業なので十二時五十分くらいにお坊さんを率いているNくんに電話すると、
Nくん「今大隈講堂を見ています。大隈銅像の下で待ち合わせしましょう」
これを聞いて私は不安になった。チベット僧四人が早稲田の校内を闊歩していたら、目立つなんてもんじゃない。そのうえ、金曜日の午後一時の大隈銅像なんてわんさか人がいる。当然×国人留学生もわんさかいるだろう(なんせ早大は人民大学だから)。
もしお坊さんに失礼なことをする人がいたら、どうしよう。と。
大隈銅像前でできるだけ待たさないようにしないと、と急ぐと、向こうからサフラン色のチベット僧たちがやってくる。ラダック出身のゲン・ロサン先生は、ガタイがよく、顔もこく、比叡山の僧兵も裸足で逃げ出す迫力。大柄なゲンギャウが小柄にみえるもんね。チャンバ先生も、アボもみな体格がいい。さらに、みな物怖じしない荘厳なオーラをもっておる。しかもそれを率いているのが巨漢のNくん。
今時のボクちゃんたちではこの集団に勝てない。
このとき、「チベット僧がキャンパスにいる」「チベット僧、それも武僧みたいな人がいる」みたいなツイートが飛び交っていたそうな(笑)。
伝統ってすごいね。
学生の質問事項をグルーピングした結果おおまかにいって、(1) 僧院社会の生活がどんなものか (2) 中国人、日本人をどう思うか、 (3) 人生相談 だったので、とりあえず、この順序でお伺いしてみる。
まず、チベットの僧院生活。チベットでは子供のうちに出家して、僧院に入る。僧院には下部組織として複数の学堂があり、その下にさらに出身地域ごとの地域寮(khams tshan)がある。入門の前に自分がつくお師匠様(ラマ)を決める。ラマは以後、入門者の生活や学問一切の世話をすることになる。新入生は読み書きの修得からはじめ、基本的な仏教の学問を行った後、クラスに分かれて仏教哲学のカリキュラムをこなしていく。試験にパスして十七年くらいかけて一通りの勉強を終えると博士号(ゲシェ号)が得られる。
パワーポイントの写真には、デプン僧院内で行われる試験の様子がうつしだされる。そこでは学堂対抗のディベート大会が行われており、僧院の中庭は二手に分かれた群衆で埋め尽くされ、そのまん中に各学堂を代表する僧がたっている。
ほかにも写真は僧たちの日々の生活をうつしだしているが、どの顔もそこぬけに明るい。みな楽しそうにディベートして、カメラにむかってほほえんでいる。
暗い顔した人がいない!
学生の質問には「修行で一番つらいことは何ですか」「やめたくなったことはありませんか」とかネガティブな言葉がたくさん並んでいたが、百聞は一見にしかず。聞くまでもなく、チベットの僧院がじつは結構楽しい世界なのである。勉強ができなければ、高僧のおつきになったり、僧院の管理の仕事にまわればいいし、勉強ができれば、最高学位(ゲシェ・ララムパ)をとった後に地元の寺にもどって僧院長をするもよし、今いる僧院に残って後進の指導にあたるもよし。とにかく楽しくやりがいのある毎日なので、やめたいなんて人はいない。僧院の仕事で俗世間と関わることになって女性と出会ってフラフラしない限り、僧院生活は十分楽しいのだ。永遠に続く(ちゃんと研究する)大学生活みたいなもの。
ここで、誰かが「授業にチベットの高僧がきている神聖な雰囲気なう」とかツイート。
大体四人くらいの学生が「将来の夢はなんですか」とか質問にあげていたけど、僧侶なんだから「仏(人格者)になること」にきまっとるがな。
で、(2) 中国人、日本人をどう思うか、について。25才の時に本土チベットからインドへと亡命したチャンパ先生とアボにお話してもらう(ゲン・ロサン先生とゲンギャウ先生はラダック出身)。チャンパ先生はカイラス経由で、何日も歩いて国境を越え、難民認定を受けてダラムサラにいった。はじめてダライ・ラマ法王とあえることとなった前の晩は嬉しくて眠れなかった。法王様はみなにどこからきたのか、これから何を勉強すればいいのかとかいろいろ言ってくださるのだが、みんな泣いて泣いて言葉にならなかった。
本土チベットにいる時は、中国人(ギャミ)というだけで、憎しみがわいたが、インドにきて法王の近くで仏教を学んでいるうちに、中国人も「安楽を求め、苦しみを避ける自分と同じ人間であることを一歩ひいて見ることができた。彼らは私が自分の権利を主張するように自分の権利を主張しているのだ。憎んでも意味はないと思うようになった」と。
そして、次にアボの亡命体験。アボの弟さんはリタンの化身僧だったので、このまま勉強しないまま年をとると、名前をついでも有名無実になる。インドにいってちゃんと教育を受けたい、と十二の時にインドに亡命した。そこで、アボも25の時にやはり徒歩でカトマンドゥへの道を徒歩でこえた。途中に人家があると物乞いをして食物を手に入れたが、人家が途絶えると食べない時もあった。昼は隠れて夜に移動した。寒い時期で、凍傷になるものもいたが、自分は厚手の服をきた。ネパールに入ってから厚手の服を食べ物にかえた。中国人については、チャンパ先生と同じく、本土にいた時は「ギャミでていけ」と思っていたが、インドに来てからは、嫌悪感の応酬は何も生み出さないと思うようになった。2008年にチベットが蜂起した時も暴力はいけない」と思った、と証言。
この時、どこぞの誰かが「個人的には面白いが、重い」とツイート。
日本人についてどう思うか、という質問に対して、
ゲン・ロサン先生のお答え。「日本は発展した国だが、自殺する人が多いと聞いている(アボは後にさらに子供が親を殺したり、親が子供を殺したりもびっくりといった)。不安や恐怖にもしさいなまれているのであれば、たとえば死を畏れているのなら、いまだかつて死ななかった人がいるかどうか考えてみることだ。みな死ぬのだ。畏れてもしかたない。
シャーンティデーヴァもこういっている「もし悩みがあるのなら、解決策があるのなら解決のために努力すればいい。解決策がないのなら悩んでも仕方ない」
ここで、どこぞの誰かが「真理だ。しかし身も蓋もない」とツイート。
じつはアボの亡命話しの途中くらいから時間切れして場所をかえる。今度はゼミ生中心の小規模な教室。
ゼミ生K「シャーンティ・デーヴァの言葉を引用されましたが、それはたしかにそうなのですが、解決策があってもそれを実行できないんです。一歩踏み出せないんです」
ロサン先生「仏(悩みのない存在)になりたいと口でいっているだけではいつまでもそのままだ。まず小さなことからでも行動しなさい。アメリカに行きたいと口でいっているだけでは、いつまでたってもアメリカに行くことはできない。アメリカにいくには飛行機のチケットを買わなければならない。チケットをかうためにはお金がいる。だからまず働くことからはじめる。そのように、そうなりたいと思うのならまず小さな事でも一歩踏み出して行動しなければだめだ。」
「あがらずに人とはなしたい」「死ぬのが怖い」「メンタルを強くしたい」などの質問に
ロサン先生「日本では歩いている人も電車に乗っている人もみなおしなべて表情が陰気である。チベットでは知らない人どうしでも笑顔で挨拶する。まず、周りの人に笑顔をみせなさい。そして電車の中でお年寄りに席をゆずるとかいいことをしなさい。周りの人を嬉しい気持ちにさせたらそれだけあなたは功徳を積むことになるし、相手がやわらげは話しやすくなります。笑顔がむりなら、小さくとも行動をすることからはじめなさい。思っているだけではだめです。」
