FC2ブログ
白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2010/10/11(月)   CATEGORY: 未分類
報道の使命
 実態の如何に関わらず、つねに大国意識を持ち続けてきた中国人にとって、中国籍のノーベル賞受賞者がでることは長年の夢であった。その第一号が今年ようやく平和賞に出た。

 天安門事件以来、中国共産党の一党独裁を批判し、民主化運動の先頭に立ち、2008年暮れには「零八憲章」を発表した(その時のブログはここです)、文筆家劉暁波さんである。

 この受賞の持つ意味は大きい。中国の歴史が続く限り中国人は、ノーベル賞を最初にとった中国人は体制を批判した人であった、という恥の歴史を持ち続けなければいけなくなった。世界が中国に全部占領されでもしない限り、中国人初のノーベル賞は獄中の反体制文筆家として記録され続ける。

 中国人の大半は、悪名高い愛国教育と報道統制により、中国政府が行っている、露骨な軍拡も、治安を口実にした少数民族の制圧も、情報統制も、まるで気にしていない。それどころか、国が傲慢なチベット人や日本人やアメリカ人に脅しをかけて、自分たちだけが有利に金儲けできる安定した環境を整備してくれてありがとう、くらいに思っている。

 13億の国民が、「ルールを破ってムリを通すことのできる強くなった自分への快感」に酔っているのである。これが意味することは一つ。かの国はそう簡単には変わらない。下手すれば民主化しても本質はこのまんまかもしれない。

 だから、この受賞の歴史的意義は、別の所にある。

 それは、後に続くものがなくとも、体制に弾圧されようとも、投獄されようとも、命をかけて普遍的な価値を追求する人がいることを世界が知ることである。中国人は特殊な状況下にあるためなかなか目が覚めないだろうが、中国人と同じように目先の利益を追求している人のうちの何人かは、普遍的価値の重要性を思い出す契機になることであろう。

 発表のあった金曜日の夜、私は8時50分にはじまったBSニュースを見ていた。

 ニュースは劉氏の受賞をトップニュースで伝え、中国政府が事前に様々な圧力をかけたこと、また13億の国の体制をゆるがすのだから、平和賞ではない、との中国政府の世迷い言を伝えたあと、選考委員会の委員長もつとめる元ノルウェー首相ヤーグラン氏の言葉が流れた。

「もし我々が皆、経済など自己の利害から〔中国の横暴に〕沈黙してしまえば、国際社会に受け入れられてきた(人権の)基準を下げてしまう」。

 NHKから珍しくも流れ出る美しい言葉とポジティブなエネルギーにうっとりする。

 そして、翌日の朝日新聞をみてさらにうっとり。朝日が幼児期を脱してやっと大人になろうとしている。これをはっきりさせるため、かつて朝日がどういうことをやっていたかを検証してみよう。

 1989年の天安門事件の年、ダライ・ラマ14世法王がノーベル平和賞を受けた翌日、朝日はこのような社説を掲げた:


平和賞は何をもたらすか(1989年10月7日社説)

 チベットのダライ・ラマ14世に、ノーベル平和賞が授与されることになった。チベットの宗教・政治の指導者として、非暴力の闘争を長年続けてきたことを評価したのだという。これに対し中国側は「内政干渉だ」と強く反発している。
 ノーベル平和賞はこれまでにも、ポーランドのワレサ氏やソ連のサハロフ氏ら、東側の体制の中で抵抗運動を続けてきた人物に与えられ、政権の神経を逆なでしたことがあった。今度のケースも、ダライ・ラマがインドに亡命政権を樹立しており、授賞自体が政治的性格を帯びている。
 選考委員会は、中国の政治指導者への非難を意図するものではない、と言ってはいる。しかし、87年秋から4回も起こったチベットの暴動に対する武力鎮圧、今年3月にラサで発動され、いまも続いている戒厳令、さらには北京・天安門の「血の日曜日」事件など一連の中国の強硬政策に対して不快の念を表明しようとする西側の意図が背後にある、と見ても見当違いではないだろう。
 中国の反発は当然予想されたことであり、全世界がこぞって祝福する授賞にならなかったのは残念である。平和賞があまりに政治的になり、対立を助長することにもなりかねないことに違和感を持つ人も少なくない。平和のための賞が結果として、チベットの緊張を高めるおそれさえある。こんなことになれば、「平和賞」の名が泣こう。
 チベットの人々にとって、この受賞の意味は大きい。チベット問題が広く世界に認識される足がかりとなるからだ。しかしあくまでダライ・ラマの「非暴力」が評価されたことを忘れてはなるまい。(中略)だからこそダライ・ラマ陣営にも望みたい。今度の受賞を機に、対決ではなく和解のために、流血ではなく和平のために、力を発揮することを。


 つまり、ノーベル賞が不和をもたらすといわんばかりの、まるで今年の×国様と同じ表現で選考委員会を批判したのである。

 さらに朝日のコラム天声人語も「毒を持つノーベル平和賞」という、間接的に、ノーベル平和賞が平和をもたらさないかのようなイメージを炸裂させた。そして決定的なのは、一般読者の投稿として、

政治亡命者は平和貢献者か ダライ・ラマのノーベル賞授賞(声1989年10月11日)