教師をめざしている学生の質問。「日本の子供達にチベットをどう教えたらいいですか」
アボ先生「チベットで完全な自治が実現すれば、チベット人は納得して中国から不安定要因がなくなる。それは中国にとってもよいこと。中国が安定すればアジアも安定する。チベットにとっても中国にとってもどちらにとっても利益のあるウィンウィンの関係であると教えるように」とのこと。
いや、とにかくありがたい体験であった。
おまけ。授業の合間に一階から三階まで教室を移動する時、私が「エレベーターは小さいし、階段は学生であふれているし、お坊さんが不愉快に思わないかしら」と心配すると、ゼミ生のK太
「大丈夫ですよ。先生があの四人のチベットのお坊さんつれて前を歩いたら、モーゼ〔が紅海わった〕ように学生が割れますよ」
APECにできなくて平和サミットのできること
冷えるが秋晴れの本日、ダライラマ法王は成田からインドに向かった。今回の来日のメイン・イベントは前エントリーで記した広島平和サミットであり、同サミットは地雷禁止条約を策定した時のような核削減目標を掲げて閉幕した。
このような非核や軍縮について、「隣にアブナイ国がいるのに丸腰でいるのはムリ」という人がいるかもしれない。法王はそれもちゃんと理解している。昨年沖縄にお見えになった際に、沖縄の米軍基地の存在の可否について質問された時、「軍隊は理想的にはないにこしたことはないし、いずれなくなるべきであろうが、今はあった方がいい。民主主義の軍隊だ。何に問題がある」と発言されたという(又聞きなので一言一句同じではないかも)。
つまり法王は現実を踏まえた上で、でも理想にむけて努力を続けようとおっしゃっているのである。何のビジョンもないくせにただ平和と九条を連呼している日本のど左とは格が違う。
つまりこんなカンジ。我々のようなど凡夫が一足飛びに人格者になることはできないけど、「どーせオレはこういう人間さ」と問題を直視せず、自堕落に生きて、回りに迷惑をかけ、残念な人生を送る人になるか、たとえば、ダライ・ラマのような人格者を目指して、少しずつでもいいから、善い人間になっていきたい、と常に思って生きくかを問うているのである。
この場合、すぐに分かることは、前者のような人が集まった社会は明らかに残念な未来がまっているが、後者のような人が多い社会は芯から腐ることはない(最近芯から腐るという言葉よく使うけど、表面が腐りきっていることを前提としているところが言ってて空しい)。
で、こういう個人の集まりである平和会議は、APECのような国の名前をしょった人々の集まりよりも、自由に、より大局的な見方からいろいろな提言ができる。本当の意味で国際的な集まりとなりうるのだ。
法王の平和に関するスタンスを知りたい方は、法王が21世紀のはじめに発表した『新世紀のための倫理』(邦題『ダライ・ラマの幸福論』)の十四章をごらんいただきたい。今回のような平和会議のもつ意義がよく述べられている。以下にハイライトを転載。
今の国連には問題点があります。・・一人ひとりの市民はそこに声を届かせられないことです。自国の暴政を訴えたい市民がいても、そのための場所がないのです。さらに不幸なことに、国連には拒否権を行使するシステムがありますが、今のところこの拒否権は一部の有力な国にしか与えられていません。これらは重大な欠陥でしょう。
市民一人ひとリの声を届かせられない点については、もっと思いきった方法を考えなければならないかもしれません。司法、行政、立法の三権分立で民主主義が成り立っているように、完全に独立した機関を国際レベルで設ける必要があります。ただし国連はおそらくこれにはふさわしくないでしょう。
ブラジルで行われた地球サミットなど、いくつかの国際会議に参加して気づいたのですが、各国を代表してやってくる人は、国境を超えた問題について話しあっているにもかかわらず、どうしても白国の利益を優先して発言しがちです。しかし、純粋な個人が集まっての話しあいであれば、人類全体についての配慮がなされる可能性はずっと高いでしょう。
核戦争防止国際医師会議のような例もあります。わたしの参加しているノーベル平和賞受賞者による兵器売買についての発案会議もそうです。こうした集まりの精神は、ほんとうの意味で国際的であり、分け隔てもまったくありません。したがって、人間の営為を道徳的な見地から監視することを第一の目的とする機関は、ぜひとも設ける価値があると思います。
言わば「人びとによる人びとのための世界評議会」とでも名づけられる組織です(もちろん、もっとよい名称が見つかることは疑いないでしょうが)。
この組織はそれこそさまざまな背景をもった人びとで構成されるといいでしょう。芸術家もいれば銀行家もいます。環境保護論者も、弁護士も、詩人も、大学教授も、宗教人も、作家も、そしてもちろん一股市民もいます。道徳的、人問的に信頼できる誠実な人だと周囲から認められていれば、だれでも参加する資格があります。
この組織に政治権力は投資をしないでしょうから、組織がどんな発言をしても、法的な拘束力はないでしょう。でも幸いなことに、これは完全に独立した組織であり、いかなる国家やイデオロギーとも無縁ですから、そこでの審議は世界の良心を映し出したものになるはずです。したがって、これは倫理的な権威になれるのです。
もちろん、この提案に賛成しない人はたくさんいるでしょう。前に述べた軍備の撤廃、非武装化、国連の改革についての提案と同様、非現実的だ、あまりに単純すぎると批判する人は大勢いるでしょう。そんなものは「現実の世界」では機能しないと言う人だっているかもしれません。人はえてして他人の考えを、うまくいくはずがないと批判し、文句をつけるだけで満足してしまいます。
しかし、結果は別として、せめて建設的な考えを提案してみなければものごとは進みません。それに、少なくともひとつは確実なことがあります。人間は真実を、正義を、平和を、白由を愛するものだと考えれば、もっとよい、もっと思いやりのある世界を築くことは決して夢ではありません。そこには可能性があります。
で、このような大枠を提示することを行いながら、たとえば軍備を地域軍にして、それぞれの軍を解体していく、大国の間には平和地帯をつくりそこは武装解除する、何より、自分さえよけりゃいい、自分の国さえよけりゃいいなどという民度の低い国民をつくらないような倫理教育を行い、段階的でいいので、対立する人々の心から猜疑心・憎しみなどを取り除いていく努力を行うようにとのことなのである。
おそらくは世界最後の日でも笑っているであろう法王のこの考え方を、シニシズムにとどまっている多くの人々に届けたい。
このような非核や軍縮について、「隣にアブナイ国がいるのに丸腰でいるのはムリ」という人がいるかもしれない。法王はそれもちゃんと理解している。昨年沖縄にお見えになった際に、沖縄の米軍基地の存在の可否について質問された時、「軍隊は理想的にはないにこしたことはないし、いずれなくなるべきであろうが、今はあった方がいい。民主主義の軍隊だ。何に問題がある」と発言されたという(又聞きなので一言一句同じではないかも)。
つまり法王は現実を踏まえた上で、でも理想にむけて努力を続けようとおっしゃっているのである。何のビジョンもないくせにただ平和と九条を連呼している日本のど左とは格が違う。
つまりこんなカンジ。我々のようなど凡夫が一足飛びに人格者になることはできないけど、「どーせオレはこういう人間さ」と問題を直視せず、自堕落に生きて、回りに迷惑をかけ、残念な人生を送る人になるか、たとえば、ダライ・ラマのような人格者を目指して、少しずつでもいいから、善い人間になっていきたい、と常に思って生きくかを問うているのである。
この場合、すぐに分かることは、前者のような人が集まった社会は明らかに残念な未来がまっているが、後者のような人が多い社会は芯から腐ることはない(最近芯から腐るという言葉よく使うけど、表面が腐りきっていることを前提としているところが言ってて空しい)。
で、こういう個人の集まりである平和会議は、APECのような国の名前をしょった人々の集まりよりも、自由に、より大局的な見方からいろいろな提言ができる。本当の意味で国際的な集まりとなりうるのだ。
法王の平和に関するスタンスを知りたい方は、法王が21世紀のはじめに発表した『新世紀のための倫理』(邦題『ダライ・ラマの幸福論』)の十四章をごらんいただきたい。今回のような平和会議のもつ意義がよく述べられている。以下にハイライトを転載。
今の国連には問題点があります。・・一人ひとりの市民はそこに声を届かせられないことです。自国の暴政を訴えたい市民がいても、そのための場所がないのです。さらに不幸なことに、国連には拒否権を行使するシステムがありますが、今のところこの拒否権は一部の有力な国にしか与えられていません。これらは重大な欠陥でしょう。
市民一人ひとリの声を届かせられない点については、もっと思いきった方法を考えなければならないかもしれません。司法、行政、立法の三権分立で民主主義が成り立っているように、完全に独立した機関を国際レベルで設ける必要があります。ただし国連はおそらくこれにはふさわしくないでしょう。
ブラジルで行われた地球サミットなど、いくつかの国際会議に参加して気づいたのですが、各国を代表してやってくる人は、国境を超えた問題について話しあっているにもかかわらず、どうしても白国の利益を優先して発言しがちです。しかし、純粋な個人が集まっての話しあいであれば、人類全体についての配慮がなされる可能性はずっと高いでしょう。
核戦争防止国際医師会議のような例もあります。わたしの参加しているノーベル平和賞受賞者による兵器売買についての発案会議もそうです。こうした集まりの精神は、ほんとうの意味で国際的であり、分け隔てもまったくありません。したがって、人間の営為を道徳的な見地から監視することを第一の目的とする機関は、ぜひとも設ける価値があると思います。
言わば「人びとによる人びとのための世界評議会」とでも名づけられる組織です(もちろん、もっとよい名称が見つかることは疑いないでしょうが)。
この組織はそれこそさまざまな背景をもった人びとで構成されるといいでしょう。芸術家もいれば銀行家もいます。環境保護論者も、弁護士も、詩人も、大学教授も、宗教人も、作家も、そしてもちろん一股市民もいます。道徳的、人問的に信頼できる誠実な人だと周囲から認められていれば、だれでも参加する資格があります。
この組織に政治権力は投資をしないでしょうから、組織がどんな発言をしても、法的な拘束力はないでしょう。でも幸いなことに、これは完全に独立した組織であり、いかなる国家やイデオロギーとも無縁ですから、そこでの審議は世界の良心を映し出したものになるはずです。したがって、これは倫理的な権威になれるのです。
もちろん、この提案に賛成しない人はたくさんいるでしょう。前に述べた軍備の撤廃、非武装化、国連の改革についての提案と同様、非現実的だ、あまりに単純すぎると批判する人は大勢いるでしょう。そんなものは「現実の世界」では機能しないと言う人だっているかもしれません。人はえてして他人の考えを、うまくいくはずがないと批判し、文句をつけるだけで満足してしまいます。
しかし、結果は別として、せめて建設的な考えを提案してみなければものごとは進みません。それに、少なくともひとつは確実なことがあります。人間は真実を、正義を、平和を、白由を愛するものだと考えれば、もっとよい、もっと思いやりのある世界を築くことは決して夢ではありません。そこには可能性があります。
で、このような大枠を提示することを行いながら、たとえば軍備を地域軍にして、それぞれの軍を解体していく、大国の間には平和地帯をつくりそこは武装解除する、何より、自分さえよけりゃいい、自分の国さえよけりゃいいなどという民度の低い国民をつくらないような倫理教育を行い、段階的でいいので、対立する人々の心から猜疑心・憎しみなどを取り除いていく努力を行うようにとのことなのである。
おそらくは世界最後の日でも笑っているであろう法王のこの考え方を、シニシズムにとどまっている多くの人々に届けたい。
point of no return
はじめに、悲しいお知らせです。
長年にわたりみなさんに応援して戴いた、チベット・ショップマニマニの店長さんが今月二日逝去されました。まだ四十代の若さでした。そのため、自由ヶ丘の店舗はいずれ閉めることになるそうです(期日未定)。しかし、ネットショップ(http://manimani.jp/)の方はスタッフの方が引きついで下さるとのことで、引き続きご愛顧戴ければと思います。
店長さん、安らかにお眠りください。また来世にお会いましょう。
今日から横浜パシフィコではAPECが開催され、広島では平和サミットが開催される。昨日胡●涛が成田入りしたことを伝えるニュースで、この広島平和サミットも同時に報道され、画面二分割で胡●涛とダライラマ法王の顔が並び、両者が同時期に日本に滞在するのは極めて異例、とのナレーションがついた。
昨日の朝日の夕刊にもダライ・ラマ法王が被爆者代表をハグするカラー写真がのるなど、〔民族問題とかだと口をつぐむのに〕非核がテーマとなると動きのいい日本の報道である。
大きな国際会議が開かれる際に、NGOの会議をぶつけてそこにやってくる要人の参加を要請することは、欧米ではよく行われることであるが、今年はAPECとアメリカの原爆投下65周年の節目の年にあわせて、核廃絶をテーマに、2009年にプラハ演説で核廃絶を訴えたオバマさんとかを招聘して、原爆投下地の広島で開催することとあいなったわけである。
このノーベル平和賞受賞者によって構成される平和サミットは、東西冷戦を終わらせた元ソ連大統領ゴルバチョフどんが作ったもので、今回はうまくいけば、ダライ・ラマを真ん中にはさんでゴルちゃんとオバマどんのスリー・ショットというマニアにはたまらない絵になるはずだったのだが、
オバマどんは横浜まで来ているのに「時間がない」とパス、ゴルどんも「体調不良により」欠席。オバマどんは選挙に大敗したばかりで保守派のことも考えねばならず、ゴルどんも高齢なので、仕方ないことともいえる。大体この二人はよくがんばって理想をのべつづけているよ。
毎日新聞によると参加メンバーは以下のようである。()内はノーベル平和賞受賞年。