   大宮市 小原邦彦(会社員 51歳)
 インドに亡命中のダライ・ラマにノーベル平和賞が贈られることになりましたが、政治亡命者は平和貢献者でしょうか。一時的にせよ、国を捨て、民を捨て、国外の安全な場所に逃げ、衣食住に困らない生活が彼にはできる。捨てられた民から見ればぜいたくな生活環境で暮らせる人間が、真の平和貢献者とはどう見ても考えられない。
 1人の亡命者が出れば、数多くの捕らわれの民が出るし、その日の暮らしに事欠く民が数多く出ることを考えたとき、また、獄舎に入れられ、命を落とす民が数多く出ることを考えたとき、この亡命者は平和の貢献者と成り得ないと考えるのは私だけでしょうか。真の平和貢献者とは宗教にも政治にも片寄りのない、真の中立者でなければならないと思う。
 政治的に中立でない人を無理して選出すれば、それが新たな火種となって、また新しい犠牲者が出るであろうし、平和的ムードもぶち壊しとなる。
 適任者としての真の平和貢献者がいないときには無理して選ばない方がよい。いや、選ぶべきでなく、受賞者がいないのは、それが存在するよりも、もっと価値ある意思表示となるのではなかろうか。


 朝日の意見を読者の言葉という形で代弁させたのである。普遍的な価値をもつチベットの文化と民族性をまもるために奮闘してきた高僧を、このような貧困な言葉できめつける文章を紙面にのせたのである。この五毛党(中国政府からお金をもらって体制翼賛のカキコをする日銭稼ぎの人々)のような文章を読まされた日本の知識人の方達の脳内の夜明けはさらに遅れたことであろう。

 当時のブログにも書いたが、劉さんが2008年の12月10日に零八憲章を発表した際、他主要各紙はその日に記事をのせたのに、朝日は9日もたった19日になって、中国に政治改革の必要性を説く社説でたった二行触れただけ。

 そんな朝日も、今回の社説はまあ正気でした。

(社説)平和賞 中国は背を向けるな

 驚異的な経済発展とは裏腹に、民主主義や人権を大切にしてこなかった中国の指導者に、痛烈なメッセージが突きつけられた。
 中国の民主活動家で作家の劉暁波氏に、ノーベル平和賞が授与されることになった。1989年の天安門民主化運動にかかわり、それ以来暴力など過激な手段を使わず、言論活動一筋に民主化を求めてきた人物だ。
 ノルウェーのノーベル賞委員会は、こうした活動を高く評価した。
 北京五輪のあった2008年暮れ、劉氏は共産党独裁の廃止など根本的な民主化を訴える「08憲章」を起草した。そのことと党や指導者に対する批判が、「国家政権転覆扇動罪」に問われて懲役11年の判決を受けた。今は東北部の遼寧省で獄中にある。
 劉氏が平和賞の知らせを聞くことができたかは定かでない。少なからぬ国民も、当局による報道規制のために知らずにいるかもしれない。しかし早晩、授賞の知らせは中国で広がり、劉氏らとともに民主化につとめてきた人々への大きな励ましとなるだろう。
 ノーベル賞委員会によれば、中国当局は「反体制派への授与は非友好的な行為と見なされる」と警告していたという。だとすれば、急成長する経済や軍事力の増強による「大国意識」を背景にした強権的な一面が、ここでも表れたといえる。
 しかし、委員会は中国側の圧力に屈しなかった。高く評価したい
 中国当局は、政治的信条の平和的な表現を認める、自らも署名した国際規約に反し、言論の自由などをうたった中国憲法にも反している。委員会はそう厳しく批判し、中国の責任の大きさを指摘した。(後略)


 そして、天声人語はナチス・ドイツを批判したジャーナリストで1935年に獄中で平和賞を受賞したオシエツスキーを例に挙げて、劉氏の業績を称えている。中国政府をナチスドイツに称える点はよくできたと思います。そういえば、北京オリンピックの聖火リレーも、ナチス・ドイツの聖火リレーを想起させるとあちこちに書かれていましたね。

 つまり、ついこの間まで、中国様と同じ理論で動いていた朝日が、今回は一応ノーベル賞選考委員会の決定を称えたのである。つまり、朝日が持っていた「白黒はっきりさせることは混乱を生む。ああいう国だから刺激しないことが平和への道」という、ジャーナリストとしても人としても恥ずかしすぎる非論理的思考を、「刺激の有無にかかわらず、中国はどんどん驕って乱暴になっていく。自分がいくら遠慮しても相手は変わらない。なら、ここは「立派な人を立派である」と素直に顕彰するジャーナリズムの精神にもどろう」とあいなったわけであろう。

 そもそも、これまでマスコミが外交や経済の心配をして、国民の意識をコントロールしようとしてきたこと自体がおかしい。ジャーナリストは外交や経済について口を出す以前に、本来の使命である、「たとえ牢獄にほりこまれようが何だろうが、事実と真実を追究すること」をやればいいのだ。

そう、劉暁波さんのように。

[ TB*0 | CO*9 ] page top
Copyright © 白雪姫と七人の小坊主達. all rights reserved. ページの先頭へ