マイレッド・マグワイア氏(1976年)=北アイルランド和平に尽力した活動家。NGO「ピース・ピープル」創設者。レフ・ワレサ氏(1983年)=ポーランド元大統領。自主管理労組「連帯」指導者で、民主化に貢献した。ダライ・ラマ14世(1989年)=チベット仏教最高指導者。平和的手段でチベットの中国からの自立を目指す。フレデリク・デクラーク氏(1993年)=南アフリカ元大統領。平和的にアパルトヘイト(人種隔離)政策を終わらせた。ジョディ・ウィリアムズ氏(1997年)=米国人活動家で、創設した地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)を世界規模で展開した。シリン・エバディ氏(2003年)=イランの人権活動家。非暴力の姿勢を貫きながら民主化を目指し、弁護士、作家としても活躍。モハメド・エルバラダイ氏(2005年)=国際原子力機関(IAEA)前事務局長。軍事目的の核利用を防ぎ、平和利用を促した。
マグワイア、デクラーク、ジョディ・ウイリアムズ、エルバラダイさんらはいずれも核や地雷などの兵器使用を体を張ってとめようと、あるいはとめた人たち。
一方、レフ・ワレサ、ダライ・ラマ法王、それから劉暁波さんの代理のウーアルカイシーさんは、独裁体制に対して非暴力で立ち向かっている人たち。参加メンバーの正しい見方は以下のようである。
そういえば、中国って核保有国だよなあ。それに中国では、ワレサさんとゴルちゃんが崩壊させた共産党の一党独裁政権がまだ続いているんだよなあ。で、ダライラマ法王は中国に国を追われて難民になったのに中国に対話を求めている。なのに、中国は応じず軍拡続けているんよなあ。今年ノーベル平和賞とった劉暁波さんは、中国政府に監獄にいれられているんだよなあ。
ついでに、ノーベル平和賞とったミャンマーのアウンサン・スーチーさんを軟禁しているミャンマーの軍事政権は、中国が後ろ盾になっているから、各国の経済制裁きかなくてまだ存続しているんだよなあ。
とか、連想してくれるとグッド!
貧すれば鈍するけど、今の世界ってまさにこれ。精神はもともと貧困で、これに経済の貧困が追い打ちをかけているため、×国モデルを容認しようとする空気が蔓延しつつある。ヨーロッパの大国の首脳はビジネスマンと化して、中国に大きな商談をもちこみ、小国のポルトガルやギリシアは×国様の経済援助にすがっている。
しかし、かつて大恐慌の最中、恐慌の影響をうけないソ連の経済を称えた人々が、その後もその意見を変えなかっただろうか。
日本の政財界は×国でデモが起こるたびに、体制の崩壊につながることばかり心配しているが、中国のデモは1989年に東欧の共産党の一党独裁を倒したデモとは根本的に性格がちがう。1989年の東欧各国の市民デモは市民社会を取り戻そうとの思いにかられた人々が体をはって戦車の前にたった非暴力の真っ当なデモであった。
当局公認の、被害者意識にみちあふれた、他国をののしって店舗をおそって壊すような×国のデモは、独裁体制批判につながるよりは、ナチスのような軍事独裁国家を台頭させる未来の方につながりやすい。日本の政府やマスコミはそのあたり分かっているのだろうか。
今度こそ日本は選択を間違えてはならない。
題名の意味はhttp://eow.alc.co.jp/point+of+no+return/UTF-8/?ref=saで確認を。
長年にわたりみなさんに応援して戴いた、チベット・ショップマニマニの店長さんが今月二日逝去されました。まだ四十代の若さでした。そのため、自由ヶ丘の店舗はいずれ閉めることになるそうです(期日未定)。しかし、ネットショップ(http://manimani.jp/)の方はスタッフの方が引きついで下さるとのことで、引き続きご愛顧戴ければと思います。
店長さん、安らかにお眠りください。また来世にお会いましょう。
今日から横浜パシフィコではAPECが開催され、広島では平和サミットが開催される。昨日胡●涛が成田入りしたことを伝えるニュースで、この広島平和サミットも同時に報道され、画面二分割で胡●涛とダライラマ法王の顔が並び、両者が同時期に日本に滞在するのは極めて異例、とのナレーションがついた。
昨日の朝日の夕刊にもダライ・ラマ法王が被爆者代表をハグするカラー写真がのるなど、〔民族問題とかだと口をつぐむのに〕非核がテーマとなると動きのいい日本の報道である。
大きな国際会議が開かれる際に、NGOの会議をぶつけてそこにやってくる要人の参加を要請することは、欧米ではよく行われることであるが、今年はAPECとアメリカの原爆投下65周年の節目の年にあわせて、核廃絶をテーマに、2009年にプラハ演説で核廃絶を訴えたオバマさんとかを招聘して、原爆投下地の広島で開催することとあいなったわけである。
このノーベル平和賞受賞者によって構成される平和サミットは、東西冷戦を終わらせた元ソ連大統領ゴルバチョフどんが作ったもので、今回はうまくいけば、ダライ・ラマを真ん中にはさんでゴルちゃんとオバマどんのスリー・ショットというマニアにはたまらない絵になるはずだったのだが、
オバマどんは横浜まで来ているのに「時間がない」とパス、ゴルどんも「体調不良により」欠席。オバマどんは選挙に大敗したばかりで保守派のことも考えねばならず、ゴルどんも高齢なので、仕方ないことともいえる。大体この二人はよくがんばって理想をのべつづけているよ。
毎日新聞によると参加メンバーは以下のようである。()内はノーベル平和賞受賞年。
マイレッド・マグワイア氏(1976年)=北アイルランド和平に尽力した活動家。NGO「ピース・ピープル」創設者。レフ・ワレサ氏(1983年)=ポーランド元大統領。自主管理労組「連帯」指導者で、民主化に貢献した。ダライ・ラマ14世(1989年)=チベット仏教最高指導者。平和的手段でチベットの中国からの自立を目指す。フレデリク・デクラーク氏(1993年)=南アフリカ元大統領。平和的にアパルトヘイト(人種隔離)政策を終わらせた。ジョディ・ウィリアムズ氏(1997年)=米国人活動家で、創設した地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)を世界規模で展開した。シリン・エバディ氏(2003年)=イランの人権活動家。非暴力の姿勢を貫きながら民主化を目指し、弁護士、作家としても活躍。モハメド・エルバラダイ氏(2005年)=国際原子力機関(IAEA)前事務局長。軍事目的の核利用を防ぎ、平和利用を促した。
マグワイア、デクラーク、ジョディ・ウイリアムズ、エルバラダイさんらはいずれも核や地雷などの兵器使用を体を張ってとめようと、あるいはとめた人たち。
一方、レフ・ワレサ、ダライ・ラマ法王、それから劉暁波さんの代理のウーアルカイシーさんは、独裁体制に対して非暴力で立ち向かっている人たち。参加メンバーの正しい見方は以下のようである。
そういえば、中国って核保有国だよなあ。それに中国では、ワレサさんとゴルちゃんが崩壊させた共産党の一党独裁政権がまだ続いているんだよなあ。で、ダライラマ法王は中国に国を追われて難民になったのに中国に対話を求めている。なのに、中国は応じず軍拡続けているんよなあ。今年ノーベル平和賞とった劉暁波さんは、中国政府に監獄にいれられているんだよなあ。
ついでに、ノーベル平和賞とったミャンマーのアウンサン・スーチーさんを軟禁しているミャンマーの軍事政権は、中国が後ろ盾になっているから、各国の経済制裁きかなくてまだ存続しているんだよなあ。
とか、連想してくれるとグッド!
貧すれば鈍するけど、今の世界ってまさにこれ。精神はもともと貧困で、これに経済の貧困が追い打ちをかけているため、×国モデルを容認しようとする空気が蔓延しつつある。ヨーロッパの大国の首脳はビジネスマンと化して、中国に大きな商談をもちこみ、小国のポルトガルやギリシアは×国様の経済援助にすがっている。
しかし、かつて大恐慌の最中、恐慌の影響をうけないソ連の経済を称えた人々が、その後もその意見を変えなかっただろうか。
日本の政財界は×国でデモが起こるたびに、体制の崩壊につながることばかり心配しているが、中国のデモは1989年に東欧の共産党の一党独裁を倒したデモとは根本的に性格がちがう。1989年の東欧各国の市民デモは市民社会を取り戻そうとの思いにかられた人々が体をはって戦車の前にたった非暴力の真っ当なデモであった。
当局公認の、被害者意識にみちあふれた、他国をののしって店舗をおそって壊すような×国のデモは、独裁体制批判につながるよりは、ナチスのような軍事独裁国家を台頭させる未来の方につながりやすい。日本の政府やマスコミはそのあたり分かっているのだろうか。
今度こそ日本は選択を間違えてはならない。
題名の意味はhttp://eow.alc.co.jp/point+of+no+return/UTF-8/?ref=saで確認を。
善光寺と大覚寺でチベット
六日に来日されたダライラマ法王は、大阪、奈良と講演をおえられ、火曜日以後は四国の新居浜、そして広島へとまわられる。風邪をひいておられて、講演中も咳き込む、鼻をかむなど苦しそうだったとか。
こういう時、チベットではテンシュク(長寿儀軌)をみなで唱えて法王の長命を祈る。2008年の8月30日に法王の胆石の手術の際に、護国寺様でみなで唱えたあれである(その時のエントリはここクリック)。
お手元に法王長寿経をお持ちの方、唱えてください。
以下に法王講演以外のチベットお知らせ。
11月に善光寺様で行われる寺子屋講座で、昨年つくられた阿弥陀仏の砂マンダラを前に、密教の灌頂とはいかなるものかをサマヤ戒にふれない程度に解説いたします。
阿弥陀仏の砂マンダラをみ、去年落慶されたばかりの西方寺のチベット大仏を拝観できます。背後の山の紅葉もたぶん美しいはず? (もう紅葉終わっているかも)お近くの方、どうぞ。東京からでも一時間ちょっとの近さです。
次の告知は、物故されたガワン先生にかわって、日本地区の担当となった(笑)、ギュメの元管長ミスター入中論の灌頂のお知らせです。嵯峨の大覚寺といえば、弘法大師空海の後ろ盾となった、嵯峨天皇の宮殿のあったという由緒ある土地で、主宰者もまじめな社会人集団です。人、場所、法のよい条件が揃うと、なかなかいい感じになりますので、みなさんふるってご参加を。
こういう時、チベットではテンシュク(長寿儀軌)をみなで唱えて法王の長命を祈る。2008年の8月30日に法王の胆石の手術の際に、護国寺様でみなで唱えたあれである(その時のエントリはここクリック)。
お手元に法王長寿経をお持ちの方、唱えてください。
以下に法王講演以外のチベットお知らせ。
11月に善光寺様で行われる寺子屋講座で、昨年つくられた阿弥陀仏の砂マンダラを前に、密教の灌頂とはいかなるものかをサマヤ戒にふれない程度に解説いたします。
阿弥陀仏の砂マンダラをみ、去年落慶されたばかりの西方寺のチベット大仏を拝観できます。背後の山の紅葉もたぶん美しいはず? (もう紅葉終わっているかも)お近くの方、どうぞ。東京からでも一時間ちょっとの近さです。
次の告知は、物故されたガワン先生にかわって、日本地区の担当となった(笑)、ギュメの元管長ミスター入中論の灌頂のお知らせです。嵯峨の大覚寺といえば、弘法大師空海の後ろ盾となった、嵯峨天皇の宮殿のあったという由緒ある土地で、主宰者もまじめな社会人集団です。人、場所、法のよい条件が揃うと、なかなかいい感じになりますので、みなさんふるってご参加を。
善光寺で砂マンダラを語ります
以下に善光寺さまホームページ(http://www.zenkoji.jp/index2.html)より転載します。赤字が自分に関係する部分です。
善光寺寺子屋文化講座は、一般の方が宗教・哲学・芸術等の文化について楽しく学べるよう、各分野の専門家を講師に招いて開催している講演会です。16回目となる今年は、以下の内容で開催いたします。
○日時:平成22年11月28日(日)13:00~ ※16:45頃終了予定
○場所:善光寺事務局 3階 講堂
○定員:先着300名様
○参加費:無料
※当日、講義資料の冊子(テキスト)を、一冊1,000円で頒布いたします。
ご希望の方は、当日の受付時にお求めください。
○スケジュール:
【第1講座 13:20~14:50】
講師:柳沢正志師(善光寺尊勝院住職、早稲田大学文学学術院非常勤講師)
演題:『念仏』ということ
【第2講座 15:05~16:35】
講師:石濱裕美子先生(早稲田大学教育・総合科学学術院教授)
演題:チベットの砂マンダラを読み解く
聴講は無料ですが、聴講券の事前申込が必要です。
聴講をご希望の方は、1名様につき1枚の往復ハガキに以下の内容をご記入の上、善光寺事務局までお送りください。折り返し、聴講券を返送いたします。
《往信面・表》
〒380-0851 長野市元善町491 善光寺事務局 寺子屋文化講座係
《往信面・裏》
聴講される方の「郵便番号」「ご住所」「お名前」「お電話番号」
《返信面・表》
聴講される方の宛名(聴講券の返送先)
《返信面・裏》
何も記入しないでください。(この面に聴講券を印刷して返送します。)
※聴講券のお申し込み締切は、11月10日(水)必着です。
締切前に定員に達した場合は、その時点で募集を終了いたします。
以下に善光寺さまホームページ(http://www.zenkoji.jp/index2.html)より転載します。赤字が自分に関係する部分です。
善光寺寺子屋文化講座は、一般の方が宗教・哲学・芸術等の文化について楽しく学べるよう、各分野の専門家を講師に招いて開催している講演会です。16回目となる今年は、以下の内容で開催いたします。
○日時:平成22年11月28日(日)13:00~ ※16:45頃終了予定
○場所:善光寺事務局 3階 講堂
○定員:先着300名様
○参加費:無料
※当日、講義資料の冊子(テキスト)を、一冊1,000円で頒布いたします。
ご希望の方は、当日の受付時にお求めください。
○スケジュール:
【第1講座 13:20~14:50】
講師:柳沢正志師(善光寺尊勝院住職、早稲田大学文学学術院非常勤講師)
演題:『念仏』ということ
【第2講座 15:05~16:35】
講師:石濱裕美子先生(早稲田大学教育・総合科学学術院教授)
演題:チベットの砂マンダラを読み解く
聴講は無料ですが、聴講券の事前申込が必要です。
聴講をご希望の方は、1名様につき1枚の往復ハガキに以下の内容をご記入の上、善光寺事務局までお送りください。折り返し、聴講券を返送いたします。
《往信面・表》
〒380-0851 長野市元善町491 善光寺事務局 寺子屋文化講座係
《往信面・裏》
聴講される方の「郵便番号」「ご住所」「お名前」「お電話番号」
《返信面・表》
聴講される方の宛名(聴講券の返送先)
《返信面・裏》
何も記入しないでください。(この面に聴講券を印刷して返送します。)
※聴講券のお申し込み締切は、11月10日(水)必着です。
締切前に定員に達した場合は、その時点で募集を終了いたします。
ヤマーンタカ灌頂のお知らせ
■阿闍梨:ロサン・テレ・ギュメ・ケンスル・リンポチェ(ミスター入中論)
■時日 11月27日(土)
■会場:時代劇でおなじみの京都の大覚寺
■主宰:samayaプロジェクト(まじめな団体です 笑)
▲詳細を知りたい方はここクリック
■阿闍梨:ロサン・テレ・ギュメ・ケンスル・リンポチェ(ミスター入中論)
■時日 11月27日(土)
■会場:時代劇でおなじみの京都の大覚寺
■主宰:samayaプロジェクト(まじめな団体です 笑)
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プロ意識が地球を救う!
明け方二時半頃、ツイッターのフォロワーのつぶやきに「尖閣」という言葉がやたら目につきはじめたので、リンク先にとんでみると、見事に尖閣ビデオが流出していた(笑)。
停船をせまるのどかな始まりから、特攻漁船にむかって海上保安庁の職員が「とまれとまれとまれ」と思わず日本語で叫びまくって衝突されるシーンまで、なかなか迫力がある。
欲を言えば船長の悪あがきが炸裂するであろう衝撃の逮捕シーンを見たいが、那覇地検の金庫の中にねむっているという二時間のマスターテープの中なのだろう。
元産経の新聞記者の福島香織さんが、このビデオに中国語で解説つけて中国のサイトに投稿しようとしたら、ブロックされたそうな。×国は「黄金の盾」(金盾:中国のネット検閲プロジェクト)という万里の長城を築いて、昔かわらぬひきこもりをしているのである。
まあ、一部の冷静な人をのぞけば、×国人の大半は素晴らしいプロパガンダ教育によって洗脳されているので、真実を目の当たりにしても逆ギレするだけだろうけど。
笑ったのが、昨日まで日中関係を左右する最高機密だったはずの映像が、ネットに流れたとたん、NHKも民放各局もこぞって映像のハイライトを編集してこれでもかって流し続けたこと。
たとえていえば、三日の早慶戦で、ノーヒットノーランだった斎藤佑樹選手が味方の落球で一点とられたら、そのあとやる気をなくして五失点したみたいな流れである(え?たとえが意味不明?)。
民放も、そして公共放送のNHKも、政府が「公開しない」と決めたビデオを公の電波にほいほいのせちゃったわけである。
政治家や外務官僚や関係各位がえんえんと話し合ってきめた方針を、庶民からマスコミに至るまで一秒も考えずに破りまくったのである。菅政権の統治能力のなさがなかなか見事に示された(もともとないけど)。
おまけでいえば、ネットの後追いをしたことで、マスコミの権威も地に落ちた(これもすでに無力化が叫ばれて久しいけど)。
ロシアの大統領のサハリン訪問の際もひどかった。外務官僚や関係者がこぞってこの事態を「想定外」「やるとしても来年春かと思っていた」とかいっていってたけど、同じ様な言葉は尖閣の問題がこじれた時も関係各位がいっていた。でもね、「想定外」の言葉を連発している時点で自分の無能を宣伝していることに気づかないと。
さらに、二日に呼び戻された駐モスクワ日本大使が「大統領のサハリン訪問をロシアの国内問題」と説明したというけど、これも、×国が何かをしでかすたびに、×国事情に詳しい人達が、×国人はこういう人たちなんだ、こういう内部事情があるからこんなことするんだ、って、解説するあの構図と同じ。別にそんな話し聞いてません。
大使の仕事は相手国の事情に共感を示して自国民を説得することではない。相手国がどのような行動様式をもつにせよ、それを踏まえて情報収集、分析、人脈作りなどを行って、相手国が日本の国益を損なわないようにするのが、本来の仕事である。
政治家も官僚もマスコミも、仕事をしないで、ただ状況に振り回されているから、どんどん力を失っていくのである。この悪循環から逃れるためには、それぞれが、それぞれに期待されている仕事をプロに徹してこなしていくしかない。それには個々人が普遍的価値観に根ざしたビジョンと信念を育むことが前提とされる。
みながそのようなビジョンと信念をもって自らの天職に励む社会は、芯まで腐ることはない。
ちなみに、尖閣ビデオを流出させた剛の者はアカウントによって時の政権にメッセージを送っていた。
sengoku38、すなわち、「仙石さんパー」
停船をせまるのどかな始まりから、特攻漁船にむかって海上保安庁の職員が「とまれとまれとまれ」と思わず日本語で叫びまくって衝突されるシーンまで、なかなか迫力がある。
欲を言えば船長の悪あがきが炸裂するであろう衝撃の逮捕シーンを見たいが、那覇地検の金庫の中にねむっているという二時間のマスターテープの中なのだろう。
元産経の新聞記者の福島香織さんが、このビデオに中国語で解説つけて中国のサイトに投稿しようとしたら、ブロックされたそうな。×国は「黄金の盾」(金盾:中国のネット検閲プロジェクト)という万里の長城を築いて、昔かわらぬひきこもりをしているのである。
まあ、一部の冷静な人をのぞけば、×国人の大半は素晴らしいプロパガンダ教育によって洗脳されているので、真実を目の当たりにしても逆ギレするだけだろうけど。
笑ったのが、昨日まで日中関係を左右する最高機密だったはずの映像が、ネットに流れたとたん、NHKも民放各局もこぞって映像のハイライトを編集してこれでもかって流し続けたこと。
たとえていえば、三日の早慶戦で、ノーヒットノーランだった斎藤佑樹選手が味方の落球で一点とられたら、そのあとやる気をなくして五失点したみたいな流れである(え?たとえが意味不明?)。
民放も、そして公共放送のNHKも、政府が「公開しない」と決めたビデオを公の電波にほいほいのせちゃったわけである。
政治家や外務官僚や関係各位がえんえんと話し合ってきめた方針を、庶民からマスコミに至るまで一秒も考えずに破りまくったのである。菅政権の統治能力のなさがなかなか見事に示された(もともとないけど)。
おまけでいえば、ネットの後追いをしたことで、マスコミの権威も地に落ちた(これもすでに無力化が叫ばれて久しいけど)。
ロシアの大統領のサハリン訪問の際もひどかった。外務官僚や関係者がこぞってこの事態を「想定外」「やるとしても来年春かと思っていた」とかいっていってたけど、同じ様な言葉は尖閣の問題がこじれた時も関係各位がいっていた。でもね、「想定外」の言葉を連発している時点で自分の無能を宣伝していることに気づかないと。
さらに、二日に呼び戻された駐モスクワ日本大使が「大統領のサハリン訪問をロシアの国内問題」と説明したというけど、これも、×国が何かをしでかすたびに、×国事情に詳しい人達が、×国人はこういう人たちなんだ、こういう内部事情があるからこんなことするんだ、って、解説するあの構図と同じ。別にそんな話し聞いてません。
大使の仕事は相手国の事情に共感を示して自国民を説得することではない。相手国がどのような行動様式をもつにせよ、それを踏まえて情報収集、分析、人脈作りなどを行って、相手国が日本の国益を損なわないようにするのが、本来の仕事である。
政治家も官僚もマスコミも、仕事をしないで、ただ状況に振り回されているから、どんどん力を失っていくのである。この悪循環から逃れるためには、それぞれが、それぞれに期待されている仕事をプロに徹してこなしていくしかない。それには個々人が普遍的価値観に根ざしたビジョンと信念を育むことが前提とされる。
みながそのようなビジョンと信念をもって自らの天職に励む社会は、芯まで腐ることはない。
ちなみに、尖閣ビデオを流出させた剛の者はアカウントによって時の政権にメッセージを送っていた。
sengoku38、すなわち、「仙石さんパー」
素人天国日本
ダライ・ラマ法王のおっかけまではやっていないので定かではないが、法王が一年に二回も日本に来られるのは今年が初めてではないだろうか(違ったらごめん)。これは日本においてもダライ・ラマの評価が高まった証と言ってみたいところだが、そう単純ではないな。
日本の招聘団体がダライラマを招聘する契機は圧倒的に自らの主宰するイベントの賓客としての場合が多く、ぶっちゃけ彼の知名度をかりて場をもりあげたい、的なノリがおおい。法王の教えを聞きたいから、施主一同心をこめて梵天勧請、みたいな正当派の会合は実はほとんどないのである。
それに、ダライ・ラマやチベット仏教に対する理解度も、日本は先進各国の中でずぬけて低い。日本ではチベット文化に対する理解もなくチベット語も一文字もよめなくとも、平気でチベットについて語る人たちがおり、それが許されている。ちなみに、欧米ではチベットの文化や歴史はよく理解されているので、生半可な解釈やレッテル貼りはできないし、もしそのような人がいても相手にされない。
しかし日本ではチベット事情について知る者が圧倒的に少ない。しかし中国ウォッチャーも、マスコミも政治家も中国とのからみでどうしてもチベットに言及せざるを得なくなると、ただ中国の主張とダライ・ラマの主張を並列させて述べ、自分をその中間におきたがる。
でも、真実は一つなんですが(笑)。
そしてサイアクの人は、中国の主張をそのまま述べる、あるいは、自分の既存の概念をチベットにあてはめて理解した無自覚かつ無責任な言説をとる。なんでこんなこと書くかというとこの一週間立て続けに香ばしい体験をしたからである。
まず、チベット語はおろか、中国語すらできない某大学の某准教授から、「チベットに関わるとある地域について報告するので、パワーホーイントのチェックをしてくれ」と頼まれた。見ると、どこからつっこんでいいのか分からないくらい、ムチャクチャなものであった。
用いる概念や単語は「誰かそれがこういっていた」レベルの根拠の乏しいもので、そこにもりこむ様々な実例も基本的な誤謬に満ちあふれている。
たとえば、北京の天壇と熱河の普楽寺をならべて、この二つは似ているから普楽寺は〔チベット式でなく〕漢式建築とか言っている(爆笑)。この二つは形は似ているがそのコンセプトも施主の建築動機も天と地ほどもへだたっている。
天壇は中国人の「天は丸く、地は方形」という思想に基づいて、天をまつるこの場を天にちなんで同心円の重層建築にしているのであり、普楽寺は乾隆帝が生涯信仰したチャクラサンヴァラ・マンダラの立体マンダラとして円形の重層建築の姿をしているのである。
形は多少似ていてもよってたつ思想は全く異なり、この二つを並べて似ているとかいっても、お盆と月が似ているというようなもので、何の意味もないなさないただの思いつきである。
どうもこの研究者は現地のパンフに書いてあったことをそまま受け売りして、漢式・チベット式といった概念を使っているらしい。
仕方ないので私はこう引導をわたした。
「この素材で何か学術的なビジョンを述べようとすれば、豊かなチベット仏教、中国仏教の知識を持った上で、中国語やチベット語や満洲語の一次史料をよまねばならない。つまり、チベット語も中国語もできないあなたが、明日の発表で何か学術的なヴィジョンを提出するのはムリでしょう」と。
幸いにとても頭の柔軟な方であり、ご理解いただけた。しかし、もしここで逆ギレとかするようなタイプだったら、私も果敢に受けて立つので(笑)、議論に勝っても人間関係を荒廃させるというパターンに陥るところであった。
そいえば、チベットやダライラマについてまったく知識がないのに自信満々に一民族の運命について語る最右翼といえば、やはり気合いの入った×ルクス主義者の方々である(あ、左翼か 笑)。
マルクス思想のサポーターの方々は世界的にみれば絶滅危惧種であるが、島国日本ではまだまだ健在である。最近私が聞いた例でも、とある高校の先生は、2008年のチベット蜂起を「貧富の差が原因の階級闘争」(笑)、「ダライラマが支配するチベットでは人の皮をはいでいた」、「農奴が抑圧されていた」、「チベット人は全然非暴力でなくて暴力的である」、果ては、「ダライラマは人民のために亡命したのではない(自分のためにしたのだ)」みたいなことを平気で教壇で語っていたそうな。
この高校の先生は実はマルキシストの某帝大系列の大学のO教授さまに触発された結果、こうなったらしい。このおふたりはむろんチベットの歴史も、文化もまったく知ることはない。そのような彼らが、滅びる瀬戸際にある一民族の一つの文化の未来をもてあそぶ権利があるんでしょうか。ないでしょう。
こういう人たちの書くものを共感を持って読む人たちは自分が「チベットに対して何もしなくていい理由」をみつけて安心することであろう。しかし、マルクス思想を後生大事に護って、チベットの文化を滅ぼしても、結局困るのは、我々自身であることは梵天勧請以来の真実なのである。
この世の不幸は貧富の差をなくす政治によって解決できる、というマルクス思想は、19世紀から20世紀にかけて、知識人の間に流行した。しかし、近年は政治が救える人の不幸なんて上っ面なものだということは共通の認識である。ちなみに、これも二千五百年前のお釈迦様の時代からの真実である。
マルキシストは貧困問題は普遍的問題なので、民族問題を上回ると考えているようだが、チベット仏教は人の不幸を内面から救う普遍的な思想を持っており、その論理性・妥当性については多くの人々に受け入れられている。マルクス思想の普遍を救うためにチベットが犠牲になっていい言われはないのである。
ダライ・ラマは貧困をなくすというマルクス思想には惜しみない賛辞を加えた上で、「でもあなたたちには精神性が欠如しているでしょう?」と問いかけているのである。いい加減、マルキシストも、ダライ・ラマにならって、自分の足りないところを反省して、学問の名をかりた自己の信条の垂れ流しとチベット文化に対する攻撃をやめてくれ。
いくらチベットを攻撃してもマルクス思想に足りないところがある、という事実は変わらないのだから。
日本の招聘団体がダライラマを招聘する契機は圧倒的に自らの主宰するイベントの賓客としての場合が多く、ぶっちゃけ彼の知名度をかりて場をもりあげたい、的なノリがおおい。法王の教えを聞きたいから、施主一同心をこめて梵天勧請、みたいな正当派の会合は実はほとんどないのである。
それに、ダライ・ラマやチベット仏教に対する理解度も、日本は先進各国の中でずぬけて低い。日本ではチベット文化に対する理解もなくチベット語も一文字もよめなくとも、平気でチベットについて語る人たちがおり、それが許されている。ちなみに、欧米ではチベットの文化や歴史はよく理解されているので、生半可な解釈やレッテル貼りはできないし、もしそのような人がいても相手にされない。
しかし日本ではチベット事情について知る者が圧倒的に少ない。しかし中国ウォッチャーも、マスコミも政治家も中国とのからみでどうしてもチベットに言及せざるを得なくなると、ただ中国の主張とダライ・ラマの主張を並列させて述べ、自分をその中間におきたがる。
でも、真実は一つなんですが(笑)。
そしてサイアクの人は、中国の主張をそのまま述べる、あるいは、自分の既存の概念をチベットにあてはめて理解した無自覚かつ無責任な言説をとる。なんでこんなこと書くかというとこの一週間立て続けに香ばしい体験をしたからである。
まず、チベット語はおろか、中国語すらできない某大学の某准教授から、「チベットに関わるとある地域について報告するので、パワーホーイントのチェックをしてくれ」と頼まれた。見ると、どこからつっこんでいいのか分からないくらい、ムチャクチャなものであった。
用いる概念や単語は「誰かそれがこういっていた」レベルの根拠の乏しいもので、そこにもりこむ様々な実例も基本的な誤謬に満ちあふれている。
たとえば、北京の天壇と熱河の普楽寺をならべて、この二つは似ているから普楽寺は〔チベット式でなく〕漢式建築とか言っている(爆笑)。この二つは形は似ているがそのコンセプトも施主の建築動機も天と地ほどもへだたっている。
天壇は中国人の「天は丸く、地は方形」という思想に基づいて、天をまつるこの場を天にちなんで同心円の重層建築にしているのであり、普楽寺は乾隆帝が生涯信仰したチャクラサンヴァラ・マンダラの立体マンダラとして円形の重層建築の姿をしているのである。
形は多少似ていてもよってたつ思想は全く異なり、この二つを並べて似ているとかいっても、お盆と月が似ているというようなもので、何の意味もないなさないただの思いつきである。
どうもこの研究者は現地のパンフに書いてあったことをそまま受け売りして、漢式・チベット式といった概念を使っているらしい。
仕方ないので私はこう引導をわたした。
「この素材で何か学術的なビジョンを述べようとすれば、豊かなチベット仏教、中国仏教の知識を持った上で、中国語やチベット語や満洲語の一次史料をよまねばならない。つまり、チベット語も中国語もできないあなたが、明日の発表で何か学術的なヴィジョンを提出するのはムリでしょう」と。
幸いにとても頭の柔軟な方であり、ご理解いただけた。しかし、もしここで逆ギレとかするようなタイプだったら、私も果敢に受けて立つので(笑)、議論に勝っても人間関係を荒廃させるというパターンに陥るところであった。
そいえば、チベットやダライラマについてまったく知識がないのに自信満々に一民族の運命について語る最右翼といえば、やはり気合いの入った×ルクス主義者の方々である(あ、左翼か 笑)。
マルクス思想のサポーターの方々は世界的にみれば絶滅危惧種であるが、島国日本ではまだまだ健在である。最近私が聞いた例でも、とある高校の先生は、2008年のチベット蜂起を「貧富の差が原因の階級闘争」(笑)、「ダライラマが支配するチベットでは人の皮をはいでいた」、「農奴が抑圧されていた」、「チベット人は全然非暴力でなくて暴力的である」、果ては、「ダライラマは人民のために亡命したのではない(自分のためにしたのだ)」みたいなことを平気で教壇で語っていたそうな。
この高校の先生は実はマルキシストの某帝大系列の大学のO教授さまに触発された結果、こうなったらしい。このおふたりはむろんチベットの歴史も、文化もまったく知ることはない。そのような彼らが、滅びる瀬戸際にある一民族の一つの文化の未来をもてあそぶ権利があるんでしょうか。ないでしょう。
こういう人たちの書くものを共感を持って読む人たちは自分が「チベットに対して何もしなくていい理由」をみつけて安心することであろう。しかし、マルクス思想を後生大事に護って、チベットの文化を滅ぼしても、結局困るのは、我々自身であることは梵天勧請以来の真実なのである。
この世の不幸は貧富の差をなくす政治によって解決できる、というマルクス思想は、19世紀から20世紀にかけて、知識人の間に流行した。しかし、近年は政治が救える人の不幸なんて上っ面なものだということは共通の認識である。ちなみに、これも二千五百年前のお釈迦様の時代からの真実である。
マルキシストは貧困問題は普遍的問題なので、民族問題を上回ると考えているようだが、チベット仏教は人の不幸を内面から救う普遍的な思想を持っており、その論理性・妥当性については多くの人々に受け入れられている。マルクス思想の普遍を救うためにチベットが犠牲になっていい言われはないのである。
ダライ・ラマは貧困をなくすというマルクス思想には惜しみない賛辞を加えた上で、「でもあなたたちには精神性が欠如しているでしょう?」と問いかけているのである。いい加減、マルキシストも、ダライ・ラマにならって、自分の足りないところを反省して、学問の名をかりた自己の信条の垂れ流しとチベット文化に対する攻撃をやめてくれ。
いくらチベットを攻撃してもマルクス思想に足りないところがある、という事実は変わらないのだから。
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